11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

April 06, 2005

燐光群「屋根裏」

 2002年5月に初演、8月に追加公演するなどこれまで何度か上演された燐光群の「屋根裏」がいま全国ツアーの最中です。1月末から2月半ばまで米国ツアー、2月末から伊丹、北九州、金沢、熊本、岡山と回り、3月末から4月16日まで東京の梅ヶ丘BOXで公演。その後、松本、相模原まで続く予定です。

 北九州で上演された舞台を「福岡演劇の今」サイトを主宰している薙野信喜さんが「見せつけられる、大きな構成」という題で次のように書いています。

奥の深い題材をみごとに表現する、大きすぎるほどの構成と圧倒的な切れ味―予想を裏切り続ける展開にもうワクワクした。  ズシリと重い内容とそのための強烈な仕掛けがあるのに、その表現は簡潔で軽やかにさえ見え、含蓄と余韻たっぷりだ。

 この作品は2002年度の読売文学賞戯曲部門賞受賞作となり、紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞[最優秀演出家賞]受賞も併せて受賞しました。燐光群の代表作と言っていいでしょう。

 初演時のパンフに掲載されたあいさつで、主宰者の坂手洋二は次のように記しています。

そう、私は生かされている。いつも、私以外の誰かの存在の御陰によってだ。(中略) これほど劇団員の一人一人をすべて生かそうと思って書いた戯曲は過去にそれほどない。これでがんばれなかったら、みんな俳優や劇団員などやめたほうがいい。私も座付作者を気取ることなどやめてしまおう。  必要なことは、演劇の楽しさである。それが人生の楽しさになるべく、努力したい。こんな脳天気な言い方にこそに厳しさがあるのだとは、このアトリエに辿り着く前の私は、まだ認識し得ていなかったかも知れない。

 生かし生かされる、極当たり前の日常生活が濃密に書き込まれ、この作品のモチーフがさりげなく感じられる一文だと思われます。
 ぼくも02年8月公演と今回の東京公演をみましたが、基本的な考え方は変わりません。以前のレビューは「虚実すれすれ、緩急自在な世界」をご覧ください。

Posted by KITAJIMA takashi : 12:15 AM | Comments (0) | Trackback

April 05, 2005

風琴工房「機械と音楽」

 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)サイトで、皆川知子さんが風琴工房の「機械と音楽」公演(ザ・スズナリ、2005年3月9日-16日)を取り上げています。

 皆川さんによると、物語は「1917年、ロシアの10月革命が成功した夜にはじまる。構成主義の建築家イヴァン・レオニドフを主人公として、ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちがモダニズムを求めて戦い、敗れるまでを描いた群像劇」です。
「レオニドフを演じる役者はまた、革命詩人マヤコフスキーの役も兼ね」「2人の芸術家を一人の役者の上に重ねあわせることで、一見相容れない機械と言葉が、同じ美――つまり人間の幸福を求めて、ともに血を流しているのだと語りかける」と指摘。「芸術における革命のために戦い、苦悩し、絶望した芸術家たちに深い共感を寄せながらも、人間に幸福をもたらすべき真の革命の困難を、冷厳な現実として描き出し」(中略)「観終わった後、私はしばらくことばを失った」と述べています。

[上演記録]
風琴工房code19「機械と音楽」(ザ・スズナリ、2005年3月9日-16日)
脚本・演出:詩森ろば
出演:倉品淳子(山の手事情社) 久保田芳之(reset-N) 鈴木歩己(グリング) 小高仁(第三エロチカ)好宮温太郎(タテヨコ企画)平山寛人(机上風景) 、広田豹、松岡洋子、椎葉貴子、山ノ井史、宮嶋美子、笹野鈴々音
音楽:寺田宏
舞台美術:長田佳代子
照明:関口裕二
音響:青木タクヘイ

Posted by KITAJIMA takashi : 09:39 AM | Comments (0) | Trackback

April 04, 2005

1176エグリントン「naivete」

 「デジログからあなろぐ」サイトが、1176エグリントンの「naivete」公演を取り上げました。英語だとナイーブですが、フランス語で何も知らない、愚かなというニュアンスをもつ言葉だそうです(制作日記)。

 「今回の作品は、言葉で感じるという事をさせてくれない作品でした・・・そもそも『言葉』が殆ど無いのですから、言葉を解釈するなど到底無理」。「一番おもしろい!と思ったのは、照明でした」と語り、「照明に促されるように物語が進んでいく」ようすをつぶさに描写して、「語る照明」と名付けています。

 エグリントンは芸術監督の荒木英俊(脚本・演出家)と「惑星ピスタチオ」で活躍していた福岡ゆみこの2人ユニット。「舞台効果や舞台美術、音響、照明、そして役者の演技を融合させ、言葉を視覚的、思想的イメージと等価に近づけていく」作風と、自分たちの特徴を述べています。また「身体感覚を/呼び覚ます/演劇を作ります」とも言っています。みたことのない私にも、ぼんやりながら、イメージがつかめそう。次回はぜひ、足を運びたい集団です。


[上演記録]
1176エグリントン「naivete ナイヴェテ」公演
[日時、会場]2005年4月1日-3日、麻布 die pratze
[作・演出]荒木英俊
[出演]
福岡ゆみこ、中島美紀(ポかリン記憶舎)
泉 光典、入交 恵
村島智之、楠木朝子(劇団桃唄309)

