11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

August 04, 2005

劇団FICTION「ヌードゥルス」

 劇団FICTIONの第26回公演「ヌードゥルス」が新宿THEATER/TOPSで開かれました(7月26日-31日)。小劇場に実によく足を運んでいる「デジログからあなろぐ」と「しのぶの演劇レビュー」の両サイトがともに絶賛しています。
 まず「デジログからあなろぐ」の吉俊さん。「オモシロイ!!非常に面白い舞台でしたぁ!!・・・面白いこと以外に何も語ることが無いのが唯一悔やまれる訳だが、それもまぁ面白いから許してしまう」とまで言い切っています。さらに次のように追い打ちです。

いや~まさかの一代記、笑いに隠れてどうでもいいと思われがちな物語も、スッキリ表現しながら意外や意外、重厚な物語が描かれていたりする。
そしてまた、役者が上手いこと上手いこと・・・笑いの採り方が非常に上手い。間と台詞回し・・・笑いの本質と言っても良いだろうこの2つの要素を、全員がしっかりと会得していて、どいつもこいつも面白い・・・もう、お芝居というよりも笑いを誰が一番取れましたか対決の様相。FICTIONの凄さは、脚本より以前にこの役者陣なんだと思う・・・

 「しのぶの演劇レビュー」のしのぶさんは、「デジログからあなろぐ」のレビューを読んで出かけたようです。「開場時間そして開演の瞬間から心をわしづかみにされました」と述べた上で、次のように物語とその魅力を伝えています。

主要登場人物は、同じ日に刑務所を出所した3人の同姓同名の男たち(名字はタナカ)と、刑務所前に住む浮浪者の女(三日月)。シャバの冷たい風に耐え切れなくなって、4人は一緒に山に登って共同生活を始めます。山では小麦を植えてソバを作って生計を立てていくのですが、でも、足踏みが揃っていたのもつかの間、一人のタナカは労働の日々が肌に合わず山を降りていきます。そして数十年の月日が経ち・・・。
 息のあったボケとつっこみ、狙いが定まったキャラクター設定など、こなれた技術で笑いがいっぱい起こっていました。ひっきりなしと言っていいほど。私は笑うというよりは吹き出すって感じでしたね。

 映画「2001年宇宙の旅」のいくつかのシーンや音楽をパクリつつ、隠れモチーフもしっかりストーリーに盛り込んでいるようです。お2人が太鼓判を押すのですから、次回公演が楽しみです。待ちきれない方は、北海道・富良野公演が8月27日-28日に開かれます。演目は同じ「ヌードゥルス」です。飛んで行ってください。


[上演記録]
劇団FICTIONの第26回公演「ヌードゥルス」
新宿THEATER/TOPS(7月26日-31日)

CAST 山下澄人・山田一雄・矢田政伸・井上唯我・荻田忠利・多田明弘・大山 健・福島 恵・大西康雄

STAFF 作・演出◎山下澄人
音響◎高橋秀彰
照明◎別所ちふゆ
舞台監督◎バタヤン
イラスト及び題字◎山下澄人
デザイン◎西山昭彦
モデル◎大谷アミーゴ光弘
企画・製作◎OFFICE FICTION
プロデューサー◎白迫久美子
製作◎原田裕・井上淳

Posted by KITAJIMA takashi : 03:50 PM | Comments (0) | Trackback

August 03, 2005

チェルフィッチュ「目的地」ワークインプログレス

 岡田利規が主宰する演劇ユニット「チェルフィッチュ」のワークインプログレス「目的地」が7月24日、横浜BankART Studio NYKで開かれました。滋賀県大津市のびわ湖ホールで8月6日(土)予定の公演に先立つ試演でしょうか。岡田=チェルフィッチュはことし初めに岸田國士戯曲賞を受賞、次代を担う振付家の発掘・育成を目的とする「トヨタ コレオグラフィーアワード」にノミネートされるなど、演劇とダンスの垣根を越える活動で注目されています。以下、強力な書き込みをいくつか紹介します。

