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June 29, 2004

五反田団公演「家が遠い」 

青年団と緊密な関係を保つ「五反田団」は相変わらず活発な活動を続けています。今年の5月公演「おやすまなさい」が第25回。ぼくの初見は昨2003年春でした。そのときの第20回公演「家が遠い」(5月2-5日、東京・こまばアゴラ劇場)の評をある雑誌に発表しました。以下、その再掲です。

◎ほろ苦い傷みの記憶 五反田団第20回公演「家が遠い」

 三方は客席で囲まれ、残りは高い塀で仕切られている。こんな鍋底のような舞台で、塀を背に座り込んだ中学生4人が暇つぶしに過ごす下校途中のひととき-。五反田団の第20回公演「家が遠い」(5月2-5日、東京・こまばアゴラ劇場)は閉ざされたビルの谷間で過ごす中学生の緩やかな時間が描かれている。

 学生服の4人はたばこをふかし、ジュースを飲む。親のはげ頭をけなし合い、カツラを話題にする。バンドを始めようと1人がテープレコーダーに吹き込んだ自作の曲を再生すると、ほかの仲間は白けてしまう。楽器を弾ける人がいない、楽器を買うお金がない…。

 あちこちに話が飛び移けれども、座り込んだまま口もきかない仲間が1人。その姉が、弟を連れ帰りに現れる。言うことを聞かないため、バイト先に断りを入れる姉。時間がいたずらに過ぎていく。ほかの生徒が無理に立たせようとすると、弟は思い切り暴れ回る…。その役どころはじつは、生身の役者ではなく、人形だった!

 劇的でも起伏のある筋書きでもない。淡々というか、だらだらというか、学校の話題や家庭の出来事も突き詰められることなく、うっすらとたなびく雲のように続いていく。退屈だけれど、退廃するほど尖っていない時間-。

 事件らしい事件は最後近くに起きる。何度か起きあがらせようとして果たせなかった姉が、寝ころぶ弟にまたがって、無言のまま殴りつける。バシッ、バシッ、バシッ…。殴りつける音だけが会場いっぱいに響く。淡々と進んできた芝居の中で、異様な時間帯だった。

 しかしまた、それが新しいドラマを生むわけでもない。とりとめのない話題に転換してしばらくしたあと、ゆっくり暗転して舞台が終わる。

 作・演出は前田司郎。近く平田オリザの青年団と合併するという。今回の舞台は、二つの劇団の合同連続公演の一環だった。

 五反田団は「静かな舞台」では共通するけれど、青年団のようにステージの奥に社会の影が色濃く差すような作風ではない。今回の舞台はフツーの中学生の一こまが、閉じた形で繰り広げられると思えばいいのだろうか。閉塞というにはあまりに素直。無理にお話を作らない、作ろうとしないスタイルが特色なのかもしれない。

 しかし、いや、だからこそ、だれもが記憶の片隅に持つささやかな場所を、ほろ苦い傷みとともに思い起こさせる舞台だった。

(北嶋孝@ノースアイランド舎、初出「ばんぶう」03年6月号)

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私たちはアジアのことをちっとも知らない。もっと知らなければ

-6th National Theatre Festival
この3月末から4月にかけて2週間、ニューデリーへ行ってきた。目的は第6回インド・ナショナル演劇祭を見ること。インドの国中から、あるいはイラン、スリランカ、パキスタン、タイ、ネパールなどアジアの国々から招かれた75劇団が、おのおの1回公演。したがって1日に4本、多い日には6本というペースで休みなく上演されていくという大きな演劇祭である。

主催はNational School of Drama という大学院大学。そのNSDの、ANURADHA KAPUR教授というエレガントで美しい女性の先生に、プログラムの、これは見たほうがいいという舞台には○を、中でもこれは見逃さないでというものには※をつけてもらい、全公演フリー・パスまでもらって、すぐに観劇開始。演劇祭の後半、ほぼ32本を見ることができた。

劇場は、大学のキャンパス内に実験的な演劇を主とする小劇場と中劇場があり、期間中に野外劇のための仮設舞台もみるみる作られていった。他に大学の、正門からほんの数分のところに大劇場が2つある。4つの劇場の開演時間はそれぞれ午後の3時、5時、7時、9時と決まっていて、1本見ると次の劇場へと移動する。ときどき8時から開演する野外劇もあるから油断はできない。結構忙しい。

