11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

September 26, 2005

ポタライブ 吉祥寺編「源」(緊急再演)

 ポタライブという風変わりな公演形態があると知ったのは1年ほど前でしょうか。1度申し込みましたが、満員で参加できませんでした。今回、縁があって「吉祥寺編『源』」公演に参加することができました。すでに柳沢さんが緻密な考察を掲載しています(9.25付)。ぼくの報告は付け足しですが、実際どんなふうに進行したか、小1時間の描写を流れに沿ってまとめてみました。柳沢論考と併せて読んでいただけたら幸いです。

 このライブが行われる直前、次のような知らせが届きました。

緊急再演 吉祥寺編『源』

「まちが演ずる、土地がうたう、記憶が踊る」
お散歩演劇ポタライブを作り始めて2年と半年。舞台に使い、共演してきた町並みが、気づかぬ間に、びっくりするくらいに変わっていることがあります。
昨日、別のポタライブの取材で三鷹を通ったとき、初めてポタライブを作った場所が、ほとんど消えかけているのを見て、愕然としました。市役所にきくと、この11月で、完全に消滅する、ということです。
急な話ではありますが、消え去る前にもう一度だけ、再演させていただくことにしました。
ポタライブの最初に作った作品は、東京のミナモトの場所でのダンス。「源」をご覧いただいた方も、そうでない方も、ぜひにご参加くださいませ。


グリーンパーク遊歩道の入り口です。

きれいな案内板。

薄汚れた掲示板もありました。

公園(広場)にふと視線を向けると、白衣姿のひとが舞っています。

自宅から石造りの階段が遊歩道に延び、自分たちの庭のように出入りできる。

道路計画で住宅が取り壊された空き地に、帽子姿の男性が立っている。風景に馴染んでいますね。

ブランコには女性が…。

ここからまた引き返す。

振り返るといつの間にか…。

道ばたに咲く花も美しい。

わずかに残っている建物の前で…。

白衣の舞の傍らで、五体投地か転倒か。

パフォーマンスは続く。
 前回のポタライブは満員で参加できなかったので、すぐに申し込みました。
 9月18日(日)午後3時、JR三鷹駅集合。主宰の岸井大輔さんがガイド役を務め、参加した5人を前にまず、駅の説明から始めました。  「三鷹駅は武蔵野市と三鷹市のちょうど境界線に建っています。このタイルが境界線上にあるはずです」とタイルを靴で示した後、「駅の案内板を見てください」と言う。  顔を上げると、確かに左(南口)が三鷹市、右(北口)が武蔵野市の町名が記され、きれいに分かれています。これが約1時間続く「散歩」のスタートでした。

 「もうひとつ、この駅の真下を、玉川上水が流れているんです」
 エーッ、ほんとかね。開始早々いきなり顔面にパンチを食らった感じでした。
 玉川上水は、多摩川上流の羽村から9市4区(羽村市、福生市、昭島市、立川市、小平市、小金井市、武蔵野市、西東京市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷区、新宿区)を通り、四谷大木戸までの総距離約43km。江戸時代は人びとの飲み水を賄ってきたそうです。それが駅地下を流れている? 確かめようじゃないか。
 北口(武蔵野市側)に出て駅裏の小川に降りていくと、流れは駅の手前で地下に消えています。その行き止まりの小さなスペースに、緩やかに動いている人影が見えました。白衣をまとい、葉陰から漏れてくる陽光を浴びながら、手足を広げて鶴のように舞っています。太極拳の稽古かな、邪魔しちゃまずいなあ、と思って進んで行っても動きは止まりそうにありません。そうか、パフォーマンスなのだ!
 初っぱなの軽い連打で、ぼくはすっかりポタライブにさらわれてしまいました。

 やがて上水沿いの遊歩道を歩きます。両側の遊歩道は、三鷹側が舗装され、武蔵野側は土のまま。川縁も三鷹側がコンクリートで固め、武蔵野側には植木が生えたりしてほぼ自然の景観が保たれています。
 「市内の空き地をどのように利用するか、武蔵野市が住民アンケート調査をすると、6割ぐらいが『原っぱ』にしてほしいという結果が出るそうです。自然にあまり手を加えないでそのままにしておくのが多数のようですね。右手の原っぱもその一つです」