 切れ味鋭いダンス批評で知られる「dm_on_web/日記(ダンスとか)」サイトはライブの前半を次のように描写しています。

来月びわ湖ホールで初演される新作からの抜粋。30分ほど。部屋の角の部分を使って客席は二面。ソファが一つ。松村翔子が出てきて「私は今日はセリフないんですけど」というようなことを言って始まる。松村はずっと虚空を見つめるようにしてゆっくり身をよじったりどこかに手をやったりして立っていてとにかくその居方が異様。脇で岩本まりが喋り始める。例によって間接話法ないし伝聞の語りで、右手(ないし両手)が始終、横にいる松村の方へ伸びる。今にも「この人が…」という風にして松村の身体を物語の中に引きずり込みそうだ。そうすれば自ずと松村の身体は虚構の役柄を演じ始めざるを得ないだろう。さらに岩本の身体もその虚構の水準あるいはそれに対するメタレヴェルに安定した位置を得て、ともかくもフィクションの構造が成立するだろう。しかしそうはならない。岩本の手は曖昧に伸びたり引っ込められたりして、松村にタッチするか、やっぱりしないか、という不安定な「行きつ戻りつ」がずっとずっと持続する。この不安定感は実に耐え難いもので、それがなぜこうも耐え難いと感じるのかと自分で不思議に思えてくるほど持続するところに、つまり例えば現実/虚構のような分割を完了したがる気持ちを反省させるに至らしめるところに得難いスリルがあり、そんなわけでチェルフィッチュの舞台を見る時、心拍数は微かだが明らかに上昇する。

 チェルフィッチュのステージで、身体の動きが「不安定感」を醸し出すという指摘はうなずけます。「実に耐え難い」のは、その「不安定感」が微妙に揺れながらも、ぼくらの日常的な閾値を超えて持続するからではないでしょうか。「心拍数は微かだが明らかに上昇する」という記述はその意味で率直かつ正確だと思いました。

 「ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」の曽田修司さんは、チェルフィッチュのステージでジャンルやみる側の変容について次のように書き記しています。

上演時間30分ほどのワーク・イン・プログレスにこんなにも大勢の観客(若い人が多い)が来たこと、終演後のトークで岡田氏の言葉に観客がどっと沸くほどつくる側と観る側の距離が近いこと、上演が終わったあと、「目的地」を見に来た観客の多くが、同じBankART Studio NYKで行われたアート系グループ「グラインダーマン」のパフォーマンスを観にそのまま流れる、という状況が出現したこと、などなど、この日起こったすべてのことが、私には非常に興味深い。 こういうのって、少し前までは想像もしなかったような事態(ジャンル間の区別だけでなく、作る側と見る側との関係性が変容し、両者の区別が流動的になってきている)が、いとも簡単に起こっている、ということではないだろうか。

 そう述べた後、ことし7月始めに開かれた「トヨタコレオグラフィーアワード2005」選考結果に関して「中西理の大阪日記」にふれているのはさすがだと思います。
 中西さんの考察は、この賞の選考基準は一貫しているのではないかとした上で、振付として自立的に評価できる「普遍性」と、「いまここに」を表現する「現代性」の二種類の要素を指摘しています。トヨタコレオグラフィーアワードの選考問題は取り上げようとしながら、延び延びになっていました。折を見てまとめてみたいと思います。

 さてチェルフィッチュですが、舞台に出演したこともある「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」サイトのqueequegさんが長文の「感想」を載せています。注釈を含めると約8000字。別のページに書かれたコメントへの返信も入れると、超長文です。「台詞と身振りの分離・独立」と「字幕」について、自分が参加したときの稽古でどのように演出されたかなどの体験を交えながら、具体的に述べています。

 びわ湖ホールでの公演は8月6日の1日限り。また書き込みを紹介したいと思っています。(8月16日に掲載しました)

追記(8月16日)
 ワークインプログレスについて、劇作家の宮沢章夫さんが自分のブログ「富士日記2」(7月24日付け)で言及しています。チェルフィッチュは初体験だと断りながら、「超リアル」な日本語は、「きわめて計算された不自然な『せりふ』」で、「その言葉が持つ『特別な強度』を借りつつ、うまく計算されて書かれている」「『リアル』をもうひとひねりしたからだの動きも相俟って、きわめて精緻に造形された人物が出現しており、なるほどと思った」などと強い印象を受けたようです。

[上演記録]
BankART Cafe Live Series vol.1
チェルフィッチュ「目的地」ワークインプログレス
7月24日(日)
 作・演出:岡田利規
 出演:岩本えり、下西啓正、松村翔子、山縣太一

[参考]
・びわ湖ホール 夏のフェスティバル2005
(表示画面を2ページ分下方に移動すると表示)

