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September 23, 2005

三条会組『ニセS高原から』

 九月のこまばアゴラ劇場は、五反田団・三条会・蜻蛉玉・ポツドールによる『ニセS高原から〜『S高原から』連続上演〜』が話題を呼んでいます。Wonderlandでも皆様たくさんのレビューをアップされていて、非常に賑々しい。一ヶ月という長い公演時間が、『S高原から』の劇時間に何となく重なるような気分に陥ったりもして。全体は二十七日まで。三条会組は残すところあと二回(九月二十四日、二十六日)です。

◎絶対の時間を超えるために

 平田戯曲を三条会が上演するという出来事は、たとえば普段の方法論からも対立項を読み込まれざるを得ないだろうし、「現代演劇」という意味合いでも大きな興味の対象となる。言語性や物語性を外縁から囲み、中心から貫く三条会の肥沃な演劇的土壌に、平田オリザ『S高原から』という「静か」ながら強固な台詞劇の種子を蒔く。そこに花咲き実を結んだ三条会組『ニセS高原から』とは、一体どんな舞台だったのか。“Do-Re-Mi”から”Edelweiss”まで、「高原」で結ばれた”The Sound of Music” との光溢れるコラボレーション。そして、Smetana”Moldau”——雄大な河の流れを称える荘重な交響楽にも付与される時間のイメージ。「三条会」ではなく「三条会組」としての登場は、あらゆる状況を孕んで冒険的であり、『若草物語』、『メディア』から連なる新しい三条会の演劇を感じさせるに十二分の逸品であった。

 『ニセS高原から〜『S高原から』連続上演〜』において、テーマともモチーフとも呼べる、平田オリザ『S高原から』が共通のフォーマットとしてある。原作に筆を入れアレンジを施し、何よりも脚本段階でそれぞれの世界観を構築する三劇団に対して、台詞に手を加えない三条会の仕方には、これまでギリシア劇や三島戯曲、近代文学などを扱ってきたとほぼ変わらぬスタンスが窺える。三条会にとっての平田戯曲とは、前記の作品群と並べると大きく性格の異なる類の作品に見えるけれど、「三条会」という演劇集団を軸に据えてそれらを見渡したとき、距離感は同様、自らの意図を戯曲(台詞、物語)に投影することなしに、舞台上に表現されるものとしてのみ作用する。極端なもの同士をどちらも受け容れ、両立させる。平田戯曲の言語性と、三条会の存在感といった両者のズレは自ずと顕れるだろう。

 もう一つの基盤として不動の存在を示すのは共通の舞台装置——正方形に並べられた四脚の赤い長椅子、中央のガラステーブル、その上の呼鈴、観葉植物など——であり、いずれも作品の世界、即ち「サナトリウムの面会室」を舞台に、「死」をめぐる物語が展開されることの前提条件である。人物の行為ではなく、「場」の性格と、そこに流れる時間そのものがドラマであり、如何なる事件が起ころうと表情を崩さない。永遠に続くかにみえる時間の反復・円環にあって、変化を起こし得る可能性を秘めるのは誰かの「死」だろう。しかし、その死ですら少なからず前提として容認されている以上、淡々とたゆたう時空に同化せられてしまう。婚約破棄が、他患者の死が、男女関係のいろいろが、また『風立ちぬ』についての議論が懸命にされようとも、一切は劇的な萌芽に発展することはなく、ゆっくりと流れつづける長く無稽な時間の些末な通過点として、サナトリウムの時・空間が常に相対化していく。患者も、世界を支配する法則の一つとして死に至る流れを受け容れている。受け容れようとしている。そこではサナトリウムという「場」と「時間」自体が主役となる。サナトリウムの人びとの感じる、あるいはそこに流れる時間——「下」と比較される半年の長さなど——、リズムのない、連綿とした時間を繰り返す虚構の日常、与えられた自由による時間感覚の喪失。すべてを強制的に押し流し、それは否応なしに刻一刻と進む、「死」の風であるかも知れぬ。自己は「三週間もいたら」飲み込まれてしまう。意識できるのは黒百合やアザミが咲いたといった自然界の時間である。病が人間の時間・行動を制限し、限定された空間に無制限な時間が流れる。それが、原作『S高原から』の世界なのだった。

 三条会組『ニセS高原から』の表面上には、一見過剰とも云える存在感が横溢し、『S高原から』的な一切は背後にうっすらと浮び上がらせられる。舞台上を流れる風は、一度の例外を除いては、常に下手から上手への一方通行である。入り口から病棟へ。冒頭では医師、松木義男(岡野暢)が下手から上手へと幾度となく横切り、ループする日常的な時間を約束事として視覚化する。松木は終幕近く、藤沢知美(寺内亜矢子)に追われ走り抜ける。他の人物も走る。それまで人物の移動は舞台の後方にほぼ終始していたが、手前の椅子の上をドタバタと駆け抜ける。幕切れに向かって、劇時間は加速する。関美能留は、時に走り、時に立ち止まりもする個々の人物の主体とは別に、等速で一方向に進む客観的な時間軸と、その上を大きく波を描いて交差しながら進むもう一つの時間世界を描きだした。それは時間だけに止まらず、書かれた台詞(=言葉)と舞台上に顕れる演劇的表現の関係でもあったと云えよう。

