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May 03, 2005

劇団唐組「鉛の兵隊」

◎現在と昭和(?)が交錯する“大人の童話”

 スタントマン事務所「ドタンバ」の若き星である二風谷(にぶや)。幼少時から二風谷とは仲ふかく、自衛隊員として赴任しているムサンナ州から帰国する七々雄(ななお)。七々雄の姉でパーラー<マリー・ゴールド>の華である冴(さえ)。弟思いの冴が、二風谷に七々雄の身代わり(スタント)を依頼し、なんとかその期待に応えようとする二風谷・・・というのが、複雑なストーリーのおおまかな導入部です。

 第一幕の序盤が終わるころ、舞台に巨大なアクリルの箱(スタント事務所が請け負った縄抜け・脱出のマジックで使用したもの)が登場。そのマジックで脱出を果たせずに行方不明となったスタントウーマン“ララ”を、いまでも思い続ける伝説のスタントマン“荒巻シャケ”。彼女を思うあまり、その箱のなかで塩とともに埋もれている「新巻鮭」(荒巻が本当に鮭のレプリカを頭につけている)が姿を現して「塩の中から、ゴメンナサイ」のひとことに、場内は拍手喝采でした。単に笑いをとれる役者ということでいえば、小劇団のなかにもたくさんいるでしょうが、登場しただけで拍手喝采を沸き起こせるというのは、唐十郎ならではの貫禄ですね。

 ムサンナ州から帰国した自衛隊員という設定が、2005年の現在をなんとかつなぎとめていますが、舞台のセットやBGM(シャンソンや「桃色吐息」)をはじめ全体の雰囲気としては「昭和の日本」が舞台といっても過言ではありません。最近の若手芸人がテレビで繰り出すような“いまっぽい”笑いとも無縁です。30代前半の評者にとっては、幼かった頃の情景をかろうじて思い起こさせるノスタルジックな舞台でしたが、ハタチ前後の観客には違和感があったかもしれません。

 最近の小劇団の芝居をみていてなんとなく気にかけていたことが、今回の唐十郎の芝居をみてはっきりとしてきました。家庭や職場といった半径5メートルくらいの身辺で起こる日常的な出来事に題材を求めがちな前者に対し、時間的・空間的に広がりをみせて非日常的なドラマを提示しつづける後者。また、スマートで洗練されていてニヒリスティックともいえる人物設定と演出スタイルが多い前者に対し、愚直で粗野で直情径行な人物設定と演出スタイルを貫きつづける後者。

 いまに限らず、昔から唐十郎の芝居はほかと比べて独特なのだともいえるでしょう。そもそも、両者のアプローチは単に芝居に求めるものの違いというふうに割り切るだけのものかもしれません。ただ、唐十郎的な表現者が新たに登場していないように見受けられる現在の状況は、個人的には寂しいということを再認識しました。

 速射砲のごとく繰り出される長ゼリフに加え、終盤では二谷風、七々雄、冴のほか、七々雄の上官の匠(たくみ)や墨師の娘の小谷の感情が複雑に交錯するため、話の筋がやや難解になっていきますが、セリフの展開に合わせて照明と音響が小刻みに切り替えられていく演出は圧巻でした。ラストで、「ドタンバ」には戻らずに一人で骨拾いの仕事に行くという二風谷が、文字どおり「劇場のそと」へ飛び出してこちらを振り返り、終幕になります。

 アンデルセンの「鉛の兵隊」を知らずに公演に出向いたのですが、さほど大きな支障はなかったと思います。唐十郎流の“大人の童話”として堪能できること請け合いです(元の童話を知っていれば「錫のスプーン」とか「片足の兵隊」といった引用が楽しめるようですが)。なお、季刊の文芸誌『en-taxi』(扶桑社)の第9号に、唐版「鉛の兵隊」の文庫本がおまけとして付属しています。

 二幕構成で、幕間の10分を含めて2時間あまり。おそらく状況劇場の時代から足を運んでいるとおぼしき年配客から、唐十郎の孫の世代の小学生!(関係者の親類か?)まで、老若男女およそ400人が花園神社に詰めかけました。

 新緑も心躍らすテントかな

(吉田ユタカ 2005.4.30)


