11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

July 14, 2004

DEAD STOCK UNION/渡辺熱の「メルティング ポット」

◎たっぷりの在庫、上質の人情喜劇 (西村博子)

 まず、役者が揃ってる!ことに驚いた。劇団の公演で老人役を若い人が演るとか、やむを得ぬミスキャストはよくあることだが、ここデッドストックのプロデュース公演にはそんなことがまるでなかった。デッドストックとは未来を目指す俳優たちの「在庫」の意とか、なるほどたっぷりの在庫から選び出された役者たちはそれぞれの役どころに実にぴったりだった。

  私の好みを先に言わせてもらうと、なかでもアネサンの二の子分アキラ(石田彬)は若くてカッコよくて、意外に可愛い弱虫で、最高に魅力的だった。役者はただ筋を運ぶだけじゃなく、その前にまず観るものを魅了しなくちゃと改めて思ったことだった。

  おそらく役者たちがそう見えた、ということは、作・演出が相当な手だれであったということに違いない。実際、場と人物設定がすこぶるうまい。ところは共同トイレ、共同炊事の安アパート2室。左は犬に足を噛まれた男(あとで空き巣だったということが分かってくる)と、家計を担うけなげなその娘(終わりのほうで昏睡泥棒だったことが分かる)。右には東南アジアから来た不法滞在のニューハーフ3人。仕送りしたいし乳房ももっと大きくしたいし。だが入管の係り官は嗅ぎまわっているし、いつ逮捕されるかわからない。2室の裏には同じく不法滞在のインド人も住んでいるらしい。

  話は、一の子分の大政、二の子分、三の子分を引き連れたアネサンが突如、男からは借金を、ニューハーフたちやインド人からは先に渡した偽パスポートの代金を、取り立てに押し入って来るあたりから、あれよ、あれよの展開となっていく。小刀チラチラ、大政が金を巻き上げる。と、そこへ中国人兄弟とそのバイト仲間がピストルや大きな釘抜きを持って飛び込んでくる。中国語と日本語のチャンポン、有り金出せのその要求は、強盗に失敗したから彼らを人質にして北朝鮮経由で中国へ帰るのだという。さらにそれから人質たちが、警察に保護されては困ると強盗兄弟の側についたり、身代金を1億円から3億円に吊り上げさせたり、また寝返ったり……。初日のせいか、台詞のテンションが下がりがち、何度か笑いが沈んではまた立ち上げなければならなかったのは惜しかったが、それはおいおい改善されていくにちがいな。ふだん知っていて知らなかった日本の底辺が、笑いのうちに見えてくる。

  親のために日本に出稼ぎに来なければならなかった兄弟たちと、生きていればと自首をすすめる大政との会話あたりから話が少々ウソっぽくなる。大政がそれを言う必然がないから、であろう。もし大政の代わりにそれが昏睡泥棒の孝行娘だったらどうなる?とチラと思った。が、それは「泣いて笑えて楽しめる芝居を作」りたい、「『寅さん』のような芝居ができたらいいなあと」(「アリスインタビュー」)言う作者のこと、これでなければ書く気にもならなかったのかも知れない。最後に、人質も含めて全員の「北国の春」、♪故郷に帰りたい」の大合唱となって、投降を決意していくことになる。エンディングに、それぞれの出所後の姿がユ-モアたっぷりに紹介されていくと、客席はあったかい拍手に湧いた。

  そこから目をそらそうとどうしようと、実際に「メルティング ポット」である現代日本を、それも社会から白い目で見られる人たちの側から描いたのはさすがに大人の仕事。上質の喜劇であった。

  見終わって快い満足感のなかに、しかしほんのちょっぴり不満が残ったのは、彼らを取り巻く外側――小さく言えば警官隊やマスコミ、大きく言えば日本――に対する作・演出の目線が全体的に弱かったからではないだろうかと思った。もしも、両手を挙げて外へ出て行った人質や強盗たちがその直後、警官隊に全員射殺!なんて大どんでん返しがもう一つ仕組まれていたとしたら?伏線は三の子分が解放されて外に出ようとしたときすでに張られていたし……。

