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August 31, 2005

三条会 『ひかりごけ』

 長野市の東南、JR長野駅から鉄道を乗り継ぎ山間を抜けること数十分、そこに松代町はあります。19世紀に幕末の雄、佐久間象山の提唱から建設・開校された松代藩文武学校内の槍術所で、三条会が代表作である『ひかりごけ』を上演しました。まつしろ現代美術フェスティバルの一環である「まつしろ現代演劇プロジェクト」の招待公演ということで、会場となった文武学校内の諸施設にはさまざまのアート作品がならんでおり、歴史ある町を舞台に現代文化の集う、興味深い催しでした。とはいえ、公演は遥か去る7月17日。三条会は、新作『ニセS高原から』の初日をすでにあけてしまいました。度重なる度を過ぎた遅筆にもはや言い訳も尽き、以下レビューです。

◎微笑の向うにみえるもの

 三条会はこれまで本当にさまざまの場所で公演を重ね、そのたびに場との闘いを制し、そこでしか生きられない白眉の作品をつくってきたが、今回『ひかりごけ』を上演した松代藩文武学校内槍術所も、「演劇」のために建てられた空間ではない。異質なものとの出会いを肯定し、その距離が隔たっていればいるほどに燃えるような三条会の演劇。劇団のスタンダードとも云うべき『ひかりごけ』を、場との化学変化によってさらなる深み(高み)へと到達させた。そこにみえたのは、場や俳優を介して示された虚構が、原作から現代までの時間的距離や、物語生成の過程そのままに舞台を駆け抜ける、新しいドラマツルギーの姿である。

 聊か恣意的な臭みが鼻につくのをおそれずに、原作前半部の紀行文を援用してみたい。『ひかりごけ』において人肉食が主題化される要因である「ペキン岬の惨劇」。実際に起きたという出来事を、村の年若いS青年が「羅臼村郷土史」の一項を割き、「難破船長人肉食事件」として記録した。その末尾に記されたS青年の、「船長が西川を、食べる目的で殺した」という「恐る べき想像」――当時の人びとにも「あまり歓迎されそうにない題材」――に、武田泰淳が「文学的表現」を与えるため「読む戯曲」という形式を選ぶ。作家が机上に「上演不可能」と断じた戯曲『ひかりごけ』を、今度は演出家(読者)である関美能留が上演すべく演劇化する。大まかに云えば、『ひかりごけ』の世界は、直前に示された思想を受け、変化させながら、積極的な虚構を配置して軸をずらし、改めてその場の全体を考えることで成立してきた。そして、事件→記録→文学化→演劇化の過程を支えるのは、各々が人肉食というモチーフを見据える現実的な問題意識と、己の実生活や感情との距離感覚を手放さない、真摯な姿勢である。

 事件の発生地は羅臼村ではなかったし、船長は羅臼の出身でもなかった。にもかかわらず、「ムラ」という極めて内閉がちの共同体社会で、このような事件が郷土史に収められたのは、編纂にあたったS青年にとって「人肉喰い」とは実感困難な、意識の外側に在るものであり、伝統的村制度からも世代的な距離のある立位置が、事件に対する客観の視座となり得たからに他ならない。武田泰淳は、マッカウシ洞窟で「ひかりごけ」をみた回想的紀行文を枕に、事件が記録化される過程を描写した後、大岡昇平『野火』や野上弥生子『海神丸』を引きながら文学者としての分析を試みる。そして、曰く「苦肉の策」たる「読む戯曲」との二部構造にすることで、小説でも戯曲でもない(あるいは「でもある」)、実験的とも云える文学の創造をめざした。一々の濾過装置を伴って、前項に記された事象を相対化しながら積みあげられて生れた『ひかりごけ』が関美能留の演出によって舞台化されるとき、これはドラマツルギーに関わる問題提起を大いに孕んでいる。たとえそれが作者によって、挑戦とさえ受け取れる「上演不可能」の刻印が押されようとも、戯曲が演劇と関わるものであり、演劇が舞台ありきの表現形式であるならば、俳優の身体というフィルターを通してはじめて、「読む戯曲」である『ひかりごけ』の先にある、総体としての『ひかりごけ』が発見されるんじゃないか。そして読者(演出者)の向こうに当然予測されるであろう「観客」の姿をも浮かび上がらせるのだ。