 「現代口語」的話法から、「強く、速い」三条会特有の台詞術まで、乱発される「どうも」など、極めて抽象度の高い平田戯曲の台詞が様々の位相で語られ、また歌うはずのない、躍るはずのない戯曲で歌い躍る俳優の身体が放出する、過剰且つ豊かな「音」世界が、逃れようもない戯曲の基調音として横たわる「死」——狂騒の陰に、「死」へと向かう静けさを逆説的に暗示する。俳優・照明・音楽のボリュームが、水面下に何かを感じさせる。人物の興味は内へ内へと集約されている。舞台上に見える景色としては、中央に置かれた呼鈴に対する異様なまでの執着であり、その一方で外へ外へと広がり広がる衝動が、俳優の身体を突き動かしている。面会室での話題には、積極的な回復の発言はほぼない。殆どが誰かの「死」という結末であり、ここでは他人の死すら円環の中の一通過点でしかない。病気や死を語るのは「言葉」でなく、流れる時間と場の性格によってである。笑いによる病の治癒効果なども昨今頓に交される議論の一つであるようだけれど、幾度となく爆発する哄笑は、「死」のイメージが浸す時・空間に対抗する「生」の意思表示でもある。死と向き合わざるを得ない人たちの生に対する衝動。絶望の果ての明るさ。高原をかける、最後の夢——。

 療養所の秩序立てられた時間は、三条会組の舞台において、あるとき突如として混沌の中に投げ出され、断絶する。わかりやすい具体例を挙げてみよう。ジュースを頼まれた看護人の川上(久保田芳之)が四つ並べたジョッキにジョウロから水を注ぐ。その間、それまでの会話は中断され、一同、川上の行為を凝視する。ゆるゆると流れる連続的時間は断ち切られ、間隙にグイと押し広げられた一瞬の時が拡大、挿入される。そして何事もなかったように時は動き出す。対話や言葉からではなく、人物の行為・行動を通して均一な時間に対するフェイクがかけられ、生の光量をあげる。また西岡、前島、吉沢兄妹の対話場面では、榊原毅(西岡隆/吉沢茂樹の二役)、大川潤子(上野雅美/前島明子/吉沢貴美子の三役のうち、ここでは雅美、貴美子の二役)の二人が繰り広げる言葉、そして声の鬩ぎ合いに強力な磁場が発生する。時にスピーディな落語とも思わせる、「二人同時一人二役」は、行為としては過剰この上ない。平田オリザ『S高原から』は、噂を介して、孤立する人びとの関係性が紡がれていた。死へと収斂され、様々な情報を無化するサナトリウムの時・空間では、話されている内容よりも、誰が、どのように意思疎通を図るかということが問題になる。言葉は何を伝え得るか。平田オリザが言葉においてそれを乗り越えようと試みたとすれば、その意味で、平田オリザと関美能留の求めるものは、遠くないのではないかという気もする。関美能留はそうして書かれた言葉に、逆に過剰な行為をぶつけ、『S高原から』という時間と場が示す内容自体よりも、表象のされ方を問題にする。書かれた言葉そのものが過剰なのではない。誰がどのように、そのことについてしゃべり、どう伝わるか。鎮静化された台詞を語る俳優に過剰な行為を課すことによって、主体的な人間の在り様が描かれていた。

