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May 12, 2005

文学座アトリエの会『ぬけがら』

 名古屋の劇団B級遊撃隊を主宰する佃典彦の新作を、劇団内外で活躍する気鋭、松本祐子の演出で。5月10日(火)~22日(日)。信濃町・文学座アトリエにて。以下公演評です。

◎昭和は未だ遠くあらず

 このところ、「平成」という今日を暮す日常ある家族模様に「昭和」を侵入させ、新旧の交点から現在そして未来を見直す契機とする、そんな演劇作品が目につく。暦が平成に改まり早十七年。明治が大正、大正が昭和ほどの変化があったのかしらん、などとさかしらを決め込むつもりはなし、感慨深げな顔をできるようなご身分でもない。しかし、とひとまず。歴史には常のこと、旧体制と新体制の転換は軋轢を乗り越えながら進展してきたが、状況はさして変わらないのじゃないか。技術は進歩したけれど……などと訳知り顔の紋切りを打ってはいけない。いけないが、「昭和」の際限ないエピローグとして「平成」が存在しているかにさえ感じられる、それはそれで確かなのだ。文学座アトリエの会で上演された『ぬけがら』も、そんな舞台のひとつと言っていいかも知れない。

 ほとんど痴呆状態の父親が、母親の葬式の翌日に突然脱皮し、二十歳ばかり若がえる。まるでセミのように脱皮を繰り返し、そのたびに若がえっていく。挙げ句にぬけがらたちが踊りだす。カフカや安部公房を思わせる不条理が視覚化されるが、主人公を筆頭に家族の反応は何となく中途半端であり、案外自然な装いで日常に織りこまれていく。そうしたリアルとフィクションの危うい処理に面白みがあったけれど、折角の趣向も最終的には平凡たる家庭劇の枠内に止まってしまった感は否めない。また、夫婦の離婚問題が物語の中でさしたる働きを見せないこと、軸となるべき夫婦関係の後先が今ひとつ描き切られていなかった点が残念でもある。

 表題にされた「ぬけがら」。脱ぎ捨てられた現在はすぐさま過去の残骸となる。やがて過去は動き出す。戦後60年にあたる今年、第二次世界大戦の記憶は、作中たしかに或る影を落としていた。脱皮と若がえりによって、過去(父親)が、現在=未来を経験する。それは、死者との対話から現在(主人公)が過去を知る手つづきでもある。「ぬけがら」と「ぬけ出た」自分という、父親が経験したような自己同一性と時間感覚との歪みに、何かしらの議論が必要だったのではないか。脱ぎ捨てられ、日が経つにつれて匂いを発する「ぬけがら」たち。「ぬけがら(=過去)」はどんどんクサくなる。気になる匂いにはファブリーズ。洗濯もしてみる。匂いは消えない。誤魔化せない。「昭和」を次々に巻き戻し、両親の出会いにまで時は遡る。「奇跡と宿命」に彩られた自分の誕生秘話。しかしそれらが主人公の明日に大きく活きない。結局は何も変わらないのだ。

 松本祐子の演出は、主人公と浮気相手のもつれや離婚をめぐる夫婦の口論などの心理的対決を、行動と観察の関係から生じる沈黙を巧みに利用しながら、劇的対話としてより緊密な時間に仕立て上げていた。特に主人公の妻、美津子役の山本郁子が近作以上の好出来。台詞もよく回り、いわゆる新劇調に終始してしまうやや冴えない男優陣の中にあって、一人気を吐く。浮気相手の奥山美代子も静かな強さが滲み出ていたし、母景子を演じる添田園子の大らかさもいい。舞台装置もディテールにこだわったアパートの一室を再現し、戯曲の奇妙な事件を対比的に包み込むが、そのリアルが勝ちすぎてしまったところに、物語の弱さもあるのかもしれない。(後藤隆基/2005.5.11)

