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October 04, 2005

シス・カンパニー「エドモンド」

 シス・カンパニー公演「エドモンド」公演が東京・青山円形劇場で開かれました(8月19日-9月13日)。取り上げたのは、米国の劇作家デヴィット・マメットの原作。演出は、いま脂の乗っている長塚圭史。小泉今日子やテレビ番組「トリビアの泉」で人気の八嶋智人らも出演するので話題になりました。

 「stage note archives」サイトによると、この物語は「ひとりの男が、占い師の元を訪ねる。『あなたは、居るべき場所にいませんね。もっとも居るべきところに居る人間なんて殆ど居ませんが、あなたの場合はそれが顕著です』。その言葉に動かされた男は街へ飛び出していく。『こんなはずじゃなかった』人生を取り戻すために。だが、どうやって? 平凡だったはずの男の人生が、ひょんなきっかけで転落していってしまうという物語」だそうです。

 続いて「占い師を訪ねてから、グレナの家までの前半がすっごく良かった。ある種ロードムービーみたいで、入れ替わり立ち替わり芸達者な役者さんがそれぞれ違う姿で現れるのを次から次へと眺めて飽きない。悪意のささやき、暴力、裏切り、自分へ向けられた嫌悪感、そういうものがエドモンドの中にどんどん蓄積していくのが手に取るようにわかって目が離せない」と述べていますが、その後は「前半に較べるとテンションが急に落ちる」と指摘しています。

 公演評を書き留めたサイトは少なくありません。そのうちのいくつかからピックアップします。

「白人の彼の中にある黒人差別や、宗教への逃避を通しながら追い詰められた人間が選ぶ行動を描き出し、その向こうにある、「他者の受容」へと向かって彼は動き出していく」(観もしないのに文句を言うな。

「デヴィット・マメットの作品だと私はtpt『シカゴの性倒錯/カモの変奏曲』を拝見しています。卑猥でどぎつい言葉が行き交い、目に嬉しくない厳しい現実が描かれますが、真正直に、てらいなく意見をぶつけてくる感覚が面白いと感じていました。今作『エドモンド』は非常に重たくシリアスな空気が満ちた1時間35分でしたが、『シカゴ・・・』同様にマメットの気概を受け取った気がします」(しのぶの演劇レビュー

「マクドナー作品の強烈なアクや長塚作品の重厚さを体感した後でこの作品に触れると物足りないというのが第一印象。脚本が二十数年前に書かれた作品ということも多少は影響しているのかもしれませんが」(踊る芝居好きのダメ人間日記

「妻に『家を飛び出す』と宣言するエドモンドの主張がかなり身勝手すぎるものだったからか、『普通の人生を送っている男が』堕ちてゆく物語には見えなかった。どちらかというと『堕ちる素質を元々持っていた男が』堕ちてゆく物語に見えてしまった。多分、エドモンドが切れたときの台詞回しがまるっきり翻訳調で、外国映画みたいだったのもその理由のひとつだと思う」(芝居遊歴控


「役者も演出も美術もどれも悪くはないのにこの盛り上がりのなさはなんだろう.戯曲そのものが全然おもしろくない.主人公が袋小路に入っていく様子もなんだか1人から回りしているようにしか思えなくて、どうにも古臭く感じてしまった.自分を省みず全て他人に原因を押し付けておきながら言うことだけはご立派という主人公に、最初から嫌悪感を持ってしまったので、彼がどんなにひどい目にあっていこうが自業自得としか思えず、そんな彼が最後に救いを感じてるのかやけにさっぱりすっきり健やかなのが気持ち悪かった.そんあのありか?っていう.そんなわけでもっとも理解できないのが肝心の主人公だった」(mamiの観劇覚書


[上演記録]
シス・カンパニー『エドモンド
青山円形劇場(8月19日-9月13日)