 関美能留の言語外表現の手腕は新たな出会いによってレンジを広げた。水平に歩む平田戯曲の言葉の世界と、垂直に起る、存在そのものが雄弁である世界。それらを束ねる編集感覚の妙は屈指である。眼に鮮やか、耳にも愉しい。また幾層にも重ねられた仕掛けに笑いながら、うっとりと劇宇宙に身も心も委ねることだってできる。言葉や感情とは無関係にも見える身振りや台詞回しは、むしろその差異によってわたしたちの心に強く迫るのである。これまで一晩限りの舞台が多かった三条会にとって、連続ではないにしても一ヶ月以上の公演期間という長丁場自体が、特殊な時間でもあった。『S高原から』という劇時間が、三条会の現実時間に作用したと考えてみてもおもしろい。時間が既に、絶対のものとして視聴覚化されているその上に、何を置いていくのか。時間を超え、空間をも超えてそこにいる、夢幻のごとき俳優たちの、誰憚ることのない笑声と、その直前まで対象に注がれる眼差しには慈愛をさえ感じる。たとえば佐々木久恵(舟川晶子)が村西(中村岳人)に、大島良子(立崎真紀子)の結婚話を告げる場面。本来であればそこにいるはずのない人物たちが舞台上に残り、佐々木・村西の対話を注視、悪い報せに混乱する村西の返答ひとつひとつに劇しい笑いを以て応ずる。決してリアルではない。しかし舞台全体が織りなす滑稽と悲哀が一入も二入も深まり、胸を衝く。俳優たちが何かを食い入るように見つめる表情、緊張が弾けるまでの空白の「待ち」時間。わたしたちをどうしようもなく支配し、反面、まるで無関係のように在る絶対の時間は、伸縮する劇空間によって一瞬、壁を破られた。死の恐怖とは、誰かの死など一切関わりなく、どこまでも続くであろう現世の時間にある。余人は知らず、少なからずそう感じる筆者にとって、たしかにそこには救いがあった。(後藤隆基/2005.9.19/こまばアゴラ劇場)


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August 31, 2005

三条会 『ひかりごけ』

 長野市の東南、JR長野駅から鉄道を乗り継ぎ山間を抜けること数十分、そこに松代町はあります。19世紀に幕末の雄、佐久間象山の提唱から建設・開校された松代藩文武学校内の槍術所で、三条会が代表作である『ひかりごけ』を上演しました。まつしろ現代美術フェスティバルの一環である「まつしろ現代演劇プロジェクト」の招待公演ということで、会場となった文武学校内の諸施設にはさまざまのアート作品がならんでおり、歴史ある町を舞台に現代文化の集う、興味深い催しでした。とはいえ、公演は遥か去る7月17日。三条会は、新作『ニセS高原から』の初日をすでにあけてしまいました。度重なる度を過ぎた遅筆にもはや言い訳も尽き、以下レビューです。

◎微笑の向うにみえるもの

 三条会はこれまで本当にさまざまの場所で公演を重ね、そのたびに場との闘いを制し、そこでしか生きられない白眉の作品をつくってきたが、今回『ひかりごけ』を上演した松代藩文武学校内槍術所も、「演劇」のために建てられた空間ではない。異質なものとの出会いを肯定し、その距離が隔たっていればいるほどに燃えるような三条会の演劇。劇団のスタンダードとも云うべき『ひかりごけ』を、場との化学変化によってさらなる深み(高み)へと到達させた。そこにみえたのは、場や俳優を介して示された虚構が、原作から現代までの時間的距離や、物語生成の過程そのままに舞台を駆け抜ける、新しいドラマツルギーの姿である。

 聊か恣意的な臭みが鼻につくのをおそれずに、原作前半部の紀行文を援用してみたい。『ひかりごけ』において人肉食が主題化される要因である「ペキン岬の惨劇」。実際に起きたという出来事を、村の年若いS青年が「羅臼村郷土史」の一項を割き、「難破船長人肉食事件」として記録した。その末尾に記されたS青年の、「船長が西川を、食べる目的で殺した」という「恐る べき想像」――当時の人びとにも「あまり歓迎されそうにない題材」――に、武田泰淳が「文学的表現」を与えるため「読む戯曲」という形式を選ぶ。作家が机上に「上演不可能」と断じた戯曲『ひかりごけ』を、今度は演出家(読者)である関美能留が上演すべく演劇化する。大まかに云えば、『ひかりごけ』の世界は、直前に示された思想を受け、変化させながら、積極的な虚構を配置して軸をずらし、改めてその場の全体を考えることで成立してきた。そして、事件→記録→文学化→演劇化の過程を支えるのは、各々が人肉食というモチーフを見据える現実的な問題意識と、己の実生活や感情との距離感覚を手放さない、真摯な姿勢である。

 事件の発生地は羅臼村ではなかったし、船長は羅臼の出身でもなかった。にもかかわらず、「ムラ」という極めて内閉がちの共同体社会で、このような事件が郷土史に収められたのは、編纂にあたったS青年にとって「人肉喰い」とは実感困難な、意識の外側に在るものであり、伝統的村制度からも世代的な距離のある立位置が、事件に対する客観の視座となり得たからに他ならない。武田泰淳は、マッカウシ洞窟で「ひかりごけ」をみた回想的紀行文を枕に、事件が記録化される過程を描写した後、大岡昇平『野火』や野上弥生子『海神丸』を引きながら文学者としての分析を試みる。そして、曰く「苦肉の策」たる「読む戯曲」との二部構造にすることで、小説でも戯曲でもない(あるいは「でもある」)、実験的とも云える文学の創造をめざした。一々の濾過装置を伴って、前項に記された事象を相対化しながら積みあげられて生れた『ひかりごけ』が関美能留の演出によって舞台化されるとき、これはドラマツルギーに関わる問題提起を大いに孕んでいる。たとえそれが作者によって、挑戦とさえ受け取れる「上演不可能」の刻印が押されようとも、戯曲が演劇と関わるものであり、演劇が舞台ありきの表現形式であるならば、俳優の身体というフィルターを通してはじめて、「読む戯曲」である『ひかりごけ』の先にある、総体としての『ひかりごけ』が発見されるんじゃないか。そして読者(演出者)の向こうに当然予測されるであろう「観客」の姿をも浮かび上がらせるのだ。

