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May 23, 2005

bird's-eye view 「un_titled」

 bird's-eye viewのステージは前からみたいと思っていました。知人に誘われて勇躍、出向いた結果は正解でした。文句なく楽しい舞台、極上の演劇体験でした。以下、前後のいきさつを知らないまま、臆面もなくまとめてみた文章です。焦点を絞ったので全体の目配りがかけているかもしれません。乞うご容赦。

◎コードを揺さぶる言語ゲーム bird's-eye view の「un_titled」公演

 こまばアゴラ劇場でbird's-eye view の「un_titled」公演をみました(5月11日-22日)。
 おもしろい。あまりおもしろすぎて、涙が出るほど笑いました。うわさの演劇ユニットの初体験でしたが、テキストのロジカルな処理と構成の妙、それに演じている俳優の楽しそうなようすが伝わってきます。評判通りの才気と才能を堪能した一夜でした。

 舞台は透明アクリル板らしきもので仕切られた空間がメーンになっています。左右と奥の余白は、出入りする廊下の役割。アクリル板のドアを開閉して俳優が登場する仕掛けです。

 冒頭、俳優が大勢現れて(前後左右3人ずつ9人だった?)アゴラの狭いステージで踊ります。といってもただ踊るわけではなく、ある規則性があるように感じられました。両手を挙げる。水平と垂直。腕の関節を直角に。斜め前方に曲げる。首と頭を左右に。開脚30度…。などなどの動作をユニゾンでそろえるのはまれで、互い違いにいくつかの動作を組み合わせ、前後左右が異なりながら統一したイメージを残しています。どんな規則性か正確に言い当てられませんが、パズルをはめ込むような知的な作業だったのではないかという気がしました。

 この集団はダンスも衣装もステキですが、テキストの扱いが特に印象的でした。いくつかのことばの規則を決め、それぞれ身近に適用した連作形式を取るのです。例えば「…でない」というルールを定めた場面(話)が登場します。

 それがお芝居かと言えば、いわゆる芝居ではない。コントかと言われれば、いわゆるコントではない。ダンスかというと、ダンスでもない。混じり合っているのかと言えば、そうとも言えない-。
 舞台のせりふを真似ると、こんな感じでしょうか。仮に「…でない」というルールを「否定則」と名付けてみましょう。この否定則は、名詞だけでなく形容詞や動詞など、この場面のせりふすべてに厳しく適用されます。

 自分で初発の言葉の場合は適用を免れるようですが、他者の問いかけにはこの規則がまとわりつくことになります。恋人に好意を打ち明けようと「ぼくのこと、好き?」と尋ねると、返ってくるのは「好きではない」。逆に恋人から「わたしのこと、好きなの?」と聞かれて、ルールに縛られているので否応なく「好きではない」と答えてしまいます。恋敵が逆手を取って「ぼくが嫌いだよね」と尋ね、彼女から「嫌いではない」という返答をゲットするのと対照的な遣り取りでした。

 名詞に関しては、一般名詞も固有名詞も等しく適用されます。事実上「名付け」が禁じられるのです。父親が出勤しようとするのに、家族との会話で身動きできなくなってしまう場面がありました。父親は「出勤しない」「そこはドアではない」「父ではない」などなどの言葉に囲まれます。家族の口からこういう言葉が出るだけでなく、家族がが差し向ける問いに対して、自分でもそう答えざるを得ないのです。固有名前と続柄が否定されれば、家族の関係は無化されざるを得ません。自分がだれで、どこに属しているか、どんな関係の網の目に育ったかという履歴(歴史)が自他ともに取り結べなくなってしまうからです。

 これは、日常なにげなく使っている言葉に、特定の禁止あるいは拘束のルールを持ち込んでみるというゲームでした。人間関係がもつれたり歪んだりして、そこに予期せぬ笑いが生まれます。さらにある種の緊張関係が、舞台から伝播してきたように思えます。言葉ゲームの枠を超え、友人や恋人といった2者間関係だけでなく、家族のつながりをも空白にしてしまうからでしょうか。お腹が痛くなるほど笑いつつ、どこかでドキッとする自分に気付かされるのです。

 もうひとつ、忘れがたいルールがありました。「言動反復則」とでも言いましょうか。鏡のような対象性だったかどうか記憶が定かではありませんが、相対する人に向き合って、同じように手足を動かし、相手の言葉をオウム返しに繰り返すのです。まねするのが女性、まねされるのは男性。「まね女」は男の部屋に突如現れます。恋人が訪ねてきたら、男の部屋に見知らぬ女性がいるのですから、穏やかに済むはずがありません。

 先の否定則が究極的には自分を取り巻く関係を無化して存在の条件を剥奪しているのに対し、言動反復則は自分の模倣=コピーに直面するという逆のベクトルを描いていました。終幕近く、ステージの奥で鏡を使って無限の鏡像を映し出すシーンもそのだめ押しだったのでしょうか。一方では「名付け」が禁じられ、他方では「名付け」が複数存在することになる。こうなると文字通り「un_titled」であるほかないと思われます。

 しかもこういう対照的な右往左往がしかつめらしい相貌をまとうことなく、ユーモラスに、コミカルに、しかもリズミカルに展開されるのです。その練達した技に感心しました。

 そのほかにもゲームルールがあったようですが、ぼくが受けたイメージはこの二つが強烈でした。どちらも、ふだんは疑うことなく「生きている」現実のコードを、演劇的操作を通じて前景化していると言っていいでしょう。友人、恋人、夫婦の暗黙の了解から、集団、組織、民族、国家の文化的政治的コードにまで射程をのばすことも可能かもしれません。

 これらのコードが絶対であるはずがありません。ゲーム上でも、突如ルールが崩壊する場面がちゃんと用意されていました。自分の言動をまねする女に手を焼いていた男が、最後に突然、女の胸に手を触れるのです。すると女は、フリーズしてしまいます。言動反復則のルールが崩れる瞬間です。セクシャルな行為の多義性をあらわにする場面でした。

 この演劇ユニットは、演出家が提起したコンセプトをエチュードで骨肉化していくそうです。禁則ルールを舞台で生き生きさせたのは、ひとえに稽古場でのたたき合いがあったからに違いありません。そのうえでの舞台ですから、俳優が生き生きしていたのは言うまでもないでしょう。ぼくが観劇した5月17日のステージは、特に出来が良かったと聞きました。ぼく(ら)が楽しかったのは、彼ら彼女らが楽しんでいるステージの余熱のようなものだったかもしれません。
(北嶋孝@ノースアイランド舎、2005年5月23日)


[上演記録]
bird's-eye view 「un_titled」
こまばアゴラ劇場(5月11日-22日)

構成+演出_内藤達也

出演
杉浦理史
小野ゆたか
大内真智
日栄洋祐
松下好
山中郁
近藤美月
後藤飛鳥
小手伸也(innerchild)
櫻井智也(MCR)
森下亮(クロムモリブデン)

スタッフ
音楽  岡屋心平
舞台美術  秋山光洋
照 明  榊美香[I's] 
音 響  ヨシモトシンヤ
振付  ピエール
舞台監督  藤林美樹
コスチューム   伊藤摩美 
写真  引地信彦
宣伝美術 石曽根有也 
演出助手  明石修平
プロデューサー 赤沼かがみ
制作  山崎華奈子、保田佳緒

Posted by KITAJIMA takashi : May 23, 2005 10:30 PM | Trackback
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