Posted by KITAJIMA takashi : 12:48 PM | Comments (0) | Trackback

April 02, 2005

フォルクスビューネ「終着駅アメリカ」

 東京国際芸術祭(TIF)の掉尾を飾ったのは、ドイツからやってきたフォルクスビューネ「終着駅アメリカ」公演でした(3月25日-28日、東京・世田谷パブリックシアター )。テネシー・ウイリアムズの戯曲「欲望という名の電車」をほぼ踏襲した脚本ながら、舞台をアメリカの低所得者向けワンルーム住宅に据え、ブランチは屋敷を売り払って妹ステラ夫婦の家にやって来る、ステラの夫スタンリーはポーランドの元「連帯」幹部という設定です。演出は92年以降、芸術総監督を務めるフランク・カストルフ、舞台美術は大胆な仕掛けで知られるベルト・ノイマンです。
 風琴工房主宰、詩森ろばさんのwebログサイト「LIVESTOCK DAYS」は「仕上がりはメチャクチャコミカルで、猥雑。ポップでロックでパンクでチャーミング」とした上で、次のように書き留めています。

ドリフの如き笑劇であり、前衛的なダンスであり、深いテーマ性を孕んだウェルメイドであり。そんなことが並び立つんだなあ、と深く感じ入り、なんか演劇の可能性ってスゴイって、思っちゃいましたよ。

 「(この作品の)台詞を隅から隅まで覚えている」という「しばいにっき」の筆者は「ここまでウィリアムズを解体するとは! 乱暴で出鱈目で面白いことこの上なし。カストロフが元東独のパンク演劇野郎だということがよくわかった」と気持ちの高ぶりを抑えきれないようです。「ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」も「超刺激的で、いかにも現代的」と話しています。

 コンテンポラリーダンスなどに詳しい「dm_on_web」は「それで実際の舞台はというと、2時間40分もあるのに全然飽きなかったというのが凄いことは凄いのだけど、全く想像の範囲内というか、自分が改めて演劇に興味ないのだということをまざまざと見せつけてくれるような良質さ」と述べ、その上で「ライヴの演劇」が持つ性格に疑問を投げかけています。

 TIFの「劇評通信」ページで、ドイツもこの舞台をみている立教大学教授新野守広さんは、劇中に使われた音楽について、こう記しています。

ルー・リード、ベルベット・アンダーグラウンド、ニコ、ロキシー・ミュージック、ドン・マクリーン(『アメリカン・パイ』)、ジュリー・ドリスコルをはじめとして70年代アメリカのカウンター・カルチャーの音楽がここぞとばかりに流れる中で、第二のインターナショナルとも言われた「ワルシャワ労働歌」が耳にこびりついて離れず、そのリズムに思わず身体が反応して行進をはじめてしまうブランチは、アメリカへの違和感を全身で表現しているとともに、一旦身に染み付いた社会主義国家の現実を捨て去ることの難しさを暗示してもいるだろう。資本主義のオルターナティヴとしての社会主義はもはやなく、一方資本主義には人間を剥奪する力が荒れ狂っている。だが人間は生きる力を捨ててはいない。それを示すのがフォルクスビューネの演劇なのだ。

 この公演に関するプレス資料(PDF)はいつもながら詳細です。主催者側がこれほど充実した情報を提供するケースは珍しいのではないでしょうか。海外の劇団公演などでは助かります。

 ただフォルクスビューネのフルネームは「フォルクスビューネ・アム・ローザ・ルクセンブルグ・プラッツ」。ローザ・ルクセンブルグ広場にある国民劇場という意味でしょうが、ローザとはどういう人物だったか、彼女の名前を付けた広場にあることことをわざわざうたっているkとに意味があるかなど、どこかに書いてあると参考になったと思います。

追記(4月8日)
 「大岡淳の反資本主義日記」は「フランク・カストルフ演出『終着駅アメリカ』に関する限り、確かに『過去の上演史を参照する』手法がここでも採用されているのだけれど、一点大きく異なるのは、その『参照』という作業を施した痕跡が、あからさまに舞台上に露呈してしまっている」と指摘。「各場冒頭の舞台の設定を指示するト書き」の処理に関して詳細に分析しています。
 大岡さんは他のメーリングリスト(舞台研究MLエウテルペ)でもこの公演について言及しています。

 また「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」のqueequegさんは原作の固有名詞を読み替えている個所を列挙しながら「原作においては交換可能な記号に過ぎなかったものが、そのコノテーションを思いっきり引き出されて政治とサブカルのにぎやかなコラージュを織り成してる。まあそうとうベタっちゃベタな世界観だけど、まあ普通に楽しい」と述べています。

Posted by KITAJIMA takashi : 06:52 PM | Comments (0) | Trackback
 1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10  |  11  |  12  |  13  |  14  |  15  |  16  |  17  |  18  |  19  | 20 |  21  |  22  |  23  |  24  |  25  |  26  |  27  |  28  |  29  |  30  |  31  |  32  |  33  |  34  |  35  |  36  |  37  |  38  |  39  |  40  |  41  |  42  |  43  |  44  |  45  |  46  |  47  |  48  |  49  |  50  |  51  |  52  |  53  |  54  | all pages