 多く過去の戯曲を舞台化する場合、どうも言葉や観念ばかりが世界の中心に居座り、俳優がそれを動かすことができぬ非力を、物語の類型に当て嵌めた社会状況としての付加価値を以て整理してしまうきらいがあるように思う。過去にある出来事が起こっていたとして、わたしたちがいる進行形の現在との距離は遠ざかってゆくばかりである。そもそも、「ペキン岬の惨劇」と名づけられる以前、第五清神丸が羅臼北方五十五キロの海上で難破し、船長が救助されるまでの間に何が起こったのか。その時間は、もはや船長の体験の内にしかなく、しかしたった一人の生存者である船長の「陳述」や「告白」の真否を誰も証明なぞできないし、共感を持って語ることができよう。現代を生きる三条会の人びとが、異質と感じるものとの出会いから徐々に事の本質へと迫るとき、人を食べた、あるいは人に食べられたことのある者にしか裁かれたくはないという船長の不可解な言葉や、法廷にいる人びと同様に観客にも見えぬ光の輪を、同じく現代に生きるわたしたちは認識する。特異な『ひかりごけ』の世界を現前させるための必要不可欠の条件が、読者(演出者)を経由したところに立つことのできる、戯曲の言葉・世界と拮抗し得る俳優の存在なのだった。

 俳優、ということに思いをめぐらすに、予てからどうもあの「微笑」が気にかかっている。微笑みは、精神、肉体の緊張を緩める作用もあるに違いないけれど、プロットに即した心理表現としての笑いはとまれ、様式的な所作の内に笑顔をみせることはなかったのではないか。恰も自分たちが舞台に息を溶かしてゆくための構えであるかのように、外部世界と相対する決意の顕れであるかのように、俳優たちは微笑みを浮かべ客席の方角を凝とみつめている。大川潤子、榊原毅は口元をキッと結び、静かに口角を持ちあげる。語られる言葉は、さまざまな役柄を演じ分けながら、静と動の間を自在に往還する。中心的役割を担うことの多い二人の、凛とし且つ不敵な微笑をはじめ、橋口久男、中村岳人、岡野暢、舟川晶子らのそれぞれ個性あふるる微笑の裏には、余程、精神の豊饒が秘されているだろう。そこから発せられる身体衝動の緩急は、劇世界そのものまでも変容させていくのである。

 教室にどこかしら夢のように現れる転校生(大川潤子)は、学校という秩序だった空間に対する異物としての役割を担うだろう。教師(舟川晶子)が生徒たちの名前(それぞれ俳優の本名である)を読みあげ、出席をとる。生徒は美しい転校生と握手を交わし、彼女の存在にほとんど心奪われながら、返事をする。授業のテキストとして配られた『ひかりごけ』を、時に教師の「お手本」的な朗読も挿入されながら読んでいく。そこではまず、「読む」という外的な行為が、まず約束事として客席にも諒解させられる。ニュートラルな状態から劇世界に入っていくための前提が仕掛けられているのである。はじめは、テキストの外在性を示すように、授業なのだからと詮方なく「読まされる」音読に過ぎなかったのが、読み進むうちに「朗読劇」然とスタイルは整い、あれよとばかりに新しい世界観が構築されていく。三条会版『ひかりごけ』にみえるのは、人間の身体が言葉を媒介にして劇世界に住みこんでいく、その変異の道すじである。そうした過程の中で俳優の身体が発する活力の振り幅は限りなく大きい。一等早く机に立上がり、五助――彼は戯曲中でも最初に命を落とし、舞台からも居なくなる――として言葉を語りだすのは岡野暢である。次に八蔵へと変身する中村岳人の緊張状態への移行は目に見えて鮮やかだ。隣席の榊原毅とふざけ合いながらも教師に促されて『ひかりごけ』の言葉を口にし、五助=岡野と対話するうちに、しだい笑顔が消えていく。見開かれたその眼は正面を凝視し、机に上りはじめる。と同時に、教室の内(=舞台)を回っていた科白が外側へと放出される。客席に向かって語られていく。三条会の美少年担当(?)、橋口久男が西川化を果たし、やがて、検事(大川潤子)と船長(榊原毅)による法廷の場に向かうと、類希なるダイアローグと音楽にも導かれ、劇温度はひとつの沸点に到達する。