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March 01, 2005

三条会 『若草物語』

 三条会が新作『若草物語』をひっさげて本拠地である千葉公演に臨んだ。所属俳優全員が顔を揃え、多彩なゲストを迎えた豪奢な華やかさ。また先達て関美能留が千葉市芸術文化新人賞を受賞したばかりということもあり、話題性は抜群、どうにも期待せざるを得ない。春も間近いホール椿。いざと心構え、不意打ちは重々覚悟ながらもやはりあれよの大展開に圧倒され、しかし気がつけばすっかり『若草物語』の世界に引きこまれてしまうのだった。

 三条会のつくる演劇は場の性質を最大限活かす空間処理が特徴的であり、劇場や舞台構造など、空間そのものを劇的な武器として、そこに俳優を配する位置関係を含めた体系の創造に魅力のひとつがあると思う。『若草物語』の舞台は昨年の公演に見たような自在な立体感を脇にのけ、奥行きわずか六尺ほどの横長の舞台、しかも背後には真っ白な壁というあからさまに制限された場所。俳優は常に下手から現れ、舞台の中心を行き交い、下手に引っ込む。花道もある。プログラムには歌舞伎への意識が綴られていたけれど、舞台作法を見ていればたしかに歌舞伎である。恰も『青砥稿花紅彩画』の稲瀬川勢揃の場様に四人の男優が自分の本名を名乗り連ねてゆく場面や、冒頭の便所の場などに見える俳優の力強さは、相変わらず小空間を濃密な触感で浸した。

 と、ふと思う。ともすれば当たり前のように観てしまうのだが、俳優は異形の存在としてわたしたちの前に現れていること。人間であって人間でない、舞台にいる役者は普通の人間ではないという一点が、強く響くのだ。かつて(現在でも)リアリズムという概念は多からず舞台を生活という現実世界の再現と捉えてきた。そこで演じられる役柄は或る人生の物語における各々登場人物であり、彼らがどんなに劇的な台詞を口にしたとしても、それは現実感を伴う「人間」であることに変わりないだろう。描かれる物語が日常的な断片でなくても然りである。役に扮するということ。役を生きるということ。そもそも「役」とは何ぞやという疑問を、三条会は笑いのうちに提示してくれる。開幕時に戻れば、男たちの剃りあげた頭にはりつけられた色鮮やかな三つ編み。すでに役者は単なる人間の再現ではない。歌舞伎だとて、たとえば『暫』の鎌倉権五郎のような衣裳は実際あり得ない。江戸時代にだってあんなものを着ていた人間はいなかったろう。隈取りもまた。にもかかわらず、様式という一面、また視覚的な美意識においても、誇張された人間の姿は心理劇に流されがちのわたしたちに、感覚的な演劇の楽しみ方を伝えてくれる。それは心情を、科と白の裏に暗示するのではなく、本来不可視である意識を色彩豊かに視聴覚化する手段である。「暫く」の一言を云うためにあれだけの時間を費やす不合理も、意識と時間感覚の関係性の表徴に他ならない。俳優の身体を、抽象を具象化するよりしろとして捉え、現実時間に拮抗する体感時間をつくりだす。まさに三条会の演劇そのものの姿なのだと再確認させられた。

