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October 21, 2004

パパ・タラフマラ「パレード」

 パパ・タラフマラは息の長い活動を続けています。Webサイトをみると、1982年の公演がトップに載っているので、20年余りの長い歩みを続けてきたことになります。
 今秋、稽古場としても使っているスタジオサイで開かれた「島~ISLAND」公演をみました。ぼくがパパ…のステージを何度かみたのはもう10年あまり前ですから比べるといっても期限切れかもしれませんが、やはり年月の重みを感じさせるパフォーマンスでした。詳しくは別の機会に譲りますが、渋い、熟成した雰囲気が漂っていると思います。
 以下、参考までに、90年末の「パレード」公演について書いた感想を掲載します。

◎PAPA TARAHUMARA /PARADE
1990年12月26日、青山スパイラルホール。

冷たくてあったかい。モダンで懐かしい。さり気ないのに緻密…。そんなふしぎな撞着に出会うことはないだろうか。パパ・タラフマラの「パレード」公演をみて、相反する二重三重の感情のもつれを体験した。

パパ・タラフマラを初めてみたのは一昨年の秋、東京・恵比寿のファクトリーで行われた「パレード」公演だった。今回は東京・青山のスパイラル・ホールでの年末公演。何度か上演している代表的作品だけに、骨格は変わっていなかった。

白が基調のステージに、先の丸い白の円筒が何本か立っている。やはり白っぽい運動着ふうの衣服を身に着けた男女が、素早く、あるいはゆっくり、時には疾走して舞台を横切っていく-。そんなオープニングに、モダンなステージの特質がよく出ているように思えた。

言葉はほとんど出てこない。鳥の交信のような短い叫び、意味不明の言葉の散布が時折、ミニマル風ありアフリカのリズムありの音楽に乗ってみられるだけ。とりたててストーリーがあるわけでもない。時折ふしぎな形態のオブジェが現れ、出演者が戯れたりする-。

 基本のコンセプトをむりに振り付けたりしないから、こちらの身体にも余計な力が入らないし、自然なまなざしでいられた。 だから「意味」を汲み取ろうという試みは、肩すかしを食わされる。ぼくらはただ、そこに拡がるひとの動き、光と影(照明)、空間を演出する音楽に身を浸し、同調するだけである。

そんな「充実した空白」とでも表現するしかないステージから、何が浮かび上がってくるのだろうか。

都市でなければ発想できないモダンなオブジェや音楽。汗も臭いも感じさせない白っぽい清潔感。「意味」を消去する洗練されたスタイル。どこにでもあって、どこにもない、宇宙の異星に現れる無国籍の風景-。海外にも通じる普遍的な内実であろうか。

しかし何かが足りない。隙のない動き、統率された空間に欠けているのは何だろうか。しばらくぼんやりしていると、あるイメージが浮かんできた。それは笑いだった。身体に宿る哄笑、爆笑、失笑、微笑…。場を和らげ、空気を解き放つ笑い-。

 アランはたしか「幸福だから笑うのではない。笑いが私たちを幸福にするのだ」と語っていた。そのたった一つの欠如が、パパ・タラフマラの国境と国籍を、それこそさり気なく表しているように思えた。当然のことながらそれは、ぼく(ら)と通底しているという痛みの感覚を伴っている。

パパ・タラフマラは新作「ストーン・エイジ」の東京公演を3月にした後、京都、大阪、名古屋でも公演する予定という。また秋にはロンドンで開催される「ジャパン・フェスティバル91」に参加が決まっている。

それが待ち切れない人は、TEL0425(74)3270(サイ)でイベントやCDの問い合わせを-。
( 初出:医療総合誌 「ばんぶー」 1991年2月号)

Posted by KITAJIMA takashi : 05:53 PM | Comments (2) | Trackback

September 15, 2004

第14回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル

 第14回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル公開二次審査会が9月5日、天王洲アイルのスフィアメックスで開かれました。1次審査で選ばれた9団体が10分間のプレゼンテーションでアピールした結果、中学生の思春期をメルヘン風に表現した「野鳩」、音楽やサウンドを使ったコント集団「ラ・サプリメント・ビバ」、のぞき窓形式の芝居小屋を始めている「マダムゴールドデュオ」の3団体が選ばれ、来年2-3月に開かれるフェスティバルで公演できることになりました。
 「X-ray」サイトのkumaさんが、この審査経過を詳細にリポートしています。個々のグループや劇団の評価、さらに審査員のとんちんかんなコメントへの鋭い突っ込みなど、確かな鑑賞眼を示しています。

