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September 23, 2005

三条会組『ニセS高原から』

 九月のこまばアゴラ劇場は、五反田団・三条会・蜻蛉玉・ポツドールによる『ニセS高原から〜『S高原から』連続上演〜』が話題を呼んでいます。Wonderlandでも皆様たくさんのレビューをアップされていて、非常に賑々しい。一ヶ月という長い公演時間が、『S高原から』の劇時間に何となく重なるような気分に陥ったりもして。全体は二十七日まで。三条会組は残すところあと二回(九月二十四日、二十六日)です。

◎絶対の時間を超えるために

 平田戯曲を三条会が上演するという出来事は、たとえば普段の方法論からも対立項を読み込まれざるを得ないだろうし、「現代演劇」という意味合いでも大きな興味の対象となる。言語性や物語性を外縁から囲み、中心から貫く三条会の肥沃な演劇的土壌に、平田オリザ『S高原から』という「静か」ながら強固な台詞劇の種子を蒔く。そこに花咲き実を結んだ三条会組『ニセS高原から』とは、一体どんな舞台だったのか。“Do-Re-Mi”から”Edelweiss”まで、「高原」で結ばれた”The Sound of Music” との光溢れるコラボレーション。そして、Smetana”Moldau”——雄大な河の流れを称える荘重な交響楽にも付与される時間のイメージ。「三条会」ではなく「三条会組」としての登場は、あらゆる状況を孕んで冒険的であり、『若草物語』、『メディア』から連なる新しい三条会の演劇を感じさせるに十二分の逸品であった。

 『ニセS高原から〜『S高原から』連続上演〜』において、テーマともモチーフとも呼べる、平田オリザ『S高原から』が共通のフォーマットとしてある。原作に筆を入れアレンジを施し、何よりも脚本段階でそれぞれの世界観を構築する三劇団に対して、台詞に手を加えない三条会の仕方には、これまでギリシア劇や三島戯曲、近代文学などを扱ってきたとほぼ変わらぬスタンスが窺える。三条会にとっての平田戯曲とは、前記の作品群と並べると大きく性格の異なる類の作品に見えるけれど、「三条会」という演劇集団を軸に据えてそれらを見渡したとき、距離感は同様、自らの意図を戯曲(台詞、物語)に投影することなしに、舞台上に表現されるものとしてのみ作用する。極端なもの同士をどちらも受け容れ、両立させる。平田戯曲の言語性と、三条会の存在感といった両者のズレは自ずと顕れるだろう。

 もう一つの基盤として不動の存在を示すのは共通の舞台装置——正方形に並べられた四脚の赤い長椅子、中央のガラステーブル、その上の呼鈴、観葉植物など——であり、いずれも作品の世界、即ち「サナトリウムの面会室」を舞台に、「死」をめぐる物語が展開されることの前提条件である。人物の行為ではなく、「場」の性格と、そこに流れる時間そのものがドラマであり、如何なる事件が起ころうと表情を崩さない。永遠に続くかにみえる時間の反復・円環にあって、変化を起こし得る可能性を秘めるのは誰かの「死」だろう。しかし、その死ですら少なからず前提として容認されている以上、淡々とたゆたう時空に同化せられてしまう。婚約破棄が、他患者の死が、男女関係のいろいろが、また『風立ちぬ』についての議論が懸命にされようとも、一切は劇的な萌芽に発展することはなく、ゆっくりと流れつづける長く無稽な時間の些末な通過点として、サナトリウムの時・空間が常に相対化していく。患者も、世界を支配する法則の一つとして死に至る流れを受け容れている。受け容れようとしている。そこではサナトリウムという「場」と「時間」自体が主役となる。サナトリウムの人びとの感じる、あるいはそこに流れる時間——「下」と比較される半年の長さなど——、リズムのない、連綿とした時間を繰り返す虚構の日常、与えられた自由による時間感覚の喪失。すべてを強制的に押し流し、それは否応なしに刻一刻と進む、「死」の風であるかも知れぬ。自己は「三週間もいたら」飲み込まれてしまう。意識できるのは黒百合やアザミが咲いたといった自然界の時間である。病が人間の時間・行動を制限し、限定された空間に無制限な時間が流れる。それが、原作『S高原から』の世界なのだった。

 三条会組『ニセS高原から』の表面上には、一見過剰とも云える存在感が横溢し、『S高原から』的な一切は背後にうっすらと浮び上がらせられる。舞台上を流れる風は、一度の例外を除いては、常に下手から上手への一方通行である。入り口から病棟へ。冒頭では医師、松木義男(岡野暢)が下手から上手へと幾度となく横切り、ループする日常的な時間を約束事として視覚化する。松木は終幕近く、藤沢知美(寺内亜矢子)に追われ走り抜ける。他の人物も走る。それまで人物の移動は舞台の後方にほぼ終始していたが、手前の椅子の上をドタバタと駆け抜ける。幕切れに向かって、劇時間は加速する。関美能留は、時に走り、時に立ち止まりもする個々の人物の主体とは別に、等速で一方向に進む客観的な時間軸と、その上を大きく波を描いて交差しながら進むもう一つの時間世界を描きだした。それは時間だけに止まらず、書かれた台詞(=言葉)と舞台上に顕れる演劇的表現の関係でもあったと云えよう。

 「現代口語」的話法から、「強く、速い」三条会特有の台詞術まで、乱発される「どうも」など、極めて抽象度の高い平田戯曲の台詞が様々の位相で語られ、また歌うはずのない、躍るはずのない戯曲で歌い躍る俳優の身体が放出する、過剰且つ豊かな「音」世界が、逃れようもない戯曲の基調音として横たわる「死」——狂騒の陰に、「死」へと向かう静けさを逆説的に暗示する。俳優・照明・音楽のボリュームが、水面下に何かを感じさせる。人物の興味は内へ内へと集約されている。舞台上に見える景色としては、中央に置かれた呼鈴に対する異様なまでの執着であり、その一方で外へ外へと広がり広がる衝動が、俳優の身体を突き動かしている。面会室での話題には、積極的な回復の発言はほぼない。殆どが誰かの「死」という結末であり、ここでは他人の死すら円環の中の一通過点でしかない。病気や死を語るのは「言葉」でなく、流れる時間と場の性格によってである。笑いによる病の治癒効果なども昨今頓に交される議論の一つであるようだけれど、幾度となく爆発する哄笑は、「死」のイメージが浸す時・空間に対抗する「生」の意思表示でもある。死と向き合わざるを得ない人たちの生に対する衝動。絶望の果ての明るさ。高原をかける、最後の夢——。

 療養所の秩序立てられた時間は、三条会組の舞台において、あるとき突如として混沌の中に投げ出され、断絶する。わかりやすい具体例を挙げてみよう。ジュースを頼まれた看護人の川上(久保田芳之)が四つ並べたジョッキにジョウロから水を注ぐ。その間、それまでの会話は中断され、一同、川上の行為を凝視する。ゆるゆると流れる連続的時間は断ち切られ、間隙にグイと押し広げられた一瞬の時が拡大、挿入される。そして何事もなかったように時は動き出す。対話や言葉からではなく、人物の行為・行動を通して均一な時間に対するフェイクがかけられ、生の光量をあげる。また西岡、前島、吉沢兄妹の対話場面では、榊原毅(西岡隆/吉沢茂樹の二役)、大川潤子(上野雅美/前島明子/吉沢貴美子の三役のうち、ここでは雅美、貴美子の二役)の二人が繰り広げる言葉、そして声の鬩ぎ合いに強力な磁場が発生する。時にスピーディな落語とも思わせる、「二人同時一人二役」は、行為としては過剰この上ない。平田オリザ『S高原から』は、噂を介して、孤立する人びとの関係性が紡がれていた。死へと収斂され、様々な情報を無化するサナトリウムの時・空間では、話されている内容よりも、誰が、どのように意思疎通を図るかということが問題になる。言葉は何を伝え得るか。平田オリザが言葉においてそれを乗り越えようと試みたとすれば、その意味で、平田オリザと関美能留の求めるものは、遠くないのではないかという気もする。関美能留はそうして書かれた言葉に、逆に過剰な行為をぶつけ、『S高原から』という時間と場が示す内容自体よりも、表象のされ方を問題にする。書かれた言葉そのものが過剰なのではない。誰がどのように、そのことについてしゃべり、どう伝わるか。鎮静化された台詞を語る俳優に過剰な行為を課すことによって、主体的な人間の在り様が描かれていた。

 関美能留の言語外表現の手腕は新たな出会いによってレンジを広げた。水平に歩む平田戯曲の言葉の世界と、垂直に起る、存在そのものが雄弁である世界。それらを束ねる編集感覚の妙は屈指である。眼に鮮やか、耳にも愉しい。また幾層にも重ねられた仕掛けに笑いながら、うっとりと劇宇宙に身も心も委ねることだってできる。言葉や感情とは無関係にも見える身振りや台詞回しは、むしろその差異によってわたしたちの心に強く迫るのである。これまで一晩限りの舞台が多かった三条会にとって、連続ではないにしても一ヶ月以上の公演期間という長丁場自体が、特殊な時間でもあった。『S高原から』という劇時間が、三条会の現実時間に作用したと考えてみてもおもしろい。時間が既に、絶対のものとして視聴覚化されているその上に、何を置いていくのか。時間を超え、空間をも超えてそこにいる、夢幻のごとき俳優たちの、誰憚ることのない笑声と、その直前まで対象に注がれる眼差しには慈愛をさえ感じる。たとえば佐々木久恵(舟川晶子)が村西(中村岳人)に、大島良子(立崎真紀子)の結婚話を告げる場面。本来であればそこにいるはずのない人物たちが舞台上に残り、佐々木・村西の対話を注視、悪い報せに混乱する村西の返答ひとつひとつに劇しい笑いを以て応ずる。決してリアルではない。しかし舞台全体が織りなす滑稽と悲哀が一入も二入も深まり、胸を衝く。俳優たちが何かを食い入るように見つめる表情、緊張が弾けるまでの空白の「待ち」時間。わたしたちをどうしようもなく支配し、反面、まるで無関係のように在る絶対の時間は、伸縮する劇空間によって一瞬、壁を破られた。死の恐怖とは、誰かの死など一切関わりなく、どこまでも続くであろう現世の時間にある。余人は知らず、少なからずそう感じる筆者にとって、たしかにそこには救いがあった。(後藤隆基/2005.9.19/こまばアゴラ劇場)


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August 31, 2005

三条会 『ひかりごけ』

 長野市の東南、JR長野駅から鉄道を乗り継ぎ山間を抜けること数十分、そこに松代町はあります。19世紀に幕末の雄、佐久間象山の提唱から建設・開校された松代藩文武学校内の槍術所で、三条会が代表作である『ひかりごけ』を上演しました。まつしろ現代美術フェスティバルの一環である「まつしろ現代演劇プロジェクト」の招待公演ということで、会場となった文武学校内の諸施設にはさまざまのアート作品がならんでおり、歴史ある町を舞台に現代文化の集う、興味深い催しでした。とはいえ、公演は遥か去る7月17日。三条会は、新作『ニセS高原から』の初日をすでにあけてしまいました。度重なる度を過ぎた遅筆にもはや言い訳も尽き、以下レビューです。

◎微笑の向うにみえるもの

 三条会はこれまで本当にさまざまの場所で公演を重ね、そのたびに場との闘いを制し、そこでしか生きられない白眉の作品をつくってきたが、今回『ひかりごけ』を上演した松代藩文武学校内槍術所も、「演劇」のために建てられた空間ではない。異質なものとの出会いを肯定し、その距離が隔たっていればいるほどに燃えるような三条会の演劇。劇団のスタンダードとも云うべき『ひかりごけ』を、場との化学変化によってさらなる深み(高み)へと到達させた。そこにみえたのは、場や俳優を介して示された虚構が、原作から現代までの時間的距離や、物語生成の過程そのままに舞台を駆け抜ける、新しいドラマツルギーの姿である。

 聊か恣意的な臭みが鼻につくのをおそれずに、原作前半部の紀行文を援用してみたい。『ひかりごけ』において人肉食が主題化される要因である「ペキン岬の惨劇」。実際に起きたという出来事を、村の年若いS青年が「羅臼村郷土史」の一項を割き、「難破船長人肉食事件」として記録した。その末尾に記されたS青年の、「船長が西川を、食べる目的で殺した」という「恐る べき想像」――当時の人びとにも「あまり歓迎されそうにない題材」――に、武田泰淳が「文学的表現」を与えるため「読む戯曲」という形式を選ぶ。作家が机上に「上演不可能」と断じた戯曲『ひかりごけ』を、今度は演出家(読者)である関美能留が上演すべく演劇化する。大まかに云えば、『ひかりごけ』の世界は、直前に示された思想を受け、変化させながら、積極的な虚構を配置して軸をずらし、改めてその場の全体を考えることで成立してきた。そして、事件→記録→文学化→演劇化の過程を支えるのは、各々が人肉食というモチーフを見据える現実的な問題意識と、己の実生活や感情との距離感覚を手放さない、真摯な姿勢である。

 事件の発生地は羅臼村ではなかったし、船長は羅臼の出身でもなかった。にもかかわらず、「ムラ」という極めて内閉がちの共同体社会で、このような事件が郷土史に収められたのは、編纂にあたったS青年にとって「人肉喰い」とは実感困難な、意識の外側に在るものであり、伝統的村制度からも世代的な距離のある立位置が、事件に対する客観の視座となり得たからに他ならない。武田泰淳は、マッカウシ洞窟で「ひかりごけ」をみた回想的紀行文を枕に、事件が記録化される過程を描写した後、大岡昇平『野火』や野上弥生子『海神丸』を引きながら文学者としての分析を試みる。そして、曰く「苦肉の策」たる「読む戯曲」との二部構造にすることで、小説でも戯曲でもない(あるいは「でもある」)、実験的とも云える文学の創造をめざした。一々の濾過装置を伴って、前項に記された事象を相対化しながら積みあげられて生れた『ひかりごけ』が関美能留の演出によって舞台化されるとき、これはドラマツルギーに関わる問題提起を大いに孕んでいる。たとえそれが作者によって、挑戦とさえ受け取れる「上演不可能」の刻印が押されようとも、戯曲が演劇と関わるものであり、演劇が舞台ありきの表現形式であるならば、俳優の身体というフィルターを通してはじめて、「読む戯曲」である『ひかりごけ』の先にある、総体としての『ひかりごけ』が発見されるんじゃないか。そして読者(演出者)の向こうに当然予測されるであろう「観客」の姿をも浮かび上がらせるのだ。

 多く過去の戯曲を舞台化する場合、どうも言葉や観念ばかりが世界の中心に居座り、俳優がそれを動かすことができぬ非力を、物語の類型に当て嵌めた社会状況としての付加価値を以て整理してしまうきらいがあるように思う。過去にある出来事が起こっていたとして、わたしたちがいる進行形の現在との距離は遠ざかってゆくばかりである。そもそも、「ペキン岬の惨劇」と名づけられる以前、第五清神丸が羅臼北方五十五キロの海上で難破し、船長が救助されるまでの間に何が起こったのか。その時間は、もはや船長の体験の内にしかなく、しかしたった一人の生存者である船長の「陳述」や「告白」の真否を誰も証明なぞできないし、共感を持って語ることができよう。現代を生きる三条会の人びとが、異質と感じるものとの出会いから徐々に事の本質へと迫るとき、人を食べた、あるいは人に食べられたことのある者にしか裁かれたくはないという船長の不可解な言葉や、法廷にいる人びと同様に観客にも見えぬ光の輪を、同じく現代に生きるわたしたちは認識する。特異な『ひかりごけ』の世界を現前させるための必要不可欠の条件が、読者(演出者)を経由したところに立つことのできる、戯曲の言葉・世界と拮抗し得る俳優の存在なのだった。