 多く過去の戯曲を舞台化する場合、どうも言葉や観念ばかりが世界の中心に居座り、俳優がそれを動かすことができぬ非力を、物語の類型に当て嵌めた社会状況としての付加価値を以て整理してしまうきらいがあるように思う。過去にある出来事が起こっていたとして、わたしたちがいる進行形の現在との距離は遠ざかってゆくばかりである。そもそも、「ペキン岬の惨劇」と名づけられる以前、第五清神丸が羅臼北方五十五キロの海上で難破し、船長が救助されるまでの間に何が起こったのか。その時間は、もはや船長の体験の内にしかなく、しかしたった一人の生存者である船長の「陳述」や「告白」の真否を誰も証明なぞできないし、共感を持って語ることができよう。現代を生きる三条会の人びとが、異質と感じるものとの出会いから徐々に事の本質へと迫るとき、人を食べた、あるいは人に食べられたことのある者にしか裁かれたくはないという船長の不可解な言葉や、法廷にいる人びと同様に観客にも見えぬ光の輪を、同じく現代に生きるわたしたちは認識する。特異な『ひかりごけ』の世界を現前させるための必要不可欠の条件が、読者(演出者)を経由したところに立つことのできる、戯曲の言葉・世界と拮抗し得る俳優の存在なのだった。

 俳優、ということに思いをめぐらすに、予てからどうもあの「微笑」が気にかかっている。微笑みは、精神、肉体の緊張を緩める作用もあるに違いないけれど、プロットに即した心理表現としての笑いはとまれ、様式的な所作の内に笑顔をみせることはなかったのではないか。恰も自分たちが舞台に息を溶かしてゆくための構えであるかのように、外部世界と相対する決意の顕れであるかのように、俳優たちは微笑みを浮かべ客席の方角を凝とみつめている。大川潤子、榊原毅は口元をキッと結び、静かに口角を持ちあげる。語られる言葉は、さまざまな役柄を演じ分けながら、静と動の間を自在に往還する。中心的役割を担うことの多い二人の、凛とし且つ不敵な微笑をはじめ、橋口久男、中村岳人、岡野暢、舟川晶子らのそれぞれ個性あふるる微笑の裏には、余程、精神の豊饒が秘されているだろう。そこから発せられる身体衝動の緩急は、劇世界そのものまでも変容させていくのである。

 教室にどこかしら夢のように現れる転校生(大川潤子)は、学校という秩序だった空間に対する異物としての役割を担うだろう。教師(舟川晶子)が生徒たちの名前(それぞれ俳優の本名である)を読みあげ、出席をとる。生徒は美しい転校生と握手を交わし、彼女の存在にほとんど心奪われながら、返事をする。授業のテキストとして配られた『ひかりごけ』を、時に教師の「お手本」的な朗読も挿入されながら読んでいく。そこではまず、「読む」という外的な行為が、まず約束事として客席にも諒解させられる。ニュートラルな状態から劇世界に入っていくための前提が仕掛けられているのである。はじめは、テキストの外在性を示すように、授業なのだからと詮方なく「読まされる」音読に過ぎなかったのが、読み進むうちに「朗読劇」然とスタイルは整い、あれよとばかりに新しい世界観が構築されていく。三条会版『ひかりごけ』にみえるのは、人間の身体が言葉を媒介にして劇世界に住みこんでいく、その変異の道すじである。そうした過程の中で俳優の身体が発する活力の振り幅は限りなく大きい。一等早く机に立上がり、五助――彼は戯曲中でも最初に命を落とし、舞台からも居なくなる――として言葉を語りだすのは岡野暢である。次に八蔵へと変身する中村岳人の緊張状態への移行は目に見えて鮮やかだ。隣席の榊原毅とふざけ合いながらも教師に促されて『ひかりごけ』の言葉を口にし、五助=岡野と対話するうちに、しだい笑顔が消えていく。見開かれたその眼は正面を凝視し、机に上りはじめる。と同時に、教室の内(=舞台)を回っていた科白が外側へと放出される。客席に向かって語られていく。三条会の美少年担当(?)、橋口久男が西川化を果たし、やがて、検事(大川潤子)と船長(榊原毅)による法廷の場に向かうと、類希なるダイアローグと音楽にも導かれ、劇温度はひとつの沸点に到達する。