 道路の向こうに広場が広がっています。片隅には遊具があり、大きな木が茂っているけれど、真ん中は確かに原っぱです。かけっこしている子供たち、ボールを蹴っている大人が…。と見ていると、スキー帽(のようなもの)を頭からすっぽり被った人が案山子のように立っていました。ブラウン系の汚れた色合いの衣服を身に着けています。まさか案山子のはずはありません。出演者なのでしょうか。近くの石の上を真っ赤なシャツに白っぽいスカートの女性が飛び跳ねながら渡っていく姿が飛び込んできました。ベンチに座っているお年寄り、立てかけるように置かれた自転車、それに乳母車。原っぱに似つかわしい風景がそこにありました。

 「玉川上水が通るようになってから、この辺りは田畑になりました。道が碁盤の目のようになっているのは、その用水路の跡です」と説明が続く。細いけれどもまっすぐ延びた道の先に、赤いシャツの女性が何気なく立っています。やっぱり出演者だったんだ。

 やがて遊歩道から離れ、道路沿いに進むと境浄水場が見えてきます。もうこの辺りは武蔵野市です。 「昔は用水に引く水量を加減したり、汚染など水の扱いに注意を払っていたのも、下流で飲み水に使われるからですね」。岸井さんの語りもすんなり飲み込めるようになっていました。

 浄水場の東側に沿って、珍しく煉瓦敷きの細道が続いています。戦後間もないころ、その先は東京グリーンパーク野球場につながっていました。旧中島飛行機工場跡地に建設された野球場は数万人を収容できるほど大規模で、オープン時はプロ野球が開催されていたそうです。しかし1年で閉鎖、幻の野球場となりました。鉄道も廃線です。グランドの土が関東ローム層のため、土ぼこりが風にあおられて満足に使えなかったのが原因と言われています。

 線路跡はその後、遊歩道に姿を変えました。いまはグリーンパーク遊歩道と呼ばれています。しかし、その遊歩道も近々、姿を消すことになりました。東京都の道路計画が進んでいるからです。

 「ポタライブはここが発祥の地です。2003年4月にここで始め、何度か実施しましたが、舞台自体が消滅することを知って急遽、公演を決めました」と岸井さん。初演当時歩道脇にあった住宅はほぼ姿を消し空き地になっていました。「歩道を自分たちの庭のように使っていた」石積みの階段だけが、取り壊された住宅の気配を残しています。

 軽装の年配夫婦や自転車に乗った主婦らが行き交う歩道を、そんな説明を聞きながら進んでいくと、駅からの途中、2、3度姿を見かけた白衣の人が、ずっと遠くで踊っている姿が見えます。すぐ横の公園でブランコに乗っている女性は、あの赤シャツ、スカート姿の女性。汚れた衣服のパフォーマーは、いつの間にか廃屋跡地に立っている…。

 通りかかりの人も立ち止まったり、パフォーマーの脇をすり抜けたり。パフォーマーもぼくらを追い越していったり、突然視界に入ってきたり。スキー帽の男は遊歩道を折り返して解散地に近づくと、細い道に身体を投げ出す動作を繰り返していました。これは五体投地なのでしょうか。チベット仏教の究極の巡礼作法がここでは、消えゆく景色を慈しむ儀式と重なっているように思えました。

 散歩は終わりました。間もなく緑に覆われた遊歩道も姿を消し、後には、東京都が建設した広い道路が延び、車列が行き交う光景に様変わりするでしょう。


 駅の地下を上水が通っているのは、近代の発展が地底に追いやったとも言えるし、上水はそれでもしぶとく生き残ったとも言えるでしょう。三鷹、武蔵野両市の施策の違い、原っぱづくりを支える住民、水源地としての生活作法を刻んできた歴史、消えた鉄道といま貫通寸前の道路計画、消える風景とリアルな現場と…。「舞台とは、視線が集中するように組織された場所」(柳沢望「ポタライブの『源』」)だとすれば、ポタライブという方法論によって、土地の変遷(歴史)もまた、かけがえのない舞台装置となり作品となるのです。