作: デヴィット・マメット
演出: 長塚圭史
出演: 八嶋智人
大森博史
酒井敏也
小松和重
中村まこと
明星真由美
平岩紙
小泉今日子

スタッフ
美術 : 堀尾幸男
照明 : 小川幾雄
衣装 : 前田文子
音響 : 加藤温
ヘアメイク : 大和田一美
演出助手 : 坂本聖子
舞台監督 : 瀧原寿子
プロデューサー : 北村明子
企画・製作 : シス・カンパニー

Posted by KITAJIMA takashi : 11:39 PM | Comments (0) | Trackback

September 09, 2005

tpt「道成寺一幕」

 「没後35年、世界につながる三島」-。こんなキャッチコピーでtpt が三島由紀夫の「道成寺」を取り上げました。Webサイトには「ヨーロッパの都市で挑発的な演劇活動を続けている気鋭のドイツ人演出家が、三島由紀夫没後35年の2005年東京で“末世の意識をひそめた”この戯曲の変幻自在性を探る」と書かれています。その「気鋭のドイツ人」はトーマス・オリヴァー・ニ-ハウス。2003年、ボート・シュトラウスの「時間ト部屋」でtpt に初登場した演出家です。

 「Club Silencio」サイトのno_hay_bandaさんはまず、「前面を石張り建築風にこしらえた舞台を黒い床が映し出す美術(松岡泉)がまず上出来」と褒めています。この芝居に触れた人はほとんど、舞台美術や装置を評価していました。no_hay_bandaさんはまた「冒頭そこに登場してくる人物の衣装(原まさみ)も意表を突いてこれまた良い。骨董店主人(塩野谷正幸)の風体、口上もよろしく、期待を持たせる」としながら、箪笥の競りで、法外な安値を付ける娘清子(中嶋朋子)が現れると、その期待がしぼむと言います。なぜでしょうか。「理と情の釣り合いをとらないといけない役のはずなのに情が前に出すぎている。そしてそれを破裂を伴うような声で演じるので場違いな感情過多と映る。もともと説明口調のところにもってきてそれだからこちらの気持ちは舞台に入っていけない」というのです。

 「しのぶの演劇レビュー」も引っかかったとみえ、「Club Silencioで書かれているとおり、私も清子役の中嶋朋子さんの演技がどうも受け付けづらかったです。お話の中、そして想像(夢)の中に入って行きたいのに、主役の彼女が現実世界の個人的感覚に浸っている様子で、私もベニサン・ピットの客席に座っている自分のままで居るしかありませんでした。でも、言葉がはっきりと伝わってきたので、お話の意味は非常にわかりやすかったです」と述べています。とはいえ、この競売のシーンで次のような指摘に出会い、うなってしまいました。

清子と主人が「5万円!」「3000円」!と値段交渉しているシーンでは、見守る人々はまるで情事のあえぎ声のような息声を発しながら、表情はクールなまま、楽しげにお花見をしていました。桜=春=愛=情事=戦争=値段交渉、という式が浮かびました。めちゃくちゃ面白かったです。

 清子に関して、さらに別の見方を紹介しましょう。「現代演劇ノート~〈観ること〉に向けて」の松本和也さんは「tptの「道成寺」は三島由紀夫の台詞の言葉との距離・バランスを巧みに取りながら、情念という言葉とはおよそかけ離れたモードの中で清子=中島朋子を迎えることになるだろう。つまり、ニーハウスの演出は、このように台詞や演技をひとたび解体し、あたう限り重みを削いだ記号として(再)配置することで組み立てられている、「道成寺」のポスト・モダン的地平を形作っている」とした上で、次のように展開します。

白シャツにGパン、リュック姿で登場する清子=中島朋子は、その表層のあらわれにおいて、よく今回の演出コンセプトを担っていたように思う。それは、ついつい想起してしまいがちな歴史的かつ重層的な“道成寺”のコンテクストを軽やかに踏み越えてやってきた、いわば結末から造形されたキャラクターである。(もちろん、結末は単なる“軽さ”に収斂するものではなく、むしろ狂気の完成といってもいいのだが、中島朋子はその狂気をも軽やかにわが身に纏ってみせていたように見えた。)とはいえ、ここが、清子=中島朋子の見せ場所でもあったのだけれど、そうした表層(そこに身振りを加えてもいいだろう)は、饒舌な顔の表情と感情のこもった声によって、総体として複雑に拮抗した相貌をみせながら、台詞の稜線を、その意味を一度記号化した上で-それでいて発話の際に身体化に伴い不可避的に付加される程度の情感が込められながら-素直にたどっていく。こうした多義性は評価の分かれる所かも知れないが、劇構造の中心軸の位置を微妙にずらしながら、現代的な洋装で演じられる「道成寺」にはうまく適応していたように思う。