 俳優、ということに思いをめぐらすに、予てからどうもあの「微笑」が気にかかっている。微笑みは、精神、肉体の緊張を緩める作用もあるに違いないけれど、プロットに即した心理表現としての笑いはとまれ、様式的な所作の内に笑顔をみせることはなかったのではないか。恰も自分たちが舞台に息を溶かしてゆくための構えであるかのように、外部世界と相対する決意の顕れであるかのように、俳優たちは微笑みを浮かべ客席の方角を凝とみつめている。大川潤子、榊原毅は口元をキッと結び、静かに口角を持ちあげる。語られる言葉は、さまざまな役柄を演じ分けながら、静と動の間を自在に往還する。中心的役割を担うことの多い二人の、凛とし且つ不敵な微笑をはじめ、橋口久男、中村岳人、岡野暢、舟川晶子らのそれぞれ個性あふるる微笑の裏には、余程、精神の豊饒が秘されているだろう。そこから発せられる身体衝動の緩急は、劇世界そのものまでも変容させていくのである。

 教室にどこかしら夢のように現れる転校生(大川潤子)は、学校という秩序だった空間に対する異物としての役割を担うだろう。教師(舟川晶子)が生徒たちの名前(それぞれ俳優の本名である)を読みあげ、出席をとる。生徒は美しい転校生と握手を交わし、彼女の存在にほとんど心奪われながら、返事をする。授業のテキストとして配られた『ひかりごけ』を、時に教師の「お手本」的な朗読も挿入されながら読んでいく。そこではまず、「読む」という外的な行為が、まず約束事として客席にも諒解させられる。ニュートラルな状態から劇世界に入っていくための前提が仕掛けられているのである。はじめは、テキストの外在性を示すように、授業なのだからと詮方なく「読まされる」音読に過ぎなかったのが、読み進むうちに「朗読劇」然とスタイルは整い、あれよとばかりに新しい世界観が構築されていく。三条会版『ひかりごけ』にみえるのは、人間の身体が言葉を媒介にして劇世界に住みこんでいく、その変異の道すじである。そうした過程の中で俳優の身体が発する活力の振り幅は限りなく大きい。一等早く机に立上がり、五助――彼は戯曲中でも最初に命を落とし、舞台からも居なくなる――として言葉を語りだすのは岡野暢である。次に八蔵へと変身する中村岳人の緊張状態への移行は目に見えて鮮やかだ。隣席の榊原毅とふざけ合いながらも教師に促されて『ひかりごけ』の言葉を口にし、五助=岡野と対話するうちに、しだい笑顔が消えていく。見開かれたその眼は正面を凝視し、机に上りはじめる。と同時に、教室の内(=舞台)を回っていた科白が外側へと放出される。客席に向かって語られていく。三条会の美少年担当(?)、橋口久男が西川化を果たし、やがて、検事(大川潤子)と船長(榊原毅)による法廷の場に向かうと、類希なるダイアローグと音楽にも導かれ、劇温度はひとつの沸点に到達する。

 『ひかりごけ』における「出席をとる」という趣向は、奇を衒った飛び道具ではない。たとえば『若草物語』(2005年2月、ホール椿)にみられた独特の「名乗り」も一種の変奏だった。他者に名前を呼ばせ、自分の存在を明らかにすべく返事をする。あるいは本名を名乗らせることで、虚構の在り処に揺さぶりをかけながら、現代演劇において失われた記名性を再考していく。三条会という集団の関係のなかから、夫々自立した個が立ち上がっていく過程をもみることができる。その人がいる。俳優たるその人がいる。俳優たるその人が舞台に立つ。俳優たるその人が舞台に立ちそこでまた別の役を生きる……。連綿とつづく身体意識の環があって、舞台に俳優が生きるに抗えないであろう、あらゆる粉飾のうちにたしかなことは、「その人である」という一事に他ならない。一人一役に縛られないスタイルも、自意識の所在を絶えず問うものである。俳優には余程のものが求められているに違いないが、それを体現してしまう三条会は、やはり見事である。

 松代藩文武学校という150年の歴史を内包する場所が、『ひかりごけ』に新たな霊力を加味していたことは、今公演の眼目の一つである。かつて槍術(武術)指南の場として在り、その形をとどめる木造建築に対して三条会は、「学校」という、云わば近代的な「文」の学舎を趣向として織りあげた。机と椅子しかない舞台。視界には、俳優と、場所が景色としてあるばかりである。恰好の場所を得、雰囲気だけでない空間との共生を可能にしたのは、俳優の力強さだった。閉めきられた場内、汗を流す俳優同様、観ているわたしたちも汗ばんでくる。しかしそれがまったく不快でない。渦巻く熱気は夏日のためばかりではなかった。生身で体感する演劇の波動に、何度背筋をゾクッと冷気が走り、肌が粟立ったことか。湿った木の匂いとともに、今なお皮膚が記憶している。光と影を自在に駆使し、肉体と空間の関係性を巧みに視覚化する照明と、際だってすぐれた空間構築や戯曲解釈はもちろんながら、俳優――というより、人間中心の舞台設計が三条会の根幹なのだと、あらためて気づかされる。俳優の力量はすでに喧伝されてきたことだけれど、より一層、全体の活力が増したように思う。以前に増して、俳優たちの身体が一回り大きく見えたのは気のせいだったろうか。まず微笑、あらゆる過程的なものを経由しながら、なお微笑みつづける先に、力強くも軽やかに遊ぶ三条会のドラマの真髄がある。そして微笑をはさんだこちら側、観客は、否応なしに劇世界の内へと導かれていく。観念肥大を拒み、具体的な描写を避けたところに、唯一残された生身の人間が放射しているもの。それを視覚化する作業によって融和せられる、舞台と客席、ひいては俳優と観客の境界。それに伴う意識の交流は、まさに体感する演劇として、わたしたちを魅了して止まない。(後藤隆基/2005.7.17/松代藩文武学校槍術所)

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June 08, 2005

三条会 『メディア』

「〈犯罪〉をテーマとするギリシア悲劇特集」と銘打たれた Shizuoka 春の芸術祭2005が、静岡芸術劇場と舞台芸術公園にて、5月から6月の毎週末に開催されています(6月18日まで)。鈴木忠志を中心に、若手演出家がさまざまのギリシア悲劇から「現代」を読み解かんとする、たいへん興味深い催しとなっております。過日、三条会がエウリピデス原作の『メディア』を上演しました。本当に本当に、本当に遅ればせながら、公演評です。

◎関美能留の〈時間〉感覚

 古典劇といわれるギリシア悲劇の一つである『メディア』。その三条会上演をみるわたしたちは、それを「古典」だと感じただろうか。「男と女の愛の抗争」とか、「母親が実の子を我が手で殺し得るか」というような議論でなしに『メディア』を描き切ってみせた関美能留の演出。特殊なある「場」を設定し、その状況下で演じられる必然としての「ギリシア悲劇」の物語から、普遍性とかを抽出するのではなく、徹底して無限定の素舞台に配置された俳優が「それを語る」行為自体に意味性を強くする。「メディア」というヒロインに主導されない一人複数役と複数人一役は、集団としての全体性をより高め、また舞台空間との関係のリアリティーによって、舞台上にはいくつもの時間が同時進行していく。一つの科白の流れ(『メディア』というプロット)に対して、原作とは別の感情が発生し、身体を伴い併走する多様なレベルの時間を以て、新しいギリシア悲劇の上演というにとどまらぬ、演劇という表現の新世界を織り上げたと云っていい。

 まず舞台には、赤やピンクを基調に道化めく衣装をまとった三人の女優(メディアである)が、各々包丁を握り締め、身構えるようにして立っている。上手奥・中央・下手手前と、舞台の対角線上に示された座標、その三層のラインに沿って、上手袖から三人の男優が、科白を語りながら舞台を横切っていくわけだけれど、彼らは局部を手で隠しただけの全裸である。のっけから平手打ちを食った観客は、さらに彼らがメディアの前に差し掛かった途端に刺し殺され地に伏すのを見てまたショックを受ける。トすぐさま起き上がり、下手へ向かう男三人。再び現れると下着を穿いており…と、強烈かつ鮮やかな幕開きに心はがっしと掴まれる。上手から下手、下手から上手の往復は繰り返され、一旦袖に消えるごとに下着・シャツ・ズボン・上着を身につけていく過程は堆積する歴史(=時間)のイメージを示唆しつつ、「殺す/殺される」というモチーフは幾度も反復される。

 関美能留は、物語の生成過程で粉飾を施され、複雑化した「犯罪」を、まず行為そのものにまで単純化する。その上で、原作とは異なるレベルの時間を構築していく。その後も賑々しく展開する三条会『メディア』における、「殺す(/殺される=待つ)→踊る」という鍵言葉は、たとえば「なぜ踊るのか」という疑問符を、「なぜ殺すのか」に転化する力業でさえある。外的特徴ではわからない、不可解な人間の内面。思ったことは口にせず、台詞とは裏腹の隠れた心理的対決により展開する演劇が、近代以降の人間・世界の捉え方だったとすれば、ここではそうして表象されない意識をこそ、視覚化する。人の心の深さ、異様さにつれ、舞台上の違和も深まる。外見が抽象に近づくほどに、現行の一般概念としてのリアルは失われてしまうだろう。しかし、どんなに物語を劇中劇として構造化しても、それは「物語を覆う物語」という枠組みによって結局は物語に回帰してしまうし、政治性や権威から逃れられない。とすれば、「とき・ところ」の明示されない劇空間は、劇構造そのものに対する問いかけであり、挑戦なのである。

 背後にどこまでも広がる闇を背負う、夜の野外劇場。照明により拡大縮小し、自在に姿を変える舞台空間は、やがて光と荘重な音楽に包まれながら、使者がクレオンと彼の娘(イアソンの婚約者)の死の顛末を、いかにも「悲劇的」に語る。力強い俳優の身体、声を借りて、それは美しい一遍の叙事詩のごとく闇に響き渡る。言葉は途切れ、子供らの殺害が一瞬で行われた。そして、再び全裸になった男たちの演ずるコロスが、神を讃える一節を語りながら上手へと消え、夜の帳がしめやかに落ちてくる。円環構造まで用意しながら幕切れに収斂されるスピード感は圧巻の一言。メディアの行先を携え、事件の契機をもたらしたアイゲウスのコリントス来訪は、「子宝がどうすれば得られるか」というアポロンの神託の解釈を求めるためだった。予言の神アポロンは、光の神であり、また夢や空想世界の仮象をも支配する。「神々は思わぬでなく、事々を成したまう」。一見「ギリシア悲劇」らしからぬ仕方を横溢させ、経過しながら、「神」という、それこそ現代を生きるわたしたちにはいかにも理解し難いであろう神話にまで、観客を導いてしまった。

 多くギリシア悲劇は、登場人物の言葉によって—時として「神託」や「予言」という形を借りて、未来が暗示される。そうなることがすでに予想されており、定められた運命に誘われるように、先見された未来が実際に現れるのを待っている。そうした意識の流れは絶えず不意打ちされ、表面的な違和は、従来の価値体系に慣らされたわたしたちの感受性を刺激して止まない。その衝撃の連鎖が四拍子的な型にはまらない、一拍子とも云うべき可変の劇時間をうみだすのである。パターン化された時間を批判しながら、等間隔・順列の時間概念に待ったをかける。一回性とも呼ばれ、行雲流水が必定の演劇、あるいはわたしたちの生において、いかに絶対者たる「時間」とたたかうか。思えば、一時間の上演時間に大真面目に挿入された「三分間の休憩」—山口百恵、MCで「青春」を語ること—さえも、始まれば終わるまで止まらず、また過ぎて帰らぬ時間をせき止め、劇時間に揺さぶりをかけることに成功していた。観念や思想云々といった何ものかを具象として物質化し、且つまた、〈時間〉をも目に見える形で現出させてしまう。

 いかにギリシア悲劇がすぐれているとて、それを読むこと、解釈することは、すでに認識された「過去」の再理解に過ぎぬ。どんなに「何を云わんとしているか」を問うたところで、極言してしまえば「過去」を得るばかりなのではないか。括弧だらけで恐縮だけれど、たしかに「過去」なくして「今」はなく、その「次」も存在し得ない。現代演劇は「過去」を「今」に持ってきた、さてその後は…。考察・検証を経て、次の時間につなげるためにはどうすればいいのか。どのような演劇をつくっていくべきなのか。わたしたちには「いま」、それが問題となるように思えてならないのである。

 休憩を挟んで、音楽に弾ける賑やかな群舞があった。その最中、音楽は止み、ほかの人物が動きを止めてもなお、衝動がはみ出すようにして踊りつづけたあの明るさに、しきりと心救われる思いがするのだ。前衛などもはや無きに等しい今、正しく前衛精神を持って、なおかつエンターテイメントたるを忘れない。賢しらを気取って「ギリシア悲劇的」な物言いをするならば、アポロン的な理知と、ディオニュソス的な狂騒という二つの顔が綾なす舞台、そこに前衛性と大衆性は必ずや共在する証を見た。「過去」を知り、「現在」を賭け、「未来」を生きようと走る関美能留の、〈時間〉と対峙し、超克しようとする意志に裏打ちされた三条会『メディア』は、何か新しい演劇のイメージを、たしかにつくりだした。躍動する俳優の身体そのまま、さわやかであり、極めて健康的。己の貧しいながら観劇体験を総動員してみても、やはり稀有と云わざるを得ないのである。(後藤隆基/2005.5.21/静岡舞台芸術公園 野外劇場「有度」)

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June 07, 2005

新国立劇場 『箱根強羅ホテル』

 前作『円生と志ん生』から三月、早くも井上ひさしの新作が新国立劇場中劇場に御目見え。例によって、と言ってしまえることがもはや「事件」なのだけれど、遅れはともあれ、その筆力には脱帽の一語。さて肝心の作品は、といえば、おそらくは「昭和庶民伝」から「東京裁判三部作」へとつながる系譜を引きながら、歌と笑いの機能を練りあげ、高めていった秀作。作家の熟成を感じさせる一本である。

 昭和二十年。箱根強羅ホテルにソ連大使館を再疎開させる動きが持ちあがり、それにあたって従業員が集められる。近眼・やぶにらみ・幼少の事故と、さまざまな理由で眼に不自由を持つ男三人、図書館員、戦地帰りの植木屋に女子工員たちが担うは靴みがき係、アイロン係、洗濯係、植木係…。外務省の思惑は、ここ箱根強羅ホテルを舞台にしてモスクワルートの和平交渉を進めること。やがて、和平交渉派と、軍部本土決戦派との駆け引きが展開していく。

 心理的な意味/主題としても、また舞台に具象化される仕掛けとしても、『箱根強羅ホテル』を読み解く上での重要な鍵言葉は「見えない」ことである。「見える」と思っていたことが「見えない」。よく見れば見えたはずのことが見えていない、あるいは見ようとしない。全体を包み込む「○○、じつは△△」式の二重構造は、最たる例証といえよう。新国立劇場のシリーズ「笑い」における最大のハイライトともいうべき第二幕冒頭、スパイの正体が次々と露見していく場面では、それが笑いの文法として活きた。「見えていない(=ばれていない)」と密談をつづける彼らの背後に人が集まり、万事発覚、お手上げへとなだれ込む絶妙なテンポは手練手管を知り尽くした作者ならでは。それらをすべて覆う観客の視線までもが一つの劇構造に組み込まれ、舞台と客席の交感により構築される劇的宇宙が見事に炸裂した。

 軍部の作戦にも笑いのペーソスは横溢する。「海軍マムシ作戦」や「H弾・H剤」をはじめ、珍妙な作戦が陸海軍によって語られ、笑いを呼ぶ。アメリカ軍の艦砲射撃を防ぐために陸軍本隊を海岸線から40キロ、山梨にまで後退させ、「これなら砲弾も届かない」と高笑いする軍部の「秘策」はもはや笑い話。状況しだいでは、天皇を長野、朝鮮、満州へと移し、「陛下のいるところが日本なんだよ」とあくまで戦う、そうすればそのうち敵も飽きて引き分けになるとのたまうなぞ噴飯物である。がしかし、「作中に登場する本土決戦用の珍作戦は、すべて実在したもので、作者が勝手に捏造したものではありません」という注が振られているように、一切が紛うことなき事実。冗談としか思えない作戦が、大真面目に考えられ、それを心底信じていた。大真面目に、そして誠実に、それが何より切ない。現代を生きるわたしたちの地平から見れば、「馬鹿」なことである。いま本気でそんなことを考えている人がいたならば、間違いなく精神病院にでも入れられるだろう。けれども、そうすれば勝てる、大丈夫と信じた人びとがいた。「国」を思う気持は、その仕方の差異こそあれ、変わらないにしても、「信じることと冷静に分析することは別のもの」という一言に尽きるわけだ。