どうしてまたわざわざニューデリーまで出向いたかというと、Alice Festival2003 に海外から招いた3劇団のうちの一つ、The Indian Shakespeare Companyの「Love: A Distant Dialogue」が、ただ大道芸人の通じぬ片言英語と身体でロメオとジュリエットみたいな一目惚れとその別れを描いただけなのに、国境ってなーに?といったことまで想いを馳せずにはいられない、素晴らしい舞台だったからである。タイニイアリスの相棒の丹羽が2002年の第4回演劇祭で観てきたのだった。私もそれまで、インドにこんな演劇祭があり、こんな同時代演劇が上演されてるなんて全然知らなかった。

この第6回演劇祭。柳の下に、すぐさま掴まえられる2匹目の泥鰌はいなかった。が、しかし、魅惑的な役者、工夫を凝らした演出に惚れ惚れ眺めたのが2本、もうちょっと何とかすれば、もったいないというのが4~5本あった。キャンパスのベンチで一休み、紅茶を飲んでいると、これ見てくれないかと自薦他薦のCDを持った若い演出家たちが話しかけて来てくれる。日本への関心が強いのだ。残念ながらそのCD見る時間はまだないが、この中にも素敵な舞台が詰まっているにちがいない。

小劇場を中心とした実験的な舞台には、陰に陽に9・11やイラク戦争やイスラエルの攻撃など戦争を踏まえた作品が少なくない。夢の構造を採って日々の生活に抑圧された内面を描こうとする作品も多い。 今!自分が生きているこの時代を表現しようとするその姿勢は、日本の小劇場演劇とまったく同じと言っていい。古典芸能の、なかでも庶民的、開放的な身体の伝統を生かそうとするところが日本の小劇場演劇にはない強みであろうか。

一家50人で1劇団、200年も続いているというS.V.N.M、昼間はココナツ栽培の農業、夜は芝居というコンミューン劇団HOST-O-THEATRE等々、ほかに報告したいことも多いが、紙数がない。私たち日本人は欧米のフェスティバルのことなら結構知っているのに、アジアのことはちっとも知らない。まず♪初めの第一歩」であった。

(西村博子 2004.5.25 「Cut In」6月号掲載)

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June 02, 2004

うずめ劇場「いまわのきわ」

うずめ劇場の東京公演は2002年11月2-4日、東京練馬区の黒テント作業場で開かれました。当時の劇評を以下、再掲しますが、世界には恐るべき書き手がいるものだとあらてめて感じ入った次第です。

◎筋書きを逆にたどるオムニバス

 一筋縄ではいかない芝居を見せてもらった。スペイン・カタルニアの劇作家セルジ・ベルベルの「いまわのきわ」。彼の作品は国内で初めての紹介らしい。

 いったん語られた筋書きを逆にたどる意外性、ばらばらのエピソードを結び直す構成力、最後の最後にシニカルな結末を用意する批評精神。風変わりなオムニバス形式のドラマは、前半と後半では異なる場面に導き、登場人物の関係をさまざまに変奏する。曲がりくねった筋の枝葉に連なる私たちの関係のあり方を提示するとでも言うべきだろうか。見事な収拾と言うほかない作劇の力である。 まず7つの物語が前半の2時間で演じられる。

 事故に遭った人が見る光景を語る作家と聞き入る妻、薬物中毒の弟と入院させようとする姉、しつけで対立する母と娘、階段から落ちて骨折し入院した男性と看護婦、親戚に深夜の電話でお金を無心する孤独な老女、パトローカーに乗っている男女警官、帰宅した男と待ち受けた暗殺者…。

 ごく普通のオムニバス形式の舞台かと思っていると、後半の1時間は、7つ目の話から場面が逆にたどられ、ドラマは冒頭に向かって巻き上げられていく。

 暗殺者を捕まえたという警察への通報が男女警官を乗せたパトカーに届く。そのパトカーにはねられた男は、老女の息子。息子が担ぎ込まれた病室に隣り合わせだったのが骨折男で、娘が食べ物を喉に詰まらせたとき助けに飛び込んでくるのが退院した骨折男だった。麻薬中毒の弟を訪ねる姉が同行するのは、喉に食べ物を詰まらせた少女で、弟が自殺未遂で担ぎ込まれた病院は、作家の妻が勤務する病院…。前半とは異なる筋書きの下で、ばらばらのエピソードが糸をたどるように結びついていくのである。