 『ひかりごけ』における「出席をとる」という趣向は、奇を衒った飛び道具ではない。たとえば『若草物語』(2005年2月、ホール椿)にみられた独特の「名乗り」も一種の変奏だった。他者に名前を呼ばせ、自分の存在を明らかにすべく返事をする。あるいは本名を名乗らせることで、虚構の在り処に揺さぶりをかけながら、現代演劇において失われた記名性を再考していく。三条会という集団の関係のなかから、夫々自立した個が立ち上がっていく過程をもみることができる。その人がいる。俳優たるその人がいる。俳優たるその人が舞台に立つ。俳優たるその人が舞台に立ちそこでまた別の役を生きる……。連綿とつづく身体意識の環があって、舞台に俳優が生きるに抗えないであろう、あらゆる粉飾のうちにたしかなことは、「その人である」という一事に他ならない。一人一役に縛られないスタイルも、自意識の所在を絶えず問うものである。俳優には余程のものが求められているに違いないが、それを体現してしまう三条会は、やはり見事である。

 松代藩文武学校という150年の歴史を内包する場所が、『ひかりごけ』に新たな霊力を加味していたことは、今公演の眼目の一つである。かつて槍術(武術)指南の場として在り、その形をとどめる木造建築に対して三条会は、「学校」という、云わば近代的な「文」の学舎を趣向として織りあげた。机と椅子しかない舞台。視界には、俳優と、場所が景色としてあるばかりである。恰好の場所を得、雰囲気だけでない空間との共生を可能にしたのは、俳優の力強さだった。閉めきられた場内、汗を流す俳優同様、観ているわたしたちも汗ばんでくる。しかしそれがまったく不快でない。渦巻く熱気は夏日のためばかりではなかった。生身で体感する演劇の波動に、何度背筋をゾクッと冷気が走り、肌が粟立ったことか。湿った木の匂いとともに、今なお皮膚が記憶している。光と影を自在に駆使し、肉体と空間の関係性を巧みに視覚化する照明と、際だってすぐれた空間構築や戯曲解釈はもちろんながら、俳優――というより、人間中心の舞台設計が三条会の根幹なのだと、あらためて気づかされる。俳優の力量はすでに喧伝されてきたことだけれど、より一層、全体の活力が増したように思う。以前に増して、俳優たちの身体が一回り大きく見えたのは気のせいだったろうか。まず微笑、あらゆる過程的なものを経由しながら、なお微笑みつづける先に、力強くも軽やかに遊ぶ三条会のドラマの真髄がある。そして微笑をはさんだこちら側、観客は、否応なしに劇世界の内へと導かれていく。観念肥大を拒み、具体的な描写を避けたところに、唯一残された生身の人間が放射しているもの。それを視覚化する作業によって融和せられる、舞台と客席、ひいては俳優と観客の境界。それに伴う意識の交流は、まさに体感する演劇として、わたしたちを魅了して止まない。(後藤隆基/2005.7.17/松代藩文武学校槍術所)

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June 08, 2005

三条会 『メディア』

「〈犯罪〉をテーマとするギリシア悲劇特集」と銘打たれた Shizuoka 春の芸術祭2005が、静岡芸術劇場と舞台芸術公園にて、5月から6月の毎週末に開催されています(6月18日まで)。鈴木忠志を中心に、若手演出家がさまざまのギリシア悲劇から「現代」を読み解かんとする、たいへん興味深い催しとなっております。過日、三条会がエウリピデス原作の『メディア』を上演しました。本当に本当に、本当に遅ればせながら、公演評です。

◎関美能留の〈時間〉感覚

 古典劇といわれるギリシア悲劇の一つである『メディア』。その三条会上演をみるわたしたちは、それを「古典」だと感じただろうか。「男と女の愛の抗争」とか、「母親が実の子を我が手で殺し得るか」というような議論でなしに『メディア』を描き切ってみせた関美能留の演出。特殊なある「場」を設定し、その状況下で演じられる必然としての「ギリシア悲劇」の物語から、普遍性とかを抽出するのではなく、徹底して無限定の素舞台に配置された俳優が「それを語る」行為自体に意味性を強くする。「メディア」というヒロインに主導されない一人複数役と複数人一役は、集団としての全体性をより高め、また舞台空間との関係のリアリティーによって、舞台上にはいくつもの時間が同時進行していく。一つの科白の流れ(『メディア』というプロット)に対して、原作とは別の感情が発生し、身体を伴い併走する多様なレベルの時間を以て、新しいギリシア悲劇の上演というにとどまらぬ、演劇という表現の新世界を織り上げたと云っていい。

