11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

October 04, 2005

シス・カンパニー「エドモンド」

 シス・カンパニー公演「エドモンド」公演が東京・青山円形劇場で開かれました(8月19日-9月13日)。取り上げたのは、米国の劇作家デヴィット・マメットの原作。演出は、いま脂の乗っている長塚圭史。小泉今日子やテレビ番組「トリビアの泉」で人気の八嶋智人らも出演するので話題になりました。

 「stage note archives」サイトによると、この物語は「ひとりの男が、占い師の元を訪ねる。『あなたは、居るべき場所にいませんね。もっとも居るべきところに居る人間なんて殆ど居ませんが、あなたの場合はそれが顕著です』。その言葉に動かされた男は街へ飛び出していく。『こんなはずじゃなかった』人生を取り戻すために。だが、どうやって? 平凡だったはずの男の人生が、ひょんなきっかけで転落していってしまうという物語」だそうです。

 続いて「占い師を訪ねてから、グレナの家までの前半がすっごく良かった。ある種ロードムービーみたいで、入れ替わり立ち替わり芸達者な役者さんがそれぞれ違う姿で現れるのを次から次へと眺めて飽きない。悪意のささやき、暴力、裏切り、自分へ向けられた嫌悪感、そういうものがエドモンドの中にどんどん蓄積していくのが手に取るようにわかって目が離せない」と述べていますが、その後は「前半に較べるとテンションが急に落ちる」と指摘しています。

 公演評を書き留めたサイトは少なくありません。そのうちのいくつかからピックアップします。

「白人の彼の中にある黒人差別や、宗教への逃避を通しながら追い詰められた人間が選ぶ行動を描き出し、その向こうにある、「他者の受容」へと向かって彼は動き出していく」(観もしないのに文句を言うな。

「デヴィット・マメットの作品だと私はtpt『シカゴの性倒錯/カモの変奏曲』を拝見しています。卑猥でどぎつい言葉が行き交い、目に嬉しくない厳しい現実が描かれますが、真正直に、てらいなく意見をぶつけてくる感覚が面白いと感じていました。今作『エドモンド』は非常に重たくシリアスな空気が満ちた1時間35分でしたが、『シカゴ・・・』同様にマメットの気概を受け取った気がします」(しのぶの演劇レビュー

「マクドナー作品の強烈なアクや長塚作品の重厚さを体感した後でこの作品に触れると物足りないというのが第一印象。脚本が二十数年前に書かれた作品ということも多少は影響しているのかもしれませんが」(踊る芝居好きのダメ人間日記

「妻に『家を飛び出す』と宣言するエドモンドの主張がかなり身勝手すぎるものだったからか、『普通の人生を送っている男が』堕ちてゆく物語には見えなかった。どちらかというと『堕ちる素質を元々持っていた男が』堕ちてゆく物語に見えてしまった。多分、エドモンドが切れたときの台詞回しがまるっきり翻訳調で、外国映画みたいだったのもその理由のひとつだと思う」(芝居遊歴控


「役者も演出も美術もどれも悪くはないのにこの盛り上がりのなさはなんだろう.戯曲そのものが全然おもしろくない.主人公が袋小路に入っていく様子もなんだか1人から回りしているようにしか思えなくて、どうにも古臭く感じてしまった.自分を省みず全て他人に原因を押し付けておきながら言うことだけはご立派という主人公に、最初から嫌悪感を持ってしまったので、彼がどんなにひどい目にあっていこうが自業自得としか思えず、そんな彼が最後に救いを感じてるのかやけにさっぱりすっきり健やかなのが気持ち悪かった.そんあのありか?っていう.そんなわけでもっとも理解できないのが肝心の主人公だった」(mamiの観劇覚書


[上演記録]
シス・カンパニー『エドモンド
青山円形劇場(8月19日-9月13日)

作: デヴィット・マメット
演出: 長塚圭史
出演: 八嶋智人
大森博史
酒井敏也
小松和重
中村まこと
明星真由美
平岩紙
小泉今日子

スタッフ
美術 : 堀尾幸男
照明 : 小川幾雄
衣装 : 前田文子
音響 : 加藤温
ヘアメイク : 大和田一美
演出助手 : 坂本聖子
舞台監督 : 瀧原寿子
プロデューサー : 北村明子
企画・製作 : シス・カンパニー

Posted by KITAJIMA takashi : 11:39 PM | Comments (0) | Trackback

September 09, 2005

tpt「道成寺一幕」

 「没後35年、世界につながる三島」-。こんなキャッチコピーでtpt が三島由紀夫の「道成寺」を取り上げました。Webサイトには「ヨーロッパの都市で挑発的な演劇活動を続けている気鋭のドイツ人演出家が、三島由紀夫没後35年の2005年東京で“末世の意識をひそめた”この戯曲の変幻自在性を探る」と書かれています。その「気鋭のドイツ人」はトーマス・オリヴァー・ニ-ハウス。2003年、ボート・シュトラウスの「時間ト部屋」でtpt に初登場した演出家です。

 「Club Silencio」サイトのno_hay_bandaさんはまず、「前面を石張り建築風にこしらえた舞台を黒い床が映し出す美術(松岡泉)がまず上出来」と褒めています。この芝居に触れた人はほとんど、舞台美術や装置を評価していました。no_hay_bandaさんはまた「冒頭そこに登場してくる人物の衣装(原まさみ)も意表を突いてこれまた良い。骨董店主人(塩野谷正幸)の風体、口上もよろしく、期待を持たせる」としながら、箪笥の競りで、法外な安値を付ける娘清子(中嶋朋子)が現れると、その期待がしぼむと言います。なぜでしょうか。「理と情の釣り合いをとらないといけない役のはずなのに情が前に出すぎている。そしてそれを破裂を伴うような声で演じるので場違いな感情過多と映る。もともと説明口調のところにもってきてそれだからこちらの気持ちは舞台に入っていけない」というのです。

 「しのぶの演劇レビュー」も引っかかったとみえ、「Club Silencioで書かれているとおり、私も清子役の中嶋朋子さんの演技がどうも受け付けづらかったです。お話の中、そして想像(夢)の中に入って行きたいのに、主役の彼女が現実世界の個人的感覚に浸っている様子で、私もベニサン・ピットの客席に座っている自分のままで居るしかありませんでした。でも、言葉がはっきりと伝わってきたので、お話の意味は非常にわかりやすかったです」と述べています。とはいえ、この競売のシーンで次のような指摘に出会い、うなってしまいました。

清子と主人が「5万円!」「3000円」!と値段交渉しているシーンでは、見守る人々はまるで情事のあえぎ声のような息声を発しながら、表情はクールなまま、楽しげにお花見をしていました。桜=春=愛=情事=戦争=値段交渉、という式が浮かびました。めちゃくちゃ面白かったです。

 清子に関して、さらに別の見方を紹介しましょう。「現代演劇ノート~〈観ること〉に向けて」の松本和也さんは「tptの「道成寺」は三島由紀夫の台詞の言葉との距離・バランスを巧みに取りながら、情念という言葉とはおよそかけ離れたモードの中で清子=中島朋子を迎えることになるだろう。つまり、ニーハウスの演出は、このように台詞や演技をひとたび解体し、あたう限り重みを削いだ記号として(再)配置することで組み立てられている、「道成寺」のポスト・モダン的地平を形作っている」とした上で、次のように展開します。

白シャツにGパン、リュック姿で登場する清子=中島朋子は、その表層のあらわれにおいて、よく今回の演出コンセプトを担っていたように思う。それは、ついつい想起してしまいがちな歴史的かつ重層的な“道成寺”のコンテクストを軽やかに踏み越えてやってきた、いわば結末から造形されたキャラクターである。(もちろん、結末は単なる“軽さ”に収斂するものではなく、むしろ狂気の完成といってもいいのだが、中島朋子はその狂気をも軽やかにわが身に纏ってみせていたように見えた。)とはいえ、ここが、清子=中島朋子の見せ場所でもあったのだけれど、そうした表層(そこに身振りを加えてもいいだろう)は、饒舌な顔の表情と感情のこもった声によって、総体として複雑に拮抗した相貌をみせながら、台詞の稜線を、その意味を一度記号化した上で-それでいて発話の際に身体化に伴い不可避的に付加される程度の情感が込められながら-素直にたどっていく。こうした多義性は評価の分かれる所かも知れないが、劇構造の中心軸の位置を微妙にずらしながら、現代的な洋装で演じられる「道成寺」にはうまく適応していたように思う。

 もう少しネットを見歩いたら、「日々つれづれ」サイトの次のような個所に出会いました。

(清子は)凛とした佇まいで主人に挑むように語りかける。何に駆り立てられているのか、その枠組みとして競りの客達が彩りを沿え清子の狂気の先を支えます。恋人が大家の夫人の愛人となり、殺された女の思い。それは行き場を失った者のモノローグにも近いようなものでした。/ 自分の中にあった「道成寺 一幕」の清子とはまた違った風景でしたが、もっと明確にラストの彼女の思いが出ても良かったのではないかと思えます。支えがシッカリしている分、清子を演じる中嶋朋子さんがもう少し思い切って欲しかったと言うのが正直な感想です。

 中島朋子の演技を軸に紹介してきました。当然のことながら、今回の舞台は彼女が自分勝手に演技しているわけではありません。ニーハウスの演出が演技の様式を決め、それが舞台に現れているように思えます。その意味で「「現代演劇ノート…」が、演出との関係で彼女の演技をみているのは妥当な手続きだと思います。
 逆に言うと、彼女の演技に疑問符が付く場合は、遡って「ニーハウスの演出」にも言及してよいのではないかと思われます。

 それにしても「破裂を伴うような声で演じる」スタイルは最近よくみかけますが、その異質な、ある種の違和感を伴う「発声」の意味と響きを、ニーハウスはどこまで了解しているのだろうかという疑問は残ります。エーと、こういう風に書いてしまうと、これはまたまた、半ば役者の問題でもあるということになってしまうのですが…。難しいですね。


[上演記録]
三島由紀夫:作 トーマス・オリヴァー・ニーハウス:演出「道成寺 一幕
 ベニサンピット(8月20日-9月4日)
<出演>
中嶋朋子 塩野谷正幸 千葉哲也 大浦みずき 池下重大 植野葉子 廣畑達也
<スタッフ>
演出:トーマス・オリバー・ニーハウス
美術:松岡泉
照明:笠原俊幸
音響:長野朋美
衣裳:原まさみ
ヘア&メイク:鎌田直樹
舞台監督:増田裕幸・久保勲生

協力/ドイツ文化センター

Posted by KITAJIMA takashi : 04:42 PM | Comments (0) | Trackback

September 05, 2005

ヒンドゥー五千回「メキシコの犬」

 ヒンドゥー五千回第14回公演「メキシコの犬」が東京・下北沢のOFFOFFシアターで開かれました(8月18日-28日)。いつも遅れ遅れの紹介ですが、どんな芝居かと言われてもストーリーを明確に示すことがこの劇団のねらいではないようなので、まともに筋書きは追いにくいのではないでしょうか。

ほぼ観劇日記」サイトによると、「ふらっと現れた旅人により、その町に住む人々の中にある、特異性が徐々に明らかになってき物語は進行しますが、ただ湧き上る疑問の全てが解決するのではなく、疑問を疑問のまま残しつつ物語もその疑問の渦へと巻込まれていきます。単純明快ではなくその不明確な感覚を楽しむべき芝居」になっているそうです。

 芝居のコメントで鋭い観点を見せてくれる「耳を噛む」サイトはまた微妙に違った視角から、「物語は、『犬』と『旅人』に絞って描かれていて潔いし、全体をとおしてきっちり作られた作品だった。一箇所分かり易くし過ぎたのではないかと思う部分もあり、そこまでサービスしなくてもよかったのではないかと感じた」と述べています。見方は異なりますね。

 また違った視線を紹介しましょう。critic line project の皆川知子さんは「観ているうちになんだか息苦しくなってきたのは、おそらく、彼らの行動の理由がなにひとつ説明されないという居心地の悪さからかもしれない。なぜその男は村に来たのか。一見夫婦に見える家の男と女は本当はどういう関係なのか。男たちが人殺しをした理由は何なのか・・・。客席も含めて閉塞的な空間のなかにある私たちには、理由がわからないという不安から逃れるすべはない。対話のなかから生れる疑念や妄想の網に、自分自身が捕らえられてしまった感覚だ」と書いています。

 さまざまな鏡像を発信する舞台。みる人の数だけ重なるイメージという重層的な厚みを持つことは、その舞台にとって栄誉ではないかと思います。


[上演記録]
ヒンドゥー五千回「メキシコの犬」
 日時・場所 下北沢OFFOFFシアター(8月18日-28日)

■構成/演出 扇田拓也
 下北沢OFFOFFシアター(8月18日-28日)
■出演
 谷村聡一 久我真希人 向後信成 藤原大輔 榎本純子 佐伯花恵 伊澤勉(第三エロチカ) 鈴木燦 成川知也
■スタッフ
演出助手 藤原 大輔
舞台監督 岡嶋 健一
美術 袴田 長武 (ハカマ団)
照明 宮崎 正輝
音響 井川 佳代
宣伝写真 降幡 岳
宣伝美術 米山 奈津子
制作 根 雅治 山崎 智子

Posted by KITAJIMA takashi : 11:14 PM | Comments (2) | Trackback

September 03, 2005

劇団健康「トーキョーあたり」

 12年前に第14回公演を最後に解散した劇団が久方ぶりに第15回公演を開く-と聞けば、ナンでやーとなって当然ですが、ケラリーノ・サンドロヴィッチは小うるさいことが嫌いらしい。公演ページの冒頭に「注意(観に来ないでいい人リスト)」を掲げ、最初に「12年振りに第15回公演をやることについて、異論がある者は観に来ないでよろしい」と言い切っています。以下「テーマとかなきゃやだとか、泣けなきゃやだとか、お話がわからないと具合が悪くなるそして具合が悪くなるのはやだとか、そんな文句を言う人はやだ。来ないでよろしい」などと続きます。ニヤリと笑って済ますのが流儀でしょうか。

 「某日観劇録」サイトによると、「映画の脚本家が締切直前の脚本について、監督立会いの元、大急ぎで口述筆記している。田舎から東京の子供に会いにくる老夫婦の話と、息子夫婦と同居して病気を告知された定年間近の公務員。だが立会う監督が適当に口を挟むうちに、両方の脚本の登場人物があらぬ方向に動き出して。一応そういう構造ですけど、ナンセンスコメディーです。あまり筋を追っても意味はありません。小津安二郎と黒澤明の作品のパロディーらしい」とのことです。

 いつもお世話になっている「しのぶの演劇レビュー」サイトにまたお世話になってしまうと、この芝居は「ナンセンス・ギャグだらけでお下劣な、好き勝手空間でした(良い意味です)」「私は・・・演劇界の内輪受けネタが一番面白かったなー。確実に笑わせてもらいました。言っちゃえば、本当に面白かったのはそこだけって言うか(苦笑)」だそうです。

 東京・下北沢の本多劇場で8月6日から28日まで計23公演。前売り券5800円、当日券6300円。それでもちゃんと興行が成り立つとすれば、ケラの吸引力は大変なものだ。


[上演記録]
劇団健康「トーキョーあたり」
下北沢・本多劇場(8月6日-28日)8月5日プレビュー公演

作・演出・音楽
ケラリーノ・サンドロヴィッチ

出演(五十音順)
犬山イヌコ、大堀こういち、KERA、新村量子、手塚とおる、藤田秀世、峯村リエ、みのすけ、三宅弘城、横町慶子

Posted by KITAJIMA takashi : 10:10 PM | Comments (0) | Trackback

August 23, 2005

東京黙劇ユニットKANIKAMA 「collection vol.2」(続)

 「おはしょり稽古」のあめぇばさんが東京黙劇ユニットKANIKAMA 公演を「夏の空き地におじさんが二人」というタイトルで取り上げています。二人のマイムがチャップリンではなく、無声映画時代のディズニーを連想させるというポイントを押さえながら、日本的な「間」について次のように指摘しています。

このソロパフォーマンスも、特筆すべきは「間」だと思う。さぁ始まるぞ、決着つくぞ、ってところでカメラが応援団の風景を映す。鍵が無い無い無いって捜してるサラリーマンがふっと冷蔵庫開けて涼んでしまう。ついでに中のアイスかなんか食べてくつろいでしまう。ついでに言うと本田愛也の女役はどれもミニーマウスやベティーちゃんに似ていた。

なるほど。指摘が具体的で納得、でした。なるほど。

Posted by KITAJIMA takashi : 04:54 AM | Comments (0) | Trackback

August 21, 2005

東京黙劇ユニットKANIKAMA 「collection vol.2」

 パントマイムを中心に活動する小島屋万助さんと本多愛也さんの2人が作るユニットKANIKAMA。カニカマボコが名前の由来らしいのですが、ぼくがみた最終日18日のステージはどうしてどうして、鍛えの入った技だけでなく、緩急を効かせたソロマイムやボケとツッコミのコンビ芸に涙が出るほど笑ってしまいました。「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんが的を射たレビューを掲載しています。ちょっと長めになりますが、次のように報告しています。

黙劇ということで、作品としては基本的に演者2人のパントマイムで物語が進みます。 全部で5作品、それぞれにタイトルが付いておりまして、明確な状況設定がタイトルでなされます・・・トータルで1時間20分。一番初めの作品がペンキ塗りの作品だったのですが、この作品があんまり面白くなかった・・・(略)劇場の笑いもクスクスぐらいで、正直残り4作品が思いやられる作品だった。 けど、その残りの作品は一番初めの作品とはうって変わって、マイムの面白さを多方向から切り開いてみせてくれる作品群でした・・・どの作品も面白かったなぁ。 特に度肝を抜かれたのは、本多愛也さんが1人で演じられた「白球」・・・2本目の作品です。(略)大勢の人間をたった1人で演じ分けるという凄さもあるわけですけど、それ以上に感心したのは、作品構成の上手さです。

やっぱり、見抜いているのですね。

 小島屋万助さんの「出勤」(第3作)は忘れっぽいサラリーマンがカギの所在が分からなくなる動作を飽きもぜず繰り返すことから生まれるおかしさがモチーフでしょうか。4作目の「占い師」は通りかかったサラリーマンをなんだかんだと言いながら占いに引きずり込み、お金を巻き上げる一幕。「雨に唄えば」のバックミュージックも生きていたと思います。5番目の「対局」は将棋で張り合う2人の息の合った遣り取りです。

 なかでもやはり2作目の「白球」が抜群のおもしろさでした。本多さんが野球の形態模写をするパフォーマンスです。投手、捕手、打者、応援団、審判などの動きを次々と1人で表現します。その方法がまた多彩でした。

 まずある動作の終わりが次の動作の始まりにシームレスに接続しているのです。例えば、投手が捕手のサインをのぞき込み、首を何度か振った末に投げるのですが、その投球動作がそのまま打者のスイングに接続され、さらにキャッチャーの捕球動作へと滑らかに一連の動作として表現されます。さらに打者が走り、野手が捕球、送球。塁審が両手を上げてセーフの判定、と思ったら左右に伸ばした両手は前後左右に規則的に振り下ろされたり振り上げられたりして応援団のしゃちほこばった動きに変わり、太鼓叩きや校旗持ちのユーモラスな動きに移行するのです。ある時はゆっくりと、ある時はずんずん加速していきます。簡単なように見えて、練り上げた技が生かされているように思えました。夏の高校野球大会が開かれている最中でしたので、舞台がいっそう身近に感じられました。

 もうひとつ、連続技のほかに、動作の切り替えにアクセントを付けて反転したり、切り替えをあえて明示する方法も随所に見られました。連続と反転、それに緩急。これらは身体表現の基本なのでしょうが、そんか小難しいことはまるで感じさせないまま15分余りの熱演で観客を笑いの渦に巻き込んでしまいました。いやはや、参りました。

 演出の吉澤耕一さんは、遊機械◎全自動シアターの初期に構成・演出を担当していました。確かにその舞台はいろいろ工夫されて作られているのですが、見る側の緊張や警戒心を気付かないうちに解き放ち、いつのまにか劇の中にぼくらを溶け合わせる心憎い技を発揮していたと記憶しています。その手法は健在でした。2人の技だけでなく、演出の目配りが効いていたと思います。


追記(8.23)
 「おはしょり稽古」のあめぇばさんが東京黙劇ユニットKANIKAMA 公演を「夏の空き地におじさんが二人」というタイトルで取り上げています。二人のマイムがチャップリンではなく、無声映画時代のディズニーを連想させるというポイントを押さえながら、日本的な「間」について次のように指摘しています。

このソロパフォーマンスも、特筆すべきは「間」だと思う。さぁ始まるぞ、決着つくぞ、ってところでカメラが応援団の風景を映す。鍵が無い無い無いって捜してるサラリーマンがふっと冷蔵庫開けて涼んでしまう。ついでに中のアイスかなんか食べてくつろいでしまう。ついでに言うと本田愛也の女役はどれもミニーマウスやベティーちゃんに似ていた。

なるほど。指摘が具体的で納得でした。なるほど。


[上演記録]
東京黙劇ユニットKANIKAMA 「collection vol.2」
新宿タイニイアリス(8月16日-18日)

出演 小島屋万助(小島屋万助劇場)、本多愛也(ZOERUNAassociation
演出 吉澤耕一
照明 吉澤耕一
照明操作 青山崇文、根本諭
音響 木下真紀、吉岡英利子
音響操作 吉岡英利子
舞台監督 杉原晋作
宣伝美術 中山京子
宣伝写真 伊東和則
記録 藤本真利
制作 Kanikama制作部

Posted by KITAJIMA takashi : 10:27 PM | Comments (0) | Trackback

August 18, 2005

ミュージカル「きかんしゃトーマスとなかまたち」

 旧知の飯塚数人さんから、子供向けミュージカル「きかんしゃトーマスとなかまたち」について書いたとのメールを受け取りました。関連サイトもあちこち見て回りましたので、一緒に紹介します。

 「きかんしゃトーマス」シリーズと聞いて「懐かしい」という方もいるでしょう。「子供と一緒に絵本を読んでいる」「テレビで見ている」という子育て中のパパやママがいるかもしれません。子供向け番組や絵本の定番の一つなのでしょう。
 イギリスで2002年に上演された「THOMAS the TANK ENGINE ~きかんしゃトーマスとなかまたち~」は、27万人を動員したヒット・ミュージカル。海外初公演としてこの夏、東京・お台場で上演中です。本物さながらの「トーマス」、「パーシー」などのおなじみの機関車がステージ上を駆け回り、TVシリーズで親しまれている俳優たちの日本語吹き替え版で歌と物語が進行するそうです。

 驚くのがその上演期間と回数です。7月16日から始まり8月31日まで1日2回、計47日間94公演です。大人4000円、子供3000円ですから、家族で平均12000円の入場料と計算し、1公演の入場者数をざっと200人とすると、入場料収入だけで軽く2億円をオーバーします。入場者が300人、400人平均だと…。追加公演もあるので、数字はドンドン膨らんでいきます。

 とまあ、興行的な関心に傾いてしまいましたが、飯塚さんのレビュー(「闘いうどんを啜れ」)であらすじは少ししか書かれていません。鮮明な写真をたくさん載せている「iBox」サイトのlovecellさんの助けを借りると、「このミュージカルでは、テレビ版と同様に友達思いのトーマスの行動に焦点が当てられており、そこで起こるいろいろな出来事がストーリーの中心だ。任された支線が取り上げられそうになっても、友達を大事にするトーマスの思いやりに胸が打たれた。観終わった後、あたたかい気持ちになれるミュージカル」だそうです。

 飯塚さんは相当の機関車マニアだったらしい。「舞台はいちめん汽車が走りまわるための溝がはりめぐらされていて、よくみると、そこにはちゃんと枕木やレールや砂利が描きこんである。奥は車庫になっていて、トーマスたちはそのなかですこしだけ顔をのぞかせて、出番を待っている。場内は、あこがれのトーマスをまえに、感極まって泣き叫び、走りまわる子供(ほとんど幼児)が群れている」と描写、「俺も、鉄道マニアだった少年時代を思いだし、いまにも失禁しそう」という個所を読んで思わず頬が緩んでしまいました。

 「子供にとって、乗り物とは、人を異空間へ導くためものというより、それじたいが異空間というべき、祝祭的、演劇的存在だった」との指摘にうなずく人は多いはずです。「しかし人はやがてみな成長し、電車での通学通勤はあたりまえとなり、乗り物の持つ神秘性は失われて、日日ただ満員の苦痛を味わうのみの道具となる」。なるほど、なるほど。その後の描写にも機関車への愛情がうかがえます。

出演者につづいて、出演車が登場。動力はなにかわからんが、人が乗れる大きさの本格的な機関車で、ほんとうに線路の上を走るのだ。舞台の車庫のふんいきは、梅小路の機関区みたいだ。ポッポと煙を吐きながら、歌にあわせてコトコト走るかわいい汽車は、むかし西武園―ユネスコ村を走っていたおとぎ列車を思い起こさせる。(略)乗り物の持つ演劇性それじたいが、舞台の上に息づいている。

さらにディケンズが抱いていた鉄道に対する「特別な恐怖心」と近代の「疎外」にも触れ、最後に「いくつかの挿話が重なって、おはなしは進行し、最後には象の親子も登場し、俺も子供も大喜び。まさに乗り物への夢を、そして演劇への夢を、とりもどさせてくれる時間だった」と締めくくります。子供の喜びと同時に、飯塚さんご自身にもたまらないひとときだったようです。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:37 PM | Comments (2) | Trackback

August 17, 2005

クロムモリブデン「ボーグを脱げ!」

 このところ評価の高い関西の劇団「クロムモリブデン」が「ボーグを脱げ」の東京公演を中野・劇場MOMO で開きました。相変わらず精力的にレビューをアップしている「しのぶの演劇レビュー」サイトはもちろん見逃していません。ボーグ(防具)と攻め具(責め具?)とジャンケンを使って、クールでスピード感にあふれた舞台を展開したようです。

 「ナンセンスで錯綜した世界に独特のダークな空気が漂います。笑いがかなりコアでマニアック。ハマる人はハマるリズムがあります」と劇団の特徴を上げた後、今回の公演は「テーマはボーグ(防具)。(略)次から次にシーンからシーンへと移って行く短編集のスタイル。ただ、登場人物が被ることもあるのでチェーンストーリー的な楽しみもあります」「ロリコン、児童虐待、性犯罪者、家庭内暴力、SM(ご主人様と奴隷)などのかなりハードなモチーフを、時事ネタも含めて皮肉っぽく、だけどあくまでもポップに軽妙に織り交ぜていきます」「きちんと細かいところまで作り上げられた世界」「音楽がめちゃくちゃクール」「何もかも全部ひくるめてクロムモリブデンのイケナイ世界だった、ということでも私は満足」と述べています。

 しのぶさんと負けず劣らず芝居を見続けている「休むに似たり。」サイトのかわひ_さんは「「かぶって叩いてジャンケンポン」から自由に発想する舞台は、はっきりいってかなりワケわからないのですが、グルーヴ感がいっぱいで、楽しい」と評価します。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「一見ストーリーなんて無きもののような舞台ですが、意外に社会的なメッセージが織り込まれているのがクロムの上手さ・・・そしてそういうのを恩着せがましく主張しないのもまたクロムの上手さか?」と述べ、「下手に難解ではなく、下手に整っていなくて、下手に感動できる訳でもない・・・ちょうどイイ具合に面白くて、イイ具合に意味分からない。エッセンスの割り振り方が上手い」とまとめています。
 大阪公演は9月9日-13日、HEP HALLで。


[上演記録]
クロムモリブデン「ボーグを脱げ!」
 東京公演 劇場MOMO(8月10日-14日)
 大阪公演 HEP HALL(9月9日-13日)

■作・演出
 青木秀樹

■出演
 森下亮
 金沢涼恵
 板倉チヒロ
 重実百合
 信国輝彦
 遠山浩司
 浅田百合子(エビス堂大交響楽団)
 板橋薔薇之介(ニットキャップシアター)
 倉田大輔(国民デパリ)

■スタッフ
音響効果 笠木健司
照明 Ingrid Smith
美術 ステファニー(劇光族)
舞台監督 塚本修
演出助手 大沢秋生(NEUTRAL)
宣伝美術 Indigoworks
宣伝写真 シカタコウキ
衣装 赤穂美咲
制作 床田光世 野崎恵 金澤裕 パリジャン

Posted by KITAJIMA takashi : 12:03 PM | Comments (0)

August 16, 2005

チェルフィッチュ「目的地」

 チェルフィッチュの「目的地」ワークインプログレスの模様は先にお伝えしましたが、本公演が8月6日、びわこホールで開かれました。「夏のフェスティバル2005」の参加作品。このフェスティバルは「 二年に一度、最先端の身体表現をご紹介する」目的を掲げています。

 今回は「話法」に関する分析や解説が目につきました。「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」サイトのqueequegさんは「話法が果てしなく自由自在になっていってる」と指摘しています。特に「猫になっちゃったりとか妻が浮気してると思い込んでる夫の妄想の中の妻が浮気相手を切る場面を繰り広げちゃったりとか、まあよく考えたらなんでそんなことになってんのか全然わかんねえよ!笑とか思いはする。のだけど、実際に舞台を見ているあいだにおいては(略)『またひとつ新しい空間が開かれた』っていう驚きが喚起させられるばかりで、だからやっぱそれはすごい」と書き留めています。

 「コンテンポラリーダンス目撃帖」のcannon26さんは「個人的には、この『目的地』は、演劇でもなければダンスでもなく、「話芸」としての面白さに一番惹かれた」と述べ、「結論を言ってしまいますと、『漫談やん』と思った」と指摘します。

 「中西理の大阪日記」サイトは、チェルフィッチュの入り組んだ間接話法構造について次のように分析します。

通常の演劇(近代演劇)は登場する俳優の会話として提示される。ところが岡田のテキストは直接の会話ではなく、だれかが自分以外のことをだれかに説明するという伝聞のスタイルで提示される、語られる事実がそのまま会話として観客に示されるわけではなく、論理階梯がひとつ上のメタレベルから語られることにその特徴がある。もう少し分かりやすい言い方をすれば例えば小説には地の文と会話体の部分があり、会話劇では通常、そのうちの地の文の部分が排除されて、会話の部分だけが抜き取られてそれぞれの俳優によって演じられるわけだが、岡田のテキストではその地の文的な部分と会話体の部分が1人の俳優によって、一緒に演じられるという「語り物」の形態に近いところにその特徴がある。
 さらに言えば、単に地の文というだけではなくて、その話者として想定された一人称の「語り手」がひとりだけでなく、複数存在していて、それも実際の上演では1人の語り手に対して、1人の俳優が対応するという一対一の対応だけではなく、「語り手」と「俳優」の対応の形式が多対一、一対多と融通無碍に変化していく。

 さらにポストパフォーマンストークでクナウカの宮城聰が「チェルフィッチュの演劇をピカソの『アビニョンの娘』に例えて語り、その発言はきわめて啓発的であった」と触れていますが、詳細は不明です。「チェルフィッチュ日記」で岡田さんも宮城発言に触れていますが、中身を詳しく紹介していません。ちょっと興味がありますね。


追記
 ワークインプログレスについて、宮沢章夫さんが自分のブログ「富士日記2」(7月24日付け)で言及しています。チェルフィッチュは初体験だと断りながら、「超リアル」な日本語は、「きわめて計算された不自然な『せりふ』」で、「その言葉が持つ『特別な強度』を借りつつ、うまく計算されて書かれている」「『リアル』をもうひとひねりしたからだの動きも相俟って、きわめて精緻に造形された人物が出現しており、なるほどと思った」などと強い印象を受けたようです。

Posted by KITAJIMA takashi : 09:17 PM | Comments (0) | Trackback

August 15, 2005

和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」

 和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」公演が8月4日-5日の2日間、東京・麻布die pratze で開かれました。舞踏の世界で、土方巽の弟子(和栗)と大野一雄の弟子(上杉)が共演するのはきわめて珍しいそうですが、その世界に疎いのでともかく舞台に目を注ぐことにします。
 最初は和栗のソロ約20分。次が上杉のソロ約20分。最後が2人で共演というか、「歩み寄る」という象徴的なシーンを作ります。

 和栗のソロは、場所的移動を極端に押さえたパフォーマンス。中央に立つ、というか佇むというか、やや腰を落としたまま、頭、目、眉、鼻、頬、額から始まり、首、肩、腕、手首、手のひら、5×2の計10本の指それぞれが反ったり撓んだり歪んだりきしんだり、お腹も背中も足脚以下も同様に微細な動きが次から次へと伝播するように、目に見えるほど筋肉の緊張が伝わっていきます。目の玉も大きく見開かれたりあらぬ方向を向いたり、それぞれの器官が左右違った動きを見せたり。ほとんど動かない身体は、みる側を息苦しくさせるほど。白塗りと言うか、土色の肌に筋肉の張りつめた形が現れるのを固唾をのんでみていました。

 舞台の後ろは白い幕を左右でからげ、出入りできるようになっています。和栗のソロが終わるころ、右手の幕から上杉がうつぶせになるぐらい身体を這わせて待機、和栗の退場とともにククククッとステージ中央に登場します。黒紫のドレス姿で円を描くように走り回ったり、暗転で大ぶりの着物姿に早変わりしたり、キツネ(犬?)面を被って踊り、面だけ客席に向けて後ろ姿のままのパフォーマンスを見せたり、豊かな表情とステージをいっぱいに使った動きが対照的でした。

 最後のステージは30分あまり続いたでしょうか。「白鳥のめがね」サイトのyanoz さんは次のように述べています。

この公演は、ラストーシーン、上杉と和栗の二人がステージの両端からゆっくりと歩み寄っていく場面が全てだった。
すくなくとも私にとっては、上杉の、まったき感受的な場となったかのごときまなざしを差し向けながらの、一歩一歩がふるえる息吹であるような歩みと、和栗の、眼を馬のようにして、硬く引き締まった筋肉をじりじりと駆動させていく歩みとが、互いの気配を緊迫させながら空間を占めてゆく、この音楽抜きのひとときに立ち会えただけで、十分だった。この時間だけを一時間たっぷり味わう事ができたらどれだけ素晴らしかった事だろう。

 2人の共演をプロデュースした舞踊評論家の志賀信夫さん(デュカスの日記舞台批評)によると、次のような経緯があったそうです。

企画は元々、和栗由紀夫さんと上杉貢代さんの舞踏、特にソロ部分がとても好きだったので、一度一緒に踊ってもらいたい、ということがきっかけでした。
 お話をもちかけても、最初はなかなかウンといって頂けず、一晩3人で飲んでようやくっていう帰り際、「やっぱりやめようか」ってなったり。
 でも実際に動き出してからは、結構スムーズに行かれたようで、最初上杉さんも15分くらい顔を出すだけ、というところから次第に積極的になられて、最終的にはコラボレーションといえるにふさわしい舞台になったと思います。4回のリハーサルであそこまで舞台が作れるのは、やはりプロです。特に後半の2人が絡む場面は、美しく感動的でさえありました。

 志賀さんが司会を務めたポストパフォーマンストークで、この公演の枠組みは和栗提案に沿っていたことが分かりました。「土方舞踏は空間とフォルムの型はあるけれど、時間は踊り手に任されている。この機会に土方舞踏を丁寧に踊ってみたかった」という和栗さんに対し、上杉さんは最初戸惑ったようです。「習っていたクラシックバレエは型そのもの。それが堅苦しくて、型のない大野一雄に引かれた。しかし今回は型のない不安はあったけれど、無防備でいこうと決めてから入り込めた」と話していました。2人の間柄について和栗さんは「わけ登るふもとの道は違えども、同じ高嶺の月を見るかな」という歌を何度か引用しながら、「同世代で話の合う”戦友”」と表現していたのが印象に残っています。

 蛇足を承知で付け加えますと、「神経の秤」はアントナン・アルトーの作品から取られています。「アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である『残酷劇』を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える」(『ウィキペディア(Wikipedia)』)と言われています。音楽は「バルトークやリストが好き」(和栗)「いつかワグナーの『トリスタンとイゾルデ』や『タンホイザー』で踊ってみたかった」(上杉)と話していました。

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August 14, 2005

ゴキブリコンビナート「君のオリモノはレモンの匂い」(続)

 「ゴキブリコンビナート」の公演レビューが「そして、始まる・・。」で中断していた「デジログからあなろぐ」サイトで、すぐに後半が書き継ぎがれました。同サイトの吉俊さんは、ゴキコンが「ミュージカルという形式を借りて」「泥水と組み合わせると、そこには終始水がバシャバシャ跳ねることを必然とする舞台が生まれる」と述べ、舞台設営など「道具使いの上手さ」をぬかりなく指摘しています。

 その上で、ゴキコンの3KミュージカルにさらにもうひとつのK、「心地よさ」を付け加えたいと宣言します。そうこなくちゃ。

簡単に言うと、上記の3K(汚い・臭い・キツイ)がもしも本当に3Kだけであったら、きっと誰も見たいわけじゃないと思う・・・私も恐いもの見たさっていうのが最初はあったけど、見ている最中に感じたのは「高揚感」といった心の内側の感情、そして後半にはそういう高まりは、心地よさへと変容している。
汚い水が体に降り掛かる、役者がどんどん汚れていく、その役者が自分達の上を駆け回る、そういう汚い部分とか・・・役者が服を剥ぎ取られたり、丸太で頭を打たれたり、逆さ釣りにされたり・・・肉体を傷つけられている様を観る部分。 SMという構図もあるけど、どちらかというと自然から全く切り離されて清潔に安全に暮らしている都会で、普段刺激されない人間という動物の諸感覚を刺激してくれているのではないかと思う・・・それが心の高ぶりであったり、終幕後の心地よさに繋がる。
それってまさにスポーツと同じ構図でしょう?・・・ゴキコンはスポーツである!っていうのはこれまた言い過ぎかもしれないけど、大きく間違っている訳じゃない。

 ゴキコン=スポーツ説の誕生ですが、ぼくには見せ物、そのなかでもプロレスとある面でゴキコンが似通っているのではないかと思えます。米国のプロレスはショーアップされ、あっけらかんとした勧善懲悪物語で広い会場を沸かせます。しかも2m100キロ級の肉体が明るいリング上で激突します。対照的にゴキコンは、技はうまわけではなく、痩せこけた身体と不揃いな歌声ではありますが「心意気と情熱!」があり、独自の物語を内蔵しているはずです。そのあたりの比較検討ができるとおもしろいのでは…と思いつきを並べましたが、おしゃべりはこのへんにしましょう。

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August 12, 2005

ゴキブリコンビナート「君のオリモノはレモンの匂い」

 タイニイアリスフェスティバル2005の幕開けは、昨年に続いてゴキブリコンビナート公演でした(8月11-14日)。キツイ・キタナイ・キケンの「3Kミュージカル」を自称する劇団は、最近会場を確保しにくくなったとのうわさが流れています。アリス劇場関係者が度量の広さを示した今公演「君のオリモノはレモンの匂い」はいかに-。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「レインコートとタオルを片手に入場を待つ」「劇場の階段を降り始めるとともに漂い始める異臭、これがゴキコンか!ドキドキ」などと助走しながら、いよいよ本番の報告と思ったら、「そして、始まる・・。」と書いたまま、中断しています。(12日22時過ぎ)そのうち書き継がれるのでしょうか。

 その代わりというわけではないのですが、「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんが、舞台の模様をしっかり伝えてくれました。おおよそ、こんな感じのようです。

「3Kミュージカル」は正装した新郎新婦の歌声で始まった。
ハネムーンに国立公園に来た新婚夫婦は、原始人のような野蛮な男達に襲われて身ぐるみ剥がれる。
おかみに助けられて宿に逃げ帰り、ショックから立ち直った花嫁は気を取り直して初夜を始めようとする。
しかし花婿は筋金入りのロリコンだった。
観客席の頭上の丸太に猿のようによじ登って、役者は別の舞台へ移動する。宿に逃げ帰る時点で花嫁はウェディングドレスを剥がれてほぼ全裸。後半では下半分が無いスクール水着で逆さ吊りにされ、最後は男に陰部の匂いを嗅がれながら花婿の生首を抱いて歌う。なかなか切ない役回りである。
半分猿のような男たちは、集団就職で雇われた「木こり」だった。…

泥はねも何のその、放尿もいたぶりも「演出家の割り切った姿勢は大変清々しく感じられ」「レモンの芳香剤の匂いが充満する中で二時間たっぷり野次馬をやって、半ば酸欠状態で劇場を出た」そうです。

ハラハラドキドキ場外編の様子は、彼女のもうひとつのブログサイト「依怙地にあめぇば」に詳しく載っています。

タイニイアリスWebサイトにゴキブリコンビナートの作・演出のDr.エクアドルのインタビューが掲載されています。興味のある方はどうぞ。


追記(8.14)
 「ゴキブリコンビナート」の公演レビューが「そして、始まる・・。」で中断していた「デジログからあなろぐ」さいで、すぐに後半が書き継ぎがれました。同サイトの吉俊さんは、ゴキコンが「ミュージカルという形式を借りて」「泥水と組み合わせると、そこには終始水がバシャバシャ跳ねることを必然とする舞台が生まれる」と述べ、舞台設営など「道具使いの上手さ」をぬかりなく指摘しています。

 その上で、ゴキコンの3KミュージカルにさらにもうひとつのK、「心地よさ」を付け加えたいと宣言します。そうこなくちゃ。

簡単に言うと、上記の3K(汚い・臭い・キツイ)がもしも本当に3Kだけであったら、きっと誰も見たいわけじゃないと思う・・・私も恐いもの見たさっていうのが最初はあったけど、見ている最中に感じたのは「高揚感」といった心の内側の感情、そして後半にはそういう高まりは、心地よさへと変容している。 汚い水が体に降り掛かる、役者がどんどん汚れていく、その役者が自分達の上を駆け回る、そういう汚い部分とか・・・役者が服を剥ぎ取られたり、丸太で頭を打たれたり、逆さ釣りにされたり・・・肉体を傷つけられている様を観る部分。SMという構図もあるけど、どちらかというと自然から全く切り離されて清潔に安全に暮らしている都会で、普段刺激されない人間という動物の諸感覚を刺激してくれているのではないかと思う・・・それが心の高ぶりであったり、終幕後の心地よさに繋がる。 それってまさにスポーツと同じ構図でしょう?・・・ゴキコンはスポーツである!っていうのはこれまた言い過ぎかもしれないけど、大きく間違っている訳じゃない。

 ゴキコン=スポーツ説の誕生ですが、ぼくには見せ物、そのなかでもプロレスとある面でゴキコンが似通っているのではないかと思えます。米国のプロレスはショーアップされ、あっけらかんとした勧善懲悪物語で広い会場を沸かせます。しかも2m100キロ級の肉体が明るいリング上で激突します。対照的にゴキコンは、技はうまわけではなく、痩せこけた身体と不揃いな歌声ではありますが「心意気と情熱!」があり、独自の物語を内蔵しているはずです。そのあたりの比較検討ができるとおもしろいのでは…と思いつきを並べましたが、おしゃべりはこのへんにしましょう。


[上演記録]
ゴキブリコンビナート第19回「君のオリモノはレモンの匂い」

出演:ボボジョ貴族、オメス吉祥寺、OJC、セロトニン瘍子、Dr.エクアドル、スピロ平太、スガ死顔

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August 11, 2005

かもねぎショット「ロシアと20人の女たち」

 かもねぎショットは1989年に「夢のあるうち今のうち」で旗上げしたはずですから、もう16年。いまも活躍している多田慶子さん、高見亮子さんのほか、木内里美さんの女優3人で結成されました。旗揚げ公演は見逃しましたが、その後の「婦人ジャンプ ~ああ、この人生の並木路」「東京の道をゆくと」「婦人ジャンプ2 ~健康を祝って~」など90-91年の作品を立て続けにみて、心躍るときめきを体験しました。あとは知る人ぞ知るの大活躍です。 最新公演「ロシアと20人の女たち」が東京・下北沢のザ・スズナリで開かれました(8月3日-10日)。

 しゃれたデザインのブログサイト「Club Silencio」は「旅行でやってきたと思しき女たちがなぜかロシアの大地をさまよい歩き、『知っているつもり』のロシアと『思い込み』のロシアを演じる」と述べ、さらに次のように報告しています。

ロシアに対する断片的な知識がパッチワークのようにつなぎ合わされて次々に演じられる。罪と罰、桜の園、三人姉妹、オネーギン。そしてエカテリーナ2世、アナスタシア皇女、レーニン、テレシコワ。果てはロシアの葬儀、暖炉、馬車。うろ覚えの知識の心許なさといかがわしさがプンプンしてとても楽しい。今春に上演した「ラプンツェルたち~うろ覚えの童話集~」とほぼ同一の手法で、作者の高見亮子さんはおいしい鉱脈を掘り当てたようだ。奇怪なダンスもいい。注目していた中川安奈さんはイメージを逆手に取った演出が効いて笠久美さんとの主従で見所が多い。演出も兼ねる高見さんはやはりただ者ではない。悪だくみの才能にも溢れている。

なるほど、なるほど。
しのぶの演劇レビュー」は「ウィットに富んだ大人の女性の気軽な娯楽作品」との印象を受けたようです。

結成メンバーだった木内里美さんの消息を訪ね回ったら、いま熊本を拠点にひとり芝居「ばあちゃん」シリーズに打ち込んでいて、昨年10月には九州のテレビ番組にも取り上げられたそうです。当時のファンとして、うれしい限りです。

[上演記録]
かもねぎショット「ロシアと20の人女たち」
下北沢 ザ・スズナリ(8月3日-10日)

作・演出 ●高見亮子
出演 ● 多田慶子 / 小山萌子 / 吉村恵美子 / 笠久美(PROJECT ジョカ) / 林知恵子 / 杉山明子 / 池田素子 (ダンサー) / 公門美佳 (ダンサー)
栗栖千尋 / 高見亮子
(以上2名かもねぎショット)
中川安奈

美術 ● 加藤ちか
照明 ● 中川隆一
音響 ● 藤田赤目
衣裳 ● 高橋 佳
舞台監督 ● 北村雅則
票件管理 ● 高橋衿子
チラシの絵 ● 永山裕子
宣伝美術 ● 西山昭彦
制作 ● かもねぎショット制作部
主催 ● かもねぎショット

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August 08, 2005

大橋可也&ダンサーズ「サクリファイス」

 「ハードコアダンス」を掲げる大橋可也&ダンサーズの公演をみてきました(神楽坂die pratze、8月2日)。大橋さんの名前は「かくや」と読むそうです。昨年の「あなたがここにいてほしい」公演をみた舞踏評論家の石井達朗さんの推薦で、今年の「die pratze dance festival ダンスがみたい!7」に出場することになりました。「あなたがここにいてほしい」というと、思い浮かべるのはPink Floyd のアルバム「WISH YOU WERE HERE」ですが、この公演は未見なのでコンセプトなどで関連があったかどうか分かりません。石井さんの推薦文には「男(大橋)と女(ミウミウ)の間にある永遠の溝としての身体性が、スカンクのノイズ音により幾重にも増幅された。ソリッドな身体が加速度的に追い込んでいったものは、自虐とも加虐ともつかないエロスである」とあります。期待と好奇心で足を運びました。

 開演前、客席から普段着の男女数人か舞台奥のパイプいすに腰掛け、客席に向かって横一線に並んでいます。主宰の大橋さんが「これから始めます」と言ってステージを去ると、そのうちの女性2人が踊り始めます。1人は狐(犬?)面を着け、指を鳴らしながら舞台の前の方を横歩きで往復したり、四周を素早く動いたり。ベビードールを着た女性はときに調子っぱずれで歌います。この歌は「白鳥のめがね」サイトによると「cocco の『強く儚い者たち』だそうです。
 次はバットを振り回す女性が登場します。床に大の字に寝そべったりしていると、突然教育改革を熱っぽく論じるテレビ番組の音声だけが流れてきます。バット女はその音声にほとんど関わりなく、バットを振り、動き回ります。
 3番目は…記憶がぼやけたので、「ブロググビグビ」サイトの助けを借りると、「ラムネ菓子を並べてつくったテリトリーの中で足を拘束されているキャミソールの少女と、客席や舞台後方をめがけて暴れる男の子」。最後に柄物のサマーシャツにハーフパンツ、頭に野球帽(だったでしょうか?)を乗っけたオッさん風の男性が舞台中央に登場しますが、少しの間ギクシャクと手足を動かして、そそくさと引き揚げてしまします。

 「白鳥のめがね」サイトのyanoz さんは最初のシーンに関して「二人出ていてもデュオというわけでもなく、平行して進行するその隔たっている印象が心に残る」と述べています。「ブロググビグビ」サイトの伊藤亜紗さんは「大橋可也の舞台は、二つの人物中心がディスコミュニケーションなまま並存している」「舞台上におかれた二つの要素は、並置されてディスコミュニケーションの関係にあるけれど、お互いがお互いにとっての「ノイズ」になりながら片方のみに集中することを妨げ、観客を煩わす」「煩わし合いは却って二人をそれぞれの一点へむけて閉じさせる」と指摘しています。

 今回の公演は前回の「ソリッドな身体が加速度的に追い込んでいった」とか「自虐とも加虐ともつかないエロス」というイメージとはかなり離れ、「かみ合わないけどバラバラとも言えない」「バラバラだけれども、よくどこかで見かける」という、ぼんやりした既視感や希薄な現実感が澱のように残りました。
 公演は1日だけ。主催サイドの都合だったようですが、会場は満杯の熱気でした。