[公演予定]
大阪公演(4月15-17日 大阪城公園・太陽の広場)
神戸公演(4月23日 湊川公園)
東京公演(4月30日-5月1日 新宿・花園神社)
    (5月7-8日、5月14-15日、6月18-19日 西新宿原っぱ)
    (6月10-12日 雑司ヶ谷・鬼子母神)
水戸公演(5月20-22日 水戸芸術館広場)
豊田公演(6月4-5日 挙母神社)

Posted by KITAJIMA takashi : 09:32 PM | Comments (0) | Trackback

May 01, 2005

劇団、本谷有希子「乱暴と待機」

◎卑屈で不謹慎な人々の、上質な愛の物語

劇団、本谷有希子。
言わずもがな、ではあるが今現在、小劇場界で最も注目を集めている劇団の一つである。

 自分の名前を劇団名にした主宰・本谷有希子の専属役者を設けない「プロデュースユニット」として2000年8月に旗揚げされたこの劇団は、女の濃い情念や身勝手な妄想などを題材にして芝居作りを行っていると聞いていた。題材としては非常に私好みであったものの「松尾スズキに影響を受け過ぎている」という反応を多く目にしていたのであまり気が進まなかった。同時期に、別の劇団で松尾スズキに影響を受けたと思われる舞台を観て、そのあまりの出来に落胆していたので、比べるわけではなくともどこか足踏みをする気持ちが生まれていたのかもしれない。

 ところが、前回公演の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』と今回公演の反響コメントを目にして、私は居ても立ってもいられなくなった。いろいろとこだわりを持つより自分の目で確かめるべきだ。ということで、恥ずかしながら今回が初見である。本谷有希子の「馬渕英里何にスエットを着せたい」という思いから生まれたという『乱暴と待機』。当日券・立見席で観劇。

 端的に結論を言うと、「面白い!観に来て良かった!」である。
 役者の力も大きいけれど、その役者の力を引っ張り出した台本と演出にも脱帽した。松尾スズキの影は私にはあまり見受けられなかった。特に馬渕英里何の演技力が存分に生かされていることに驚いた。長塚圭史作・演出の『真昼のビッチ』を観た時に「この人は舞台女優として成長するな」という予感があったが、今回の舞台で見事、開花したという印象。

 内容。冒頭で突如、物語のラストの男女四人の光景が繰り広げられる。もちろん、この時点では、おそらくの範囲内でしかなかったのだけれど、観客は物語の前後が分からないままに、男が「最高の復讐を思いついた」と言って家を出て行き、電車に飛び込んだというエピソ―ドを見せつけられる。
 「何で突然、死んじゃってんだよ!」
 印象的なこの台詞を残し、物語は始まる。

 献身的に相手に尽くそうとする小川奈々瀬(馬渕英里何)と寡黙で笑わない山岸(市川訓睦)は二人暮らし。日々、山岸は奈々瀬に対する「最高の復讐」の内容を考えており、奈々瀬はその「最高の復讐」を受ける機会を待ち続けている。奈々瀬は毎晩山岸を笑わせるためのネタを考え、山岸はそのネタに全く表情を変えることなくシュ―ルとベタな笑いの違いについて講義したりしている。そして二人は二段ベッドの上下にそれぞれに横になり
 「おにいちゃん、明日は思いつきそう?」
 「ああ、明日はきっと思いつくさ」
 「良かった」
 と言葉を交わし、眠りにつくのである。どうやら、そんな毎日が繰り返されているらしい。

 そんな中、刑務所で死刑執行のボタンを押す仕事をしている山岸の同僚の万丈(多門優)が奈々瀬に興味を持ち、加えて万丈に思いを寄せている故に振り回されているあずさ(吉本菜穂子)が「奈々瀬に笑いを伝授する」という名目のもと、部屋を訪れるようになってから、二人の不可思議な同居の実態が浮き彫りになってくる。

 なんと「復讐の原因」が何なのか、どちらも思い出せないというのだ。幼なじみだった二人は、十二年前に車の踏切事故で山岸の両親を亡くしているらしい。その際、後部座席に乗っていた山岸と奈々瀬だけが生き残ってしまい、山岸の足に後遺症が残ったとのことだが、そこからは奈々瀬への復讐の原因は汲み取れない。