 『若草物語』の「世界」を味わうために、幕の効用というものも一考する価値があるだろう。舞台と客席が幕で仕切られることの少なくなった昨今の演劇事情は今更強調するまでもない。多くがはじめから舞台を見せ、開幕前の舞台に様々の仕掛けを施し劇世界を予め提示する。しかし、幕のあることは舞台とわたしたちのいる客席とが明らかに異質のものであり、その距離感覚は芝居を芝居として幻想の世界へとわたしたちを誘う効果がある。見えない幕の向こうの世界に期待は高まり、想像力も掻き立てられる。設えられた紅白の引幕が開く、文字通りの「幕開き」。トいきなり剃りあげた頭に色とりどりの三つ編みをぶらさげ、不敵な笑みを浮かべた四人の男が並んでいるという絵面の強烈なインパクト。そしてのっけからミュージカル。冒頭の衝撃は一気に劇の世界観を強制諒解させる。また上手袖では常に一人の女優が舞台の成り行きを見守っており、基本的には彼女が引幕を操るわけだが、三場構成の各場切れは舞台上で台詞が続けられるにもかかわらず、彼女の幕引きによって終点が定められる。いわば、「女」と役名を振られた彼女は『若草物語』の劇的時間を支配する役割を負っているとも云えるだろう。時に男たちを統括する教師、四人姉妹の伯母を演じることと併せてみても、物語を(それは人生と云うもまた)外的な力で以てその進行を指し示す、運命にも似た存在を思わせる。便所や学校、はたまたマーチ家のように閉塞した場に対し外界から統率するのである。最終場、白馬に乗った王子様(=ブルーク先生)がメグへ求婚する行を、またも強引とさえとれる幕引きで終わらせようとする。しかし、舞台半ばまで引かれた幕をローリイに扮する男優がその度に引き戻す。猛烈に結婚反対する伯母に、当初は「王子様」に対してけんもほろろだったメグは次第心を変えていく。まるで決められることを嫌うかのように、如何にブルークがよい人間か、そして貧しくとも彼との生活がすばらしいものになるかを熱心に語り聞かせる。幕を引こうとする伯母、伯母に反発するメグの意識を代行するように、ブルークを弁護しつつ引かせぬローリイ。幕はそれが芝居であることの印である。幕が開いて世界は動きだし、幕が引かれれば世界はわたしたちの目の前から姿を消す。たとえその間にも幕の向こうの物語はとめどなく流れていたとしてもだ。物語の進行途中に挟まれる幕引きは暴力的でさえあるが、それを妨害する行為はさらに挑発的である。芝居を芝居として見せる、ひとつの鍵言葉でもあった引き幕の使用。はじまれば開き、終われば閉まるという約束事の境界をさらにかき回し、虚構と現実を混沌とさせながらぎりぎりまで勿体ぶって終幕。幕で装う舞台の裸体をスカートめくりの如く露わにしようとする。歌舞伎という系譜を受け継ぎつつからかってしまう。三条会版『若草物語』の楽しさは、舞台構造の制限を逆手にとって、物語時間を、マーチ家の四人姉妹が味わう季節の推移といった出来事の並列から、俳優及び観客の体感時間に引き寄せたところにあったのではないだろうか。(後藤隆基/2005.2.28)

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February 17, 2005

こまつ座 『円生と志ん生』

◎ユートピアのゆくえ

 こまつ座にとっては『兄おとうと』(2003年)、井上ひさし自身にも『夢の泪』(新国立劇場、2003年)以来凡そ二年ぶりとなる新作は、二人のはなし家がその興行途中、敗戦直後の満州大連に閉じこめられた六百日間の道行を描いた『円生と志ん生』。五年前から構想をあたため、初日を二月五日に控えた一月二十七日に脱稿したという今作。前評判は相も変わらず頗る好調、前売完売も毎度の事ながら周囲の期待は否が応にも高まる。無事に、かどうかは舞台裏のこと、「遅筆堂」を支えるスタッフ一同の苦労は推して知るべしと云ったところだが、兎にも角にも初日の開幕ベルは紀伊國屋ホールに響き渡った。

 表題の通り、大枠は六代目三遊亭円生と五代目古今亭志ん生という戦後日本文化を担う二人の落語家を題材とした、従来の括りで云えば「評伝劇」の体裁をとる。歴史を虱潰しに調べ尽くし、微に入り細に入った膨大なる資料のほんのわずかな間隙を持ち前の想像力でグイと押し広げたところに、井上評伝劇の劇的宇宙は生れる。かつて『人間合格』(こまつ座、1989年)で太宰治の小説技法を戯曲化してみせ、また『連鎖街のひとびと』(こまつ座、2000年)では新劇や大衆演劇、軽演劇の台詞や結構を規範と仰いだ。上記の作品に限らず、井上戯曲には数ある「演劇」の様式そのものが台詞劇として顕されるが、『円生と志ん生』には「落語」の風味が大いに盛り込まれている。舞台には終始「舞台上の舞台」という可能性、落語のスタイルを示唆しつづける座布団に似た四角形の盆が置かれ、劇空間の基軸となる。おなじみのピアニストが寄席太鼓を鳴らすと、円生が高座の態で時代背景をおもしろおかしく語りだす。中途で志ん生が座布団担いで現れれば、観客は先ず第一場自体が『円生と志ん生』の枕であることに気づかされるのだ。そしてそれは終幕に至るまで劇を支配する約束事となる。