 もう少しネットを見歩いたら、「日々つれづれ」サイトの次のような個所に出会いました。

(清子は)凛とした佇まいで主人に挑むように語りかける。何に駆り立てられているのか、その枠組みとして競りの客達が彩りを沿え清子の狂気の先を支えます。恋人が大家の夫人の愛人となり、殺された女の思い。それは行き場を失った者のモノローグにも近いようなものでした。/ 自分の中にあった「道成寺 一幕」の清子とはまた違った風景でしたが、もっと明確にラストの彼女の思いが出ても良かったのではないかと思えます。支えがシッカリしている分、清子を演じる中嶋朋子さんがもう少し思い切って欲しかったと言うのが正直な感想です。

 中島朋子の演技を軸に紹介してきました。当然のことながら、今回の舞台は彼女が自分勝手に演技しているわけではありません。ニーハウスの演出が演技の様式を決め、それが舞台に現れているように思えます。その意味で「「現代演劇ノート…」が、演出との関係で彼女の演技をみているのは妥当な手続きだと思います。
 逆に言うと、彼女の演技に疑問符が付く場合は、遡って「ニーハウスの演出」にも言及してよいのではないかと思われます。

 それにしても「破裂を伴うような声で演じる」スタイルは最近よくみかけますが、その異質な、ある種の違和感を伴う「発声」の意味と響きを、ニーハウスはどこまで了解しているのだろうかという疑問は残ります。エーと、こういう風に書いてしまうと、これはまたまた、半ば役者の問題でもあるということになってしまうのですが…。難しいですね。


[上演記録]
三島由紀夫:作 トーマス・オリヴァー・ニーハウス:演出「道成寺 一幕
 ベニサンピット(8月20日-9月4日)
<出演>
中嶋朋子 塩野谷正幸 千葉哲也 大浦みずき 池下重大 植野葉子 廣畑達也
<スタッフ>
演出:トーマス・オリバー・ニーハウス
美術:松岡泉
照明:笠原俊幸
音響:長野朋美
衣裳:原まさみ
ヘア&メイク:鎌田直樹
舞台監督:増田裕幸・久保勲生

協力/ドイツ文化センター

Posted by KITAJIMA takashi : 04:42 PM | Comments (0) | Trackback

September 05, 2005

ヒンドゥー五千回「メキシコの犬」

 ヒンドゥー五千回第14回公演「メキシコの犬」が東京・下北沢のOFFOFFシアターで開かれました(8月18日-28日)。いつも遅れ遅れの紹介ですが、どんな芝居かと言われてもストーリーを明確に示すことがこの劇団のねらいではないようなので、まともに筋書きは追いにくいのではないでしょうか。

ほぼ観劇日記」サイトによると、「ふらっと現れた旅人により、その町に住む人々の中にある、特異性が徐々に明らかになってき物語は進行しますが、ただ湧き上る疑問の全てが解決するのではなく、疑問を疑問のまま残しつつ物語もその疑問の渦へと巻込まれていきます。単純明快ではなくその不明確な感覚を楽しむべき芝居」になっているそうです。

 芝居のコメントで鋭い観点を見せてくれる「耳を噛む」サイトはまた微妙に違った視角から、「物語は、『犬』と『旅人』に絞って描かれていて潔いし、全体をとおしてきっちり作られた作品だった。一箇所分かり易くし過ぎたのではないかと思う部分もあり、そこまでサービスしなくてもよかったのではないかと感じた」と述べています。見方は異なりますね。