 山岸いわく、自分の人生がうまくいかなくなり始めた起源を辿ったら奈々瀬に行き着いたのだと言う。奈々瀬も自分のもとに会いに来て「誰も思いつかないような最高の復讐をしてやる」と言った山岸の意思を受け入れ、それで今まで六年間もの共同生活が続いているというのだ。はっきりした復讐の理由もわからないままに。そして山岸は、天井に空いた穴から、時折、奈々瀬の姿を盗み見ては復讐の内容を考えているのである。

 何だかゾクリとした。恐怖とはまた違う。行き場が無いと認識した瞬間の人間の行動に覚えがあるような気がして、興味を惹かれたのだ。感情の理由づけをするために必死な登場人物たち。私は物語の展開と矛盾を楽しみながら、依存状態に入り込む瞬間の人間の姿について考えた。この二人はそれぞれ憎しみと同情の思いに互いが一緒に居ることの意味を持たせているのである。性交渉もない二人の関係は、壁一枚、いや布団一枚を隔てた自身の生きている実感を保つための鎖であるというわけだ。

 その鎖が、万丈とあずさが介入してくることによって徐々に錆びれてゆく。どこか軽快な会話のテンポに笑いながらも、私はちくちくと胸を刺してくる痛みに気付いた。その痛みは、女である自分と奈々瀬を重ねている状況に対するものだった。馬渕英里何は、奈々瀬の「人から嫌われることが何よりも苦痛で、過剰に遠慮して逆に不快感を与えてしまう」キャラクターを堂々とやってのけていた。

 奈々瀬はそれから、誰からも嫌われたくないあまり相手の思うままになり、自分の部屋で万丈と体の関係を持ったり、あずさに見つかって殺されそうになったりする。屋根裏に居た山岸がその行動を止めたことから、覗き見の事実が露呈して、山岸は奈々瀬と別々に暮らすことを提案する。奈々瀬はそれを受け入れる。二人は二段ベッドで、いつもとは違う会話を交わす。嘘を話すという前提で、お互いの思いを伝え合う。

 ところが、いざ奈々瀬が出て行こうとする時に山岸は「復讐の原因」の内容を思い出したと言って部屋に戻ってくる。その理由とは、車が線路内に入ってしまった時に、山岸が「前」と言ったのに奈々瀬が「後ろ」と言って両親を混乱させたからだという。原因を思い出すことが出来た喜びで、六年ぶりに高らかに笑う山岸。しかし、その場で内容を聞いていたあずさが冷静に状況を分析する。

 ―― 前に進んでいたら山岸も奈々瀬も死んでいたのではないか。後ろに戻ったから、二人は助かったのではないのか。

 山岸の笑いが止まる。奈々瀬が焦りを見せる。そんなんじゃない。私が悪いの。私が余計なことを言ったからいけないの。必死で山岸をかばう奈々瀬。呆然とする山岸。すると奈々瀬がここで初めて口調を荒くしながら自分の思いをぶちまける。そうやって、私のことを無かったことにするんでしょうと。そして実は、覗き見の穴は奈々瀬が用意したものだったということが露呈される。奈々瀬は山岸に対し、自分を「復讐」という言葉のもとで受け入れて欲しいがためにそのような行動をとっていたのだった。

 「面倒臭い私ごと、受け入れて欲しかった」

 この台詞が、女である私の胸を突き刺した。う―ん。痛い。どうやらこのシ―ンで奈々瀬が語ったことに対しては賛否両論あるようだが、私は強烈に見入ってしまった。不器用に振舞うことしか出来ない奈々瀬が人間臭くてたまらなかったからだろう。卑屈で不謹慎でどうしようもないけれど、愛しい。・・・と感情移入していると、山岸が「最高の復讐を思いついた」と言って外に飛び出していった。あぁ、冒頭で見せ付けられたラストシーンだ。そういうことか。奈々瀬は山岸が電車に飛び込んだと聞いて笑う。最低で、最強の愛情表現である。なんて、後味の悪い締めくくり。暗転になった舞台を見つめながら、私は胸の中にずっしりと重いものがかぶさってくる感覚を味わっていた。これで終わりだ。カーテンコール・・・と思ったら、舞台は明転し、部屋にひょこひょことミイラ状態になった山岸が帰ってくるではないか!