 柳沢望さんは前掲の論考で次のように述べています。

 歩いていって角を曲がって、風景が開けたとき、そこに不意に出演者があらわれている。後ろから出演者が追い抜いていくこともある。からだを運び視野が動くこと自体が含んでいるドラマの可能性がポタライブでは時折見事に活用される。(中略)演技者が遠景のなかに置かれて、観客は遠くから目をこらすこともあるし、風景の片隅に演技者が立つことで、風景全体が際立つようなこともある。
 これは、「役者中心」「演技中心」的な舞台観からは出てこない、ドラマ的な動的造形の可能性だ。舞台の中心に立つことを特権化するのではない仕方で、多様に移り変わる関係の中に視線が結び付けられ、それが舞台を生み出し、様々に身体や事象が点在する風景そのものが舞台として造形されてゆく。

 「多様に移り変わる関係の中に視線が結び付けられ、それが舞台を生み出し、様々に身体や事象が点在する風景そのものが舞台として造形されてゆく」という表現は、あまりに演劇寄りと言われるかもしれません。その土地、その町(街)の記憶を読み直す作業が、必ずしも演劇を要請しているかどうか自明ではないからです。しかし土地の記憶を立ち上げる方法が、土地の多様性と同じように多様であれば、それはどのような呼称であるかを求めてはいないでしょう。土地(とそこに住む人びと)の歴史と記憶を揺り動かすことによって浮かんでくるイメージとその奥行きが、そこを歩く人びと、見つめる人びとに照射されるよう願っているのではないでしょうか。

 ポタライブの試みによって舞台の可能性が広がります。演じる側も見る側もまた、演出・演技のありようだけでなく、作品という枠組み自体を見直さなければならなくなりそうです。きわめて印象的で、かつ刺激的なスタイルに出会った1日でした。

 今回が 「源」の最終公演になってしまったのは本当に残念です。必要以上にことこまかな紹介だったかもしれません。しかし2度と行われることのない公演への言祝ぎであり追悼の儀式だとみなしてご容赦いただきたいと思います。
(北嶋孝@ノースアイランド舎 2005.9.27補筆 28日写真追加)

[参考情報]
 ・ポタライブ( 劇作家岸井大輔 website ) http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/
  ポタライブ通信 http://plaza.rakuten.co.jp/kishii/diary/200509210000/

 ・玉川上水(東京都水道局) http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/pp/tamagawa/
 ・境浄水場見学記 http://www.nakaco.com/suidou/water%20supply/Tokyo/sakai.htm
 ・東京グリーンパーク野球場(武蔵野市) http://www.city.musashino.tokyo.jp/profile/musashino100/04.html
 ・東京スタディアム(グリーンパーク) http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/7539/yakyujosi/kanto/greenpark.htm


[上演記録]
ポタライブ クラッシック 「源」
15時 JR三鷹駅改札前待ち合わせ(14時45分より受付開始)

作・演出・案内 岸井大輔(劇作家:ポタライブ主宰)
出演 木室陽一(ダンス:ポタライブ主宰)榊原純一(おどり)丹羽洋子(ダンス)

Posted by KITAJIMA takashi : 04:45 PM | Comments (0) | Trackback

August 26, 2005

しずくまち♭「卒塔婆小町 vol.2」

 「しずくまち♭」は「芝居者と音楽家の表現ユニット」と名乗るだけあって、音楽に、ここでは楽器の選定と使い方にこだわっているようです。今回の「卒塔婆小町」は、2001年に利賀村で初演以来、何度か取り組んできた演目だそうですが、昨年末から俳優は3人だけ、音楽もアコースティックな楽器だけというシンプルな新演出で再スタートしました。そのとき使われたピアニカとボンゴのほか、今回はアイリッシュハープに替えてピアノと三味線が生演奏されていました(8月21日、荻窪・クレモニア)。

 老婆の役を受け持つのは三味線でした。奥行きの深い三味線の響きは、若き日の恋物語を、陰影深く浮き彫りにするのに格好の器を提供しました。詩人役はピアノでした。もっぱら澄んだ、線の細い響きに終始しました。役柄に楽器を割り振るというオーソドックスな対応だったと思います。