 このフェスティバルは「これからの演劇界を担う表現者を発掘し、表現の場を提供するとともに、演劇における新しい表現の可能性を 探る実験の場を提供」するのが目的で、「既存の演劇フェスティバルとは一線を画し、公募制というシステムをとることで、誰にでも公平にチャンスが与えられてい」るそうです。過去に選ばれた劇団やグループには、「珍しいキノコ舞踊団」「reset-N」「ポかリン記憶舎」「ニブロール」「チェルフィッチュ」などなど有名どころがそろっています。
 というわけで、ぼくも丸1日付き合いました。「野鳩」は審査員の満票をとるだけあって、関西や九州の方言を取り入れ、思春期をあっさり薄味で調理した奥行きのある芸風が決まっていて、頭一つ抜けていました。慶応義塾演劇研究会から独立した「とくお組」も才能を感じさせるグループでしたが、アイデア勝負の「マダムゴールドデュオ」にあぶらげをさらわれた感じです。それぞれの公演が楽しみです。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)
 

Posted by KITAJIMA takashi : 10:25 PM | Comments (0) | Trackback

September 10, 2004

サッカリンサーカス「女番長メス猫ブルース」

 サッカリンサーカスの 「女番長メス猫ブルース」公演が新宿のサンモールスタジオで開かれました(9月7日-13日)。精力的に都内の舞台を見ている「休むに似たり。」サイトがこの公演を取り上げています。「話は破綻しまくりというよりハナから放棄している気がします。(中略)話はともかくそれぞれキャラクタが生きてて見てて楽しいのです。とはいえ、じゃあ彼らは何がしたかったのかなあ、と思ったりもしますが」という感想が的を射ているのではないでしょうか。

 初日7日、雨の中を出かけて、ぼくも見てきました。
 Webサイトによると、作・演出の伊地知ナナコさんは早稲田大学大学院文学研究科方言学教室修士課程中退、第六回沖縄市戯曲賞大賞受賞、第二回日本演出者協会若手優秀賞受賞。その上、紀伊國屋書店のサイトですてきなエッセーも書いているので期待していました。しかし見事返し技(肩すかし)で場外に投げ飛ばされたような感じです。
 舞台は新宿と立川のスケ番たちが縄張り争いを繰り広げるというお話です。でも、頼りない女性数人で新宿のシマを仕切るなんて…。大沢在昌の「新宿鮫」シリーズをお読みになっているのか心配になりました。有名女子校の生徒が「裏番長」を張るという設定も「セーラー服と機関銃」を誤読したとしか思えません。「さあ、カツアゲに行くか」という女の子たちが「新宿にユートピアを作るんだ」と言ってもチグハグですよね。
 リアルであるかどうかよりも、リアルを知らないままファンタジーを紡いでいるような気がします。ミュージカルっぽいステージにしても、ウエストサイド物語が念頭にあったのかもしれませんが、歌や踊りで楽しませるところまでいきません。どこかで方針を誤ったとしか言いようのないステージでした。
 伊地知さん、どうしたのでしょう。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

Posted by KITAJIMA takashi : 10:09 PM | Comments (0) | Trackback

August 27, 2004

ペピン結構設計「ポエムの獣」

◎上質で味わいのある芝居 謎を問いかける仕掛けも
 ペピン結構設計「ポエムの獣」公演を8月19日、横浜・馬車道のBankArt1929で見ることができた。期待したとおり、上質で味わいのある芝居だった。いまどきこれほど演劇的な台本にお目にかかるのは珍しい。役者もしっかり役に馴染んでいて、明治時代に建てられた旧銀行支店という特殊な空間を生かした舞台美術の仕上がりとともに、作者・劇団の才能がうかがえるステージだった。

 筋書きは同時進行が多くて要約しにくいけれど、あまりはやらないコンビニを舞台に、2組の男女関係が同時進行で展開される。まず若い男性店員が、お客として現れたグラビアアイドルに迫られる話、それに絵を描く動物好きの女性店員が遊び人風の男に惹かれていく話。どちらも女心が分からない男が、共通項になっている。