 まず舞台には、赤やピンクを基調に道化めく衣装をまとった三人の女優(メディアである)が、各々包丁を握り締め、身構えるようにして立っている。上手奥・中央・下手手前と、舞台の対角線上に示された座標、その三層のラインに沿って、上手袖から三人の男優が、科白を語りながら舞台を横切っていくわけだけれど、彼らは局部を手で隠しただけの全裸である。のっけから平手打ちを食った観客は、さらに彼らがメディアの前に差し掛かった途端に刺し殺され地に伏すのを見てまたショックを受ける。トすぐさま起き上がり、下手へ向かう男三人。再び現れると下着を穿いており…と、強烈かつ鮮やかな幕開きに心はがっしと掴まれる。上手から下手、下手から上手の往復は繰り返され、一旦袖に消えるごとに下着・シャツ・ズボン・上着を身につけていく過程は堆積する歴史(=時間)のイメージを示唆しつつ、「殺す/殺される」というモチーフは幾度も反復される。

 関美能留は、物語の生成過程で粉飾を施され、複雑化した「犯罪」を、まず行為そのものにまで単純化する。その上で、原作とは異なるレベルの時間を構築していく。その後も賑々しく展開する三条会『メディア』における、「殺す(/殺される=待つ)→踊る」という鍵言葉は、たとえば「なぜ踊るのか」という疑問符を、「なぜ殺すのか」に転化する力業でさえある。外的特徴ではわからない、不可解な人間の内面。思ったことは口にせず、台詞とは裏腹の隠れた心理的対決により展開する演劇が、近代以降の人間・世界の捉え方だったとすれば、ここではそうして表象されない意識をこそ、視覚化する。人の心の深さ、異様さにつれ、舞台上の違和も深まる。外見が抽象に近づくほどに、現行の一般概念としてのリアルは失われてしまうだろう。しかし、どんなに物語を劇中劇として構造化しても、それは「物語を覆う物語」という枠組みによって結局は物語に回帰してしまうし、政治性や権威から逃れられない。とすれば、「とき・ところ」の明示されない劇空間は、劇構造そのものに対する問いかけであり、挑戦なのである。

 背後にどこまでも広がる闇を背負う、夜の野外劇場。照明により拡大縮小し、自在に姿を変える舞台空間は、やがて光と荘重な音楽に包まれながら、使者がクレオンと彼の娘(イアソンの婚約者)の死の顛末を、いかにも「悲劇的」に語る。力強い俳優の身体、声を借りて、それは美しい一遍の叙事詩のごとく闇に響き渡る。言葉は途切れ、子供らの殺害が一瞬で行われた。そして、再び全裸になった男たちの演ずるコロスが、神を讃える一節を語りながら上手へと消え、夜の帳がしめやかに落ちてくる。円環構造まで用意しながら幕切れに収斂されるスピード感は圧巻の一言。メディアの行先を携え、事件の契機をもたらしたアイゲウスのコリントス来訪は、「子宝がどうすれば得られるか」というアポロンの神託の解釈を求めるためだった。予言の神アポロンは、光の神であり、また夢や空想世界の仮象をも支配する。「神々は思わぬでなく、事々を成したまう」。一見「ギリシア悲劇」らしからぬ仕方を横溢させ、経過しながら、「神」という、それこそ現代を生きるわたしたちにはいかにも理解し難いであろう神話にまで、観客を導いてしまった。

 多くギリシア悲劇は、登場人物の言葉によって—時として「神託」や「予言」という形を借りて、未来が暗示される。そうなることがすでに予想されており、定められた運命に誘われるように、先見された未来が実際に現れるのを待っている。そうした意識の流れは絶えず不意打ちされ、表面的な違和は、従来の価値体系に慣らされたわたしたちの感受性を刺激して止まない。その衝撃の連鎖が四拍子的な型にはまらない、一拍子とも云うべき可変の劇時間をうみだすのである。パターン化された時間を批判しながら、等間隔・順列の時間概念に待ったをかける。一回性とも呼ばれ、行雲流水が必定の演劇、あるいはわたしたちの生において、いかに絶対者たる「時間」とたたかうか。思えば、一時間の上演時間に大真面目に挿入された「三分間の休憩」—山口百恵、MCで「青春」を語ること—さえも、始まれば終わるまで止まらず、また過ぎて帰らぬ時間をせき止め、劇時間に揺さぶりをかけることに成功していた。観念や思想云々といった何ものかを具象として物質化し、且つまた、〈時間〉をも目に見える形で現出させてしまう。

 いかにギリシア悲劇がすぐれているとて、それを読むこと、解釈することは、すでに認識された「過去」の再理解に過ぎぬ。どんなに「何を云わんとしているか」を問うたところで、極言してしまえば「過去」を得るばかりなのではないか。括弧だらけで恐縮だけれど、たしかに「過去」なくして「今」はなく、その「次」も存在し得ない。現代演劇は「過去」を「今」に持ってきた、さてその後は…。考察・検証を経て、次の時間につなげるためにはどうすればいいのか。どのような演劇をつくっていくべきなのか。わたしたちには「いま」、それが問題となるように思えてならないのである。