[上演記録]
大橋可也&ダンサーズ「サクリファイス」
麻布die pratze (8月2日)
【出演】
ミウミウ、江夏令奈、関かおり、垣内友香里、皆木正純、ロマンス小林
【振付】
大橋可也
【音楽】
スカンク(MEXI)
【照明】
遠藤清敏
【舞台監督】
十亀脩之介

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August 06, 2005

ク・ナウカ「王女メデイア」

 ク・ナウカの「王女メデイア」 は1999年に初演されて以来、国内はもとより海外8カ国15都市で上演を重ねてきたク・ナウカの代表作です。 古代ギリシアの英雄イアソンとその妻メデイアをめぐって繰り広げられる壮大な「子殺し」の悲劇を、明治時代の日本に舞台を移し、歓楽街の座興で演じられる劇中劇として再現します。 セリフを語るのはすべて男。その言葉に操られるように動く女たち。 ク・ナウカが15年間追求してきた語りと動きを分ける‘二人一役’の手法がストーリーと密接にからみ合い、 やがて言葉の支配をくつがえすかのように女たちの反乱が始まります――。
 ク・ナウカのWebサイトに載った一文が、「王女メデイア」の簡潔な導入になっています。有力劇団の代表作だけに、力のこもったレビューをいくつも読むことができました。
 今回はCLP(クリティック・ライン・プロジェクト)の 皆川知子さんのレビューを取り上げます。

 古代ギリシャの世界が、どのように明治時代の日本に移し替えられているのだろうか。皆川さんは次のように簡潔に描写します。

文明開化の情景を描いた布が、方形の舞台を取り囲むように立てかけられている。布が取り払われると、和装の女たちが、頭を袋ですっぽり覆い、自らの顔写真を両手に抱えて並んでいる。そこへ黒い法服を着た男たちが現れ、女たちの品定めを始める。宴会の余興だろうか。男たちの語りに合わせて、女たちが人形のように無言・無表情で演じ、劇中劇が繰り広げられるのだ。メデイアは、朝鮮の民族服チマチョゴリを身につけ、その上から和柄の着物を羽織る。ここでは、ギリシャとギリシャによって支配されたメデイアの祖国コルキスの関係が、明治時代の日本と韓国の関係へと置き換えられている。 ク・ナウカ『王女メデイア』で、演出家はギリシャ時代の法治主義、ロゴス、男性原理社会を、近代化に向けて邁進する明治の日本に見いだす。

 「演出ノート」からではなく、目の前の舞台に何がありどう見えどう聞こえるかということから書き出している手法にきっぱりとした潔さを感じます。
 会場となった東京国立博物館の本館特別5室は天井がとても高く、残響が長くて声が聞き取りにくいとの指摘がかなりありました。しかしその聞き取りにくい有様自体がどう見え、どう聞こえるかと皆川さんは続けます。

(上演会場は)高い天井をもつ空間構造上、残響が長い。このため、男性のコロス(語り手)たちが同時に語ると、ことばが反響し合い、大きな音の塊となって空間を支配する。ひとつひとつのことばは聞き取りにくい。何よりことばを重んじるギリシャ悲劇の上演においてはあるまじき現象かもしれない。しかし見方を変えれば、あたりを圧するように包み込む、獏としたことばの集合体は、近代化のために弱者や不合理な存在を圧殺してきた日本の姿とも重なってくる。

 いくつかのレビューで言及されている「子殺し」の場面も、「子殺しの場面が、物語を転覆させる契機として描き出されている」とした上で、その前後の舞台上で生起した動きを具体的に伝えて次のように提示されます。

自分を裏切った夫への復讐のため、メデイアは逃げまどう我が子に向かい、刃物をふりおろそうとする。それまで阿部一徳の猛々しい声によって突き動かされてきた美加理のメデイアは、刃物をふりおろす瞬間、初めて彼女自身の、低く短い叫び声を発する。虐げられ、裏切られてきた者の恨みの声、そしてことばを奪い返さんとする逆襲の声である。

なるほど、美加理が「初めて彼女自身の、低く短い叫び声を発する」意味が、その決定的に重要な意味が、短い文章に濃縮されているように受け取れます。そこに細部を見逃さない確かな目を感じました。指摘はさらに続きます。

そしてメデイアはしずかに刃物を口にくわえなおすと、優しく子どもを引き寄せる。子どもが母親の涙を拭くしぐさをした直後、彼女は口にくわえた刃物を、子どもの腹に突き刺す。叫び声をあげた後で、刃物をくわえて自らの口を再び封じた行為は、子殺しという罪と引き換えに、ことばを奪われる立場を受け入れる女の悲しき覚悟をしめす。さらにメデイアが象徴する、近代化によって虐げられてきた国の諦念ともみえる。しかしこの後、語り手(男)と動き手(女)の関係が転倒する。動く人形、あるいは裏方の演奏者に徹していた女たちが、赤いスリップドレス一枚になり、つぎつぎと男たちに刃物を突き立てていったのである。

と言う形で、レビューをほとんど引用してしまうのはマナーを外しているかもしませんが、目に見えたこと、耳に伝わってきたこと、肌で感じたことから具体的に構成するという皆川さんの劇評作法を伝えたかったのです。あとは原文(全文)をご覧ください。彼女の分析や指摘に違和を感じる部分もあるかもしれません。ぼくも異論のあることを隠しませんが、しかし繰り返しますが、きっぱりとした潔さを感じました。


[上演記録]
ク・ナウカ王女メデイア
原作: エウリピデス
台本・演出: 宮城聰

東京国立博物館 本館特別5室
2005年7月19日-8月1日

出演:
美加理・阿部一徳・吉植荘一郎・中野真希・大高浩一・野原有未
萩原ほたか・本多麻紀・江口麻琴・片岡佐知子・諏訪智美
桜内結う・たきいみき・藤本康宏・牧野隆二・池田真紀子
大道無門優也・黒須幸絵

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August 05, 2005

MIKUNI YANAIHARA Project「3 年2 組」(続)

 ニブロールの矢内原美邦によるプロデュース公演「3年2組」に関して、「中西理の大阪日記」サイトが鋭い指摘をしています。身体と言葉の関係が取り上げられる舞台がこれから多くなりそうですが、中西さんの指摘はこの問題を考えるひとつの勘所をとらえているように思われます。

 ダンス系の舞台でダンサーが言葉を話すという設定になったとき、動いている身体と馴染まずに言葉だけ浮き上がったり、逆に言葉が明瞭でも身体が弛緩したりする(つまり時間が淀む)場面に出くわすことが少なくありません。中西さんはそのアポリアを「矢内原は『3年2組』では、会話体としての台詞を温存しながら、その台詞を速射砲のように俳優が発話できる限界に近い速さ、あるいは場合によっては限界を超えた速さでしゃべらせることによって、言語テキストにまるでダンスのようなドライブ感を持たせることに成功し、それが音楽や映像とシンクロしていくことで、高揚感が持続する舞台を作りあげた」とみています。
 少し長い引用になりますが、矢内原の「振付」の特長を絡めて、この点をさらに次のように展開しています。

ここで興味深いのは矢内原の振付において特徴的なことのひとつにパフォーマー、ダンサーの動きをダンサーがその身体能力でキャッチアップできる限界ぎりぎり、あるいは限界を超えた速さで動かし、そうすることで既存のダンステクニックではコントロールできないエッジのようなものを意図的に作り出すというのがあるが、この作品ではその方法論を身体の動きだけでなくて、台詞のフレージングにも応用しようと試みていることで、そういう意味で言えばここでの台詞の発話に対する演出においてダンスの振付と同じことを目指しているように思われたことだ。
 ダンスの振付と一応、書いたけれども、これは通常「振付」と考えられているある特定の振り(ムーブメント)をダンサーの身体を通じて具現化していくというのとは逆のベクトルを持っているのが矢内原の方法の面白さで、もちろん彼女の場合にも最初の段階としてはある振りをダンサーに指示して、それを具現化する段階はあるのだけれど、普通の振付ではイメージ通りの振りを踊るために訓練によってメソッドのようなものが習得されていく*1のに対して、ここではその「振り」を加速していくことで、実際のダンサーの身体によってトレース可能な動きと仮想上のこう動くという動きの間に身体的な負荷を極限化することによって、ある種の乖離(ぶれのようなもの)が生まれ、それが制御不能なノイズ的な身体を生み出すわけだが、こういう迂回的な回路を通じて生まれたノイズを舞台上で示現させることに狙いがあるのじゃないかと思う。

 この「ノイズ的身体」というキーワードは、これから重要になるのではないでしょうか。中西さんはここから、チェルフィッチュ=岡田利規の方法論などに言及していきます。これ以降は、中西さんの原文をご覧ください。

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August 04, 2005

劇団FICTION「ヌードゥルス」

 劇団FICTIONの第26回公演「ヌードゥルス」が新宿THEATER/TOPSで開かれました(7月26日-31日)。小劇場に実によく足を運んでいる「デジログからあなろぐ」と「しのぶの演劇レビュー」の両サイトがともに絶賛しています。
 まず「デジログからあなろぐ」の吉俊さん。「オモシロイ!!非常に面白い舞台でしたぁ!!・・・面白いこと以外に何も語ることが無いのが唯一悔やまれる訳だが、それもまぁ面白いから許してしまう」とまで言い切っています。さらに次のように追い打ちです。

いや~まさかの一代記、笑いに隠れてどうでもいいと思われがちな物語も、スッキリ表現しながら意外や意外、重厚な物語が描かれていたりする。
そしてまた、役者が上手いこと上手いこと・・・笑いの採り方が非常に上手い。間と台詞回し・・・笑いの本質と言っても良いだろうこの2つの要素を、全員がしっかりと会得していて、どいつもこいつも面白い・・・もう、お芝居というよりも笑いを誰が一番取れましたか対決の様相。FICTIONの凄さは、脚本より以前にこの役者陣なんだと思う・・・

 「しのぶの演劇レビュー」のしのぶさんは、「デジログからあなろぐ」のレビューを読んで出かけたようです。「開場時間そして開演の瞬間から心をわしづかみにされました」と述べた上で、次のように物語とその魅力を伝えています。

主要登場人物は、同じ日に刑務所を出所した3人の同姓同名の男たち(名字はタナカ)と、刑務所前に住む浮浪者の女(三日月)。シャバの冷たい風に耐え切れなくなって、4人は一緒に山に登って共同生活を始めます。山では小麦を植えてソバを作って生計を立てていくのですが、でも、足踏みが揃っていたのもつかの間、一人のタナカは労働の日々が肌に合わず山を降りていきます。そして数十年の月日が経ち・・・。
 息のあったボケとつっこみ、狙いが定まったキャラクター設定など、こなれた技術で笑いがいっぱい起こっていました。ひっきりなしと言っていいほど。私は笑うというよりは吹き出すって感じでしたね。

 映画「2001年宇宙の旅」のいくつかのシーンや音楽をパクリつつ、隠れモチーフもしっかりストーリーに盛り込んでいるようです。お2人が太鼓判を押すのですから、次回公演が楽しみです。待ちきれない方は、北海道・富良野公演が8月27日-28日に開かれます。演目は同じ「ヌードゥルス」です。飛んで行ってください。


[上演記録]
劇団FICTIONの第26回公演「ヌードゥルス」
新宿THEATER/TOPS(7月26日-31日)

CAST 山下澄人・山田一雄・矢田政伸・井上唯我・荻田忠利・多田明弘・大山 健・福島 恵・大西康雄

STAFF 作・演出◎山下澄人
音響◎高橋秀彰
照明◎別所ちふゆ
舞台監督◎バタヤン
イラスト及び題字◎山下澄人
デザイン◎西山昭彦
モデル◎大谷アミーゴ光弘
企画・製作◎OFFICE FICTION
プロデューサー◎白迫久美子
製作◎原田裕・井上淳

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August 03, 2005

チェルフィッチュ「目的地」ワークインプログレス

 岡田利規が主宰する演劇ユニット「チェルフィッチュ」のワークインプログレス「目的地」が7月24日、横浜BankART Studio NYKで開かれました。滋賀県大津市のびわ湖ホールで8月6日(土)予定の公演に先立つ試演でしょうか。岡田=チェルフィッチュはことし初めに岸田國士戯曲賞を受賞、次代を担う振付家の発掘・育成を目的とする「トヨタ コレオグラフィーアワード」にノミネートされるなど、演劇とダンスの垣根を越える活動で注目されています。以下、強力な書き込みをいくつか紹介します。

 切れ味鋭いダンス批評で知られる「dm_on_web/日記(ダンスとか)」サイトはライブの前半を次のように描写しています。

来月びわ湖ホールで初演される新作からの抜粋。30分ほど。部屋の角の部分を使って客席は二面。ソファが一つ。松村翔子が出てきて「私は今日はセリフないんですけど」というようなことを言って始まる。松村はずっと虚空を見つめるようにしてゆっくり身をよじったりどこかに手をやったりして立っていてとにかくその居方が異様。脇で岩本まりが喋り始める。例によって間接話法ないし伝聞の語りで、右手(ないし両手)が始終、横にいる松村の方へ伸びる。今にも「この人が…」という風にして松村の身体を物語の中に引きずり込みそうだ。そうすれば自ずと松村の身体は虚構の役柄を演じ始めざるを得ないだろう。さらに岩本の身体もその虚構の水準あるいはそれに対するメタレヴェルに安定した位置を得て、ともかくもフィクションの構造が成立するだろう。しかしそうはならない。岩本の手は曖昧に伸びたり引っ込められたりして、松村にタッチするか、やっぱりしないか、という不安定な「行きつ戻りつ」がずっとずっと持続する。この不安定感は実に耐え難いもので、それがなぜこうも耐え難いと感じるのかと自分で不思議に思えてくるほど持続するところに、つまり例えば現実/虚構のような分割を完了したがる気持ちを反省させるに至らしめるところに得難いスリルがあり、そんなわけでチェルフィッチュの舞台を見る時、心拍数は微かだが明らかに上昇する。

 チェルフィッチュのステージで、身体の動きが「不安定感」を醸し出すという指摘はうなずけます。「実に耐え難い」のは、その「不安定感」が微妙に揺れながらも、ぼくらの日常的な閾値を超えて持続するからではないでしょうか。「心拍数は微かだが明らかに上昇する」という記述はその意味で率直かつ正確だと思いました。

 「ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」の曽田修司さんは、チェルフィッチュのステージでジャンルやみる側の変容について次のように書き記しています。

上演時間30分ほどのワーク・イン・プログレスにこんなにも大勢の観客(若い人が多い)が来たこと、終演後のトークで岡田氏の言葉に観客がどっと沸くほどつくる側と観る側の距離が近いこと、上演が終わったあと、「目的地」を見に来た観客の多くが、同じBankART Studio NYKで行われたアート系グループ「グラインダーマン」のパフォーマンスを観にそのまま流れる、という状況が出現したこと、などなど、この日起こったすべてのことが、私には非常に興味深い。 こういうのって、少し前までは想像もしなかったような事態(ジャンル間の区別だけでなく、作る側と見る側との関係性が変容し、両者の区別が流動的になってきている)が、いとも簡単に起こっている、ということではないだろうか。

 そう述べた後、ことし7月始めに開かれた「トヨタコレオグラフィーアワード2005」選考結果に関して「中西理の大阪日記」にふれているのはさすがだと思います。
 中西さんの考察は、この賞の選考基準は一貫しているのではないかとした上で、振付として自立的に評価できる「普遍性」と、「いまここに」を表現する「現代性」の二種類の要素を指摘しています。トヨタコレオグラフィーアワードの選考問題は取り上げようとしながら、延び延びになっていました。折を見てまとめてみたいと思います。

 さてチェルフィッチュですが、舞台に出演したこともある「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」サイトのqueequegさんが長文の「感想」を載せています。注釈を含めると約8000字。別のページに書かれたコメントへの返信も入れると、超長文です。「台詞と身振りの分離・独立」と「字幕」について、自分が参加したときの稽古でどのように演出されたかなどの体験を交えながら、具体的に述べています。

 びわ湖ホールでの公演は8月6日の1日限り。また書き込みを紹介したいと思っています。(8月16日に掲載しました)

追記(8月16日)
 ワークインプログレスについて、劇作家の宮沢章夫さんが自分のブログ「富士日記2」(7月24日付け)で言及しています。チェルフィッチュは初体験だと断りながら、「超リアル」な日本語は、「きわめて計算された不自然な『せりふ』」で、「その言葉が持つ『特別な強度』を借りつつ、うまく計算されて書かれている」「『リアル』をもうひとひねりしたからだの動きも相俟って、きわめて精緻に造形された人物が出現しており、なるほどと思った」などと強い印象を受けたようです。

[上演記録]
BankART Cafe Live Series vol.1
チェルフィッチュ「目的地」ワークインプログレス
7月24日(日)
 作・演出:岡田利規
 出演:岩本えり、下西啓正、松村翔子、山縣太一

[参考]
・びわ湖ホール 夏のフェスティバル2005
(表示画面を2ページ分下方に移動すると表示)

・トヨタ コレオグラフィーアワード2005 (世田谷パブリックシアタートヨタ自動車

・ 岡田利規インタビュー 「自分にフィットした方法で いま を記録したい
(聞き手: 柳澤 望)

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August 01, 2005

MIKUNI YANAIHARA Project「3 年2 組」

 会場となった吉祥寺シアターのWebサイトによると、「ダンスや演劇の枠組みを超えた舞台作品のこけら落とし公演」。パフォーミング・アートカンパニー『ニブロール』の主宰であり、振付家として共同制作してきた矢内原美邦が、個人プロジェクトとして「MIKUNI YANAIHARA Project」を始め、ダンスや演劇という枠組みを超えて一人の演出家としての色をより濃く反映させた新たな舞台作品、とのことでした。
 「しのぶの演劇レビュー」は「セリフが有るダンスだし、ダンスが有る演劇でした。『ダンスや演劇の枠組みを超えた舞台作品』というのに納得です。ニブロールが初見だということを別にしても、私が今までに観たことのない種類の作品だったように思います」と述べ、「演劇好きの私には少々とっつきにくいこともあったのですが、ラストには感動していました。あぁ~・・・なんか、いい意味でプチ・ショック。凄い人がいるもんですね」と矢内原パフォーマンス初体験の感想を語っています。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんも、ステージの「圧縮」される言葉とエネルギーに圧倒されたようです。

90分の作品でしたが、肉体と台詞の濃密さといったら3時間分ぐらいのお芝居の内容を90分に圧縮されているのではないかという感じです。あの台詞量を覚えているというのが凄い、意味の繋がりが希薄で会話の体をとらないそれ・・・倍速で吐き出される言葉・・・演者の力量に敬意、そして数多くいる役者が如何にその場所に甘えているかということが頭をよぎる。 動かし続けられる肉体による身体表現、そして捲くし立てられるように語られる言葉・・・この怒涛の表現に身を委ねて、その空気に漂うだけで、不思議と感動できてしまうのです。

 ダンスをみてきた人にとって、演劇サイドの感じ方とはややニュアンスが違っているようです。ニブロールの活動もフォローしてきたと思われる「Sato Site on the Web Side」はやや冷めているようです。

猛烈なスピードとパワーで押しまくるダンサー達を見ていながら、このスピードとパワーに体が巻き込まれせき立てられ、いても立ってもいられなくなって体中で泣いてしまう、などということは、なかった。冷静に見ていられるのだ。それは多分、一定のパワー、一定のスピードにあらゆるダンサーがせき立てられていたことによるのではないか、と考え、だとすれば、あのとき見ていた舞台はまるでビデオの早送りのようだったと、今にして思う。(略)ここにあるマッシヴなエネルギーに感動してしまう自分を否定できない反面、その感動の割合の小さいことがむしろ気になった…

【追記】2005.08.056
 ニブロールの矢内原美邦によるプロデュース公演「3年2組」に関して、「中西理の大阪日記」サイトが鋭い指摘をしています。身体と言葉の関係が取り上げられる舞台がこれから多くなりそうですが、中西さんの指摘はこの問題を考えるひとつの勘所をとらえているように思われます。>>

[上演記録]
MIKUNI YANAIHARA Project Part1「3 年2 組
吉祥寺シアター(7月15日-18日)

作・演出・振付 : 矢内原美邦
映像 : 高橋啓祐
音楽 : スカンク(MEXI)
衣装 : 広野裕子
出演 : 足立智充、稲毛礼子、上村聡、鈴木将一郎、関寛之、渕野修平、三坂知絵子、矢沢誠、山本圭祐

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July 30, 2005

「LAST SHOW ラストショウ」(作・演出 長塚圭史)

 東京・渋谷のパルコ劇場が昨年の「ピローマン」に続いて阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史を起用。今回(「LAST SHOW ラストショウ」)は演出だけでなく、風間杜夫、永作博美、古田新太らの俳優陣を迎えて書き下ろす新作舞台を企画・制作しました(7月1日-24日)。長塚は昨年「第4回朝日舞台芸術賞」「第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞」をダブル受賞し、いま脂の乗っている時期らしく、期待に違わぬ作品だったようです。

 パルコのWebサイトによると、物語はTVディレクターの石川琢哉(北村有起哉)が名子役として一世を風靡し、いまは夫を支えるタレン美弥子(永作博美)と幸せな新婚生活を送るところから始まります。そこに突然、長らく行方不明だった琢哉の父・勝哉(風間杜夫)が訪れ、予測のつかない行動で少しずつ美弥子に接近していく…。琢哉が取り組むドキュメンタリー番組の主役、動物愛護家の渡部トオル(古田新太)がそこに絡んだりして、愛情と刺激に飢えた大人たちの恐ろしい喜劇が幕を開ける、とのことでした。

 「踊る芝居好きのダメ人間日記」サイトの「あおし」さんは、「敬愛する長塚圭史の新作です。ひと言で例えるなら感情のジェットコースター。いやもう、振れ幅大き過ぎです」とした上で、「ある時は想像を絶するほどの戦慄ホラー作品、ある時はカルト的な猟奇作品、そして愛と感動のファンタジー作品、そんな多彩な表情を持った作品です。(略)恐がって、笑って、そして泣いて、全くもって長塚圭史という才能に感情を弄ばれた気がします」と賛嘆していました。
 「Somethig So Right」のBlankPaperさんも「期待にたがわず、すごかった。衝撃的な内容ではあるが、作中のいくつかの出来事が、いかにも荒唐無稽で、かえってコミカルで現実離れしているため、深刻になりすぎないし、死・消滅というかたちであれ、救いが用意されているため、心に食い込んで消えないが、後味が悪過ぎることもない」「長塚圭史は今絶好調だと感じさせるに足る、非常に印象的な作品」と書き留めています。

 役者もすばらしかったようです。
「古田さんは緩急自由自在で相変わらずの上手さです.社会道徳を平然と超えてしまう狂気を愛嬌をもって演じられる人です.でもって啖呵切ると身震いするほどかっこいい」(「mamiの観劇覚書」)
「永作博美、全ての出来事のきっかけである女性を可愛らしく演じてた.童顔で細くて一見いたいけだけど絶対に負けない芯の強さを感じるので、今回のような巻き込まれ被害者をやっても痛々しくならない」(同上)
「父親役の風間杜夫が予想以上の怪演です。最初は殴ったり刃物で脅したりしつつもなんか優しい部分もあるのですが、途中で取材対象者役の古田新太にそそのかされたあたりからどんどん狂っていき、最後で気がつくまでの流れが素晴らしい」(「某日観劇録」)

 舞台の背景に「放射性廃棄物処理場」か「原発」らしい施設が見えていたそうです。「Somethig So Right」は「この廃棄物処理場の近くという設定が、全体のストーリーに終末的な影を与えるとともに、背景として大きな意味を持っているのではないか」として次のように指摘します。

廃棄物処理場の放射能が、そもそもこれらの人物、特に動物愛護家のアブノーマルな習性を生み出したとも考えられないか。やはり最終部に近く、爆発音が起こり、廃棄物処理場の事故が暗示される。放射能が漏れ、この登場人物たちは(すでに死を選んだ者もいるが)遅かれ早かれ死に絶えるのであり、犯罪者や事件の関係者として重い生涯を生きていく者はいないのだ。その意味で作者は全てを消滅させる設定を与えており、自分にはそれがなんとも優しく思えた。様々な意味で用意周到である。

 「某日観劇録」も同じ背景を目にとめながら、また別の解釈を複数予測しています。

今回の芝居ですぐそばに建てられている原発の問題が借景というか、扱われています。最後の場面で何が起こったのか確認しようとしてテレビをつけ、だけどそれをすぐに消してしまう。これを私は、北村有起哉の設定とあわせて、遠くの他人事より自分の身近のほうが大変だから、まずはそっちに集中しろよ、という意図に解釈しました。だけど、すぐそばで大きな問題が起こっているのにそこに目を向けない、という意図にも取れますし、向ける余裕のない人が今はたくさんいる、という意図にもとれます。演出家の意見を聞きたいところです。

 この「借景」の見方が分かれても、作品や俳優たちの演技を評価する点では足並みがそろっています。長塚人気が高い理由が想像できますね。


[上演記録]
LAST SHOW -ラストショウ-
作・演出 長塚圭史
出演 風間杜夫、永作博美、北村有起哉、中山祐一朗、市川しんぺー、古田新太

東京公演
PARCO劇場(7月1日-24日)
大阪公演
梅田芸術劇場 シアタードラマシティ(7月28日-31日)

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July 29, 2005

「キレイ-神様と待ち合わせした女」(作・演出:松尾スズキ)

 Bunkamuraシアターコクーン公演「キレイ-神様と待ち合わせした女」(作・演出:松尾スズキ、東京公演7月6日-30日、大阪公演8月7日-12日)はなかなかの評判です。2000年6月、松尾スズキがシアターコクーンに初進出し本格的ミュージカルに挑戦した「キレイ」の5年ぶりの再演です。

 「しのぶの演劇レビュー」サイトは、会場で販売されているパンフレットを引用する形で、次のようなあらすじを紹介しています。

三つの国に分かれ、100年もの間、民族紛争が続く“もう一つの日本”。民族解放軍を名乗るグループに誘拐され、監禁されていた少女(鈴木蘭々)が、10年ぶりに地上へ逃げ出す。過去を忘れた少女は自らケガレと名乗り、戦場でたくましう生きるカネコ一家に加わる。カネコ一家はダイズでできているダイズ兵の死体回収業で生計を立てていた。回収されたダイズ兵は、食用として加工される。その頂点に立つダイダイ食品の社長令嬢(秋山菜津子)と奇妙な友情で結ばれていくケガレ。戦場をうろつき、死体を拾って小銭を稼ぐ、そんな健気なケガレを見守るのは、成人したケガレ=ミサ(高岡早紀)だった。時空を超えて交感するケガレとミサ。しかし、二人は、もう一つの視線におびえ始める。それは一体、何者なのか。過去、現在、未来の時間が交錯する中、ケガレは、忘れたはずの忌まわしい過去と対決してゆくことになる。

 主役のケガレ役に予定された酒井若菜が体調不良で降板し、代わって鈴木蘭々が出演。ミサ(成人したケガレ)には今夏公開される松尾監督の短編映画「夜の舌先」主演の高岡早紀。スズメバチに脳を刺されバカになったハリコナには、昨年「透明人間の蒸気」(野田秀樹作・演出)で主演した阿部サダヲ。成人したハリコナには松尾作品初登場の岡本健一。ほかにも劇団☆新感線の橋本じゅん、「悪霊」以来の松尾作品となる大浦龍宇一、初演から引き続き松尾が全幅の信頼を置く秋山菜津子、片桐はいり。脚本家だけでなく今年は監督デビューも果たした宮藤官九郎ら大人計画メンバーも多数出演しているようです。

 劇団アロッタファジャイナ主宰のマツガエさんが綴る「正しくも松枝日記」は初演もみているようですが、この再演にさらに強い感銘を受けているようです。

すばらしー舞台でした。
つーか濃すぎ。
つーか詰めすぎ。
歌、踊り、そして地のストーリー部分・・・
5年前よりエンターテイメントアップしている役者たちの演技・・・
かなりのテンコ盛りで、ものすごい集中力発揮で見た僕ははっきり言って、昨日、家帰って死にました。
とくに後半、夢と現実が交差するというか朦朧とする部分は僕もマジ朦朧として・・。 (略)
初演見ているくせにこんなに深い話だっけみたいな
別の話、見ているみたいな、そんな気になりました。

 「Somethig So Right」の BlankPaper さんも「長くて最後まで集中して見続けるとかなり疲れるが、自分としては大満足の舞台であった」「エンターテイメントでありながら、心の深層をえぐっていくような松尾ワールドの集大成的大作である」と述べています。

 初演と比べてやや違った見方をする人もいるようです。「某日観劇録」の六角形さんは「『キレイ』初演が松尾スズキ作品初見でした。面白さは今でも印象に残っていたので期待度が高すぎたこともあると思います。十分楽しかったのですが、大満足までは到りませんでした。初演の印象が強すぎて」と書き留めています。

 ほかに「Review-lution! on-line」の横田宇雄さん、「mamiの観劇覚書」のfurupandaさん、「エンタメに生きる。」サイト、「小春日和」サイトのshimadora さんらがレビューを掲載し、俳優の演技などにふれています。

 シアターコクーンのWebサイトには、作・演出の松尾スズキの短いインタビューと舞台の抜粋(4分20秒余り)が動画で載っています。関心のある方はご覧ください。


[上演記録]
Bunkamuraシアターコクーン公演「キレイ-神様と待ち合わせした女
上演時間: 1幕: 1時間35分 休憩: 15分 2幕: 1時間40分
合計: 3時間30分 強
会場: Bunkamuraシアターコクーン
公演日程:2005年7月6日-30日

Cast
ケガレ 鈴木蘭々
ミサ 高岡早紀
ハリコナA 阿部サダヲ
カネコキネコ 片桐はいり
ダイズ丸 橋本じゅん
マジシャン 宮藤官九郎
ジュッテン 大浦龍宇一
カネコジョージ 松尾スズキ
ダイダイカスミ 秋山菜津子
ハリコナB 岡本健一
ほか

Staff
作・演出 松尾スズキ
音楽 伊藤ヨタロウ
美術 高野華生瑠
照明 大島祐夫
衣裳 戸田京子
音響 山岸和郎
映像 上田大樹
振付 康本雅子
ヘアメイク 大和田一美
演出助手 大堀光威
舞台監督 青木義博

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July 28, 2005

グリング「カリフォルニア」


 このところ「グリング」の評価が高まってきました。公演ごとに注目度を増し、今回の第11回公演「カリフォルニア」(7月12日-18日、新宿THEATER/TOPS)も期待を裏切らない出来栄えだったようです。

 「某日観劇録」の「六角形」さんは、状況設定を次のようにまとめています。

マンションの一室で整体院を営む夫と、マンガの同人を趣味とする妻。昔のとある事件がもとで、妻はあまり具合がよくない。マンションの住人の利用もあってそれなりに繁盛している整体院に、妻の同人の友人が、足を怪我した兄を連れてくるところから話は始まる。
 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「順当な会話劇、2時間という上演時間があっというまに過ぎた公演は久しぶりである。役者や脚本、まさに良質」と褒め、「しのぶの演劇レビュー」も「チラシを見たとしてもお芝居の詳しい内容はよくわからない状態で観劇することになります。いい意味で裏切られました。「えええええっっ!」とびっくりして息を呑み、そして、甘くて苦い恋の秘め事をドキドキしながら覗き見させていただきました」とある意味で芝居の醍醐味を楽しんだようです。

 「休むに似たり。」サイトのかわひらさんも「基本は二人か三人の会話。それぞれの会話からの断片、伝播していく断片、やがて事実や事実でないことの確信を紡ぎだしてしまう緊張感」「女二人、昔のこと今の想いの緊張は心拍が上がっていく実感。これが芝居の芯なのだと思いますが、女三人の居心地の悪い会話も巧いなあ」と舌を巻いていました。

 グリングの芝居は大人向き。以前第7回公演「ヒトガタ」をみて、「直木賞向き」と書いたことがあります。一筋縄でいかない暮らしのひだをわきまえつつ、それでも動いてしまう切ない性(さが)を描く台本、それを定着する練達の俳優陣。その基本形は変わっていないようです。

[上演記録]
 グリングのWebサイトにもTHEATER/TOPSの公演ページにも、7月28日現在、上演記録が見あたりません。閲覧可能になったら、掲載します。

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July 27, 2005

ケイタケイ'Sムービングアース「ライトpart4“ジグソーパズル”」「ランチ」

 東京のdie pratze を舞台にした「ダンスが見たい!7」は今年「批評家推薦シリーズ」を始めました。多くのフェスティバルではなぜその団体が参加したのか不明な場合が少なくないけれど、この方式は選出の理由やダンスの特長が、推薦者によって明らかになるがありがたい。ケイタケイを推薦した舞踊評論家の山野博大さんは「オックスフォードの舞踊事典には、伊藤道郎、森下洋子、土方巽、天児牛大、吉田都と並んでケイタケイの名前が載っている。日本人舞踊家の名前が外国の舞踊事典に載ることはほとんどないのだから、彼女に対する海外での評価が高いことが、これでわかると思う。(略)1967年にニューヨークに渡り、苦労の末にムービングアースを主宰するまでになった。彼女の『ライト』シリーズの評価は高い」と書いています。

 公演はライトシリーズの1作と近作の2本立て。最初のライトシリーズは 「part4 ジグソーパズル」。ケイタケイがポリウレタン製と思われる白板の破片を文字通り、床に敷き詰めていく。数人のダンサーは次第に踊るスペースが狭くなり、あちこち揺れ動くように追い込まれ、最後にステージから出されてしまいます。始まるとすぐに、結末は見えていますが、パズルの並べ方とダンサーの揺れ具合の微妙な関係が、踊りの稜線を描くことになります。自明な結末はさておき、その「微妙」のプロセスに付き合うことができるかどうかによって、集中が持続するか弛緩するかの分かれ道になりそうな気がします。
 「白鳥のめがね」サイトのyanoz さんは、「白い切片を床にしきつめていくプロセスが作品の軸になっている」とした上で、次のように指摘しています。

ダンスは、読み取られるべき形をプロセスに与えるための媒体となっているかのようだ。どのように解釈するかは別にしても、何かの寓意がいかようにも読み取れるようなドラマの原型をなすようなものが、作品の構造に織り込まれているのだとおもう。だが、プロセスそのものが身体の状態を変えるということはない。作品としての展開と身体運動は、どこまでも並行関係を保ち続けるかのようだ。 そこにケイタケイの作品の限界があるとも言えるのかもしれないけれど、それはそれで、舞台作品としてゆるぎなく構成されているとも言える。

 後半の「ランチ」は、夫(あるいは父親)らしき男性と妻と娘らしい女性2人、それに猫の仕草を軽やかに演じるウエイターが登場。レストランのテーブルを囲んでステージが始まります。宝飾類を皿に載せ、ナイフやフォークで突き回す男、テーブルをナイフとフォークで切ろうとしたり、皿ごとテーブルにこすりつける女たち。ぎこちないが故にユーモラス。そんな動作に思わず頬が緩みかけると、男が女たちに向かって、ブラジャーの紐がはみ出しているなどと文句を言います。一瞬氷付く空気。やがて床にまき散らされた貝殻を拾い、奴さんのようなスタイルで女たちが踊ります。男はときにいすを持ち運びながら踊りに巻き込まれ、軽やかな時間を共有したようにみえます。やがて再びテーブルを囲んだとき、食卓には和やかな時間が流れます-。

 こちらも、作品の出口が明確だとの印象を与えます。しっかり構成され、コンセプトは明晰。身体の動線も突発的衝動的なところはみられず、あらかじめ描かれた了解ポイントを静かに美しくたどっていくように思えます。
 ケイタケイは1967年ニューヨークに渡りジュリアード音楽院舞踊科に留学。学生時代よりケイタケイ'Sムービングアースを学生仲間と結成、アメリカ、ヨーロッパでの公演活動が高い評価を得ていたそうです(Muse company サイト)。60年代アメリカのモダンダンス活動の中から生まれた、きわめて独創的なダンスであることは間違いないでしょう。古典的なたたずまいを感じたのはそのせいかもしれません。

[上演記録]
■ ケイタケイ'Sムービングアース
「ライトpart4“ジクゾーパズル”」「ランチ」
麻布die pratze(7月21日-22日

作構成=ケイタケイ
出演=石田知生 岩崎倫夫 木室陽一 大塚麻紀 西巻直人 ケイタケイ 岩崎倫夫 石田知生 大塚麻紀 西巻直人

照明/清水義幸
音響/越川徹郎
舞台監督/河内連太
衣装/ケイタケイ
協力/早田洋子 原口理

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July 26, 2005

ひょっとこ乱舞「旅がはてしない」

 演劇集団「ひょっとこ乱舞」の第12回公演「旅がはてしない」(作・演出 広田淳一)が東京・王子小劇場で開かれました。広田さんは今年2月に開かれた日本演出者協会主催「若手演出家コンクール2004」で最優秀賞を受賞した期待の若手演出家です。

 「タマヤマ」さんが「ひょっとこ乱舞」のWebサイトに書き込んで、「わたしがひょっとこを書いてる広田という作家が好きなのはウソツキだからです。いまどきこんなステキなウソついてくれる作家少なくて」(07/21-03:43)と最上級の褒め言葉を並べています。続いて次のようにその理由を挙げます。

その突拍子もないウソにつきあう気にさせてくれるのは、  ・パワーバランスの変化  ・新しい事件 に関するセリフが間断なく出てくるってこと。そして役者、演出がそれをこなせているからだと思います。
と述べています。本人が名乗っているように、本当に「劇場の職員」のタマヤマさんなら、ほとんど毎夜、小劇場を回ってひたすら芝居を見ている目利きですので、有力な意見かもしれません。

 小劇場通いなら負けず劣らずの「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんの評価はかなり厳しいものがあります。

大勢の役者で行われる乱舞も大変綺麗で、この人たちは役者なのか?パフォーマーなのか?と疑いたくなる程の完成度」としながらも、「分裂したエピソードを寄せ集め的に組み合わせて、生とか死のメタファーを小さな要素に還元してしまう。希望だの記憶だの・・・哲学的な問題を身近な人間の関係性とか手近な道とか音楽とかいった要素だけからこじつけのように説明してしまう・・・実質としては解決になっていなくても、手近な答えに納得してしまって満足できる。まさに、ポストモダン的な物語・・・表層を撫でる言葉の羅列・・・今回はまだその羅列から立ち上がってくる情景が見えず。脚本が面白ければ・・・と悔やまれる舞台。

と述べています。

 「えんげきのページ」の「1行レビュー」では「本がよく出来ている。設定と台詞まわしに引き込まれる。 (camel) 」と4星を進呈している人もいるので、みかたはさまざまなのかもしれません。次回は私もみてみたいと思います。

[上演記録]
ひょっとこ乱舞第12回公演「旅がはてしない」
作・演出 広田淳一
2005年7月14日[木]~19日[火]
王子小劇場 >>劇場アクセス

【出演】
伊東沙保 笠木真人 金子優子 加茂みかん 草野たかこ 齋藤陽介
酒井彩子 高橋恵 瀧澤崇 チョウソンハ 中村早香 橋本仁 林隆紀 堀内隼人
広田淳一

【スタッフ】
舞台監督・舞台美術…竹内五十六 
舞台…高岸れおな
宣伝美術・ web …内藤真代
音響…角張正雄( SoundCube )
照明…三浦あさ子(賽【 sai 】)
衣装…林莉江 
   …鴨川亜美
ヘアメイク…入江佐伊子
制作…ツカネアヤ 日下田岳史 清水建志 写楽 
協力…大倉英揮
提携…王子小劇場

(財)東京都

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July 25, 2005

三条会・関美能留「演劇にはまだやれることがいっぱいある」

 特別企画インタビューランド」第2回は、千葉を本拠に活動する三条会の主宰者であり、全作品の演出を手掛ける関美能留さんです(「演劇にはまだやれることがいっぱいある」)。2001年の利賀演出家コンクールで最優秀賞に輝いて脚光を浴びてから、関さんが作り出す舞台は内外で高い評価を得てきました。昨年(2004年)BeSeTo演劇祭のフィナーレを飾った「ひかりごけ」公演は圧倒的な熱気と拍手に包まれ、今年の「 Shizuoka 春の芸術祭 2005 」で上演されたギリシャ悲劇 「メディア」 も斬新な演出で話題となりました。このロングインタビューでは、近現代や古典作品を取り上げ、俳優の身体を通して「いま」との「遠近と共鳴」を舞台化する、注目の「演出」に迫ります。聞き手は、三条会の舞台にいち早く注目、評価してきた松本和也さんです。 2時間余りの遣り取りを全10ページにわたって掲載しました。ぜひご一読ください。>>

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July 22, 2005

時間堂「月輝きながら太陽の照る」

 数多くの芝居を見続けていると、出だしの10分か15分くらいで結末の予測が付く場合があります。逆に最後の最後まで作者に翻弄されるときも。青年団リンク・高山植物園の高山さなえさんの台本は今回、逆転に次ぐ逆転といった、スリラー映画顔負けのストーリーだったようです。時間堂12回公演とカフェ「月輝きながら太陽の照る」(作・高山さなえ、演出・黒澤世莉)7月7日-17日、渋谷 LE DECO1 で。

 披露宴が終わった結婚式場の控え室。これから着替えて二次会に顔を出す手はずなのに、新婦がドレスを脱がないと言って、いっこうに腰を上げません。足止めを食らう関係者。やがて…。「しのぶの演劇レビュー」は以下、次のように記しています。

上演時間は1時間強でしたが、最初の45分はつらかったです。(略)そして45分経った頃に衝撃の事実が明かされます。目が点になりました。そこから15分強は、それまでに描かれていた世界がバタバタと裏に表にひっくり返り続ける、きりもみ状態に陥った飛行機のような展開。・・・恐ろしい脚本でした。  男と女という全く違う生き物の係わり合い(歴史)、そしてこれからも延々と続く“生存”をめぐる戦いを描いていました。

 「休むに似たり。」サイトのかわひ_さんは「高山さなえという作家の話は、汚いわけではないのだけど、どこか気持ち悪さを持ってる」と言っているのですが、このあとの筋書きが分からないとちょっと理解に苦しむかもしれませんね。詳細は「しのぶの演劇レビュー」の末尾に書かれています。

 高山さんは海外留学でしばらく活動休止と聞きましたが(「Nのおしごと」)、7月8日のアフタートークに出演したそうです(「五十川藍子の道楽日記」)。これから出かけるのでしょうか。


[上演記録]
時間堂12回公演とカフェ「月輝きながら太陽の照る
http://www.seriseri.com/jikando/
7月7日-17日、渋谷 LE DECO1

作・高山さなえ、演出・黒澤世莉
●出演
稲村裕子 川根有子  キムラマナコ 福島千陽  両角葉
久米靖馬(クロカミショウネン18/UNITレンカノ) 小林タクシー(ZOKKY) 根津茂尚

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July 17, 2005

劇団あおきりみかん「ホップ・ストップ・バスストップ」(東京公演)

 名古屋を本拠とする劇団あおきりみかん「ホップ・ストップ・バスストップ」の東京公演が新宿のシアターモリエールで開かれました(7月9日-10日)。名古屋公演の模様は先に紹介しましたが、東京公演も内容はほぼ同じだったようです。開幕するといきなり、バス待ちの長い列が舞台いっぱいに延びています。その列に並んだ人たちがバス停ごと、男女2人に乗っ取られます。いわゆる「バス停ジャック」の始まりです。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「基本的にテンション芝居・・・私、芝居してますよ!っていう空気が体や台詞からブワ~って放たれてくるのでは、私は冷めてしまったりしてしまうのですが、客席の笑いの大きいこと大きいこと・・・お客さんが笑いたくなるのも十分理解できる・・・だって面白いから」と要約しています。また「「敏腕Pの日々のつぶやき」サイトのtakahashi_pさんは「台本には多くの破綻があるものの、それすら魅力に感じるほどの“役者熱”が魅力で」「とにかくやってる面々が楽しそうだし、弁護士役(竹之内豊似?)やパー人役など、個々の力量が高かったので安定感がありました」と評価しています。

 よく動く身体と過剰な身振りや発声、あり得ない状況設定と意表を突く行動があいまって、舞台に笑いをまき散らします。これぞ小劇場のエンターテインメント、こってりしたシチュエーションコメディーという舞台に見えました。
 終演後、ほぼ満員のお客さんがなかな席を離れません。一斉に感想文を書き込んでいるのです。劇団の熱意が客席に通じた瞬間だったのではないでしょうか。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

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July 14, 2005

劇団桃唄309「ブラジャー」

 劇団桃唄309「ブラジャー」公演が、オープンしたばかりの東京・吉祥寺シアターで開かれました(7月7日-11日)。桃唄はこのところ「多数のシーンを暗転などを全く用いずに間断なくつなげることで、人物像や人間関係、社会状況や歴史的背景などを俯瞰してみせる手法が中心」(劇団Webサイト)の舞台を提供してきたようです。この手法は今回も踏襲され、取り上げた題材はタイトル通り「ブラジャー」です。

 舞台上にセットらしきものはほぼ皆無。正面奥に、役者を乗せて移動する2メータ四方のキャスターがあるだけです。ステージは照明で正方形に縁取りされ、内側で役者が演じ、薄暗い外側は衣装や小道具の準備をしたり座って待機したりというオフ空間として処理されます。「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんはこの辺りを「舞台というリングに出たり入ったり・・・表現空間へと入り込むその瞬間の役者の変貌が面白かったりします。なんか・・・芝居というよりは、祭事のように見えなくも無い」と書き留めています。ブラジャーの歴史をさまざまなエピソードを交え、登場人物がさまざまに出入りする群像(+ミシン)劇として構成します。終演後には「祭事」ということばが不思議に記憶に残ります。

 作・演出の長谷基弘さんによると、ブラジャーは近代ヨーロッパで「再発明」され、身体を締め付けるコルセットを瞬く間に駆逐。この芝居は当時誕生した中産階級、女性労働、そしてミシンや化学繊維、ファッション意識の転換など社会の変遷をからめ、そいうブラジャー史をエンターテイメントとして描こうとしているそうです。
 スッピンのステージで、ミシンとボビン(糸巻き)の誕生、活躍から、やがて廃用品として忘れられ、その後手作りブラジャー製作用にさび付いた個所を整備し直して再登場。最後に寿命が尽きてこと切れるまでが狂言回しというより、物語の縦糸として織り込まれています。ですから、ミシンとボビンの幸せな(としか言いようのない)一生を葬送=言祝ぐ時間と空間とみなせばなるほど、「祭事」にふさわしい舞台なのかもしれません。

 冒頭、舞台上手奥から、ブラジャーの幟を立てた一行十数人がマント姿でトランクなどを携え、一列になって登場します。アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」の冒頭シーンかと一瞬戸惑いましたが、映画のような現代史の濃い影が差しているようにはみえません。一行はぐるりとステージを回り、やがてばらけて、照明外のオフ空間に散らばります。
 そこから1時間40分余り、ミシンの豆知識から大勢の人物の出し入れ、開発、製造、販売のエピソードや過去と現在の組み合わせなど、めまぐるしいほど場面は切り替わります。しかし混乱することはなく、むしろ整然といっていいほど鮮やかで確かな手並み。歌も交えて「ブラジャー史をエンターテイメントとして描こう」という熟達した技を見せてもらった気分です。

 劇団Webサイトには書き込み可能な 「ブラジャー」専用サイト [BraWiki] を開設。公演ページで大人も子供の楽しめる芝居だと告知しています。

お子様とご一緒にどうぞ!
この劇には過度の暴力表現や猥褻表現はありません。お子様連れのお客様も安心してご覧頂けます。

 今回の舞台作りに携わった劇団関係者の考えがストレートに表現されているような気がします。「新鮮で、豊かで、後で思い返すことで何度でも楽しめる体験」を観客に味わってもらおうという劇団の姿勢の表れなのでしょう。終演後の「バックステージ・ツァー」も大変ありがたい企画でした。


[上演記録]
劇団桃唄309ブラジャー
2005年7月7日(木)~11日(月)
吉祥寺シアター

戯曲・演出:長谷基弘
出演:
楠木朝子
森宮なつめ
山口柚香
藤本昌子
橋本健
吉原清司
バビィ
吉田晩秋
佐藤達
貝塚建
ほりすみこ (Website)
生井歩 (劇団レトロノート)
鈴木ゆきを
坂本和彦
北村耕治

スタッフ:
演出助手/小林佐千絵 (劇団レトロノート)
舞台監督/井上義幸(F.F企画)
照明/伊藤馨
照明協力/有限会社アイズ
音響/萩田勝巳
宣伝美術/岡崎伊都子
制作/ウィンドミルオフィス SUI
協力/株式会社ワコール にしすがも創造舎

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July 11, 2005

井手茂太「井手孤独【idesolo】」

 1ヵ月以上も前の公演を取り上げるのは気が引けるのですが、ダンスカンパニー「イデビアン・クルー」を率いる井手茂太によるソロ公演「井手孤独【idesolo】」が世田谷のシアタートラムで行われました。しっかり書かれたレビューを複数、読むことができましたので、そのさわりを遅まきながら紹介したいと思います。

 井手のソロ公演は久しぶりだったようです。「デュカスの日記」サイトの志賀信夫さんは、この辺りの事情を次のように記しています。

井手茂大はイデビアン・クルーを率いる振付家、ダンサーであり、近年「ダンダンブエノ」や松本修のカフカ、白井晃の『ルル』などの芝居でも振付を依頼され活躍している。井手は優れたダンサーなのだが、このところイデビアン・クルーでも踊っていない。数年前の『イケタライク』や林浩平の企画した武蔵大学の詩人とのコラボレーションなど、しっかり踊った姿は近年は数えるほどだった。それがシアタートラムの独舞シリーズという依頼でついに実現したことは、ダンスファンにとっては重要なことだった。