想像が当たっているかどうかではない。外へ出たとたんに忘れてしまうのでなく、あれこれ想像の尾を引くこと自体が芝居の面白さの証拠であろう。帰りの私は楽しかった。
(2004.7.9 所見 東京・新宿タイニイアリス)

DEAD STOCK UNIONのWebサイト:
http://www.grand-x.com/dsu/

Posted by : 02:04 PM | Comments (0) | Trackback

June 29, 2004

私たちはアジアのことをちっとも知らない。もっと知らなければ

-6th National Theatre Festival
この3月末から4月にかけて2週間、ニューデリーへ行ってきた。目的は第6回インド・ナショナル演劇祭を見ること。インドの国中から、あるいはイラン、スリランカ、パキスタン、タイ、ネパールなどアジアの国々から招かれた75劇団が、おのおの1回公演。したがって1日に4本、多い日には6本というペースで休みなく上演されていくという大きな演劇祭である。

主催はNational School of Drama という大学院大学。そのNSDの、ANURADHA KAPUR教授というエレガントで美しい女性の先生に、プログラムの、これは見たほうがいいという舞台には○を、中でもこれは見逃さないでというものには※をつけてもらい、全公演フリー・パスまでもらって、すぐに観劇開始。演劇祭の後半、ほぼ32本を見ることができた。

劇場は、大学のキャンパス内に実験的な演劇を主とする小劇場と中劇場があり、期間中に野外劇のための仮設舞台もみるみる作られていった。他に大学の、正門からほんの数分のところに大劇場が2つある。4つの劇場の開演時間はそれぞれ午後の3時、5時、7時、9時と決まっていて、1本見ると次の劇場へと移動する。ときどき8時から開演する野外劇もあるから油断はできない。結構忙しい。

どうしてまたわざわざニューデリーまで出向いたかというと、Alice Festival2003 に海外から招いた3劇団のうちの一つ、The Indian Shakespeare Companyの「Love: A Distant Dialogue」が、ただ大道芸人の通じぬ片言英語と身体でロメオとジュリエットみたいな一目惚れとその別れを描いただけなのに、国境ってなーに?といったことまで想いを馳せずにはいられない、素晴らしい舞台だったからである。タイニイアリスの相棒の丹羽が2002年の第4回演劇祭で観てきたのだった。私もそれまで、インドにこんな演劇祭があり、こんな同時代演劇が上演されてるなんて全然知らなかった。

この第6回演劇祭。柳の下に、すぐさま掴まえられる2匹目の泥鰌はいなかった。が、しかし、魅惑的な役者、工夫を凝らした演出に惚れ惚れ眺めたのが2本、もうちょっと何とかすれば、もったいないというのが4~5本あった。キャンパスのベンチで一休み、紅茶を飲んでいると、これ見てくれないかと自薦他薦のCDを持った若い演出家たちが話しかけて来てくれる。日本への関心が強いのだ。残念ながらそのCD見る時間はまだないが、この中にも素敵な舞台が詰まっているにちがいない。

小劇場を中心とした実験的な舞台には、陰に陽に9・11やイラク戦争やイスラエルの攻撃など戦争を踏まえた作品が少なくない。夢の構造を採って日々の生活に抑圧された内面を描こうとする作品も多い。 今!自分が生きているこの時代を表現しようとするその姿勢は、日本の小劇場演劇とまったく同じと言っていい。古典芸能の、なかでも庶民的、開放的な身体の伝統を生かそうとするところが日本の小劇場演劇にはない強みであろうか。

一家50人で1劇団、200年も続いているというS.V.N.M、昼間はココナツ栽培の農業、夜は芝居というコンミューン劇団HOST-O-THEATRE等々、ほかに報告したいことも多いが、紙数がない。私たち日本人は欧米のフェスティバルのことなら結構知っているのに、アジアのことはちっとも知らない。まず♪初めの第一歩」であった。

(西村博子 2004.5.25 「Cut In」6月号掲載)

Posted by : 01:02 AM | Comments (0) | Trackback
 1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  | 7 | all pages