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February 16, 2005

KUDAN Project「くだんの件」

 少年王者舘KUDAN Project「劇終/OSHIMAI~くだんの件」のレビューをお届けします。筆者は青木理恵さん。日本文学専攻の大学生です。実は南船北馬一団の公演評より先ににいただいていたのですが、掲載が遅れました。スミマセン。

◎快感の余韻と気だるさの感覚 イイ男との一夜の火遊び…

夢の中へ紛れ込む。
そこは理想郷のようでもあり、また現実逃避の場でもあり。
それでも、逃れられない現実は、いつだって自分の前に立ちはだかっている。

小熊ヒデジと寺十吾。
昔住んでいた街を訪れた者と、その街である店を営む店主。
いつも一緒に遊んでいる、タロウとヒトシ。
同Project作品である、『真夜中の弥次さん喜多さん』の弥次と喜多。
夢を見ている者と、その夢の中の登場人物。
一対一の関係は、瞬間でその色を変え、
今出てきたのが誰なのか、やっと理解できたかと思うと、またすぐに移り変わってしまう。

この作品を説明しろ、と言われると困る。
私にはそれを上手く説明できるだけの語彙力がない。

リアリティもなければ、取り立ててメッセージがあるわけでもない。
観客は、舞台上の二人の濃密な空気感を、ぼんやりと眺めさせられるだけだ。
またこれが、驚くほど気持ちの良い時間なのだから、たまったもんじゃない。

ラストには、装置が全て取り払われた舞台の上で、二人がそっと離れていく。
初めから、何もなかったのだとでも言うように。
そして閉じられた幕に映し出される、数え切れないほどの「ゆめ」の二文字。
本来自分の眠りの中でしか見られないはずの夢を、舞台の上で見せ付けられる。
そんな感じ、である。

『真夜中の弥次さん喜多さん』を見終わったときも、
今回の『くだんの件』を見終わったときも、
まるで性行為を終えた後のような、
快感の余韻と気だるさが入り混じった、何とも言えない肉体感覚が残っていた。

ただ一時間半座っているだけで、
肉体感覚にまで浸透してくる天野天街の演出力は、
こちらの想像力の貧困さを露呈させる。
だからそこに、何もかも忘れて身を任せたくなってしまうのだ。

溺れるような気持ち良さの中で、一度でも夢を見てしまったら、
なかなか足を洗う事はできない。
だからといって、その世界ばかり見ているわけにもいかない。
夢は、あくまで現実の添え物であり、
現実そのものを「なかった事」にするために存在しているわけではないのだから。

例えて言うなら、私にとって、KUDAN Projectの作品とは、
手に入らないほどのイイ男との一夜の火遊び、のようなものかもしれない。
(青木理恵 2005.2.6)

Posted by KITAJIMA takashi : February 16, 2005 10:07 PM | Trackback
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