 信念や希望は時に人を盲目にさせる。「勝てるはずだ→勝てるかもしれない→勝てる→勝つ!→バンザイ!!」という「手前勝手の四段活用」を駆使して、人は生きる。スパイ三人衆が眼を病んでいた(振りをしていた)ことも、見える/見えないことのメタファとなろう。しかし、目が曇っていたのは果たして戦中に限ったことだろうか。井上ひさしは、戦後、目をつぶって、今なお過去を見ようとしない日本人を、絶えず言及してはこなかったか。ロシア人学校の生徒たちが書いた作文、「忘れられない光景」が、それぞれの瞳に刻み込まれている。「記憶の畑を耕そう 時からこぼれ落ちる一瞬、の、光景集」。かつて「時代と記憶」をテーマにした小劇場での新作五作品連続をつなぐコピーである。記憶しつづけること。それはしっかと見ることであり、また、歌うことでもあった。

 劇中歌は相も変わらず秀逸である。宇野誠一郎はもちろん、チャイコフスキー、ベートーヴェンからリチャード・ロジャースまで、日本語詞を西洋の旋律に乗せる業はお手の物。リチャード・ロジャースの "The Girl Friend" から生れた『まかふしぎなパジャマ』は、少女の喜びと安らぎを歌う佳曲である。また、姉弟の二十五年ぶりの再会を演出した『鬼ヶ島の子守唄』にみられる、歌による記憶の共有。『暗号歌』は笑いとともに「軍部」という特殊な所属を確認する。『勝利の日まで』は、身分・立場・思想の違う人びとを、「一億総心中」へと収斂される「日本国民」としての共同体意識につないだ。それはあたかも「天皇陛下」の一言に姿勢を正すように。井上戯曲における「歌」は、メッセージ色の強かった近作に対して、感情の高まりや、意識に訴えかけるものが増えていた。ドラマ・ウィズ・ミュージック(=音楽を伴う演劇)」を旨とする井上芝居の熟練スピードには目を見張るばかりである。

 今作の最大の功労者は梅沢昌代である。と思わず言い切ってしまったが、後悔はしていない。彼女なしに、『箱根強羅ホテル』は井上作品として最低限のラインを超え得なかったと言って過言ではあるまい。この劇に主人公(のようなもの)がいるとするならば、麻実れい演じるロシア語教師、山田智恵子だった。日本人(こちら)とロシア人(あちら)との混血(半々)である彼女は日露関係の楔となるよう位置づけられていたし、また、劇中歌も多くソロパートをあてがわれ、劇の中心として屹立すべきだったろう。しかし、井上作品初出演に加え、台本の遅れによる稽古の不備など、もう少し時間があったらな、仕方ないのかなとつい思ってしまう事情は鑑みた上で、舞台に立つだけで凛とした空気を放つ風格は流石ながら、やはり台詞がぼやけ、対話に勢いが足りない。逆に、梅沢昌代は井上作品の常連も常連、こうした状況は幾度もくぐり抜けて来た経験もあるにしろ、緩急自在の台詞術、他俳優との連携を巧みに主導し、劇空間を縦横に疾駆する。梅沢昌代の身体のリズムは、井上芝居のリズムに本当によく似合う。俳優と作品の幸福な出会いとは、こういうことを云うのだろう。ただ、少しばかり「よ過ぎた」ものだから、麻実れいを食ってしまったことは否めない。二人の絡む場面では多少抑えた印象もあったが、全体として、完全に劇の軸になっていた。バイプレイヤーが主役以上に輝いてしまう、それはそれで問題なのである。けれども、段田安則ら巧者も光り、また新境地を開拓した感のある内野聖陽も好演、中劇場の広い空間を、何とか調和させることに成功していた。

 井上ひさしは、「あの」ラジオ放送を境に変転する「日本人」の姿を描きながら、「1945.8.15」という刻印を舞台に乗せない。そこに至る「オキナワ/ヒロシマ/ナガサキ」を悲劇の現場として用いない。これまでの作品では、幕切れのその先に暗示される登場人物の運命は決して明るいものではなかった。希望は示唆されながら、常に、不安や不吉さが立ち込めていた。けれども、『箱根強羅ホテル』には、必死で生きていく人びとの光がある。前線へ飛ばされシベリアに送られた稲葉陸軍少佐、任務中に負傷し軍の病院に入院した岡陸軍軍曹と三浦海軍少佐、進駐軍にくっついてジープに乗り込んだ三人娘…。明るい未来ばかりではないにしろ、前向きに生きる術を得た登場人物の笑いによって幕は下りる。それをよしと見るか否か。観客の胸にのみ、答えは在る。(後藤隆基/2005.6.7/新国立劇場 中劇場 [PLAYHOUSE])

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May 12, 2005

文学座アトリエの会『ぬけがら』

 名古屋の劇団B級遊撃隊を主宰する佃典彦の新作を、劇団内外で活躍する気鋭、松本祐子の演出で。5月10日(火)~22日(日)。信濃町・文学座アトリエにて。以下公演評です。

◎昭和は未だ遠くあらず

 このところ、「平成」という今日を暮す日常ある家族模様に「昭和」を侵入させ、新旧の交点から現在そして未来を見直す契機とする、そんな演劇作品が目につく。暦が平成に改まり早十七年。明治が大正、大正が昭和ほどの変化があったのかしらん、などとさかしらを決め込むつもりはなし、感慨深げな顔をできるようなご身分でもない。しかし、とひとまず。歴史には常のこと、旧体制と新体制の転換は軋轢を乗り越えながら進展してきたが、状況はさして変わらないのじゃないか。技術は進歩したけれど……などと訳知り顔の紋切りを打ってはいけない。いけないが、「昭和」の際限ないエピローグとして「平成」が存在しているかにさえ感じられる、それはそれで確かなのだ。文学座アトリエの会で上演された『ぬけがら』も、そんな舞台のひとつと言っていいかも知れない。

 ほとんど痴呆状態の父親が、母親の葬式の翌日に突然脱皮し、二十歳ばかり若がえる。まるでセミのように脱皮を繰り返し、そのたびに若がえっていく。挙げ句にぬけがらたちが踊りだす。カフカや安部公房を思わせる不条理が視覚化されるが、主人公を筆頭に家族の反応は何となく中途半端であり、案外自然な装いで日常に織りこまれていく。そうしたリアルとフィクションの危うい処理に面白みがあったけれど、折角の趣向も最終的には平凡たる家庭劇の枠内に止まってしまった感は否めない。また、夫婦の離婚問題が物語の中でさしたる働きを見せないこと、軸となるべき夫婦関係の後先が今ひとつ描き切られていなかった点が残念でもある。

 表題にされた「ぬけがら」。脱ぎ捨てられた現在はすぐさま過去の残骸となる。やがて過去は動き出す。戦後60年にあたる今年、第二次世界大戦の記憶は、作中たしかに或る影を落としていた。脱皮と若がえりによって、過去(父親)が、現在=未来を経験する。それは、死者との対話から現在(主人公)が過去を知る手つづきでもある。「ぬけがら」と「ぬけ出た」自分という、父親が経験したような自己同一性と時間感覚との歪みに、何かしらの議論が必要だったのではないか。脱ぎ捨てられ、日が経つにつれて匂いを発する「ぬけがら」たち。「ぬけがら(=過去)」はどんどんクサくなる。気になる匂いにはファブリーズ。洗濯もしてみる。匂いは消えない。誤魔化せない。「昭和」を次々に巻き戻し、両親の出会いにまで時は遡る。「奇跡と宿命」に彩られた自分の誕生秘話。しかしそれらが主人公の明日に大きく活きない。結局は何も変わらないのだ。

 松本祐子の演出は、主人公と浮気相手のもつれや離婚をめぐる夫婦の口論などの心理的対決を、行動と観察の関係から生じる沈黙を巧みに利用しながら、劇的対話としてより緊密な時間に仕立て上げていた。特に主人公の妻、美津子役の山本郁子が近作以上の好出来。台詞もよく回り、いわゆる新劇調に終始してしまうやや冴えない男優陣の中にあって、一人気を吐く。浮気相手の奥山美代子も静かな強さが滲み出ていたし、母景子を演じる添田園子の大らかさもいい。舞台装置もディテールにこだわったアパートの一室を再現し、戯曲の奇妙な事件を対比的に包み込むが、そのリアルが勝ちすぎてしまったところに、物語の弱さもあるのかもしれない。(後藤隆基/2005.5.11)

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March 01, 2005

三条会 『若草物語』

 三条会が新作『若草物語』をひっさげて本拠地である千葉公演に臨んだ。所属俳優全員が顔を揃え、多彩なゲストを迎えた豪奢な華やかさ。また先達て関美能留が千葉市芸術文化新人賞を受賞したばかりということもあり、話題性は抜群、どうにも期待せざるを得ない。春も間近いホール椿。いざと心構え、不意打ちは重々覚悟ながらもやはりあれよの大展開に圧倒され、しかし気がつけばすっかり『若草物語』の世界に引きこまれてしまうのだった。

 三条会のつくる演劇は場の性質を最大限活かす空間処理が特徴的であり、劇場や舞台構造など、空間そのものを劇的な武器として、そこに俳優を配する位置関係を含めた体系の創造に魅力のひとつがあると思う。『若草物語』の舞台は昨年の公演に見たような自在な立体感を脇にのけ、奥行きわずか六尺ほどの横長の舞台、しかも背後には真っ白な壁というあからさまに制限された場所。俳優は常に下手から現れ、舞台の中心を行き交い、下手に引っ込む。花道もある。プログラムには歌舞伎への意識が綴られていたけれど、舞台作法を見ていればたしかに歌舞伎である。恰も『青砥稿花紅彩画』の稲瀬川勢揃の場様に四人の男優が自分の本名を名乗り連ねてゆく場面や、冒頭の便所の場などに見える俳優の力強さは、相変わらず小空間を濃密な触感で浸した。

 と、ふと思う。ともすれば当たり前のように観てしまうのだが、俳優は異形の存在としてわたしたちの前に現れていること。人間であって人間でない、舞台にいる役者は普通の人間ではないという一点が、強く響くのだ。かつて(現在でも)リアリズムという概念は多からず舞台を生活という現実世界の再現と捉えてきた。そこで演じられる役柄は或る人生の物語における各々登場人物であり、彼らがどんなに劇的な台詞を口にしたとしても、それは現実感を伴う「人間」であることに変わりないだろう。描かれる物語が日常的な断片でなくても然りである。役に扮するということ。役を生きるということ。そもそも「役」とは何ぞやという疑問を、三条会は笑いのうちに提示してくれる。開幕時に戻れば、男たちの剃りあげた頭にはりつけられた色鮮やかな三つ編み。すでに役者は単なる人間の再現ではない。歌舞伎だとて、たとえば『暫』の鎌倉権五郎のような衣裳は実際あり得ない。江戸時代にだってあんなものを着ていた人間はいなかったろう。隈取りもまた。にもかかわらず、様式という一面、また視覚的な美意識においても、誇張された人間の姿は心理劇に流されがちのわたしたちに、感覚的な演劇の楽しみ方を伝えてくれる。それは心情を、科と白の裏に暗示するのではなく、本来不可視である意識を色彩豊かに視聴覚化する手段である。「暫く」の一言を云うためにあれだけの時間を費やす不合理も、意識と時間感覚の関係性の表徴に他ならない。俳優の身体を、抽象を具象化するよりしろとして捉え、現実時間に拮抗する体感時間をつくりだす。まさに三条会の演劇そのものの姿なのだと再確認させられた。

 『若草物語』の「世界」を味わうために、幕の効用というものも一考する価値があるだろう。舞台と客席が幕で仕切られることの少なくなった昨今の演劇事情は今更強調するまでもない。多くがはじめから舞台を見せ、開幕前の舞台に様々の仕掛けを施し劇世界を予め提示する。しかし、幕のあることは舞台とわたしたちのいる客席とが明らかに異質のものであり、その距離感覚は芝居を芝居として幻想の世界へとわたしたちを誘う効果がある。見えない幕の向こうの世界に期待は高まり、想像力も掻き立てられる。設えられた紅白の引幕が開く、文字通りの「幕開き」。トいきなり剃りあげた頭に色とりどりの三つ編みをぶらさげ、不敵な笑みを浮かべた四人の男が並んでいるという絵面の強烈なインパクト。そしてのっけからミュージカル。冒頭の衝撃は一気に劇の世界観を強制諒解させる。また上手袖では常に一人の女優が舞台の成り行きを見守っており、基本的には彼女が引幕を操るわけだが、三場構成の各場切れは舞台上で台詞が続けられるにもかかわらず、彼女の幕引きによって終点が定められる。いわば、「女」と役名を振られた彼女は『若草物語』の劇的時間を支配する役割を負っているとも云えるだろう。時に男たちを統括する教師、四人姉妹の伯母を演じることと併せてみても、物語を(それは人生と云うもまた)外的な力で以てその進行を指し示す、運命にも似た存在を思わせる。便所や学校、はたまたマーチ家のように閉塞した場に対し外界から統率するのである。最終場、白馬に乗った王子様(=ブルーク先生)がメグへ求婚する行を、またも強引とさえとれる幕引きで終わらせようとする。しかし、舞台半ばまで引かれた幕をローリイに扮する男優がその度に引き戻す。猛烈に結婚反対する伯母に、当初は「王子様」に対してけんもほろろだったメグは次第心を変えていく。まるで決められることを嫌うかのように、如何にブルークがよい人間か、そして貧しくとも彼との生活がすばらしいものになるかを熱心に語り聞かせる。幕を引こうとする伯母、伯母に反発するメグの意識を代行するように、ブルークを弁護しつつ引かせぬローリイ。幕はそれが芝居であることの印である。幕が開いて世界は動きだし、幕が引かれれば世界はわたしたちの目の前から姿を消す。たとえその間にも幕の向こうの物語はとめどなく流れていたとしてもだ。物語の進行途中に挟まれる幕引きは暴力的でさえあるが、それを妨害する行為はさらに挑発的である。芝居を芝居として見せる、ひとつの鍵言葉でもあった引き幕の使用。はじまれば開き、終われば閉まるという約束事の境界をさらにかき回し、虚構と現実を混沌とさせながらぎりぎりまで勿体ぶって終幕。幕で装う舞台の裸体をスカートめくりの如く露わにしようとする。歌舞伎という系譜を受け継ぎつつからかってしまう。三条会版『若草物語』の楽しさは、舞台構造の制限を逆手にとって、物語時間を、マーチ家の四人姉妹が味わう季節の推移といった出来事の並列から、俳優及び観客の体感時間に引き寄せたところにあったのではないだろうか。(後藤隆基/2005.2.28)

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February 17, 2005

こまつ座 『円生と志ん生』

◎ユートピアのゆくえ

 こまつ座にとっては『兄おとうと』(2003年)、井上ひさし自身にも『夢の泪』(新国立劇場、2003年)以来凡そ二年ぶりとなる新作は、二人のはなし家がその興行途中、敗戦直後の満州大連に閉じこめられた六百日間の道行を描いた『円生と志ん生』。五年前から構想をあたため、初日を二月五日に控えた一月二十七日に脱稿したという今作。前評判は相も変わらず頗る好調、前売完売も毎度の事ながら周囲の期待は否が応にも高まる。無事に、かどうかは舞台裏のこと、「遅筆堂」を支えるスタッフ一同の苦労は推して知るべしと云ったところだが、兎にも角にも初日の開幕ベルは紀伊國屋ホールに響き渡った。