 休憩を挟んで、音楽に弾ける賑やかな群舞があった。その最中、音楽は止み、ほかの人物が動きを止めてもなお、衝動がはみ出すようにして踊りつづけたあの明るさに、しきりと心救われる思いがするのだ。前衛などもはや無きに等しい今、正しく前衛精神を持って、なおかつエンターテイメントたるを忘れない。賢しらを気取って「ギリシア悲劇的」な物言いをするならば、アポロン的な理知と、ディオニュソス的な狂騒という二つの顔が綾なす舞台、そこに前衛性と大衆性は必ずや共在する証を見た。「過去」を知り、「現在」を賭け、「未来」を生きようと走る関美能留の、〈時間〉と対峙し、超克しようとする意志に裏打ちされた三条会『メディア』は、何か新しい演劇のイメージを、たしかにつくりだした。躍動する俳優の身体そのまま、さわやかであり、極めて健康的。己の貧しいながら観劇体験を総動員してみても、やはり稀有と云わざるを得ないのである。(後藤隆基/2005.5.21/静岡舞台芸術公園 野外劇場「有度」)

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June 07, 2005

新国立劇場 『箱根強羅ホテル』

 前作『円生と志ん生』から三月、早くも井上ひさしの新作が新国立劇場中劇場に御目見え。例によって、と言ってしまえることがもはや「事件」なのだけれど、遅れはともあれ、その筆力には脱帽の一語。さて肝心の作品は、といえば、おそらくは「昭和庶民伝」から「東京裁判三部作」へとつながる系譜を引きながら、歌と笑いの機能を練りあげ、高めていった秀作。作家の熟成を感じさせる一本である。

 昭和二十年。箱根強羅ホテルにソ連大使館を再疎開させる動きが持ちあがり、それにあたって従業員が集められる。近眼・やぶにらみ・幼少の事故と、さまざまな理由で眼に不自由を持つ男三人、図書館員、戦地帰りの植木屋に女子工員たちが担うは靴みがき係、アイロン係、洗濯係、植木係…。外務省の思惑は、ここ箱根強羅ホテルを舞台にしてモスクワルートの和平交渉を進めること。やがて、和平交渉派と、軍部本土決戦派との駆け引きが展開していく。

 心理的な意味/主題としても、また舞台に具象化される仕掛けとしても、『箱根強羅ホテル』を読み解く上での重要な鍵言葉は「見えない」ことである。「見える」と思っていたことが「見えない」。よく見れば見えたはずのことが見えていない、あるいは見ようとしない。全体を包み込む「○○、じつは△△」式の二重構造は、最たる例証といえよう。新国立劇場のシリーズ「笑い」における最大のハイライトともいうべき第二幕冒頭、スパイの正体が次々と露見していく場面では、それが笑いの文法として活きた。「見えていない(=ばれていない)」と密談をつづける彼らの背後に人が集まり、万事発覚、お手上げへとなだれ込む絶妙なテンポは手練手管を知り尽くした作者ならでは。それらをすべて覆う観客の視線までもが一つの劇構造に組み込まれ、舞台と客席の交感により構築される劇的宇宙が見事に炸裂した。

 軍部の作戦にも笑いのペーソスは横溢する。「海軍マムシ作戦」や「H弾・H剤」をはじめ、珍妙な作戦が陸海軍によって語られ、笑いを呼ぶ。アメリカ軍の艦砲射撃を防ぐために陸軍本隊を海岸線から40キロ、山梨にまで後退させ、「これなら砲弾も届かない」と高笑いする軍部の「秘策」はもはや笑い話。状況しだいでは、天皇を長野、朝鮮、満州へと移し、「陛下のいるところが日本なんだよ」とあくまで戦う、そうすればそのうち敵も飽きて引き分けになるとのたまうなぞ噴飯物である。がしかし、「作中に登場する本土決戦用の珍作戦は、すべて実在したもので、作者が勝手に捏造したものではありません」という注が振られているように、一切が紛うことなき事実。冗談としか思えない作戦が、大真面目に考えられ、それを心底信じていた。大真面目に、そして誠実に、それが何より切ない。現代を生きるわたしたちの地平から見れば、「馬鹿」なことである。いま本気でそんなことを考えている人がいたならば、間違いなく精神病院にでも入れられるだろう。けれども、そうすれば勝てる、大丈夫と信じた人びとがいた。「国」を思う気持は、その仕方の差異こそあれ、変わらないにしても、「信じることと冷静に分析することは別のもの」という一言に尽きるわけだ。