・トヨタ コレオグラフィーアワード2005 (世田谷パブリックシアタートヨタ自動車

・ 岡田利規インタビュー 「自分にフィットした方法で いま を記録したい
(聞き手: 柳澤 望)

Posted by KITAJIMA takashi : 02:16 PM | Comments (0)

August 01, 2005

MIKUNI YANAIHARA Project「3 年2 組」

 会場となった吉祥寺シアターのWebサイトによると、「ダンスや演劇の枠組みを超えた舞台作品のこけら落とし公演」。パフォーミング・アートカンパニー『ニブロール』の主宰であり、振付家として共同制作してきた矢内原美邦が、個人プロジェクトとして「MIKUNI YANAIHARA Project」を始め、ダンスや演劇という枠組みを超えて一人の演出家としての色をより濃く反映させた新たな舞台作品、とのことでした。
 「しのぶの演劇レビュー」は「セリフが有るダンスだし、ダンスが有る演劇でした。『ダンスや演劇の枠組みを超えた舞台作品』というのに納得です。ニブロールが初見だということを別にしても、私が今までに観たことのない種類の作品だったように思います」と述べ、「演劇好きの私には少々とっつきにくいこともあったのですが、ラストには感動していました。あぁ~・・・なんか、いい意味でプチ・ショック。凄い人がいるもんですね」と矢内原パフォーマンス初体験の感想を語っています。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんも、ステージの「圧縮」される言葉とエネルギーに圧倒されたようです。

90分の作品でしたが、肉体と台詞の濃密さといったら3時間分ぐらいのお芝居の内容を90分に圧縮されているのではないかという感じです。あの台詞量を覚えているというのが凄い、意味の繋がりが希薄で会話の体をとらないそれ・・・倍速で吐き出される言葉・・・演者の力量に敬意、そして数多くいる役者が如何にその場所に甘えているかということが頭をよぎる。 動かし続けられる肉体による身体表現、そして捲くし立てられるように語られる言葉・・・この怒涛の表現に身を委ねて、その空気に漂うだけで、不思議と感動できてしまうのです。

 ダンスをみてきた人にとって、演劇サイドの感じ方とはややニュアンスが違っているようです。ニブロールの活動もフォローしてきたと思われる「Sato Site on the Web Side」はやや冷めているようです。

猛烈なスピードとパワーで押しまくるダンサー達を見ていながら、このスピードとパワーに体が巻き込まれせき立てられ、いても立ってもいられなくなって体中で泣いてしまう、などということは、なかった。冷静に見ていられるのだ。それは多分、一定のパワー、一定のスピードにあらゆるダンサーがせき立てられていたことによるのではないか、と考え、だとすれば、あのとき見ていた舞台はまるでビデオの早送りのようだったと、今にして思う。(略)ここにあるマッシヴなエネルギーに感動してしまう自分を否定できない反面、その感動の割合の小さいことがむしろ気になった…

【追記】2005.08.056
 ニブロールの矢内原美邦によるプロデュース公演「3年2組」に関して、「中西理の大阪日記」サイトが鋭い指摘をしています。身体と言葉の関係が取り上げられる舞台がこれから多くなりそうですが、中西さんの指摘はこの問題を考えるひとつの勘所をとらえているように思われます。>>

[上演記録]
MIKUNI YANAIHARA Project Part1「3 年2 組
吉祥寺シアター(7月15日-18日)

作・演出・振付 : 矢内原美邦
映像 : 高橋啓祐
音楽 : スカンク(MEXI)
衣装 : 広野裕子
出演 : 足立智充、稲毛礼子、上村聡、鈴木将一郎、関寛之、渕野修平、三坂知絵子、矢沢誠、山本圭祐

Posted by KITAJIMA takashi : 07:00 PM | Comments (0) | Trackback

July 30, 2005

「LAST SHOW ラストショウ」(作・演出 長塚圭史)

 東京・渋谷のパルコ劇場が昨年の「ピローマン」に続いて阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史を起用。今回(「LAST SHOW ラストショウ」)は演出だけでなく、風間杜夫、永作博美、古田新太らの俳優陣を迎えて書き下ろす新作舞台を企画・制作しました(7月1日-24日)。長塚は昨年「第4回朝日舞台芸術賞」「第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞」をダブル受賞し、いま脂の乗っている時期らしく、期待に違わぬ作品だったようです。