 三場の冒頭で或る曲がラジオから何気なく流れたとき、不覚にも落涙しそうになってしまった。胸にこみあげるものがあった。その曲とは石谷一彦作曲『小さな公園』。『連鎖街のひとびと』の劇中歌である。『円生と志ん生』が『連鎖街のひとびと』の延長線上にあることは云うまでもない。昭和二十年、つまり「あの」年の八月末の大連を舞台にした『連鎖街のひとびと』と、ほとんど時を同じくして『円生と志ん生』の舞台は設定されている。円生、志ん生二人が朝の寝床で聴くラジオからこの歌が流れ、その後、物語の進展に併走する形で「連鎖街」の話題が登場人物の口にのぼれば、『円生と志ん生』という物語の向こうに「連鎖街のひとびと」の姿がありありと浮かぶ。伊勢町の日本館から少し離れた連鎖街の今西ホテルには、片倉、塩見という二人の劇作家が、一彦やハルビン・ジェニイらが。さらには大連に閉じこめられ、帰りたくても帰れない多く日本人がいる。同じ思いを抱く人たちがそこに生きている。円生と志ん生は片倉と塩見の別の形象として舞台に現れていた。日本館の一部屋から、一曲の歌によって劇世界が一気に拡大される。同じ時を、同じ気持を、違う場所で様々の人が生きているという共生感覚。それはたとえば別場において、文化戦犯に指定された円生と志ん生が「これで巣鴨に入れる」と狂喜乱舞する場面にも明らかだろう。すなわち「巣鴨」とは「巣鴨プリズン」であり、『夢の裂け目』が、『夢の泪』が、『紙屋町さくらホテル』が次々と見えてくる。人は、自分と何かしら具体的な関わりを持つときにはじめて相手の存在を認めるのであって、以外のときにはたとえ壁一つ向こう、いやすぐ隣に坐っていたとしても、互いは別世界の住人であり、それは不在と同質でさえある。井上ひさしの演劇は、「昭和」「日本」を糧としながら観客の想像力のうちに何処までも広がっていく世界観に真骨頂がある。それも時代や歴史を賢しらに押しつけるのではない。基盤にあるのは、いまわたしたちが生きているこの瞬間、別の場所でも誰かが生きており、直接に関わることはなくとも、時代という大きな物語を背負って底辺でつながるという、至極単純な一事に他なるまい。しかし、はなし家の評伝劇、また「大連」の連作という趣向を身にまといながら劇世界を支える核は、大きな宗教劇としての側面である。

 かつて満州国は大日本帝国によって理想国家として建設された。その表玄関であり、神社仏閣、教会から遊郭まで、あらゆる施設が整備され、市街中心の広場から放射線状に広がる大連は、内地の日本人には夢溢れる街、人工のユートピアだった。『ひょっこりひょうたん島』にはじまり、『吉里吉里人』などを経て常に「ユートピア」を探しつづけている井上ひさしにとっても、大連はこの世に実在した「夢の街」だった。井上芝居では「場」の設定が重要視される。その点において、「大連」は恰好の「場所」である。しかし、円生と志ん生が駆け回る大連市のあちこち、それこそ教会から遊郭、街外れの廃墟や井上戯曲には珍しい電信柱が一本立つばかりの道端という各場は、地獄とさえ呼ばれる夢の墓場、覚まされた夢の跡である。四人の女優が各場で女郎からシスターまでを演じ分ける趣向も秀逸である。中でも修道院の屋上で繰り広げられる圧巻の九場には、シスターとはなし家という「聖」と「俗」の対比とともに、「笑い」とは何かという究極の問題が提示される。
 
