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January 20, 2005

地点 『雌鳥の中のナイフ』

 テキストの「過激」な再構築で話題を呼んだ「青年団リンク・地点」が、英国の劇作家D.ハロワーのデビュー作「雌鶏の中のナイフ」を元旦から上演しています(東京・アトリエ春風舎、-23日)。この作品は1995年英国で初演。その後、欧米各国で上演され、ベルリン批評家賞・最優秀外国語作品賞(1997年)などを受賞したそうです。
 話題作だし3週間余りの上演なのでレビューもかなりあると思っていましたが、探し切れません。「ワニ狩り連絡帳」サイトはいつもながら、きちんと目配りしていました。

 「前半ではほとんど動きらしい動きもなく、まるでリーディング公演のような舞台。その静的な世界が、ま、後半ではグワシャ!とばかりに壊されたりして、効果的な演出」としながら、昨年の公演「じゃぐちをひねればみずはでる」と比較しています。その上で「とにかく安部聡子。常に正面を見据えて、アクセントや区切りを読み替えられた圧倒的な量のテキストを語りながらも、もう、これは圧倒的に官能的であり、圧倒的に美しい」と、農夫の妻を演じた安部聡子を褒めちぎっています。公演は23日まで。

 「地点」は青年団リンクを離れて3月から京都に本拠を移すそうです。従来形式での最後の活動ということになるのでしょうか。
 ぼくもこのステージを見ていますが、もう少し時間をおいてからまとめたいと思います。しばしのご猶予を。

追記
 「ine's daypack」サイトが「三浦演出の今日性(地点「雌鶏の中のナイフ」)」というタイトルで、三浦演出に的を絞った批判的な分析を展開しています。昨年9月に「”三浦語”のための舞台(地点『じゃぐちをひねればみずはでる』)」を掲載し、「地点」の舞台を継続的に見た上での言及です。議論の広がりを期待したいと思います。(2005.1.20)

これとは逆に「圧倒的なイメージで人の体に響かせるような芝居」と評価する声もありました。以下、「デジログからあなろぐ」サイトからの抜き書きです。
 「役者が語る言葉は、言葉の感覚のレベルで解体されている。言葉のレベルではない点が重要である・・・つまり、言葉を解体したのではなく、人間が言葉にもつ基本的な感覚の解体だ」。さらに「脚本の方は、怒涛の台詞の量です・・・三人芝居で80分・・・気持ち悪くなるほどの台詞の量に加えて、圧倒的なイメージの応酬です」「今回の雌鶏の中のナイフは、後半ちょっと話について行けなくなってしまったし、あまりにも黒いストーリーで苦手は人は多そうですけど、私は寧ろ心を揺さぶられるような感覚に陥りましたね。笑える面白い芝居も良いのですけど、そういうのは見ているだけで良くて、自分がやりたいのは逆に、こういう圧倒的なイメージで人の体に響かせるような芝居がしたいのです」
 筆者はある劇団の作・演出を手掛ける大学院生のようです。ほかの公演評も興味深く読みました。(1.29記)

 さらにもう一つのサイトを紹介します。「大岡淳の反資本主義日記」です。
 「独特の台詞回し、観客に正対する身体性、性的アレゴリーとして機能する美術、テキストに対する知的な読解、そして、緊張感あふれる演出。これが噂の三浦演出か!と舌を巻いた。強烈なオリジナリティを発散しつつも、鈴木忠志から平田オリザに至るアングラ以降のパラダイムを正統的に踏まえ、また、おそらくはフランス留学によって習得したのだろうが、西洋の現代演劇に見られる洗練された美的センスをもじゅうぶんに吸収している。このままヨーロッパに持って行けば、オリエンタリズムの色眼鏡を抜きにして、正当な評価を得られるだろう。いやそれどころか、三浦氏は、本当の意味で海外の俳優を使いこなして世界水準の舞台を作ることができる、日本初の演出家となるかもしれない」(1.29記)
 
[上演記録]
地点 第9回公演『雌鳥の中のナイフ』
■演出 三浦基
 作 デイヴィッド・ハロワー
 翻訳 谷岡健彦

■配役
 安部聡子
 大庭裕介
 小林洋平

舞台美術 杉山至×突貫屋
照  明 吉本有輝子
照明オペレーター 松本明奈
音  響 田中拓人
衣  装 すぎうらますみ
演出助手 井上こころ
舞台監督 桜井秀峰
宣伝美術 京
制  作 田嶋結菜
総合プロデューサー 平田オリザ

Posted by KITAJIMA takashi : January 20, 2005 11:21 PM | Trackback
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