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February 06, 2005

劇団タコあし電源×デジタルハリウッド大学院大学プロデュース公演「面接の人達2006」

 劇団タコあし電源×デジタルハリウッド大学院大学プロデュース公演「面接の人達2006」公演が1月28日(金)-2月7日、東京の中野・劇場MOMOで開かれました。就職活動中の大学生、青木理恵さんから身につまされるレポートをいただきました。以下、全文です。

◎作り手の自覚以上に高いニーズ 就職活動を通した自己成長物語

人生のうちで、就職活動ほど特殊なものはない。
・・・そう考えてしまうのは、私自身が今まさにその渦中にいるからなのだろうか。

物語の舞台は、ある就職塾。
就職を目指す学生や、リストラ再就職組の人々が織り成す、
就職活動を通した自己成長物語である。
と、安易にまとめてしまえばそれだけの話なのだ。

就活と恋愛の両立の難しさ。
就活と本当の夢との距離の取り方。
面接。自己PR。一分間スピーチ。
やりたい仕事と、自らの能力に適した仕事とはどう違うのか?
何十社と落ち続けていく自分を、どう位置づければ良いのか?

自分の意識とは無関係とも思えるほどの無常さで繰り広げられる、就職戦線の惨さ。
現在の就職活動というものを本当に知らなければ、描けないドラマである。

「就職活動を続けてきた自分を否定したくない」
面接官と口論になり、
「就職なんかしなければいい」
と言われてしまった男の子が、そう答える。
私は今まさに、そんな思いと戦っているのである。

軽やかな笑いを含んだそつのない構成は、特殊な方法論を使ったものではなかったが、
現在大学4年生、卒業寸前の2月まで就職の決まらない私にとっては、
特別に響いてくるものがあった。
「こんなに自分と向き合って、こんなに惨めになったことはない」
登場人物のセリフが、私の胸をかきむしって涙が出る。

就職支援企業が提供についていたり、
就活生必読の書「面接の達人」が作中で用いられたりと、
これほどリアリティの維持に力が注がれた小劇場作品を見たのは、初めてだと思う。

演劇を本気でやりたいと願う人の多くは、
「夢追い型」と呼ばれるフリーターとなるケースが多い。
演劇と就職活動ほど、並列しがたいものもそうないだろう。
それが同時に目の前で表現される、奇妙な矛盾感。
なのに、この一作を見たことで、どんな就職支援本を読むよりも
深く「就職」について考えさせられてしまったのである。

この作品は多分、作り手の自覚以上にニーズの高い内容である。
日本中の、就職活動学生たちが求め続けている作品だと純粋に思う。
演劇のビジネス活用としてのモデルにも、十分になりえる。
全国の大学で公演してほしい。
それくらい学生には、就職活動というものの具体的イメージが乏しいのである。

もっと早い段階で見られていたら、私も少しは状況が違っていたような気がする。
などというのは言い訳なので、まだ私も諦めずに就職活動を続けるつもりである。
(青木理恵 2005.2.2)

[上演記録]
■劇団劇団タコあし電源×デジタルハリウッド大学院大学 プロデュース公演 「面接の達人2006

▼脚本
 岡本貴也(タコあし電源)
 イケタニマサオ(くろいぬパレード)
 渡邉睦月(TBS「逃亡者」「太陽の季節」他)
 池谷ともこ、みつだりきや
▼演出:ブラジリィー・アン・山田(ブラジル)
▼プロデュース
 岡本貴也+デジハリ大学院演劇プロジェクト
▼1月28日-2月7日/中野・劇場MOMO

Posted by KITAJIMA takashi : 10:11 PM | Comments (0) | Trackback

February 02, 2005

ストアハウスカンパニー「Remains」

東京・江古田を本拠としてているストアハウスカンパニーの「Remains」公演が04年11月に開かれました(11月17日-23日)。ストアハウスカンパニーは既存の枠組みにこだわらず、現代演劇の新しい形式を模索し、海外公演にも積極的に取り組んでいる演劇集団です。2ヵ月余り前でやや日時が経っていますが、先に「女囚さちこ」のレビューを寄稿していただいた葛西李奈さんがこの公演を正面から取り上げました。以下、全文です。

◎日常に潜む何処にでもある溝にはまる人々

 ひとつ咳をしたら、客席から劇場の隅々にまで伝わってしまうような静寂の中、役者は互いに肉体を放棄したかのように舞台奥に積み重なっている。薄暗い照明にてらされて、誰が誰の顔なのかもわからない。

 私たちは彼らの姿を意志を持って確認している。演出の意図を探ろうとして頭をめぐらせながら、次に起こることを予測する。都会の孤独に疲れ果てた老若男女が互いを貪り合い飲み込んでいく姿を思い浮かべる。舞台からは皮膚に染み込んでくるような冷たさがひしひしと伝わってきていた。