 パルコのWebサイトによると、物語はTVディレクターの石川琢哉(北村有起哉)が名子役として一世を風靡し、いまは夫を支えるタレン美弥子(永作博美)と幸せな新婚生活を送るところから始まります。そこに突然、長らく行方不明だった琢哉の父・勝哉(風間杜夫)が訪れ、予測のつかない行動で少しずつ美弥子に接近していく…。琢哉が取り組むドキュメンタリー番組の主役、動物愛護家の渡部トオル(古田新太)がそこに絡んだりして、愛情と刺激に飢えた大人たちの恐ろしい喜劇が幕を開ける、とのことでした。

 「踊る芝居好きのダメ人間日記」サイトの「あおし」さんは、「敬愛する長塚圭史の新作です。ひと言で例えるなら感情のジェットコースター。いやもう、振れ幅大き過ぎです」とした上で、「ある時は想像を絶するほどの戦慄ホラー作品、ある時はカルト的な猟奇作品、そして愛と感動のファンタジー作品、そんな多彩な表情を持った作品です。(略)恐がって、笑って、そして泣いて、全くもって長塚圭史という才能に感情を弄ばれた気がします」と賛嘆していました。
 「Somethig So Right」のBlankPaperさんも「期待にたがわず、すごかった。衝撃的な内容ではあるが、作中のいくつかの出来事が、いかにも荒唐無稽で、かえってコミカルで現実離れしているため、深刻になりすぎないし、死・消滅というかたちであれ、救いが用意されているため、心に食い込んで消えないが、後味が悪過ぎることもない」「長塚圭史は今絶好調だと感じさせるに足る、非常に印象的な作品」と書き留めています。

 役者もすばらしかったようです。
「古田さんは緩急自由自在で相変わらずの上手さです.社会道徳を平然と超えてしまう狂気を愛嬌をもって演じられる人です.でもって啖呵切ると身震いするほどかっこいい」(「mamiの観劇覚書」)
「永作博美、全ての出来事のきっかけである女性を可愛らしく演じてた.童顔で細くて一見いたいけだけど絶対に負けない芯の強さを感じるので、今回のような巻き込まれ被害者をやっても痛々しくならない」(同上)
「父親役の風間杜夫が予想以上の怪演です。最初は殴ったり刃物で脅したりしつつもなんか優しい部分もあるのですが、途中で取材対象者役の古田新太にそそのかされたあたりからどんどん狂っていき、最後で気がつくまでの流れが素晴らしい」(「某日観劇録」)

 舞台の背景に「放射性廃棄物処理場」か「原発」らしい施設が見えていたそうです。「Somethig So Right」は「この廃棄物処理場の近くという設定が、全体のストーリーに終末的な影を与えるとともに、背景として大きな意味を持っているのではないか」として次のように指摘します。

廃棄物処理場の放射能が、そもそもこれらの人物、特に動物愛護家のアブノーマルな習性を生み出したとも考えられないか。やはり最終部に近く、爆発音が起こり、廃棄物処理場の事故が暗示される。放射能が漏れ、この登場人物たちは(すでに死を選んだ者もいるが)遅かれ早かれ死に絶えるのであり、犯罪者や事件の関係者として重い生涯を生きていく者はいないのだ。その意味で作者は全てを消滅させる設定を与えており、自分にはそれがなんとも優しく思えた。様々な意味で用意周到である。

 「某日観劇録」も同じ背景を目にとめながら、また別の解釈を複数予測しています。

今回の芝居ですぐそばに建てられている原発の問題が借景というか、扱われています。最後の場面で何が起こったのか確認しようとしてテレビをつけ、だけどそれをすぐに消してしまう。これを私は、北村有起哉の設定とあわせて、遠くの他人事より自分の身近のほうが大変だから、まずはそっちに集中しろよ、という意図に解釈しました。だけど、すぐそばで大きな問題が起こっているのにそこに目を向けない、という意図にも取れますし、向ける余裕のない人が今はたくさんいる、という意図にもとれます。演出家の意見を聞きたいところです。

 この「借景」の見方が分かれても、作品や俳優たちの演技を評価する点では足並みがそろっています。長塚人気が高い理由が想像できますね。


[上演記録]
LAST SHOW -ラストショウ-
作・演出 長塚圭史
出演 風間杜夫、永作博美、北村有起哉、中山祐一朗、市川しんぺー、古田新太

東京公演
PARCO劇場(7月1日-24日)
大阪公演
梅田芸術劇場 シアタードラマシティ(7月28日-31日)

Posted by KITAJIMA takashi : 09:58 PM | Comments (0) | Trackback
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