 表題の通り、大枠は六代目三遊亭円生と五代目古今亭志ん生という戦後日本文化を担う二人の落語家を題材とした、従来の括りで云えば「評伝劇」の体裁をとる。歴史を虱潰しに調べ尽くし、微に入り細に入った膨大なる資料のほんのわずかな間隙を持ち前の想像力でグイと押し広げたところに、井上評伝劇の劇的宇宙は生れる。かつて『人間合格』(こまつ座、1989年)で太宰治の小説技法を戯曲化してみせ、また『連鎖街のひとびと』(こまつ座、2000年)では新劇や大衆演劇、軽演劇の台詞や結構を規範と仰いだ。上記の作品に限らず、井上戯曲には数ある「演劇」の様式そのものが台詞劇として顕されるが、『円生と志ん生』には「落語」の風味が大いに盛り込まれている。舞台には終始「舞台上の舞台」という可能性、落語のスタイルを示唆しつづける座布団に似た四角形の盆が置かれ、劇空間の基軸となる。おなじみのピアニストが寄席太鼓を鳴らすと、円生が高座の態で時代背景をおもしろおかしく語りだす。中途で志ん生が座布団担いで現れれば、観客は先ず第一場自体が『円生と志ん生』の枕であることに気づかされるのだ。そしてそれは終幕に至るまで劇を支配する約束事となる。

 三場の冒頭で或る曲がラジオから何気なく流れたとき、不覚にも落涙しそうになってしまった。胸にこみあげるものがあった。その曲とは石谷一彦作曲『小さな公園』。『連鎖街のひとびと』の劇中歌である。『円生と志ん生』が『連鎖街のひとびと』の延長線上にあることは云うまでもない。昭和二十年、つまり「あの」年の八月末の大連を舞台にした『連鎖街のひとびと』と、ほとんど時を同じくして『円生と志ん生』の舞台は設定されている。円生、志ん生二人が朝の寝床で聴くラジオからこの歌が流れ、その後、物語の進展に併走する形で「連鎖街」の話題が登場人物の口にのぼれば、『円生と志ん生』という物語の向こうに「連鎖街のひとびと」の姿がありありと浮かぶ。伊勢町の日本館から少し離れた連鎖街の今西ホテルには、片倉、塩見という二人の劇作家が、一彦やハルビン・ジェニイらが。さらには大連に閉じこめられ、帰りたくても帰れない多く日本人がいる。同じ思いを抱く人たちがそこに生きている。円生と志ん生は片倉と塩見の別の形象として舞台に現れていた。日本館の一部屋から、一曲の歌によって劇世界が一気に拡大される。同じ時を、同じ気持を、違う場所で様々の人が生きているという共生感覚。それはたとえば別場において、文化戦犯に指定された円生と志ん生が「これで巣鴨に入れる」と狂喜乱舞する場面にも明らかだろう。すなわち「巣鴨」とは「巣鴨プリズン」であり、『夢の裂け目』が、『夢の泪』が、『紙屋町さくらホテル』が次々と見えてくる。人は、自分と何かしら具体的な関わりを持つときにはじめて相手の存在を認めるのであって、以外のときにはたとえ壁一つ向こう、いやすぐ隣に坐っていたとしても、互いは別世界の住人であり、それは不在と同質でさえある。井上ひさしの演劇は、「昭和」「日本」を糧としながら観客の想像力のうちに何処までも広がっていく世界観に真骨頂がある。それも時代や歴史を賢しらに押しつけるのではない。基盤にあるのは、いまわたしたちが生きているこの瞬間、別の場所でも誰かが生きており、直接に関わることはなくとも、時代という大きな物語を背負って底辺でつながるという、至極単純な一事に他なるまい。しかし、はなし家の評伝劇、また「大連」の連作という趣向を身にまといながら劇世界を支える核は、大きな宗教劇としての側面である。

 かつて満州国は大日本帝国によって理想国家として建設された。その表玄関であり、神社仏閣、教会から遊郭まで、あらゆる施設が整備され、市街中心の広場から放射線状に広がる大連は、内地の日本人には夢溢れる街、人工のユートピアだった。『ひょっこりひょうたん島』にはじまり、『吉里吉里人』などを経て常に「ユートピア」を探しつづけている井上ひさしにとっても、大連はこの世に実在した「夢の街」だった。井上芝居では「場」の設定が重要視される。その点において、「大連」は恰好の「場所」である。しかし、円生と志ん生が駆け回る大連市のあちこち、それこそ教会から遊郭、街外れの廃墟や井上戯曲には珍しい電信柱が一本立つばかりの道端という各場は、地獄とさえ呼ばれる夢の墓場、覚まされた夢の跡である。四人の女優が各場で女郎からシスターまでを演じ分ける趣向も秀逸である。中でも修道院の屋上で繰り広げられる圧巻の九場には、シスターとはなし家という「聖」と「俗」の対比とともに、「笑い」とは何かという究極の問題が提示される。
 
 「兄さん(=志ん生)」と「松っちゃん(=円生)」から、不条理劇で有名な「ゴゴ(=エストラゴン)」と「ディディ(=ウラジーミル)」を連想することは安直な深読みかも知れない。しかし、ベケットの静止、不動というモチーフを一身に受ける例のふたり組に対して、円生と志ん生はひたすら動き回る。移動しつづける。羽衣座で役者をしながら身を立てる円生と、死んだふりをするかのように街々を浮浪する志ん生。聖書の教えと小咄がことごとく符合し、シスターたちに救世主と勘違いされた挙句「偽者の救世主」とまで云われる志ん生だが、「ゴドー」というわけのわからないもの、もしかしたら運命のようなものを待つばかりではなく、世界が悲しみに満ちているならば「すてきな」悲しみに変えてしまう心の強さを、はなし家の、「笑い」の役割と求める。自分たちのいるその場所を幻想でない「ユートピア」にしなくてはならない。夢破れ、ロシアの侵攻に晒されている地獄にも似た大連の地でこそ、それが諒解されるのだ。「笑い」を以て現実世界の困難を超克せんと試みつづけてきた井上ひさし流ユートピア論の一つの解が、ここにはある。『円生と志ん生』は『ゴドーを待ちながら』に対する反歌のような性格を有する、とは些か穿った見方だろうか。ともあれ、「聖書」も「三代目柳家小さん集」も、この世という「涙の谷」を越えるための標である。落語家の口を借りて、「笑い」とは「人間であること」「生きること」と同義であることが語られる。そして観客参加型の大仕掛けに大いに腹筋を鍛えていただきたい。観客参加といって、客席におりたりだとか、はたまた観客が舞台にあがったりだとかいうように直接的な舞台と客席の交流が行われるわけではない。俳優の演技に対する観客の反応から舞台効果が高まり、「間」の操作によって観客との関係を濃密にしていく手法には劇場が寄席と化すような錯覚をさえ覚えた。

 近年の作品では作家や歴史的事件を題材にとったためか、歌や踊りを用いる巧みな結構ながら、説明や主義主張が耳に強く響くこともあった。しかし、饒舌を口立て式の対話や落語という「形式」のうちに織りこみ、また本当に、歌が台詞以上の役割を担う。それらは新劇という現代演劇の或るスタイルにおける台詞の在り方、語り方に一石を投じたとも云えるだろう。と、いろいろ愚言を並べたててみたものの、どうも『円生と志ん生』は旧来の井上戯曲とは景色が違う。先行芸能から様式を育み、「大衆芸術」とさえ呼ばれる落語からの視線は、「むずかしいことはやさしく、やさしいことはおもしろく」というこまつ座の理念に沿った上で、また新しいスタイルを発見した。奇妙な余韻残る幕切れとも併せ、井上戯曲を総括した際に問題作とさえ見えると思うのだ。そしてそれを見事に視聴覚化した鵜山仁の演出も特筆すべきだろう。(後藤隆基/2005.2.12)

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February 03, 2005

人形劇団プーク 『金壺親父恋達引・カチカチ山』

 1929年に創立され、昨年75周年を迎えた人形劇団プークは現代人形劇専門の劇団である。普段は子どものための人形劇を中心に国内外を問わぬ活動を展開しており、さらにはテレビ、映画にもその幅を広げ、社会的評価も高い。また年に一回、新宿にある本拠地「プーク人形劇場」で「おとなのための」人形劇を上演している。人形劇は子どものものであるという一般のイメージを払拭せむとする劇団の提言を今回より深め広げるべく、「おとなの人形劇」と銘打ってこまばアゴラ劇場冬のサミットに参加したその演目は、井上ひさし『金壺親父恋達引』、太宰治『カチカチ山』の二本。人形劇は文楽を除けば子供の時分に見たきり雀の我が身ながら、確固たる様式がみせる多彩な表現に驚かされ笑わされ、非常に心楽めた。

 太宰治原作の『カチカチ山』は男女の道化による、狸殺害をめぐる推理劇という構造をとる。狸の死骸(人形)を前に現場検証、推理を連ねる二人。「惚れたが悪いか」に締め括られる動機解明に至るまでの過程が劇中劇としての『カチカチ山』に変貌していく。男と女はそれぞれ兎に惚れる醜狸三十七歳と、残酷なアルテミス、十六歳の処女兎を人形で以て演じる。俳優が先ず演技をし、彼らが人形を使うという行為自体が一つの仕掛けとして機能していた。端から人形劇というスタイルを前面に押し出すのではなく、いうなれば「普通」の芝居からはじまり、人間が人形を道具として扱っていくうちに人間のほうが人形に支配されていく。その発端となる人形が狸の死骸であることの怖ろしさは、一見可愛らしくも見えるお伽話の裏に潜む太宰版「お伽草紙」の黒い笑いを引き出していた。美しい顔をして冷酷な行動をとる兎。一体に残酷はその心と裏腹な静謐な態度にもっとも顕著なのである。

 幕間を挟んでモリエールの『守銭奴』を原作に井上ひさしがラジオのための現代義太夫節として書き上げ、後にテレビ文楽化された『金壺親父恋達引』。人に聞いて曰く、井上ひさしと云えば『ひょっこりひょうたん島』というように、もともと作家と人形劇との関わりは極めて大きいものだった。こちらは前半と打って変わって、人形による芝居。両手で操られる赤子ほどの人形は、繰り手の声を借りて台詞を語る。氏の劇言語は異様でさえある。とめどなく溢れかえる地口や掛け言葉などの言語遊戯が乖離させる意味の世界は拡散の危険も孕むけれど、人形は「言葉」を、まさにそのまま身体としての表現に結びつける。たとえば、「肩を落とす」という慣用句があるとしよう。実際あるのだが、もしそうした場面が劇中にあるとするならば、人形はがっくりと文字通り肩を落とし、その背中はひどく寂しげに去っていくことだろう。「腹を抱え」て笑うような場面では本当に腹を抱えるに違いない。そしてそれが如何にも真実らしく、またおもしろいのだ。井上戯曲では何よりも「言葉」が演劇的な武器となる。時に過剰とも云われる饒舌は人形という仮面が語るのを望んでいたかのようによく似合っていた。

 直接感情を表情に出せない人形は身体そのものが雄弁である。人間が人形を手にとる。彼乃至彼女が人形を支配し、動作を指示するにもかかわらず、その後人形に反映される身体及びイメージは、人間を遙か超越したところにまで到達する。演技という点で、誇張が最大の武器となる。そして、表情の一定に保たれた人形が生身の人間では決して届かない身体表現を可能とする。極めて細かな仕草から大袈裟な心象所作まで、人形であることの制約が単なる叙情をよりふくよかに表現するのである。ただ、顔の表情の乏しさを補う為もあってか、その台詞回しはともすれば極端に抑揚ばかりが先行し勝ちだった。日頃の子どもたちのための芝居づくりという功罪を問うものではないけれど、わかりやすい明度ばかりでない、声の表現を聴きたい。『金壺親父恋達引』の義太夫が、単なる語りにとどまったのも残念だ。その点、桐丘麻美夏の兎やお高のような抑制の効いた演技が印象に残った。

 人形劇にも様々の形がある。ここに見えたのは、諷刺に富んだ笑劇としての人形劇だった。人形は人間のデフォルメされた形である。その行動、動作、はたまた人形の容姿外見など、特徴を際立てて演じるほどにおかしみは増す。リアルとは対極にある抽象的舞台は、物や音など、数々の見立てによって成立するが、言葉遊びも見立ての代表格であるといえよう。人形も、人間の見立てであることは云うまでもない。人形を見るわたしたちの視線は、或いは異形のものとして彼らを見るかも知れない。人間にあらざる「人形」がまるで「人間」らしく振舞うのを見てわたしたちは笑うだろう。感情を露わにしない人形が仰々しくも感情的になるとき、わたしたちは笑うだろう。そうした人間のパロディとしての姿を自分自身の身替わりとして見ながら、安心しているのかも知れない。人形劇という可能性は未知である。そして奥が深い。特に『カチカチ山』のような、人間と人形の関係性の追求をめざしてもらいたい。この先「人形」という、実は遙かな歴史を持つよりしろを用いて、どのような演劇がつくられていくのか。非常に楽しみである。(後藤隆基/2005.2.2)

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November 26, 2004

三条会 『ひかりごけ』

 処女作を超えることは難しく、そこには作家の表現衝動がすべて潜んでいる、というような言説は屡々耳にするところだが、BeSeTo演劇祭の大トリを飾った三条会の『ひかりごけ』はまさにそうした性格を有している。1997年の旗揚げ以降も幾本となく公演を打ってきたことを蔑ろするのではない。2001年の利賀演出家コンクール最優秀賞を受賞し、第三者からの評価がまず確定した上で劇壇の表舞台に現れたというその意味において『ひかりごけ』は「処女作」と呼ぶにふさわしく、そこには近来の関美能留の演劇活動を通して感じられた多く魅力の原初形が表れていたと思うからだ。

 「自我」が発見され、「個人」の意識が重要を帯びるようになった「近代」という装置を糧に、三条会という濃密な「集団」と否応なく他者との関わりによって成立する「演劇」を以て、脈々と続く歴史の河に流れる「現在」を検証する。その方法論の根幹には演劇そのものへの問いかけがある。そしてその疑問符は、安くなってしまうのを恐れずに云えば、現代に生きることや、人間性という主題へとそのまま移行する。関美能留のつくりだす舞台は異様である。従来の「演劇」のルールからは大きくかけ離れて見えるのだ。しかし、芸術が常に温故知新と前世代の否定によって生かされてきたとすれば、三条会の描く「演劇」は極めて現在的な創造の一つである。

 近代戯曲の言葉を徹底的に異物として扱い、現代ではあり得ない台詞を云える状態をつくるため実に多彩な趣向が凝らされる。たとえば『ひかりごけ』では「人を食べる」感覚などとてもわからないという立地点から、舞台を学校に設定し、生徒たちはふざけ合いながら『ひかりごけ』を朗読していく。女教師に導かれて本を読み進める内に、生徒は台詞を咀嚼しながら舞台に置かれた机―もう一つ上の劇世界に上り、『ひかりごけ』の住人となる。観客は生徒と一緒になって「教育」されていく。戯曲に実感を伴わせる手段の一つとして、外からの視点をつくりだす劇についての劇という二層構造それ自体は決して珍しいものではなくなったのかも知れないけれど、その特異性で他との圧倒的なレヴェル差を感じさせられるのは、劇中劇にもまた一段、「演劇」への異和が表明されている点である。『ひかりごけ』の劇中で演じられる『ひかりごけ』は果てがない。額縁的な二次元の舞台から三次元へ、そこから先、四次元へと向かう劇時・空間の歪みが、或る種の異様さと映るのかも知れない。つまり演劇そのものが異物であるかのような「反演劇」的な世界を構築する手つきによって、演劇及び舞台を全き他者として扱い、その上で幾度も再生する。演劇に対して愛に溺れない、潔癖に距離をとりながら問いを発しつづける姿勢が、何処までも作品を奥深いものに仕立てていき、結果として底の見えない十二単のような世界が生れる。いわゆる「劇的」というイメージから遠く離れたところに、かくも「劇的」なものがある。愛するが故に、愛する為に憎み、その憎しみの裏側にこそ真の愛が見えるようにである。それだけの複雑にもかかわらず、すべて偉大なものは単純であるという箴言のように、そこで行われていることはひたむきなまでの王道である。技法が芸術家の思想を示すとすれば、関美能留という才能が演劇を選んだその時点で彼の思想哲学がそっくりそのまま「演劇」において表現されることはすでに決っていたのだ。

 彼は広義で「作家」であり、集団を束ねる「組織者」であり、同時に「教育者」でもある。個人の主宰する劇団においては演出家による俳優教育というものが絶対不可欠だと思われるし、制度として演劇教育の場がない日本では「たまたまそばにいた人」と演劇の現場をつくっていかなければならない。また俳優芸術としての演劇のかたちを考えてもである。舞台に閃く俳優の力量は創造が持続し行われる集団という場の価値に他ならない。何よりも「演出家」である関美能留が指揮棒を振る爰ではおそらくは正しく個人が「個人」として在り、だからこそその集合が「集団」として一つの有機体になり得るのではないだろうか。