 信念や希望は時に人を盲目にさせる。「勝てるはずだ→勝てるかもしれない→勝てる→勝つ!→バンザイ!!」という「手前勝手の四段活用」を駆使して、人は生きる。スパイ三人衆が眼を病んでいた(振りをしていた)ことも、見える/見えないことのメタファとなろう。しかし、目が曇っていたのは果たして戦中に限ったことだろうか。井上ひさしは、戦後、目をつぶって、今なお過去を見ようとしない日本人を、絶えず言及してはこなかったか。ロシア人学校の生徒たちが書いた作文、「忘れられない光景」が、それぞれの瞳に刻み込まれている。「記憶の畑を耕そう 時からこぼれ落ちる一瞬、の、光景集」。かつて「時代と記憶」をテーマにした小劇場での新作五作品連続をつなぐコピーである。記憶しつづけること。それはしっかと見ることであり、また、歌うことでもあった。

 劇中歌は相も変わらず秀逸である。宇野誠一郎はもちろん、チャイコフスキー、ベートーヴェンからリチャード・ロジャースまで、日本語詞を西洋の旋律に乗せる業はお手の物。リチャード・ロジャースの "The Girl Friend" から生れた『まかふしぎなパジャマ』は、少女の喜びと安らぎを歌う佳曲である。また、姉弟の二十五年ぶりの再会を演出した『鬼ヶ島の子守唄』にみられる、歌による記憶の共有。『暗号歌』は笑いとともに「軍部」という特殊な所属を確認する。『勝利の日まで』は、身分・立場・思想の違う人びとを、「一億総心中」へと収斂される「日本国民」としての共同体意識につないだ。それはあたかも「天皇陛下」の一言に姿勢を正すように。井上戯曲における「歌」は、メッセージ色の強かった近作に対して、感情の高まりや、意識に訴えかけるものが増えていた。ドラマ・ウィズ・ミュージック(=音楽を伴う演劇)」を旨とする井上芝居の熟練スピードには目を見張るばかりである。

 今作の最大の功労者は梅沢昌代である。と思わず言い切ってしまったが、後悔はしていない。彼女なしに、『箱根強羅ホテル』は井上作品として最低限のラインを超え得なかったと言って過言ではあるまい。この劇に主人公(のようなもの)がいるとするならば、麻実れい演じるロシア語教師、山田智恵子だった。日本人(こちら)とロシア人(あちら)との混血(半々)である彼女は日露関係の楔となるよう位置づけられていたし、また、劇中歌も多くソロパートをあてがわれ、劇の中心として屹立すべきだったろう。しかし、井上作品初出演に加え、台本の遅れによる稽古の不備など、もう少し時間があったらな、仕方ないのかなとつい思ってしまう事情は鑑みた上で、舞台に立つだけで凛とした空気を放つ風格は流石ながら、やはり台詞がぼやけ、対話に勢いが足りない。逆に、梅沢昌代は井上作品の常連も常連、こうした状況は幾度もくぐり抜けて来た経験もあるにしろ、緩急自在の台詞術、他俳優との連携を巧みに主導し、劇空間を縦横に疾駆する。梅沢昌代の身体のリズムは、井上芝居のリズムに本当によく似合う。俳優と作品の幸福な出会いとは、こういうことを云うのだろう。ただ、少しばかり「よ過ぎた」ものだから、麻実れいを食ってしまったことは否めない。二人の絡む場面では多少抑えた印象もあったが、全体として、完全に劇の軸になっていた。バイプレイヤーが主役以上に輝いてしまう、それはそれで問題なのである。けれども、段田安則ら巧者も光り、また新境地を開拓した感のある内野聖陽も好演、中劇場の広い空間を、何とか調和させることに成功していた。

 井上ひさしは、「あの」ラジオ放送を境に変転する「日本人」の姿を描きながら、「1945.8.15」という刻印を舞台に乗せない。そこに至る「オキナワ/ヒロシマ/ナガサキ」を悲劇の現場として用いない。これまでの作品では、幕切れのその先に暗示される登場人物の運命は決して明るいものではなかった。希望は示唆されながら、常に、不安や不吉さが立ち込めていた。けれども、『箱根強羅ホテル』には、必死で生きていく人びとの光がある。前線へ飛ばされシベリアに送られた稲葉陸軍少佐、任務中に負傷し軍の病院に入院した岡陸軍軍曹と三浦海軍少佐、進駐軍にくっついてジープに乗り込んだ三人娘…。明るい未来ばかりではないにしろ、前向きに生きる術を得た登場人物の笑いによって幕は下りる。それをよしと見るか否か。観客の胸にのみ、答えは在る。(後藤隆基/2005.6.7/新国立劇場 中劇場 [PLAYHOUSE])

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