 また違った視線を紹介しましょう。critic line project の皆川知子さんは「観ているうちになんだか息苦しくなってきたのは、おそらく、彼らの行動の理由がなにひとつ説明されないという居心地の悪さからかもしれない。なぜその男は村に来たのか。一見夫婦に見える家の男と女は本当はどういう関係なのか。男たちが人殺しをした理由は何なのか・・・。客席も含めて閉塞的な空間のなかにある私たちには、理由がわからないという不安から逃れるすべはない。対話のなかから生れる疑念や妄想の網に、自分自身が捕らえられてしまった感覚だ」と書いています。

 さまざまな鏡像を発信する舞台。みる人の数だけ重なるイメージという重層的な厚みを持つことは、その舞台にとって栄誉ではないかと思います。


[上演記録]
ヒンドゥー五千回「メキシコの犬」
 日時・場所 下北沢OFFOFFシアター(8月18日-28日)

■構成/演出 扇田拓也
 下北沢OFFOFFシアター(8月18日-28日)
■出演
 谷村聡一 久我真希人 向後信成 藤原大輔 榎本純子 佐伯花恵 伊澤勉(第三エロチカ) 鈴木燦 成川知也
■スタッフ
演出助手 藤原 大輔
舞台監督 岡嶋 健一
美術 袴田 長武 (ハカマ団)
照明 宮崎 正輝
音響 井川 佳代
宣伝写真 降幡 岳
宣伝美術 米山 奈津子
制作 根 雅治 山崎 智子

Posted by KITAJIMA takashi : 11:14 PM | Comments (2) | Trackback

September 03, 2005

劇団健康「トーキョーあたり」

 12年前に第14回公演を最後に解散した劇団が久方ぶりに第15回公演を開く-と聞けば、ナンでやーとなって当然ですが、ケラリーノ・サンドロヴィッチは小うるさいことが嫌いらしい。公演ページの冒頭に「注意(観に来ないでいい人リスト)」を掲げ、最初に「12年振りに第15回公演をやることについて、異論がある者は観に来ないでよろしい」と言い切っています。以下「テーマとかなきゃやだとか、泣けなきゃやだとか、お話がわからないと具合が悪くなるそして具合が悪くなるのはやだとか、そんな文句を言う人はやだ。来ないでよろしい」などと続きます。ニヤリと笑って済ますのが流儀でしょうか。

 「某日観劇録」サイトによると、「映画の脚本家が締切直前の脚本について、監督立会いの元、大急ぎで口述筆記している。田舎から東京の子供に会いにくる老夫婦の話と、息子夫婦と同居して病気を告知された定年間近の公務員。だが立会う監督が適当に口を挟むうちに、両方の脚本の登場人物があらぬ方向に動き出して。一応そういう構造ですけど、ナンセンスコメディーです。あまり筋を追っても意味はありません。小津安二郎と黒澤明の作品のパロディーらしい」とのことです。

 いつもお世話になっている「しのぶの演劇レビュー」サイトにまたお世話になってしまうと、この芝居は「ナンセンス・ギャグだらけでお下劣な、好き勝手空間でした(良い意味です)」「私は・・・演劇界の内輪受けネタが一番面白かったなー。確実に笑わせてもらいました。言っちゃえば、本当に面白かったのはそこだけって言うか(苦笑)」だそうです。

 東京・下北沢の本多劇場で8月6日から28日まで計23公演。前売り券5800円、当日券6300円。それでもちゃんと興行が成り立つとすれば、ケラの吸引力は大変なものだ。


[上演記録]
劇団健康「トーキョーあたり」
下北沢・本多劇場(8月6日-28日)8月5日プレビュー公演

作・演出・音楽
ケラリーノ・サンドロヴィッチ

出演(五十音順)
犬山イヌコ、大堀こういち、KERA、新村量子、手塚とおる、藤田秀世、峯村リエ、みのすけ、三宅弘城、横町慶子

Posted by KITAJIMA takashi : 10:10 PM | Comments (0) | Trackback
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