 『ひかりごけ』における「出席をとる」という趣向は、奇を衒った飛び道具ではない。たとえば『若草物語』(2005年2月、ホール椿)にみられた独特の「名乗り」も一種の変奏だった。他者に名前を呼ばせ、自分の存在を明らかにすべく返事をする。あるいは本名を名乗らせることで、虚構の在り処に揺さぶりをかけながら、現代演劇において失われた記名性を再考していく。三条会という集団の関係のなかから、夫々自立した個が立ち上がっていく過程をもみることができる。その人がいる。俳優たるその人がいる。俳優たるその人が舞台に立つ。俳優たるその人が舞台に立ちそこでまた別の役を生きる……。連綿とつづく身体意識の環があって、舞台に俳優が生きるに抗えないであろう、あらゆる粉飾のうちにたしかなことは、「その人である」という一事に他ならない。一人一役に縛られないスタイルも、自意識の所在を絶えず問うものである。俳優には余程のものが求められているに違いないが、それを体現してしまう三条会は、やはり見事である。

 松代藩文武学校という150年の歴史を内包する場所が、『ひかりごけ』に新たな霊力を加味していたことは、今公演の眼目の一つである。かつて槍術(武術)指南の場として在り、その形をとどめる木造建築に対して三条会は、「学校」という、云わば近代的な「文」の学舎を趣向として織りあげた。机と椅子しかない舞台。視界には、俳優と、場所が景色としてあるばかりである。恰好の場所を得、雰囲気だけでない空間との共生を可能にしたのは、俳優の力強さだった。閉めきられた場内、汗を流す俳優同様、観ているわたしたちも汗ばんでくる。しかしそれがまったく不快でない。渦巻く熱気は夏日のためばかりではなかった。生身で体感する演劇の波動に、何度背筋をゾクッと冷気が走り、肌が粟立ったことか。湿った木の匂いとともに、今なお皮膚が記憶している。光と影を自在に駆使し、肉体と空間の関係性を巧みに視覚化する照明と、際だってすぐれた空間構築や戯曲解釈はもちろんながら、俳優――というより、人間中心の舞台設計が三条会の根幹なのだと、あらためて気づかされる。俳優の力量はすでに喧伝されてきたことだけれど、より一層、全体の活力が増したように思う。以前に増して、俳優たちの身体が一回り大きく見えたのは気のせいだったろうか。まず微笑、あらゆる過程的なものを経由しながら、なお微笑みつづける先に、力強くも軽やかに遊ぶ三条会のドラマの真髄がある。そして微笑をはさんだこちら側、観客は、否応なしに劇世界の内へと導かれていく。観念肥大を拒み、具体的な描写を避けたところに、唯一残された生身の人間が放射しているもの。それを視覚化する作業によって融和せられる、舞台と客席、ひいては俳優と観客の境界。それに伴う意識の交流は、まさに体感する演劇として、わたしたちを魅了して止まない。(後藤隆基/2005.7.17/松代藩文武学校槍術所)

Posted by : August 31, 2005 04:57 PM | Trackback
コメント

今更ながら、労を厭わず松本へ出かけるべきだったと悔やまれます。先は長いと思いなして、気長に追いかけましょう。

Posted by: 北嶋孝 : September 2, 2005 10:33 PM
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