 現代の日本という命題を示しながら、いわゆる日本的なモノは可視物としては一切用いられない。「~的」と括弧で綴じられるような様式の真似事もない。にもかかわらずどうして日本の演劇の伝統を消化した上で特異な関節に昇華できるのか。「心ノ中ノ日本」を眼に見える、耳に聞えるように演劇として立ち上げる作業は、ともすれば自閉的になりかねない。しかし、三条会の舞台では俳優の身体も、戯曲の言葉も、絶えず外に向って開かれているのである。四角四方の舞台を飛び出し、客席をも包み込んだ挙げ句にさらに遠くへまでその振幅は広がっていく。『ひかりごけ』の非常にミニマルなところから発信された宇宙的スケールは、衝撃とともに何処までもわたしたちの記憶に残っていくような気がしてならない。(後藤隆基/2004.11.25)

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November 25, 2004

劇団大阪新撰組 『玄朴と長英』

 BeSeTo演劇祭には東京だけでなく全国各地から多種多様の劇団が一堂に会し、他地域の芝居に出会える貴重な機会に恵まれた。最終日の早稲田どらま館で上演された劇団大阪新撰組『玄朴と長英』は今年度の利賀演出家コンクール参加作品で、伊東玄朴と高野長英の二人が真山青果の筆によって議論を戦わせる緊密な対話劇。劇団が日頃どのような作品をつくっているかは「ギャグがないのがつらい」という演出メモを手に想像する他ないけれど、今作は利賀に出品したということもあってか、戯曲をそのまま上演するのではなく外側からの視線を送り劇中劇として扱うという、もはや常套でさえある手法を実に簡素なかたちで用いていた。

 裸舞台に行燈が一つ、書物が散乱している舞台。暗闇にそっと浮かんだ、背広と茶髪、仕事に疲れたサラリーマン風の男がため息一つ漏らすと、彼の眼前に突然『玄朴と長英』の世界が「白日夢」として立ち現れる。家族を治療してもらった四人の女が順番に医者である玄朴に礼を述べていく。「先生、ありがとうございました」と一人一人の台詞が重ねられていき、それぞれ終えると四人は声を揃えて玄朴に呼びかける。戯曲にないこの操作、ありがちと云えばそうかも知れないけれど、幕開きの見せ方にはその先を期待させるだけの処置がされていた。女たちは玄朴の妻になり、終始舞台奥で家事をしつづける。男は目の前に繰り広げられる光景を不審そうに眺める。しかし、余りにわかりやすいその二層構造はそのあと特に大きな展開を見せるでもなく、兎に角『玄朴と長英』が進行していくのだ。そして最後には玄朴と長英の幻が消え、残された女たちが無言のまま男を睨みつけるところで幕となる。

 シンプルには違いないけれど、玄朴と長英それぞれを演じる俳優の真っ直ぐな熱演とただ二人を見つめつづける男の温度差は二つの世界を拮抗させる力に乏しく、現実世界に居るはずの男の姿が歯切れのよい(少しばかりよすぎるほどの)長英の台詞回しなどに圧倒されてかき消えてしまうような印象を持った。現実と幻想の価値が転倒し、夢こそが現実を覆い隠す。現実としての現代人が舞台から見えなくなる時、それではあえて二つの異なる世界の住人を出会わせる意味は何処にあるのかという疑問が生れた。いやむしろ、男の存在感の稀薄こそが狙いであり、そうすることで現実を超越する芝居がかることの力を再確認しようとしたのだろうか。たしかに「白日夢」としての『玄朴と長英』には、それとして観劇するに足るだけの力強さはあった。とはいえやはり「男」を舞台上の人物として創造するからには、彼がそこに居ることの意味づけがもう少し必要ではないだろうか。でなくては、作品の制作過程自体が単に「利賀」向けの御挨拶だったのかと思わざるを得ない。ならばいっそ純粋に俳優の勢い以て戯曲通りの『玄朴と長英』を積み上げた方が余程芯のしっかりした上演になったろう、などと思うのは余計なお節介かしら。(後藤隆基/2004.11.23)

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November 24, 2004

ユニークポイント 『あこがれ』

 2001年の初演以後、地方公演を経て今回BeSeTo演劇祭で再演されたユニークポイントの『あこがれ』は、太宰治『斜陽』を原作としながらそれとまったく毛色の違う、別の話に再構築された作品。小説で物語の裏にひっそりと隠されていたものを繊細に表舞台に引きずり出した戯曲は、『斜陽』を準拠にはするも奇を衒った新解釈は狙わない、山田裕幸という劇作家のスタイルが明確に示されている。

 「演出家」の活躍が眼を惹くBeSeTo演劇祭において、ユニークポイントはその名の通り、やや特異な存在とも云える。たとえば文学作品の演劇化は様々の演出家の手で行われているけれど、その他の劇団が作品を言語と身体の関係性から意識的に構築し、また作品読解にも過激な冒険が試みられているのに較べて、小説から「わたしたちの生活」を掬いとり「戯曲」化していく山田の筆致は此方もリアリスティックな演出法と併せて、一般に浸透しているであろう「演劇」というものの「標準形」をそのかたちのままに伝達する。

 新劇的リアリズムに則った作法は観客に安心感を与えるだろう。淡々とした日常描写、わかりやすい話し言葉。わたしたちの生活に近しい感情の表現。一々のリアルさは舞台を覆う清潔感とも無関係ではない。一歩間違えれば「平凡」の一言に止まってしまう危うさを、『斜陽』という、また「太宰治」という名前を利用して超克しようとする。それが『あこがれ』という物語の強度なのだった。原作の上原を大学で太宰研究をする先生にし、直治をそのゼミ生と設定する遊びもそれなりに活きていたようだ。全体に無駄を省いた台詞及び舞台構成は、『あこがれ』の裏に隠された『斜陽』という物語を観客の想像力に訴えかける。思えば、最後まで登場しない母親は観客によって想像されるべき『斜陽』そのものだとも云えるだろう。『斜陽』から生まれた新しい物語は何よりも『斜陽』によって生かされ、『あこがれ』を通して『斜陽』に別の角度から光があたるよう細工されていた。作家としての山田裕幸の恥じらいを微塵も見せない誠実がそこにある。

 小説に散りばめられた豊富な言語表現を登場人物に丁寧に分配して、極普通の善良なる人びとの生活を描く。そう、そこに居るのは本当に「普通」の人たちなのだ。東京に住む叔父夫妻、ゼミの同期の友人たち、田舎の病院の跡を継いだ若い医者、直治に連れられてきた女など、直治とかず子を取り巻く人びとに血を通わせることで、姉弟の異質さ、疎外感を浮き上がらせむとする作業があった。そしてもう少し付言するなら、たとい直治が破天荒な振舞いをし、かず子の御嬢様然たる世間知らずがあるにもせよ、将来への不安と、周囲の人間のしあわせに対比される己の不幸は、平々凡々としたわたしたちの送る毎日と同じ苦悩ではなかったか。繰り言にもなってしまうけれど、一見『斜陽』の衣を借りただけ、原作からは遠い、現代家庭劇であるかに見えるにもかかわらず、やはり『斜陽』あっての『あこがれ』なのだと思わざるを得ない。その意味で、原作との付合い方という可能性の幅の広さを感じさせられた。

 ユニークポイントは普通さやリアルを真摯に突き詰め、日常からの違和感を感じさせない舞台の創出をめざしているように思う。よくまとめられており、静穏な会話劇でもある『あこがれ』は極めて新劇的な風味をもっている。それが山田裕幸という人の作家性でもあるのだろうが、そうした仕方を身につけ、尚かつ的確に表現できる才能は決して多くない。BeSeTo演劇祭だけでなく現代演劇という問題を考えたとき、リアリズムについて或る意味で「昔ながら」の延長線上を歩いているユニークポイントは、それがより洗練されていくにつれ、新劇的小劇場演劇を実践する稀有な団体になっていくのかも知れない。(後藤隆基/2004.11.23)

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November 21, 2004

鵺の会 『場景』

 BeSeTo演劇祭の中でも注目劇団の一つである鵺の会を都立戸山公園につくられた特設会場で観た。作品はジョルジュ・バタイユ『松毬の眼』と太宰治『燈籠』を原作に編まれた『場景』。構成・演出をつとめる久世直之の実験精神が満々と浸した舞台はまさに、「前衛」と云う名で呼んでも決して遜色のない精練された知的冒険の世界だった。

 二部構成。畳六畳の舞台には白い衝立が三枚。前半『松毬の眼』は人間のからだの動きを視座に、まずメトロノームによって一定のテンポを与えられた俳優は単純な動作を繰り広げる。途中BPMに合わせた照明、音響の微妙な変化は劇時間に揺らぎを与え、メトロノームと単調なピアノ曲に示唆されるビートの音間をたゆたうような舞踊めいた運動への変換を促す。一人で全編を演じきる藤間叟之助は、久世直之の観念を舞台上に表現してみせたと云える。

 一方、後半の『燈籠』は前半で確認された身体試論を言葉(台詞)に置き換えた。卓袱台が持ち込まれ真白の衝立は襖に変わると、一気にそこは親しみ深い空間になる。太宰治という男性作家が女性の独白体で書いた小説の言葉を男優が語る。そこに一つの趣向があったがしかし、言語を主体として描く『燈籠』では振付の一つとして言葉は機能していた。藤間が一枚きものを羽織って現れる。女性的な仕草と独特の発声はそれだけで有効な武器になり得るけれど、たとえ太宰の小説を素材にしたとはいえ、淡々と何の処理もされずに語られる言葉は起伏に乏しい。『松毬の眼』に比べて一定のパルスが舞台に流れつづけ、緊張を強いられたままの観客の身体は、寒さも相まって舞台を心から楽しめはしなかった。

 知的ゲームや実験は時に退屈なものになる。ストイックな場の提示は創造という過程においてよしと見るべきだけれど、如何せん観客は「楽しい」気持にならないだろう。実験性は評価するものにしても、果たしてそのままのかたちで提出された場合に「芸術作品」という呼称を与えられるかどうか。芸術観なぞそれこそ十人十色、人により相違はあるし、何を以て楽しみとするか、演劇に何を求めるのかは各々の勝手自由だと思う。しかし、とあえて私見を云えば、やはり理屈抜きに楽しみたいのが本音ではないかしら。「芸術」とは「注」を振らずとも楽しめるモノ。いや、こんなことは愚言に違いない。発展の途上をゆく確かな知性は、万事承知の上で或る仮定の実践を試みたのだろうから。(後藤隆基/2004.11.20)

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November 14, 2004

Ort-d.d 『こゝろ』

 たとい日常生活からそれらが失われ、またわたしたちが実感として「日本」を愛することが難しいにしろ、日本人であるという血の嗜好は決して拭い去れるものではない。おそらくは自然の衝動として、日本の風土や文物に云い知れぬなつかしさを覚える。年中行事はすでに習慣として暮しの中に根を張っており、イベント化の誹りを受けもしようが、やはり新年のはじまりには幾万の足が寺社仏閣に向かう。桜に携帯電話を向けるのも一つの愛し方であろうと思う。

 しかし、かつて起臥した畳はフローリングへ、寝室にはベッドが設けられる。日本家屋は軒並み洋装に姿を変えた。などと今更鹿爪らしく言い立てることでもないのだけれど、もう少し常套句を積み上げるなら、わたしたちの生活様式は目下西洋化、アメリカナイズの果てに混乱し「共通化」されている。挙げ句、もはや身辺から姿を消した文物は余りに多い。愛したものを昔と同様に愛する術を知らぬ人も多い。「日本はダメね」という声も聞える。あるがままにあるべきものがない状況に、わたしたちは何を己のものとし、正しく生活していけばいいのか。

 日本的なるモノへの憧憬、追求は時代の節目ごとに多く識者の間で行われてきた議論ではあるのだけれど、今日ではそれが広く世上全般に広がっている。アスリートの海外での活躍を例にとるまでもない日本人の通用性や観光業界を筆頭に「忘れかけていた」日本の魅力を再考する動きが高まっており、「日本とは何か」という題目につながる道を懸命に模索しているかに見える。

 無駄に長い枕を漸く爰に引きつけて云えば、Ort-d.d版『こゝろ』には、日本「的」なるモノから「日本」を抽出せんとする作業の一端があった。明治から大正期の、いわゆる「近代化」に伴う環境の変化と自意識のズレを鍵言葉として、夏目漱石『こゝろ』に立ち向った倉迫戦術はまさに、わたしたち日本人のからだに潜む「土」への無意識の愛着に訴えかけようとする。違い棚を拡大したような舞台装置。吊り洋燈が仄かに映す陰翳の風景。わたしたちの美意識はそれらを美しいと観るだろう。音楽は一切用いられない、攻撃的な、武器としての静寂に、言葉(声)や音(したたる水、軋む床など)の、また常にその間を支配しつづける無音の美しさを聴くだろう。作品の読解以上に、『こゝろ』の書かれた「時代」、そこに生きた「夏目漱石」、今なお読みつづける「わたしたち」という距離感そのものを舞台化して見せたように思う。そしてその疑問符自体が『こゝろ』の読み、解釈として提出されていた。

 「物語」にも目を向けてみれば、やはりその構成力、台詞処理の巧さは一言に価するだろう。云わずと知れた『こゝろ』の下巻「先生の遺書」から、「K」の恋の告白から自殺に至までの行を抜き出し、その死の地点から「なぜKさんは死んだの」という疑問を軸に一連の経緯を現在に向けて語り、時間の糸を一気にたぐり寄せるような「私」の死を以て幕を閉じる。読み手がどんな距離をとるとしても十分な魅力を発揮するこの箇所に、原作の「奥さん」と「御嬢さん」を姉妹に置換してさらに父親との近親相姦を盛り込んだ。「恋」や「青春」というものが普遍であるならば、「近代的自我の目覚め」などと読まれる原作へのイメージは当然あるにもせよ、「近代的自我」って何なのさ、という気持もないではないことを鑑みた上で、『こゝろ』が現代のわたしたちにまで届けられた疑問への一つの解ともなる。

 たとえば世界の中での日本文化の独自性や、身体的特質を叫ぶ前段階として、先ずは日本人が日本人であり、何をわたしたちが愛するのか、愛してきたのかという問いかけがなされているとは云えないだろうか。思想云々と大袈裟なことではない、直ぐ隣にあるはずの生活のためにである。漱石が感じたのであろう「近代」のズレと、わたしたちが感じる「現代」のズレの相似形が倉迫康史の『こゝろ』を形づくっている。そういった意味で、歌は世につれではないけれど、極めて今日的な問題提起を含む作品なのだ。(後藤隆基/2004.11.11)

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October 23, 2004

文学座『踏台』

◎愛すべきオジサンのための一喜劇

 文学座の喜劇である。創立以来、多岐に渡る喜劇のかたちに挑戦し、そのたびに白眉の出来を見せてきた。彼の系譜を辿れば久保田万太郎や岸田國士から別役実、つかこうへいまで、本当に多くの作家による良質の作品を上演しつづけている。水谷龍二の筆による『踏台』は、2000年に初演され好評を博した『缶詰』の後日譚。キャストはほぼ変わらず、渡辺徹が加わり花を添える。いや、添えるどころではなかったけれど。ともあれ、歌ありドタバタあり、そしてシンミリさせる。文学座流の風俗喜劇である。

 物語は大筋で感傷のかたまりであると云ってよい。かつて靴工場の社長、常務、専務だった三人のオジサンは、今やビルの清掃業者。或る夜、大手広告代理店の一室で社内人事をめぐる騒動に巻き込まれる。過去の悪夢を踏台として今を、未来を生きようとするオジサンたちは、我等遺物に非ずと気を吐くがしかし、どうにも「オジサン」然たる姿は否めるものではない。いわゆる「団塊の世代」と若者たちとのあからさまな時代表象的やりとりに思わず鼻が鳴る。その潔いまでのジェネレーション・ギャップ自体がすでに微笑ましく、敬遠されがちなオヤジギャグさえ何の臆面もなく連発される。それが許されるのは百戦錬磨の文学座オジサン俳優たちの魅力に他ならない。