 実際の舞台は「観客席の下半分を切って、平舞台の三方を取り巻くように座布団席と折りたたみ椅子による下の客席を作った。そこでは観客は靴を脱ぐ。舞台にはゴザに近いシートが敷かれ、そこに赤いシートで四角く花道のようなものが作ってある。舞台奥は通常のままで下手にピアノが一台」(「デュカスの日記」)という配置。「nemlog」サイトのkushanさんは「舞台は柔道場の緑の畳を地とし、試合場を示す赤い畳による正方形の枠線を大きく施す、というデザイン(畳はむろんイミテーション)」としています。

 kushanさんは続けて、井手の踊りを次のように書いています。

井出は終始サラリーマン然としたスーツ姿で踊り、演じ、熱唱するのだが、公演の中盤には歌舞伎の女形のカツラを被ったり、ちょうどOLがプラダのバッグを携えるように炊飯器を片手にもち、ファンションモデルのように直線的な歩行を繰り返したりもする。そうすることにより、スーツにネクタイという現代社会版「紋付き袴」「ちょんまげ」のもつ可笑しさを巧く対象化してみせている。
 見る/見られるという視線の方向性と踊る‘自意識’との影響関係をどう捉え、‘身体’がのる振付へといかに還元させるのかという点が、この舞台では演出上の鍵となっていた。畳状の赤い枠線は、もっぱらこの関係性の在りかたがそこを境に変容するような分水嶺の役割を果たしており、突如介入してくる音楽やズレて差し込んでくるスポットライトがこの変化に明瞭な区切りを与えていた。

 志賀さんは導入シーンを微細に描写しています。

無音のなかでスーツ姿にイガグリ頭で裸足の井手が上手の袖からちょっと顔を覗かせる。そして少しずつ歩みそうになって、戻る動き、傾いたまま動きそうな姿勢など、緊張感のある非常にゆっくりした踊りを展開しだす。すると下手手前のスピーカーから割れるようなロックの音。それに吃驚して井手は元の袖に慌てて消える。また恐る恐る登場。またゆっくりとした踊りを繰り広げる。と音楽とともに下手観客席横に布団を持ったオバさんが登場して、布団を叩きながら、「ひっこせ、ひっこせ」と連呼。最近話題になった近隣嫌がらせで逮捕されたオバさんのパロディー。それに驚いて、井手はまた引っ込む。これが繰り返され、黒服の女性がオバさんを連れ去る。この踊りそうで踊らないような導入自体がいい踊り。照明が変わると、井手がスーツのまま頭に日本髪の鬘で目隠しをして、手に炊飯ジャーを持って登場し、足元を探りながら上手奥の赤いラインの角に向こう向きに立って、空手の動き。女性が登場して、井手をこちら向きにする。目隠しを外してジャーを持ったまま赤いラインの上を四角く歩く。そして踊りだす。

 なるほど、なるほど。舞台の様子が目の前に浮かび上がり、手に取るように分かります。それら一連の動きの魅力を次のように伝えます。

井手の動きは基本的に音楽に合わせて腰を動かし、両手を動かしというジャズダンスやディスコダンス的な要素がある。音楽もジャズやラテンムード音楽をよく使う。しかしジャズ、ディスコ、ラテンダンスとはまったく違う。体操選手のウォームアップのような動き、手を使ったギャグ的マイムから倒れ込み、床でごろごろ動く、突然立ちあがって、バレエの回転とジャンプ、また倒れてうごめき、起きて武道的動きやモデルウォーク、ストリップ的腰振りと股間突き出しなど、あらゆるものが混在一体となっている。それが実に自在に動き、かつぽっちゃりとしかし筋肉の詰まった体が行うため、コミカルみも見えながら、それが次第にかっこよく見えてくるから不思議だ。ともかく見ていて楽しいダンス。そしてどこか切ないような気持ちを、ちょっとだけ喚起するところが魅力的だ。

 前半、「俺」と書かれて垂れ幕が下がってくる場面があるようです。「ブロググビグビ」サイトの伊藤亜紗さんは「とちゅうでパッキーンと掛け軸が下り、「俺」の一文字。極太の墨で書かれた「俺」。独舞だとどんなテーマであれ、どうしてもダンサーの内側でおこってるできごと、自意識や、調子や、企てや、上昇、下降、といった微妙に変化しつづける空模様のようなものが舞台上にさらされているのを見る。だけどそれは繊細な「俺」の内面を見ているのではなく、「俺」をいかにけしかけて立たせるかという勝負のようなものを見ているのであって、畳に柔道場のような赤枠が引いてあるのも、そういうふうに見えた」と書き留めています。

 ダンス批評で知られる「Sato Site on the Web Side」の kmr-satoさんもこの公演を取り上げています。「性的なアイデンティティ」にふれた個所はとても印象に残りました。

「炊飯器」を手にあらわれ、踊り出す。これは間違いなく「おかま」だ。それは最後には、猛烈な蒸気を噴き出して舞台を真っ白にする。あと、最後の最後、ひととおり踊って歌った(?!)後、汗かく背中を剥き出しにしてしかし、おもてを見せずに佇んだあたりは、男性ダンサーがしばしばイージーに上半身裸になってしまうことへの静かな抵抗のようでもあり、また丸い背中のセクシーさを訴えるエロティックなシーンともとれた。

 公演が終わった後、井手の演出ノートが配布され、そこに「いまの僕 鏡の中の僕 みられていない僕」と書かれていたようです。「演じ分けられた、三通りの「自分」ということらしい」と前置きして、「陸沈」サイトのtajatさんは次のように指摘しています。

観客は気付かなかっただろうか。舞台上の井手はほとんど、スポットを浴びては居なかった。開演直後、彼は一番明るく照らされた柔道場の真ん中ではなく、奥の薄暗いステージでひたすら踊っていた。赤い正方形がくっきりと照らし出されたときも、井手はライトのもとに入ろうとはせず、その縁を足でなぞって歩くばかりだった。後ろ向きでステップの練習をする井手、椅子に座ってうなだれる井手、柔道着で汗を拭い、窓辺に向かって背伸びをする井手。そんな、ダンスの舞台からはひとつ外れた、“スポットを浴びていない”井手は、正に、「みられていない僕」の表象である。

 ぼくが見た限り、それぞれの方々がソロ公演に引きつけられています。結語を抜き書きしてみます。

「全体的にバランスが良く、後半には破れもきちんとある秀作」(「nemlog」)
「ともかく、本気の一発を見せられたと思って感動しました」(Sato Site)
「シャイでありながら大胆、それが合わさった井手茂大を堪能した舞台だった」(「デュカスの日記」)
「あらゆる意味で一人舞台でしたが、ご本人が陶酔しているようなことは全くなく、計算しつくされた井出ワールドを満喫いたしました」(「しのぶの演劇レビュー」)


[上演記録]
井手孤独【idesolo】
世田谷・シアタートラム(5月26日-29日)


[参考]
・eplusの公演告知ページに、短いデモ映像が掲載されています。いつまでみられるかわかりませんが、なかなか得難い映像ではないでしょうか。
 http://eee.eplus.co.jp/movie/0504/023/
・公演の写真はイデビアン・クルーのWebサイトに公開されています。
 http://www.idevian.com/ja/idesolo.htm

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July 07, 2005

SOMA組「SOMA THE BEST」

 「SOMA」という役者さんの独り芝居。7月5日のたった1日だけの公演「SOMA THE BEST SOMA ひとり芝居傑作選」 が東京・しもきた空間リバティで開かれました。「SOMAひとり芝居ホームページ」によると、SF新作「THE EDGE」の完全版(30分バージョン)「TOKYO LADIES」シリーズの新作小品、本間商事、下山リョウ、藤田亜季作の人気小作品など、こってりまるまる2時間、だったようです。

 「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんがこの公演を取り上げ、「個人的な経歴などは殆ど存じ上げないのだが、凛として底無しに素直な人のように、何となく思える。芝居の技量もさることながら、そんなSOMAさん自身に知らず(知らず)皆惹かれていくのだろう。小劇場演劇に片足を突っ込んでから知ったかぶりしたくて色々な芝居を観てきたが、このSOMA組は唯一、本気でファンになった劇団」と傾倒しています。
 「TOKYO LADIES XIII」は、こんなお話しだそうです。

五人の女性が登場する。引きこもりの一人息子を持つ母親、営業マンのOL、志敗れて不登校になってしまった高校教師、出会い系に登録している女子高生、そして四人が居合わせたハーブティーの美味しい喫茶店に勤める、ウェイトレス。(略)些細なきっかけで話すことになった四人は、やがてお互いの状況を打ち明けるようになる。たまに照明が変わって一人が客席に向かって語ったりして、間延びしないような造りに仕上がっている。
軽妙で、殆ど笑いっぱなしに笑える。なのに文章にしようとして舞台を思い出すと、優しい雰囲気に今更のように気づいて涙が出てきそうだ。

 演出は「早馬瑞陽」さん。SOMAさんご本人のようです。(上演記録を追記しました。2005.7.9)

 [上演記録]
SOMA組「SOMA THE BEST SOMA ひとり芝居傑作選」
しもきた空間リバティ(2005.7.5.)

作:早馬瑞陽・下山 リョウ(Funny Sketch)・本間商事・後藤博之(アトリエフォレスト)・藤田明希
演出:早馬瑞陽
出演:SOMA
演出補:平野小僧
舞台監督:吉川悦子
照明:若林恒美
音響:宮崎裕之
デザイン:胡舟ヒフミ(オーバーワークス)
制作:宙丸千夏・玉水孝子・SOMA組

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July 05, 2005

play unit-fullfull「此処にいるはずのない私」

 「おもしろいことなんでもやりたい集団」を自称するplay unit - fullfullの第11回公演「此処にいるはずのない私」が下北沢OFF・OFFシアターで開かれました(6月22日-26日)。
 「休むに似たり。」サイトのかわひらさんによると、今回は「事件の中での人の気持ちの微かな動きを得意とするフルフルの新作。上京して数年、追いきれない夢を追い続ける女の所に転がり込む人々の話」だそうです。

 劇団のWebサイトによると、あらすじは次の通りです。

上京したての頃、女には夢があった。夢を叶える為、 春のわくわく感と共に新しい生活をスタートさせた。 全てか楽しく希望に満ちた日々だった。 夢に向かった生活は好調な切り出しだ。 だが希望に満ちた日々は、慣れと現実の生活に揉まれて曖昧になってしまった。 気付けば30才、夢も希望もない、ふつうの生活。 『あ、っれ~?こんなだったけ?』 女にイライラと焦りが募る。そんな自分の現状に戸惑い出した頃、田舎の家族が夜逃げして来た。 彼らをかくまい、生活をみる羽目になる。 神経をきりきり心配する女を他所目に、明るく陽気な家族たち。 とてもじゃないけど、借金苦で夜逃げして来た人達には見えない。 家族の呑気さに、女のイライラはピークに達して・・・。 フルフルの、地味で陽気な何の変哲もないお話です。

 「地味で陽気な何の変哲もないお話」を「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「シチュエーションコメディーでも無ければ、人情ものという程の人間模様もない・・・日常に少し毛が生えたくらいの日常、ちょっとサスペンスな日常・・・背伸びした日常を背伸びしない人間が描き出していく」と述べています。そのあと具体的な指摘をいくつかしていますが、それは原サイトでご覧ください。


[上演記録]
play unit - fullfull第11回公演「此処にいるはずのない私」
下北沢OFF・OFFシアター(6月22日-26日)

作・演出 ヒロセエリ
出演 遠藤友美賀 広瀬喜実子 青山貞子 杉木隆幸
野呂彰夫 馬場恒行(KAKUTA) 清水徹也(クロム舎) 新井友香(劇団宝船)

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July 03, 2005

あおきりみかん「ホップ・ストップ・バスストップ」

 名古屋を本拠とする劇団「あおきりみかん」の第13回公演「ホップ・ストップ・バスストップ」が名古屋で開かれました(愛知県立芸術劇場小ホール 6月9日-12日、G/Pit 6月25日-27日)。東京と名古屋を行ったり来たりしている「観劇インプレッション」サイトの#10さんはこの筋書きを「とある田舎のバス停で、一列にならんでバスを待つ人々。しかし定刻を過ぎてもまったくバスの来る気配がない。何が起きたのかといぶかしむ人々だったが、突然思いがけないハプニングが起こる…」と始めています。
 舞台には大勢の役者が出ずっぱりのようです。「10人以上の役者がずっと舞台上にいるのは結構大変なことです。特に会話劇でこういう状況だとセリフのない役者が所在なげになってしまいがちなので、そこを上手にさばいて無駄なく見せていたのは見事でした」と演出を評価していました。

 名古屋の舞台を丹念にみている「観劇の日々」サイトのしおこんぶさんは「バス停喜劇の決定版」として「お勧め度8(10段階)」だそうです。7月9日-10日は東京公演(新宿・シアター・モリエールが予定されています。

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July 02, 2005

THE SHAMPOO HAT「事件」

 THE SHAMPOO HAT公演「事件」が下北沢のザ・スズナリで上演されています(6月28日-7月5日)。この劇団は1996年に旗揚げ。「当初はコント性を重視したシチュエーションコメディー的作品を上演していたが、4作目以降からは、 役者(登場人物)が「歌い上げる」舞台ではなく、人物が「そこに生きて在る」舞台の創造を試みている。以来、作・演出・出演をこなす赤堀雅秋が独自の世界を展開する」(劇団Webサイト)。明示されていませんが、今回は第18回公演のはずです。

 通り魔殺人事件の犯人捜しが縦糸になる芝居のようです。「しのぶの演劇レビュー」サイトは「刑事、医師、患者、スーパーの店員、無職のごろつきなど、小さな町に暮らす庶民」ら登場人物はみな「礼儀知らずで、自己中心的な言動や態度が目立つ」けれども、「それゆえの会話の不成立具合が可笑しさになります。生活感や日常の泥臭さがぷんぷんと匂ってくるリアルな演技で、その人物の感情がビタっと身体に染み付いてきて、まるでその人に触れたような気持ちになりました」と述べています。
 大阪公演(7月21日-24日)も予定されています。
THE SHAMPOO HAT公演「事件」

[上演記録]
THE SHAMPOO HAT「事件」

■作・演出 赤堀雅秋
■出演
日比大介
児玉貴志
多門 勝
野中孝光
福田暢秀
黒田大輔
滝沢 恵
赤堀雅秋

<東京公演>
2005年6月28日(火)~7月5日(火)
会場 ザ・スズナリ
<大阪公演>
2005年7月21日(木)~7月24日(日)
会場 芸術創造館

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July 01, 2005

鳳劇団「昭和元禄桃尻姉妹」

 「昭和元禄桃尻姉妹」公演は、今回が4回目になるようです。昨年が2回。今年2月は鳳劇団の旗揚げ公演でしたから、今回は再演と言っていいのでしょうか。2月公演は「映画やテレビとは異なる『舞台』の面白さ楽しさをより多くの方々に知らせたい」(劇団Webサイト)という狙い通りの舞台でした。今回(6月29日-30日、新宿タイニイアリス)はどうだったでしょうか。

 「おはしょり稽古」サイトがさすがにこの芝居を見逃しません。「二時間足らずの中にいろんなものが、ぎっしりではなくジュクジュクに詰まっている。あたかも熟れて弾けそうな桃のように・・・と気持ち悪い文章になってしまうけど、そういう、ジューシーな話だ」と痺れていました。

 劇団Webサイトによると、昨年(2004年)に続いて、今年11月にも海外公演(韓国・ソウル)が予定され、その前10月11日-12日に、新宿タイニイアリスでまたまた公演が計画されています。見逃した方は秋をお楽しみに。

【参考】前回の公演評は以下の通りです。
・「オジン世代への変貌」(西村博子)
・「変わらない原石」(北嶋孝)

[上演記録]
鳳劇団昭和元禄桃尻姉妹
 新宿タイニイアリス(6月29日-30日)

作・演出:鳳いく太
出演:かぢゅよ&シルサ
照明:(有)未来工房 中本勝之、村上みゆき、朴須徳
音響:鶴岡泰三、鳳いく太 
振付:かぢゅよ、橘左梗
劇中曲「瞬きの都」作曲・演奏:かぢゅよ

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タテヨコ企画「すくすく」

 青年団出身の横田修主宰のタテヨコ企画がいま、都内の幼稚園を舞台に使った公演「すくすく」を上演しています。劇団のWebサイトによると、「1999年2月に横田修(作・演出・美術)と舘智子(俳優)の2人で結成しました。2人の名前から【タテヨコ企画】と命名。リアルな関係性に基づいた舞台表現を信条に、俳優のクセや空間の特性までを取り入れた芝居作りをしている」そうです。奇をてらったわけではなく、むしろ劇団の目指す路線上に今回のシチュエーションが設定されたことが分かります。

 実際の舞台はどうだったのでしょうか。「白鳥のめがね」サイトのyanozさんは「お話としては、幼稚園にこどもを預けている親達がこどもに見せるミュージカルのための練習をしていて、その練習の一日の様子を描くというもの」「そこで、劇中劇的に、その親たちが演じているミュージカルの場面が何度か繰り返し挿入される。(略)このリハーサルシーンの劇中劇は、しかし、地となっている日常場面の演技の中に唐突に織り込まれてゆく。まるで、時間的連続のリアリティを破るように割って入り、躍り出てくる」「何箇所か、このミュージカルシーンを練習日のリハーサルの場面として回収してしまうという処理をしていた。それは、逆に、虚を虚として括弧に入れてしまうようで、虚実が反転するような魅力を殺いでいると思い、惜しまれた」とのべて、幼稚園という現実の場所と舞台との拮抗・緊張関係や、舞台から立ち上る「リアルな関係性」を順々に解説(あるいは解剖)しています。

 公演は7月10日まで。これからまた違った公演評が見つかると思います。そのときは追記で紹介ます。

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June 30, 2005

机上風景「複雑な愛の記録」(追記)

 机上風景の第11回公演「複雑な愛の記録」に関して、24日付レビューを掲載しました。その後、「観劇インプレッション」サイトの「#10」さんが公演評を掲載しているのが分かりました。そこで「特殊能力ゆえに普通ではない感性を持っているはずの主人公だが、その行動はとても率直な感情にもとづいており、なぜか共感できる」「彼女の恋は悲劇で終わるが、ラストシーンは不思議と美しい印象を受けた」と書き留めています。

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June 29, 2005

女体道場「オタンジョウ日警報」

 女体道場第7回公演「オタンジョウ日警報」が高円寺・明石スタジオで開かれました(6月16日-19日)。シリアスなテーマを意外な角度で切り取ってみせる劇団が今回選んだのは「学習障害」でした。

 「休むに似たり。」サイトのはわひらさんは「小さい頃に学習障害と言われた男。成長してもあまり仕事も長続きせず、変態向けグッズショップでバイトの日々。そこに集う人々の姿。一方かつて彼を学習障害と判断した教師は痴漢の疑いで取り調べられて…」とあらすじをまとめています。その上で「この手の話題を取り上げようという勇気と、芝居を観ている最中に、あたしの気持ちの中に起こるさざめきと、重くも、しかし絶望的ではない結末、すっと肩透かしするかのように流す力量、たいしたものだと思う」と評価していました。

 「女子大生カンゲキノススメ」サイトは次のように述べて、舞台のケルンを評価します。

痴漢とか、変態とか、学習障害とか、色々な事柄を扱っているけれど
私がこの芝居から見たのは
「自分の弱さを何かのせいにしないといられない」
そんな何よりも人間らしい人間の姿と
「万人に受け入れて貰える事実には限りがあるという真実」
だった。
それらを見事に描き出している作品であると思う。

 さらに「役者の過剰な演技は気になったものの、そんなものを吹き飛ばしてしまうくらい脚本がよく出来ていた。女体道場という劇団名から観劇を敬遠している人が多いようだが勿体ないと思う。スタンダードな芝居作り、してる」と書き留めています。

 「観劇?飲んだくれ?日記」のnewroadさんは公演を2度みているようです。「人の心のどうしようもない部分をエンターテイメント化して描くのが持ち味」と特長を述べた後「しかし人の心をよくわかってるなあ」と舌を巻いていました。

 【参考】
 中野真希、桶川雅代さん(女体道場)「さわやかに、テンポよい悲劇を 見終わったときが始まり」(2004年8月8日)

[上演記録]記録
女体道場第7回公演「オタンジョウ日警報」
高円寺・明石スタジオ(6月16日-19日)

作・演出: 女体道場

◆役者◆
相沢樽介、がまこ、コシヒカリ、嶋田幸子、めすぶた、内山清人(project サマカトポロジー)浦壁昭一、大門郁子、田中誠、野村直生、服部紘平、パラディ

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June 24, 2005

机上風景「複雑な愛の記録」

 机上風景第11回公演「複雑な愛の記録」が新宿タイニイアリスで開かれました(6月14日-19日)。「リアルな演技、シリアスなエンタテインメント」を標榜している劇団の特質がよく現れた舞台だったようです。

 「休むに似たり。」のかわひらさんは「手紙をただひたすら、電話に向かって読み上げる女、そうなるに至った理由は彼女の自由を奪うが、ふと目にした光景は彼女をとりこに」と舞台の設定を凝縮して表現、「会えない男女の、少し込み入った話は見応えがあります」と感想を書き留めています。
 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんも「主人公の女性を取り巻く物語というか、設定というか・・・に大変引き込まれまして、演じられていたおもちゃさんの雰囲気の良さも相俟って大変お気に入りでした」と褒めていました。その上で劇団の特質を「机上風景の舞台は、リアルを装い、シリアスを道具して、それこそを娯楽として提供するものでありました。リアルとは書いてあるけれども、現実をリアルに描き出していくという訳ではなくて、どちらかというと虚構であり作られた世界をリアルな言語で語っていくという舞台」と要約していました。

 机上風景のWebサイトに作者の高木さんが次のように書いています。

最後まで、いちども顔を合わせない男女の恋愛ものをやってみたかった。ひと言で言ってしまえばそれで終わりなのだが、それはべつに既成の恋愛ものに不満があるとか、自身の恵まれない恋愛体験を投影したいとかいうわけではなく(事実恵まれてないが)、なにごとに対しても不器用な人びとを描いてみたいと思ったからにすぎない。

 会場となった新宿タイニイアリスのwebサイトに、座付き作家の高木登さんのインタビューが掲載されています。その中で高木さんが「『ラブストーリー』という看板に偽りなし、『複雑な愛の記録』というタイトルにも偽りなし。悲劇的な結末かハッピーエンドかは見てのお楽しみ、というところでしょうか」と言っていました。これもリアルな表現だと思います。


(追記 2005.6.30)
 「観劇インプレッション」サイトの「#10」さんは、ストーリーの特質を次のようにまとめています。

 特殊能力ゆえに普通ではない感性を持っているはずの主人公だが、その行動はとても率直な感情にもとづいており、なぜか共感できる。そして彼女は恋をしている、あるいは恋をしているつもりになっている。正常ではないけれど素直な姿勢で愛を伝えようとする。  しかし姿を見ることができても心まで読むことはできない。彼女の恋は悲劇で終わるが、ラストシーンは不思議と美しい印象を受けた。


[上演記録]
机上風景「複雑な愛の記録」
新宿タイニイアリス、6月14日-19日

【作】 高木登
【演出・出演】古川大輔
【出演】平山寛人/おもちゃ/浜恵美/川口華那穂/坂口哲

【舞台監督】 伊丸岡慎
【照明】 千田実
【音響】 堀越竜太郎
【宣伝美術】 佐藤友香
【写真撮影】 イナヤマミツハル
【制作】 又木恭一郎

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June 22, 2005

岩松了「センター街」(追記)

 Critic Line Projectの竹内孝宏さんが「センター街」のレビューをまとめています。先に掲載したレビュー紹介に追加ます。

 この作品を「デビュー作『お茶と説教』(1986年)と最新作『シブヤから遠く離れて』(2004年)のあいだにはさまって」いると指摘した上で、「そこで際立っているのは時系列的な連続性よりもむしろ断絶である」と述べています。初期作品に描かれたのがご近所という近隣関係が成り立つ場だったのに対し、「センター街」ではさまざまな階層が吸いこまれそのままダラダラと居ついてしまう「都市のブラックホール」「場ならざる場」に様変わりしたと言うのです。「これはあきらかに作家の時代認識であり、また80年代末から90年代半ばにかけてこの国が経験した地殻変動の演劇的要約であるといえる」と述べています。

 なるほどこう読解してみると、だらしなく間延びした印象を与えていたいくつかの断片が、ある必然性を持って織り込まれたのだと推測が可能です。

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June 21, 2005

とくお組「マンション男爵」

 慶応義塾演劇研究会出身の「とくお組」第4回公演「マンション男爵」が東京・渋谷の LE DECOで開かれました(6月15日-19日)。昨年のガーディアンガーデン演劇フェスティバルでは残念ながら出場枠から外れましたが、多くの審査員が実力を認める存在でした(「公開審査」参照)。ぼくも予選審査会場にいて、彼らのパフォーマンスに感心した記憶があります。
 明治通りに面したビルの5階。マンションの一室らしいフロアーが会場です。時間ぎりぎりに入場したら、すでに大きなテーブルを囲んで「男爵」たちが席に着いています。すぐにメンバー同士が口論したりして内輪もめの様子でした。

 一段落したところで、片想いに悩む若い男が、会場入り口から入ってきます。恋の成就のために、男爵たちがそれぞれの特技を生かして悩みの原因を特定し、さまざまな手段を駆使して解決策を授けていきます。コンピュータを使って分析するアナリスト(クロコダイル男爵)、恋の相手に他人の名を騙って電話するネゴシエーター(スネーク男爵)、ダンディー気取りで説教を繰り返し、挙げ句の果てに豹柄の服装を強要するホスト(タイガー男爵)、そしてトイレットペーパーで恋の行方をみせようとする占い師(ポテト男爵)はストーリーの節々でボケ役を演じてみせる…。エピソードの割り振りやストーリーの起伏作りなど腕は確かです。

 会場の使い方が変わっていました。テーブルと同じフロアーの3面に客席がセットされ、正面にはスクリーンが張られています。怪しげなデータ解析はここに大写しされるわけです。扉を開けてベランダでケイタイを傍受しようとすると、会場には街の騒音が飛び込んできてなんとなくリアルな感じがします。大詰め近く、恋敵を妨害しつつ、女の子の行動を見張る場面を「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんは「場所いじり」として次のように書いています。

 出演する役者を決めてから台本を書くことを「あて書き」と言うけど、今回のとくお組の公演は劇場版「あて書き」かもしれない。観客と同じドアから相談者は入り、クロコダイル男爵はベランダに通じる扉から外に出て、パソコンで相手の女の子の居場所を特定する。
「いました!」
「どこだ!」
「向かいのスターバックスコーヒーです!」
 この辺のやり取りは学園モノの学生劇団のノリだ。「マンション男爵」のすごい所はこの場所いじりを徹底させて、最後は実際に役者を(道路向かい側にある)スタバまで往復させてしまったところだ。(といっても真意は観客には分からないのだが)

 相談者を助けるつもりでアルバイト先の店長に電話したポテト男爵が、ささいなことでキレて店長と怒鳴り合いを演じたり、ケータイ傍受用のアンテナが鉄製のフライパンだったり、まことしやかな口舌と裏腹に、実際は恋の行方をあらぬ方向にそらす場面作りは会場の笑いを呼んでいました。この辺の呼吸は、好みの人にはこたえられないでしょう。よくできたシチュエーションコメディーと言っていいのではないでしょうか。ポテト男爵を演じた役者の個性が笑いに拍車をかけていました。

 今回の公演はおもしろかったのですが、フォーマルウエアに身を固め、舶来の「男爵」を演じる姿は、やはりどこか窮屈な印象を免れません。昨年のガーディアンガーデン演劇フェスティバルでみせたコント・パフォーマンスは軽快でしゃれていて、みていて気持ちが伸びやかになりました。しゃれたコントを連発して見せた舞台とガチガチに筋書きを固めた舞台と、劇団の才能の幅を見せてもらいましたが、これからどちらの流れに乗っていくのでしょうか。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

[上演記録]
とくお組 第四回公演『マンション男爵』
渋谷 LE DECO(6月15日-19日 )

脚本・演出 徳尾浩司
キャスト 堀田尋史、岡野勇、篠崎友、北川仁、鈴木規史、永塚俊太郎
舞台監督 高山隼佑
舞台美術 山崎愛子・久保大輔・金子隆一・恩地文夫
照明 中島誠
音響 とくお組
映像 岡野勇
制作 飯塚美江・菊池廣平・吉田陽子・佐藤仁美
宣伝美術 飯塚美江

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June 17, 2005

ジャブジャブサーキット「成層圏まで徒歩6分」

 劇団創立20周年記念公演・第1弾で第42回公演。名古屋、東京公演が終わり、大阪公演は6月末から7月初めの予定。ジャブジャブサーキットの芝居は何度か見ていますが、いつも平均以上の出来栄えなので安心して出かけることができます。SFっぽい話でも、現実世界との緊張感をオーソドックスに舞台に載せられる劇団という印象でした。今回はどうでしょうか。

 いつも変わらず活発にレビューを掲載している「しのぶの演劇レビュー」サイトによると、「舞台は天文台に隣接する“成層軒”という名のレストラン。天文台の持ち主である天文学者の森迫教授が急死し、助手の雨月(咲田とばこ)がその後を受け継いだが、町内では天文台の取り壊しが検討されるようになっていた。レストランを経営する夫婦(岡浩之と中杉真弓)と近所の和菓子屋の主人(小山広明)らは、天文台を立て直そうと策を練っている。そんな折、法律事務所の職員だと名乗る女(高木美千代)が訪ねてきて・・・」というお話です。

 「しのぶ」さんは「いいお話でした~・・・前作同様、優しいセリフにほろりとさせられ、よく練られた謎解きも楽しかったです」と書いています。
 ただ不満も。「役者さんの演技と演出の力が脚本に追いついていないため、作品の本当の魅力を伝えることができていません」と述べています。

 この辺は「観劇の日々」サイトのしおこんぶさんも「役者の空気に一体感がないので、作品全体のまで中途半端に感じてしまった」と惜しんでいます。しかし「ラストシーンはちょっと難解だったようにも思う」けれど「ミステリー風の謎解きが沢山あって、次々と解決されていくあたりはとても面白い」と作家の力量を認めています。

 はせさんの作品に対する評価はおしなべて高いようですね。「しのぶ」さんは最後に「『ニセS高原』(平田オリザさんの戯曲を4人の演出家が演出)みたいに、はせひろいちさんの戯曲を色んな劇団で上演する企画とかあったら嬉しいな」と書いています。そういう目利きのプロデューサーが現れないものでしょうか。


[上演記録]
ジャブジャブサーキット劇団創立20周年記念公演・第1弾
第42回公演「成層圏まで徒歩6分」

名古屋公演@七ツ寺共同スタジオ(5月18日-22日)
東京公演@ザ・スズナリ(6月10日-14日)
大阪公演@ウイングフィールド [ウイングフィールド提携公演] (6月29日-7月3日)

 作・演出:はせひろいち
 出演  小山広明 岡浩之 咲田とばこ 荘加真美(T) 中杉真弓 小関道代
      高木美千代 永見一美 小島好美(T) 千頭麻衣(T) 他
    (T)はトリプルキャストです。
    名古屋はトリプルキャスト。東京は荘加と小島、大阪は荘加と千頭が出演予定。

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June 15, 2005

しずくまち♭「穴ヲ食ベル」

 芝居者と音楽家の表現ユニット「しずくまち♭」の公演「穴ヲ食ベル」が麻布die pratzeで開かれました(5月19日-23日)。2002年に改名していますが、前身の劇団から数えると、活動歴は14年にもなります。公式サイトには「半音下がった視点から / 物語を言葉として音として立ちのぼらせて行く / 想いが液化する瞬間……感情の露点を私達は描きます」という言葉が載っていました。

 「#10の観劇インプレッション」サイトの「#10(ナンバーテン)」さんによると、「すべての女性が死滅し、残った男達は不老となった世界。ダンディズムに生きるよすがを見出した男達は、失われた女の記憶を取り戻すために女と子供を“造った”。彼女たちの出現によって男達は少しずつ変わっていく」という物語です。

 さらに「女のいない世界の男達を女優が演じ、造られた女を男優が演じる少々奇妙な舞台。最初は滑稽だったが、不思議なものですぐに見慣れて、シリアスな場面でも違和感なく観られた」としたあと、「奇抜な設定の世界でややベタな展開、そして少々意外なエンディング。バランスのとれた秀作だったと思う」と述べています。

 いつも紹介している「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは男女の役割取り替えについて次のように書いています。

演出上の取り組みとして秀でているのは男の役を女性が、女の役を男性が演じるという部分です。一聞すると、ただそれが笑いのネタとして行われているのでは?という感想を抱くかも知れませんが、この配役が意外にも物語にうま~く溶け込んでいる。男らしいという部分を見失った男、女の作り物であって女性を学ぶ女・・・そんな倒錯している設定を露骨に描き出す方法として、この男女の入れ替えはかなり上手くいっていると感じた。

 吉俊さんは末尾で「偏らないバランス感覚で、いろいろ楽しめる作品」と述べています。
 「しずくまち♭」 は、ユニークな個性を持ったユニットのようです。次作をみてみたい気分になりました。


[上演記録]
 しずくまち♭公演 「穴ヲ食ベル」 
 麻布die pratze (5月19日-23日)

■作・演出:ナカヤマカズコ
■作曲・編曲:侘美秀俊
■出演:岡島仁美、山崎龍一、坂本華子、上地正子、由田豪、伊藤美紀、 ナカヤマカズコ、飯野さくら、下中裕子、諏訪友紀、朴井明子
■演奏:侘美秀俊(ピアノ)、 海月たかこ(ヴァイオリン)、生形憲市郎(コントラバス)、堀米綾(ハープ)
■Staff
 照明/大堀久美子
 舞台美術/伊藤雅子
 宣伝美術/大下詠子
 衣裳/竹内陽子
 制作/伊藤美紀

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June 14, 2005

劇団乞局「耽餌(たぬび)」

 不気味な世界観と丁寧な演出などで評価の高い劇団「乞局」(コツボネ)の第8回公演「耽餌(たぬび)」が6月9日から12日まで王子小劇場で開かれました。同劇場が主催する「2004年佐藤佐吉賞」で最優秀作品賞(「汚い月 『陰漏』改訂現代版」)を受賞したこともあって、期待の舞台でした。

 劇団Webサイトによると、乞局の舞台は「何処かしら欠けた登場人物たちが救いようのないすれ違いを織り成し、不幸な結末へと静かに進んでいく」(プロフィール)と書かれています。確かにこの公演に登場する人物はどこかが「欠けている」ように見受けられます。

 産院で赤ちゃんの首を絞めた過去を持つ不妊の看護婦が刑期を終えて出所、ある安アパートに入居するところから舞台が始まります。犯罪の再犯防止と更正などに協力する「付き人」はゲイだと言い、赤ちゃんを殺された若夫婦が出所を知って付きまとったり、自分をナイフで刺したことのある不登校の中学女生徒にアパートで勉強を教える女教師がいたり、元夫婦でありながら同じアパートに住んで性的関係もあるタクシー運転手の男女も登場したりと、歪んだ人間関係や裏のある性格が描かれます。ちょっと訳ありのアパートの調理人ととんちんかんな見習い(?)も芝居の欠かせない要素なのかもしれません。「欠け方」はさまざまですが、人物配置と性格描写は手筋に適っています。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「表面的には平穏な日常が紡がれているようでいて、でも背後はしっかりと崩壊している。そんな裏と表を抱えている、まさに『欠けた』人たちが織り成すアットホームな日常」を、京極夏彦の小説世界になぞらえます。「漠然とした恐怖がジワジワと積み重ねられていく」特有の雰囲気ですね。特に乞局は「欠けた非日常によって、補完された日常を想起させる」とみた上で「観客は、そのギャップの部分に『気味の悪さ』を感じ、救われないエンディングに『後味の悪さ』というコメントをつける」と述べています。京極ワールドとの対比は鋭いですね。

確かに、エグイ終わり方だったのですが・・・きっとそれだから「後味が悪い」のではなく、結局のところエピローグが無いからで、日常へと引き戻されないから観客はそう感じるのではないだろうか。 残酷な結末に明確な言葉を与えて日常の一部に昇華させない手法、誰もが答えを求めていて答えを与えられる事に慣れている時代の中で、実のところ後味の悪いものが日常に埋もれている・・・そういう答えの無いことに答えを与えないことの価値を与えているものかもしれない。

 「答えを与えないことの価値」に意味を見いだしている吉俊さんとは別に、物語の組み立て面や完成度からみると、また違った道筋が見えてくるようです。
 乞局を「贔屓の劇団」という「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんは、「褒め言葉ばかり考えながら開演を待っていたから、終演後は少しの間唖然としてしまった」「個人的には大変期待外れだった」と書いています。その後も「本作品では粘ついた会話が醗酵しない。いつ醗酵するのかなと思って観ていたら、くしゃっと崩れて終わってしまった。個人的な予測だが、題材を盛り込みすぎて半端に完結してしまい、書き直すに書き直せなくなってしまったのではないだろうか」と推測を交えつつ残念がっています。

 ぼくが見たのは10日(金)の公演です。初めての「乞局」体験なので過去の舞台との比較はできませんが、意外に垢抜けた印象を受けました。不気味さをよい意味で手堅く仕立てた舞台と言い換えてもいいと思います。演出が手堅いだけに、物語の組み立てに構造的な不具合が見え、なにか手違いがあったのではないか思われます。

 物語の隠れたモチーフは、人間の肉体や骨格の手応え、血と粘液の手触りだと思われます。首に手をかけたときの「ポキッと音がした感触」「思い出すたびに心が踊った踊った」という「人に言うわけにいかない」感覚が不気味さの源泉になっています。この穴場に観客をどう引きずり込むかが腕の見せ所でした。

 同じアパートに住む人たちの群像劇のようにみえながら、最後には些細な仕草を周到な伏線に変え、一挙に全編を集約するラストシーンが用意されるのではないかと思わせる進行でした。しかし元看護婦の最後の行動で、その暗闇に収斂される登場人物は半分もいません。残りはただ周りを取り囲む一員の役回りとなって、結末からこぼれ落ちているように思えました。

 これとも関係しますが、やはりストーリーの構造的な問題に触れないわけにはいきません。この芝居は、出所する元看護婦に「付き人」が伴うという設定でした。再犯防止と更正、さらには被害者の復讐防止のためだとプログラムに書かれています。しかしその存在が、劇全体を動かすキーパーソンの役割だとは最後まで思えませんでした。またゲイだから女性と同居して構わないという設定は、ゲイの実体を誤解しているか、でなければ偏見の影をまとっていると言われかねません。また付き人とは関係なく、ほかのカップルらが別々に動いていて、結末で束ねられるような印象も受けませんでした。

 もう一つ、プログラムでは、鳴き石という石塚のようなものを舞台上に配置しています。みんながツバを引っかける対象として存在していたことは分かりますが、物語にどう絡んでいたのか明瞭でありません。石の傍らで惨劇が起きるにしても、その場所が必然であるとも思えません。プログラムにわざわざ解説まで掲載された「付き人制度」と「鳴き石の伝承」が、プロット進行の捨て石になっているような印象を残しました。

 乞局のこれまでの公演をみて「演技も演出も洗練されてきた分、魅力が薄れてきた」という意見も耳にしました。確かに不快感を呼び覚ますほどの気味悪さが、ある種の稚拙な演技と演出によって醸し出されるかもしれません。しかしそれは一回性のパプニングに過ぎないでしょう。次のステップに踏み出してしまったのですから、後味の悪いドロドロした感触を、緻密な演出と練り上げた演技で具体化していく以外に道はあせません。

 京極ワールドになぞらえるわけではありませんが、これからは物語が決定的に重要になってくるはずです。骨格がしっかりすれば、血も肉もたわわに育ち、粘膜も粘液も発酵するほど滲み出ます。そうなってこそ、おぞましいほど後味の悪い収穫が期待できるのではないでしょうか。後味の悪さやおそましい結末の意味と意義の考察は、そのときまで待ちたいと思います。


[上演記録]
劇団乞局 第8回公演「耽餌」(たぬび)王子小劇場提携公演
2005年6月9日-12日

【脚本・演出】下西啓正
【出  演】役者紹介
秋吉 孝倫
田中 則生
下西 啓正
三橋 良平
石井  汐
酒井  純
古川 祐子

安藤 裕康
佐野 陽一
吉田 海輝
五十嵐 操
加藤めぐみ(零式)
松岡 洋子(風琴工房)

【スタッフ】
舞台美術
:丸子橋土木店(綱島支店)
照明
:椛嶋善文
照明操作
:谷垣敦子
音響効果
:木村尚敬
:平井隆史(末広寿司)
舞台監督
:谷澤拓巳
衣装
:中西瑞美
宣伝美術
:石井淳子
WEB管理
:柴田洋佑(劇団リキマルサンシャイン)
制作
:阿部昭義
:尾形聡子
制作協力
:玉山 悟
:石原美加子
:林田真(Sky Theater PROJECT)
協力
:田村雄介
:(有)エム・イー・シー
:岡崎修治・勉子
:古藤雄己(創像工房 in front of.)
:飯田かほり(蜷局美人)

製作
:乞(コツボネ)局

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June 13, 2005

岩松了「センター街」

 劇作家岩松了の作品3本連続公演の第2弾「センター街」が下北沢のザ・スズナリで開かれました(6月1日-8日)。最初の「アイスクリームマン」は5月11日-29日に終わり、「隣りの男」は6月15日-26日(本多劇場)の予定です。

 「女子大生カンゲキノススメ」サイトは岩松作品の特長を「岩松作品は一見、誰にでも見破れそうな展開や人間関係を巧妙な台詞回しで覆い隠したり、露呈させたと思ったら煙に巻いたりして観客の意識を惹き付ける。また、登場人物の視線や口調の端々から読み取れる情報が他の舞台より格段に多いので、明らかにされる事柄が少ないにも関わらず、目が離せなくなってしまう」と述べています。

 「アイスクリームマン」と「隣りの男」の演出は岩松自身ですが、この「センター街」は、劇団「ペンギンプルペイルパイルズ」を主宰する倉持裕が担当しています。略歴に「1994年岩松了プロデュース公演『アイスクリームマン』に俳優として参加」とあるほどなので、親しい間柄と思えます。その演出はどうだったのでしょうか。
 関連写真を併載してセンスよくブログページを作る「Club Silencio」サイトの「no_hay_banda」さんは、「これがなかなかツボを押さえた演出で感心した。局面を丁寧に積み重ね、ぬるくて実は熱い世界を見せる手捌きが絶妙である」と褒めています。

 ぼくもこれを含めて2作ともすでにみました。3作目も今週の予定に組み込んでいます。感想はその後でまとめます。

追記(6.23)
 Critic Line Projectの竹内孝宏さんが「センター街」のレビューをまとめています。
 この作品を「デビュー作『お茶と説教』(1986年)と最新作『シブヤから遠く離れて』(2004年)のあいだにはさまって」いると指摘した上で、「そこで際立っているのは時系列的な連続性よりもむしろ断絶である」と述べています。初期作品に描かれたのがご近所という近隣関係が成り立つ場だったのに対し、「センター街」ではさまざまな階層が吸いこまれそのままダラダラと居ついてしまう「都市のブラックホール」「場ならざる場」に様変わりしたと言うのです。「これはあきらかに作家の時代認識であり、また80年代末から90年代半ばにかけてこの国が経験した地殻変動の演劇的要約であるといえる」と述べています。

 なるほどこう読解してみると、だらしなく間延びした印象を与えていたいくつかの断片が、ある必然性を持って織り込まれたのだと推測が可能です。

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June 11, 2005

劇団StoicStick「芝居をなめるな !! 」

 「さようならストイックスティック店じまい公演」と銘打っているが、サブタイトルらしい位置に"劇団ストックステップの演劇教室"というコピーが書かれている。「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんは「店じまい、という理由でか、小劇場劇団の稽古を題材にしている。学生演劇などの大きなジャンルの一つに『演劇部ネタ』があるが、その延長線上のものだ。最後だからこそ使えるネタではある」と始め、「新しく演出家としてやって来た胡散臭い男性に振り回され」「不満がつのっていく前半の展開は、客席まで倦怠感スモッグが立ち込めてきて結構辛い」けれども、その演出家を追い出したあとの様子や舞台の魅力を次のように述べています。

劇団員に降板させられた演出家は芝居未経験の愛妻を後釜に据えてしまうが、「お芝居は観てばっかり」の妻の意見が稽古を活気づかせていく。観客の率直な意見の大切さをさりげなく織り込んでいて、妙にはっとさせられた。 稽古に熱が入って高揚していく感じ、終演後の観客との一体感などまで殆ど芝居の魅力を網羅している。役者が生き生きと動き出す後半は、俄然舞台に惹きつけられる。 小劇場演劇版「演劇部ネタ」は、これでほぼ書き尽くされた感があった。劇団自体の解散公演、というのが作品の魅力を増していた。

 劇団webサイトによると、1997年に旗揚げ、公演毎に役者を集う演劇企画集団でした。リアリズムを追求したりトリッキーな作品だったりと毎回作風を変えながらも、「日常的なテーマでお客様が見て楽しめる舞台を作りつつ、軽快なタッチの奥底で常に人間の根底や生や死を描き、ただのコメディではない、シチュエーションコメディという名を借りての人間ドラマを上演」してきたそうです。今回の解散公演はそれぞれの再出発にふさわしい舞台だったようです。


[上演記録]
◎さようならストイックスティック店じまい公演「芝居をなめるな!! 」"劇団ストックステップの演劇教室"
 新宿タイニイアリス(6月2日-5日)

作・演出★浜田昭彦
出演★内田和宏 小玉慶晴 佐丸徹 外間勝 中川加奈子 中橋真澄美 浜田昭彦 若林史子 渡邊衛
annie 岡本篤(劇団チョコレートケーキ) KINOSHIN(UNITレンカノ) 木全隆浩 久米靖馬(クロカミショウネン18/UNITレンカノ) 小林真富果(UNITレンカノ) 町山みゆき(UNITレンカノ) 山下沙代

舞台監督★吉田慎一(MDC)
舞台監督助手★横川奈保子
照明★兼子慎平
音響★嶋田浩一(JOHNNY CLUB)
ちらしデザイン★たちばなかずまさ(radimide)
制作★のうこんばつぐん
企画・製作★劇団StoicStick

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June 10, 2005

Fragile 「塔」

 現代演劇ユニットFragile の第9回公演「塔」が5月25日から31日まで東京のこまばアゴラ劇場で開かれました。都内の小劇場を休みなく見歩いている「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんが取り上げています。ちょっと時間がたってしまったのが悔やまれますが、こんな記述で舞台の紹介を始めています。

舞台中央に鎮座する巨大な滑車・・・そこは111階建ての高層ビルの最上階の上、エレベーターの管理室である。 この滑車を中心に描かれている舞台空間の統一感と完成度、それを支える照明、音響というスタッフワークの力強さ・・・全ての質を限りなく高め、そこから始まる物語への予感を高めてくれる。 劇場に入った瞬間に感じたその想い・・・私の期待は期待以上に高まっていきました。

 この演劇ユニットは「THE・ガジラ主宰鐘下辰男氏によるワークショップ『塵の徒党』に参加した小里清(Playwriter)、桜井秀峰(Director)、渡辺陽介 (Player) によって98年に結成」されたそうです。作・演出の小里さんは2004年度岸田戯曲賞の最終候補になるほどの期待の新鋭です。小里さんはFragile のWebサイトで「真理や教訓を掲げるのではなく、私たちの考える社会の在り様、人間の実相を提示することで、道標を失った現代を生きる人々の意識に波紋を投げかけられる石となれればと願っています」と書いています。
 吉俊さんの期待は外れなかったようです。次のような感想を記していました。

物語は、この巨大なビルに集まってきた異人達が集まるエレベーターの管理室で展開する。 このビルには、世界中の企業や偉人が入居していて、言わば世界を動かしている建物であるという・・・そして、そのビルのエレベーターは世界の骨髄であり、その管理室は脳ではないか・・・それを管理し、保守している我々のお陰で社会が成り立っているのではないか?・・・なのに何故、自分達はこんな惨めな思いをしているのであろうか? 抑圧された人たちが巡らす極端な思想の展開・・・アメリカの同時多発テロのモチーフを借りて収斂していくエンディングは秀逸でした、鳥肌~。


[上演記録]
Fragile 第9回公演「塔」東京・こまばアゴラ劇場(5月25日-31日)

劇作・演出 小里清
出演
渡辺陽介/横畠愛希子(マンションマンション)・井上幸太郎・泉陽二・
有川マコト(絶対王様)・明樹由佳(La Compagnie A-n)

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June 06, 2005

OrangePunPKing『見つかりにくい温室』

 OrangePunPKing『見つかりにくい温室』公演が東京・中野のウエストエンドスタジオで開かれました(5月27日-31日)。「東京○×カンパニーでのプロデュース公演を皮切りに今回で四度目の公演になるが、とても好きな劇団で、第三回公演を除いて全部観に行っている」という「おはしょり稽古」サイトの「あめぇば」さんは、「OrangePunPKingは、役者の音感やリズム感をフルに生かして話を創る。少年の孤独を癒すためだけに創られた男女が、無表情でジンギスカンを踊る様子は怖い」としながら、次のように指摘しています。