 「兄さん(=志ん生)」と「松っちゃん(=円生)」から、不条理劇で有名な「ゴゴ(=エストラゴン)」と「ディディ(=ウラジーミル)」を連想することは安直な深読みかも知れない。しかし、ベケットの静止、不動というモチーフを一身に受ける例のふたり組に対して、円生と志ん生はひたすら動き回る。移動しつづける。羽衣座で役者をしながら身を立てる円生と、死んだふりをするかのように街々を浮浪する志ん生。聖書の教えと小咄がことごとく符合し、シスターたちに救世主と勘違いされた挙句「偽者の救世主」とまで云われる志ん生だが、「ゴドー」というわけのわからないもの、もしかしたら運命のようなものを待つばかりではなく、世界が悲しみに満ちているならば「すてきな」悲しみに変えてしまう心の強さを、はなし家の、「笑い」の役割と求める。自分たちのいるその場所を幻想でない「ユートピア」にしなくてはならない。夢破れ、ロシアの侵攻に晒されている地獄にも似た大連の地でこそ、それが諒解されるのだ。「笑い」を以て現実世界の困難を超克せんと試みつづけてきた井上ひさし流ユートピア論の一つの解が、ここにはある。『円生と志ん生』は『ゴドーを待ちながら』に対する反歌のような性格を有する、とは些か穿った見方だろうか。ともあれ、「聖書」も「三代目柳家小さん集」も、この世という「涙の谷」を越えるための標である。落語家の口を借りて、「笑い」とは「人間であること」「生きること」と同義であることが語られる。そして観客参加型の大仕掛けに大いに腹筋を鍛えていただきたい。観客参加といって、客席におりたりだとか、はたまた観客が舞台にあがったりだとかいうように直接的な舞台と客席の交流が行われるわけではない。俳優の演技に対する観客の反応から舞台効果が高まり、「間」の操作によって観客との関係を濃密にしていく手法には劇場が寄席と化すような錯覚をさえ覚えた。

 近年の作品では作家や歴史的事件を題材にとったためか、歌や踊りを用いる巧みな結構ながら、説明や主義主張が耳に強く響くこともあった。しかし、饒舌を口立て式の対話や落語という「形式」のうちに織りこみ、また本当に、歌が台詞以上の役割を担う。それらは新劇という現代演劇の或るスタイルにおける台詞の在り方、語り方に一石を投じたとも云えるだろう。と、いろいろ愚言を並べたててみたものの、どうも『円生と志ん生』は旧来の井上戯曲とは景色が違う。先行芸能から様式を育み、「大衆芸術」とさえ呼ばれる落語からの視線は、「むずかしいことはやさしく、やさしいことはおもしろく」というこまつ座の理念に沿った上で、また新しいスタイルを発見した。奇妙な余韻残る幕切れとも併せ、井上戯曲を総括した際に問題作とさえ見えると思うのだ。そしてそれを見事に視聴覚化した鵜山仁の演出も特筆すべきだろう。(後藤隆基/2005.2.12)

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February 03, 2005

人形劇団プーク 『金壺親父恋達引・カチカチ山』

 1929年に創立され、昨年75周年を迎えた人形劇団プークは現代人形劇専門の劇団である。普段は子どものための人形劇を中心に国内外を問わぬ活動を展開しており、さらにはテレビ、映画にもその幅を広げ、社会的評価も高い。また年に一回、新宿にある本拠地「プーク人形劇場」で「おとなのための」人形劇を上演している。人形劇は子どものものであるという一般のイメージを払拭せむとする劇団の提言を今回より深め広げるべく、「おとなの人形劇」と銘打ってこまばアゴラ劇場冬のサミットに参加したその演目は、井上ひさし『金壺親父恋達引』、太宰治『カチカチ山』の二本。人形劇は文楽を除けば子供の時分に見たきり雀の我が身ながら、確固たる様式がみせる多彩な表現に驚かされ笑わされ、非常に心楽めた。