 主演トリオを演ずる角野卓造、たかお鷹、田村勝彦ら文学座の手練の周りを気にしない必死さが笑いを誘う。そう、オジサンたちは一生懸命なのだ。そして熱い。ときに暑苦しいほどに。内向の世代もすでに遠く、目下流行の銘柄は「自閉」を旨として憚ることも知らない世情だけれど、愛すべきオジサンたちは負けじと舞台を駆け回る。中でも角野卓造は本当に達者で、そこに居るだけで或る種のおかしみを醸すのは、別役作品で演劇の基礎を築いた功でもあろう。たかお鷹の即興や楽屋ネタにさえ見える、計算し尽くされた演技や田村勝彦のすっとぼけた新喜劇調の優しさもいい。また渡辺徹の存在感は、舞台をあっと言う間にお茶の間に引き寄せてしまう求心力を持っており、観客の目を惹く。全体として線の細い女優OL陣の中、栗田桃子の器の大きさが光る。ジョニー・サマーズの「ワン・ボーイ」をはじめとするフォーク・ソングも郷愁を誘う。至って現代風、ややもすれば平々凡々とやり過ごしてしまうオフィス・コメディであり、鼻もちならぬ懐古趣味と見られておかしくない設定を、戯曲世界を丁寧に視覚化する鵜山仁の演出のもと、ほのぼのと、あっけらかんとした「おもしろい」舞台へと昇華させた。

 しかし、以上の長所はどうしても俳優の手慣れた演技だけに寄りかかり過ぎて、作品としての精度は物足りないと云わざるを得ない。前作の好評からか、それを受け継いでの路線が展開されるため、初見の観客にとっては少しばかり戯曲の不備を問わずにはいられないし、「つづきもの」として考えても、強引な展開とあまりに唐突な幕切れは予想の範囲内であるにもせよ、「物語」としての強度に欠ける。時代を超えて響く音楽のモチーフも、主演三人の歌の巧さは措いて、劇的機能は不発だった。文学座という恵まれた「場」に甘んじて、安易な「おもしろい芝居」をつくるだけではどうにも足りないと思うのだ。でなくては、劇場で味わう思いが本当にただの「団塊の世代のための演劇的感傷」になってしまわないかと、杞憂ながらもつい考えてしまった。それとも、筆者が団塊以降の世代であるがため舞台の熱を肌で感じきれずに、知らず冷めた眼で観ていたのだろうか。(後藤隆基/2004.10.22)

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October 20, 2004

三条会 『女の平和』

 古のアテナイの地に戦争の雨が降る。どうにも止まぬに業を煮やした女たちが緊急に会議を開く。リーダーたるリュシストラテは各地から同志を招集、議題は「如何に戦争をやめさせるか」。アリストパネスの『女の平和』とは、男たちのつづける戦争に女たちが性のストライキによって終止符を打たんとするギリシア喜劇である。戯曲、演出、俳優という三条の光柱が舞台に会す。演劇にとって当り前と云えば当り前の、しかしその圧倒的な力強さと魅力で他の追随を許さない三条会が挑んだ最古典劇は、関美能留の演出が炸裂し、本当に「演劇を観た」という手応えを実感できる刺激的な一夜だった。

 もう時代遅れなのだろうか、いわゆる9.11からイラク戦争の頃、世の中を反戦運動が席巻したが、ほとんど裾野にとってデモはパレード、反戦歌は流行歌、言葉は虚ろに懸命な叫びも響けど余韻は残らなかった。古典に対する態度も同様のことが云える。特にギリシア劇などは概念と様式ばかりが先行して取り扱われ、「古典」という名のもと無条件に礼讃されることがままある。海の向こうからの時差を無理に我が身に抱き寄せたところでポーズにとどまり、さりとて今の生活感覚に沿って等身大に縮小すれば事実や物語を歪曲するだけなのである。これは一種の反戦劇でもある作品だけれど、関版『女の平和』は二十一世紀の日本に生きるわたしたちが声を大にして戦争反対を唱える胡散臭さを絶妙に回避し、本質を見事に抽出した上で現代に引きつけられている。しかも、ただわかりやすいだけではない、本当の意味での古典作品を現代に上演する試みが証明されている。

 「目眩く」という言葉がよく似合う舞台には一見、アリストパネスの影も形も消えてしまっているかのようだ。しかしよくよく観ていれば、たしかにアリストパネスの鋭い批判意識と猥雑さが心のあらゆる岸辺に押し寄せてくる。ギリシア、アテナイ、反戦、平和、オリンピック。恐ろしく単純な連想ゲームになってしまったけれど、遊び心沸き立つ祭典に宝石箱のような趣向が凝らされ、大上段に構えることのない反戦劇に仕上げられていた。そこで起こるすべて事は至極シンプル且つ親切なのだった。

 性愛は生活の必要である。男女変わらぬ生命の根幹である。従って我慢にも限界がある。いい加減に困り果ててしまうのだ。しかし、一方的ではない。互いに強いた忍耐の攻防の末、比較的あっさりと男が折れた。結局のところ戦争とは男同士のとったとらない、欲しい嫌だという喧嘩なのであって、単純化すれば殴り合いや「ぐさ」「いて」と刺しつ刺されつする一事に他ならない。男と女の風景も、男の強がりと情けなさに集約される。今日の性意識とのズレを、コミカルな男女模様と性描写によって、心情の上で大いに共感できる、しかし戯曲の風味は損なわない寓話として映しだした。降り止まぬ雨はイメージの連鎖を経て、やがて平和的な解決に向っていく。ピンカートンの帰りを信じて待つ蝶々夫人が歌う、プッチーニは『蝶々夫人』〈ある晴れた日に〉の美しさとともに、立崎真紀子から榊原毅へと移行したリュシストラテの宣言を受けて朝陽の注ぐなか、別れし男女は再びひとつに戻る。それまでの猥雑は静まり、神聖な光に満ちた大団円のフィナーレである。

 三条会は思想とか哲学とか呼ばれるものを、叩いて千切って丸めて捏ねて、しかし決して放り投げない。否、遙か遠くへ投げ飛ばす、ように見せる。行方を追うも視線の先には太陽が輝くばかり、ふと振返れば彼の手に花一輪、姿を変えてそこに在る。浅はかな予測などはまるで信じられぬ角度から裏切られる魔術的演出。BankART1929馬車道ホールの上下、左右、縦横、遠近とあらゆる位相に俳優が配され、すべての場所で同時多発的にそれぞれ登場人物の心情が交差する立体的空間。各場で温度と速度の抑揚が波のように襲いかかり、展開につれ楽しさに拍車がかかる、健康的な衝撃の連続。胸躍り、しみじみとし、笑いが溢れる。知性に富んだ比較の矛先を探せないユーモア感覚。荒唐無稽な哄笑とも昨今流行のナンセンスとも違う上質の喜劇がそこにはあった。もはや単なる古典劇の翻案ではない、紛うことなき現代演劇としての三条会的喜劇である。俳優の汗と唾、肉体の脈動。鍛えあげられた声の交響楽。次々と空間が塗り替えられていく、オリンピック競技300種目を束ねたような躍動を繰り返しながら50分をただならぬ昂奮のうちに駆け抜けた爽快感に、思わず我を忘れてしまった。肩こらず楽しめ、奥深い人生を考えさせてくれる。こうした魅力溢れる演劇を、身体中の全細胞が希求している。(後藤隆基/2004.10.15)

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October 18, 2004

チェーホフ記念モスクワ芸術座 『リア王』(演出:鈴木忠志)

 1984年、「利賀山房」における劇団SCOTの初演以来、世界中で絶賛されてきた鈴木忠志の代表作『リア王』を、ロシアリアリズム演劇の総本山であるモスクワ芸術座が上演する。今10月末のモスクワ芸術座公演に先駆けての静岡初演である。鈴木忠志と芸術座は水と油ではないか、などと素人考えに杞憂してしまったが、起用された劇団の若手俳優たちは馴染みのない演技と身体表現の要求にもかかわらず、流石の力量を見せつけた。日本語字幕はあるものの、ロシア語で語られる台詞に言葉自体の意味伝達性は弱かったけれど、そこは台詞回しで聴かせ、また物語を十分に届け得る身体演技の美しさは刮目に価する。

 親子の生き方の違いが悲劇を呼び、その信頼と愛情が問題化される中にリアの精神錯乱が狂乱にまで高まる『リア王』。鈴木版では病院を舞台に、家族の崩壊によって精神を冒された車椅子の病人(狂人)が主人公となる。男の過去の記憶が『リア王』の物語と重なる。自身がリア王となり、幻想世界の住人として物語を語れば、病院という「現実」と男の住まう「幻想」という二層の劇構造により、そこで演じられる『リア王』は劇中劇として機能する。男の意識がつくりあげた登場人物と実際の病院の医師や看護婦は舞台に同居しながら、互いに気づくことはない。男を媒介にして二つの世界が奇妙な符合を見せ、混沌とした人間の意識を観客に示していた。外界の刺激が内部に与える影響が視覚化されて舞台に立ち現れる。リア王のような孤独と狂気は、誰もの横に寄り添うているのである。明確な意図と徹底した演出のため、尊厳は保たれ、決して浅くならない。そうした二重構造は悲劇的な緊張感に滑稽味と不吉さを与えていた。最終場でヘンデルの「ラールゴ」が音量を上げながら、男の死体を傍に『リア王』を読みつづける看護婦の哄笑響く幕切れの美しさには胸が震える。

 劇全体を通して抑制された表情や動作は、たとえば今なお記憶に新しいシンクロナイズドスイミングのロシア勢に見える豊かな感情表現とは正反対である。表情は殆ど一定に保たれ、足袋を履き、普段の生活ではあり得ない制約を受けながらの演技を要請されている。しかし、たとえば車椅子での脚の動きや、人形の如く直立しながら上半身をつかった振付などに顕著な恵まれた肢体が描く大きな軌跡は、日本人俳優では届かない身体美にも到達していた。細かな所作などにやや未完成はあるにせよ、十分な教育を受けた俳優の力には圧倒される。また、様式美が時に過剰な印象もあったが、稽古により解決される範囲内の問題であろう。リアリズムが写実ではなく「真実」主義であるならば、鈴木忠志の方法論が厳しい規範に基づく特殊な様式であっても、モスクワ芸術座の現代俳優に無理なく浸透するはずなのだ。

 ロシア人俳優の肉体と鈴木忠志の幸福な出会いは、奥床しさと荘厳なスケール漂う舞台を生んだ。白鳥が空を舞うことはないが、大地に根ざした力強く美しい能とバレエの融合とでも云えばいいか、そんな幽玄と華麗の混在する新しい『リア王』の姿がある。鈴木忠志が演出する、物語を貫く悲哀と静かな滑稽はどうやらロシアの民族性とよく似合う。堂々たる「芸術」という呼称を以て何ら遜色のない演劇的舞台の萌芽を見た。今後さらに訓練を積み、俳優たちがスズキ・メソッドを獲得していくとしたら、「スズキ・バレエ」とでも云うべき『リア王』が確立するかも知れない。という考えは少しばかり突飛だろうか。(後藤隆基/2004.10.17)

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October 15, 2004

演劇集団円 『トラップ・ストリート』

 別役実は難しい。何がといって、戯曲の魅力に拮抗する舞台に出会うことが難しいのだ。職業的劇作家としての地位を確立し、多くの集団に作品を提供している別役だが、上演が戯曲を読んだときのおもしろさを超えることは滅多にない。「作:別役実」という文字をチラシの上に見つけたわたしたちは、そっとほくそ笑みながら、誰にも気づかれぬように肩をすくめざるを得ない。ひとつの理由として、俳優の不在がある。別役文法は俳優を選ぶ。それも技術などではなく彼(彼女)の生理をだ。「その人である」ことが、必要絶対条件であるにもかかわらず、「その人」は決して多くないという悲しさ。

 別役戯曲は、状況設定もさることながら台詞の妙に勘所がある。言語レベルで抑制と激昂のバランスが保たれ、〈場〉の静けさと相まって独特の「おかしみ」を醸す。それを舞台上で体現するのはどうやら至難の業のようなのだが、その点、新作『トラップ・ストリート』を書き下ろした演劇集団円は戯曲を危なげなく処理し、戯曲にプラスアルファの楽しさを付加することに成功していた。その中心にいるのが、岸田今日子、三谷昇の二人である。岸田と三谷はまるでタイプの異なる俳優だけれど、別役芝居の登場人物に欠かせない静謐な「タタズマイ」をもっている。三谷昇の老人像は悟達した穏やかさが滑稽を生み、岸田今日子はもはや年齢を超越した色香と、異質さを標準に変えてしまう妖女の魅力を備えている。『トラップ・ストリート』におけるそうした二人の「タタズマイ」は、年齢を重ねた男優と女優の或る到達点を感じさせる好演だった。

 表題の「トラップ・ストリート」とは戯曲のト書きによれば「地図製作者がコピーされることを防ぐために、原図に秘かに書き入れておく偽の街路のこと。当然ながら、人がめったに入りこんでこない袋小路の奥などに、さりげなく隠されている」わけだが、そこに図らずも足を踏み入れてしまった男が、あるはずのない道を地図に書き込んだ女と出会う話。時空間と人間関係の歪んでいく様は圧巻で、自分は「メディア」なのだという女2を病院に入れようと画策する、岸田演じる女1だけが強烈な存在感とともに息づいている。しかし、彼女以外の人物が抱える違和感が、実は精神を病んでいるのは女1であったと転換するのをきっかけにガラリと位相を変える。一瞬で劇世界が転倒し、女1だけが異常な世界にいること、そして、場に対してちぐはぐなその他の人物が極普通の市民なのだと思わされるのである。さりげなさのうちに劇的展開がそっと仕組まれている。とはいえ、「妻を裏切り家を出た夫に復讐するために、我が子二人をその手で殺めた」という壮絶なギリシア悲劇『メディア』を素材にとりながら、ぼんやりとした、何とも奇妙な手触りがじわじわと浸透してくる舞台だった。

 幕切れ近く、「私がメディアである」と舞台から去る女1の後を全員が追い、男1と男3だけが残される。「何があったんです……?」と訊ねる男1に対し、男3が「何もなかったのさ……」とだけ呟く。すると周囲の舞台装置が片づけられ、舞台は無性格な空間に変容していく。そこは地図に記された単なる道で、どこでもない、「ただ通りかかっただけ」の場所。地図上の嘘に迷い込んだ男はもう帰れない。おぼろげに再度現れ、白いパラソルで月光を避ける岸田が「私は、メディア……」と夢のように語れば、存在するはずのない場所だけが存在を示す。

 終演後、果たして今の時間は、この芝居は何だったのかという思いに駆られた。内容の理解云々ではない。自分の身にさえこの90分間には何も起こらなかったのではないかという不安がつきまとう。たまたま通りがかった、内容自体がないような世界。そんな不思議な感覚に戸惑う観客は、もしかすると「トラップ・ストリート」に迷い込んだ一人なのかも知れない。(後藤隆基/2004.10.14)

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October 14, 2004

新国立劇場 THE LOFT Ⅰ 『胎内』(演出:栗山民也)

 新国立劇場〈演劇〉芸術監督である栗山民也からの「THE LOFT」という提案は、小劇場「THE PIT」をさらに縮小し、客席に挟まれる形で劇場中央に設置された小空間の創造。三好十郎『胎内』を皮切りに、『ヒトノカケラ』『二人の女兵士の物語』と、このところの栗山の仕事の根幹ともいえる「時代と記憶」という鍵言葉に沿った作品が上演される。御上のお膝元で行政と個人の演劇的欲求を統括してみせる、意欲的な活動の一環でもある。

 『胎内』の舞台となる、戦中に本土決戦に備え大地に無計画に掘られた洞窟は戦争そのものでもあった。そこに迷い込み、徐々に虚飾をはがれ生一本の精神と肉体をさらけ出していく三人の姿は、戦後責任への問いかけにもつながろう。自分たちのしたことに戻る、それが意図的であってもなくても、闇雲に駆け抜けた過去に立ち帰り、己のものとして見つめることから、「人間」としての再生がはじまる。極限の果てに死を示唆される幕切れ。母胎に帰ることで日本人―人間がもう一度生れなおす物語なのだった。