作品の系統が少し変わった。国籍や時代が不特定だった前作までの世界観と違って、今回は明らかに現代の日本が舞台だ。登場人物の名前や「バイト」「飲み会」などの単語からそれが分かる。話もよりストレートな展開になったが、ラストの唐突な不条理さは健在だ。完全な空想世界でない分、勢いで押し切りきれなくなっている。温室の草花が「出られない」のだという絶望感は伝わりきらなかったのは、外に出た後の元・人形達や連れ去られた俊雄の末路が無かったせいでもあると思う。

 これまでの公演をすべて見てきた「おはしょり稽古」サイトも「伝わりきらなかった」と言うほどだからでしょうか、「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「全ての問題は、物語の悪さに始まっている」と切り出した上で「最後に向かって物語がまとまってくるのを期待してはいたのですが、結局最後まで引き込まれず、特にエンディングの内容には逆に引いてしまう」などなど、最後に「あ~良い事を殆ど書いていない気がする」というほど、芝居の世界から疎外されていたようです。

 集団の名前がちょっと変わっています。OrangePunPKing。後半の綴りがPumpkin かと思って、Webサイトを見つけるのに手間取ってしまいました。サイトを見ても由来を見つけられません。どういう意味なのでしょうか。

[上演記録]
Orange PunPKing 春公演『見つかりにくい温室』
中野ウエストエンドスタジオ(5月27日-31日)

■原話:足利彩
■作・演出:宇原智茂
■出演
土居清光/あしかがあや
にしだみき(ゲキダン◎エンゲキブ)/中澤昌弘(楽天舞隊)
内山智絵(劇団お座敷コブラ)/MiSAKi(Funny*Flying*Fish)/森宏之
松岡大輔(カノン工務店)/久保田勇一(かわずおとし)/水崎蘭
宇原智茂

■スタッフ
照明:Jimmy(FREEWAY)/音響:志水れいこ/舞台監督:高田宏
チラシ画:三原等/記録:⑰アイボット/WEB管理:おかだよう
協力:⑰慈プロダクション/制作:SUI
企画・製作:Orange PunPKing

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June 05, 2005

劇団犯罪友の会「手の紙」

 野外劇場公演を軸足に据えて30年。大阪を拠点に活動する劇団犯罪友の会の久しぶりの東京公演「手の紙」が新宿・タイニイアリスで開かれました(5月27日-30日)。破防法が適用された戦後最初にして唯一のクーデター未遂事件「三無(さんゆう)事件」を題材に取りながら、戦争と平和、ロマンとリアリズムの狭間に純愛物語を小劇場で成立させようとする舞台でした。
 「ワニ狩り連絡帳」サイトは「正直言って、いったいどんなハチャメチャな舞台を見せてくれるのだろうか?などという期待があったのは確かなのだけれども、想像していたよりもずっとストレートな、直球勝負の舞台だった。とにかく、観終っての印象では、まずは戯曲としての完成度が高い」と述べています。

 「関西に粋なおっちゃんがいる」というタイトルでレビューをまとめている「おはしょり稽古」サイトは「小劇場出身の劇団と比べると圧倒的に役者の芝居は大きい。笑いをとってもいい脇役の演技は特にそうだ。野外劇の特性を取り込みつつ、主役陣の抑えた演技で小劇場サイズの作品に仕立て上げている」と指摘しながら「しかし、やはり次回は、彼らの評判の野外劇を観てみたい」と結んでいます。

 タイニイアリスのWebサイトに劇団の前触れが載っています。

◎平和ラッパという凄い漫才師がいた。
昭和三十年代前半まだ街中に「平和」という看板がやけに目についた頃だった。
「平和時計店」「平和美容院」「平和ビリヤード」等、まだ「平和」という文字が人々の心の中に大きな意味を持っていた時代だった…
 明治維新後七十余年に太平洋戦争が始まり、敗戦から六十年を経て、第三、四世代の若者達がイラクの戦場に派兵されている。
そこには多くの人達が一片の肉の塊になって転がっている。
戦場には正義も大儀も聖戦もない。
ただ無数の死と悲劇があるだけなのに…幾度繰り返せばいいのか…
流す涙なら「恋の行方」で流したい、この行く先の見えない時代にラブストーリーを作ってみました。
やるせない恋の行方の物語、楽しく笑って泣いてください。
「平和」という言葉をもう一度味わいながら…

 同じアリスWebサイトに主宰、作・演出を一貫して引き受けてきた武田一度さんの詳細なインタビューが載っています。実はぼくが急遽、公演直前にインタビューしたのですが、劇団の成立、活動、そしてコンセプトまで包み隠さず明らかにしています。ご興味のある方はぜひ、ご覧ください。
http://www.tinyalice.net/interview/0505takeda.html

[上演記録]
劇団犯罪友の会「手の紙」

☆作・演出=武田一度
☆出演=川本三吉 羽田奈津美 中田彩葉 玉置稔 デカルコ・マリー 小野正樹 金城左岸 山田山 瀧波四級

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June 04, 2005

strange GARDEN「マイン'05」

 strange GARDEN Ver.7.0「マイン'05」公演が東京・目白のアイピット目白で開かれました(5月26日-30日)。意欲的にレビューを書き続ける「おはしょり稽古」サイトの「あめぇば」さんがこの舞台を取り上げています(「伝えたいから人は創る」)。よく知られた劇団や話題のステージに大方の目は集中しがちですが、こういう芝居をきちんと記録する意味は決して小さくないと思います。

 物語はネットで知り合った人たちが集団自殺を図ろうとするのですが、いろいろと齟齬が生じて…という内容のようです。

 「あめぇば」さんはまず、「奇跡のような舞台だった。と言っても、褒めるところは見つからない。皆ものすごく下手だ」と切り出します。でもなぜか、惹かれます。その理由をこんな文章で綴っています。

喜劇も悲劇も飽きるほど書かれたこの設定で、演出家は役者の口を借りて「生きていこう」と呼びかけてくる。それまでの話の展開や辻褄なんかどうでもいいのでギャグで流しました、という感じすらある。直球極まりない台詞をつっかえつっかえ言う役者が、妙にリアルに感じられてくる。拙いギャグの連発で油断していると、つい観客は直球攻撃にやられる。(略) 痛々しいからではなく、正に中学生のようなひたむきな情熱に圧されてつい応援してしまう。切実なメッセージがあるということは表現活動で一番の原動力だと、久々に再確認した。 ダメ人間と自分を自覚する人が多い中で、この話は支持され続けるだろう。そういう意味でこれは奇跡のような舞台だ。

[上演記録]
strange GARDEN「マイン'05」アイピット目白(5月26日-30日)

作・演出: 佐藤隆輔

出演:
五味田扶美子
樋泉秀幸
舟橋晋
岩田章子
尾木亜紀子
佐東まんごろう
遠山悠介
佐藤隆輔

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June 03, 2005

メガトン・ロマンチッカー「モンスターとしての私」

 名古屋を拠点に活動している「メガトン・ロマンチッカー」の公演「モンスターとしての私」が5月25日から29日まで名古屋・東文化小劇場で開かれました。
 「#10の観劇インプレス」サイトによると、「フランツ・カフカの『変身』、佐世保の小6児童殺害事件、神戸の酒鬼薔薇事件、これらをモチーフに、「少女/変身/孵化」をテーマとした舞台」。「観劇の日々」サイトのしおこんぶさんは「芝居ではあるが、嘘はどこにもなかった」と印象的なフレーズを残しています。

 もう少し引用すると、「#10の観劇インプレス」サイトは次のように述べています。

芝居という面では一言。美しい舞台だった。以前からメガトン・ロマンチッカーの舞台はどの瞬間を切り取っても絵になると感じていたが、今回は特にそれが意識された演出だった。背伸びして描くことで力量不足が露呈する劇団も少なくないが、実力のある役者を揃えて、演技も満足のいくものだった。

 劇団のWebサイトに解説が載っています。書いたのはおそらく作・演出の刈馬カオスさんと思われます。

この物語を考えたのは、昨年の春前だった。
フランツ・カフカ『変身』を原作に、毒虫を、現代に生きる少女に置き換え、
友達を殺した罪から社会復帰したときの、家族・世間のリアクションを描く構想だった。
企画書をまとめた翌日、佐世保で事件が起きた。
衝撃を受け、現実を前にひるみもした。
だが、私たちは1人の表現者として、この問題へと立ち向かうのは責務だと考えた。
賭けに出た。
佐世保の小6児童殺害事件と、酒鬼薔薇聖斗の医療少年院仮退院。
当初の構想はそのままに、2つの事件を調査し、その要素を大きく取り入れた。
かなりダイレクトにストレートに、現実の事件を想起させる描写もある。
この選択は、私たちにとってリスクには違いない。
それでも私たちは挑むのだと、覚悟した。
加害者とその家族、被害者とその家族、誰もが納得する表現を。
そんな地平はないのかもしれないが、それでも求める。
丁寧に現実を見つめ、描写することで何かを発見することができるはずだ。
演劇の力。
私たちはそれを信じる。

この作品は、
社会派であり、
エンターテイメントであり、
等身大の私たちの物語であり、
そしてあくまでも、恋愛演劇だ。

しおこんぶさんは先のサイトで「こういった戯曲(現実にあった事件を元にしたもの等)は世の中にもっとあっていい。メディアとしての演劇とでもいうか、現実を見つめなおすきっかけになる芝居は想像力を刺激する」と述べています。その意味でも、名古屋だけの公演は惜しまれます。もっと広汎な人たちが見る機会をぜひ、用意してほしいと思います。

[上演記録]
「メガトン・ロマンチッカー」の公演「モンスターとしての私」
5月25日から29日、名古屋・東文化小劇場

作+演出=刈馬カオス

Company CAST
大久保明恵
岸良端女
来々舞子
浦麗

Guest CAST
久川徳明(劇団翔航群)
ヒート猛
時田和典
茂手木桜子
織田紘子

○ スタッフ
演出助手 山崎信人
照明+舞台監督 村瀬満佐夫(劇団翔航群)
劇中映像 田中博之
音響 菊森公介
選曲+舞台美術 刈馬カオス
宣伝美術 ル・ゴウ総合美術
制作 則武鶴代 梅村卓哉
制作協力 東海シアタープロジェクト
プロデューサー 大橋敦史(東海シアタープロジェクト)
企画・製作 メガトン・ロマンチッカー

○ 協力
松井組
シネマパルチザン
奥林劇団
猫足企画
田原幸二
デンキヒツジ(立体交差中心)

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June 01, 2005

平田オリザ/金明和作「その河をこえて、五月」

 「日韓友情年2005」記念事業の一環として開かれた公演「その河をこえて、五月」は2002年サッカーワールドカップ共同開催の年に生まれ、日本では朝日舞台芸術賞グランプリに輝き、韓国・ソウル公演でも好評を博して権威ある演劇賞を獲得、日韓ダブル受賞となった作品の再演でした(5月12日-29日、新国立劇場小劇場)。作者は日本側が平田オリザ。韓国側は1997年の劇作家デビュー後、立て続けに演劇賞を受賞した劇作家金明和。演出は李炳焄と平田オリザが共同で当たったそうです。
 新国立劇場Webサイトによると「言葉の通じない状況で、なんとか意思疎通を図ろうとする人々の姿。日韓の歴史的関係、家族の絆、在日問題。そして、国家観、習慣の違い、民族を超えて共感できる人間のつながり……。“異国間コミュニケーション”をテーマに、ソウルの人々が集うという河原の風景を切り取り、出会いと別れを織り込んだ会話のなかから、“日韓の現在”の断片が静かに描かれ」ます。

 「Somethig So Right」の今井さんは「最近の東アジアの政治状況は憂慮すべきだが、実は今年、日韓友情年、なのだそうだ。そうした政治状況は別にして、この作品時代は素晴らしい両国演劇人のコラボレーションだ」と押さえた上で、「平田オリザ流のいわゆる『静かな演劇』の調子が保たれており、派手な動きやドラマはないのだが、ひとつひとつの会話や出来事に、日韓関係がかかえる様々な問題が浮き彫りにされており、目が離せない。二時間半近い上演時間も気にならず、集中した」と述べています。

 「現代演劇ノート」サイトの松本さんは冒頭、次のように始めます。

再演となる『その河をこえて、五月』は、さしあたり〈文化(間)翻訳をめぐる物語=ドラマ〉といえようが、細かなエピソードやモノを介して展開していく話題の多くは、むしろ花見に集まった様々な人々の間に走る〈境界線〉を次々と浮かび上がらせてしまう。従って、展開につれて舞台は〈文化(間)翻訳が頓挫してく反・物語=ドラマ〉といった様相を深めていくのだが、不思議なことに、それと同時に、舞台には力強いまでの明るさが、とある深さをたたえながら満ちていくようなのだ。『その河をこえて、五月』とは、こうした不思議な、そして実に演劇的な魅力を持った作品なのである」

 ここにすべてが集約されていますが、そのあとで「相互理解」に関して次のように述べたくだりがあります。

最後まで会話は何度も挫折し、相互理解は思うようにいかず、双方が安定した場で、共有のコードによって何かが〈伝達=翻訳〉されることは、極めて少ない。となれば、問題なのは「こえる」ことでも「こえたあと」のことでもなく、文字通り「こえて」という、多面的に構成される溝をこえていこうとする絶えざる伝達可能性に向けた運動=意志であるに違いない。 このことは、舞台上ばかりでなく、舞台と客席の関係にも転移している。舞台では、何度か客席が河に見立てられるが、おそらく、日韓双方で上演されるこの作品は、他の多くの演劇作品(真価や意図はおくとして)が「通じる」と思っている言語や身体のコードをあてにしていない。むしろ、そうしたコードの成立が、極めて困難であるということを自覚するところから作られたのが『その河をこえて、五月』であり、だから、〈困難を引き受けながら、絶えざるつながるための営為を繰り返す〉という意味において、この物語は、演劇という形式を模倣しており、あるいは、演劇という表現形態に対して、上演それ自体を通じて批評的に関わろうとした意欲作であるとも言える。そうした言葉の正しい意味において『その河をこえて、五月』は「メタ・シアター」とも言えよう。

 平田演劇を系統的に読み解いてきた蓄積だけでなく、冷静な視線がリアルと演劇の形作る関係を見通しているように感じられます。

 東京公演は終わりましたが、大津・富山・北九州・神戸・富士見(埼玉県)で公演が予定されています。

[上演記録]
「日韓友情年2005」記念事業
その河をこえて、五月
 新国立劇場小劇場(5月13 日-29日)

 全国公演/大津・富山・北九州・神戸・富士見
   大津公演/びわ湖ホール
   富山公演/オーバード・ホール
   北九州公演/北九州芸術劇場
   神戸公演/神戸文化ホール
   富士見公演/富士見市民文化会館
   
作 : 平田オリザ/金 明和
演出 : 李 炳焄/平田オリザ

美術 : 島 次郎
照明 : 小笠原 純
音響 : 渡邉邦男
衣裳 : 李 裕淑/菊田光次郎
ヘアメイク : 林 裕子
演出助手 : 慎 鏞漢/申 瑞季
舞台監督 : 田中伸幸

芸術監督 : 栗山民也
主催 : 新国立劇場

協力 芸術の殿堂(ソウル・アート・センター)
後援 駐日韓国大使館 韓国文化院

三田和代 小須田康人 佐藤 誓 椿 真由美 蟹江一平 島田曜蔵
白 星姫 李 南熙 徐 鉉喆 鄭 在恩 金 泰希

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May 31, 2005

B級遊撃隊『破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか』

 名古屋を拠点に活動しているB級遊撃隊の公演『破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか』 が愛知県芸術劇場小ホールで開かれました(5月13日-15日)。タイトルはスタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」のもじりですが、劇団のWebサイトによると、映画の原作ピーター・ブライアントの「破滅への二時間」という米ソ冷戦時代の核戦争の騒動を描いた小説にインスパイアされ、舞台を現在の日本にしたB級遊撃隊のオリジナル作品だそうです。

 アメリカの原子力潜水艦が日本海沖に潜航し、突如単独で北朝鮮に対し宣戦布告。北朝鮮はアメリカの宣戦布告とみなし、同盟国の日本や米軍基地へミサイル発射の準備態勢に入った。アメリカからは国家機密として処理したいとの連絡が入り日本の首相ら政治家は右往左往。しかし時間は容赦なく過ぎてついにミサイルが…。

 「#10の観劇インプレッション」サイトは次のように指摘しています。

 今回の舞台にはあの映画(キューブリック監督作品)以上に圧倒された。(略)  気の触れた米軍将校が勝手に戦争を始め、政治家は必死でそれを止めようとする構図は映画と同じだ。しかしこの舞台ではもうひとつ、ゲームという要素が加わる。プレイヤーが政治的な判断を下して日本の将来を決めるというゲームの描写が、次第に現実の政治家たちと混ざり合い、プログラマーの手を離れて暴走する。
 ゲームの場面では、極端に左寄りの道と極端に右寄りの道がいずれも滑稽に演じられる。ぼんやり観ていると政治的メッセージ性の強い作品と勘違いしかねない。しかしこの作品が伝えようとしているのは政治ではなく社会、あるいは個人の意識の問題だ。どちらを選択するかではなく、選択するとはどういうことかを問いかけてくる。

観劇の日々」サイトの「しおこんぶ」さんは次のように述べて「お勧め度8(10段階)」にしています。

 国防問題に関しての質問にYesかNoで応えていき、選択を間違えるとミサイルが打ち込まれてしまうというシュミレーションゲームに見立てて芝居が展開していく。現実的には選択肢が2択なんてことは無いのですが、これを2択にすることで問題を単純化してみたり、窮屈な選択を迫っておいて、酔っ払いのオッサンが居酒屋で議論しているようなレベルで総理大臣や国防庁長官を登場させるあたりは本当に巧いなと思います。あまりにも滑稽で、現実と非現実の間に見事に落としてくれました。

 第5回愛知県芸術劇場演劇フェスティバル参加作品。7月に大阪公演が予定されているようです。東京公演を期待したいですね。

[上演記録]
破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか
愛知県芸術劇場小ホール(5月13日-15日)

作: 佃 典彦
演出:神谷尚吾
出演:
佃 典彦/神谷尚吾/山口未知
斉藤やよい/池野和典/山積かだい
徳留久佳/向原パール
/江副公二/加藤裕子

舞台監督:近藤朋文
照明   :坂下孝則
音響   :後藤佳子
衣装   :上海リル’S
小道具  :才谷組
大道具  :江副組
宣伝美術:純と寝々
協力   :飯田真司・石原淳
制作   :Y企画

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May 29, 2005

ポツドール「愛の渦」(続)

 遅くなって申し訳ないのですが、ポツドール「愛の渦」公演について、先の紹介に興味深いレビューを2つ追加します。

 ポツドールの舞台はよく「リアル」と言われているようです。具体的にはどういうことか、「Somethig So Right」サイトの今井克佳さんは次のように述べています。

時間をおってパーティーの様子が描かれていく。最初はどうにもぎこちなく、会話もなく、取りつく島もない居心地の悪さが続き、次第に会話が交わされていくのだが、実際、こういう場所であれば、まったくこうであろうと思われるような、会話の始まり方(なぜか最初は女同士で話し始め、そこに男が言葉をはさもうとして、別の女と会話が始まっていく、というような)の描写がリアルである。
 と述べています。「なぜか最初は女同士で話し始め、そこに男が言葉をはさもうとして、別の女と会話が始まっていく」という個所に、おもわず頬が緩みました。鋭い観察ですね。  また最後にも「リアル」が用意されているようです。
印象的だったのは、店員がカーテンをあけると、明け方の陽の光が部屋のなかに入って一気に入ってくるのだが、この光の表現はすばらしい。本当に一晩空けた、その夜の非日常の時間を終わらせ、日常の世界に戻す陽の光そのものだった。夢の終わり。セリフにもあったが、夜中は局部をあけっぴろげに見せていた女も、恥じらいながら服を着替えている。

 夜と昼。秘密の時間が日常世界に切り替わる瞬間を演出する力が存分に発揮されているように思われます。

 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)の皆川知子さんはこの舞台に関して次のように指摘します。

性欲というテーマと、リアルな演技が、結びつけられた。その結果、舞台上で暴かれたのは、逆説的にも、私たちの実生活のなかで行われている演技、つまり現実のなかの嘘=フィクションだった。
 先の紹介でも触れましたが、ポツドール公演には、ぼくらを舞台に引きつけつつ、そのことがかえって僕らの内部を浮き立たせることになるという仕掛けが施されているのでしょうか。「欲望に対する演出家のシニカルな視線が、終始、舞台を貫いていた」という締めくくりが鋭く突き刺さってきます。
Posted by KITAJIMA takashi : 05:09 PM | Comments (0) | Trackback

May 28, 2005

ポタライブ「吉祥寺『断』」

 街頭のパフォーマンスは以前から見受けられますが、単純に下手くそだったり観客を暴力的に操作する悪癖がついて回ったりして敬遠しがちでした。しかし岸井大輔さんが始めたポタライブは全く違うようです。「白鳥のめがね」サイトの柳澤さんが、5月22日の「吉祥寺『断』」に「参加」したようすを書き記しています。

 柳澤さんによると、ポタライブは「『散策しながら楽しむライブ』という意味の造語」だそうです。吉祥寺駅前に集合し、ポタライブ主宰の岸井さんが案内人として町の再開発の歴史やエピソードを紹介していくのですが、中央分離帯や車道、ビルの谷間などにパフォーマーが配置され、町のたたずまいや物語のなかにとけ込んでいるとのことでした。ちょっと長めになりますが、以下の文章を引用します。

そうしたパフォーマンスは、ちょっとした虚構を現実に紛れ込ませることで、街が秘めていたドラマを浮き立たせるように作用していた。普段街を歩いているときには気に留めない様々な情報が眼に飛び込んできて、街を歩く一般の人々の姿が、独特のパフォーマンスのように印象深く見えてくる。
市街地の情報を引き立てるように、あまり虚構が過剰にはならないようにしつつ、しかし、市街地の情報に埋もれてしまわない程度には目立つものでなければならない、その絶妙なバランスがここでは達成されている。(略)
街頭でパフォーマンスすることは様々に試みられてきているだろうし発想としては珍しくないと思う。だが、問題は、その発想を方法に高めることができているかどうかだ。岸井さんが進めてきた「ポタライブ」の試みには、町並みの歴史を掘り起こしてくる確かな手法の蓄積がある。そこから、現代の生き方に瑞々しいものを吹き込む可能性が、様々な仕方で、大きく広がっていると思う。

報告は描写的なので、街のイメージ、その場の空気が立ち上ってくるような気がします。ぜひ、柳澤さんのサイトで全文をご覧ください。

5月のポタライブの日程は、主宰者岸井さんのWebサイトによると次の通りです。

■船橋編「ふねのはなしは、ないしょのまつり」
 5月7日、8日 14:00~16:00
 JR船橋駅南口改札前まちあわせ

■小金井編「かわあそび」
 5月14日、15日 15:00~18:00
 JR武蔵小金井駅南口改札前まちあわせ

■吉祥寺編「断」
 5月21日、22日 19:00~20:00
 JR吉祥寺駅中央口改札前まちあわせ

■市川編「うみをまつ」
 5月28日、29日 15:00~18:00
 JR市川駅中央口改札前まちあわせ

■吉祥寺編「斜」
 5月12日、26日(木曜日) 20:00~21:00
 JR西荻窪駅改札前まちあわせ

ご予約は、potalive@yahoo.co.jpまで!

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May 25, 2005

チェルフィッチュ岡田利規インタビュー(後編)

 今年の岸田國士戯曲賞を受賞したチェルフィッチュ主宰岡田利規さんのインタビュー(パート2)を掲載しました。パート2は横浜STスポットでのダンスとの出会い、「超口語」スタイルの芝居にも台本が欠かせない理由、そしてチェルフィッチュの方法論を踏まえて古典劇を上演したい、などなどが展開されています。参考情報もできる限り盛り込みました。
 企画当事者が言うのもおかしなものですが、長尺インタビューで読みごたえ十分、しかもおもしろいと思います。聞き手は、早くからチェルフィッチュ演劇の可能性に着目していた柳澤望さんです。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:27 AM | Comments (0) | Trackback

May 24, 2005

少女単体「料理教室」

ことこ・本と花びら大回転!」サイトのkotokoさんが「少女単体 シークレットライブ 料理教室」の詳細な報告を載せています(5月17日、西荻WENZスタジオ)。
 じつはwonderlandにも、「少女単体」主宰苅谷文さん名の招待メールが届きました。残念ながら当日は都合がつかなくて行けず。ネット上での評価、評判も極端に分かれているのに、詳しい状況が霧の中。どういうライブか知りたいと思っていたところでした。実際の状況は見る人によって違うかもしれませんが、結成から過去のライブの出来事やテレビのドキュメンタリー番組出演のあれこれ、そして今回のライブの実況などリアルです。

少女単体」(しょうじょたんたい)は苅谷文さんののソロプロジェクト。自作戯曲を上演するために2003年12月に設立、デビュー公演は04年2月だそうです。その後の公演、ライブがネット上でも物議を醸し、2004年日本インターネット演劇大賞(えんぺ大賞)の話題賞になったりしています。

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May 18, 2005

reset-N 「Valencia」

 reset-N の「Valencia」公演が5月の連休中、ザ・スズナリで開かれました(5月3日-8日)。明快な劇言語と作劇法を持った実力派という印象の劇団ですが、「しのぶの演劇レビュー」によると、今回はこんな出だしのようです。

舞台はトダ(平原哲)とツゲ(原田紀行)が共同経営している小さなヘアサロン。2人の他にはアシスタントの女の子アズサ(丸子聡美)が働いている。今どきの若者らしい、ひょうひょうとしたリラックスムードの店内。閉店後の夜中にトダを訪ねてくる女がいる。その女はルミ(町田カナ)。ある仕事でトダに助けられて以来の縁。2人は急速に接近して・・・。

踊る芝居好きのダメ人間日記」は俳優に「底力」がついてきたと前置きして、「脚本や演出にも、そういう余裕みたいなもが現れて来ていて、笑いの間が上手く作れるようになった。つまり、アーティステックな作風から、よりエンターテイメントな作風に移行しつつあると思います。すっかり丸くなったとも言えるでしょうが」と指摘しています。

「しのぶの演劇レビュー」は今公演のの特長を「ヒリヒリするほど熱くて暴力的なシチュエーションを、極力ストイックにミニマムに凝縮するから、とんでもなくヤラしいんです。「秘すれば花」の世界ですね。だけど出すところはバシっと出す。そのさじ加減が絶妙です。また、今回は笑いがたくさんありましたねー。すごくウケてたし、私もいっぱい笑ったなー。演技の間がいいし、脚本も最後の最後まで笑えるように詰められていて確実なのです」と述べています。

早稲田の学生らが運営する「Review-lution! on-line」サイトで、小畑明日香さんは俳優の特色に触れながら「目の前で芝居をしても『映画っぽい』と思わせる力は役者にあったのだ。どんなに叫んでも唾の飛ばない台詞回しや、足音が気にならない歩き方。変に味があるよりは難しい」と書いています。


[上演記録]
reset-N Valencia
http://www.reset-n.org/jp/valencia/index.html
作・演出 夏井孝裕
下北沢 ザ・スズナリ(5月3日-8日)

出演
町田カナ/久保田芳之/篠原麻美/原田紀行/平原哲/綾田將一/長谷川有希子
岩本幸子(イキウメ)/丸子聡美
奥瀬繁(幻の劇団見て見て)

グランドデザインmassigla lab. 夏井孝裕/荒木まや/浅香実津夫/福井希
舞台監督 小野八着(Jet Stream)
宣伝美術 quiet design production
宣伝写真 山本尚明
制作 秋本独人、森下富美子、河合千佳
照明協力 木藤歩(balance,inc)
Web製作 松下好

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May 15, 2005

チェルフィッチュ岡田利規インタビュー(前編)

 今年の岸田國士戯曲賞を受賞したチェルフィッチュの岡田利規さんのインタビュー(パート1)を掲載しました。聞き手は、早くからチェルフィッチュ演劇の可能性に着目していた柳澤望さんです。チェルフィッチュが現在の「超口語」スタイルに転換した前後のいきさつや、言葉と身体の関連、平田オリザやブレヒトの影響などが明らかにされています。次回は25日掲載予定です。

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May 14, 2005

ジャンバルジャンパイレート「グランバザールX」

 いつも軽快なフットワークで小劇場を回っている「休むに似たり。」サイトのかわひらさんがJAM BAL JAN JAN パイレートの公演を取り上げました。
 「スピード感溢れる台詞、スタイリッシュでパワフルなダンス、センスのいい衣装や装置、加えて笑いも結構あったりする、清水恵利奈さんのユニットJBJJPの新作」
 こう書かれると、みたくなりますね。でも、いわゆる芝居を体験するのとはちょっと違った空気がステージに流れているようです。
 「物語を追って行こうとすると、おそらく失敗するのです。つぎつぎと浴びせられかける言葉、見た目の美しさに身をゆだねるのです。作家の思索の断片が、めまぐるしく提示されるのです」
 なるほど、なるほど。具体例は、「休むに似たり。」サイトでどうぞ。

 JAM BAL JAN JAN パイレート(JBJJP)のWebログに出演者の紹介はありましたが、JBJPの旗揚げ時期や活動の紹介は見あたりませんでした。ネット上にも、まとまった記事はありません。1995年の第5回ガーディアン・ガーデンフェスティバル演劇フェスティバルに出場(「極めて普遍的なベルベット・カフェは存在するか?」)。2002年9月には「書物」を題材にした作家達による短編作品の競演「書物をめぐる演劇の冒険」に出演。小松杏里(月光舎)さんが評価していた(「乾坤一擲」)ことなどが断片的に分かりました。

 [上演記録]
◆タイトル:「グラン・バザール × (エックス)」
◆日程:2005年5月6日(金)~8日(日)

◆作・演出:清水恵利奈
◆出演:阿保聖子/metan/清滝美保/桜井翔子/清水エリナ/
鈴木裕美子/水野恵美/榎本真弓
◆会場:ウエストエンドスタジオ(東京・中野)

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May 13, 2005

チェルフィッチュ岡田利規インタビュー掲載のお知らせ

 今年の岸田國士戯曲賞を受賞したチェルフィッチュの岡田利規さんのインタビューを2回に分けて掲載します。聞き手は、早くからチェルフィッチュ演劇の可能性に着目していた柳澤望さんです。チェルフィッチュが現在の「超口語」スタイルに転換した前後のいきさつや、言葉と身体の関連、平田オリザやブレヒトの影響などが明らかにされています。
 初回は15日、次回は25日公開予定です。昨年の小劇場シーンを振り返った「振り返るわたしの2004」に続く、特別企画第2弾です。ご期待ください。

 岸田賞の選評が最近、白水社のWebサイトに公開されました。選考委員は 井上ひさし、岩松了、太田省吾、岡部耕大、竹内銃一郎、野田秀樹の6人。 受賞した岡田さんと宮藤官九郎さんの2人に対する各委員の期待が伝わってきます。ご一読ください。

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May 11, 2005

コミュニケーションズ-現代劇作家たちによるコント集

 新国立劇場の「笑い」シリーズ第2弾は「現代社会におけるコミュニケーションについてさまざまな切り口から多様な視点を集めた、大喜劇集」(同劇場Webサイト)。日本劇作家協会と初めての共同企画で、別役実、いとうせいこう、ケラリーノ・サンドロヴィッチら実力派のほか、日本劇作家協会戯曲科の現役受講生たちの作品も取り上げ、演出の渡辺えり子が「昔のアチャコからはじまるようなベタな関西の笑いからシャープで都会的な笑い、落語的な笑い、漫才的な笑いなど、いろいろな笑いをごった煮にして、小劇場自体がヤミ鍋のように」仕立てようとしたそうです。

 ネット上での評判はあまり芳しくなかったようですが、「演劇時評」サイトの中村隆一郎さんが「11人の劇作家の作品を21のエピソード「場」にして構成した。その中には渡辺えり子が書いた「コミュニケーションズ」というコントを開幕からはじめて終わりまで都合六つ挿入し(略)がひとつのトーン・マナーを持っているのでそれがうまく句読点の役割を果たして飽きさせない工夫が施してある」と構成力を評価。さらに個別の作品を取り上げ、話のおもしろみや役者の演技などを丁寧に紹介、分析しています。
 コントは時代をつかむセンス、構成の切れ味など書き手、作り手の才能が露呈しやすい分野です。しかも演者との呼吸も欠かせません。さらに大事なことがあると中村さんは次のように指摘します。

コントという短い形式の喜劇は戦前の浅草の軽演劇に端を発し、戦後はやはり浅草のストリップ小屋の幕間に演じられた(略)。皮肉なことに浅草の観客にはコントを目当てに来るものは一人もいなかった。幕間をつなぐだけの短い時間にどれだけ観客の目を引きつけておけるかが即給金につながったから必死である。同じネタだが、客の反応を見ながら微妙に変えていくうちに練れてきて見ているものの心の琴線に触れるところまで来ると完成型である。(略)問題は浅草軽演劇-ストリップ幕間で育った形式というところに立ち返って考えた場合、観客の目によって練り上げられていく要素をどう取り込んでいけるかということである。

 観客の「鍛え」が何度も期待できないとすると、いまは台本の置かれた環境は厳しいというほかありません。特に1回限りの公演だと、それが先鋭的な形で表れるような気がします。

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April 30, 2005

青島レコード「ぼくにとどけきみのうたごえ」

 「スタイリッシュに、どこでもない世界を構築する青島レコードの新作。何処でもない世界でありながら、今作は透け見える現実世界へのリンク」と書き出したのは「休むに似たり。」サイトの「かわひ_」さん。「イデオロギーの強い、好みの別れる芝居かも知れません。が、あたしは語られていることはよくわかるし、好きな芝居」「嫌なこと痛いことを避けるためには考えることを止めてはいけないという強烈なメッセージは、ずしりと響きます」とまとめています。

 では、どんな物語だったのでしょうか。
 「2歳で成長を止めた兄。いつか彼を追い越し大人の仲間入りしようとしている弟。単に成長しない兄を描いているかと思わせる前半からやがて、この世界が、「架空の敵」とやら相手に戦争をずっと続けていることがわかってきます。兄に見えているのは、大人のしがらみとやらを理由に思考停止して、見えもしない敵相手に戦争をつづける、流される世界」(「休むに似たり。」)です。

 子供の兄、大人の弟という逆転した関係がカギになっているようですが、これが混乱の元になっていたかもしれません。「#10の観劇インプレッション」サイトは「なんだかよくわからなかった。不条理っぽい部分もあればシリアスな場面もあり、アンサンブルは何を表現しているのか不明。物語もごちゃごちゃ混ざり合っていて、何が本筋かつかめなかった。個々のシーンでの演出は何か上手な印象を受けるだけに、全体としてのまとまりがないのが残念だった」としています。

[上演記録]
青島レコード「ぼくにとどけきみのうたごえ」
4月21日-24日
世田谷シアタートラム

[作・演出] 岡田望
[出演] 山中崇/扇田拓也/中尾あや/大和広樹/諌山幸治 ほか

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April 29, 2005

G2プロデュース「キャンディーズ」

 小劇場の人気俳優を集め、独自のプロデュース公演を開いてきたG2プロデュース。その最新公演「キャンディーズ」が東京、福岡、大阪で開かれました。「福岡演劇の今」サイトの薙野信喜さんは「仕事と恋―命を賭けるほどに大事なものがふたつ、ひとりの中で同じ時にガチンコでぶつかる。恋の喜びが勝つが、そのことの代償は大きい。G2の純愛物語は、けっこう苦い」と述べています。
 G2プロデュースのWebサイトによると、物語は次のような設定で始まります。

 戦後復興のさなかにある昭和30年。向島石鹸は手作りの工場を次々と閉鎖、オートメーションによる大量生産へと切り替えていた。   唯一残された第三工場に立花社長(山西惇)の娘・美雪(須藤理彩)が女工員のしじみ(新谷真弓)を訪ねてやってくる。遅刻してきた新入工員と勘違いされた美雪は、暗い影のある職人・渡部(長谷川朝晴)と大げんか。勢い余って工員として働くことになってしまう。   ところがそこへ第三工場閉鎖と職人のリストラの通達。社長である父の横暴に怒る美雪は、あろうことに労働組合のリーダーとして反対運動を起こすことに。   だが、工員は瞬間湯沸かし器の伝介(内田滋)、のんびり屋の浜田(陰山泰)、20年前の事件以来口がきけなくなってしまった横山(廣川三憲)と、役に立ちそうな者はいない。唯一、頼りになりそうな工場長・松永(竹下宏太郎)も意外な行動に。しかも、闘う相手は美雪の許婚の君島(木下政治)だ。  そこへ助け船を出したのがラジオ東京のディレクター菅井(菅原永二)。労使交渉の場をラジオで生放送してくれることに。  こんな騒動のなか、美雪は渡部の暗い影の奥に眠る熱い想いを感じていく。君島という許婚がありながら、渡部に心を奪われていくのを止めることができない美雪。   だが、渡部は20年前の事件に心を閉ざしたままだ。  20年前の昭和初期、社長の立花は軍の要請もあり工場のひとつを合成洗剤用に改造した。そんな流れに逆らうように第三工場の職人・柴田(久保酎吉)は「キャンディーみたいな石鹸」を作るべく、小豆島のオリーブに目をつけていた。太平洋戦争の陰が迫る中、チャンスはやってきた。宮内庁からフランス王朝御用達と同じ質の石鹸をという要請があったのだ。喜び勇んでオリーブを買いつけ、新人の渡部と徹夜で作業する柴田。  だが、渡部が同僚の永井(草野徹)の恋人・美千子(須藤理彩・二役)に心を奪われてしまったことから、事態は意外な方向へ転がり落ちて……。  果たして、20年前にいったいどんな事件があったのか? 二つの時間に存在する二つの三角関係のゆくえは? そして、キャンディーみたいな石鹸を作りたかった柴田の想いは成就するのか?

 「井上ひさしの昭和庶民伝と見まごうような舞台だ。テーマによって変幻自在のG2の幅広さを見る」「設定したふたつの時間を一瞬にして鮮やかに飛びながら、ふたつの時間を繋ぐものをじっくりと描いていく。柴田の作った石鹸は20年の時を越えて生き延び、渡部の胸からいちどは消えた恋も20年の時を経てよみがえる。気持ちのいい甘酸っぱさでハッピーエンド」だそうです。

 ただ結末には若干の留保も。「惜しむらくは、白馬の王子が現れて渡りに舟と救われるというやや甘いラスト。気持ちよく終わらせたい気持ちはわからないでもないけれど」と述べています。

 ネットをざっと見てみましたが、おもしろいと今公演を買う人は多いのですが、このラストにはかなりの異論が出ていました。「エンディングが妙にすんなりうまくまとまってしまったのがちょっと・・・だった」(「ジェット☆ジェットCAFE」)「最後はあれよあれよとハッピーエンドで、「ええ?それでいいのか?」ってちょっと思ったけど、たまには大団円ってのもいいかな」(「Pauseな日々」)「ラストがちょっと都合いいなーと思いはしましたが、楽しめたのでオッケーです」(箱雑記)あたりが代表的なコメントでした。

 G2プロデュースのWebサイトはあらすじだけでなく、稽古日誌や役者のコメントなど盛りだくさんの内容です。ためになりました。
 また冒頭に紹介した「福岡演劇の今」で、G2さんが芝居の現場体験を披露したトークの様子が紹介されています(「G2さんの話がおもしろい」)。興味深いエピソードを盛り込んで読ませます。参考まで。


[上演記録]
◎G2プロデュース「キャンディーズ」(Candy's)

東京公演 下北沢・本多劇場(3月30日-4月10日)
福岡公演 天神・西鉄ホール(4月18日-20日)
大阪公演 シアター・ドラマシティ梅田芸術劇場(4月22日-24日)

作・演出:G2
出演:
須藤理彩、長谷川朝晴、竹下宏太郎、新谷真弓、木下政治、内田滋、豊原里美、草野徹、菅原永二、廣川三憲、山西惇、陰山泰、久保酎吉

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April 27, 2005

能劇「姥捨-OBASUTE-」

 名古屋の小劇場演劇の様子をウオッチするとき、「しおこんぶ」さんの「観劇の日々」サイトは欠かせません。最近、能劇「姥捨-OBASUTE-」公演を取り上げ、「日本的な侘び寂びを強く感じる良質の舞台でした。引き際の美しさとでもいうのでしょうか、万物の霊長たる人としての誇りや叡智があり、積み重ねられた落ち着きによって融和されていく、理想の年寄り像がそこにあった気がします」と評価していました。

 作、振り付けの原智彦はロック歌舞伎「スーパー一座」の座長。「なにげにひたすら、ただただお山へ参る婆をものすごく美しく踊ってみたいと思い」「(元たまの)知久寿焼の音にゆられ、ふらり私はお山参る」という趣向です。
 4トンの流木と3,000足のビーチサンダルで作られた空間。「日頃忙しくしている人にこそ観て欲しい舞台。お勧め度8(10段階)」と述べています。


[上演記録]
◎能劇「姥捨-OBASUTE-」
 KDハポン(KDJapon)
 4月15日から5月1日まで変則10日間公演

作・振り はらともひこ
出演:
婆-ババー・男 原智彦
少女 茂手木桜子、夕沈
息子 野畑幸治
ムシ ムシムシガールズ・ムシムシボーイズ
スタッフ:
音楽 知久寿焼(元・たま)
舞台美術 岡部玄
宣伝美術・演出協力 天野天街
衣装 久野周一
映像 木下竜太
音響 森田太朗
制作 小瀬木いづみ、渋谷紘子、ハポンフェスproject

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April 26, 2005

劇団、本谷有希子「乱暴と待機」

 「劇団、本谷有希子」の第9回公演「乱暴と待機」が新宿シアターモリエールで開かれました(4月8日-17日)。自分の名前を劇団名にする1979年7月生まれの23歳。第7回公演の「石川県伍参市」が岸田國士戯曲賞の候補作になり、「ユリイカ」「新潮」などにエッセーや小説を執筆。この4月からニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティーも務め、小説「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(04年12月「群像」掲載)が三島由紀夫賞の候補作になるなど、いま注目の作家です。ネット上に公演レビューも数多く掲載されています。

 劇団のWebサイトによると、あらすじというか、次のような設定で物語が進行するようです。

成功者だったはずの男は毎夜、女を観察するため屋根裏に潜む。 男の人生をうっかり滅茶苦茶にした女はそれを黙認し、美貌を隠し、憂さ晴らしに付き合ってやる。 二人の間にセックスはない。恨む側と恨まれる側という関係を崩してはならないからだ。 穴から部屋を覗きながら、男は今日もこの世で最も惨い復讐方法を考え続けている。 穴から視線を感じながら、女は今日もこの世で最も酷い罰が自分に下されるのを待ち続けている。 だが、いつまでたっても復讐が実行される気配はない。 事故のあった日から来週で12年目-男の30歳の誕生日だ。
 2人の関係は舞台でどう具体化されているのでしょうか。「Somethig So Right」サイトは次の個所をピックアップしています。
中学時代のイジメ体験から、他人の顔色を極端に気にするようになった女。男が復讐の方法を思いつくまで、男と同居してすでに六年。毎晩、寝る前に二人はこんな会話をする。  「おにいちゃん、明日は思いつきそう?」  「思いつくさ」  「そう、よかった」
 象徴的かもしれませんね。  実は、さらに続きがあるようです。「正しくも松枝日記」によると「そう、よかったね」と答えた後、「カレンダーに丸印をして/そして電気を消して寝る」のだそうです。だめ押しですね。

 「物語の前提やストーリーにはところどころ腑に落ちないことがあったし、ラストも私には特に響くものがあるわけではなかったのですが、さらりとしながら非常に狡猾でいやらしい精神的SMの世界に、どっぷりはまり込んでめちゃくちゃ楽しませていただきました。あの少し冷めた視線からのどん底のいやらしさは、女性ならではのものじゃないかなぁ。いや、本谷さんならでは、なのかもしれませんね」と言うのは、「しのぶの演劇レビュー」サイト。相変わらず精力的な舞台渉猟ですが、目の付け所がほかのレビューとは違って、かなり食い込んでいるように思います。

序盤の馬渕英里何さんの失禁シーンがめちゃくちゃ私好みでした。会話をさえぎってはいけない、話しかけられたら答えなきゃいけないと思うばかりに、おしゃべりの途中で「トイレに行ってきます」の一言が言えず、そのまま我慢の限界が来て、スウェット女は居間でおしっこをもらしてしまいます。・・・私には「萌えー!」ってヤツでしたよ、マジで!(告白ですね、コレ)。あと、同僚の彼女が高校時代のクラスメートだったことがわかり、彼女に嫌われたくない一心で、同僚に脅されながらセックスをする、しかも天井裏からお兄ちゃんがその情事を覗きやすい場所をわざと選ぶという状況もタマりません(笑)。

 なるほど、なるほど。失禁シーンを取り上げたのは、「しのぶ」さんだけではないでしょうか。

 全体のイメージはどうなのでしょうか。「無駄だらけの毎日。」サイトの「更紗」さんはこうまとめています。

人の心の闇、いや違うな。歪み、それも違う。なんと表現するのが適切なのだろう、汚さとでも言うのか。悪どいとかずる賢い汚さとかでもない、本当の汚さ。汚物に近い感じの。そういう汚さを描くのが本当に巧い(中略)。救いようのなさこそが救いのようで、それなのに観終わった後に「良かったなあ」となるそんな作品。

 「ヤサぐれ者の魔窟vs発掘亭日乗越」サイトの乗越たかおさんは「小劇場的という設定としてはある種オーソドックスともいえる造りなんだが、よくできていて、引き込まれる。『突き放した感』と『いきなり懐に刺し込む感』の緩急が絶妙。相当に削いでいっているのがわかる」と感心しています。


 役者の皆さんも魅力的だったようですが、特にスウェット姿の馬渕英里何さんは印象深かったようです。「主演の馬渕さんのスウェット+メガネ姿がエロ心をくすぐりました。作家は女性ですが、女性にもこういう心が分かるんですかねえ。。。不思議」(きくちブログ
「芝居に熱中すればするほど、観客は繰り返し馬渕英里何のジャージ姿を意識させられることになる」(a piece of cake !
「馬渕英里何さんの灰色スウェットの上下がめちゃくちゃいやらしいです。これをいやらしいと思ってしまっている時点で私の好み(嗜好)ってヘン?男性っぽいでしょうか?」(しのぶの演劇レビュー)
「このスウェット、妙に着古してあってぺらぺらで、スウェットのエロスというものを感じることが出来ます」(正しくも松枝日記

 スウェット姿は本谷有希子の狙いだったようです。馬渕英里何との対談(前半)で、「馬渕さんに出演してもらうって決まった時、まず「スエット!」って思ったのね。ホリプロから呼んどいてスエットしか着てない役っていうのも「いいよねー」と思ったし、他の人が当てないような役を当てようという狙いもあって。他では見れない馬渕さんをうちで見せようと思うから」と語っている。

 とまあ、だらだら書き綴ってきました。みていないと、あれもこれもと気が散りますね。このほか取り上げ損ねたレビューもいくつかあります。追記の形で取り上げます。しばらくのご猶予を。


 劇団サイトは、本谷本人の日記のほか、この公演に出演した役者座談会や、演出助手の女性による演出・制作エピソードが盛り込まれたりして、なかなか興味深い読み物になっていました。


[上演記録]
「劇団、本谷有希子」第9回公演「乱暴と待機
 新宿シアターモリエール(4月8日-17日)

□出演者
馬渕英里何
市川訓睦(拙者ムニエル)
多門 優(THE SHAMPOO HAT)
吉本菜穂子

□スタッフ
作・演出  … 本谷有希子
舞台監督 … 宇野圭一+至福団
舞台美術 … 中根聡子
照明    … 中山 仁(ライトスタッフ)
音響    … 秋山多恵子
演出助手 … 福本朝子
小道具 … 清水克晋(SEEMS)+山本愛
衣装    … 金子千尋
宣伝美術 … 風間のう
宣伝写真 … 引地信彦
WEB担当  … 関谷耕一
制作助手 … 嶋口春香
制作協力 … (有)ヴィレッヂ 
制作    … 寺本真美 中島光司

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April 25, 2005

劇団上田「上田展[Spring]」

 第18回パルテノン多摩小劇場フェスティバル2005が始まり、参加5劇団のトップを切って劇団上田「上田展[Spring]」公演が4月22日に開かれました。
 「デジログからあなろぐ」サイトの「吉俊」さんはまず、冒頭のシーンに引きつけられたようです。

椅子が7つ並んでいる・・・そこに、黒いタイツと白いワイシャツを着た男達(1人女性)が粛々と現れる。 皆、黒のサングラスを掛けている・・・椅子に座ってそれぞれ思い思いにくつろいでいるが、1人がおならをする。
最初は、おならするなよ~という反応を周りはしているのだが、いつしかそのおならが連続的に繰り返されるようになり、気が付くとそれは音楽になっている。
音楽の名前は忘れたが、有名な曲だ・・・それを各々がおならで表現していく、おならの音に合わせてお尻を上げたり体が飛んだりという典型的な「おなら動作」をする訳であるが、それが上手いこと演出されていて、見ていて心地よい。
馬鹿っぽい事なのだが、ちゃんと練習してリズムが狂わないようにするというのは簡単ではないだろう。