 例えば、迫られながらうつむいたり、「好みではない」とつい答えるうぶな男、指輪を女性の店員に差し出しながら、同棲中と思われる女性とあっけなく結婚するヒモ(遊び人)…。やるせない恋心を扱いかねたり、もてあそんだり。このあたりのやりとりは、こころ憎いばかりのたたみ方である。

 といってしまえば、ごくありきたりの恋愛話になるけれど、この舞台では基本的に男女がカウンターを挟み、金銭のやりとりに媒介される関係として設定されている。こちら側とあちら側。今の世の中を貫く大原則だが、芝居はこれを何度か意識的に破ってみせる。一度は女生徒が衣類を脱いで男に迫るとき、「あちら」と「こちら」を分け隔てているカウンターを一気に乗り越えるのだ。二度目はお客として現れたグラビアアイドルが店員に迫るとき、やはりカウンターを乗り越えて突進する…。乗り越えるのはどちらも女の側。自分で選択し、突き進んでいく-。

 それがぎらつかず、上質の舞台空間を形作るのは、異性関係の間に相互了解の世界が存在することを登場人物が疑いもなく共有しているからである。切ない恋心は相手を思いやる心、それが空気や水のように当たり前と信じられる世界の了解、と言い換えてもよい。

 では、うぶな男とヒモ、つまり男たちは垣根越えが可能なのか。
 芝居は2つの道筋を示唆している。うぶな男は「しっぽ」を取り去ることによって、遊び人はカウンターの「あちら側」から、女性店員のいる「こちら側」に入り込むことによって。しかもそれは2組の男女が「花火」を楽しむ場面で表現される。短いかもしれないが、至福の瞬間として-。というよりも、至福の瞬間ははかないからこそ輝くのだと分かっている同士が、互いに沈黙しながら花火を見つめる濃密な間合いとして提示されている。

 会場は明治時代の銀行建築のせいか天井が高く(約7m)、4本の円柱がフロアーを横切っている。この柱を3本使い、ゆるくカーブする2つのカウンターをフロアーにそのまま作り上げた。客席はステージの、つまりカウンターの両側に配置された。会場の3方に設置されたスクリーンと中央の白い円柱に花火の映像が投影される。美術・装置・映像が一体になった印象深いシーンだった。

 相互了解の心的な空間を日本的といってしまうのはたやすいが、人が人である基礎的な条件に関わるということも出来る。舞台はしかしそこまで言葉の形にせず、また「こちら」と「あちら」の設定も、うぶな男が着けている「しっぽ」の意味も特に解釈を施さず、謎を仕掛けたままステージに載せている。ぼくは終演後、気持ちはしっとりしながら謎解きを求められたような、不思議な感情に襲われた。

 役者は芝居の流れに乗り、それぞれが役割を果たしている。ヒモ兼遊び人役の岡本祐介の軽い演技は楽しめた。それにもましてグラビアアイドル役の小泉萌は水着姿も美しく、いじらしい女心を演じて切なかった。演出が「ペピン結構設計」となっていて、これまで作・演出も兼ねていた石神夏希ではない。メンバー全員のアイデアを出し合って作った結果がステージに現れたのだろう。

 ペピンの舞台をみるのは今回初めてだったが、評価は高い。1999年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの学生を中心に結成。翌2000年から本格的に学外活動を始め、02年「東京の米」で作者の石神夏希が第2回かながわ戯曲賞最優秀賞を受賞。若手演出家コンクール2002奨励賞も受け、今年2月に東京・池袋で開かれたリージョナルシアターに出場するなど、売り出し中の劇団、作者だった。

 しゃれたシーンもあれば、切なくなる場面もある。お客の来ないコンビニで出入りのチャイムが頻繁に鳴り響くきらいはあるけれど、謎の仕掛けも心得た台本に優れた演劇的才能を感じる。これからどのような作品が誕生するか、楽しみになった。
(北嶋孝 2004.8.26)

「ポエムの獣」
■作  石神夏希
■演出 ペピン結構設計 http://pepin.jp/
■出演 井上知子 岡本祐介 小泉萌 小林悠 吉田能 石神夏希
■日時 2004年8月19日(木)-22日(日) 各回18時開演 全4公演
■会場 BankArt1929馬車道 http://www.bankart1929.com

Posted by KITAJIMA takashi : 05:38 PM | Comments (0) | Trackback
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