 客電が消える。舞台は薄暗い。ようやく役者の動きが見えるぐらいだ。彼らはようやっと目を覚ましたかのように起き上がり、うつろな目で地に足がついていることを確認するように歩き出す。それぞれが、ばらばらに、それぞれの視点を保ち、だんだん歩調は早くなり、照明も明るくなり、一人にもう一人、さらにもう一人と連なりを作っていく。なんとか無視をしようとしていた他の人々も、その状況に耐えることが出来なくなり、連なりに加わる。加われなかった最後の一人が突き飛ばされ、地に身体を打ちつけ、苦い表情を浮かべる。なんとか抵抗しようともがくが、誰も助けてはくれない。仕方なく連なりに加わる。仕方なく加わるが、連なりの一人となった今は違和感なくその場に存在している。何も問題はないように見える。しかし、それぞれに破綻が生まれてくる。もともとの自分のリズムに逆らって動いているのだ。どうしようもない痛みにうずくまる人々。その痛みを振り払い連なりを作ろうとする人々。そして脱落者。不調和音に舞台が飲み込まれる。ぼろぼろになっていく人間の姿が浮き彫りにされ、最終的にはうずたかく積まれていた洋服の山に助けを求めるようにして人々はしがみついていく。

 舞台に洋服がちらばっていく。人々の身体に絡みついた洋服が私達の目の前にさらされていく。舞台の上をごろごろと転がりながら胎児のように目をつぶり、自分の在りかを確かめているようだ。自身が身につけているものをはぎとっていく姿は、まるで生まれ変わろうとしているかのよう。

 なんと集中力を用する舞台なのだろう。気付くと動けなくなってしまっている自分がいる。何故か、自分もその舞台にいるような気になるのだ。役者の視線はまっすぐで、澱んでいて、まるで私が日々目にしている電車の中のサラリーマンではないか。私が無意識に恐れている社会に押しつぶされそうになっている人々ではないか。それは、私なのか? 問いは頭の中でぐるぐる巡る。役者の熱気がこちらまで伝わってくるようだ。いつの間にか冬だというのに私は汗をかいていた。台詞の一切無い舞台というのは、以前観た「上海異人娼館」と同じように私達の想像力をまんべんなく刺激してくる。

 舞台の人々は、ストッキングを頭から一人一人かぶっていく。顔が再び見えなくなる。のっぺらぼうがたくさんいる。さきほど、最後まで抵抗していた人物も、他の人物にストッキングをかぶせられ、苦しそうにもがく。誰の表情も見えない。静寂。私は逃げ出したくなっている。人間が人間ではなくなる瞬間をさらされているようだからだ。最終的に彼らは互いにストッキングを引きちぎり、足元に落ちている洋服に着替え、日常に帰っていった。ストアハウスカンパニーは、毎回このような芝居を作っているとのことである。役者の肉体から発せられるものの威力を存分に信頼している劇団のようだ。海外公演もなしているとのことで、これから私が注目していきたい劇団の一つと相成った。
(葛西李奈 2004.11.17)

[上演記録]
ストアハウスカンパニー「Remains」公演
作・演出 木村真悟
出演  真篠剛 星野和香子 柴山美保 田口アヤコ 岡本考史 大沢元輝 新健二郎

Posted by KITAJIMA takashi : 12:27 AM | Comments (2) | Trackback

January 22, 2005

仏団観音びらき「女囚さちこ」

 「仏団観音びらき」という演劇ユニットが新春、新宿タイニイアリスで「女囚さちこ~ブス701号怨み節」公演(1月10-12日)を開きました。大阪を中心に活動しているようですが、今回は年末に大阪公演、年明けは東京公演と意欲的な活動展開です。インパクトのあるユニット名、包丁を持ってにらみつける怖そうな女性のポスターを見てひるむ向きがいるかもしれませんが、寄稿していただいた葛西李奈さんのレビューをまず読んでください。次回公演は出かけたくなるかもしれません。葛西さんは日大芸術学部在学中。これからも書いていただけそうです。(北嶋孝@ノースアイランド舎)

◎「笑い」共有、浄化作用もたらす 惨めさ、愚かさ、欲望に向き合って

 刃物を手にしている女性のインパクトに魅せられ、チラシを読むと

「ぶち破られた鉄格子!」
「ブスの怨みをたぎらせた、女囚さちこの『美女狩り』がはじまる!!」

 三秒後にこの芝居を観に行かなければという瞬間が訪れた。話題性や他者の評価に惑わされることなく、「この劇団の芝居を観たい!」と強烈に感じたのは久しぶりのことだ。
 劇団名は、仏団観音びらき・・・。ますます怪しい。聞けばシアターリパブリック主催の「E-1グランプリ」に出場し、旗揚げ公演前に大阪大会にて予選を勝ち抜き決勝進出した経歴を持つ劇団とのこと。気になって仕方がなくなってしまった私は就職活動後、氷のように冷えた空気に身を震わせながらふらふらとタイニイアリスを訪れた。