 アイデアは分かった。実際の芝居はどうだろうか-。興味は当然そうなりますね。

初めのパフォーマンスで完璧にお客さんの心を掴みまして、私もこれは期待できるなぁという印象を持ちました。 その後も、物語とは名ばかりにパフォーマンスというかコントというか、その境目をスタスタと7人で渡っていくお芝居。(中略)
正直に言って、一番最初に面白いものを見せすぎたような気がします。(中略)
個性豊かな演者が多くて、いままでに見たこと無い雰囲気・・・それとパワーに溢れていてよかったと思います。

 審査員を一般公募、ほぼ1年かけて東京近辺の劇団公演を見て回り、参加劇団を選ぶ方式をとっているという。そのせいか、選ばれるのは、おもしろいというか、笑える芝居が多くなりがちとの印象が強い。あと4劇団。今年はどうでしょうか。

 今回上演された「上田展」は「変態男爵 暗黒の脇毛編」。5月10日-11日に麻布die pratze で同「変態男爵 漆黒の乳毛編」公演が開かれる予定です。

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April 23, 2005

ポツドール「愛の渦」

 話題の「ポツドール」が新宿シアタートップスで、新作「愛の渦」を上演しています(4月20日-27日)。どんな物語かというと、「『心底スケベな男女数人が1室に集まって、朝まで好きなだけやる』という、羨ましい衝撃的なストーリー」(NO BUFFET,NO LIFE)「内容としては乱交パーティです。とは言えエロよりむしろ笑いの要素が相当の量」(キミテル日記)だそうです。

 前作「ANIMAL」はラジカセの音楽が大音量で流れ、せりふがほとんど聞き取れないまま終わったとの感想がありました。今回もせりふがあまり聞き取れない個所があったようです。
わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」のqueequeg さんがこの点について、「『何言ってるか分からない』というのはつまり『何か言ってるのは分かる』わけで、つまりコミュニケーションの内容は伝わらなくてもコミュニケーションの形式は伝わる」「あと聞こえないとハビトゥスが前景化される、みたいなことをちょっと思った。というか聞こえない会話の内容を補うためにハビトゥスが動員されるってことだけど」という指摘はなかなか鋭いと思います。

 ぼくらの心的構成に直に変容を迫るのではなく、ぼくらが持ち合わせる心的機序のトリガーを引き、そこからさまざまな感情の渦を湧出させる方法論と言えるでしょうか。これはやり方が極端に違うように見えながら、平田オリザが繰り返し述べている演劇論や演出論、今年岸田國士戯曲賞を受賞したチェルフィッチュ岡田利規の手法にも通底します。

 取材やインタビューで、同調的な態度で相手の言い分を引き出すのか、挑発的な態度で隠された意図や感情を露出させるか、両極端のやり方があるのと似ているかもしれません(この二つだけに限りませんが)。「内部」を引き出したり露出させたりするやり方はさまざまだと思います。こういう手法に関して憶測はいくらでも可能ですが、ポツドールは未見なのでこの辺にとどめたいと思います。

【追記】(5.30)
 ポツドールの舞台はよく「リアル」と言われているようです。具体的にはどういうことか、「Somethig So Right」サイトの今井克佳さんは次のように述べています。

「時間をおってパーティーの様子が描かれていく。最初はどうにもぎこちなく、会話もなく、取りつく島もない居心地の悪さが続き、次第に会話が交わされていくのだが、実際、こういう場所であれば、まったくこうであろうと思われるような、会話の始まり方(なぜか最初は女同士で話し始め、そこに男が言葉をはさもうとして、別の女と会話が始まっていく、というような)の描写がリアルである。
 なぜか最初は女同士で話し始め、そこに男が言葉をはさもうとして、別の女と会話が始まっていく」という個所に、おもわず頬が緩みました。鋭い観察ですね。  また最後にも「リアル」が用意されているようです。
印象的だったのは、店員がカーテンをあけると、明け方の陽の光が部屋のなかに入って一気に入ってくるのだが、この光の表現はすばらしい。本当に一晩空けた、その夜の非日常の時間を終わらせ、日常の世界に戻す陽の光そのものだった。夢の終わり。セリフにもあったが、夜中は局部をあけっぴろげに見せていた女も、恥じらいながら服を着替えている。

 夜と昼。秘密の時間が日常世界に切り替わる瞬間を演出する力が存分に発揮されているように思われます。

 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)の皆川知子さんはこの舞台に関して次のように指摘します。

 性欲というテーマと、リアルな演技が、結びつけられた。その結果、舞台上で暴かれたのは、逆説的にも、私たちの実生活のなかで行われている演技、つまり現実のなかの嘘=フィクションだった。
 先の紹介でも触れましたが、ポツドール公演には、ぼくらを舞台に引きつけつつ、そのことがかえって僕らの内部を浮き立たせることになるという仕掛けが施されているのでしょうか。「欲望に対する演出家のシニカルな視線が、終始、舞台を貫いていた」という締めくくりが鋭く突き刺さってきます。


[上演記録]
ポツドールvol.13「愛の渦」
4月20日-27日、新宿THEATER/TOPS

脚本・演出 三浦大輔
出演 安藤玉恵 米村亮太朗 小林康浩 仁志園泰博 古澤裕介 鷲尾英彰 富田恭史(jorro) 青木宏幸 岩本えり 遠藤留奈 小倉ちひろ 佐山和泉

スタッフ
 照明 伊藤孝( ART CORE design) /音響 中村嘉宏(atSound)/舞台監督 矢島健
 舞台美術 田中敏恵/ 映像・宣伝美術 冨田中理(Selfimage Produkts)
 小道具 大橋路代/衣装 金子千尋/演出助手 富田恭史/ 写真撮影 曳野若菜
 ビデオ撮影 溝口真希子/制作 木下京子/制作補佐 井崎久美子/広報 石井裕太
 企画・製作 ポツドール

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April 22, 2005

メタリック農家「尼」

 メタリック農家「尼」公演が下北沢 OFF・OFFシアターで開かれました(4月8日-12日)。週末は劇場通いという「休むに似たり。」サイトの「かわひ_ 」さんは「メタリック農家の骨太で「堪える芝居」。物語多少ごちゃつきますが飽きずに見られる1h30」と述べています。

 「ハンサム部ブログ」サイトは「物語の本質的なところは良いと思うけれど、いざ戯曲の構成となってみると、ぶつぶつになってしまっているのがもったいない。対話のかみ合わせ、前半はあまり機能していない、後半は面白く観られる」と指摘。「タンツーblog!!」サイトは「夢と現実が入り混じる、狭い舞台をうまく使う ひっじょーによいお芝居」と大絶賛でした。

[上演記録]
メタリック農家「尼」公演
脚本・演出:葛木英
出演:
鞠子 酒井杏菜
寅吉 伊藤一将
聡史 竹井亮介(親族代表)
春実 葛木英
夏枝 古市海見子
鶯   宮本晶子 
慈胤 岩田裕耳
イル  中島徹
慈徳 大川祐佳里

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April 20, 2005

流山児★事務所「High Life ハイ・ライフ」

 カナダの劇作家リー・マクドゥーガルの原作、吉原豊司の翻訳を、流山児祥が演出した舞台。2001年に開かれたカナダ現代演劇祭で作家と翻訳家を迎えて本邦初上演。2003年12月に再演。今回は国内ツアーで札幌・名古屋・大阪公演が開かれました。
名古屋公演をみた「観劇の日々」サイトの「しおこんぶ」さんは「生きること、それ自体の麻薬性を感じることができる舞台でした。個人的にはスッゲー面白かった。お勧め度9(10段階)」と絶賛しています。

 「流山児★事務所」のWebサイトもよるとあらすじは「世のならわしや常識でがんじがらめに縛られた普通人には到底まね出来ない、胸のすくような自由人4人の冒険と失敗譚。登場人物は中年のチンピラ・ジャンキー4人。口八丁手八丁、策士のディック。刑務所から出てきたばかりのバグ。腎臓がイカれてしまったコソ泥ドニー。そして、したたかな二枚目ビリー。男たちが銀行強盗を企むところから物語は始まります。目指すは街角のATM現金自動受払機。一世一代の大仕事を成功させ、田舎に引っ込んで『豊かな老後』を実現しようというデイックとバグ。一儲けして、もう1ラウンド生きながらえようというドニー等、胸のうちはそれぞれ。しかし、壮大な計画は仲間割れで見事に頓挫。元の暮らしに逆戻り…」だそうです。

 翻訳の吉原豊司さんはこの作品で、第9回湯浅芳子賞を受賞しています。吉原さんと演出家の貝山武久さんは「メープルリーフ・シアター」サイトで現代カナダ演劇を詳しく紹介、翻訳作品を頒布しています。興味のある方はご覧ください。


[上演記録]
札幌公演(4月9日-10日、ターミナルプラザ琴似パトス)
名古屋公演(4月15日-17日、愛知県芸術劇場小ホール)
大阪公演(4月19日-21日、梅田HEP HALL)

作/リー・マクドゥーガル
翻訳/吉原豊司
台本・演出/流山児祥
音楽/トムソン・ハイウェイ

出演/千葉哲也・塩野谷正幸・若杉宏二・小川輝晃

照明/沖野隆一 音響/藤田赤目 美術/塩野谷正幸 振付/北村真実
舞台監督/吉木均 映像/島田暁 照明操作/小木曽千倉 音響/畝部七歩
宣伝美術/サワダミユキ 宣伝写真/アライテツヤ 制作/米山恭子
平成17年度文化庁舞台芸術創造団体重点支援事業

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April 19, 2005

アーノルド・ウェスカー作、蜷川幸雄演出「KITCHEN キッチン」

 アーノルド・ウェスカー作、蜷川幸雄演出「KITCHEN キッチン」公演が東京・渋谷のシアターコクーンで開かれています(4月5日-24日)。コクーンのWebサイトで「1959年ロンドンで初演以降、世界22ヶ国、53都市で上演されてきたイギリス現代演劇の傑作です。物語りの舞台はロンドンのレストランの厨房(だけ!)。シアターコクーンの場内中央に仮設の舞台を設置、客席で厨房を挟む形で物語りが進んでいきます」と書かれている通り、「労働現場」としての厨房(調理場)が圧倒的な迫力で迫ってきたようです。

 本業はデザイナー&イラストレーターという「優」さんは「オドソン:カンゲキモード」サイトで「圧巻だったのはランチタイムのシーン。まさに”戦場”のような調理場に豹変した空気に飲み込まれて、芝居を観ているという事をしばし忘れてしまいました」と述べています。「しのぶの演劇レビュー」も「一幕では、早朝からランチタイムまでのチヴォリがダイナミックに迫力満点に描かれます。皿やグラスは実物が出てきますが料理は全てマイムで、それがすごくリアル!役者さんは相当お稽古を積まれていると思います。パティシエ(細かく丁寧で、静か)とコック(動きが激しく、色んな音が鳴る)の動作の違いが面白かった」と賛辞を惜しみません。

 しかしウェスカー作品は階級社会の色濃い英国の現実を踏まえています。「オドソン:カンゲキモード」は、調理場の雰囲気を次のように描写します。

ヨーロッパの歴史はさっぱり分かりませんが、イギリス・ドイツ・キプロス・アイルランドetcと、キャラクターの出身に絡んだ優劣関係が成立していて、「アイツは○○(国籍)だからな!」と差別的発言がごく自然な会話として入っていることに少しショックを受けました。新入りコックのケヴィン(長谷川博己)を誰も名前で呼ばず「おい、アイルランド!」と呼んだり、ドイツ人のコック、ハンス(勝地涼)とユダヤ人の菓子職人ポール(高橋洋)との間に微妙な違和感が存在したり。時代設定が1950年代のロンドンなので、今の時代には受け入れがたい事でも、その頃はそれが当たり前だった、ということなんでしょうね。

 メールマガジン「SANDWICH」(第3号、4月18日発行)に、演出家・演劇批評家の大岡淳さんがレビューを載せました。やはり労働現場のリアルな再現が目にとまったようです。

俳優たちは、食器や調理器具の類は小道具として駆使するが、本物の食べ物は登場せず(戯曲にそう指定されている)、マイムで表現する。マイムの技術の中では、無対象行動と、リアルな対象物を混ぜた動きは難しいとされており、この表現を俳優たちがてきぱきとこなす様からして、見ていて迫力がある。のみならずこの表現を駆使して、戦場のような調理場の様子が再現される様は圧巻。特に一幕の終盤、ウェイトレスたちとコックたちが猛烈なスピードで仕事をこなすくだりは、それだけで一見の価値がある。リアリティはディテールに宿る、とでも言うべきか。(略)労働者の感情やら主張やらではなく、〈労働〉という行為そのものに焦点を絞っている点で、これこそ唯物論的な演劇と呼ぶべきではないか、とすら思わせた。少なくとも、日本で上演された「キッチン」の中では、この蜷川演出が最高傑作であろう。

さらに言葉を継いで、英国社会に向けられた異物としての戯曲の性格を踏まえ、次のように書いていることを忘れてはならないでしょう。

きらびやかな“劇場”には似つかわしくない労働者階級の現実が――決してプロレタリア演劇のような教条的な図式には収まらず――感情も主張も排した具体的なアクションの積み重ねとして舞台上に登場する。(略)  いまどきの観客は、労働者としての自己は直視せず、“消費者”としてのアイデンティティに充足して生きているのだから、その消費行動のただなかにバグを滑り込ませることでしか、もはや社会批判的なメッセージは伝わらないと考えるべきだ。その意味でこの芝居は、渋谷でお買い物をするお嬢さんたちにしかけられたバグである、と評しておきたい。

大岡さんの意見をもっと知りたいととおっしゃる方は、「大岡淳の反資本主義日記」をご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/ooka/

[上演記録]
KITCHEN キッチン
東急bunkamura・シアターコクーン
(4月5日-24日)

作 アーノルド・ウェスカー
改訳 小田島雄志
演出 蜷川幸雄

美術 中越司
照明 原田保
音響 井上正弘
舞台監督 芳谷研

出演者
成宮寛貴
勝地涼
高橋洋
須賀貴匡
長谷川博己
杉田かおる
品川徹
大石継太

鴻上尚史
津嘉山正種 他

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April 18, 2005

うずめ劇場「ねずみ狩り」

 「あの“いまわのきわ”から3年、衝撃の問題作、日本初公開!」というコピーで上演されたうずめ劇場第16回公演『ねずみ狩り』は、オーストリアの劇作家ペーター・トゥリーニの出世作。1971年にウイーンで初演され、非難と賛辞が半ばする曰く付きの作品とのことでした。「いまわのきわ」という優れた作品を紹介した鑑識眼を信頼して劇場に足を運んだ人は少なくなかったに違いありませんが、3月初めの福岡を皮切りに、北九州(3月10日-13日)、東京(4月15日-17日)、そして名古屋(4月22日-24日)という国内ツアーの実際はどうだったのでしょうか-。皮切りの福岡公演をみた「福岡演劇の今」サイトの薙野信喜さんは「演出の力はどこに行ってしまったのだろうか」として次のように述べています。

最初の男女ふたりによるねずみ狩り、そしてラストの男女ふたりがねずみとして狩られる、そこはおもしろいのに、そのあいだに長々と続けられるゲーム―男女が身につけたものを捨てていく―が決まった結末に向かって一直線で、単調でつまらない。ここに緊張がないのは、演出も俳優も結末を当然と受け止め、それに向かって障害らしい障害を出すこともなく、スケジュールどおりに破綻なく進めることしか考えていないためだ。(中略)戯曲と拮抗し火花が散る舞台を期待していたがみごとに裏切られた。ペーター・ゲスナーは、後進を育てることを理由に手を抜いていると見た。全力で取り組んでその力を見せつけることこそ、観客への礼儀であり、いちばんの後進指導ではないのか。  期待がものすごく大きかったので、つい厳しい感想になってしまった。

 演出はペーター・ゲスナーと藤沢友。共同演出とは、実質的には藤沢にほとんど任せ切りということなのでしょうか。薙野さんの指摘通り、ゴミ集積場に車で乗りつけた若い男女が身に着けたものをゲーム感覚で次々に投げ捨てていくプロセスが芝居のへそになるような構造だったように思えます。それにしては確かにふくらみが足りません。なにしろ客席に銃を向けるだけでなく、最後には客席に向かってネズミ呼ばわりしながら乱射する作品なのですから、どういう形であれ観客のコンテキストに作品の世界が収まらなければ、反発どころか無視という、最も望まないそぶりに振れかねません。

 演出に問題が残ったことは確かででしょうが、ぼくはその上、作品選択に関しても、やはりどこかに錯誤があったのではないかという気がします。演出方法とも関連しますが、いまさらこの手の威圧的、一方通行の作品を、どうして日本に紹介しなければならなかったのでしょう。いまの日本はこの手の「威圧」でへこむほど薄い単層構造でできていません。地肌がそれほどまでに荒れていて、よほど工夫しないと緑が育たないと考えた方がよさそうです。アングラ演劇の歴史に詳しいはずのゲスナーなのに、過去に何度も繰り返されたこの手のテーマを蒸し返すのは、いささか目測を誤ったのではないかと懸念します。

 最後に、撃ち殺される男女2人のヌード演出に触れないわけにいかないでしょう。ほとんど予定調和の進行の末に裸になる2人には、お疲れさまとしか言いようがありません。欲望をぎらつかせて交合の仕草をまねたりしながら舞台を飛び跳ねるのですが、肝心の男性のシンボルに生気がなかったのは、その舞台全体が不能だったことの象徴にみえました。反対にそうでなければ、それこそ無粋の極みですし、演劇としての場所を失いかねません。
 30年前はいざ知らず、この作品は日本デビューの時期を見誤ったような気がしてなりません。

[参考]
面白さに◎びっくり」(「福岡演劇の今」サイト「いまわのきわ」評)2002.3
筋書きを逆にたどるオムニバス」(wonderland「いまわのきわ」評)

[上演記録]
◎うずめ劇場第16回公演『ねずみ狩り』
■上演スケジュール
福岡:3月5-6日(ぽんプラザ)
北九州:3月10日-13日(スミックスエスタ)
東京:4月15日-17日(シアターX提携公演)
名古屋:4月22日-24日(第5回愛知県芸術劇場演劇フェスティバル参加)

作 ペーター・トゥリーニ
翻訳 寺尾格
演出 ペーター・ゲスナー/藤沢友
上演台本 うずめ劇場
出演 後藤ユウミ、荒牧大道、藤沢友 他
主催 うずめ劇場
共催 北九州市・北九州市教育委員会
助成 (財)セゾン文化財団、芸術文化振興基金、
(財)アサヒビール芸術文化財団
後援 オーストリア大使館

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April 16, 2005

楽園王「ELECTRIC GARDEN」

 楽園王「ELECTRIC GARDEN」公演が東京・荒川区の町屋ムーブで開かれました(4月13日-15日)。「デジログからあなろぐ」サイトの「吉俊」さんはここまでカバーしているか、というほどまめに都内の小劇場に足を運んでいて、この公演のレビューもしっかり書いています。

とても綺麗ではある、私は好きなタイプだ・・・テクノイズな音楽のノリ+照明効果・・・抽象的な世界を場面展開で次々に語っていく。半円形舞台で、中心の舞台を取り囲むように座った客席の後ろでも役者が演じる。対面の客の後ろの役者を見たり、後ろからの声を聞いたりと、舞台の使い方は変わっていましたね。
 その後、役者の演技、場面転換など「スタッフワークでのセンスのよさ」を指摘しています。ただ「芝居の雰囲気と語られる脚本の親和性」などバランスに欠けるとの苦言も。

 これは神楽坂と麻布に劇場拠点を持つ die pratze 主催の「M.S.A.Collection2005」シリーズの一つ。中野成樹(POOL-5)+フランケンズ「ラブコメ」に次いで2回目の観劇でした。

 舞台はある若い会社員が、不良とみられる男を次々に殺害したという設定で始まります。殺害事実は認めているのに、動機が不明。取り調べと同時進行で、会社員の家庭や幼少期の出来事が、過去のフラッシュバックと語りかける死者たちとの遣り取りなどから浮かんできます。
 ステージらしい舞台は見あたりません。フロアーにパイプで組み上げた客席が三方にあり、劇が始まると間もなく、いわゆる正面にあったキャスター付きの大型組み立てパイプが移動して、死者らの居場所になったりします。フロアー付近から青白い照明がサーチライトのように闇に走り、ノイズ風のテクノ音楽があるときは低くある時は強く轟音のように響いてきます。
 娘(生者と死者に二重化されている)の引きずるような足取りと音節をずらした発語が平仄を合わせ、確かに言葉が生起するどろどろした部分のイメージは伝わってきます。低くかすかに響く鈴の音が、幽明の境を行き来する合図のようにも聞こえました。

 楽園王のWebサイトによると、この作品は「は1992年春、当時田端にあった田端ディプラッツにて初演。楽園王旗揚げ1年目のことである。現実と非現実の境界線を曖昧にし、迷宮的な物語と、それが翻って現実を浮き彫りにする長堀戯曲の特徴を強く持った作品の一つ。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を護身用に常時携帯していた時期の執筆から影響が強く、また現実に起こったある凄惨な事件を扱ったことから何より恐怖感を感じる作品となった」とあります。

 初演から13年たっての再演。作品の構成は余り変わっていない印象を受けます。調べ室と死者との会話、過去のフラッシュバックなどが入り組んで時には理解不能状態になりました。ツァラトゥストラという言葉が表現されるコンテキストも「お母さんのために薬になる言葉を探す」というフレーズも客席に飛び込まず、宙をさまよっているように感じられました。

 主宰・演出の長堀博士は、利賀演出家コンクール2004で、イヨネスコ作「授業」で優秀演出家賞を受賞しています。別の作品で力量のほどを味わいたいと思いました。


[上演記録]
楽園王「ELECTRIC GARDEN」
 町屋ムーブ(4月13日-15日)

作・演出 長堀博士
出演 松の秀明、大畑麻衣子、塩山真知子、杉村誠子、小林奈保子、二階堂洋右、田中新一、植村せい、岩崎雄大、嶋守勇人、辻崎智哉、小田さやか、吉田郷子、丹生谷真由子(OM-2) ほか

スタッフ 照明:南出良治、音響:齋藤瑠美子、選曲/美術:長堀博士、舞台監督:田中新一、宣伝美術:小田善久、制作:楽園王オフィス

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April 14, 2005

双数姉妹「ラバトリアル lavatorial」

 双数姉妹「ラバトリアル lavatorial」公演が東京・新宿のTHEATER/TOPSで開かれました(4月1日-10日)。

しのぶの演劇レビュー」は「久しぶりに拝見したのですが、ストーリーも演出もとても面白かった」と述べています。どんなお話なのでしょうか-。「Badlands ?映画と芝居と音楽と?」は次のように紹介します。

舞台上にはトイレのセットで、正面に男性用の小便器が3つ、その横には個室が2つ並んでいる。掃除のおばさん(野口かおる)が清掃をしていると、気弱そうな男ノムラ(今林久弥)がひとり逃げ込んできて、個室に閉じこもってしまう。それを追うようにやってきた二人組。ヤギサワ(小林至)とフルイド(佐藤拓之)は、TV局のプロデューサーとディレクターだった。どうやらノムラは、原稿が出来ない脚本家で、ヤギサワとフルイドは、なんとか書き上げるようにと脚本家を宥めすかして出て行く。 昔から公演日ぎりぎりまで本を書き上げることができない脚本家だったノムラには、かつて小さな劇団の座付作家だった時代に、台本の内容をめぐり劇団の女優マサメ(帯金ゆかり)を追い詰めてしまった苦い思い出があった。一方、掃除のおばさんにも、やはり脚本家だった恋人を失った過去があった。舞台は、個室に閉じこもることになったおばさんとノムラのやりとりから、ふたりの昔話が再現され、やがてそれが現在の物語とシンクロしていく。

某日観劇録」は「脚本家の苦労という点では時に細かすぎるほど丁寧に描いているのですが、芝居全体については「それで?」というレベルに留まってしまったという印象です。あちこちに客演するほど実力十分な役者のそろっている劇団ですが、今回は主人公である脚本家(今林久弥)以外の登場人物の印象があまり残りません」と書いています。

デジログからあなろぐ」は次のように指摘しています。

物語構造として丁寧な印象を受ける・・・新しいものを追求する姿勢よりも、描くべき言葉を描くための舞台を作っている。 内面世界と向き合う場所としてのトイレが、スクリーンに内的記憶を排泄する場所として書かれている。 トイレの性質を逆手に取った事で、そこに1つのメッセージが付加されてしまったといえる・・・同じ話を「トイレ」というキーワード無く書くことは容易ではあるが、きっと作家性を巡る物語にしかならなかっただろう。 トイレのトイレ性とでも言うべき人間が共通して持つ感覚を、作家というか1人の人間に投影させることで、1つ内面に入った物語に仕上がったという気がする」と

a piece of cake !」は「彼らの芝居にはどこか、大学の演劇サークルの青臭く、懐かしい香りがする。いや、これは決して悪口ではない」。また「Badlands ?映画と芝居と音楽と?」は役者らを次の通り褒めています。

役者は全員いい。男性陣では、主人公の脚本家を演じる今林久弥、声がとても魅力的な小林至、そして佐藤拓之あたりが特に目立ったが、それ以上に女優陣が素晴らしい。ワケあり掃除婦の野口かおるは不思議な存在感で、場にユーモラスな空気をもたらす。それと対照的に、神経症的な雰囲気をふりまく井上貴子。大きな成長を遂げたのが吉田麻起子。女優陣の中では突出して可愛らしく、それ故に前作では一人浮き上がっていた感もあったが、今回は彼女がそこにいる必然性をしっかりと感じさせてくれた。まだまだ「頑張って演技をしている」という感じが透けて見えるが、今後の更なる成長に期待がかけられる。そして一番の見物は北京蝶々から客演の帯金ゆかり。あの得体の知れぬ存在感は一体何だろう? ぜひ他の芝居も見てみたいと思わせる力に満ちていた。


[上演記録]
双数姉妹「ラバトリアル lavatorial」
THEATER/TOPS提携公演
2005年4月1日〈金〉~4月10日〈日〉

脚本・演出:小池竹見
出演:佐藤拓之 今林久弥 野口かおる 井上貴子 五味祐司 小林至 吉富光宏 中村靖 阿部宗孝 大倉マヤ 近藤英輝 吉田麻起子
帯金ゆかり(北京蝶々)

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April 11, 2005

中野成樹(POOL-5)+フランケンズ「ラブコメ」

 「白鳥のめがね」サイトは東京・麻布のディー・プラッツで開かれた中野成樹(POOL-5)+フランケンズ「ラブコメ」(原作/モリエール『女房学校』)をみて、「喜劇としてのテンポの良さみたいなものはなく、緩慢なリズムが持続する」と押さえたあと次のように指摘しています。

たぶん、主人公の男を嘲笑したおすというのが、本来のモリエールの戯曲のねらうところであり、それをテンポ良く畳み掛けて取り違いのドラマの中で策に溺れて翻弄される様を見せるところに喜劇としての面白みがあるということになるだろうが、そのテンポを思いっきり落として、スローテンポな舞台を作ることで、喜劇的枠組みの中のドラマの側面がむしろ浮かび上がる。

 4月に入って、横浜STスポットでも同じ公演がありました。「白鳥のめがね」サイトはここもフォローして、主人公ド・ラ・スーシュが夢見ていたアニェスとの結婚が挫折する結末が、麻布ディー・プラッツ版と横浜STスポット版では微妙に違ったと指摘しています。

今回、その男の描写がちょっと違っていた。前回は退場してしまったド・ラ・スーシュは、今回は、自分が育て上げ、結婚しようとしていた娘の部屋へと放心したように歩み入って、呆然とあたりを見回すようにして、終わる。 自分の計画すべてが崩壊したところで、自分のしたことを苦渋と共に思い返す男、というところだろうか。なんというか、喜劇の主人公を人間味ある存在に変えて、喜劇の内なるドラマを救い出すようなものになっているというところだろうか。

[上演記録]
◎中野成樹(POOL-5)+フランケンズ 『ラブコメ』(原作:モリエール『女房学校』)
 3月28日-29日、麻布die pratze
 4月08日-10日、横浜・STスポット

構成・演出=中野成樹
出演=村上聡一 福田毅 野島真理 石橋志保

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April 09, 2005

フォルクスビューネ「終着駅アメリカ」(続)

 フォルクスビューネ「終着駅アメリカ」に関して、いつにもまして公演評が多くネットに掲載いされたようです。先に4月2日付で紹介しましたが、さらに本日、以下のレビューを追記しました。

 「大岡淳の反資本主義日記」は「フランク・カストルフ演出『終着駅アメリカ』に関する限り、確かに『過去の上演史を参照する』手法がここでも採用されているのだけれど、一点大きく異なるのは、その『参照』という作業を施した痕跡が、あからさまに舞台上に露呈してしまっている」と指摘。「各場冒頭の舞台の設定を指示するト書き」の処理に関して詳細に分析しています。
 大岡さんは他のメーリングリスト(舞台研究MLエウテルペ)でもこの公演について言及しています。

 また「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」のqueequegさんは原作の固有名詞を読み替えている個所を列挙しながら「原作においては交換可能な記号に過ぎなかったものが、そのコノテーションを思いっきり引き出されて政治とサブカルのにぎやかなコラージュを織り成してる。まあそうとうベタっちゃベタな世界観だけど、まあ普通に楽しい」と述べています。

Posted by KITAJIMA takashi : 12:38 AM | Comments (0) | Trackback

April 07, 2005

青年団「御前会議」

 青年団「御前会議」(こまばアゴラ、3月17日-30日)公演が「春の団まつり2005」シリーズに組み込まれて開かれました。『ヤルタ会談』『忠臣蔵・OL篇』に続く、平田オリザの会議シリーズ第3弾です。

 このWonderlandサイトの常連執筆者だった松本和也さんは4月から独立。自分のwebログサイト「現代演劇ノート~〈観ること〉に向けて」で「御前会議」公演を「政治・形式・紋切型 」のタイトルで取り上げました。「平田オリザの新作『御前会議』は、『もう風も吹かない』にも増して、90年代に培われた平田戯曲の文法(スタイル)に忠実に、しかも体裁としてはよりシンプルに、それでいて会議という場に縦横かつ動的に仕掛けられた関係の網目は複雑に、(当たり前だが)『演劇入門』の作劇法を見事なまでに生かした佳作だったように思う」と切り出しています。

 平田作品は初めてという「演劇時評」の中村隆一郎さんは「平田オリザの重層的な問題意識が平明な言葉で語られ、人間が構成している社会というものの本質にも迫る、知的なユーモア漂う傑作と言っていいと思う」とまとめています。その上で、野田秀樹の手法との違いや、昭和天皇の「お言葉」に関する引用など、興味深い考察があります。

 「デジログからあなろぐ」サイトは「一見町内会のメンバーと、共通項の無い幾つかの議題、それらは殆どなんの解決案も提示されないままにどんどん先送りにされていく・・・それは何故であろうか? つまり、この会議は、結論を出したくない会議なのである」と指摘。責任の所在が不透明で、むしろ中心が空っぽなのに、人間関係の部分で議論が熱くなる日本的な体質が浮き彫りにされているようです。

Posted by KITAJIMA takashi : 12:32 AM | Comments (0) | Trackback

April 06, 2005

燐光群「屋根裏」

 2002年5月に初演、8月に追加公演するなどこれまで何度か上演された燐光群の「屋根裏」がいま全国ツアーの最中です。1月末から2月半ばまで米国ツアー、2月末から伊丹、北九州、金沢、熊本、岡山と回り、3月末から4月16日まで東京の梅ヶ丘BOXで公演。その後、松本、相模原まで続く予定です。

 北九州で上演された舞台を「福岡演劇の今」サイトを主宰している薙野信喜さんが「見せつけられる、大きな構成」という題で次のように書いています。

奥の深い題材をみごとに表現する、大きすぎるほどの構成と圧倒的な切れ味―予想を裏切り続ける展開にもうワクワクした。  ズシリと重い内容とそのための強烈な仕掛けがあるのに、その表現は簡潔で軽やかにさえ見え、含蓄と余韻たっぷりだ。

 この作品は2002年度の読売文学賞戯曲部門賞受賞作となり、紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞[最優秀演出家賞]受賞も併せて受賞しました。燐光群の代表作と言っていいでしょう。

 初演時のパンフに掲載されたあいさつで、主宰者の坂手洋二は次のように記しています。

そう、私は生かされている。いつも、私以外の誰かの存在の御陰によってだ。(中略) これほど劇団員の一人一人をすべて生かそうと思って書いた戯曲は過去にそれほどない。これでがんばれなかったら、みんな俳優や劇団員などやめたほうがいい。私も座付作者を気取ることなどやめてしまおう。  必要なことは、演劇の楽しさである。それが人生の楽しさになるべく、努力したい。こんな脳天気な言い方にこそに厳しさがあるのだとは、このアトリエに辿り着く前の私は、まだ認識し得ていなかったかも知れない。

 生かし生かされる、極当たり前の日常生活が濃密に書き込まれ、この作品のモチーフがさりげなく感じられる一文だと思われます。
 ぼくも02年8月公演と今回の東京公演をみましたが、基本的な考え方は変わりません。以前のレビューは「虚実すれすれ、緩急自在な世界」をご覧ください。

Posted by KITAJIMA takashi : 12:15 AM | Comments (0) | Trackback

April 05, 2005

風琴工房「機械と音楽」

 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)サイトで、皆川知子さんが風琴工房の「機械と音楽」公演(ザ・スズナリ、2005年3月9日-16日)を取り上げています。

 皆川さんによると、物語は「1917年、ロシアの10月革命が成功した夜にはじまる。構成主義の建築家イヴァン・レオニドフを主人公として、ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちがモダニズムを求めて戦い、敗れるまでを描いた群像劇」です。
「レオニドフを演じる役者はまた、革命詩人マヤコフスキーの役も兼ね」「2人の芸術家を一人の役者の上に重ねあわせることで、一見相容れない機械と言葉が、同じ美――つまり人間の幸福を求めて、ともに血を流しているのだと語りかける」と指摘。「芸術における革命のために戦い、苦悩し、絶望した芸術家たちに深い共感を寄せながらも、人間に幸福をもたらすべき真の革命の困難を、冷厳な現実として描き出し」(中略)「観終わった後、私はしばらくことばを失った」と述べています。

[上演記録]
風琴工房code19「機械と音楽」(ザ・スズナリ、2005年3月9日-16日)
脚本・演出:詩森ろば
出演:倉品淳子(山の手事情社) 久保田芳之(reset-N) 鈴木歩己(グリング) 小高仁(第三エロチカ)好宮温太郎(タテヨコ企画)平山寛人(机上風景) 、広田豹、松岡洋子、椎葉貴子、山ノ井史、宮嶋美子、笹野鈴々音
音楽:寺田宏
舞台美術:長田佳代子
照明:関口裕二
音響:青木タクヘイ

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April 04, 2005

1176エグリントン「naivete」

 「デジログからあなろぐ」サイトが、1176エグリントンの「naivete」公演を取り上げました。英語だとナイーブですが、フランス語で何も知らない、愚かなというニュアンスをもつ言葉だそうです(制作日記)。

 「今回の作品は、言葉で感じるという事をさせてくれない作品でした・・・そもそも『言葉』が殆ど無いのですから、言葉を解釈するなど到底無理」。「一番おもしろい!と思ったのは、照明でした」と語り、「照明に促されるように物語が進んでいく」ようすをつぶさに描写して、「語る照明」と名付けています。

 エグリントンは芸術監督の荒木英俊(脚本・演出家)と「惑星ピスタチオ」で活躍していた福岡ゆみこの2人ユニット。「舞台効果や舞台美術、音響、照明、そして役者の演技を融合させ、言葉を視覚的、思想的イメージと等価に近づけていく」作風と、自分たちの特徴を述べています。また「身体感覚を/呼び覚ます/演劇を作ります」とも言っています。みたことのない私にも、ぼんやりながら、イメージがつかめそう。次回はぜひ、足を運びたい集団です。


[上演記録]
1176エグリントン「naivete ナイヴェテ」公演
[日時、会場]2005年4月1日-3日、麻布 die pratze
[作・演出]荒木英俊
[出演]
福岡ゆみこ、中島美紀(ポかリン記憶舎)
泉 光典、入交 恵
村島智之、楠木朝子(劇団桃唄309)

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April 02, 2005

フォルクスビューネ「終着駅アメリカ」

 東京国際芸術祭(TIF)の掉尾を飾ったのは、ドイツからやってきたフォルクスビューネ「終着駅アメリカ」公演でした(3月25日-28日、東京・世田谷パブリックシアター )。テネシー・ウイリアムズの戯曲「欲望という名の電車」をほぼ踏襲した脚本ながら、舞台をアメリカの低所得者向けワンルーム住宅に据え、ブランチは屋敷を売り払って妹ステラ夫婦の家にやって来る、ステラの夫スタンリーはポーランドの元「連帯」幹部という設定です。演出は92年以降、芸術総監督を務めるフランク・カストルフ、舞台美術は大胆な仕掛けで知られるベルト・ノイマンです。
 風琴工房主宰、詩森ろばさんのwebログサイト「LIVESTOCK DAYS」は「仕上がりはメチャクチャコミカルで、猥雑。ポップでロックでパンクでチャーミング」とした上で、次のように書き留めています。

ドリフの如き笑劇であり、前衛的なダンスであり、深いテーマ性を孕んだウェルメイドであり。そんなことが並び立つんだなあ、と深く感じ入り、なんか演劇の可能性ってスゴイって、思っちゃいましたよ。

 「(この作品の)台詞を隅から隅まで覚えている」という「しばいにっき」の筆者は「ここまでウィリアムズを解体するとは! 乱暴で出鱈目で面白いことこの上なし。カストロフが元東独のパンク演劇野郎だということがよくわかった」と気持ちの高ぶりを抑えきれないようです。「ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」も「超刺激的で、いかにも現代的」と話しています。

 コンテンポラリーダンスなどに詳しい「dm_on_web」は「それで実際の舞台はというと、2時間40分もあるのに全然飽きなかったというのが凄いことは凄いのだけど、全く想像の範囲内というか、自分が改めて演劇に興味ないのだということをまざまざと見せつけてくれるような良質さ」と述べ、その上で「ライヴの演劇」が持つ性格に疑問を投げかけています。

 TIFの「劇評通信」ページで、ドイツもこの舞台をみている立教大学教授新野守広さんは、劇中に使われた音楽について、こう記しています。

ルー・リード、ベルベット・アンダーグラウンド、ニコ、ロキシー・ミュージック、ドン・マクリーン(『アメリカン・パイ』)、ジュリー・ドリスコルをはじめとして70年代アメリカのカウンター・カルチャーの音楽がここぞとばかりに流れる中で、第二のインターナショナルとも言われた「ワルシャワ労働歌」が耳にこびりついて離れず、そのリズムに思わず身体が反応して行進をはじめてしまうブランチは、アメリカへの違和感を全身で表現しているとともに、一旦身に染み付いた社会主義国家の現実を捨て去ることの難しさを暗示してもいるだろう。資本主義のオルターナティヴとしての社会主義はもはやなく、一方資本主義には人間を剥奪する力が荒れ狂っている。だが人間は生きる力を捨ててはいない。それを示すのがフォルクスビューネの演劇なのだ。

 この公演に関するプレス資料(PDF)はいつもながら詳細です。主催者側がこれほど充実した情報を提供するケースは珍しいのではないでしょうか。海外の劇団公演などでは助かります。

 ただフォルクスビューネのフルネームは「フォルクスビューネ・アム・ローザ・ルクセンブルグ・プラッツ」。ローザ・ルクセンブルグ広場にある国民劇場という意味でしょうが、ローザとはどういう人物だったか、彼女の名前を付けた広場にあることことをわざわざうたっているkとに意味があるかなど、どこかに書いてあると参考になったと思います。

追記(4月8日)
 「大岡淳の反資本主義日記」は「フランク・カストルフ演出『終着駅アメリカ』に関する限り、確かに『過去の上演史を参照する』手法がここでも採用されているのだけれど、一点大きく異なるのは、その『参照』という作業を施した痕跡が、あからさまに舞台上に露呈してしまっている」と指摘。「各場冒頭の舞台の設定を指示するト書き」の処理に関して詳細に分析しています。
 大岡さんは他のメーリングリスト(舞台研究MLエウテルペ)でもこの公演について言及しています。

 また「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」のqueequegさんは原作の固有名詞を読み替えている個所を列挙しながら「原作においては交換可能な記号に過ぎなかったものが、そのコノテーションを思いっきり引き出されて政治とサブカルのにぎやかなコラージュを織り成してる。まあそうとうベタっちゃベタな世界観だけど、まあ普通に楽しい」と述べています。

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March 30, 2005

project サマカトポロジー「そういえば忘れてた」

 project サマカトポロジー「そういえば忘れてた」公演が新宿のタイニイアリスで開かれました(3月24日-27日)。「『ベタ寄りの不条理』な笑いと『とっても未練がましい』セリフで構成され『さほど計算しつくされてない緻密さ』を武器に暴れるエンターテイメント集団」だそうですが、今公演の評価は高いようです。
 東京と名古屋を行ったり来たりの観劇系ウェブログ「#10の観劇インプレッション」は「結論から言えば面白かった。個人的にこういうの大好き。首尾一貫したストーリーを説明するのは難しいし、あまり意味もない。ただ断片的なエピソードの積み重ねと複雑に絡み合った人間関係があり、人物相関図とか作りたくなる。でも実はその複雑さにそれほど意味がなかったりする辺りも良い」と好感を持っています。
 「休むに似たり。」は「ナンセンスな笑いと繊細な言葉が同居する不思議な手触りの芝居」と何とも言えない魅力を語っています。

 劇団主宰の澤唯さんとインタビューしたとき、次のように話していたのが印象に残っています。

大直球は苦手ですよね。正面切って「どうだ」っていうのはちょっと・・・気恥ずかしさがある。多分、役者としては「そんなもの」と言いながらも、実際やったら気持ち良かったりするんじゃないかと思うんです。ただ、書いたり演出したりという視点から見たときは、どうしてもそれを茶化したくなるんです。だから、同じようなことをやっているんだけれども、見ている側が、それがパロディーであるとか、それを少しズラしているんだということを分かって笑える方法を選択することが多いですね。その中で「ボソッ」と本音が出るところをどうやって拾ってもらうかというところに苦心しているような気がします。
 インタビューしたのに、日程の都合でどうしても舞台はみられませんでした。残念です。次回は足を運びたいと思います。
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March 29, 2005

ファミリア・プロダクション「ジュヌン 狂気」(続)

 ファミリア・プロダクション「ジュヌン 狂気」公演評(3月21日掲載)に追記しました。
 曽田修司の「 ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」、薙野信喜さんの「 福岡演劇の今」、それにBlankPaperさんの「Somethig So Right」も、「表現の力強さ」「ことばの迫力」「言葉の圧倒的な強度」に強い印象を受けているようです。
 しかし全く逆の見立てもあります。「しばいにっき」は「どこかで見たことのあるようなものばかり」と、厳しいと言うより、評価の手がかりを見出せないようです。
 

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March 28, 2005

飛ぶ劇場「Red Room Radio」

 東京国際芸術祭で、北九州市を本拠地に活動する「飛ぶ劇場」の「Red Room Radio」公演(3月11日-13日、東京芸術劇場小ホール2)が開かれました。
 「男性40代オスの負け犬(笑)。職業大学講師。一応、文学専攻だがほとんど研究せず『表現法』などの授業と雑用ばかり。演劇は最近集中的に観ており、勉強中」というBlankPaperさんのサイト「Somethig So Right-東京舞台巡礼記」がこの公演を取り上げ、「ズシンと心の中に杭を打たれたような気持ちになって帰ってきた」と書いています。内容はかなりヘビーなのでしょうか。「『NYLON』や『大人計画』の終末が、どこか観客が別の世界として観られる枠に収まっているように感じられるのに対して、この芝居の終末は、なんだか他人事ではいられないところがある」とも述べ、内容に分け入っています。

 「休むに似たり。」サイトも「この救いの無い物語、どこかに気持ちがフックされるのです」と書き留めます。

 「デジログからあなろぐ」サイトは舞台の様子を詳しく紹介しながらも、最後に「物語がどうのこうのというよりも、私は役者陣の個性豊かさにワクワク。キャラクターの濃い人がいっぱいだなぁ・・・あんな馬鹿なことを本気でできるのが羨ましいです」と役者の個性に感心しているようです。

 「ゾウの猿芝居」サイトの鈴木厚人さんは「レッドルームレディオ -飛ぶ劇場の人を喰った芝居」というタイトルでこの公演を取り上げ、「今の私にとって、非常に貴重な演劇体験になった。胸が痛くなるほど考えさせられたからだ。なぜか?」とした上で、物語の展開が「安易に過ぎないか」と問い掛けます。鈴木さんは劇団印象(indian elephant)を主宰。舞台を正面から受け止めた上での発言とみられます。コメント欄にも書き込みがあり、議論が発展するのでしょうか。

[上演記録]
飛ぶ劇場「Red Room Radio」(東京芸術劇場小ホール2、3月11日-13日)
東京国際芸術祭参加作品

作・演出: 泊 篤志
舞台監督: 福田修志(F's Company)
舞台美術: 柴田隆弘
照  明: 乳原一美
音  響: 杉山聡
衣  裳: 内山ナオミ(工房MOMO)
小道具:  橋本茜(Art Stage KenTa)

出演: 寺田剛史/内田ゆみ/橋本茜/有門正太郎/鵜飼秋子/北村功治/藤原達郎/権藤昌弘/内山ナオミ/門司智美/葉山太司/藤尾加代子/木村健二/加賀田浩二/桑島寿彦

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March 27, 2005

ポポル・ヴフ「ドライトマトと飛行機と裏声」

 大阪・京都を中心に関西で活動しているパフォーマンスグループ、ポポル・ヴフの「ドライトマトと飛行機と裏声」公演が大阪のアリス零番館で開かれました(3月2日)。京都橘女子大学でアーツ・マネジメントを教えている小暮宣雄さんのメールマガジン「KOGURE Journal/Express」(vol.1532、3月24日発行)がこの公演を取り上げています。同じ内容が、小暮さんの「日録」ページとwebログ「【こぐれ日乗】消えつつ残りつつ」の双方に掲載されています。

 「抽象的だが穏やかな肌合いが感じられ」る「巧妙な音環境」を指摘したあと、次のように述べています。

ポポル・ヴフ(征服されて消されたマヤ神話自体は何も知らないのではあるが)とじっくりとつきあっているぼくには少しずつ、少しずつ、ここのダンスの核心みたいなのが見えてきているので、心底嬉しくなる。
それは、《水平線の不確かさのなかで、きれいでゆたかなのにすこしさびしい意思の所在を探すたび》なのだろうとかってに思っている。ダンスする二人は互いを意識しつつ意識しない。別々であって一緒なのである。2つめの座ってのストイックなダンスパート部分(はまだくみ&徳毛洋子スレンダーペア)においても同じこと。線香花火の映像も「きれいでゆたかなのにすこしさびしく」燃えている。
終わりを始まりに予感させ、終わりも余韻を残さないシンプルさ(さっと機械的に消える最後の映像だけは、もっとゆっくりとじわじわ消えていくのでもいいように思うのだけれど)。

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March 25, 2005

若手演出家コンクール2005

 日本演出者協会主催の「若手演出家コンクール2005」最終審査が行われ、3月8日の公開審査で最優秀賞に佐野崇匡(東京ミルクホール)と広田淳一(ひょっとこ乱舞)の2人、観客賞に左藤慶(WANDELUNG)が選ばれました。
 早稲田大学の学生サークル主催「Review-lution! on-line」サイトが、この選考結果に異議を申し立てています。「演出家協会に物申す」(by 外山タカキ)と「納得できませんね。」(東京ミルクホール 劇評 by 井上晋平)の2本。コメントにも長文の評が載っています。公開審査会で各委員がそれぞれどう言ったかなど、詳細な紹介があれば分かりやすいのですが、演出者協会のwebサイトにも選考経過は載っていないし、「Review-lution! on-line」の東京ミルクホール公演評だけでは状況をつかみがたいのも事実です。もうすこし読む人の判断材料があると助かりますね。

 日本演出者協会のwebサイトには残念ながら、最終的に審査委員はだれか、また審査での発言なども載っていません。昨年の選考委員は次の通りでした。
瓜生正美(青年劇場)/青井陽治(カンパニー・ワン)/岩淵達治(フリー)/加藤ちか(舞台美術家)/七字英輔(演劇評論家)/福田善之(日本演出者協会理事長、フリー)/森井睦(ピープル・シアター)/宮田慶子(青年座)/由布木一平(埼芸)/流山児祥(流山児★事務所)

最終審査に残った参加者は次の通りです。 (50音順)

・小松幸作(東京都) 海市(Kaishi)ー工房『アゲハ』
・左藤慶(東京都) WANDELUNG(ワンデルング) vol 6.9 petitwande『オハコ△▼ロック♪』
・佐野崇匡(東京都) 東京ミルクホール『大連☆純愛カーニバル?ドキッ、春だ!祭りだ!若手演出家コンクールだ!新入学おめでとう特別ディレクターズカット総集編2005~』
・清水友陽(北海道) 清水企画『隣の王様』
・白坂英晃(東京都) はらぺこペンギン『晩餐会』
・広田淳一(東京都) ひょっとこ乱舞『カリギュラ』

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March 24, 2005

劇団無限蒸気社「BARBER OHCHESTRA」

 劇団無限蒸気社は「質の高い芸術表現を目指し地域性を生かした特色溢れる自作台本を上演し続ける事を目的に1996年愛媛県において創立」したそうです。
今年の東京芸術祭リージョナルシアター・シリーズのトップを切って、東京・池袋の東京芸術劇場小ホールで「BARBER OHCHESTRA」公演を開きました(3月2日-3日)。
 この公演に関して、葛西李奈さんからレビューをいただきました。以下、全文です。

◎日常のリアリティと非日常の訴え それぞれの言葉の意図は?