 老婆役は、伊藤美紀、詩人役は演出も兼ねるナカヤマカズコでした。二人ともほぼ同じ背丈で、声もそれほど際だった違いがありません。楽器の配分よりも、お互いに分身と思える女性二人がほぼ50分余り、休みなく物語を話したり聞いたり、ひっきりなしに遣り取りする舞台から、一つのイメージが問わず語らず立ち上ってきます。それは老婆と詩人のダイアローグではない、老婆の胸中から発する物狂おしいモノローグではないか、物狂いが次々に自己増殖する幻影のドラマではないか、というかイメージでした。最小限の俳優で作る舞台に、それはふさわしい構えかもしれません。音楽の造形作用とイメージの自己増殖/自己開花を結びつけた珍しい舞台だったのではないでしょうか。

 「三島由紀夫はこの作品の中で、日本と西欧、二重の視点から『永遠』を描いているように思われます。今回はそのぶれを、そのままなぞってみようと考えました」-。プログラムにそう書かれていますが、ぼくの器では、そこまで上昇した観念を受け止めかねました。獅子丸の役割も音の響きも、明快な像を結んでいなかったような気がします。

 会場は東京・荻窪の音楽スタジオでした。30人ほどでいっぱいでしたが、「場所を問いません。体育館、会議室、レストランでも上演可能です」というだけあって、楽器さえあれば、生演奏付きでほとんどどこでも公演可能なスタイルです。「半音下がった視点から 物語を言葉として音として立ちのぼらせて行く。想いが液化する瞬間……感情の露点を私達は描きます」(Webサイト)というこのユニットの特色を、よく表した公演だったと思います。
(北嶋孝@ノースアイランド舎 8.28補筆)


[上演記録]
しずくまち♭「卒塔婆小町 vol.2
■場所:音楽専用空間クレモニア (東京都杉並区荻窪)
■日時 8月21日(日)
■作 三島由紀夫
■演出 ナカヤマカズコ 岡島仁美
■作曲 侘美秀俊
■出演 伊藤美紀 ナカヤマカズコ  岡島仁美
■演奏 ピアノ:侘美秀俊 ボンゴ:由田豪 三味線:和姿子
■衣装 まちことなおこ

Posted by KITAJIMA takashi : 09:33 PM | Comments (0) | Trackback

August 21, 2005

東京黙劇ユニットKANIKAMA 「collection vol.2」

 パントマイムを中心に活動する小島屋万助さんと本多愛也さんの2人が作るユニットKANIKAMA。カニカマボコが名前の由来らしいのですが、ぼくがみた最終日18日のステージはどうしてどうして、鍛えの入った技だけでなく、緩急を効かせたソロマイムやボケとツッコミのコンビ芸に涙が出るほど笑ってしまいました。「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんが的を射たレビューを掲載しています。ちょっと長めになりますが、次のように報告しています。

黙劇ということで、作品としては基本的に演者2人のパントマイムで物語が進みます。 全部で5作品、それぞれにタイトルが付いておりまして、明確な状況設定がタイトルでなされます・・・トータルで1時間20分。一番初めの作品がペンキ塗りの作品だったのですが、この作品があんまり面白くなかった・・・(略)劇場の笑いもクスクスぐらいで、正直残り4作品が思いやられる作品だった。 けど、その残りの作品は一番初めの作品とはうって変わって、マイムの面白さを多方向から切り開いてみせてくれる作品群でした・・・どの作品も面白かったなぁ。 特に度肝を抜かれたのは、本多愛也さんが1人で演じられた「白球」・・・2本目の作品です。(略)大勢の人間をたった1人で演じ分けるという凄さもあるわけですけど、それ以上に感心したのは、作品構成の上手さです。

やっぱり、見抜いているのですね。

 小島屋万助さんの「出勤」(第3作)は忘れっぽいサラリーマンがカギの所在が分からなくなる動作を飽きもぜず繰り返すことから生まれるおかしさがモチーフでしょうか。4作目の「占い師」は通りかかったサラリーマンをなんだかんだと言いながら占いに引きずり込み、お金を巻き上げる一幕。「雨に唄えば」のバックミュージックも生きていたと思います。5番目の「対局」は将棋で張り合う2人の息の合った遣り取りです。