 指を無くしたものの、助かった山岸は、「本当は絵を描きたかったことを思い出した」と言い放つ。そして再び、奈々瀬との「復讐」という名のもとの共同生活が始まる――。

 本当のカーテンコールの時、私は、しばらくぼんやりとしてしまった。最後に山岸と奈々瀬が、とても幸せそうに笑ったのが印象的だった。これは立派な「愛のカタチ」であるとそう思った。恐るべし。劇団、本谷有希子。心の襞をこのような形で描き出すとは。

 万丈とあずさの展開に強引な箇所は見受けられるものの、それでも充分な満足感を得ることが出来た。女の情念や思い込みを描き出すというから、もっとヒステリックなものを想像していたけれど、全然違う。これは、しっかりと作り込まれた、上質な愛についての物語である。

 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』がDVD化されるらしい。是非、購入して、今回公演との違いを見比べてみたい。
(葛西李奈 2005.4.30)

Posted by KITAJIMA takashi : 11:07 PM | Comments (2) | Trackback

April 17, 2005

針ヶ谷プロデュース「二十日鼠と人間」

 米国の作家J.スタインベック原作「二十日鼠と人間」が東京・シアターVアカサカで上演されました(4月14日-17日)。主催の針ヶ谷プロデュースは「新劇、小劇場、学校公演、マスコミ-各方面で活躍するキャスト・スタッフが集まり、一つの作品のアンサンブルを創りあげていく、俳優・針ヶ谷修のプロデュース公演」だそうです。この作品は、同じ作者による「怒りの葡萄」「エデンの東」などと同じように、映画化されているほど有名です。実際のステージはどうだったか、小畑明日香さんからレビューをいただきました。

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 開演に遅刻してしまった。劇団関係者の方本当にごめんなさい。

 舞台の使い方が典型的なヨーロッパ演劇、という感じだ。最前列の演技スペース、そこに入ってくる通路、一番奥の遠景と三段に舞台が分かれていて、遠景の役者は風景の一部に徹している。最前列は必ず部屋の中だから、入り口以外のところから新たな役者が入ってくることはできない。
 
 映画化もされているというこの話は、知恵遅れの怪力男レニーと友人のジョージを軸に、アメリカの農場で起こる話だ。

 小作人の二人は、自分達の家と土地を手に入れるために働く。協力者も現れて順調に夢は実現に向かうが、知恵遅れと怪力が災いし、レニーは誤って女性を殺してしまう。ジョージは河原で、兎小屋のある十エーカーの土地の話をしながら、レニーを後ろから射殺する。

 友人がたまたま映画のファンだったので楽しみにしていたが、予想したほどは泣けなかった。
 なんだか詰めが甘い。

 喧嘩っ早くてわがままなハーリーに対して、小作人のジョージは最初から強気な態度を取る。ハーリーは雇い主の息子だ。レニーとジョージは新入りで、おまけに手違いで契約時間に遅れている。明確に身分の違いが示されているのに、いきなり喧嘩売ったりしていいのかよジョージ。それともアメリカではそれが普通なのか。レニーが馬鹿にされたから怒ったんだ、と思わせるには、我慢している時間が少ない。ジョージに限らず他の小作人たちも、主従関係を意に介しているようには見えない。色目を使って歩く、カーリーの妻にも脅威を感じないようだ。

 抑圧があるから、夢を語る口調にも熱意がこもるのだと思う。ハーリーがレニーに喧嘩を仕掛けて逆に怪我しても、場の皆がレニーに味方する。理屈は分かるが嘘っぽい。そうした主従関係への意識の欠如が、一幕目の展開を冗長に見せていた。

 作中に登場する子犬だって、小道具なんだからもうちょっと凝った方がいいと思う。力加減を誤って殺してしまった子犬をレニーが投げるシーンがあるのだが、床に犬が落ちると
「さきゅっ」
とビーズの音がするのだ。ラストシーンでも使われるのだし、素材にも気を遣ってほしかった。ここが嘘になると、怪力ゆえに、大好きな小動物を殺してしまうレニーの哀しさも頭でしか理解できなくなる。