 私は潔い芝居が好きである。ここで言う「潔い」とは事実と真っ向から向き合おうとする姿勢のことだ。無意識に理想を追い求めて生きようとする私たちは、その理念に沿って動く社会に多かれ少なかれ希望を抱いている。ところが時折、ついていないと思い込んでいる傷口がひらき痛みが発せられる瞬間がある。私たちはその瞬間が一時性のものだと思い込み、生活を続けていく。その思い込みを取り払ってしまうと、あっという間に絶望の津波が押し寄せ、息をすることがかなわなくなるからだ。わざわざ波にのまれてまで苦しい思いをする必要はないから見ないようにしているだけのことであって、私たちは常に全否定という名のブラックホールを携えて生きている。

 仏団観音びらき「女囚さちこ」はそのブラックホールに飲み込まれた人々が大量に出てくる。扱われているテーマは「女性の美醜」だ。要するに「社会における美人とブスの扱われ方の違い」である。私は、女性の汚さ、いやらしさ、醜さを扱った芝居に目がない。つまりは自らの中にそのような感情が存在していることを肯定してほしいという気持ちのあらわれである。私が芝居を観続けている理由のひとつはこれ。「潔さ」に憧れているのだ。「女囚さちこ」は潔さの上に、さらに大阪特有のパワーを感じさせてくれる舞台だった。

 今回の公演「女囚さちこ」のあらすじはこうだ。
誰もがブスと罵らずにはいられない主人公、轟幸子(とどろき・さちこ)は満員電車の中で痴漢に処女を奪われる。駅員はさちこの被害の訴えを信じようとせず、他に被害を訴えてきた美女に対しては過剰なまでの応対ぶり。そのあまりの露骨さに怒りを覚え、さちこは反抗するが「黙れ!ブス!」と余計罵られるばかり。さちこは逆上し、美女を含めその場にいた合計五人を刺し殺してしまう。さちこは刑務所に入れられるが、そこは容姿の優劣で待遇が左右される仕組みになっていた。さちこは当然のように「ブス房」に入れられ、更なるいじめを受けることとなるのだが…。

 どうにも救われない物語である。紹介文だけではとても暗く、ねちっこく、いやらしい芝居の印象を受ける。私は舞台を出て行くときに肩を落とし無言になってしまうような作品の内容を予想していた。ところが実際、展開される物語は勢いづいていて、客席からは何度も大きな笑いが起こり、なにをかいわんや、私も声を出して笑ってしまっていた。

 女性が自身の汚さ、いやらしさを掲げて芝居作りをしている場合、過剰な自意識に呑まれて観客を二の次にしている印象を受けることがある。しかし、バカバカしい設定だけに留まらない笑いの作り込み方、大袈裟だけれど空回りせず場をおさえる役者の演技、所々織り込まれるダンスの美しさには荒削りだけれどもエンターテイメントとしての要素を提供する大阪人の気迫が感じられた。これは主宰であり、轟幸子役を演じた本木香吏の「『いるよね、こんなバカ』と嘲笑って頂き、ふと『もしかして私のこと!?』と気付いて頂きたい」という信念によるものだろう。

 確かにふと「私、どうして笑ってるんだろう」と思わせる瞬間が組み込まれている。ブラックジャックの手によって美しく変身したさちこが、自ら顔を傷つけるシーンには圧倒される。しかし、どちらかと言えばこのような問いかけをするほうが滑稽な気分になる。それは「まさにこの世は生き地獄」と歌いながら生き様を笑いにすりかえる姿勢があまりにもまっすぐで、健全だからだ。人間の惨めさ、愚かさ、欲望に真正面から向き合いながら、客席と「笑い」を共有することで浄化作用をもたらしている舞台を前にして、今更何を考えているのだろうという気分にさせられてしまう。おかしいのだからおかしい。何が悪い。仕方ないだろう、事実は事実としてあるのだから、おかしいのならば笑ってしまえば・・・。果たして、劇団側が意図したものに私自身がうまくハマっているかはわからないが、
「美醜に関係なく幸福な奴は幸福で、不幸な奴は不幸」
といういまだはびこる社会理念を明るくぶち壊してくれたこの劇団の、これからの可能性に期待大である。
(葛西李奈、2005.1.21)