 なかでもやはり2作目の「白球」が抜群のおもしろさでした。本多さんが野球の形態模写をするパフォーマンスです。投手、捕手、打者、応援団、審判などの動きを次々と1人で表現します。その方法がまた多彩でした。

 まずある動作の終わりが次の動作の始まりにシームレスに接続しているのです。例えば、投手が捕手のサインをのぞき込み、首を何度か振った末に投げるのですが、その投球動作がそのまま打者のスイングに接続され、さらにキャッチャーの捕球動作へと滑らかに一連の動作として表現されます。さらに打者が走り、野手が捕球、送球。塁審が両手を上げてセーフの判定、と思ったら左右に伸ばした両手は前後左右に規則的に振り下ろされたり振り上げられたりして応援団のしゃちほこばった動きに変わり、太鼓叩きや校旗持ちのユーモラスな動きに移行するのです。ある時はゆっくりと、ある時はずんずん加速していきます。簡単なように見えて、練り上げた技が生かされているように思えました。夏の高校野球大会が開かれている最中でしたので、舞台がいっそう身近に感じられました。

 もうひとつ、連続技のほかに、動作の切り替えにアクセントを付けて反転したり、切り替えをあえて明示する方法も随所に見られました。連続と反転、それに緩急。これらは身体表現の基本なのでしょうが、そんか小難しいことはまるで感じさせないまま15分余りの熱演で観客を笑いの渦に巻き込んでしまいました。いやはや、参りました。

 演出の吉澤耕一さんは、遊機械◎全自動シアターの初期に構成・演出を担当していました。確かにその舞台はいろいろ工夫されて作られているのですが、見る側の緊張や警戒心を気付かないうちに解き放ち、いつのまにか劇の中にぼくらを溶け合わせる心憎い技を発揮していたと記憶しています。その手法は健在でした。2人の技だけでなく、演出の目配りが効いていたと思います。


追記(8.23)
 「おはしょり稽古」のあめぇばさんが東京黙劇ユニットKANIKAMA 公演を「夏の空き地におじさんが二人」というタイトルで取り上げています。二人のマイムがチャップリンではなく、無声映画時代のディズニーを連想させるというポイントを押さえながら、日本的な「間」について次のように指摘しています。

このソロパフォーマンスも、特筆すべきは「間」だと思う。さぁ始まるぞ、決着つくぞ、ってところでカメラが応援団の風景を映す。鍵が無い無い無いって捜してるサラリーマンがふっと冷蔵庫開けて涼んでしまう。ついでに中のアイスかなんか食べてくつろいでしまう。ついでに言うと本田愛也の女役はどれもミニーマウスやベティーちゃんに似ていた。

なるほど。指摘が具体的で納得でした。なるほど。


[上演記録]
東京黙劇ユニットKANIKAMA 「collection vol.2」
新宿タイニイアリス(8月16日-18日)

出演 小島屋万助(小島屋万助劇場)、本多愛也(ZOERUNAassociation
演出 吉澤耕一
照明 吉澤耕一
照明操作 青山崇文、根本諭
音響 木下真紀、吉岡英利子
音響操作 吉岡英利子
舞台監督 杉原晋作
宣伝美術 中山京子
宣伝写真 伊東和則
記録 藤本真利
制作 Kanikama制作部

Posted by KITAJIMA takashi : 10:27 PM | Comments (0) | Trackback

August 15, 2005

和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」

 和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」公演が8月4日-5日の2日間、東京・麻布die pratze で開かれました。舞踏の世界で、土方巽の弟子(和栗)と大野一雄の弟子(上杉)が共演するのはきわめて珍しいそうですが、その世界に疎いのでともかく舞台に目を注ぐことにします。
 最初は和栗のソロ約20分。次が上杉のソロ約20分。最後が2人で共演というか、「歩み寄る」という象徴的なシーンを作ります。