 劇場に入り、目前に広がるセットに思わず小さく声をあげる。豪華なセットに溜め息、というよりは、奥行きを出すために左右に置かれた数枚のつい立の配色の使い方によるものか、その厳粛な空気に瞬時に入り込んだ驚きを隠し切れなかった、と言ったほうが良いかもしれない。客入れ音楽も一切無し、である。

 パンフレットから、今回の公演「BARBER ORCHESTRA」のあらすじを引用する。

 日露戦争からちょうど百年。日本で一番初めにロシア人捕虜が収容された街。今も彼らの魂が眠るその地から、物語は始まる。街中のとある理容店。そこに小さな小包が届く。差出の日付は百年前。そえられた手紙にはこう書かれていた。
『おばあちゃんです。もうすぐ生まれます』
 歴史の封が開けられる。理容師たちのざわめきはオーケストラの響きに、黒髪の囁きはバイオリンの音色へ。「彼女」をめぐって闇の楽団が動き始める。高らかに鳴るは忘れられた交響曲。イースター(復活祭)の夜。最終楽章は成るや否や。

 無限蒸気社は、1996年に愛媛県松山市他の有志により創立された「半抽象表現」をコンセプトとして掲げている劇団である。「半抽象表現」とは、日常と非日常のはざまを描き、そこから見える真実性を舞台に乗せる表現方法、つまりは「夢の具現化」を試みるような方法論であるとのこと。また、愛媛特有の神事や歴史を表現の中に取り入れており、他には無い、地域に根ざした芝居づくりを目指しているそうだ。コンテンポラリーダンスなど、言葉と表現の融合なども試みとして行っているとあって、今回はその在り方の難しさと奥深さを、観客そして表現者に投げかけた公演であったのではないだろうか。

 物語は観客に背を向けた男の独白で始まる。早口で言葉を並べ立てると、すぐに別の男2人が現れる。2人は、舞台に背を向けていた男に新聞紙をかぶせる。3人の男の後ろからもう1人の男が現れ、男2人は呼吸を整え始める。が、瞬時にしてその空間は壊れる。男達は全員何かに引っ張られるようにして舞台から消える。次に現れるのは少年の匂いを漂わせる女。音に合わせて体をくねらせる。その動きは機械的であり、かつ操り人形のようだ。つい立ての脇からすっと現れる机に乗った人形の生首。女はゆっくりと、舞台奥の暗闇に消えていく。私は寺山修司の戯曲世界を思い出す。視覚的・聴覚的に訴える力が非常に大きい舞台だ。

 ところが、この後理容室の場面が出てきて、生首がカット見習い練習用のものだと観客に知れたところから、舞台は「物語性」を持ち始める。あらすじは上に引用させていただいたものを記載したが、要するに過去と現在の繋がりが描かれるのである。

 しかし、「物語性」は瞬時に観客の身に委ねられ、舞台では幻想世界が展開する。そしてまた、物語の展開は舞台上に返される。つい立てを利用し、左右自在に移動することによって空間を駆使しているのは興味を惹かれるが、私はこの抽象表現とリアリティの差がはっきりしないことで集中力が遮られてしまい、物語を追うことが出来なくなってしまった。途中で新聞紙が大量に落ちてくる演出があったが、「美しい」と感じられるばかりで、意図が読みきれず、ある種のもどかしさと悔しさを拭い去ることが出来ないまま、終演後、会場を後にした。

 開演前、案内で「半抽象表現」を表現方法として用いていると知って「なるほど」と思ったが、だとすると私のように「物語性」を追ってしまう観客には厳しい一面があるのではないかと感じられた。その一番の問題はこちら側に「言葉を発する責任」の重さが投げられてしまっているように感じられることだ。放たれる言葉が、こちら側に思考を帯びさせてしまう言葉なのである。感覚の流れに放り出されることは心地良いが、それに思考が伴うと何がやりたいのかこちらに伝わらず、息苦しくなってしまい、舞台を見る目に素直になれなくなってしまう。もし、これが劇団側が確信犯でやっていることだとしたらまた違ってくるが、もしそうではないのだとしたらもっと「日常のリアリティ」を作り込み、提示して欲しいと思ってしまった。美術や音響のセンスが高い故に、このように感じる気持ちが強くなっているのかもしれない。どちらにせよ、非常に勿体無いと思った。

 ただ、これから先、この劇団が「半抽象表現」を追求していくことには興味がある。このバランスの取り方は難しい。「日常のリアリティと非日常の訴え」を確立するまでの劇団の成長が、今後の課題となってくるところではないだろうか。
(葛西李奈 2005.3.3 観劇)

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March 21, 2005

ファミリア・プロダクション「ジュヌン 狂気」

 実在の若い統合失調症患者と女性精神療法医の15年に渡る対話の記録を題材に、家族の崩壊、貧困と虐待、アラブ社会の敗北、宗教的抑圧など、さまざまな社会的重圧によって押しつぶされたチュニジアの若者の出口なき絶望と屈折、内面の崩壊と再構築を見事に描き切る。社会と狂気の関係に深く切り込んだ問題作-。東京国際芸術祭(TIF)のwebサイトでこう紹介されているチュニジアの劇団ファミリア・プロダクションによる公演「ジュヌン . 狂気」が東京・パークタワーホールで開かれました(3 月18日-20日)。
 TIFのwebサイトに設けられた「劇評通信」ページにも早速、河野孝 ( 演劇ジャーナリスト )、エグリントンみか ( 英演劇・演劇批評 )の2人によるレビューが掲載されています。作品の内容、社会的背景、演劇の特質などがそれぞれ力を込めて紹介されています。
 同サイトの公演情報プレス資料も貴重な紹介だと思います。興味のある方はご一読ください。

追記(3.23, 29)
 曽田修司さんの「 ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」がこの公演をみて次のように書き記しています。

終演後、某放送局最高幹部の人が、「私は絶対に確信したわ」という口調で、「(この舞台は)モノが違うわね」と宣言していた。そうだったのだ。「モノが違う」。
つまり、舞台の構成力や、表現の力強さがケタはずれなのだ。これほどまでに妥協を排した舞台を作り出せる精神というものに、日本ではなかなか出会えない。
・・・ということを、見終わったあとに自分の中で何度も確認し、反芻するような、そう、そうせざると得ないような舞台である。あたかも、チェスのチャンピオンの試合を見ているような、理詰めの、しかし、自分の存在をあらわにするような、神経がヒリヒリするのが明らかに見える、すべてがあらわな舞台なのである。

また「世界があらかじめ毀れてしまっていることに知らず知らず気がつかされてしまったかのような、とんでもない舞台」とも述べています。

 「福岡演劇の今」サイトを主宰する薙野信喜さんは「言葉の力が、迫ってくる」とのタイトルで取り上げています。「現実をギリギリまで見つめ顕わにしていて、暗くて救いのないという内容だが、この舞台を観ていると、表現することで現実が客観化され、救いのない現実が浄化されるようにさえ感じられた」とした上で、次のように書いています。

ヌンを嫌いつづけた母親をはじめとする家族の心の中の”おり”が言葉となって出てくる(略)。独白が多い中で、兄が刑務所から戻ってくる海辺のシーンや、家族の食事における皿のやりとりのような象徴的なシーンが織り込まれ、独白シーンとガッチリと繋がれるというみごとな構成だ。

 「Somethig So Right」も「もっともこころに残ったのは、言葉の圧倒的な強度である」と書きとめ、具体的にその場面を提示、分析しています。

 しかし、この芝居を評価するレビューばかりではありません。「しばいにっき」サイトはまったく逆の見立てです

">(ファーデル・ジャイビは)フランス語圏演劇の二流(三流にはあらず)演出家というのが実際のところだろう。見事だが空虚なミザンセーヌ、思わせぶりな沈黙やポーズ、子供のゲームに打ち興じる俳優たち、音楽に合わせて振り付けられた俳優の動きなどはどこかで見たことのあるようなものばかり。光と音がシンクロする中で俳優たちがポーズを決め、短い言葉がテンポよく交わされる幕切れは80年代日本の小劇場演劇のフラッシュバックかと思ってしまった。

 複数の知人も同じような感想を漏らしていたので、これもまた有力な見方だと思います。
 それにしても、同じステージが多様な見方を可能にする。その不可思議なおもしろさを味わうこのごろです。
(注)ぼくの感想は、別建て掲載に回します。

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March 20, 2005

アルカサバ・シアター「壁―占領下の物語II」

 パレスチナの状況を演劇で発信するアルカサバ・シアターが昨年の「アライブ・フロム・パレスチナ―占領下の物語」公演に続き、今年の東京国際芸術祭に新作「壁-占領下の物語II」で登場しました(3月10-15日、東京・新宿のパークタワーホール)。今回はNPO法人アートネットワーク・ジャパンとの国際共同制作。舞台美術は日本のメディアアーチスト椿昇が担当し、自治区を貫いて建設されている「壁」を舞台に組み上げ、圧倒的な迫力でせまります。
 「東京国際芸術祭(TIF)」のwebサイトに「劇評通信」ページが設けられ、河野孝 ( 演劇ジャーナリスト )とエグリントンみか ( 英演劇・演劇批評 )の2人がそれぞれ「 壁-占領下の物語II 」のレビューを掲載しています。主催団体がレビューを掲載するという試みは、公演の意義を広く社会に定着させたいという熱意の表れかもしれません。
 またこのwebサイトは公演紹介ページも充実し、「プレス資料」(pdfファイル)は作品の内容や背景を詳細に紹介しています。

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March 15, 2005

劇団千年王國『SL』

 東京国際芸術祭のリージョナルシリーズで、札幌を拠点に活動している劇団千年王國「SL」公演が開かれました(3月12日-13日、東京芸術劇場小ホール1)。作・演出の 橋口幸絵さんによると、この作品は16年前に書かれた第1作で、たびたび手を加えて再演されてきたそうです。劇団として2003年に1回、それに今年1月に札幌で再演された舞台ですから、劇団の中心演目と言っていいではないでしょうか。
 このところ精力的に東京の舞台を見ている「デジログからあなろぐ」サイトは「まず始めにこの一言だけを言っておきたいのですが、素晴らしかったです。物語もさることながら、演出、音響、照明、そんなスタッフワークのクオリティーの高さが一際目立った作品でありました。(中略)エネルギー溢れる男性陣の演技に支えられている最近ではなかなか珍しい劇団でした」と脱帽しています。

 劇団千年王國は1999年に結成された北海道・札幌市を拠点に活動する劇団。webサイトで劇団の活動を次のようにまとめています。

全ての作品の脚本・演出をてがけるのが橋口幸絵。千年王國としての『SL』が学生時代から通算すると17本目の演出作品となります。
作品作りは橋口を中心に、脚本作りをサポートする文芸助手、稽古場を運営する演出助手、舞台裏を固める演出部・衣装部、公演全体を支える制作部を核として、劇団員キャストに外部ゲストを公演ごとに加えてカンパニーを形成するプロデュース形式。作品の特性上、重要な役割を担うスタッフワークには札幌市内の第一線で活躍する舞台スタッフが継続的に参加しています。

この劇団の公演をみようとチケットも購入していたのですが、ほかの予定が入って残念ながら出かけられませんでした。

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March 14, 2005

西田シャトナー演劇研究所「感じわる大陸」

 名古屋に拠点を移したシャトナー研(西田シャトナー)が、名古屋で初めての公演を開きました。タイトルは「感じわる大陸」(七ツ寺共同スタジオ、3月07-08日)。関連のWebサイトによると「台本なし、プロットあり、暗転代わりに生演奏! 企画立ち上げから本番まで1週間という極限状態のなかで、恐ろしい(役者にとって)舞台の幕がいまマジであがる!」だそうです。相変わらず意欲的な作品だったようですね。
 「観劇の日々」サイトは「とにかく出演者全員が楽しんでて、観客にもそれが伝わって、巻き込まれてさらに盛り上がって、その場にいる全員が創り上げた舞台という感じで(中略)お勧め度9(10段階)」だそうです。

[上演記録]
西田シャトナー演劇研究所「感じわる大陸」

【日時】
2005年3月7日-8日

【場所】
七ツ寺共同スタジオ

【出演】
足立盟(-芝居空間-獏工房)
遠藤のりあき(E-style)
浦麗(メガトン・ロマンチッカー)
牧野謙(アーノルド.エス.ネッガーエクスプロージョンシステム)
草野.com
山口純(演劇襲団海賊船 II)
紗智(PERFORMERS「?」)
渡辺浩司(劇団とりあえず~F.O.A~)
ニシムラタツヤ(AfroWagen)
登紀子(アプリコットバス)
西田シャトナー

【スタッフ】
作・演出:西田シャトナー
照明:ありま
プロデューサー:大橋敦史(東海シアタープロジェクト)
制作協力:東海シアタープロジェクト

【協力】
七ツ寺共同スタジオ

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March 13, 2005

万能グローブ ガラパゴスダイナモス「ザ・グラマーボーイズ」

 年末年始のページに動きのなかった「福岡演劇の今」サイトが2月に入ってから活発にレビューを掲載しています。一安心しました。3月は執筆中の公演が4本、掲載済みが3本。その中で、万能グローブ ガラパゴスダイナモス「ザ・グラマーボーイズ」公演(3月10-11日、甘棠館Show劇場)を取り上げています。 ガラパゴスダイナモスは「1年の準備期間を経て」活動開始。今回が「第0回公演」(旗揚げ前のプレ公演)だそうです。福岡演劇の今」は「いいもの持ってるから、ねぇ」とのタイトルで冒頭、次のように述べています。期待が分かりますね。

無理やりでも見せてやろうという意欲が、多くの欠点を引きずりながらも、ラストまで何とか観客を引っぱっていくという舞台だった。
 その欠点の影に、まだ発見されていないこの劇団の演劇の魅力が埋まっているのを感じた。それを早く掘り起こしてほしいと願う。…


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March 12, 2005

松本修構成・演出「城」(カフカ原作)

 「演劇時評」サイトはときに辛口ですが、1996年から続いている貴重なサイトです。筆者は中村隆一郎さん。「ひとりの観客として感じたことを率直に書いています。Web上の劇評は若い人のものが圧倒的に多いのですが、僕は二回りほど上の世代」だそうです。舞台への目配りや確かな文章からも、そんな落ち着きが感じられます。ただ続く文章で「だから青年達には珍品に見えるかもしれない。このギャップ(は)掲示板を読んで見たら楽しめると思います。意見があったら書き込んで下さい。毒にも薬にもならない役立たずの劇評に対抗してラディカルに劇を論じたいひとのために」とありました。なるほど。底力を感じるのはそのせいだったのですね。
 その中村さんが、東京・新国立劇場で開かれた松本修構成・演出のカフカ原作「城」公演(1月14日-30日)を取り上げました。

この芝居には映画やテレビでは到底味わえない舞台ならではのおもしろさがふんだんに盛り込まれている。松本修は実に摩訶不思議で猥雑でわくわくするエネルギッシュな劇世界をつくったものだ。これはカフカの「城」に違いはないが、少し大所から眺めると、60年代から始まる不条理劇や「新劇」解体、小劇場運動、あとに続く野田や鴻上たちを飲み込んで我が国の演劇文化を集大成したような様々の要素をカフカの世界で束ねた一種のパフォーミングアートになっている。…
 持続的に芝居を見てきた人のことばだけに、見逃したのが悔やまれます。

[上演記録](新国立劇場webサイトから)
スタッフ、キャスト、あらすじなど
舞台写真

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March 11, 2005

裸伝Q「黄色い線まで」

 「裸伝Q」は作・演出の鍋島松濤さんが主宰する演劇ユニット。東京・中野のスタジオあくとれで第7回公演「黄色い線まで」が開かれました(2月17日-20日)。鍋島さんによると、「子供の頃に描いた淡い夢、その残像が微かに残った大人達のお話」だそうです。

 劇評サイト「SayCorner」を運営している清角克由さんは、「役者四人による舞台。何か大きな事件が起こるわけではなく、ただ会話と過去への回想でシーンがつづられる。本来であれば、僕の苦手なタイプの芝居なのだが、最後まで芝居に飽きることなく見ることができた」と感想を述べ、「『サル劇』~サルでもできる演劇講座」も「鍋島さんは、無理をしない。大きい小屋だとか、派手な装置だとか、そういったものでゴマカシをしない。伝Qの芝居は、心地よく地味だ」と書いています。
 今回は日程の調整が出来ずに見られませんでしたが、前回公演「ほどけないヒモ」の印象も「心地よく地味」でした。ぴったりの表現だと思います。前回公演前のインタビューにも目を通してください。ちょっと珍しい名前の由来や演劇に対する考え方が述べられています。

[上演記録]
「裸伝Q」第7回公演「「黄色い線まで」
会場:中野スタジオあくとれ
   2005.2/17~2/20
作・演出:鍋島松濤
出演:
朴贊革、 しゃこ、 智絵、 稲葉能敬(劇団桟敷童子)

スタッフ
照明:松本 永(光円錐)
制作:裸伝Q
制作助手:宮田沙織
宣伝美術:大西由美子
協力:劇団桟敷童子

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March 09, 2005

山の手事情社『狭夜衣鴛鴦剣翅』

 この公演は2003年1月、東京・下北沢のザ・スズナリで開かれました。ちょうど2年経った今年1月、演劇通の間で密かに知られる「ひびのさいと」が「構築と脱構築の永久往還運動」というタイトルで取り上げました。筆者は成蹊大学文学部の日比野啓助教授。アメリカ演劇・映画、日本近代演劇、演劇理論を専攻する気鋭の研究者です。2年以上前の公演を紹介するのはこのサイトとして異例ですが、リンク先の一文を読んでいただければ賛否を超えて納得していただけるのではないでしょうか。
 昨年末、山の手事情社が結成20周年記念公演を青山円形劇場で開き、劇団(訓練された団員たち)の高い力量を見せたことも、「異例」を許容する少なからざる理由になっています。

 「ひびのさいと」はまず、次のように書き始めます。

 一九六六年十月二十八日から三十日、戸山ハイツ灰かぐら劇場で三日間だけ上演され、たった四十人しか観客が来なかったという状況劇場の野外劇『腰巻お仙・忘却編』、あるいは一九七六年十月VAN99ホールで上演された夢の遊眠社の実質上の旗上げ公演で五ステージしか行われなかった『走れメルス』と同様、二〇〇三年一月下北沢ザ・スズナリ、山の手事情社の『狭夜衣鴛鴦剣翅』上演は、七ステージというその短さにもかかわらず、いやそれゆえにかえって、日本の現代演劇史に残る伝説となった。

 この3公演をぼくはみていないので、残念ながら演劇史的総括をする立場にありませんが、公演の意義を次のようにまとめた個所は記憶にとどめていいのではないかと思いました。

 もちろん、歌舞伎も文楽もたえて取り上げなかった並木宗輔による浄瑠璃台本を初演以来二百六十余年ぶりに再演した、ということも賞賛に値するだろう。しかし何よりも、日本人の身体性(というフィクション)はどのように構築されるべきか、というアングラが提起した課題にこたえて、鈴木忠志以降の世代ではじめて一つの説得力のある答えを出しただけでなく、それを身体のレベルから物語のレベルに昇華させて示してみせたことにこの公演の意義がある。

 以下、その理由を述べています。全文は改行も少なく読みづらいかもしれませんが、ぜひご一読ください。

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March 08, 2005

劇団印象「幸服」

 劇団印象の第3回公演「幸服」が横浜のSTスポットで開かれました(2月10日-13日)。慶応大出身者らが2003年に旗揚げ。当初は言葉遊びを多用した野田秀樹風のスタイルを採用していたが、昨年11月公演から「言葉にこだわった『エッチで、ポップで、ドキュメンタリー』な芝居でオリジナリティーを確立すべく奮闘中」だそうです。
 今回の芝居は父親と息子、それに父が通うバーのホステスがアパートの一室で展開する密度の濃い会話劇と言っていいのではないでしょうか。

 スタッフに友人がいるらしい「Sharpのアンシャープ日記」は「日曜日の夜6時からの開演だったのだが、もうすぐ『サザエさん』が始まるだの、7時から夕飯を食べ始めるのに献立は何にするだの、表面的にはリアルすぎるほどにリアルな日常生活の中で時間を進行させつつ、その根底で、通奏低音のように、家族とは何か、個人のアイデンティティとは何か、という問題を深く掘り下げていく」と書いています。

 舞台はアパートの一室。壁一面に女性の下着が飾られています。父親は女装が趣味。そのせいか母親と別居(離婚だったかな?)しているけれど、息子と同居している。そのアパートに、父がよく行く女装バーのホステスが姿を現すところから舞台が始まります。
 父と子、男と女、客とホステスという3層の関係が濃縮された空間に描かれるのですが、衣装を媒介とした「性」と「生」がいやでも浮かんできます。

 舞台の実際はどうだったか。劇団印象の主宰者鈴木厚人さんが個人ブロク「ゾウの猿芝居」サイトに「酷評から学べること」というタイトルで次のように書いています。

テーマがわからなかった、というアンケートも多かったのですが、
わからないこと、難しいことが問題なのではなく、
わからないけどわかりたい、と思わせられなかったことが問題で、
わからないが面白い、と思ってもらえなかったことが問題なのだと思います。

わからない、と言わせてしまったら負け。
面白い芝居は、わからなくても面白いし、
わからないことを忘れるぐらい面白いものだから。


これはその通りでしょう。唐十郎の芝居はその典型ではないでしょうか。あとでよく考えると荒唐無稽な筋書き、矛盾する仕掛けに気付いても、劇場で見ているときは放射する強烈なエネルギーに圧倒され、劇世界に引き込まれ、気が付けばはるか遠くまで飛ばされてしまうのです。

意味を説明するのだとしたら、 幸福のメタファーとして、幸服を配置し、 孤独のメタファーとして、空腹を配置しました。 (hangerとhungerは別にかかっていない) というのは、現代における空腹とは何に対する空腹なのか、 物質的にはいつも満腹だけど、 精神的にはいつも空腹である、 それは孤独がより一層、重みを増しているからではないのか、

そして、今思えば、そこが描き足りなかったのですが、
孤独になることが幸福か、
孤独を埋めることが幸福か、という対立を見せたかった、
ゆえに、
孤独な人間が家族を食べて、空腹と孤独を埋める、
そのことを腑に落ちるように描く演出力、脚本力が及ばず、
わからない、と言わせてしまっているのだと思います。
また、一人の人間が家族を食べてしまうまでのバックグラウンドが、
見えてこない、そこが「私の中では落ち」なかった原因だと思います。


 そこまでの射程があったとは気が付きませんでした。「父子相克」の末の「父子同根」が、この芝居の着地点に用意されています。それがまた、家族や孤独や空腹と絡んで重要なポイントだというわけです。おそらくその辺を実感できるかどうかに、公演評価のカギがあったように思われます。

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January 29, 2005

地点 『雌鳥の中のナイフ』(続)

 地点 『雌鳥の中のナイフ』公演に関して先に、いくつかのレビューを紹介しました。その後、新しいサイトが分かりましたので追加します。「大岡淳の反資本主義日記」と「デジログからあなろぐ」です。いずれも三浦演出を高く評価しています。20日付の紹介ページも併せてご覧ください。

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January 28, 2005

「私が選ぶ10の舞台」

 「中西理の大阪日記」が「2004年の演劇ベストアクト- 私が選ぶ10の舞台」を掲載しています。チェルフィッチュ「三月の5日間」「労苦の終わり」、クロムモリブデン「なかよしshow」「ユカイ号」、維新派「キートン」が上位3劇団でした。特に「チェルフィッチュ」の可能性に期待しています。中西さんは早くからこのユニットに注目し、「ハイパーリアルな口語劇」の実現として高く評価していました。

 「2004年最大の事件はチュルフィッチュの岡田利規の登場だ。平田オリザが90年代半ばに「現代口語演劇」をひっさげ颯爽と登場して現代演劇の大きな流れを作って以降その方法論に触発されるように劇作家が次々に出現したが、その多くは群像会話劇であった。チュルフィッチュが衝撃的だったのは「口語演劇」でありながらモノローグを主体とするまったく新しいアプローチを持ち込み、演劇として再現することが難しいような若者の地口のような会話体を駆使し「ハイパーリアルな口語劇」を実現してみせたことで、岡田は平田以来の才能といっていい」

 中西さんは長年小劇場の舞台をつぶさに見てきた方です。チェルフィッチュの刺激的なステージは多くの方に体験してもらいたい、そして自分で判断してもらいたいとぼくも思います。

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January 27, 2005

ピンズ・ログ公演「サラミの会」

 「映研サークルの部室を舞台に現役部員とOB達、これから自分達は何をしてくんだろう、という時期を丁寧に描いた一本」「人物が何故そこに止まり、何故気持ちが動くかなどの感情に無理がないのが凄いのです。例えば本筋とは何の関係もないけど初対面の現役とOBがキットカットの受渡し一つで距離がぐっと近くなるとか。巧いなぁ」
 おそらく年間200本以上の芝居を見ている(はず)の「休むに似たり。」さんが「巧い」というのですから、ホントに巧いのだと思います。「ピンズ・ログ」の「サラミの会」公演(1月21日-24日、中野ウエストエンドスタジオ)。

 しかも、「映研とOBと学生たち、というシチュエーションでは、ナイロン100℃の「カメラ≠万年筆」のような名作があるわけですが(中略)自分の先行きに対する不安な感じは若い(と思うのだけど)本作の作家の方が、より瑞々しい」と買っています。

[上演記録]
ピンズ・ログ 2005年1月公演「サラミの会
作・演出 平林亜季子

出演   小山亜由子/佐川大輔(theatre moments)/桜井稔
      迫田圭司(アーバンフォレスト)/鈴木雄一郎/高橋一路(feel & move)
      滝寛式(はえぎわ)/立花幸博(いとちちファイブ!)/寺田未来
      正岡拓野(劇団ひまわり)/松岡規子/森川佳紀(サニーサイドウォーカー)
      森本真由美(インターメディアエンタテインメント)/和田好美

音響:高塩顕
照明:シミズトモヒサ
舞台監督:吉川悦子(MDC)
制作協力:三村里奈(MRco.)

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January 26, 2005

小鳥クロックワーク「わが町」

 「fringe」サイトを主宰する荻野達也さんが小鳥クロックワークの公演『わが町』について長めのレビューを載せています。

「西氏の演出作品を観るのは、04年の劇団山の手事情社EXTRA企画『作、アレクサンドル・プーシキン』に続いて2本目。スタイリッシュだった山の手公演同様、台詞の大胆な抑揚と繰り返し、カットバックが目立ちます」と指摘した上で、(ソーントン・ワイルダーの)「名作『わが町』なのだから、テーマ性や構成が見事なのは当たり前ですが、その感動を何倍にもする演出上のたくらみがこの上演にはありました」と具体的にいくつかのシーンを挙げて説明しています。

 「休むに似たり。」は「『ファッションショーのような演出』とある人が言いました。まさにそんな印象。というか、それは演出の一部を示しているにすぎません。繰り返しや極端に遅い芝居、ポップだったりいろいろ。見ていて飽きません。若い役者がてんこもり、胸焼けしそうなぐらい。彼らが演じる「わが町」。ふつうの日常から結婚、死につながる3幕の芝居は、1幕目の日常若い役者がリンクして涙してしまうあたしなのです」と要約します。

 「某日観劇録」は、「ほんとに何でもない、ある面では単調な住人の日常。それに着目して、進行役がいろいろと説明する芝居に仕立てた脚本のよさが光ります。これに若いカップルの結婚と、その後の話を追加することで、何気ない日常がどれだけ貴重かということを観る側に知らしめる手際が鮮やかです」と原作を持ち上げつつ、「これに対する演出は極端な早口と遅口、短い繰返し、舞台を動き回る役者、オープニングとエンディングのパレード(?)、蛍光灯を使った照明、ほとんど素舞台のなど「『作、アレクサンドル・プーシキン』」と同じテイストです」としています。

(注)
 小鳥クロックワークとしては最後の公演だそうですが、webサイトには1月26日現在、最終公演のお知らせに関してなにも掲載されていません。

[上演記録]
小鳥クロックワーク
「わが町」
原作 ソーントン・ワイルダー
演出 西悟志

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January 25, 2005

ラーメンズ「アリス」

 お笑いコンビのラーメンズ第15回公演『アリス が東京・下北沢の本多劇場で開かれています』(1月18-30日)。
 「某日観劇録」サイトは「お笑い自体を舞台で観るのが初です。ラーメンズはテレビで1、2回観たことがあるくらいでしたけど、去年「ガマザリ」で片桐仁を観ていたので、まるっきり外れることもないだろう、という程度の期待でした。結果は、きっちり笑わされてしまいました。ひょっとしてこの2人は天才なのかもしれない」と認識を新たにしています。
 「悪態日記」サイトは「舞台そのものは、予想していたものとはまったく違っていました。(中略)才気走った内容になるものとばかり思い込んでたら、フタを開けてびっくり、もう、単なるバカコントの連続でやんの!! 本当にバカバカしくって、笑いっぱなしでぐったりした」と降参状態です。
 「演劇定点カメラ」サイトの「ねこ」さんによると、ラーメンズは「クールでシュール、ばか忘れずの演劇なコントユニット」だそうです。
 多摩美大卒の漫画家(小林賢太郎)と彫刻家(片桐仁)のコンビは、「バナナマン」や「おぎやはぎ」らとともに取り上げられているようですが、新しい笑いをうみだしている(いく)のでしょうか。
 東京公演のあと、5月まで全国公演の予定だそうです。

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January 20, 2005

地点 『雌鳥の中のナイフ』

 テキストの「過激」な再構築で話題を呼んだ「青年団リンク・地点」が、英国の劇作家D.ハロワーのデビュー作「雌鶏の中のナイフ」を元旦から上演しています(東京・アトリエ春風舎、-23日)。この作品は1995年英国で初演。その後、欧米各国で上演され、ベルリン批評家賞・最優秀外国語作品賞(1997年)などを受賞したそうです。
 話題作だし3週間余りの上演なのでレビューもかなりあると思っていましたが、探し切れません。「ワニ狩り連絡帳」サイトはいつもながら、きちんと目配りしていました。

 「前半ではほとんど動きらしい動きもなく、まるでリーディング公演のような舞台。その静的な世界が、ま、後半ではグワシャ!とばかりに壊されたりして、効果的な演出」としながら、昨年の公演「じゃぐちをひねればみずはでる」と比較しています。その上で「とにかく安部聡子。常に正面を見据えて、アクセントや区切りを読み替えられた圧倒的な量のテキストを語りながらも、もう、これは圧倒的に官能的であり、圧倒的に美しい」と、農夫の妻を演じた安部聡子を褒めちぎっています。公演は23日まで。

 「地点」は青年団リンクを離れて3月から京都に本拠を移すそうです。従来形式での最後の活動ということになるのでしょうか。
 ぼくもこのステージを見ていますが、もう少し時間をおいてからまとめたいと思います。しばしのご猶予を。

追記
 「ine's daypack」サイトが「三浦演出の今日性(地点「雌鶏の中のナイフ」)」というタイトルで、三浦演出に的を絞った批判的な分析を展開しています。昨年9月に「”三浦語”のための舞台(地点『じゃぐちをひねればみずはでる』)」を掲載し、「地点」の舞台を継続的に見た上での言及です。議論の広がりを期待したいと思います。(2005.1.20)

これとは逆に「圧倒的なイメージで人の体に響かせるような芝居」と評価する声もありました。以下、「デジログからあなろぐ」サイトからの抜き書きです。
 「役者が語る言葉は、言葉の感覚のレベルで解体されている。言葉のレベルではない点が重要である・・・つまり、言葉を解体したのではなく、人間が言葉にもつ基本的な感覚の解体だ」。さらに「脚本の方は、怒涛の台詞の量です・・・三人芝居で80分・・・気持ち悪くなるほどの台詞の量に加えて、圧倒的なイメージの応酬です」「今回の雌鶏の中のナイフは、後半ちょっと話について行けなくなってしまったし、あまりにも黒いストーリーで苦手は人は多そうですけど、私は寧ろ心を揺さぶられるような感覚に陥りましたね。笑える面白い芝居も良いのですけど、そういうのは見ているだけで良くて、自分がやりたいのは逆に、こういう圧倒的なイメージで人の体に響かせるような芝居がしたいのです」
 筆者はある劇団の作・演出を手掛ける大学院生のようです。ほかの公演評も興味深く読みました。(1.29記)

 さらにもう一つのサイトを紹介します。「大岡淳の反資本主義日記」です。
 「独特の台詞回し、観客に正対する身体性、性的アレゴリーとして機能する美術、テキストに対する知的な読解、そして、緊張感あふれる演出。これが噂の三浦演出か!と舌を巻いた。強烈なオリジナリティを発散しつつも、鈴木忠志から平田オリザに至るアングラ以降のパラダイムを正統的に踏まえ、また、おそらくはフランス留学によって習得したのだろうが、西洋の現代演劇に見られる洗練された美的センスをもじゅうぶんに吸収している。このままヨーロッパに持って行けば、オリエンタリズムの色眼鏡を抜きにして、正当な評価を得られるだろう。いやそれどころか、三浦氏は、本当の意味で海外の俳優を使いこなして世界水準の舞台を作ることができる、日本初の演出家となるかもしれない」(1.29記)
 
[上演記録]
地点 第9回公演『雌鳥の中のナイフ』
■演出 三浦基
 作 デイヴィッド・ハロワー
 翻訳 谷岡健彦

■配役
 安部聡子
 大庭裕介
 小林洋平

舞台美術 杉山至×突貫屋
照  明 吉本有輝子
照明オペレーター 松本明奈
音  響 田中拓人
衣  装 すぎうらますみ
演出助手 井上こころ
舞台監督 桜井秀峰
宣伝美術 京
制  作 田嶋結菜
総合プロデューサー 平田オリザ

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January 18, 2005

オッホ「タイポグラフィの異常な愛情」

 黒川麻衣の作・演出で「オッホ」の「タイポグラフィの異常な愛情」公演が東京・新宿のTHEATER/TOPSで開かれました(1月2日-10日)。今回はフォントの種類が主人公で、明朝家とゴシック家の争いを中心とした失踪ミステリーだそうです。
 「30's SubCulture Blog」は「軽快な演出や劇団員たちのキャラクターの活かし方、軽妙な脚本といわゆるオッホ印というべき作品で楽しめた」としながらも、「ミステリーとしては凡庸な気もしたし、もう一転二転してもいいんではないかな」と印象を述べています。


 「No hay banda」はオッホ公演が今回初めてだそうです。そのせいか指摘は遠慮がありません。「すべての登場人物に書体の名前が付いていて、町や建物の名もそれにちなむものなのだが、それによってプロットになにかの仕掛けがあるかというとなにもない」「人物の内面の描写が極めて弱いから舞台に深みが出てこない」「笑えるタネはたくさんあった。しかし、あまり笑えない。最適のタイミングをわざと外し、それによって一段上の笑いを狙ったのかもしれない場面がいくつかあったものの、外し方の練度が低く、概ね失敗」などと手厳しい内容です。

[上演記録]
オッホ2005NEW YEAR EDITION
「タイポグラフィの異常な愛情」
新宿THEATER/TOPS(1月2日-10日)
作・演出:黒川麻衣
出演:人見英伸、佐藤需、牧野直英、上野雅史、杉山将己、峯崎伊万里、菊地春美、佐藤志織、岡ユミコ、細川洋平、村上寿子、小畑智子、市村美恵(水性音楽)、佐藤治彦、今林久弥(双数姉妹)

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January 16, 2005

カルマツイ「恋愛耐湿」

 「カルマツイ」は、名古屋を拠点として活動する劇団メガトンロマンチッカーを主宰する刈馬カオス(作・演出)と、同じく名古屋を中心に活動している劇団あおきりみかんの俳優松井真人による特別ユニット。年末から年始にかけて、上演時間45分間の密室恋愛劇『恋愛耐湿』公演を開きました(12月29日-1月2日、名古屋市・G/pit)。「名古屋の小演劇インプレッション」サイトが「とにかく濃いことこの上ない作品」と次のように紹介しています。

 「男のアパートのバスルーム。下着を脱いでバスタブに横たわる女と、傍らに立つ男。そこへもう一人の女が訪れる。何これ、どういうこと?…そして始まる泥沼の愛憎劇。(中略) 45分が2時間以上に感じるほど息苦しく、ずっと手に汗を握りつづけていた。全身に力が入っていたため、観劇後はひどい肩こりに襲われた。心地よい観後感を得たければ刈馬作品を観てはいけない。この作品はそんな説を強く裏付けるものだろう。救いの無いディープな空気に浸りたい人にこそ最適だ」
 なるほど。小作品ながら手応えあるステージだったようですね。「カルマツイ」だけでなく、「メガチカ」の舞台も見たくなりました。

[上演記録](劇団メガトン・ロマンチッカーのサイトから)
「恋愛耐湿」公演
2004年12月29日(水)-2005年1月2日(日)
会場:G/pit(名古屋市中区伏見)
作+演出/刈馬カオス
出演/松井真人(劇団あおきりみかん)、鹿目由紀(劇団あおきりみかん)、加藤裕子(劇団B級遊撃隊)
入場/一般 1,500円、高校生以下 1,000円 (日時指定・全席自由)
 ・振袖割引:振袖で御来場の方は1,000円キャッシュバック
 ・雨天割引:劇場付近が雨の場合、100円キャッシュバック


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January 08, 2005

クロムモリブデン『ボウリング犬エクレアアイスコーヒー』

 年末から新年にかけて東京・王子小劇場でクロムモリブデンの「ボウリング犬 エクレア アイスコーヒー」公演(12月29日-1月3日)が開かれました。佐藤佐吉演劇祭の掉尾を飾るこの越年公演に関して、さまざまなレビューが掲載されています。
 「しのぶの演劇レビュー」は「期待していたよりも面白かった!はっきりと独自色があるってことの強さを思い知りました。関西の劇団なのに関西っぽさをアピールしていないのも良いです」と温かな扱いです。

  「デジログからあなろぐ」はもっと熱くて、「生半可に芝居を見ている者には味わえない感覚・・・それが「演劇好きで良かった」の瞬間です。この作品は、そんな瞬間を私に齎してくれました」と芝居の世界に入りこんでいます。
 「休むに似たり。」は「物語とは明らかに関係のないような遊びが楽しい。みてるうちに妙なグルーブ感が出てくるのです。勢い、物語は追いづらい」と、いつもながら距離感のある見方です。

 この公演は、ネット上で知り合った自殺志願者と他殺願望者がそれぞれ、「影法師」と名乗る女によって山奥に集められるという設定です。近くのボーリング場で出合う2組の集団と、殺し屋の男女、それにボーリング場の再興を計画している男女(兄妹?)が入り乱れてドラマが進行します。米国のコロンバイン高校で起きた乱射事件で、直前に実行者がボーリングをしたことが影響しているという記載が報告書にあったと、劇中でなんどか触れられます。しかし「物語を追うよりは、会話の断片が楽しい」というのは、こういう筋書きが十分消化されていないという指摘なのでしょうか。

 「踊る芝居好きのダメ人間日記」はこの点について「ストーリーに、それほど惹きつけられません。分かり難いとかいうわけでもないんですが、なんか今さら感が漂ってしまうんですよね。集団自殺とかコロンバイン高校とか。一周遅れて走っているような」と生の感想を漏らしています。
 「Review-lution! on-line」はもっとストレート。「刺激的なシチュエーションながら、特に劇的事件が起こるわけではない。自殺と他殺という問題や、主人公の女性の離人症的心象風景<ボウリングレーンの上を走るどうしてもまっすぐ走れない犬を、エクレアを食べながら見ている自分>、コロンバイン高校の銃乱射事件など、奥の深い題材を用いながら、それを明確にかみ合わせることがうまく出来なかったようだ」と書いています。

 ぼくも2日の公演をみましたが、芝居の作り方を心得た集団という印象を受けました。起承転結をかちっと決めることよりも、劇団の関心はむしろ照明や舞台美術、衣装などを駆使して、パワーとアイデアを客席にめまぐるしく放射することに向けられているような気がします。サービス精神というか、よい意味で職人芸に秀でているのではないでしょうか。才気と才能を存分に感じます。古い話で恐縮ですが、「疾風Do党」の舞台をチラッと思い出しました。作・演出の福田卓郎はいま映画やテレビドラマでも活躍しているので、ご存じの方もいるでしょう。この劇団は現在、Dotoo!(ドトォ!)と名乗っているようですが、ステージを見ていないので「昔の名前」を出しました。ご容赦のほどを。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

クロムモリブデン公式サイト
■ボウリング犬 エクレア アイスコーヒー
■作・演出 / 青木秀樹
■出演 / 森下亮・金沢涼恵 ・板倉チヒロ・山本景子
   重実百合・信国輝彦・奥田ワレタ・齊藤桂子(dd69)
   大沢秋生(ИEUTRAL)・岡本竜一
■大阪公演 2005年1月23日(日)~25日(火)

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December 19, 2004

HEP HALL プロデュース「ハムレット」

 「現代口語訳でよみがえる悲劇の名作。ゴシック・ボンテージなコスチューム。インダストリアルなノイズサウンド。21世紀を生きるあなたにこそ贈る、まったく新しい『ハムレット』。あなたはまだ本当の『ハムレット』を知らない」-こんなうたい文句でシェークスピアの「ハムレット」が大阪・梅田のHEP(Hankyu Entertainment Park)で上演されました(12月5-19日)。
 演出にランニングシアターダッシュの大塚雅史、舞台美術などをデザイナーの黒田武志、音楽はBABY-Qの豊田奈千甫、翻訳がTAKE IT EASY!の中井由梨子など。「中西理の大阪日記」がこの公演を取り上げています。

 「南河内万歳一座がかつて上演した前例はあるが、関西では小劇場系の企画としてシェイクスピアが上演される機会は少ない。しかも今回は主演のハムレット役をエビス堂大交響楽団の浅田百合子が演じるなど関西小劇場の若手中心のキャスティング。若さゆえの課題もそこここで残ったが、清新という意味では好感の持てる『ハムレット』であった」などと述べて、さらに詳しくリポートしています。

 「知念くにこ的考察の日々」は「このハムレットは現代口語訳の青春ハードボイルドという新しい切り口で、登場人物は全員ボンデージ・ファッション、音楽もノイズサウンドと結構前衛的な取り組みでした」と述べた上で「非常に完成度が高かったです。青春ハードボイルドという表現どおり全体に「動き」があって、観る人をぐいぐい引き込む強い磁力のようなものがありました」と報告しています。

HEP HALL TheatreのWebサイト
■上演記録
作:W・シェイクスピア 翻訳:中井由梨子(TAKE IT EASY!) 
演出:大塚雅史(ランニングシアターダッシュ) 
アートディレクション:黒田武志(sandscape) 
音楽:豊田奈千甫(BABY-Q) 
出演:浅田百合子(エビス堂大交響楽団)、山浦徹(化石オートバイ)、赤星マサノリ(劇団☆世界一団)、入谷啓介(エビス堂大交響楽団)、大島由香里、宮腰健司(ランニングシアターダッシュ)、小松利昌(劇団☆世界一団)、森本研典(劇団太陽族)、や乃えいじ(PM/飛ぶ教室)、武田操美(劇団鉛乃文檎)、原尚子、関秀人、他

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December 18, 2004

大人計画「イケニエの人」

 「01年の『エロスの果て』以来ひさびさとなる、主宰・松尾スズキの書き下ろし。巨大レストランチェーンの店長候補となった男をめぐる人間模様を通して、「食べること」や「生きること」の意地汚さをシニカルな笑いの中に浮きぼりにします」-「n.p.d. blog」がこう書いている大人計画「イケニエの人」について、CLPサイトで長谷部浩さんが「むきだしの野心」とのタイトルで、「成熟してきた劇団組織が例外なく突きあたる普遍的な問題」を次のように書いています。

 「松尾スズキの新作『イケニエの人』(松尾作・演出)を観て、ある種の疲弊がしのびよっている演劇界について考えざるをえなかった。(中略)松尾の魅力は、グロテスクなまでの悪が支配する状況のなかで、懸命に生存をはかる人間を描き出すところにある。俳優のそれぞれが自信とプライドをそなえたときに(それはもちろん彼らのキャリアにとって望ましいことに違いない)松尾の劇世界を背負う欠落が見えにくくなっている。ホームランバッターやエースストライカーを揃えたチームが、必ずしも強くないように、アウラをそなえた俳優がひしめく舞台は、単調さに彩られ、切迫感を持たない。ハングリーといってしまうと、まるで演歌の世界のようで嫌気がさすが、強い上昇志向を持った俳優のむきだしの野心が、松尾の世界を成立させるには必要である。これは松尾自身のスランプというよりも、年月を経て、成熟してきた劇団組織が例外なく突きあたる普遍的な問題のように思える」

 このあたりを突いているのが「しのぶの演劇レビュー」ではないかと思います。詳しくは全文を読んでほしいのですが、こんな指摘がありました。「荒唐無稽な設定で、出てくるのは奇想天外な人物ばかり。次の展開が非常に予想しづらいストーリーです。エロティックでサディスティックなネタを簡単にやってのける大人計画の役者さんは、いつもながら魅力的なのですが、早口すぎてセリフが聞こえないことが多かったですね。回想シーンや同時進行する複数シーンなど、構成が複雑でわかりづらかったからなのか、それとも単なるパワー不足なのか、『エロスの果て』『業音』などと比較すると全体的に凄みに欠けました」

 芝居を数多く見ている「エンタメに生きる。」にも似たような印象を受けているように見えます。「ネット上であまりにも評判が悪く、ちょっと心配しながらの観劇。でも、それぞれの役者のチカラ、魅力だけで結構笑えた。とはいえ作品はやっぱり…ん~、松尾さんが転換期なのか、それとも忙しすぎるせいで手抜きなのか? 微妙なところだ」

 実際はどうなのか-。公演をみていないので判断できませんが、ネット上の書き込みを見る限り「疲弊」や「転換期」らしき印象を受けた人は少なくないようです。


世田谷・シアタートラムWebサイト
■上演記録
[作・演出・出演] 松尾スズキ
[出演] 阿部サダヲ/宮藤官九郎/池津祥子/伊勢志摩/顔田顔彦/宍戸美和公/猫背椿/宮崎吐夢/皆川猿時/村杉蝉之介/田村たがめ/荒川良々/近藤公園/平岩紙

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December 14, 2004

金森穣Noism04 「black ice」

 金森穣のNoism04 「black ice」公演はさまざまな波紋を生じているようです。追記として 「中西理の大阪日記」と、舞踊批評家の志賀信夫さんが書いた「動くからだと見るからだ」の紹介を付け加えました。ここでは多数の貴重な写真が記載されています。(12/17)

 ダンサーとして振付家としてめざましい活躍を見せる金森穣が今年4月、りゅーとぴあ新潟市民芸術会館舞踊部門の芸術監督に就任。新潟レジデンスのプロフェッショナル・ダンス・カンパニーNoism04を率いて10月から全国公演を始めました。新潟、大津、山口、宮崎、高知、岐阜を経て12月10日から3日間、新国立劇場中劇場で東京公演を開きました。このステージについて「What Dance Says to Me (稲倉 達の書庫)」サイトが「芸術監督に拍手、振付家には小言」というタイトルの文章を掲載しています。

 「芸術監督としての務めは立派に果たしたと思う。偉い。でも、振付家としては一歩後退ではないかという気もするのだ。そこで今回は、金森に期待する者の一人として、あえて残念な点をぶつぶつと書くことにする。一言で言えば、作品作りにおいて保守化したと思う--失敗は許されないというプレッシャーは相当なものだっただろうと察しもするのだが」
 こう前置きして、「温かい辛口」というか「期待の高さゆえの苦言」を縷々述べています。しかし舞台活動も続けているだけに、みるべきところも外していません。第2部「black ice」はかなり違った印象だったようです。
 「第2部『black ice』だけ見ると出来がよい。振付も夾雑物が少なく、5人(ラストは金森が加わって6人)のダンサーがスピーディーでスリリングな展開をみせ、カンパニーのレベルの高さを印象づけたパートだった。また、高嶺格の舞台美術の仕掛けも新鮮だ」

 ダンスなどのステージを鋭い視点からリポートしてきた「dm_on_web」サイトも、第2部を取り上げ、高く評価しています。
 「『black ice』の第二部によって、振付家・金森穣に対する認識を完全に改めた。はっきりいってこれは凄い。振りの密度、語彙の多様さにものけぞるが、何より動きのヴォリューム、線の力強さが並大抵ではない。低い姿勢で床についた腕を梃子にして体全体を真横へ一気にスライド、などといった無理な動きも実にショッキングだ」