[上演記録]
仏団観音びらき
 第3回公演「女囚さちこ~ブス701号怨み節

★作・演出=本木 香吏
★出演=本木 香吏 峰U子 水津安希央 ゆであずき 新井英彦 クスミヒデオ 松岡里花 西阪舞(劇団赤鬼) 大森都 藤原新太郎
櫟原将宏(大阪公演)・濱崎右近(東京公演)<ダンサー>兵庫江美・豊田文緒・近藤雪江・鎌田直美 他

■大阪公演(2004年12月8-10日、シアトリカル應典院)
■東京公演(2005年1月10-12日、新宿タイニイアリス)

Posted by KITAJIMA takashi : 10:14 PM | Comments (0) | Trackback

November 21, 2004

演劇集団 円「ビューティークイーン・オブ・リーナン」

 演劇集団 円の「ビューティークイーン・オブ・リーナン」公演が東京・両国のシアターΧで開かれています(11月16日-22日)。原作は、いま脂の乗っている英国の作家マーティン・マクドナーの戯曲第1作。1998年にトニー賞4部門を受賞、世界各地で上演されたそうです。ファッションやデザインの世界が長かった佐々木眞さんから、この公演のレビューが寄せられました。芝居は「年に1本ぐらいしかみない」と言いますが、どうしてどうして。奔放・闊達、読みごたえのある文章です。以下、全文です。


 快晴の土曜日の午後、久し振りに回向院に詣で山東京伝兄弟の墓前に額ずいた後で、すぐ隣のシアターXで演劇集団 円が公演している『ビューティークイーン・オブ・リーナン』を観た。何の予備知識もなく飛び込んだのだが、作者はマーティン・マクドナーというロンドン生れのアイルランド系の若者で、本作は彼が23歳の時にわずか8日間で書き上げたのだという。

 舞台はそのアイルランドの僻地。人よりは牛だの鶏の方が多い荒地に佇立する一軒家。厳しい自然の真っ只中で、その自然よりもシビアな40歳の娘と70歳の母の「戦争」がおもむろにはじまる---。

 ハジメチョロチョロ、ナカパッパ。もとい、はじめは処女のごとく、終りは脱兎の如し、テカ。母が頑固なら、娘も頑固である。吹きすさぶ海風と荒れ狂う雷鳴をBACKに、2人のしたたかな女が骨肉の争いを、あるときは軽妙なユーモアとウイットで、またあるときは口以外の手段を総動員してしのぎをけずる。その、しのぎの切口とけずりの多様性こそが、マクドナルドじゃなかったマクドナーの独壇場だ。

 若き天才劇作家は、かわるがわる黒い笑いと赤い殺意を3分おきにまるでパイのように舞台せましと僕らに投げつけ、僕らははらはらドキドキしながらどこか訳の分からない遠いところまで引っ張りまわされる。その不快さ!そして、その愉悦! お楽しみはどこまで続く。いっそ地獄の底まで落ちていけ!

 そして期待通りに悲劇は訪れるだろう。それはどこかヒッチコックのサスペンス劇に似ている。それはまたどこかギリシア神話のこだまに似ている。でも、ちょっとばかり違う。それは、今日たったいまあなたの家のキッチンのロッキングチエアで進行している「それ」に一番似ているのである。

 例えば僕だが、僕は僕の死んだ母と、それ以前に死んだ義理の祖母との間で最後の数年間に繰り広げられたの悪夢のような戦いを思い出していたよ。ったく、なんて芝居なんだ!! そしてなんてにっくったらしい奴なんだ、マーティン。

 ちなみに、役者は僕にははじめての人たち(年に1本くらいしか見ないもんね)。最高ではないだろうがまああんなもんだろう(ごめんなさい)。でも立石凉子の黒の下着はとてもエロチックで石田登星ならずとも興奮する。「もっと下、もっと下--」、なーんちゃって、ほんとに原作に書いてあるセリフなんだろうか? 演出美術照明は可もなく、不可もなし。音楽と芦沢みどりの翻訳がいい。11月22日までやっている。
(佐々木眞 2004.11.20)


【上演記録】
■演劇集団 円公演 シアターX提携 「ビューティークイーン・オブ・リーナン

キャスト
モーリン・フォーラン 立石凉子
マグ・フォーラン   有田麻里
パド・ドゥーリー   石田登里
レイ・ドゥーリー  佐藤銀平
ラジオの声    青山伊津美

スタッフ
作    マーティン・マクドナー
訳    芦沢みどり
演出   岸田 良二
美術   島次郎
照明   小笠原純
衣装   畑野一惠
音響   斎藤美佐男
舞台監督 田中伸幸
演出助手 渡邉さつき
宣伝美術 坂本志保
イラストレーション 深津真也
制作 桃井よし子

Posted by KITAJIMA takashi : 01:28 PM | Comments (0) | Trackback
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