 詰めの甘さを多々論じてきたが、反面、舞台美術に関する神経は行き届いている。大掛かりな場転のため完全暗転はできないでいたが、青いライトを浴びて作業する人達が、農場で働く人達に見える一瞬があって興味深かった。布を床に敷いて納屋の藁を表現するのも、効果的に作用していたと思う。

 日本の近代劇の原点になった欧米形式の芝居を観れただけでも勉強になった。今度ぜひ映画を観ようと思う。
(小畑明日香、2005.4.17)

[上演記録]
針ヶ谷プロデュース「二十日鼠と人間」
 東京・シアターVアカサカ(4月14日-17日)

出演
レニー   針ヶ谷 修
ジョージ  佐藤 太
キャンディ 角谷 栄次(劇団 民芸)
カーリー  日花 一善
スリム   亜南 博士
カールソン 今井 徳太郎(劇団ギルド)
ホィット  藤井 としもり
クルックス 吉岡 扶敏(劇団 民芸)
ボス    元山 裕隆
カーリーの妻 秦 由香里(演劇集団 円)

スタッフ
作/J.スタインベック
訳/守輪 咲良
演出/鷲田 照幸 ・ 阿南 聡
美術/塚本 祐介
照明/北島 雅史
音響/城戸 智行 (オフィス新音)
制作/Youko
制作協力/ぷれいす
チラシ画/深作 廣光

Posted by KITAJIMA takashi : 10:44 PM | Comments (0) | Trackback

March 10, 2005

東京ネジ「フロウフユウ」

 「東京ネジ」の第2回公演「フロウフユウ」が東京・王子小劇場で開かれました(1月27日-30日)。このグループは、盛岡を拠点に活動していた劇団ネジのメンバーら女性5人で2003年11月に結成。「佐々木」姓が3人、血液型AB型が3人だそうです(まとまりがいいのでしょうか?)。
 「デジログからあなろぐ」や「しのぶの演劇レビュー」も書いていますが、 
このほど小畑明日香さんから長めの公演評をいただきました。小畑さんは今春から大学生。フレッシュな目に、舞台はどう映ったのでしょうか。

◎思い出して嬉しく、ささやかに描かれて切ない

 座席に赴くと、アンケート用紙の上にマスクが置いてあった。
 王子小劇場の高さを生かして東京ネジが造ったのは、お洒落な2階建ての家の断面図だった。吹き抜けの1階とカーテンで客席から閉ざされた2階を、緩やかに曲がった階段でつないでいる。最近流行りの「暖かみのある建築」。気鋭のデザイナーが一枚噛んでいそうなデザインだ。
 それを見渡す客席の上に、マスク。「演出の関係上少々埃っぽくなりますので」そのときに使えと前説が入って、芝居が始まった。

 この作品の舞台は未来だ。ロボットが人間と共存しているし、世間では温暖化が進んで、この冬は46年ぶりに雪が降るとかでニュースになっている。
 しかしこの話の主役は、あくまでも自らの幸せを模索する人間達だ。そしてその願いを叶え、幸せをもたらしてくれる、ケサランパサラン。
 この生き物はとても小さく、ちょうど綿の塊の表面を八方に引きちぎって毛羽立たせたような形をしている。白粉を食べて増殖し、タンスの奥に隠しておくとその家を繁栄させる。そのため嫁入り道具の1つとして、母から娘に受け継がれていたらしい。ただし人に見られてしまうとそれまでの繁栄も全て失ってしまうので、なかなか広まらなかったんだとか。

 レビューを書くにあたって調べてみて、初めてこれが東北地方に伝わる伝説だと知った。東京ネジの前身である劇団ネジも、北東北を拠点に活動していた。

 オッシャレーな家のインテリア、山吹色の背の低い円柱の中に、増殖したケサランパサランがこっそり飼われている。母の所から盗んできたそれで娘のみつるが願うのは、自分の不老不死と、男女それぞれ1人ずつの子ども。女の子には数字に関する予知能力があって、みつるはその能力を利用し、ギャンブルで大儲けして毎日を暮らす。

 SF的な設定が時代背景に徹している点がいい。それでいて、登場する人物達はちゃんと未来に馴染んでいる。「具現人格」という精神病を患った女から具現化された人格が産まれてきてしまったり、寿命がきた旧式の世話係ロボットを廃棄できない青年がいたりする。