 上演に際し、栗山から『胎内』という作品に込められた願いがある。「THE LOFT」そのものを「胎内」に見立て、空間と演劇の関係性を再構築する。身体と言語の交流など殊更強調するまでもない常套句だけれど、作品の主題を覆う、題名にも示されるように霊的な防空壕を磁場にした原初的な人間存在と、言葉による濃密な舞台の追求を念頭においていた。

 にもかかわらず、舞台との間に感じた距離には劇場に仕組まれたはずの「胎内」感覚の欠如を思わずにいられない。「胎内」の言葉から単純に連想する内包感、肉感性は稀薄で、それは舞台演出にさえもやや洗練されすぎていた。各台詞は緊密に処理されるけれど、息づかいや肉感までも肌で見聞きするまでには至らない。そこでは「胎内」に観客が入ることは歓迎されず、傍観者としての立場を余儀なくされる。共犯者としてその場に居ることができない。ときに露骨な性的描写を気恥かしくも感じてしまったのは、筆者の小心だけが原因ではないだろう。粘着質の暴力性が目を惹く千葉哲也、おきゃんと艶の同居が魅力的な秋山菜津子、淡々としかし誠実な演技を見せた壇臣幸ら俳優陣は、肉体と精神の飢餓が牽引する狂気を熱演したが、その体温が客席にまで届かない。どこか冷静を保つ劇場は未完成の感も拭えず、観客と舞台が一体化することないまま幕は下りた。母胎の外側に置き去りにされたわたしたちは、登場人物の狂気と正気がせめぎ合う様をすら、ただ茫と眺めているほかに術がないのである。また三好十郎の硬質な言葉と生と死をめぐる重厚な観念―人生哲学に重きが置かれたためか、或いは空間上の問題もあってか、戯曲に見えるような、空気にすっと刃をひけばぬらっと血の滲みそうな頽廃的な生々しさが感じられなかったのが残念だ。(後藤隆基/2004.10.13)

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October 02, 2004

世田谷パブリックシアター『リア王の悲劇』

 シェイクスピアには「普遍性」があるのだという。すぐれた古典作品が漏れず有するものだという。時代によらず常に「いま」を生きる人びとの共感できる心情があって、多く人が「本質」と呼ぶのがそれだろうか。シェイクスピアは世界でおそらく最も名の知られた劇作家。古今東西の劇場で、書斎で、学校で、「シェイクスピア」の読解が昼夜行われている。日本とて例外ではなく、上演、翻訳、研究は止まることを知らない。新解釈、新訳が次々と産み落とされ、また今日も「新しい」シェイクスピアが世田谷パブリックシアターに産声を上げた。母たるは四大悲劇の一『リア王』。彼女を孕ませた父親はこれも名高き佐藤信である。

 『リア王の悲劇』という劇がある。「古典作品の現代化」を眼目とした主演俳優と演出家に、リア王は居酒屋のオッサンにたとえられた。だからわたしたちにも彼の気持がわかるのだそうだ。リア王の苦悩が「俺の問題だ」と思えるのだそうだ。しかし果たして本当にリア王は居酒屋のオッサンなのか。いや、そういうことではないというのはわかるけれど、もしもリア王とオッサンを同じ位置に並べて古典の現代化を歌いあげるならば、これは喜劇である。リア王という大なるものを居酒屋でくだを巻く小なるオッサンにおとしめ、小さき中年男性を巨大な一国の王と比肩させる。従って『リア王』の「悲劇」はパロディとユーモアのきらめくべき「喜劇」となりうる。しかしならなかった。これは『リア王の悲劇』なのだ。実際、舞台には当然ながら居酒屋の風景などでてこない。くるはずもない。

 「共感」と「等身大」、二つの鍵言葉から導き出された「ぼく(わたし)にもできる」という誤解はプロフェッショナルとアマチュアの境界を曇らせる。誰もがはじめは素人、それは当り前だけれど、自らを「プロ」と誤認したアマチュアがプロフェッショナルとして成立してしまう昨今の情勢は憂慮して然るべきものがある。と、訳知り顔にくどくど遠回りして何を云いたいのか。つまり、物語を自分たちの「身の丈」に合せることで古典作品を「現代化」するという論理は一見理解しやすそうに見えて、その実、原寸のスケールを甚だしく縮小してしまう危険も孕んでいる。石橋蓮司のリア王とて然りである。決して古典を現代に引きつける方法論の模索を否定するものではないし、むしろ心情は逆なのだけれども、「わかりやすく」することがどこまで「古典」の風味を保ちうるかは疑問だ。その点に於いて、演出家の視線はどうもシェイクスピアを上演することそのものに釘打たれ、出来上がった『リア王の悲劇』は斯く云われる「普遍性」とやらの誤解によって積み上げられた舞台にしか見えなかった、とは言い過ぎだろうか。先達て静岡グランシップで上演された『夢の浮橋』を、一年がかりで『源氏物語』を通読した結果の新解釈と宣うた佐藤はここでまた同じ失敗を犯してはいないか。「古典」という力に満ちた物語がある。「現代」という間口の広がった表現方法がある。『源氏物語』にしても同様、シェイクスピアは都合のいい実験材料になるのかもしれない。しかし実験に付合される観客こそいい面の皮である。観客は完成された商品を求めるのであって、フラスコに揺れる怪しげな液体を買うのではないのだ。

 シェイクスピアには昼下りのテレビに映る「愛の劇場」がある。ゴシップがあり、遺産争いがあり、それらを包み込む目眩く台詞群がある。シェイクスピアのそうしたサーカスのような人間模様と佐藤信のアジア的な猥雑がどのように結びつくかに期待はあったが、幕切れ近い立ち回りにわずか横顔を覗かせたものの、あとはワダエミや東儀秀樹の趣向かと見紛う衣装と音楽がそれぞれにそれらしさを醸すに止まった。(後藤隆基/2004.10.01)

*『夢の浮橋』に関して、「『源氏物語』をひと月かけて読破」との記述は、佐藤氏ご本人の御指摘がありましたように、筆者の間違いでした。深くお詫びの上、訂正致します。以後はこのようなことのない様、十分に注意致します。

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September 29, 2004

青年劇場 『夜の笑い』

「再演」の意味を問う

 青年劇場創立40周年と飯沢匡没後10周年を記念して、紀伊國屋サザンシアターで『夜の笑い』が上演された。前世紀の忠義や「御国のため」という絶対的な標語の下に否定される命の価値を批判的に再現してみせたものの、結局のところ、戯曲の力に大いに助けられた公演だった。

 「授業中に餡パンくったら死刑!?」という惹句に内容はほぼ集約されるだろう。島尾敏雄の小説『接触』を原作に飯沢匡が筆を振った快作で、かつてあった一時代の現実を不条理劇に見立て、変わらぬ国の論理の危うさに言及する。『夜の笑い』は「ブラック・ユーモア」に通ずる。そうして描かれた歪んだ世界のおもしろさに対し、要所要所で演出の不徹底が目についた。

 たとえば「死」を前にした子供らの明るさ。校則を破ったのだから、士族の名に恥じぬよう自決を潔しとする志。しかし彼らは「死」が一体どういうものかを理解しておらず、単純な名誉と忠義心によって支えられている。明け方、一番鶏とともに死が眼前に迫る。生徒はその恐ろしさを知る。単に天晴れ軍人の型を演じせしめなかったところに飯沢の望みがある。そこに「御国のため」という物語を背負って死すら厭わなかった若き特攻の「侍」たちの姿を連想し、また若者の純心を利用せし学徒出陣の罪を問うことは容易いけれど、根底を流れるのは「笑いは武器になる」という精神である。終始無邪気に教師と相対し、自決までの時間を子供らしく演じなければならない。それがあって、いよいよとなった際の「おら急に死ぬっとん恐ろしゅうなってきたばい」が生きるのだ。にもかかわらず、五人いる生徒の人物造詣が真面目一辺倒で画一的だったためか、少年の心境の変化が舞台に立ち現れなかった。また、死を命じられた生徒の一人、細川の嫁、いよが夫を助けるべく学校に乗り込んでくるわけだけれど、その無学な娘が学校制度の曖昧な論理を、極めて「論理的」に看破していく様の滑稽味が物足りない。全体に芝居がかった台詞回しと声の強さで押しきった印象は拭えないし、リアリズムを貫いた生真面目さが、肝心の「笑い」を抑える皮肉に陥ってしまった。

 紀伊國屋演劇賞をはじめ多くの賞を浚った初演は1978年、四半世紀前である。1987年の再演を経、今回再再演となる。初演、再演ともに指揮棒を執った飯沢匡はすでになく、劇団の古株、松波喬介がコンダクターとなった。劇団の代表作とも云える作品だけれど、今回は単に記念碑的上演でしかなかった。戯曲は秀作、しかし舞台は戯曲紹介の場ではないし、追悼の気持と追従とはまるで違う。過去の好評と戯曲の出来にのみ寄りかかった「再演」は、決して新しい舞台の魅力を伝えはしない。再演に足る作品を持つことは劇団にとって本当に心強かろう。けれども、二度三度と上演しつづけるならばそのときどきの工夫があってしかるべき。もしも今回の「正攻法」だけがそうだというならば、あまりに単純すぎる。どんなにすばらしい戯曲でも却ってその面白みを損なってしまうのでは悲しすぎる。出来のいい戯曲を使い回すのが再演ではないという、周知ではあれどこの一事にもう一度思いをめぐらしてもよいのではと思うのだ。(後藤隆基/2004.9.28)

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September 17, 2004

reset-N 『reset-Nの火星年代記』

 横浜STスポットの主催する「劇場武装都市宣言 スパーキング21 vol.15」特別企画公演の先頭を切ったreset-Nによる『reset-Nの火星年代記』は、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』(小笠原豊樹訳)の「戯曲化」をめざした作品である。外題に「reset-Nの」と表記される以上は「原作」への戦術が期待されたが、小説自身の強い問題意識と豊かな詩情に比べて、新たな発見なり批評なりが付加されることなく、些か低調な印象が残る仕上がりだった。とはいえ、私たちが生きる世界での「時間」とは何かという問題に対する、ひとつの見解を示していたように思われる。 

 1999年、アンゴルモアの大王はやって来なかったし、2003年、アトムは生れなかった。奇しくも『鉄腕アトム』と時代を近くして書かれた『火星年代記』は一言で言えば、地球人が火星に浸食することで、火星人が滅びていくという話。数多存在する他の「SF・近未来もの」と同様、予測され、夢想された「未来」を描いている。今日から眺めれば、『火星年代記』の地球及び火星とは生れなかった赤子であり、或る地点から枝分かれしたもう一つの現在でもある。舞台化の過程で多くの「時間」が切り落とされてはいたが、絶対的な「2004年9月16日」という標準時に立っていることは、外された「もう一つの2004年」にも明らかである。物語時間の翌2005年、つまり「来年」、全世界を巻き込んだ核戦争が勃発する。2004年という現在時間を、状況が転換する境界として捉えた。1946年の「過去から見た未来」と「実際の現在」との間に焦点化される時差を一つの契機として、「現在形の未来」とでも云うべき舞台空間をつくろうという試みだった。
 そうした「現在」の感覚を象徴的に訴えるのが、舞台として設定された、現代の、恐らくリゾ-トホテルの一角にあるようなプールサイドである。「場」が提示する「現在」は二つの異なる次元に属する「21世紀」を同一の時間系列につなぐ。

 劇場には開幕前から陽気なレゲエなどの音楽がかかり、薄暗い煉瓦造りの場内も相まって、都心のクラブの如き空気も醸し出していた。すでに舞台に現れていた水着の俳優陣が日光浴や読書、歓談に興じる様は恰も「南国のリゾートホテル」とでもいった風情であり、「現在」の世界(日本)を思わせるに十分である。客席をプールに見立てる趣向は、「水」を契約とした異界への窓ともなる(幕切れの、火星人が運河越しにこちらを見ているという描写にも生きる)けれど、水中の観客から見上げるプールサイドの優雅な光景は、地球から見た火星への憧憬と見ることも可能だ。しかし、非日常空間としての火星=プールサイドという描き方は、たとえ彼らがどんなにそこを「楽園」と呼ぶとしても、「理想土地」は人の手で濁せられ「リゾート地」と化すという自明の主張でしかなかった。

 それらの題目が「演劇」に変換される際、火星に関わるような舞台装置は一切用いられず、台詞(というよりテキストそのもの)によって支えられる舞台は、地の文と台詞部分を役割分担した一種の「朗読劇」だった。ぶつ切りに、殆ど小説を順序立てて追っていく。ただ並列されるそれぞれの状況が、編年体で淡々と叙述されていく。その意味で、火星の「年代記」であること以上の付加価値は見いだせなかった。地球環境、世界情勢への警告もごもっともだし、当然作品の主題の大部分を占めるのだけれど、山場の殆どに「お説教」めいたモノローグがお約束のように配置されるだけでは、行き着く先は何のことはない、レイ・ブラッドベリの「言葉」を借りた「環境保護宣言」としてしか成立しないのではないか。夏井は宣伝文に「レイ・ブラッドベリが書いた『火星年代記』の美しさは何でしょうか。壮大な物語に秘められた深い内省を舞台に乗せたい」と書いていた。たしかに音楽や照明、構成に或る静謐さは感じられたものの、美しい何ものかは感じることができなかったことも事実である。

 総じて、原作を忠実に構成しながら、「火星」という星の美しさにまで届かなかった難はあったし、火星人の「想像」「暗示」「催眠」といった能力への言及欠如も悔やまれる。それらは殆ど「演劇」に対する問題提起でもあったのに。また、舞台上での時間の操作にもう少し気を配ってもいい。挿話の長短はあれ、同じパルスでの2時間は、流石に飽いてしまう観客もいるだろう。あれだけの音響、音楽への配慮があり、かつ人気も世評も決して低くない劇団なのだから(実際、場内はほぼ満員だった)、さらなる「演劇」としての「想像力」が求められる。それこそ、「火星人」を手本として、である。

 蛇足ながら、開幕前の光景は、男優と女優(男と女)の違いをあからさまに示す興味深い一場面であった。男女ともにプールサイドで過ごす「普通」の状態を「演じ」ているわけだが、如何に男が「見られる」ことに不器用かがよくわかる。水着という無防備な状況だったにしろ、男とは主体的に場にあろうとする。「見せる」という「過剰」な意識以て演技を成立させる。一方、女は自らを客体化でき、「そこにいる」という状態に軽々と移行できる。日常生活の中で常に「被視」意識を持続して保ち得る女性が、板の上でのこうしたたたずまいを身につけていることは、「演技」と「生活」というものが不可分であることの一つの証明ではないかとさえ思えるのだ。

 ともあれ、一夜の舞台に現れた火星人たちを思い返し、原作を読み返してみることで、改めてreset-N のめざした「美しいもの」が見えるかも知れない。(後藤隆基/2004.09.16)

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September 11, 2004

文学座アトリエの会 『TERRA NOVA』

 文学座のアトリエ公演として、『羊たちの沈黙』でアカデミー賞脚本賞を受賞したテッド・タリーによる戯曲『TERRA NOVA』が、座内の新鋭、高橋正徳の演出で上演されている。外部作家への執筆依頼など、「新劇」という枠内で実験的な試みを展開するアトリエの会だが、今回は劇団内での演出プランコンペで選ばれたという企画。26歳の若手演出家と経験豊富な俳優陣という顔合せが、すでに話題を呼んでいた。

 『TERRA NOVA』は、アムンゼン率いるノルウェー隊とスコット大佐の英国隊が南極点初到達を競った、男たちの物語である。表題はスコット隊が南極に向かった船の名で、「新しい大地」の意。アムンゼンに先を越されたスコットらが極寒の地で遭難、死を迎えるまでが描かれており、極限の状況下での人の誇りと苦悩を問う。