 しかも前半の無造作な死は、後半の展開でさま変わりする。

 前半で殺される男が後半では神をかたって生き残り、病室で孤独死する骨折男が同室のオートバイ事故に遭った若い男とアルコール中毒の母親に助けられ、その骨折男が食べ物を詰まらせた少女を助ける…。

 だがすべてが生き残るわけではない。最初で最後のエピソードで皮肉な結末が用意される。夢を語る作家と、現実を直視せよとなじる妻を対比させながら-。

 演出は、第1回利賀演出家コンクールで最優秀演出家賞を受賞した東ドイツ出身のペーター・ゲスナー。彼はブレヒトやハイナー・ミュラーの伝統を生かし、北九州を拠点に劇団「うずめ劇場」を主宰する、いま注目の演出家である。

(北嶋孝@ノースアイランド舎、初出「月刊ばんぶう」2002年12月号)

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燐光群公演「屋根裏」

 劇団「燐光群」は設立直後から注目していました。美香が主演していたテンションの高い初期の作品から飛び飛びにしか見ていないので忠実な観察者とは言えませんが、節目の作品を目にしているので、流れはつかめているつもりです。ここに掲載した「屋根裏」は2002年に上演され、これらの作品で主宰者(作・演出)の坂手洋二がその年の読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞しています。

◎虚実すれすれ、緩急自在な世界

 劇団「燐光群」を主宰する坂手洋二の活躍がめざましい。毎年新作を劇団で上演するほか、他の舞台に作品を提供したり演出を手がけたり、休む暇がないように見える。社会を見据えたテーマで問題作を次々に繰り出す彼が、この夏取り組んだのは、5-6月に上演した「屋根裏」の追加公演バージョンだった(8月22日-28日)。

 幕開きの光景は異様だった。明るくなった舞台は壁のように塞がれ、そこに屋根裏の断面が穴のように空いている。壁にサインが書き込まれたオリジナルのユニット。個人の空間を求める人たちに売れた人気商品、という設定だった。ありそうでなさそうな、虚実すれすれの境界領域に物語が架橋される。特異な設定から力業でドラマを作り出す坂手ワールドの始まりである。

 その屋根裏で、5カ月も閉じこもった末に弟が自殺したという男性がまず登場する。レンタルだった屋根裏の管理人を問い詰め、制作者を割り出そうとする行動がオムニバス形式による物語の発火点となった。

 屋根裏に閉じこもる少女を訪ねてきた同級生の男の子が、やましい訪問動機をあばかれていきなりオナニーを始めたり、屋根裏に若い女を監禁している中年の息子とその母親が相互依存関係であることが明らかになったり、浮浪者風の男女が屋根裏ごと水中に突き落とされたり…。屋根裏ユニットもビルの屋上や公園の片隅をさすらい、最後にたどり着いた先は、若い兄弟がいる穏やかな作業場だった。

 製作者の弟と重度障害の兄。若い2人が働く静謐な世界から生まれた工作物が、かえっておどろおどろしい現実をめくりあげるように露出させ、どん詰まりと見えた場所を一転して心安らぐ空間に変える。緩急を心得たストーリーテリングの才能を堪能させてくれる2時間だった。

 俳優たちも粒揃い。とりわけ閉じこもりの少女を過激に演じた江口敦子の姿が印象深い。

 会場となった梅丘ボックスは、稽古場などに使ってきた劇団の拠点。数十人も入れば満員の小さなスペースだったが、その狭さを逆手にとり、「ブレスレス」で岸田國士戯曲賞、「天皇と接吻」で読売演劇大賞を受賞した坂手の実力のほどを見せた舞台だった。
 10月は劇団公演「最後の一人までが全体である」とプロデュース公演「阿部定と睦夫」など。予定が目白押しの売れっ子である。

(北嶋 孝@ノースアイランド舎、 初出「月刊ばんぶう」02年10月号)

Posted by : 11:47 PM | Comments (0) | Trackback

少年社中「ハイレゾ」 

 少年社中「ハイレゾ」は賛否の分かれるステージだったようです。「ほぼ観劇日記」は初演を見た上で、次のように述べています。「私はこの作品が社中の最高傑作だと思っていましたし、初演を越える作品を観せてくれたと思います。音がうるさいとか、アニメっぽいとか、せりふが良く聞き取れないとか言われているようですが、そんなことは関係ないですね。彼らの、熱い思いがひしひしと伝わってくる舞台だった…」。

Posted by KITAJIMA takashi : 02:53 AM | Comments (0) | Trackback
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