 和栗のソロは、場所的移動を極端に押さえたパフォーマンス。中央に立つ、というか佇むというか、やや腰を落としたまま、頭、目、眉、鼻、頬、額から始まり、首、肩、腕、手首、手のひら、5×2の計10本の指それぞれが反ったり撓んだり歪んだりきしんだり、お腹も背中も足脚以下も同様に微細な動きが次から次へと伝播するように、目に見えるほど筋肉の緊張が伝わっていきます。目の玉も大きく見開かれたりあらぬ方向を向いたり、それぞれの器官が左右違った動きを見せたり。ほとんど動かない身体は、みる側を息苦しくさせるほど。白塗りと言うか、土色の肌に筋肉の張りつめた形が現れるのを固唾をのんでみていました。

 舞台の後ろは白い幕を左右でからげ、出入りできるようになっています。和栗のソロが終わるころ、右手の幕から上杉がうつぶせになるぐらい身体を這わせて待機、和栗の退場とともにククククッとステージ中央に登場します。黒紫のドレス姿で円を描くように走り回ったり、暗転で大ぶりの着物姿に早変わりしたり、キツネ(犬?)面を被って踊り、面だけ客席に向けて後ろ姿のままのパフォーマンスを見せたり、豊かな表情とステージをいっぱいに使った動きが対照的でした。

 最後のステージは30分あまり続いたでしょうか。「白鳥のめがね」サイトのyanoz さんは次のように述べています。

この公演は、ラストーシーン、上杉と和栗の二人がステージの両端からゆっくりと歩み寄っていく場面が全てだった。
すくなくとも私にとっては、上杉の、まったき感受的な場となったかのごときまなざしを差し向けながらの、一歩一歩がふるえる息吹であるような歩みと、和栗の、眼を馬のようにして、硬く引き締まった筋肉をじりじりと駆動させていく歩みとが、互いの気配を緊迫させながら空間を占めてゆく、この音楽抜きのひとときに立ち会えただけで、十分だった。この時間だけを一時間たっぷり味わう事ができたらどれだけ素晴らしかった事だろう。

 2人の共演をプロデュースした舞踊評論家の志賀信夫さん(デュカスの日記舞台批評)によると、次のような経緯があったそうです。

企画は元々、和栗由紀夫さんと上杉貢代さんの舞踏、特にソロ部分がとても好きだったので、一度一緒に踊ってもらいたい、ということがきっかけでした。
 お話をもちかけても、最初はなかなかウンといって頂けず、一晩3人で飲んでようやくっていう帰り際、「やっぱりやめようか」ってなったり。
 でも実際に動き出してからは、結構スムーズに行かれたようで、最初上杉さんも15分くらい顔を出すだけ、というところから次第に積極的になられて、最終的にはコラボレーションといえるにふさわしい舞台になったと思います。4回のリハーサルであそこまで舞台が作れるのは、やはりプロです。特に後半の2人が絡む場面は、美しく感動的でさえありました。

 志賀さんが司会を務めたポストパフォーマンストークで、この公演の枠組みは和栗提案に沿っていたことが分かりました。「土方舞踏は空間とフォルムの型はあるけれど、時間は踊り手に任されている。この機会に土方舞踏を丁寧に踊ってみたかった」という和栗さんに対し、上杉さんは最初戸惑ったようです。「習っていたクラシックバレエは型そのもの。それが堅苦しくて、型のない大野一雄に引かれた。しかし今回は型のない不安はあったけれど、無防備でいこうと決めてから入り込めた」と話していました。2人の間柄について和栗さんは「わけ登るふもとの道は違えども、同じ高嶺の月を見るかな」という歌を何度か引用しながら、「同世代で話の合う”戦友”」と表現していたのが印象に残っています。

 蛇足を承知で付け加えますと、「神経の秤」はアントナン・アルトーの作品から取られています。「アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である『残酷劇』を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える」(『ウィキペディア(Wikipedia)』)と言われています。音楽は「バルトークやリストが好き」(和栗)「いつかワグナーの『トリスタンとイゾルデ』や『タンホイザー』で踊ってみたかった」(上杉)と話していました。

Posted by KITAJIMA takashi : 11:59 PM | Comments (0)
1 |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10  | all pages