 Noism04:「black ice」はこのあと、長野公演(12月18日、まつもと市民芸術館)を残すだけ。駆けつける人もいるのではないでしょうか。

追記(12/16)
中西理の大阪日記」がびわ湖ホール公演をみて短い感想を掲載しています。その中で金森のダンサーとしての技量、振り付け・演出などを評価しながら、「国内育ちの振付家と比べるとヨーロッパのダンスコンテンポラリーヌの影響が生のまま出てきている。そこにはいっさい日本人としての身体性もないし、欧米のダンスの枠組みに疑問を抱いてない感じがありあり」と指摘。しかし「この人は欧州を中心に大舞台を踏んできたせいか、大空間における空間演出の力は若手の振付家のなかでも抜きん出たものを持っており、今日の舞台でもそうした長所は十分に発揮された」と述べています。また「もうひとつの注目は高嶺格の映像・舞台美術だったのだが、こちらの方は面白かった」と褒めています。

 舞踊批評家の志賀信夫さんは「動くからだと見るからだ」というタイトルのレビューをTokyo Dance Square のWebサイトに掲載しています。2ページ28枚の写真構成なので、ステージの様子が浮かんできます。その末尾に次のように書いています。  

 「W・フォーサイスは女性ダンサーを東京文化会館で全裸で踊らせた。中村恩恵はイリ・キリヤンの舞台で、服を脱ぎ捨てて全裸で去っていった。しかし振付家自身が最後にすべてを脱ぎ捨てていくという行為は、さらに本質的な問いかけといえるだろう。(中略)揺らぎ、混沌自体をすべて舞台に出して、自己に戻るという金森の自己同一化はこの作品の原動力だ。それは生きるすべての人間の持つ混沌、苦悩につながる本質的な問いかけといえるだろう。
 『SHIKAKU』で白い世界、迷路とそれを崩し、構成された世界を作った金森は、今回コントラストとなる黒い世界、暗黒、闇を描き、そのなかで踊る自己と世界の混沌を対峙させた。ノマド、つまりさまよえる民としての金森は、次はどこにさまよって行くのだろうか」。

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December 13, 2004

第10回劇作家協会新人戯曲賞公開審査会

 「日本劇作家協会が主催する新人戯曲賞、本年は第10回目。公開審査会の進行は例年どおりであったが、オフィシャルな発表がまだのようなので、取り急ぎ、結果など」-「X-ray」サイトが、12月12日(日)に東京・新宿の紀伊國屋ホールで開かれた公開審査会の模様を詳細に伝えています。候補作を挙げ、審査の進行、審査員の発言などを紹介。審査会の特徴というか、特質と課題までがリアルに感じられます。

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December 10, 2004

『シルヴィ・ギエム、コンテンポラリーを踊る』

 東京・五反田のゆうぽうと簡易保険ホールで『シルヴィ・ギエム、コンテンポラリーを踊る』公演が開かれました(11月30日、12月1-2日)。今回は欧米で注目されているラッセル・マリファントが振り付けた3作品「ブロークン・フォール」「トーション」(ねじれの意)「Two」が上演されました。ダンスレビューなどを掲載している「ine's daypack」サイトはマリファントの振り付けに関して「ゆうぽうとのような大きなホールで、ファン目当ての上気した観客たちを前にやるのとは方向性が違うのではないか。スターを使わずに、シアタートラムくらいの小屋で、落ち着いた雰囲気でやるのがいい」と「上演のあり方にミスマッチ」があるとまず指摘。その理由について次のように述べています。

 「マリファントの振付は、ダンサーの身体が細部までクリアに見えてこそ、その素晴らしさが十分に味わえるのではないか、と思えてならないからだ。彼の振付を見ていると、スピード感がじわじわと伝わってくる。ユニークなのは、そのスピード感が物理的速度によって生まれているのではないということ。それは運動の継続性によって与えられるのだ。運動を司っているダンサー自身よりも、身体の部分に生じさせた運動の方が主役になっているように見えた。運動の継続の滑らかさの影で、ダンサーの身体は運動のメディアとして隠れて存在している。運動は時には切断されるのだが、それはダンサーが主体性を発揮する瞬間というよりも、運動の消滅として体験された」

 また「No hay banda」サイトは各作品を次のように描写しています。

「最初の『トーション』(ねじれの意)は男2人(マイケル・ナンとウィリアム・トレヴィット)によるもので、ギエムが出ないので「どんなもんかな」と思っていたら、驚くべき作品でした。(中略)2番目の『Two』は照明で区切られた約2メートル四方のなかでギエムがソロで踊ります。(中略)残像効果がある照明によってギエムの動きが重層的に見えるようにする仕掛けもあり、これも素晴らしい作品です。最後の『ブロークンフォール』は『トーション』にギエムが加わったような作品ですが、2+1が5にも6にもなった印象を受けました。『肉体による綾取り』『肉体による立体的万華鏡』とでも呼べばいいのか、とにかく肉体の動きそのものの美しさが満喫できます」

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December 01, 2004

燐光群「フィリピン ベッドタイム ストーリーズ」

 相変わらず精力的に活動を続ける燐光群が、フィリピンの劇作家育成プログラム「P.D.P (Playwright Developmant Program)」から生まれた作品を取り上げました(東京、森下スタジオ、11月24-29日)。このプログラムは劇作家、俳優、演出家らが96年から定期的にリーディング・作品分析を繰り返し、その中で選ばれた優秀作を上演する仕組みだそうです。文化庁在外研修でフィリピンに留学した演出家・吉田智久の本格デビュー作。2003年夏・マニラでの試演会を経て日本公演にこぎ着けました。公演は「ドゥルセの胸に1000の詩を」「代理母ビジネス」「離れられない」の3部(3作品)構成で、いずれも人間が産まれ、死んでいく場所「ベッド」を舞台にした作品です。

 「漂泊する思考空間」は次のように始めています。

 「燐光群の俳優3人、フィリピンの俳優4人が作り出す舞台は、フィリピン俳優による『離れられない』→日本人俳優による『ドゥルセの胸に1000の詩を』→全員による『代理母ビジネス』→日本人俳優による『離れられない』→フィリピン人俳優による『ドゥルセの胸に1000の詩を』という順番で進められた。ホテルの一室のような舞台にはひとつのベッド。そこで二国のことばも身体も乱れあい、交錯する。いや、日本人の日本語によってなされるはずのケータイ電源オフを命じる館内放送が、フィリピン人によるカタコトの日本語によってなされたときから会場全体が演劇的な混沌を獲得していた」

 さらに「異質なものを歓待し、すべてを吸収してしまうベッド」に「人間臭さ」を付与する「演劇の力」をみているようです。

 燐光群Webサイトに各作品ごとの出演者や、演出担当者、フィリピン出演者らのことばなどが載っています。

【上演記録】
演出=吉田智久
訳=桑山沙衣子
上演台本・芸術監督=坂手洋二

<出演>
Rody Vera Jojit Lorenzo Mailes Kanapi Raye Baquirin
川中健次郎 向井孝成 宇賀神範子

<スタッフ>
照明=竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響=島猛(ステージオフィス)
美術=じょん万次郎+丸岡祥宏
舞台監督=丸岡祥宏
衣裳=大野典子
演出助手=清水弥生
通訳=圓岡めぐみ
照明操作=大西孝洋・樋尾麻衣子
音響操作=内海常葉
字幕操作=塚田菜津子
舞台協力=森下紀彦
宣伝写真=竹中圭樹
宣伝意匠=高崎勝也
舞台写真=大原狩行
制作=古元道広 國光千世 近藤順子

共催=財団法人セゾン文化財団
後援=フィリピン大使館 独立行政法人国際交流基金
平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業

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November 30, 2004

パラドックス定数「5seconds」

 東京の王子小劇場で11月初めから、佐藤佐吉演劇祭が開かれています(来年1月初めまで)。同劇場のサイトで「注目すべき作品・才能が集まった時にのみ開催」するとうたっていますが、「小劇場の青田刈りをするなら、今ここ(王子小劇場の演劇フェスティバル)に足を運ぶのが最も確実です」(踊る芝居好きのダメ人間日記)と言われるほど評判が高いようです。参加8劇団のトップは、1998年から活動している「パラドックス定数」の「5seconds」公演でした。1982年に実際に起きた羽田沖日航機墜落事故を扱い、生き残った機長と、真相を追う弁護士による2人芝居。力のこもったレビューが続きました。

 同劇場サイトによるとこのステージは「事故について口を閉ざす機長と執拗に追う弁護士。墜落直前の空白の五秒間、コックピットの中では何が起きていたのか。1999年初演の作品を大幅改訂しての再演。四方を客席に囲まれた、真っ向勝負の2人芝居」だそうです。

 「2人芝居ならではの緊張感に加えて男同士の机上の戦いはゾクゾクします。役者さんも達者です」と言うのは「しのぶの演劇レビュー」。さらに「パラドックス定数はこれまでにも実際に起こった社会問題や事件を題材に作品を作ってきたそうで、これからもその路線が続くようです。次回もぜひ観に行こうと思います」とエールを送っています。

 「Review-lution! on-line」は「一人一人の人間と社会の関係が置き去りにされる現代において、大事故の渦中に在る個人の葛藤にスポットライトを当てた『5seconds』は、『社会と個人の相克』という近代芸術の根本的テーマを内包した、いうなれば演劇の王道といっても良いのかもしれない」「演劇ファンのみならず、万人にとって必見の劇団」と述べています。

 生き残った機長より、相方の弁護士に注目するのが「休むに似たり。」です。「劇中現れる弁護士は、弁護団の中での『もっとも下っ端』。…会社という組織がどうやって個人を切り捨てていくか、その過程とともに、弁護団という組織の中での弁護士の位置がだぶります。どうやって、組織に抗っていくかという『ひと』の芝居なのだ」と分析します。

 この視点をさらに掘り下げ、劇構造に投影したのが「X-ray」の着想でした。「燐光群『CVR』と比較した初日評をいくつか読んで出掛けたせいか、へそ曲がりの私には、これを事件簿、社会派の芝居だと括り『いかに真実味があったか』という点だけで優劣を評価するのは、惜しいような気がした」と最初に見解を留保したあと、「全てが、弁護士・日向の独り言(=分裂した日向Aと日向Bの内面の対話)に見え、一人の人間の中にある様々な葛藤を、一見、対極にあって相容れないかのような大きな振り幅ながら、最後にある決断を持って収拾させるための、自身の投影=片桐であったように感じる」と述べています。この引用個所だけなく、ぜひ当該ページで全文をご覧ください。

 パラドックス定数は「ここ数年は社会派で重厚な作品を生みだしている。出演者は男性のみ。密室での会話劇。凄まじいほどの緊張感を孕んで進行する物語が特徴」(同劇場サイト)と言います。ことばを変形・解体するステージが最近少なくない中で、ことばに依拠し、ことばにこだわる本格的な会話劇は珍しくなりました。次回公演が楽しみです。


【上演記録】
■パラドックス定数「5seconds」
 2004.11.1-11.2, 11.8-11.9, 11.15-11.16 王子小劇場
 作・演出 / 野木萌葱
 出演 / 植村宏司・十枝大介

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November 27, 2004

上海歌舞団

 第11回神奈川国際芸術フェスティバル/コンテンポラリー・アーツ・シリーズの「上海歌舞団」公演が11月21日と23日、神奈川県民ホール大ホールで開かれました。弱冠23歳で芸術監督に就任した黄豆豆は、中国ダンス界の先端をゆくコンテンポラリーな表現で注目され、今回の公演ではソロ、振付も。コンドルズの近藤良平が上海に滞在して振付けた新作も予定され、公演の前評判も高かったようです。
 「ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。」サイトの曽田修司さんは、跡見学園女子大学マネジメント学部教授。芝居やコンテンポラリーダンスの現場に足を運んで「日々の発見」を報告しています。 23日の公演をみて「若き天才ダンサーにして同歌舞団の芸術監督である黄豆豆(ホアン・ドウドウ)のシャープでダイナミックな動きにはさすがに唸らせられるが、正直なところ、やや見せ場が少ないという印象」と述べた上、「8作品中、日本の近藤良平(コンドルズ)が振り付けた作品がコミカルな小品で異彩を放っていた」と報告しています。

 「ヤサぐれ者の魔窟vs発掘亭日乗越」サイトでダンス評論家の乗越たかおさんは「民族舞踊っぽさ全開であり、そこが合わない人もいるだろうが、フランス・タイプみたいじゃないからといって切り捨てるような狭量では『何でもあり』のコンテンポラリー・ダンスの名がすたるというものだ」と書いています。このページには黄豆豆の写真も載っていますね。

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November 15, 2004

少年社中「アサシンズ」

 少年社中「アサシンズ-THE VALLEY OF ASSASSINS」公演が中野ザ・ポケットで開かれました(11月06-14日)。「休むに似たり。」サイトは「鮮やかなビジュアルとスピード感、RPG的ファンタジー世界が身上の社中の新作。楽園に戻りたくて暗殺を繰り返す追放者を現代の衝動的殺人の多発に重ね、人が一緒にいることって何かを描く一本」とまとめています。
 「しのぶの演劇レビュー」は、「メルマガ号外にあと一歩の傑作でした!」とまず一言。(「しのぶ」さんは、これはという舞台をメルマガ号外に載せ、登録読者に観劇を勧めているのです) そのあと「テレビゲーム、大した動機もなく起こる殺人、テロリズム、家庭(夫婦)崩壊、そして中近東(の衣裳ビジュアル)等、まさに「今」のトピックをふんだんに取り上げながら、言葉と心、愛といった人間の普遍的なテーマを語ります。少年社中が得意とする複数の世界が交錯していく構成も、この作品では特に重要で巧みに作用していました」と述べています。

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November 14, 2004

Ort-d.d「こゝろ」

 東京国立博物館・表慶館を使った「四谷怪談」で評判となったOrt-d.dが、2000年に初演した夏目漱石の「こゝろ」を再演しました(11月10-11日)。早稲田大学周辺で11月後半に集中して開かれているBeSeTo演劇祭・東京公演の2番手(トップバッターは東京オレンジ)。会場は学習院女子大のやわらぎホールでした。2人の男が下宿する家の母子は、ここでは姉妹に組み替えての上演。漱石が直面した「近代化」との格闘をどう取り込んだかの見方を含めて、再演の評価は多様でした。

 優れた舞台を矢継ぎ早に紹介している「しのぶの演劇レビュー」は「夏目漱石の名作『こゝろ』の中の『先生と遺書』の部分を1時間強に凝縮した珠玉の一品でした」と評価。「今日は・・・泣きじゃくってしまいました。若者の高い志や全身全霊をかけた恋、その全てに覆いかぶさってくる嫉妬心が、まるで手で触れられるかのように重々しく、はっきりと立ち表れました。ワタシ(岡田宗介)の愚かしい嫉妬とそれゆえの復讐、K(三村聡)の孤独と深い悲しみが痛いほど伝わってきて・・・あぁ今書いてても涙ぐんでしまう~っ」と感情の高ぶりを隠していません。

 早稲田大学の学生サークル「Project starlight」が「消費されない演劇を求めて」ということばを掲げて始めた演劇批評サイト「Review-lution! online」は、「原作の雰囲気を十二分に伝え、緊張感と分かり易さを兼ね備えた作品に仕上がっていた」としながらも、「中盤で下宿先の娘(先生もKも彼女のことを好きになるのであるが)とその姉(下宿の主)の家庭を巡る近親相姦の話が挿入されているが、これはやや唐突な感を否めない」などと指摘。「パンフレットに、漱石のテーマであった『近代都市に変貌しつつある東京に生まれた新中間層の家庭』『魂のよりどころとしての風景を失った』『不安を抱えた個人』をついて、自分なりに考えてみたとあるが、私は上演中にそこに対する確固たる指摘を見出せなかった」と直球を投げ込んでいます。

 軽快なフットワークでコンテンポラリーダンスや演劇などの舞台をリポートしている「ワニ狩り連絡帳」も、「前回の『四谷怪談』ではあそこまで物語を解体再構築して興味深い戯曲に仕上げていたというのに、この『こゝろ』では、そのちょっとした趣味の良さを見せるに留まってしまっていたという」とジャブを放ち、「例えば原作からの改変、母娘を姉妹にした点において、唐突にその見えない父による『近親相姦』というテーマが挿まれたりするのだけれど、そういう漱石らしくない物語を作るのではなく、もっと徹底して『こゝろ』自体を読み解いて発展させて欲しかったのだ」「ただ、そのスタイリッシュな演出姿勢は、わたしは気に入っているので、又次の作品に期待したいと思う」としています。

 ぼくも10日の初日のステージを見ましたが、「Review-lution! online」や「ワニ狩り連絡帳」と似た印象を受けました。
 近代的な自我の目覚めと形成、(恋による)挫折を時代の流れの中にさらした、とされる漱石の原作イメージが強かったせいか、下宿先の娘(妹)が父と近親相姦の関係にあったというリセット版は恋物語になだれ込み、漱石の作品を取り上げる肝心の部分がなくなるような気がしてしっくりしませんでした。
 「四谷怪談」だけでなく、横浜・山手ゲーテ座で「ポかリン記憶舎」と組んで上演した「少女地獄」公演(10月9-12日)でも「様式的身振りと発声」が極上の効果を上げていましたが、今回の公演では「間延びしたせりふ」がところどころに挟み込まれ、劇の流れを中断したようにも感じました。これも演出意図に含まれていたのでしょうか。いずれにしろ、4年前の作品という制約が強く作用したように思えました。ことばと様式化の問題は、いずれ考えてみるつもりです。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

Ort-d.d presents
『こゝろ』
第11回BeSeTo演劇祭東京開催参加
原 作  :夏目漱石
構成・演出:倉迫康史
出 演  :市川 梢  岡田宗介 三橋麻子 三村聡(山の手事情社)
照 明/木藤歩  舞台監督/弘光哲也  美術・衣装/田丸暦

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November 13, 2004

「ダンスが先?音楽が先?-振付家と作曲家の試み」

 京都橘女子大の小暮宣雄さんが演劇やダンスなどに接した体験をつづる「こぐれ日記〈KOGURE Journal〉」は、ライブ感覚にあふれた貴重なリポートが掲載されています。最新報告は「「ダンスが先?音楽が先?-振付家と作曲家の試み」。これは京都芸術センターの企画事業「コンテンポラリーダンス・ラボ」のシリーズで、10月27日に同センターで開かれました。

 「一番しびれたのは何と言っても最後の組であった。というか、ぶっとんでしまって口を開けたまま見続け聴き続けたというのが正直のところ。こちらの覚醒度というか興奮度というか(正反対の概念のはずなのだが)そのどちらの度合いも桁外れで、計測不可能にまで針が振れてしまい、おお、これからどうしよう・・というほどに、『希有で、愉快で、さっそうとした』コラボ。そのコラボレーションの神髄に触れていてかつ客席との一体感も抜群な、爆笑と驚きと共感に満ちたステージであった」と「激震」体験を語っています。

■京都芸術センター「コンテンポラリーダンス・ラボ
当日のラインアップは:
1. 砂連尾理+寺田みさこ×桜井圭介 「O[JAZ]Z」
2. TEN×港大尋 ゲスト出演=三林かおる(ダンス)、小川真由子(パーカッション) 「ill sounded ill counted」
3. 北村成美×巻上公一 「インダスヒュー」

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November 08, 2004

うずめ劇場「夜壺」

 ドイツ出身のペーター・ゲスナー主宰の「うずめ劇場」が、唐十郎作「夜壺」を11月3-6日、東京・森下スタジオで上演しました。「おかめの客席日記」は「現実と虚構の境を行ったり来たりするのだが、一生懸命な(ヒロインの)織江を中心に、全員が一貫したキャラクターで筋をとおしているので、最後まで楽しんで見られた」と述べています。
 「ワニ狩り連絡帳」サイトは、10月の唐組「眠りオルゴール」公演と比べながら、演劇から立ち上る「悪意」というか、「あくまで『河原乞食』を押し通す姿勢」「エネルギー」が希薄なのではないかとみているようです。
 9月の福岡公演に関して既に「福岡演劇の今」サイトのレビューを紹介しました。併せて読んでいただきたいと思います。

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November 06, 2004

野鳩「きみとならんで空の下」

 今年のアリスフェスティバルに参加した野鳩「きみとならんで空の下」公演(10月16-18日)について、「うたうた」サイトが体言止めを多用した長めの感想を書き留めています。
 「ドラえもんを演劇にしたらこんな感じになるかもしれないというような、つまりはベタな展開。話はひどい状況でもマイペースな演技は変わらず。全ての過程を役者さんの演技がチャラにする。安心して観てられる。変な安心感。…ゆるゆる。しかし抜け目なくゆるゆる」

 なーるほど。「抜け目なくゆるゆる」という指摘は秀逸ですね。ぼくも見ましたが、こういう表現は思い浮かびませんでした。太極拳やヨガは、緩い動きを意識的に採用して、心身の緊張と弛緩をコントロールします。野鳩はそれと同じような方法論をとっていると感じました。新しいこころみではないでしょうか。期待している劇団の一つです。(北嶋孝@ノースアイランド舎)

「野鳩」公式サイト
□野鳩 第7回 公演「きみとならんで空の下」
 アリスフェスティバル2004参加作品
 2004年10月16日(土)~18日(月) 新宿 タイニイアリス
□作・演出 水谷圭一
□出演
 佐伯さち子
 畑田晋事
 村井亮介
 菅谷和美
 山田桐子
 水谷圭一
 吉田友則 (シベリア少女鉄道)

□スタッフ
 照明/増田純一
 舞台美術/仁平祐也
 小道具・造形部 部長/中島香奈子
 衣裳/矢島春恵
 イラスト/ル・カバコ
 宣伝美術/水谷圭一 畑田晋事
 制作/山下千春

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November 04, 2004

中野成樹(POOL-5)+フランケンズwith friends featuring劇団EnTRoPy「寝台特急“君のいるところ”号」

中野成樹(POOL-5)+フランケンズの「寝台特急“君のいるところ”号」は、原作が米国の劇作家T・ワイルダーの「特急寝台列車ハヤワサ号」で、よく上演される「わが町」と同じ作家の作品です。 「白鳥のめがね」サイトがこの公演を取り上げました。

 「同じ寝台特急に乗り合わせた人々の、それぞれの心境が、ニューヨークからシカゴへと向かう鉄道の背景やそれをとりまく世界との関わりを通じて描かれていくというオムニバス的な構成で、フランケンズの手に掛かるとコンセプトアルバムを一枚通して聞きましたという趣だ」とまず切り出します。
 その後ポツドールと比較しながら演技の質を考量し、「寝台車の客席はパイプ椅子を並べただけだし、役者は舞台奥につられた暗幕の裾を持ち上げて舞台に出入りする。そんな仕方で、むき出しにされたそっけない装置と同じような水準に、それぞれの演技はそっけなく置かれているようである。それでいて、その配置には、しっかりとした音楽的リズムが宿っている。そこでは、演劇が、演劇として造形され、完結する」と述べています。


-公演データ:
●10月27日(水)-31日(日)
●会場=横浜STスポット「スパーキング21 vol.15
●原作=T・ワイルダー「特急寝台列車ハヤワサ号」
●構成&演出=中野成樹(POOL-5)
●出演=村上聡一/福田毅/野島真理/石橋志保/劇団EnTRoPy/斎藤範子/岩本えり
●劇団POOL-5サイト=http://www.pool-5.com/

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November 02, 2004

劇団衛星のコックピット

 京都を本拠とする劇団衛星が、座席数50限定の「完全可搬型超具現寿司詰め劇場」を始めました。京都公演(9月18日-10月11日)は「第五長谷ビルのコックピット」 として、東京公演(10月28日-11月7日、こまばアゴラ劇場)は「東京駒場のコックピット」として開かれています。タイトルは「コンセプト1,2,3」。3作一挙公演です。京都公演を見た(体験した)京都橘女子大学教員の小暮宣雄さんが、演劇的仕掛けや作品のつながり、さらに「いま日本に蔓延している主語のあいまいな憎悪感」などについて「こぐれ日記〈KOGURE Journal〉」で詳しく報告しています。

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October 29, 2004

いいむろなおきマイム公演「アンバランス」

 「中西理の大阪日記」がいいむろなおきマイム公演「アンバランス」(10月28日-31日、大阪芸術創造館)を取り上げています。
 「グループによるアンサンブルの部分は以前に見た公演よりも進歩していて、気持ちのいい集団演技を見せてくれるし、なかなかスタイリッシュでカッコよく仕上がった」と評価しながら「不満は後半のソロ部分に感じた」と指摘しています。

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October 27, 2004

二兎社「新・明暗」

 人気劇作家永井愛が、夏目漱石の未完の小説を現代の夫婦の物語として描き直した意欲作の再演。初演時とほぼ変わらない顔ぶれで、10月初めの埼玉公演から全国ツアーが始まり、11月の大阪公演まで続く予定です。
 10月16日の福岡公演(大野城まどかぴあ・大ホール)を、「福岡演劇の今」サイトが「鮮明な表現で作る、何とも不思議な雰囲気」のタイトルで取り上げました。「漱石の原作が、決断しないことの自由さを中心に据えてアンニュイなのに比べて、この舞台では、それもひとつとしてのあり方と相対化していていくつかのありようを並存させ、それらの間を渡り歩く。それらのありようの鮮やかなコントラストは却ってそれぞれを鮮烈に印象づける」と述べています。

 東京公演は世田谷パブリックシアターで10月22日-11月7日、その後は札幌(11月17日)、滋賀(11月19日)、大阪(11月20日)の予定。

追記(10月30日)
 「藤田一樹の観劇レポート」は東京公演の様子を次のようにリポートしています。
 「本当に良かったです。初演よりも断然、パワーアップしていて再演の方が良かったです。
確実に完成度が高くなっていると思います。…初演では、脚本の印象が中心だったのですが、今回は演出がとても良くてやっぱり永井さんは、凄いなぁと思いました…」
 気持ちよく書き込んでいる様子が伝わってきますね。

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October 26, 2004

メタリック農家「鳩」

 「休むに似たり。」がメタリック農家「鳩」公演(10月22日-24日、しもきた空間リバティ)を取り上げています。「血糊飛び散る、おどろおどろしい(ところもある)舞台の雰囲気。あたし個人としちゃ思うところはあるけれど、しっかりと見せる一本」と述べています。
 このページにコメントを寄せている「おくむら」さんは「休むに似たり。」の筆者と同様、筋金入りの芝居通。東京近郊にある小劇場のめぼしい芝居をほとんど見ているのではないかという目利きです。その人が「この若さでこういう破綻のない物語を書けてしまうところが、大したもんだと思いますな」と太鼓判を押しています。「眼福」で目がくらむとは思えませんから、作・演出の葛木英は要注目でしょうか。
 当然ですが、異なる印象も。「Stereo」サイトは「テンポも良く、ストーリーも面白い。一人一人のキャラもしっかりとしていて、個性を生かされているんだな~というのが感じられた」と前置きしながら、「しかし、ラストが解らなかった」と述べて「困惑」を感じているようです。

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October 25, 2004

少年王者舘「こくう物語」

 ダンスや演劇などをフィールドにする「ワニ狩り連絡帳」が、少年王者舘「こくう物語」公演(10月20日-24日、下北沢スズナリ)のレビューを載せています。
 「もともとがマンガ雑誌の平面性を舞台に移植する試みとして、遊び所満載の楽しい舞台であり、演出はより過激にカットアップ性を増して、時間軸も空間軸も飛び越えた楽しい舞台にはなっていた。…2次元と3次元を行き来するようなビザール感覚には満ちている。役者陣も、そういうバカバカしいシチュエイションを演じ切る「おばかキャラ」は、人材豊富になってきているようには思う。いや、変な男優が増えたよね。たしかにそういう面では面白い舞台だった」と述べています。続けて「特に、毎回ながらの意味不明な強引な展開は今回も冴え渡り」という個所にきて、思わず頬が緩みました、ハイ。
 その上でかつて舞台を牽引した役者や振り付けが不在の影響を踏み込んで指摘しています。

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October 24, 2004

五反田団「いやむしろわすれて草」

 五反田団「いやむしろわすれて草」公演のレビューがあちこちに出ています。
 「ハンサム部ブログ」は「今年一番おもしろかった。戯曲、良い。演出、的確。出演者、素敵。スタッフワークまとまりがある。ただ、やや玄人好みかも」と切り出し、「平田オリザ先生よりも、世界のとらえ方が好きだし、細かい技術にしてもそんなに負けてない」と推しています。
 「こんなものを買った。-ムダ遣い日記-」サイトは「真摯であることと、自分のスタイルを持つことは同意だと思う。そして五反田団既にそのスタイルを確立していると思う」と述べています。

 「休むに似たり。」も「わりとチープさが売りの五反田団、今回はどこか本気感漂います。チラシひとつとっても。いままでの五反田団と違う感じにとまどう指摘もありますが、作品を見れば納得、五反田団という枠の中では計り知れないぐらいの、傑作」と評価しています。
 五反田団「いやむしろわすれて草」はオルコットの「若草物語」が原作。「X-ray」サイトは珍しく?前田版「若草」を共感込めて紹介しています。「内気で病弱、亡くなって、その暖かさ、優しさが、いかに大きなものであったかを、他の家族に知らしめるお役目のベスには、『それでも、おとなしすぎる。彼女の言い分は何処に?』という疑問を、抱かずにはいられなかった。それを、前田若草が、ベットからほとんど離れることができない三女の視点で、スッキリと解明してくれたように思える」。そのあと、せりふを紹介しながら、そのわけをつぶさに展開しています。

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October 22, 2004

時間堂「月並みなはなし」

 「ンチャ通信」サイトの「演劇の部屋」は1996年から毎年、数多くの劇評を掲載してきました。好みのランキングもあって目を離せない演劇サイトの一つです。この10月は時間堂「月並みなはなし」公演(10月1日-4日、王子小劇場)のレビューを1本だけ掲載しています。
 時間堂は黒澤世莉が「堂主」の演劇ユニット。今回は月移民に出発する人を、最終選考に落ちた6人の中からあらためて1人だけ選ぶ設定。ストーリー展開のおもしろさ、演出のすばらしさを指摘しながら「面白かったけど、心は動かされなかった」と述べ、その理由も詳細に述べています。

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October 21, 2004

ク・ナウカ「アンティゴネ」

 「舞台批評」サイトが1カ月ぶりに動き出したようです。H・アール・カオス「白夜」公演に続いてク・ナウカ「アンティゴネ」公演を取り上げています。
 ク・ナウカは昨年の「マハーバーラタ」公演に続いて、東京国立博物館を会場に使いました。特に今回は、正面の噴水池とエントランスを使って野外舞台にしました。まずその会場設定を取り上げ、「博物館本館という背景だけで十分にある種の荘厳さというか雰囲気が作られているので、このロケーションを選んだ宮城のさすがのセンス」と指摘したあと、物語のあらすじを詳しく紹介します。
 その上で「日本的な死の美学とギリシャ悲劇の死の美学が微妙に重なり合い、アジア的な音楽とともに、死そのものを異化しようとする印象だった」と述べています。

 公演は台風の影響で雨にたたられた(中止の日もあった)ようですが、「野外劇には厳しい状況だったが、雨合羽、クッション、カイロ、大きめのビニールの一式が配られ、十分な配慮がなされていた」と劇団の行き届いた態勢にも触れています。

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H・アール・カオス公演「白夜」

 舞台批評家の志賀信夫さんが「Tokyo Dance Square」サイトに「白夜を見つめて」というタイトルで、H・アール・カオスダンス公演「白夜」(10月14日-15日、世田谷パブリックシアター)のレビューを書いています。
 H・アール・カオスは1989年、演出・振付家の大島早紀子とダンサー白河直子により設立されたダンスカンパニー。独特な美意識と哲学に支えられた創作活動は国内外で高い評価を受けている。今回の白夜公演に関して次のように述べています。

 「白河直子のソロは、いつも同様の存在感で見ごたえがあるが、かつての暴力的とも思えるほどの早さと強さは感じない。そして、そのぶんしっかりとした風格のようなものが備わってきた。また、そぎ落とされた裸身の上半身を反らせた姿の美しさは、例えようもない」
 「大島早紀子は雑誌『Bacchus(バッカス)』(02号)のインタビューで、「『白夜』は夜の闇を失った時代の寓喩なのです。テクノロジーに取り憑かれた現代人の悲鳴を表現できればと思います」と語っているが、むしろ19世紀末小説やゴシックロマンに通じる、闇の幻想的世界に、デジタル映像が乱入するという印象が強かった」
 同時に多くの写真が掲載され、ステージの一端が伝わってきます。

 「H・アール・カオス」サイトによると、山口公演(10月23日-24日)、北九州公演(11月21日)が予定されているようです。

STAFF
構成・演出・振付/大島早紀子
照明/笠原俊幸
舞台監督/北條 孝、佐川明紀
音響/関 克郎、清田泰孝
映像制作/横堀 晶
映像/竹内一浩
衣装/朝月真次郎
空間美術/H・アール・カオス
舞台美術/渡辺美乃利
制作/柏 雅弘、梅原洋子、廣中由美子
制作協力/カンバセーション

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October 18, 2004

俳優座「きょうの雨 あしたの風」

 「福岡演劇の今」サイトが俳優座「きょうの雨 あしたの風」公演(9日、ももちパレス)を取り上げ、「この舞台が俳優座作品?という違和感」の題で「劇団の伝統」を問いただしています。
 「きょうの雨 あしたの風」は原作が藤沢周平の短編。吉永仁郎脚本、安川修一演出。02年に俳優座で初演。今年は東北と九州の地方公演が行われたようです。
 「この舞台が俳優座以外の劇団によるものだったら、何のわだかまりもなく褒めることができる。描かれた世界では、人情の機微をていねいにとらえて庶民の生活のなかの哀歓をたっぷりと見せて楽しめるし、そのことは評価もできる。だが、徹底的に知的な舞台をめざした俳優座が、このような人情の世界に安住の場所を見つけたとすれば、かっての伝統はどうなってしまうのか。それなりにおもしろくて、それを俳優たちが楽しそうに演じていればいるほど、心の底からわびしさがこみあげてきた」と述べています。
 

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PLAYMATE 「SWAP 2004」

 「休むに似たり。」サイトがPLAYMATE 「SWAP 2004」公演(10月5日-17日、新宿THEATER/TOPS)を取り上げ、珍しく長文を掲載しています。今回はメンバーの「近江谷と川上が出会うきっかけになった作品でもある『SWAP』(96年初演、97年再演)を完全リメイク」(PLAYMATEサイト)したバージョン。長くなったのは「『休むに似たり』(自転車キンクリート)をみるまで、あたしの中の芝居のベストはこれだった」というせいでしょうか。
 「濃密だが、どこかあか抜けなかった印象の会話劇だった初演に比べると、役者も演出もよりスタイリッシュで見やすくなっているしパワーも感じるのだけど、さらりとしすぎている感も。もしかしたら変わったのは、見ているこちら側や社会かもしれませんが。オススメ」とまとめています。

 「某日観劇録」も取り上げ、「『人を好きになるというのはどういうことなのか』というベタベタかつ永遠の謎を、笑い半分、真剣半分で進めていきます」「脚本は序盤のネタが後半の振りになっている構成が、近頃めったに観かけないくらい考えられています。ちょっと無理に掛けすぎな気もしますが、久しぶりにこういう構成の芝居を観られたのは嬉しい」などと述べています。出演者の演技や舞台美術と衣装についてもきちんと目配りしています。鋭いですね。

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銀幕遊學◎レプリカント、Riverbed theater

 アリスフェスティバル2004で、「Hedless」を共通タイトルにした2劇団の連続公演が10月9-10日の2日間、新宿タイニイアリスで開かれました。米国シカゴで創立されたRiverbed Theater(河床劇団)と、大阪の「銀幕遊學◎レプリカント」です。「銀幕」は1988年に結成。「楽曲を視覚化するための演劇的コラボレーション集団」(Webサイト)で、音楽、ダンス、ことば、衣装(ファッション)などが一体となったパフォーマンスを長年手掛けてきました。
 このwonderlandサイトでも先にレビューを掲載しましたが、「うたうた」も目を付けています。特に「銀幕」のステージについて「人形のような動き。繰り返される動作。動かされずにいられない動き。流されずにいられない流れ。開けては閉ざされるドアから解放されず。人形に操られ、束縛されるモノたち。そんな閉塞的な状況もやがて変化していく」と印象的なフレーズで描写しています。

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October 15, 2004

維新派 「キートン」

 「n.p.d. blog」が維新派 「キートン」公演(10月8日-25日、大阪・ふれあい港館臨時第三駐車場野外特設劇場)を取り上げています。モノクロで統一した風景、走りに走る演技は「キートンと維新派の共通点」としたうえで、「高さのある橋の上で、本物の夜空をバックに汽車に追いかけられるシーンには鳥肌がたった。話の筋も前回よりかは見えやすい。…海外に招聘されても、喝采を受けること間違いなしな傑作だった」と締めています。屋台村の写真も雰囲気が出ています。

追記
 「関西観劇ネットワーク」で「DOG」さんが同じ公演の感想を、「今回はバスター・キートンをモチーフにしているため、言葉はいつもよりかなり少なかったと思う。その分、身体表現など、他の部分が洗練されていた印象。言葉をもっと聞きたかった気もするが、いつもとは一味違う維新派ということで良かったんじゃないかと思う」と述べています。(10月18日)
 「中西理の大阪日記」は「キートン」公演を2度にわたってみたうえで、その都度維新派の特質、美術、音楽、役者の動きなどについて詳しく考察しています。1回目は17日、2回目は19日。17日のページで「維新派は以前のような祝祭的な演劇ではなくなり、よりアートよりのディレクションへと大きく舵を切ったということが新国立劇場の「nocturne」をへてこの公演を見てみていよいよ明確になってきたことが分かった」と述べています。(10月22日)

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October 10, 2004

ポツドール「ANIMAL」

 東京・三鷹芸術文化センターで開かれたポツドール「ANIMAL」公演(10月8-11日)を、「白鳥のめがね」サイトが取り上げています。いつものように舞台の進行を丁寧に腑分けして、「仕草の連鎖によってゆるく描かれている」構造や、「人物の関係性や、そこで起きた事件の背景は、想像を働かせればきちんと解釈できるように、周到に説明的な要素がちりばめられている」事実を指摘します。その上で「今時の若者風のリアリティーが確かにある水準で舞台に実現されてはいた。しかし、このリアリティーは、集団性の上に初めて成り立つものなのだろう、と思った」「集団性によって、擬似的に、ドキュメンタリー的なリアリズムを実現しているということではないか」と述べ、「結局、舞台へと逃げ込むことでリアリティを保障されているドキュメンタリー風劇映画、というのが、この作品の正当な評価なのではないか、と思われる」と結論づけています。

 ポツドールのステージはこれまで見ていないし、今回も見られませんでした。そのため「白鳥のめがね」の評価が妥当かどうか分かりません。ただ、チェルフィッチュとの対比で、ポツドールの舞台に触れている点がとても興味を引きました。「いま」の風景がどう見えているかによって、歩き方も方向も随分違うような気がします。

 ポツドールのWebサイトによると、東京公演の後、10月15日(金)-17日(日)に大阪公演(in→dependent theatre 2nd)が予定されています。

追記(10/12)
このほかいくつかのサイトが東京公演に関して言及しています。「佐藤治彦公式ホームページ『H』アッシュ」の10月8日に公演を見た後の感想がかなり長く書かれています。「台詞があろうがなかろうが、ドラマがあってもなくても、ストーリーがなくてもいいのですが、そこに観客の心に伝わる何かがあるかを期待するだけでなんです。ところが、それがない。それが問題なんです」という個所がポイントでしょうか。(いきなり.cgiページで戸惑い、さらに行間なしの読みにくいレイアウトで参りました)
こんなものを買った。-ムダ遣い日記-」は「チーマー系の若者たちが群れるなか、ヒップホップが大音量で流れる。普通に自然な会話がなされているのだろうが、観客にはほぼ一切聞こえない。ダイアローグは全く聞き取れないまま、演劇は幕引きとなる。客電がつくが音楽は鳴り響き、客席は若干戸惑いながら、時計を見て終演と認識し席を立つ。なるほど。見る者が注目する物を決めないといけない芝居というのは、面白い手だ」と書いています。
 「雑記」サイトは「自分の中で何かが確実に変わった作品」の一つに挙げています。


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October 09, 2004

Shang Yu 「萩家の三姉妹」

 女性だけの劇団・未来樹シアターが解散し、主だったメンバーがshang yu(シャンウィ)として再結集した第1回公演「萩家の三姉妹」(9月4-5日)が、エル・パーク仙台スタジオホールで開かれました。作:永井愛、演出:いとうみや。このステージのレビューを、佐々木久善さんが「a n o d e」サイトに書いています。「ある地方都市の旧家・萩家を舞台に鷹子、仲子、若子の三姉妹と、彼女たちを取り巻く人々とをめぐる物語が季節の変化とともに描かれるのがこの芝居」で、「今回の上演は見事な出来映え」でしたが、「演出やその他のスタッフがすべて外部の人間」という「課題」が残ったと述べています。

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G2プロデュース「痛くなるまで目に入れろ」

 G2プロデュース第8回公演「痛くなるまで目に入れろ」は、9月が東京、新潟、大阪、広島と回り、福岡が最終公演(10月1-3日)でした。「G2プロデュース」は、演劇プロデューサー・G2が主宰する演劇制作ユニットです。1995年、生瀬勝久、升毅ら関西系の小劇場の人気俳優を集めた「12人のおかしな大阪人」で活動開始。「エンターテインメント作品を、商業主義に走らない丁寧な作りで発表することをモットー」にしてきたそうです。
 「福岡演劇の今」はこのステージについて「基本的にはシリアスなのにエンターテインメントでもあるというこの舞台。なぜエンターテインメントなのだろうか。それは、観客にウケるために「ウケる技術」を多用しているからではないだろうか」と書いています。詳しくは「『ウケる技術』の、オンパレード」と題した全文を読んでほしいのですが、このステージに関する文章で、舞台の様子がもっともリアルに伝わり、評価に説得力を感じました。

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October 06, 2004

イディット&ディマ「セパレイト・デュエット・イブニング」

 ロシア人のディミトリー・テュルパノフとバトシェバ舞踊団出身のイディット・ハーマンによって立ち上げられたイスラエルの身体表現集団クリッパ。総勢は若手も含めて20名前後の大所帯だが今回はリーダーの二人のみ来日。東京と福岡でワークショップとそれぞれのソロ公演を行いました。
 「福岡演劇の今」はソロ公演を取り上げ、「ふたつあわせてひとつの作品という作りになっている」「ふたつとも、えぐり出した現実をダンサーの身体に受け容れて定着させ、それを偽悪的とも見えるやり方でさらすが、ダンサーの受容力と圧倒的な表現力で多くのものを孕んだ存在感のあるダンスとして展開された。軽やかさや心地よさを拒否した、大地にへばりつくようなダンスだ」と述べています。

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October 05, 2004

東京「ドレスを着た家畜が…」

 「Culture Critic Clip」の西尾雅さんが「生と死、連鎖の破たんと迷い」と題して、大阪のビジュアル、ナンセンス、アバンギャルド系演劇を代表するクロムモリブデン、デス電所、WI'REの3劇団によるスペシャルユニット「東京」の企画公演「ドレスを着た家畜が…」(9月3-7日、HEP HALL)を取り上げました。作:竹内佑(デス電所) 演出:青木秀樹(クロムモリブデン) 美術:サカイヒロト(WI'RE)。そして3劇団から役者が3人ずつ出演。「エロでブラックなギャグに彩られた各ピースが再構成され、最後に全体像がわかる仕掛けだが、今回はひとり数役切替での複数の物語を廃し、固定した役のまま時系列どおりに進行する。いっけんシンプルな構成だが、謎は今回も次々くり出されサスペンスな展開はあきさせることがない」と述べています。

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October 01, 2004

うずめ劇場「夜壺」

 「福岡演劇の今」は観劇歴35年という薙野信喜(なぎの・のぶき)さんが運営する演劇サイトです。これから掲載されたレビューを出来る限り紹介しますが、福岡・九州の動きを知る有力サイトの一つだと思います。
 このサイトで、北九州を拠点に活動する うずめ劇場の「夜壺」公演(9月5日-12日)を取り上げています。原作は唐十郎。演出は2000年の第1回利賀演出家コンクール(舞台芸術財団主催)で最優秀演出家賞を受賞した旧東ドイツ出身のペーター・ゲスナー。かれはうずめ劇場の主宰者です。
 「唐十郎の戯曲は、作者以外の人が演出したほうがよくわかる。この舞台は唐のスタイルを徹底的に意識し、その背後に見える唐のスタイルに収斂する『途上にある』ものだった。(中略)いいことも悪いことも、その『途上にある』ことから来ている」と述べています。
 9月末にカイロ実験演劇国際フェスティバルに参加、11月初めに東京公演が予定されています。

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September 30, 2004

シス・カンパニー「ママがわたしに言ったこと」

 木内みどり(祖母)、渡辺えり子(母)、大竹しのぶ(娘)、富田靖子(孫娘)の4人が登場することで話題を呼んだシス・カンパニーの「ママがわたしに言ったこと」公演が東京・青山円形劇場で開かれています(9月4日-10月3日)。
 シス・カンパニーのWebサイトによると、英国の女性作家シャーロット・キートリーが、25歳だった1985年に書き下ろした作品で、母と娘、3組4世代に渡る女たちが、結婚や仕事、女性ならではの決断の瞬間を、時を超えて語り合う内容。時間と空間を自在に往還する劇構造や、女性だからこそえぐることができる<母と娘>という、女同士の複雑かつ繊細な関係描写が反響を巻き起こし、フランス・ドイツ・デンマークなどヨーロッパや、米国・カナダ、オーストラリア、イスラエルなど世界各国で上演されたそうです。
 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)のタカオカサチコさんは4女優の演技を評価しながらも、「女性作家が女性を描いた舞台ながら、本音の掘り下げが、少々物足りなかった」と述べています。

 「観客の誰もが自分の人生とどこかしら重ね合わせて感情移入して観ることができていたと思います。私も色々思うところあって、考えさせられたり共感したり、どっぷり作品の中に入り込みました」と言うのは、「しのぶの演劇レビュー」ですが、後半の展開で「属人的な事件に焦点をを当ててしまったため、“ある家族のドラマ”という枠内に納まってしまい、普遍性が感じられなくなってしまった」と指摘しています。
 「踊る芝居好きのダメ人間日記」は「キャスティングの豪華さ、的確さももちろんのことですが、演出家にスズカツ(鈴木勝秀)さんを迎えることが、プラスに働いたのではないかと思われます」と述べています。
 女優陣はそれぞれ持ち味を出していたようです。「藤田一樹の観劇レポート」は「4人ともオーラを発していて存在感があるので、凄いなぁと思いながら観ていました」と率直な感動を語っています。

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September 29, 2004

デフ・ウェスト・シアター「ミュージカル ビッグ・リバー」

 ホリプロ・テレビ朝日・朝日新聞社・TOKYO FM共催のデフ・ウェスト・シアター「ミュージカル ビッグ・リバー」公演(9月28日-10月24日)が東京・青山劇場で開かれています。
 「しのぶの演劇レビュー」が早速取り上げました。
 マーク・トウェイン原作の「ハックルベリー・フィンの冒険」をもとにしたミュージカルで、舞台版オリジナルは1985年に発表され、トニー賞を受賞した作品。「デフ・ウェスト・シアターの「デフ」は英語でdeaf、つまり聾者(ろうしゃ)。…聾者の俳優さんは声を出さずにアメリカ式手話(American Sign Language)で語り、聴者(耳の聞こえる健常者)の俳優さんが聾者の俳優さんの裏、または横でセリフをしゃべったり歌ったりします」「大人数でそろって手話をするのはとてもきれいでした。アメリカ式手話がいわばダンスの振付になっている」舞台だそうです。「興奮冷めやらぬ初日の夜が明けて、メルマガ号外(2004/09/29)を出しました!」と報告しています。

 米国に住みながらこの公演の応援サイトを立ち上げた「Neverland Musical Community」サイトの「クワスト」さんが米国の公演を見て、詳細なレビューを載せています。

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September 28, 2004

地人会「夜からの声」

 地人会第95回公演「夜からの声」(作:山田太一 演出:木村光一)を「No hay banda」サイトが取り上げました(新宿・紀伊国屋ホール、9月21日-10月2日)。「おどろおどろしい山田太一ワールドが炸裂か、と予想して出掛けたのですが、笑いもふんだんに盛り込んだ『安心して見られる』芝居」と報告しています。

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September 25, 2004

三田村組「イヌよさらば」

 「No hay banda」サイトが三田村組第8回公演「イヌよさらば」(9月22日-27日、中野ザ・ポケット)を取り上げています。「よくできた舞台です。まず作品の雰囲気を感じるのが美術。座敷の中央に座卓、上手奥には積み上げられた座布団と折り畳み式横長テーブル、下手手前にテレビと将棋盤、奥に違い棚、正面奥は廊下の向こうに夜の庭が広がり、落ち着いた日本家屋の味わいが得られます。そして音響。かすかな虫の音、さらには雨音と、美術とあいまって日本的感興を高めます。そこで濃い男の世界が演じられるのです」。お目当ての松金よね子らベテラン俳優が締めているので、きっと落ち着いた舞台だったのではないでしょうか。