 劇はスコットが日誌に「報告」を記しているところから幕を開ける。劇中の出来事は、すべてスコットが死の間際に出会った意識の奔流であり、その地点からの回顧を含んだ幻想が、たたみかけるように襲いかかる。常に示唆されつづけるのは、二者のうち一方だけが目的達成の名誉を得られる「競争」と、南極探検への参加から生死まで、求心化されるそれぞれの「選択」という問題。二者択一、二進法の現実に、制約のない「夢」がオーロラの光に乗せてあらゆる角度から侵入してくる劇構造は秀作といえるだろう。また、メフィストフェレスのようにスコットのまわりを徘徊するアムンゼンの影は、「紳士を犬の如く」扱ったアムンゼンと、「犬を紳士の如く」扱ったスコットが、実は表裏一体であることを示していた。『TERRA NOVA』とは、果てのない南極と一人の人間を対比させ、「回想記」という形式をとることで、一つの人生における様々な葛藤を描いた物語だったともいえる。

 この芝居を上記のように考えるとき、高橋の演出はスコットに収束すべき約束事を、分散させがちだったように見受けられる。彼の手つきは現代風ながら、恐らく重点を「対話」に置いていたと察せられるあたり、岸田国士らの提唱した「聴かせる芝居」を継承する「文学座らしさ」に好感が持てた。また、作品の選択にも、自ら「新しい大地」を開拓せんとする意欲が感じられる。しかし、全体として冗漫な印象は否めない。俳優の「身の丈」と合わない舞台のサイズもあってか、氷原を表現した純白の舞台は時に白々しい。2時間45分という長い上演時間(いまではそう珍しくもないが)に、リズムの単調が目立てば、演劇的振幅の稀薄という誹りは免れまい。とはいえ、台詞のやりとり、人間関係の構築における瞬間々々の密度は濃く、部分の描写に巧さがある。混在する時・空間の処理に難はありながら、対話によって「演劇」を成立させようという意思とともに、戯曲に対して真摯に真っ直ぐに取り組む姿勢が窺えた。

 戌井市郎、鵜山仁、高瀬久男、松本祐子など、内外で活躍めざましい好演出家を多く抱える文学座にあって、こうした新しい才能の抜擢は好ましいことだ。ここ数年、「新劇」の諸劇団が続々と創立から凡そ半世紀を迎えている。先達の志が果たしてどのように受け継がれてきているのか。伝統が伝統として単に習慣化されてしまってはいないか。歴史に甘んじることなく、「新しい劇」の模索をこそ追求するべきであって、いま、そのひとつの成果が問われている。などと訳知り顔に云わずもがなではあるけれど、新劇界を見渡して、否、日本の劇壇全体が、たしかにある転換期にさしかかっているように思われるのだ。そんな中、高橋は先輩俳優の胸を借りて、経験値不足は拭えないまでも、堂々たる「楷書」の舞台をつくりあげた。今後も、訓練された熟練の俳優が身近にあることの幸運を、存分に生かしてもらいたい。そして、楷書ばかりでなく時には草書も観たい。世にはくずし字ならぬ「崩れ字」や「丸文字」が、果てには「記号」までも横行しているが、正確な楷書が書けなければ、美しさを保ったまま字体をくずすことは叶わぬ。新しさは新しさそのものに価値があるのではない。しかし、一つの方法論を愚直なまでにどこまでも掘り進めることで芋蔓式に多くの収穫を得られるというのは、自明のようで難しい。

 新劇とは、対話によってその山場がつくられる演劇。と云ったのは井上ひさしである。筆者などは、演劇は言葉であり、人の「声」を聴きたいのだなどと安直に考えているから、台詞を語り、対話でぐいぐい劇世界を広げることで成立する新劇には、まだまだ開墾の余地ありと思っている。それに加え、『TERRA NOVA』のように、どこか破綻を伴う筆記法にも工夫を凝らし、「聴かせる」だけでなく、「見せる」芝居づくりが求められる。結果として、今公演では未踏の地平を切り開く可能性を示す極点には到達できなかったが、文学座の文学座たるところを見せたという点で、ひとまず及第といっていいだろう。(後藤隆基/2004.09.09)

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August 16, 2004

毬谷友子 語り芝居 『宮城野』

 その声は忍びやかに空間を支配する。無邪気な妖艶が切れ長の瞳と毒をも含んだ唇から漏れ出る。吐息が言葉を生み、息が命から生まれる。言葉の火が「演劇」を照らす標であるならば、劇場という暗がりに点された灯は毬谷友子その人である。

 『弥々』につづく語り芝居第二弾として毬谷が選んだのが、一九六六年に父、矢代静一が書いた『宮城野』。登場人物は女郎の宮城野と、馴染みの一番客である絵師、矢太郎の二人で、矢太郎の師、東洲斎写楽殺害の実相をめぐる会話の中に、互いの心の虚と実が巧みに編みあげられた緊密な対話劇である。と同時に宮城野の語りによって物語が展開する一人芝居でもあった。「言葉」による演劇の魅力を十分に発揮し、小空間での「語り芝居」にうってつけの題材。およそ一時間強の上演時間で一種のどんでん返しの起こる構成も見事であり、まずは戯曲ありきという前提のある上は、戯曲の力をいかに「声」と「言葉」において表現しうるかが企画の主眼となるだろう。そしてその試みはひとまず成功していたといっていい。

 彼女が姿を現した瞬間から、劇場はすでに彼女のものになっていた。香りたつ白粉は色街の座敷へと誘う。何か恥じらいのようなものを身にまとい、行燈の灯りの下、やや俯き加減の項からすっと口角を持ちあげて少し媚びるように見上げた先、虚空に相対する男の姿を描き出す。傍には矢太郎を演じる俳優(大鷹明良)も当然いるのだが、宮城野の心に宿る男の姿は遠くにいた。

 言葉の一挙手一投足に、笑う、仰け反る。眉をひそめ、瞳が曇る。愛する男のために騙りつづけた自分の過去、男への思い。それらすべてが裏切られ、幼気な童女のような半開きの口元から、決して恨み言でない本音が響くとき、その歌は何よりも彼女が彼女であることを表現する。矢太郎のためについた「嘘」は嘘をつけないからこその「嘘」。戯曲にはない、毬谷自身の作曲による歌は、宮城野が愛した男たちへの恋文でさえあった。誰もがどうしようもなく抗えない人間の業。宮城野は魔性と俗性にまみれながら、その無知と無邪気なる純粋は気高く、我が身を犠牲にして、いわば無償の愛を体現する聖女ともなる。生の辛苦悲哀を笑顔に変えてみせる女の姿は矢代作品のひとつの特徴でもあるが、『宮城野』はそうした意味でも『弥々』の源流にいる女性といえる。

 劇作家、矢代静一の描く、聖性と魔性を同時に兼ね備えたヒロインが現世界にそっと障子一枚、隣の部屋から入ってきた。それが毬谷友子である。その純度の高い「女」という結晶は、童女でありながら老女であり、聖母でありながら娼婦である。その幼子のような純粋は、純粋であるが故に、演技を超えて、そこに居る「女」で在ろうとしつづける。純粋過ぎるが故に、強さは危うさと背中合せであり、零れる涙は自分を抑えに抑えこんだ果ての掬いようもない魂の雫である。

 空気を通して伝わる身体的感触の生々しさにもかかわらず、その夢のような存在感は幼児性と妖艶の二面性を示す。「知性」「痴性」「稚性」。父の唱えた芸術家に必要な三種の「チ性」は間違いなく娘に宿り、そのすべてを形成している。誤解を恐れずに言えば、「一卵性親子」と云うほど仲がよかった父の作品を演じるとき、毬谷友子は明らかに他の作品の毬谷友子とは異なる姿を見せる。作品を通して、父と、また自分自身と出会い直す苦行を強いているように。往ける処まで内面を掘りさげ、湧水の源泉を探して、水底の砂を掴み浮かびあがる。その潜水と浮上の過程が描く軌跡こそが女優としての毬谷友子という生き様なのではないか。 (後藤隆基/2004.08.15)

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燐光群 『だるまさんがころんだ』

創作という冒険の道行 

 坂手洋二という才能は常に歩いている。「現実」の道を踏み外すことなく、自身が現代を生きている、極めて強い自覚を肌身離さずに歩いている。彼は自己模倣を嫌悪する。予定調和を拒否する。貪欲に演劇表現を追求し、常に現行の「坂手洋二」で在り続けようとする姿勢は、作品においても、その創作過程においても貫かれている。

 坂手洋二は、今のそして少し先にあるものを捉える、敏感な社会的な眼を持った劇作家である。その手法は、たとえば評伝劇を確立した井上ひさしと同様の影響を後続に与えたともいえなくはない。

 近年の劇作の特徴として、坂手は現代社会が抱える問題に基づいた或る一つのキーワードをもとに、そこにまつわるあらゆる事象を吹き寄せにしてみせる。一見それぞれが孤立して見える世界が、実はひとつの輪であることに気づかせる。『だるまさんがころんだ』で言えば「地雷」。しかし、独断の大薙刀を振るって言えば、主題が「地雷」であることにそれほどの大きな意味はない。「素材としての地雷」というならば別としても。彼の意識は「社会派」と括られるのを自らはねのける如く、題材が如何に演劇として成立し、且つ表現が演劇でなければならないのか。それに終始している。何をモチーフとするかは入り口でしかなく、その後の処理如何で綺羅星にも塵芥にもなる。

 今回の「地雷」の選択は、坂手洋二自身が世界とつながろうとする意思表示そのものなのであり、そこに関わるすべての人びとが「演劇」を通してある種の共同性を獲得することに他ならない。もちろんそのすべてが、9.11以後の世界情勢や、地雷という申し子が眠りのうちに牙を研いでいたすべての戦争の上、「現代社会の構成員としての私たち」という立地点にあることが前提なのである。

 『だるまさんがころんだ』は、ここ数年の坂手洋二、燐光群の創作活動のひとつの達成であったといえる。たとえば坂手は『屋根裏』から、十分から十五分ほどの短い場面をつないで一つの大きな物語を完成させるという手法に可能性を見出しているようだ。コマーシャルの挿入が度重なるテレビに慣らされてしまった現代において、短時間のシーンを暗転でつなぐ劇時間の処理は有効に作用する。「笑い」への意識的作業も『屋根裏』以降の産物である。

 時空の広がりは海外に及び、挿話も自立した意味を持つようになった。ラップ調の口上で地雷を売り歩く死せる武器商人は、多用される「専門用語」や坂手の硬質な劇言語と拮抗し、独自の文体を紡ぎだす。また今回の収穫としては非現実の領域にもう一歩足を踏み入れた点があろう。地雷敷地対の兄弟や地雷製作に従事する男の娘、地雷を食べる巨大トカゲなど、死者と生者との共生がより顕著となり、現実と非現実の柔らかな境界が異界への出入口を自在に広げる。ただ、個々の挿話の完成度は高いけれど、それらが一つの物語として大きな影を落とさない。世界観を広げるあまり、収集が難しいという一点が、今後の課題となるのではないだろうか。

 小さな「挿話」という個人が集合してある形態を形成する。物語の中心に据えられる「家族」は最小限の共同体としてのモデルである。登場人物のそれぞれが集団のうちに生きている。地雷と一人で戦うヒロインの女(宮島千栄)がすべての登場人物と各国語で「だるまさんがころんだ」を遊ぶ。あらゆる種類の人間の共生という可能性を追うこの物語は、今失われつつある人間性の回復を眼中においてはいないか。

 思えば、無差別に不特定の人間を破壊する「地雷」と「通り魔殺人」を重ねた意図もそこにあった。作家の技法が彼の思想を体現するならば、まさに「創作」という冒険を通じて最小限の「劇団」単位から世界へ向けて発信されるメッセージが、ここにはある。(後藤隆基/2004.08.15 )

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August 01, 2004

こまつ座 『父と暮せば』

劇場はなみだにゆすれ

 1994年の初演から数えて10回目の再演となる『父と暮せば』のこまつ座公演(ロシア公演1回を含む)は、過去の例に漏れず、劇場に笑いと涙の汪溢する舞台であった。紀伊國屋サザンシアターを埋め尽くした客席が流した、その涙の理由はどこにあるのか。そこには何より圧倒的なまでの戯曲の力が存在している。

 作品の主題を云々することはこれまで散々行われてきており、夢幻能の形式を借りた劇構造や「一人二役(二人一役)」の趣向についても作者自身が常々語っていることなので、今更鹿爪らしく愚言を弄することもあるまい。しかし、「戦争を知らない子供たち」のそのまた子供である筆者のような世代から見える「戦争」とは何か。井上ひさしとこまつ座が「昭和」、「戦争」についての演劇をつくりつづけている理由がそこにはあるし、『父と暮せば』の軸に少しは触れることにもつながるのではないか。

 「戦争」、あるいは「原爆」という鍵言葉を柱の一つに置くことは、次世代への啓蒙でも同世代への共感でもない。かつて存在した「昭和」という時間に、「こんなことがあったそうじゃ」と語られる「おはなし」。知らなければならないことがある。聞いてしまった声がある。井上ひさしはそれを話してくれる。ただそれだけのことだが、ここには「物語」の本質がある。「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを」伝える図書館の司書であり、広島女専では「前の世代が語ってくれた話をあとの世代にそっくりそのまま忠実に伝える」という根本方針を掲げる「昔話研究会」の副会長を務めた美津江。郊外の村々で土地の年寄から仕入れてきた昔話を、今度は自分が子供たちに聞かせようとする。「おはなし会」のリハーサルの場で竹造は、よく知られている話の中に原爆資料をくるみ込むことを思いつく。

 「原爆」を物語に組み込むことは、「被爆者」と「非被爆者」との意識の間に横たわる溝の計り知れない深さ大きさに、ただ呆然とするだけだ。「非被爆者」であること自体がすでに「原爆」を語る資格を持ち得ない。「絵空事」が許されない世界があるのだということを、井上ひさしは資料収集の過程で被爆者の生の叫びとして聞いた。井上が「聖書」とさえ呼ぶ、被爆者たちの「手記」がある。その手記から原爆にまつわる逸話を抜き出し、折り込む。美津江や、その周囲に起こった出来事はすべてが手記からの引用である。話をいじらず、一人の被爆者の女性の人生に託す。劇構造そのものが作者の思想を表現する。しかし、木下さんに「気に入ってもらおう思うて」「話をいじっ」てしまった「ヒロシマの一寸法師」は、美津江の古傷を思い出させ、被爆者にとっての被爆体験を「忘れたい」記憶にしてしまう。竹造の存在が、その行動は実は美津江のものだとしたら……。竹造は美津江自身であるという趣向は、劇中のあらゆる細部に効いてくる。劇中に現れるすべての逸話がそのまま『父と暮せば』の作劇法なのである。

 時間、世代を超えて被爆者を痛め続ける「原爆症」は命の連鎖にまで言及する。恋を諦め、静かに生きて世の中から姿を消そうと思っている美津江。恋の成就はそのまま、つながっていく命を認めることにもなろう。口承による「物語」の伝播も、記憶と命の連鎖そのものであることは言うまでもない。『父と暮せば』という「物語」がいつか観客のそれぞれが語り伝えられる「おはなし」になったら。そんな願いがある。たとえば「一寸法師」のように。

 今公演の収穫は西尾まりではないか。『父と暮せば』は初演キャストのすまけい・梅沢昌代というこまつ座常連コンビによって、すでに一つの「完成形」が提出されてしまっている。幽霊の竹造と、竹造が死んでいるとわかっている美津江。遊びのある軽妙な個性の衝突によってつくりあげられた地点から見ると、果たして以降に以上の出来は期待できないのではないかさえと思わされる。実際その後、前田吟・春風ひとみ、沖恂一郎・斉藤とも子と引き継がれたが、初演を超える評判は聞かない。今回の辻萬長・西尾まりは四代目の竹造・美津江父娘である(1992年のカンパニー・パリ21によるフランス公演での小野地清悦とバルバラ・サルシを勘定に入れれば五代目)。すま・梅沢コンビとはまるで違う方向から攻めた好演であった。激情を、文字通り「必死で」抑え込み、一語一語吐き出すようにして台詞を語る西尾まりの演技は出色であり、「生きること」の困難に耐えながら過ごしてきた美津江の、意識の奥底に沈む記憶を表現して見せた。辻萬長の冗談が冗談にならない、力一杯、真っ直ぐな竹造とあいまって、新しい竹造・美津江像の可能性を示したといえる。(後藤隆基/2004.08.01)

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