 太宰治原作の『カチカチ山』は男女の道化による、狸殺害をめぐる推理劇という構造をとる。狸の死骸(人形)を前に現場検証、推理を連ねる二人。「惚れたが悪いか」に締め括られる動機解明に至るまでの過程が劇中劇としての『カチカチ山』に変貌していく。男と女はそれぞれ兎に惚れる醜狸三十七歳と、残酷なアルテミス、十六歳の処女兎を人形で以て演じる。俳優が先ず演技をし、彼らが人形を使うという行為自体が一つの仕掛けとして機能していた。端から人形劇というスタイルを前面に押し出すのではなく、いうなれば「普通」の芝居からはじまり、人間が人形を道具として扱っていくうちに人間のほうが人形に支配されていく。その発端となる人形が狸の死骸であることの怖ろしさは、一見可愛らしくも見えるお伽話の裏に潜む太宰版「お伽草紙」の黒い笑いを引き出していた。美しい顔をして冷酷な行動をとる兎。一体に残酷はその心と裏腹な静謐な態度にもっとも顕著なのである。

 幕間を挟んでモリエールの『守銭奴』を原作に井上ひさしがラジオのための現代義太夫節として書き上げ、後にテレビ文楽化された『金壺親父恋達引』。人に聞いて曰く、井上ひさしと云えば『ひょっこりひょうたん島』というように、もともと作家と人形劇との関わりは極めて大きいものだった。こちらは前半と打って変わって、人形による芝居。両手で操られる赤子ほどの人形は、繰り手の声を借りて台詞を語る。氏の劇言語は異様でさえある。とめどなく溢れかえる地口や掛け言葉などの言語遊戯が乖離させる意味の世界は拡散の危険も孕むけれど、人形は「言葉」を、まさにそのまま身体としての表現に結びつける。たとえば、「肩を落とす」という慣用句があるとしよう。実際あるのだが、もしそうした場面が劇中にあるとするならば、人形はがっくりと文字通り肩を落とし、その背中はひどく寂しげに去っていくことだろう。「腹を抱え」て笑うような場面では本当に腹を抱えるに違いない。そしてそれが如何にも真実らしく、またおもしろいのだ。井上戯曲では何よりも「言葉」が演劇的な武器となる。時に過剰とも云われる饒舌は人形という仮面が語るのを望んでいたかのようによく似合っていた。

 直接感情を表情に出せない人形は身体そのものが雄弁である。人間が人形を手にとる。彼乃至彼女が人形を支配し、動作を指示するにもかかわらず、その後人形に反映される身体及びイメージは、人間を遙か超越したところにまで到達する。演技という点で、誇張が最大の武器となる。そして、表情の一定に保たれた人形が生身の人間では決して届かない身体表現を可能とする。極めて細かな仕草から大袈裟な心象所作まで、人形であることの制約が単なる叙情をよりふくよかに表現するのである。ただ、顔の表情の乏しさを補う為もあってか、その台詞回しはともすれば極端に抑揚ばかりが先行し勝ちだった。日頃の子どもたちのための芝居づくりという功罪を問うものではないけれど、わかりやすい明度ばかりでない、声の表現を聴きたい。『金壺親父恋達引』の義太夫が、単なる語りにとどまったのも残念だ。その点、桐丘麻美夏の兎やお高のような抑制の効いた演技が印象に残った。

 人形劇にも様々の形がある。ここに見えたのは、諷刺に富んだ笑劇としての人形劇だった。人形は人間のデフォルメされた形である。その行動、動作、はたまた人形の容姿外見など、特徴を際立てて演じるほどにおかしみは増す。リアルとは対極にある抽象的舞台は、物や音など、数々の見立てによって成立するが、言葉遊びも見立ての代表格であるといえよう。人形も、人間の見立てであることは云うまでもない。人形を見るわたしたちの視線は、或いは異形のものとして彼らを見るかも知れない。人間にあらざる「人形」がまるで「人間」らしく振舞うのを見てわたしたちは笑うだろう。感情を露わにしない人形が仰々しくも感情的になるとき、わたしたちは笑うだろう。そうした人間のパロディとしての姿を自分自身の身替わりとして見ながら、安心しているのかも知れない。人形劇という可能性は未知である。そして奥が深い。特に『カチカチ山』のような、人間と人形の関係性の追求をめざしてもらいたい。この先「人形」という、実は遙かな歴史を持つよりしろを用いて、どのような演劇がつくられていくのか。非常に楽しみである。(後藤隆基/2005.2.2)

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