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September 24, 2004

トリのマーク「花と庭の記憶-向島-その3」

 「中西理の大阪日記」サイトが、トリのマーク「花と庭の記憶-向島-その3 ワニシキは花を、プシュカルは山を」公演を取り上げていました。この劇団は名前がトリの絵。発音しようがないので通称「トリのマーク」と呼んでいる不思議な劇団です。方法論もおもしろい。まず気に入った場所を見つけ「場所に合わせて、作品を書き下ろし、上演する」のだ。選ばれるのは美術館やギャラリー、歴史のある建物、そして野外などさまざまですが、今回白羽の矢を立てたのは、由緒ある向島百花園でした。
 「緑に囲まれた回廊のような空間(中庭)で芝居ははじまるのだが、そこには観客のための椅子が置かれているだけで、それ以外に持ち込まれた舞台装置も照明音響機材もいっさいなし。これが普通の演劇公演とは大きく異なるトリのマークの野外劇の特異なところでもある」。興味津々ですね。

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September 23, 2004

東京コンペ#1 ダンスバザール大賞

 「東京コンペ・ダンスバザール大賞ダンス&パフォーマンス部門」の最終公開審査が9月20日、東京・丸ビルで開かれました。主催者のWebサイトによると、「東京コンペ(TOKYO COMPETITION)は、21世紀の都市・街区をアート化し、祝祭化する、新しいアート価値を生み出す、ニューヴァリューアーティストの発掘と支援を目的とする」そうです。
 第1回の今年は、大賞が岡本真理子「まばたきくぐり」に決まりました。残念ながら会場に行けなかったので詳細は分かりませんが、さまざまな意見、批判がネット上に載っています。
 「デイリー・サクラー」サイトは「問題は2つある。一つは、いろんなジャンルからノミネートされるとして、その個々のレベルはある程度揃えるべきではないか。また、審査は個々のジャンルの表現としてのクオリティで評価すべきではないか」と作品の審査基準、さらにはその内容、審査員の選考にも言及しています。
 「中西理の大阪日記」は各参加者のパフォーマンスを丁寧に紹介した上で「優秀賞にストリートダンス系のはむつんサーブ 『アニメーションスタイルダンス』を選んだことなどはこのコンペをトヨタや横浜と差別化しようという政治的な判断を感じられて、審査員の人選も含めて今後続けるとすれば課題が感じられる」と述べています。

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September 22, 2004

女体道場「芝浦食肉センター」

 いつもお世話になっている「休むに似たり。」サイトが、新宿タイニイアリスで開かれた女体道場「芝浦食肉センター」公演(9月17日-20日)のレビューを掲載しています。冒頭の一行は「劇団名も役者名もふざけたような印象なのですが、今作、実に傑作だと思います」とズバリ。ちゃーんと見ているのですね。劇団のメンバーにインタビューした経緯もあって、これまで目立たなかった劇団の公演を取り上げていただくのはうれしい限りです。

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September 21, 2004

ジンジャントロプスボイセイ「かもめ」

 「しのぶの演劇レビュー」は「短い時間内にきっちり本筋が描かれているのはすごい」と評価。「あぁ・・・つくづくこの作品は野外でぜひ観たいと思いました。(中略)全く違う味わいだったことと思います」と述べています。
 「白鳥のめがね」サイトは「戯曲の一側面を強調して照らし出しているという意味では、戯曲の再現的上演ではなく、解釈そのものの提示である」と述べた上で、「感傷性から遠い場所で、残酷さを強調して演出したという面では、三浦基演出の『三人姉妹』も連想した。こちらは11月に再演されるようなのでぜひ見比べてほしい」と付け加えています。

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September 20, 2004

演劇計画2004+青年団リンク・地点『じゃぐちをひねればみずはでる』

 演劇計画2004+青年団リンク・地点『じゃぐちをひねればみずはでる』は既に本サイトの松本和也氏の評が掲載されていますが、ネット上でいくつかレビューが公開されています。
 「ワニ狩り連絡帳」サイトは「テキストと身体と声、そして共有される記憶。それぞれをカットアップし、サンプリングして構成された、音楽ではない21世紀のオペラ。踊りではない21世紀のダンス。そして今日の演劇」と総括しています。しかし別の意見も。「某日観劇録」サイトは「結局なんのことだかさっぱりわかりませんでした」とさじを投げています。

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September 18, 2004

野田秀樹「赤鬼」

  CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)が野田秀樹の「赤鬼」特集ページを作りました。演劇評論家の長谷部浩さんのレビューを中心に「 2003年ロンドンで上演された「RED DEMON」にはじまり、2004年東京で連続上演されたロンドン版、タイ版、日本版の「赤鬼」の軌跡を追っていきます」とあります。


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September 15, 2004

第14回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル

 第14回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル公開二次審査会が9月5日、天王洲アイルのスフィアメックスで開かれました。1次審査で選ばれた9団体が10分間のプレゼンテーションでアピールした結果、中学生の思春期をメルヘン風に表現した「野鳩」、音楽やサウンドを使ったコント集団「ラ・サプリメント・ビバ」、のぞき窓形式の芝居小屋を始めている「マダムゴールドデュオ」の3団体が選ばれ、来年2-3月に開かれるフェスティバルで公演できることになりました。
 「X-ray」サイトのkumaさんが、この審査経過を詳細にリポートしています。個々のグループや劇団の評価、さらに審査員のとんちんかんなコメントへの鋭い突っ込みなど、確かな鑑賞眼を示しています。

 このフェスティバルは「これからの演劇界を担う表現者を発掘し、表現の場を提供するとともに、演劇における新しい表現の可能性を 探る実験の場を提供」するのが目的で、「既存の演劇フェスティバルとは一線を画し、公募制というシステムをとることで、誰にでも公平にチャンスが与えられてい」るそうです。過去に選ばれた劇団やグループには、「珍しいキノコ舞踊団」「reset-N」「ポかリン記憶舎」「ニブロール」「チェルフィッチュ」などなど有名どころがそろっています。
 というわけで、ぼくも丸1日付き合いました。「野鳩」は審査員の満票をとるだけあって、関西や九州の方言を取り入れ、思春期をあっさり薄味で調理した奥行きのある芸風が決まっていて、頭一つ抜けていました。慶応義塾演劇研究会から独立した「とくお組」も才能を感じさせるグループでしたが、アイデア勝負の「マダムゴールドデュオ」にあぶらげをさらわれた感じです。それぞれの公演が楽しみです。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)
 

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スタジオライフ「ドリアン・グレイの肖像」

 スタジオライフ「ドリアン・グレイの肖像」の東京公演が紀伊國屋サザンシアターで開かれました(9月1日-15日)。「しのぶの演劇レビュー」は「今回は、萩尾望都連鎖公演『トーマの心臓』&『訪問者』@シアターサンモール以来の感動かも!! やっぱり耽美派文学が似合いますよね、スタジオ・ライフ! けっこう泣いちゃいました」と褒めています。 「おかめの客席日記」サイトは「舞台上にはドリアンが魂と引換えにしてまで手に入れた若さ、美、快楽の魅力がほとんど描かれないので、彼がなんのためにひたすら苦悩し続けているのかわからず気の毒な人に見えた」などと指摘しながらも「しかし、ドリアンが鏡をのぞき込むときのナルシスティックな動きや、男たちにしなだれかかるときに見せる痛々しい微笑み、女優シヴィルの華のある可憐さなどを楽しんでいるうちに、なんとなく引っ張られて最後まで見た。この芝居はストーリーよりもそうした人物のキャラクターで見せていくものなのかもしれない」と締めています。

 先日インタビューした松本淳一さん(劇団猿男女代表)はスタジオライフ出身。在籍当時の話もおもしろく聞けました。(アリスインタビュー2004「混乱の極みの先に突き抜けたい 全体で一つのものを作る魅力」)

StudioLife のWebサイトによると、配役などは次の通り。

◇「ドリアン・グレイの肖像」
原作/オスカー・ワイルド 脚本・演出/倉田 淳
東京公演/2004年9月1日(水)~15日(水) 紀伊國屋サザンシアター
大阪公演/2004年9月18日(土)~20日(月・祝) シアター・ドラマシティ

◇CAST
ドリアン・グレイ .......... 高根研一 山本芳樹
ヘンリー・ウォットン卿... 笠原浩夫 楢原秀佳
バジル・ホールワー... 岩崎大 山崎康一
シヴィル・ヴェイン...... 林 勇輔 及川 健
ハーリー公爵夫人/他. 深山洋貴
エイドリアン................ 佐野考治 篠田仁志
トマス卿/他................. 寺岡 哲
ジェイムス.................. 奥田 努 小野健太郎
アガサ伯母/他........... 牧島進一
ヴィクトリア................ 篠田仁志 佐野考治
ロミオ/他.................... 下井顕太郎
マキューシオ .............大沼亮吉 荒木健太郎
ヴェイン夫人.............. 石飛幸治
ブランドン夫人/他...... 藤原啓児
ヴィクトール............... 河内喜一朗

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September 14, 2004

天然ロボット homme plus 「翅蠱綺譚」

 天然ロボット homme plus 「翅蠱綺譚」公演は先に取り上げましたが、X-ray サイトのkuma さんがさらに詳細なレビューを掲載しています。「阿片で朦朧とした新吉が見たという蚕蛾の交尾は、夢か、現か。その交錯の加減ひとつで、大正浪漫溢るる叙情詩とも、耽美を気取った際物とも、映る作品」と物語を集約しています。オカイコ様の妖しい特徴がリアルに表現されています。耽美系には必読かもしれません。

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ウォーキング・スタッフプロデュース「ハレルヤ」

 ウォーキング・スタッフプロデュース「ハレルヤ」公演のレビューを「No hay banda」サイトが掲載し、「ドラマとソープドラマのあわいを疾走する舞台」と述べています。「しのぶの演劇レビュー」も取り上げています
 ウォーキング・スタッフは、演劇に真っ向から取り組む姿勢が印象に残る劇団でした。「プロデュース」になってもその基本は一貫しているようです。こういう腰の据わったグループの公演レビューを読めるのはうれしいし、頼もしいものです。

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September 13, 2004

Playing unit 4989「七人のドッペル」

 Playing unit 4989(シクハック)の「七人のドッペル」公演がウッディシアター中目黒で開かれました(9月10日-12日)。
こんな感じ?」サイトは「もぼさん(あえてこう呼ばせていただきます)の脚本作品は、これで3本観ましたが、どれもなかなか楽しく、女性の心理に関してもなかなかの洞察力というか「おおっ!」と思わせてくれる描写があります」と評価。「休むに似たり。」サイトも「自分探しを無理なく語るのです。楽しく肩がこらずに見られる一本」と好感度も高いようです。

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September 10, 2004

サッカリンサーカス「女番長メス猫ブルース」

 サッカリンサーカスの 「女番長メス猫ブルース」公演が新宿のサンモールスタジオで開かれました(9月7日-13日)。精力的に都内の舞台を見ている「休むに似たり。」サイトがこの公演を取り上げています。「話は破綻しまくりというよりハナから放棄している気がします。(中略)話はともかくそれぞれキャラクタが生きてて見てて楽しいのです。とはいえ、じゃあ彼らは何がしたかったのかなあ、と思ったりもしますが」という感想が的を射ているのではないでしょうか。

 初日7日、雨の中を出かけて、ぼくも見てきました。
 Webサイトによると、作・演出の伊地知ナナコさんは早稲田大学大学院文学研究科方言学教室修士課程中退、第六回沖縄市戯曲賞大賞受賞、第二回日本演出者協会若手優秀賞受賞。その上、紀伊國屋書店のサイトですてきなエッセーも書いているので期待していました。しかし見事返し技(肩すかし)で場外に投げ飛ばされたような感じです。
 舞台は新宿と立川のスケ番たちが縄張り争いを繰り広げるというお話です。でも、頼りない女性数人で新宿のシマを仕切るなんて…。大沢在昌の「新宿鮫」シリーズをお読みになっているのか心配になりました。有名女子校の生徒が「裏番長」を張るという設定も「セーラー服と機関銃」を誤読したとしか思えません。「さあ、カツアゲに行くか」という女の子たちが「新宿にユートピアを作るんだ」と言ってもチグハグですよね。
 リアルであるかどうかよりも、リアルを知らないままファンタジーを紡いでいるような気がします。ミュージカルっぽいステージにしても、ウエストサイド物語が念頭にあったのかもしれませんが、歌や踊りで楽しませるところまでいきません。どこかで方針を誤ったとしか言いようのないステージでした。
 伊地知さん、どうしたのでしょう。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

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September 09, 2004

鳥肌実「時局講演会 御柱人柱油狸搾り取り演説」

 「30's SubCulture Blog」サイトが鳥肌実「時局講演会 御柱人柱油狸搾り取り演説」 を取り上げています。迷った末、カテゴリーを「お笑い」にしていますが、そのわけも本文を読めば分かります。ゴキブリコンビナート「ナラク」 のも掲載しているので、そっち系?に関心が向いているのでしょうか。

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September 08, 2004

劇団青い鳥「シンデレラ・ファイナル」

劇団青い鳥が今年結成30周年を迎えました。記念公演に選んだのが「シンデレラ」です。「ファイナル」と名付けたのは、これが最後という意味があるのでしょうか。
その昔(!)福生の旧米軍宿舎を稽古場にしていたころ、最寄り駅から葛西さん運転の車で連れて行ってもらったことがあります。そのご都内で芹川さんと会ったとき、稽古場の隅に神棚があるのに気が付きました。創立メンバーで、当時と名前が変わっているひとが何人かいますね。時の流れを感じます。
さて、「きおくのクスリ」サイトは「懐かしさを凌駕する新鮮さも感じることができた」と書き留めています。「休むに似たり。」サイトは「ちょっとぴんと来なかったかなぁ。女性劇団ってのは結構スキなのに、なぜぴんと来ないのか、不思議な感じがしています」と戸惑い気味。「しのぶの演劇レビュー」は「うー・・・残念ながら良いと思うところは見つけられず、ほぼ寝てました」と手厳しい評価です。

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September 07, 2004

「友達」、「赤鬼RED DEMON」

CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)に新しい劇評が掲載されていたのに気付くのが遅れました。皆川知子さんと竹内孝宏さんが9月1日付で、ク・ナウカ若手演出家シリーズの安部公房作「友達」 を同時に取り上げています。一人暮らしの男の部屋に、見知らぬ家族が乗り込んで居着いてしまう話ですが、「この家族をすべてク・ナウカの役者が演じ、一人暮らしの男は他の劇団(山の手事情社)の役者が演じた」ことで浮かび上がるものを指摘した皆川さんの目が印象的です。演劇評論家の長谷部浩さんが4日付で野田秀樹の「赤鬼RED DEMON」 (ロンドン・ヴァージョン)を「純粋な結晶」のタイトルで論じています。

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September 06, 2004

tpt「カモの変奏曲/シカゴの性倒錯」

  「漂泊する思考空間」サイトがtpt「カモの変奏曲/シカゴの性倒錯」公演を2回にわたり取り上げています。最初は作品の内容に沿いつつ、2回目は作品が書かれた時代背景を描きながら。ともに舞台の様子を紹介するだけでなく、公演(作品)が現代の私たちに提起する問題を深化、敷衍する文章が魅力です。ともにアメリカの劇作家デヴィッド・マメットの作品です。

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「赤鬼」ロンドンバージョン

 「某日観劇録」サイトが野田秀樹作・演出の「 赤鬼」ロンドンバージョン」(Bunkamuraシアターコクーン、8月31日-9月8日)をみて「タイバージョンを前に観たので内容は知っていたのですが、何度観てもいい作品です」と述べています。
 「藤田一樹の観劇レポート」サイトもこの公演を取り上げ、「テレビで観たときは泣かなかったのに生で観たら泣いてしました」と言っています。
 このあと「タイバージョン」「日本バージョン」と続きます。どうしても3公演を見たくなる、最近流行の興行方式でしょうか。

シアター・コクーンの公演ページによると、配役などは以下の通りです。

8/31(火)~9/8(水) 9回公演  英語上演・イヤホンガイド(同時通訳)有り(無料)
上演時間:約1時間50分
翻訳・脚色=ロジャー・パルバース
ロンドン版脚色=野田秀樹&マット・ウィルキンソン
美術・衣裳=ヴィッキー・モーティマー&ミリアム・ブータ
照明=リック・フィッシャー
選曲・効果=高都幸男
出演= 野田秀樹(赤鬼)
タムジン・グリフィン(あの女)
マルチェロ・マーニィ(とんび)
サイモン・グレガー(水銀) 他


〔タイバージョン〕9/14(火)~22(水)
翻訳=プサディ・ナワウィチット
共同演出=ニミット・ピピットクン
美術・衣裳=日比野克彦
照明=海藤春樹
選曲・効果=高都幸男
出演= 野田秀樹(赤鬼)
ドゥァンジャイ・ヒランスリ(あの女)
ナット・ヌアンペーン(とんび)
プラディット・プラサートーン(水銀) 他


〔日本バージョン〕10/2(土)~20(水)
美術・衣裳=日比野克彦
照明=海藤春樹
選曲・効果=高都幸男
出演=  小西真奈美(あの女)
大倉孝ニ(水銀)
野田秀樹(とんび)
ヨハネス・フラッシュバーガー(赤鬼)

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September 05, 2004

天然ロボット「翅蠱綺譚」

 天然ロボットhomme plus「翅蠱綺譚」(はむしきたん)公演が東京・世田谷のシアタートラムで開かれました(9月2日-5日)。芝居速報を精力的に掲載している「休むに似たり。」サイトがこの公演を取り上げました。ぼくも同じ日に見ましたが、「シアタートラムはちょっと広すぎたかもしれません」との指摘に同感です。また「娘と子供、メイドと女性、おんな先生と社長、いろんな二人だけの会話の芝居があります。それぞれ全く違う様子だけど、共通しているのは、二人を貫く微妙な緊張感なのです」との鋭い指摘も。カオル役の河井青葉さんが目立ちましたね。

 天然ロボットのWebサイトによると、出演者などは次の通りです。
[脚本・演出] 湯澤幸一郎 
[美術] 恋月姫 
[出演] 今村祈履・河井青葉・依田朋子・加藤直美(ベターポーヅ)・粕谷吉洋・佐藤陽子・湯澤幸一郎
[照明] 清水朋久
[音響] 高塩顕
[舞台監督] 吉川悦子
[演出助手] 高木亜麗
[制作] ちくだふみ
[宣伝美術] 湯澤幸一郎
[宣伝ヘアメイク] 高村マドカ
[製作] 『翅蠱綺譚』製作委員会

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September 03, 2004

裸伝Q「ほどけないヒモ」

「うたうた」サイトが裸伝Q第6回公演「ほどけないヒモ」(新宿タイニイアリス、9月2日-5日)のレビューを載せています。「演技のほとんどすべて、一枚のビニールシート上でおこなわれる。なんだか窮屈そうな約一時間半。(中略)ビニールシートの外の世界は広いのでは?そこからもっとはみ出してほしい」と結んでいます。

第6回公演「ほどけないヒモ
☆作・演出=鍋島松涛
☆出演=三谷智子、ジョニー、朴贊革、大石丈太郎、渡辺多恵子

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September 01, 2004

We love dance Festial ユーモア in ダンス 東西バトル編

 「We love dance Festial ユーモア in ダンス 東西バトル編」について、「白鳥のメガネ」サイトが東京公演の全8作品について、長いメモを残しています。「ワニ連絡帳」サイトは第1日2日の両日をみて、それぞれ感想を書き留めています。第1日を見た感想は、「白鳥のメガネ」サイトと「しのぶの演劇レビュー」に報告されています。
 評論家の日下四郎さんもこのユーモアインダンスについて2日目のBプロとアメリカ編をみたレビューを書いています。(フレームになっているので、左メニューから8月の公演を選んでください。フレームは困るという方は、本文ページをご覧ください)
 それぞれの評価とともに、ダンスの「見方」やまなざしの「位置」の違いにも注意を払いたいと思います。

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August 28, 2004

ナイロン100℃「男性の好きなスポーツ」

 「しのぶの演劇レビュー」がナイロン100℃の「男性の好きなスポーツ」公演(8月21日-9月12日、東京・本多劇場)を取り上げています。ステージの内容をいつものように生き生き紹介した後、「というわけで、もうエッチだったことしかほぼ覚えていません(笑)。あ、あと笑いは相変わらず確実で、私は何度も楽しく笑わせていただきました。だから3時間半あっても面白いんだと思うんです。やっぱりナイロン100℃は凄いです」。さあ、あとはクリックして、このレビュー全文を読んでください。
「某日観劇録」も同じ公演を取り上げています。「放送禁止用語はたくさん連発されますけど、ロマンチカのダンスもきれい過ぎてエロく見えないのですから、あとはおして知るべしです。とはいえ、こんな芝居を作れるのは今の日本ではKERAだけでしょう」とのことでした。

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August 25, 2004

淵野尚プロデュース「おまえがそれを愛というなら」

 東京・新宿の「アリスフェスティバル」第2弾は、淵野尚プロデュース「おまえがそれを愛というなら」でした。「Stereo」サイトがこの3部構成の作品を取り上げています。
 作・演出は淵野尚、出演は村井千恵(第1部「雷魚」)、原尚子(第2部「雲雀」)、広重島典・小崎泰嗣(第3部「おまえがそれを愛というなら)。村井、原、広重の3人は今年の4月公演「黄昏のカンガルーハイツ」を最後に解散した「立身出世劇場」出身。「新宿の喧騒の中、帰途に着く私の内には、この芝居の不思議で暖かな余韻と零余子(むかご)の味が残っていた」と締めくくっています。
うたうた」サイトもこの公演を取り上げ、「三作品はそれぞれ全く別の話だけど、どれも不思議な、妙な、魅力があった」と述べています。
 台本は公演用Webサイトからダウンロード可能になっています。こういう試みは珍しいのではないでしょうか。

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August 24, 2004

劇団ズーズーC「ずうずうしい容疑者」

五つの劇団が30分の芝居を朝から晩まで休む暇無く上演する新宿演劇祭りが8月21日と22日の両日、新宿ミニホールFu-で開かれました。「オレdays.」サイトが、このなかの劇団ズーズーC公演「ずうずうしい容疑者」をみて、「小劇場初体験」のたかぶりを綴っています。記憶の底に沈んでいる初発の感情を呼び覚まされました。
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ニブロール「NOTES」

東京・世田谷のシアタートラムで開かれたニブロール「NOTES」公演は、「日の丸ノート」、演劇公演「ノート」(裏)、ダンス公演「NO-TO」の三作品をベースに再構成した「最終バージョン」でした。ここでたびたび紹介している「白鳥のメガネ」サイトが「ニブロール『NOTES』についての注釈」というタイトルで取り上げています。振り付けの精度や密度、絶妙な造形性などを指摘、評価するとともに、このグループの特質とそれゆえの「隘路」を示唆する、読み応えのあるテキストです。plank Blank というページに集約されている過去の評も、今日の演劇やダンスを考える上で、貴重な手がかりを残していると思います。
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August 23, 2004

ハイレグタワープロデュース「GUNMA」

「群馬県人による群馬県人を描いた群馬県人中心に、それ以外の人にも楽しんでもらおう」という企画。元ハイレグジーザスの岸潤一郎、大人計画村杉蝉之介とベターポーズ加藤直美のほぼ3人芝居。3人とも群馬県人。「30's SubCulture Blog」サイトがこの企画公演(ザムザ阿佐ヶ谷)を取り上げ「芝居としては(略)雑味が多いといえば多いのも確か。最初の群テレネタで結構爆笑をとったせいか、後半は失速していた感もあり」と指摘しています。
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August 22, 2004

tsumazuki no ishi「寝覚町の旦那のオモチャ」

「No hay banda」サイトがtsumazuki no ishi「寝覚町の旦那のオモチャ」公演のレビューを載せています。「美術はグッジョブ」と評価していますが、舞台には厳しく、「寺十(演出・出演)ほどの才能を持つ人が何でこの作品を取り上げ、どういうつもりで演出したのかが理解できません」と指摘しています。

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August 21, 2004

聖史劇『The Creation』@カンタベリー大聖堂

「イギリス国教会の総本山、イギリスで最も由緒ある教会であるカンタベリー大聖堂の構内で芝居をやるという。しかも演目は中世聖史劇の復活上演。滅多に観れるものじゃない。これを見逃す手はないぜ」-英国から発信している「PLAY NOTE.NET」サイトがカンタベリー大聖堂で開かれた聖史劇復活上演の模様を伝えています。なるほど、英国の人々はこういう文化土壌で暮らしているのかと実感させる、臨場感あふれるルポです。

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KAKUTAと麻生美代子「女の夜」プログラムB

休むに似たり。」サイトが川上弘美の作品を取り上げた「朗読の夜vol.2」の「KAKUTAと麻生美代子『女の夜』公演」(プログラムB)に関する感想を書き留めています。「麻生さんの、声の艶っぽさはどうでしょうか。決しておもねるではないのだけど、でもほんとにどきどきしちゃいます」。

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August 20, 2004

tpt「シカゴの性倒錯+カモの変奏曲」

某日観劇録」サイトがtpt「シカゴの性倒錯+カモの変奏曲」(8月12-29日、 ベニサン・ピット)のレビューを掲載しています。いずれも「現代アメリカ演劇の言葉の戦士」デヴィッド・マメットの作品ですが、「アメリカには全国的にもはや一般常識となってしまったような悩みがあって、それを観客も共有しているという前提でもともと書かれた脚本」なので「日本で上演するには、それらの解説に相当するような演出が必要になる」と述べています。
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August 18, 2004

ゴキブリコンビナート「ナラク!」

「dm_on_web/日記(はてな)」がゴキブリコンビナート公演「ナラク!」を取り上げています。タイトルが「薄っ!」。「グロテスクなものをただ見せているだけで、ディテールがない」「露悪趣味もこだわれば楽しめるものになるのだけど、今どき露悪趣味“だけ”で盛り上がれると思っている節があり、その辺もちょっと時間が止まってる気がする」と指摘しています。


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劇団M.O.P「虚飾の町に別れのキスを」

30's SubCulture Blog」が劇団M.O.P公演「虚飾の町に別れのキスを」(東京・紀伊國屋ホール、8月6-12日)をみて、「難しく考えさせず、その舞台上にある世界と転がるストーリーを誰でも楽しめるエンターテインとして見せた軽快な舞台」と述べています。

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こまつ座「花よりタンゴ」

No hay banda」サイトがこまつ座第74回公演「花よりタンゴ」のレビューを掲載しています。「四姉妹は長女の旺さんと三女の鈴木さんの見せ場がたっぷりです。旺さんはさすがの存在感。歌手を目指す鈴木さんは歌をたっぷり聞かせてくれます…」と役者を評価しています。

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非戦を選ぶ演劇人の会「あきらめない、夏 2004」

「しのぶの演劇レビュー」サイトが、永井愛さん、渡辺えり子らが実行委員をつとめる「非戦を選ぶ演劇人の会」のリーディング公演vol.6「あきらめない、夏 2004」の模様を報告しています。8月15日(日)に東京の紀伊國屋サザンシアターで開かれました。

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August 16, 2004

子供のためのシェイクスピアカンパニー「ハムレット」

子供のためのシェイクスピアカンパニー「ハムレット」公演が7月7日の新潟を皮切りに、9月初めまで全国を回っています。「しのぶの演劇レビュー」は東京公演(07月15-20日、世田谷パブリックシアター )をみて「老若男女を問わない日本製シェイクスピア・エンターテインメント」と評価。「stage note archives」サイトも「演劇好き、芝居好きだと自認する人ならば、絶対に一度は観ておくべき舞台」と絶賛しています(8月14日、クレオ大阪中央)。

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August 15, 2004

よこしまブロッコリー「グルグルPlanet 六畳半と彼方のアイツら」

名古屋の小演劇インプレッション」サイトで「#10」さんが、よこしまブロッコリー「グルグルPlanet 六畳半と彼方のアイツら」公演(愛知県芸術劇場小ホール、04/08/14-15)を取り上げています。「面白かった。明確なドラマがあるわけではなく、二つの場所で起こる出来事が淡々と描かれているような舞台だが、何かが伝わってくる。…全編を通じて流れるのどかな、でもどこかに切なさを残す空気感は絶妙」と述べています。

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August 13, 2004

dots「うつつなれ」

dots「うつつなれ」公演はさまざまな見方を提供しているようです。「dm_on_web/日記(はてな)」サイトは「良い意味で「いまだ何ものでもない」ものなのに、それをそれとして受容できる場にきちんと配置すべきだった」と述べ、コンテンポラリーダンスに詳しい「白鳥のメガネ」サイトは「いろいろ手持ちの手法や発想を均整のとれたかたちにまとめる力量はあるのかもしれないけど、一点突破の狙い撃ちはできていない。手馴れてはいるけど、大胆さはどこにもない」と手厳しい。京都の学生集団というと、すぐダムタイプを思い出させるのがいけないのかもしれません。

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August 12, 2004

中野成樹(POOL-5)とフランケンズ「ホーム&アウェー」

「白鳥のめがね」サイトが中野成樹(POOL-5)とフランケンズ「ホーム&アウェー」公演を取り上げています。舞台で起きたことの内的連関の提示、演技と演出の構造などが腑分けされ、公演がx線で透視されているような印象を受けます。「反転しあう第一部と第二部をおさめたSTスポットの空間が、ひとつのアレゴリーとして成立し、作品は終わる」。未見なのに、思わずうなずいてしまいました。

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ミュージカル「オクラホマ!」

 これまで特定の公演に絞ってサイトやページを紹介してきましたが、きょうはミュージカルを中心に、詳細なデータを取り込み、舞台の息吹を伝えるレビューが掲載されているサイトを紹介したいと思います。名前は「Neverland Musical Community」。筆者のクワストさんは米サクラメント在住で、日本でだいぶ舞台を見た蓄積があるようです。
 最新のレビューは「ペンザンスの海賊」。「ミカドのオペラッタで知られるギルバートとサリヴァンによる喜歌劇で初めてアメリカで上演された作品」だそうです。前後して掲載された「オクラホマ!」のレビューで、このミュージカルが日本で本格的な翻訳上演されていないのは「作品の根底に流れる異端を忌み嫌う差別主義の匂いを感じさせるせいかもしれない」と指摘するなど、ドラマの奥をつかみ取る姿勢が感じられました。充実したreview listを開くと、どのページにも舞台をみる楽しさがあふれているように思います。

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August 11, 2004

「生田川物語」を観る。

「大岡淳の反資本主義日記」サイトが神奈川県立音楽堂で開かれた「生田川物語」(8月8日)を紹介し「期待に違わず極めて完成度の高いパフォーマンスで、美酒に酔い痴れるようなひとときを味わった。今年のベストワンはこの舞台かもしれない」と書き留めています。
同音楽堂の委嘱作品で、作:大岡信、演出:観世榮夫、音楽:一柳慧、書:井上有一、出演:観世榮夫、野村万作、三宅右近、茂山逸平、桜井真樹子、一柳慧(ピアノ)、神田佳子(打楽器)ら。「当代一流の芸術家が一堂に会した超豪華コラボレーション」が1日限りの公演とは残念です。

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August 09, 2004

あなざ事情団「三人姉妹」

「しのぶの演劇レビュー」があなざ事情団「三人姉妹」(08/06-8 アトリエ春風舎)を取り上げています。劇場で何が起きているか、ほぼリアルタイムの報告をこれだけ継続しているのは貴重です。

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August 08, 2004

青島レコード「SLAPHAPPY」

青島レコード「SLAPHAPPY」(08/04-08 THEATER/TOPS)を「しのぶの演劇レビュー」が取り上げました上演時間が長すぎると指摘しながらも「自ら前へ前へと進んで行きながらも、常に体の中に漠然とした不安を抱いている人間の、根源的な迷いと一寸の希望を表したのではないか」とやさしく救っています。

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August 04, 2004

青年団・五反田団「忠臣蔵・OL編」「ヤルタ会談」「家が遠い」

名古屋の舞台を伝えるblogサイト「名古屋の小演劇インプレッション」が、青年団・五反田団「忠臣蔵・OL編」「ヤルタ会談」「家が遠い」公演を取り上げています。三作とも名古屋の七ツ寺共同スタジオで7月21-26日に開かれました。東京で見た舞台とは違っているかもしれませんが、「家が遠い」の感想の中で、「役者が人形に感情を吹き込もうと試行錯誤して、最後に舞台上に残る哀愁」という表現がありました。意表を突かれた視角ですが、書かれてみると納得でした。

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劇団タコあし電源「阪神淡路大震災」

Blogサイト「某日観劇録」が、劇団タコあし電源「阪神淡路大震災」公演を取り上げています。「個人的にはものすごく良く出来ているという感想なのですが、観に行ったという感想をblogでも一行レビューでも見かけません」と観劇を勧めていました。東京・中野劇場MOMOで7月28日(水)~8月3日(火)の公演ですから、残念ながら昨日で終了しています。劇団主宰者の岡本貴也さんは早稲田大学院で生物物理学を修め、いまはテレビや映画の脚本などを手掛ける売り出し中の作家、演出家です。

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永井愛「こんにちは、母さん」

no hay banda サイトの「観劇アーカイブ」は読み応えのある劇評が集められ、いつも掲載されるのが楽しみです。今年3月に新国立劇場小劇場で開かれた永井愛の作・演出「こんにちは、母さん」公演の評が最近(8月3日)追加されました。舞台の様子や役者の動きなどが筆者の目を通してしっかり伝わってきます。

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August 03, 2004

燐光群「だるまさんがころんだ」

「漂泊する思考空間」サイトが、燐光群の「だるまさんがころんだ」(下北沢、ザ・スズナリ)を取り上げています。燐光群の舞台をみるのは初めてだそうです。しかしメッセージはしっかり伝わり、「芝居が終わったとき1時間半くらいかと思って時計を見たら2時間25分が過ぎていたし、芝居を観ている最中もいろいろなことを考えさせられた。いろいろなことを身体で感じた。これは是非芝居好きな方々には見て欲しい芝居のひとつである(滅多に勧めないけれど)」と手厚い感想を綴っています。

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August 02, 2004

デヴィッド・ルヴォー演出「屋根の上のバイオリン弾き」

演劇評論家の長谷部浩さんがCLP サイトでデヴィッド・ルヴォー演出の「屋根の上のバイオリン弾き」を紹介しています。綿密な分析の最後に「ルヴォーは、ヴァイオリン弾きに子供を寄り添わせ、楽器を幼い子に手渡す光景で、この劇をしめくくる。伝統や慣習が失われても、楽器にこめられた民族の音階やリズムは、引き継がれていくだろう。そのかすかな希望が疲れ果てたテヴィエの肩に、光明のように宿った」と締めくくります。これまでみたルヴォー演出の舞台が脳裏によみがえり、日本でもみたくなりました。

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唐ゼミ「盲導犬」

CLP クリティック・ライン・プロジェクトの皆川知子さんが唐ゼミ「盲導犬」 を取り上げました。「今回もまた、唐十郎の人間へのやさしさと残酷さが渾然となったことばの奔流に、目の眩むような思いをした」と切り出して、唐ワールドへ案内しています。

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劇団山の手事情社EXTRA企画『作、アレクサンドル・プーシキン』

「しのぶの演劇レビュー」は相変わらず精力的にレビューをアップして、「怒涛の演劇観劇人」の名に恥じない活躍です。今回紹介するのは、劇団山の手事情社EXTRA企画『作、アレクサンドル・プーシキン』。 こまばアゴラ劇場での公演(7.28 - 8.1)です。

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燐光群「私たちの戦争」「だるまさんがころんだ」

「おかめの客席日記」が燐光群「私たちの戦争」を取り上げています。「イラクの悲惨な状況を伝えるなら、映画などのカメラで写した映像にまさるものはない。だが演劇は、事実だけでなく人生の一コマから本質を描く力がある。だから観客の心を打つ。それが現実を演劇にする意味だと思った」。おそらく作者らの願いや望みが伝わった確かな形の一つなのでしょうか。
8月4日には「だるまさんがころんだ」を取り上げています。

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こまつ座第73回公演「父と暮せば」

「No hay banda」blog が新宿・紀伊国屋サザンシアターのこまつ座第73回公演「父と暮せば」を取り上げ、「出演者は2人とも達者です。しかし…親子の気持ちのぶつかり合いのところでは心からの触れ合いが伝わってこない演出」とズバリ。また遅刻客が開演中に入ってきて観劇の妨げになる事態も率直に指摘しています。

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August 01, 2004

デス電所「ちょっちゅ念」

 関西の舞台芸術全般、関西圏で行われるアートシーンすべてを対象に、批評と支援を行っていこうと設立されたCCC(Culture Critic Clip)サイトは地味ながら堅実な劇評を発表していることで知られています。大阪・伊丹のアイホールで開かれたデス電所「ちょっちゅ念」公演(7月7-11日)を取り上げ、同メンバーの西尾雅さんが「煩悩で織り上げる曼荼羅の救い」という題で劇評を書いています。

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劇団態変を見た

今年のタイニイアリス・フェスティバルの概要が明らかになりました。大阪の劇団態変の公演も年末に予定されています。劇団態変は昨年もフェスティバルに参加しましたが、そのときの公演「碧天彷徨」をみて、ダンスや演劇の分野で評論活動を続けている柳澤望さんが、身体障害者のパフォーマンスと舞台芸術の営みについて正面から受け止め、文章をまとめています。タイトルは「劇団態変を見た」。昨年の記事ですが、このテーマを考える貴重な手がかりになると考え、紹介します。

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July 31, 2004

ポツドール「激情」

 ポツドールはラブホテルで行為にまでいたるまでのカップルの風景とか、AVを必死で撮ろうとする男集団の話だとかをセミドキュメントスタイルでほとんど役者のリアルというか状況そのままで見せると話題になった演劇ユニット。30's SubCulture Blog  が6月公演「激情」を取り上げました6月23-29日、下北沢駅前劇場)。「とにかく後味が異常に悪い」「その居心地の悪さはカーテンコールまで観客全員をひきづり、誰も拍手無し」「でも客先は大入り満席。みなひきづられているわけである。そのダークサイドに…」。最近こんな傾向の舞台がいくつか話題に上ります。

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汎マイム工房・黙戯「物置小屋のドン・キホーテ」ファイナル公演

「演出家・演劇批評家・ワークショップデザイナー、ついでにさすらいの非常勤講師」と自己紹介している大岡淳さんの「反資本主義日記」は、知る人ぞ知る人気ブログサイト。7月18日のページで、東京・氷川台のスタジオP.A.Cで行われた汎マイム工房・黙戯「物置小屋のドン・キホーテ」ファイナル公演を取り上げています。「マイムという表現形式と日本的な生活情緒の間でうまくバランスをとり、泥臭い人生の哀歓を表現した名人芸」と最後の公演を惜しんでいました。

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July 28, 2004

CATプロデュース「偶然の男」

「ほぼ観劇日記」が CATプロデュース「偶然の男」を取り上げています(2004/7/21、スフィアメックス)。「長塚京三とキムラ緑子の出演で、鈴木勝秀の演出による、翻訳戯曲(多分フランスなんでしょうか)の上演」「こうした海外戯曲作品を見ていると、外国人はとにかくおしゃべりで、一人でいっぱいしゃべるのだなと感じました」。同感です。言葉がほとんどすべてのような台本が多い気がします。

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July 27, 2004

スロウライダー 「ホームラン」

「芝居にはまった会社員」かわひ_さんのblog「休むに似たり。」が、スロウライダー第9回公演「ホームラン」(王子小劇場、7.23 - 7.27 )を取り上げ、「合わせ鏡の向こう側に行ってしまうような瞬間のドキドキが印象的」など初見の印象をまとめています。
「最新の『岡村日記』 」ページは7月24日のページで、内部情報を交えながら「ホームラン」公演を紹介し、「今回が4回目の公演。そろそろ次が正念場。勝負のときではないか」と迫っています。

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燐光群「私たちの戦争」

燐光群「私たちの戦争」(ザ・スズナリ、7月14日-8月4日)は、坂手洋二が点描する「戦時下」ニッポンの風景です。ミュージカル『ナイン』でトニー賞を受賞したマリオ・フラッティが書いたイラク戦争帰還兵の物語に加え、渡辺修孝が体験した戦場イラクでの「誘拐」、反戦落書きで逮捕された事件などがミックスされています。「大学教員」のtokunagaさんが自分のblogでこの舞台について「燐光群「私たちの戦争」を観た。何度も腹を抱えて笑った。そして、ちょっと泣いた。」というタイトルで書いています。「しのぶの演劇レビュー」もこの作品を詳細に紹介しています。

Posted by KITAJIMA takashi : 08:48 AM | Comments (0) | Trackback

バカバッドギター「伝染するラプンツェル」

 鈴木麻那美さんのblog「うたうた」で、劇団バカバッドギター第7回公演「伝染するラプンツェル」(7月23-25日、新宿 タイニイアリス)をとりあげています。「ダークなどろどろシリアスホラーと思って恐いもの見たさで観に行く。 予想は見事にはずれ、想像してない軽ーいノリ…(中略)笑わせて油断させた後、緊張感チラリ」などと軽いノリで書いています。

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July 26, 2004

双数姉妹「ファンシー」

双数姉妹の「ファンシー-スグルとマナブと奇抜な父と」公演が7月1-11日、東京新宿のシアタートップスで開かれました。R倶楽部の「お芝居感想のページ(今)」で、この公演について「劇評」が掲載されています。総数姉妹の舞台をかなりみているようで、「双数姉妹の新しい円熟期の始まりを感じた」と結んでいます。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:38 PM | Comments (0) | Trackback

July 24, 2004

THE・ガジラ「国粋主義者のための戦争寓話」

 「No hay banda」サイトが5月に行われた演劇企画集団THE・ガジラ「国粋主義者のための戦争寓話」(東京・ベニサンピット)について、次のように書いています。 「…演じられるのは敗戦の瀬戸際に追い詰められたなかでの近代と土俗のせめぎあいだ。軍に代表される近代とムラに代表される土俗の越えがたい溝。戦争の目的と手段を取り違えての迷走の行き着いた果ての男たちのぶつかり合いがこの国の末期症状として繰り広げられる…」。以下、全文です。

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July 23, 2004

椿組「一天地六」

blogサイト「おかめの客席日記」で、椿組の公演「一天地六-幕末新宿遊侠伝」を取り上げています。古典芸能中心の記事が多いなかで、新宿の花園神社境内で開かれたこの野外劇が目に付きました。「これからは仕事が忙しくなり、ネタも不足してくると思うので、月・水・金・土の定期更新をめざして続けていくつもり」だそうです。無理せず、長続きしてほしいと思います。

Posted by KITAJIMA takashi : 04:14 PM | Comments (0) | Trackback

ポかリン記憶舎『煙の行方 煙ノ行方』

高野しのぶさんのblog「演劇レビュー」がポかリン記憶舎『煙の行方 煙ノ行方』」を取り上げています。(07/14-25 駒場アゴラ劇場)
「明神慈さんが作・演出をする劇団です。“地上3cmに浮かぶ楽園”をキャッチコピーに、日本の美男・美女によるたおやかな空間を作り出されています」。以下、全文です。

Posted by KITAJIMA takashi : 03:21 AM | Comments (0) | Trackback

サイモン・マクバーニー演出「Measure for Measure」

英国留学中の谷 賢一さんが日記代わりというblog「playnote.net」で、サイモン・マクバーニー演出のシェイクスピア作品「尺には尺を」の劇評を掲載しています。「昨年『エレファント・バニッシュ』を観たときには(自分の春樹嫌いも手伝ってか)さして感動もしなかったが、今回は脱帽した。大袈裟に言えば、21世紀の演劇の方向性を予兆する一つの記念碑的作品」と述べ、ロンドンのオリヴィエ劇場 in ナショナルシアターでみた芝居に強い印象を受けたようです。

Posted by KITAJIMA takashi : 02:14 AM | Comments (0) | Trackback

July 22, 2004

燐光群アトリエの会「犀」

 燐光群アトリエの会による公演「犀」が5月10日-26日、東京・梅ヶ丘BOXで開かれました。演出は大河内なおこ。RADA(イギリス ロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート)出身で、蜷川幸雄氏の演出助手を務めてきたそうです。「犀」はベケットと並ぶ「不条理演劇」の旗手として活躍したイヨネスコの代表作。 「No hay banda」サイトがこの「犀」のステージに触れています。なかなか率直な語り口です。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:35 PM | Comments (0) | Trackback

July 21, 2004

Gin's Bar MUSEシリーズ act.1「夜の底」

演劇、ダンス、音楽など多様なシーンの交流を図ろうと、「劇都」仙台で「評論と考察の試み:2004.07.07−2005.07.07」とのサブタイトルをもつWebサイト「anode」が誕生しました。メンバーの一人、佐々木久善さんが5月22日・せんだい演劇工房10-BOXで開かれた公演Gin's Bar MUSEシリーズ act.1「夜の底」に関して「演劇の『編集』について−−『夜の底』をめぐって」を書いています。「何を見せないで何を見せるのか? この判断こそが演劇を作る時に最も大切なものだ。舞台の上に再現される虚構を現実に近付けるために『編集』という作業は不可欠」になるとの観点がキーになっているようです。

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July 20, 2004

BLUES TAXI 「ノスタルジック・カフェ」

BLUES TAXI Vol.10「ノスタルジック・カフェ~1971あの時君は」(作・演出:青田ひでき)公演について、blogサイト「x-ray」のkumaさんがちょっと辛口風の、しかし行き届いたレビューを載せています。ここまで踏み込んで書くと、読む側も引き込まれてしまいますね。

Posted by KITAJIMA takashi : 11:22 PM | Comments (0) | Trackback

ヴィレッヂ プロデュース Vol.3 阿佐ヶ谷スパイダースPREMIUM「真昼のビッチ ~The Bitch Shouts in the Midday.~」

weblog「こんなものを買った。-ムダ遣い日記」で、ヴィレッヂ プロデュース Vol.3 阿佐ヶ谷スパイダースPREMIUM「真昼のビッチ ~The Bitch Shouts in the Midday.~」について次のように書いています。「芝居の密度は濃い。芝居自体もしっかりできているだろう。でも虚ろ、何かチープ。「えんぺ」の一行レビュー、高い評も低い評も非常に納得で同感。どこに視点を置くかで、高くも低くもなる芝居」。

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July 18, 2004

エレファント・バニッシュ (サイモン・マクバーニー 演出)

クオリティーの高い劇評を掲載してきた「クリティック・ライン・プロジェクト(CLP)」のWebサイトに、村上春樹原作、サイモン・マクバーニー 演出「エレファント・バニッシュ」(6月26日~7月11日、世田谷パブリックシアター)のレビューが載っています。筆者は「オペラの演出の経験」もあるという皆川知子さん。「映像、モノ、人間が等価におかれ、徹底的に統一された舞台」との冒頭の切り出しから末尾の結論まで、一気に読ませます。
ほぼ観劇日記」も「旧態然とした演劇の枠組みを軽く越えた、役者によるパフォーマンスと映像と音とセットも含めたムーブメントで構成された空間」と評価しています。

Posted by KITAJIMA takashi : 08:32 AM | Comments (0) | Trackback

July 10, 2004

チーム下剋上「ワイワイ アリス パニック」

自称「踊る芝居好きのダメ人間」さんのblog日記が、チーム下剋上公演「ワイワイ アリスパニック」について書いています。タイトルは「本当は…な童話」。ゲーム下剋上の芝居は何度か見ているようで、「童話をミックスさせて、現実と少しミックスさせて毒を少し吐いてとスタイルは、いつも通りだったわけですが、ちょっと空回りしてしまう感じ」と辛口のコメントでした。

Posted by KITAJIMA takashi : 08:24 PM | Comments (0)

July 08, 2004

劇団あおきりみかん「昼下がり、車庫上がり」

「名古屋の小演劇インプレッション」が劇団あおきりみかん「昼下がり、車庫上がり」公演を取り上げています。「今回は舞台装置に度肝を抜かれた」と質感の高い出来栄えに感心していました。愛知県芸術劇場小ホールで6月24-26日に開かれました。

Posted by KITAJIMA takashi : 11:39 PM | Comments (0) | Trackback

July 05, 2004

エレファント・バニッシュ

blogの「ほぼ観劇日記」が「エレファント・バニッシュ」について「英国のコンプリシテの演出家サイモン・マクバーニ演出と日本人キャストによる村上春樹のテキストを元に作り上げた作品の上演。昨年上演され好評を博した作品の再演。初演も見たけれども、今年の方が何段階もグレードアップしています」と述べています。

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July 01, 2004

ク・ナウカ「アンティゴネ」

 ギリシャのデルフィ神殿公演(7.1)を前に、ク・ナウカが横浜のBankART1929で開いたプレビュー上演(5.16-6.6)。はてなダイアリーの「漂泊する思考空間」サイトは、ク・ナウカ「アンティゴネ」の舞台から、死-身体-演劇の関連について書いています(6月6日)。(7月11日のページでも「宮城氏はやはりふつうの『国家と個人』という解釈をテーマに据えるのではなく、あくまで悲劇としての『アンティゴネ』すなわち、わけわからないものとしての死を表現したかった」と書いています。
 北野研究室(群馬県立女子大学美学美術史学科)のwebサイトに掲載された劇評は、ギリシャ古典をふまえた奥行きを感じさせます。

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June 02, 2004

少年社中「ハイレゾ」 

 少年社中「ハイレゾ」は賛否の分かれるステージだったようです。「ほぼ観劇日記」は初演を見た上で、次のように述べています。「私はこの作品が社中の最高傑作だと思っていましたし、初演を越える作品を観せてくれたと思います。音がうるさいとか、アニメっぽいとか、せりふが良く聞き取れないとか言われているようですが、そんなことは関係ないですね。彼らの、熱い思いがひしひしと伝わってくる舞台だった…」。

Posted by KITAJIMA takashi : 02:53 AM | Comments (0) | Trackback
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