 現代に無い物をたくさん登場させると説明が難しくなるが、この作品はその処理も巧みだ。ケサランパサランのことを東京の人間に解説するために、みつると母に絵本を音読させる。

「しかしその間にもケサランパサランは増えつづけ、とうとうタンスからあふれて部屋中に広がり始めました。
 ああどうしよう、このままじゃ、ケサランパサランが見つかってしまう。
 女の子は必死で考えて、とうとう窓を開けて叫びました。
 ケサランパサラン、風に乗ってゆけ。
 ケサランパサラン、雪になって吹け。」

 増えすぎたケサランパサランは仕舞いに効き目を失って、山吹色の円柱から噴き出す。みつるの目の前で、2人の子どもも、引いては今までの歳月全ても失われてしまう。そして46年ぶりに町に降る、雪。

 この場面は本当に美しい。3つのシーンでそれが表現されるのだが、雪の表現の仕方が3つとも違うのだ。(1つは雪じゃなくてケサランパサランだけど)
 個人的にはぜひ、3つのシーンを連続して観てみたかった。暗転は一切無しで、曲も同じ曲を流しっぱなしにするか、シーンごとに変える程度にして。それまで舞台転換が巧妙だっただけに、ケサランパサランが噴き出すシーンの前の暗転が大変勿体無く思えるのだ。

 芝居全体では3回しか暗転しないのだが、クライマックスからラストシーンまでに暗転が続くので、妙に長く感じてしまった。仕掛けの都合上難しいのかもしれないが、もしこの作品を再演することになったら、ぜひクライマックスを連続で観せてほしい。

 3つの物語が巧妙に展開される「フロウフユウ」の魅力を、文章だけで伝えきるのは本当に難しい。娘と同じく不老不死になった母の、若い恋人とのベッドシーンのことを話すのは特に難しい。
 笑えるのだ。子供用のトランポリンぐらいしか大きさがない円柱の上を、
 「狼!」
 「子羊!」
 「(布団を被って)富士山!」
 「(男に寄り添って)チョモランマ♪」
 などと言いながら2人が走り回る。2人とも下着姿だし、小道具も布団だけ。(最後に母の恋人は煙草を吸う)動き回れるスペースも非常に狭いのに、多彩な表現に意表を衝かれた。ものすごく可笑しいのに品が良くて、2人の愛情の深さがよく伝わってくる。

 同じ恋人同士のシーンでも、「みつるの子ども(♂)と、精神病を患ってしまった30歳の彼女」の話になると、割に力が抜けて純愛もののテレビドラマのような雰囲気の芝居になる。クライマックスのそれは少し間延びして感じられたが、野田秀樹よろしく大騒ぎするみつるの母達と好対照を成していて面白い。

 恋人を想ったり、親が子を思いやったり、喧嘩して仲直りしたり、あるいは、陰湿に旧式ロボットを虐めていた新型ロボットが、旧式ロボットの思い遣りを知ったり。赤面してしまうほど純粋な数々の愛情が話を支えている。ここまで書いてきて初めて思い至ったぐらい、どのエピソードもささやかに描かれていて切ない。

 1つ1つを強烈に感じることは無いけど、全てを失ったみつるの
 「また、ゼロになりました!」
 という台詞で観客が後味良く席を立てるのは、話の中に織り込まれたそうしたエピソードが、(結果的に無かったことになっているとしても)確かに一時そこに存在していたからである。

 観ても面白いし、1つ1つシーンを思い出していると意外な伏線に気づいたりして嬉しくなる。
 いつまでも楽しめる、上質な作品である。
(小畑明日香 2005.3.09)


[上演記録]
東京ネジ第2回公演「フロウフユウ」(公演の予告編=ビデオもありました!)

日時:2005年1月27日-30日

作 :佐々木なふみ
演出:佐々木香与子

出演:
 佐々木香与子
 佐々木富貴子
 佐々木なふみ
 龍田知美(以上、東京ネジ)
 平野圭(ONEOR8)
 明石修平(bird's-eye view)
 宇田川千珠子
 浦井大輔(コマツ企画)
 田保圭一
 サイトウミホ

場所:王子小劇場(王子小劇場賛助公演)

Posted by KITAJIMA takashi : 03:07 PM | Comments (0) | Trackback
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