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こまつ座 『父と暮せば』

劇場はなみだにゆすれ

 1994年の初演から数えて10回目の再演となる『父と暮せば』のこまつ座公演(ロシア公演1回を含む)は、過去の例に漏れず、劇場に笑いと涙の汪溢する舞台であった。紀伊國屋サザンシアターを埋め尽くした客席が流した、その涙の理由はどこにあるのか。そこには何より圧倒的なまでの戯曲の力が存在している。

 作品の主題を云々することはこれまで散々行われてきており、夢幻能の形式を借りた劇構造や「一人二役(二人一役)」の趣向についても作者自身が常々語っていることなので、今更鹿爪らしく愚言を弄することもあるまい。しかし、「戦争を知らない子供たち」のそのまた子供である筆者のような世代から見える「戦争」とは何か。井上ひさしとこまつ座が「昭和」、「戦争」についての演劇をつくりつづけている理由がそこにはあるし、『父と暮せば』の軸に少しは触れることにもつながるのではないか。

 「戦争」、あるいは「原爆」という鍵言葉を柱の一つに置くことは、次世代への啓蒙でも同世代への共感でもない。かつて存在した「昭和」という時間に、「こんなことがあったそうじゃ」と語られる「おはなし」。知らなければならないことがある。聞いてしまった声がある。井上ひさしはそれを話してくれる。ただそれだけのことだが、ここには「物語」の本質がある。「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを」伝える図書館の司書であり、広島女専では「前の世代が語ってくれた話をあとの世代にそっくりそのまま忠実に伝える」という根本方針を掲げる「昔話研究会」の副会長を務めた美津江。郊外の村々で土地の年寄から仕入れてきた昔話を、今度は自分が子供たちに聞かせようとする。「おはなし会」のリハーサルの場で竹造は、よく知られている話の中に原爆資料をくるみ込むことを思いつく。

 「原爆」を物語に組み込むことは、「被爆者」と「非被爆者」との意識の間に横たわる溝の計り知れない深さ大きさに、ただ呆然とするだけだ。「非被爆者」であること自体がすでに「原爆」を語る資格を持ち得ない。「絵空事」が許されない世界があるのだということを、井上ひさしは資料収集の過程で被爆者の生の叫びとして聞いた。井上が「聖書」とさえ呼ぶ、被爆者たちの「手記」がある。その手記から原爆にまつわる逸話を抜き出し、折り込む。美津江や、その周囲に起こった出来事はすべてが手記からの引用である。話をいじらず、一人の被爆者の女性の人生に託す。劇構造そのものが作者の思想を表現する。しかし、木下さんに「気に入ってもらおう思うて」「話をいじっ」てしまった「ヒロシマの一寸法師」は、美津江の古傷を思い出させ、被爆者にとっての被爆体験を「忘れたい」記憶にしてしまう。竹造の存在が、その行動は実は美津江のものだとしたら……。竹造は美津江自身であるという趣向は、劇中のあらゆる細部に効いてくる。劇中に現れるすべての逸話がそのまま『父と暮せば』の作劇法なのである。

 時間、世代を超えて被爆者を痛め続ける「原爆症」は命の連鎖にまで言及する。恋を諦め、静かに生きて世の中から姿を消そうと思っている美津江。恋の成就はそのまま、つながっていく命を認めることにもなろう。口承による「物語」の伝播も、記憶と命の連鎖そのものであることは言うまでもない。『父と暮せば』という「物語」がいつか観客のそれぞれが語り伝えられる「おはなし」になったら。そんな願いがある。たとえば「一寸法師」のように。

 今公演の収穫は西尾まりではないか。『父と暮せば』は初演キャストのすまけい・梅沢昌代というこまつ座常連コンビによって、すでに一つの「完成形」が提出されてしまっている。幽霊の竹造と、竹造が死んでいるとわかっている美津江。遊びのある軽妙な個性の衝突によってつくりあげられた地点から見ると、果たして以降に以上の出来は期待できないのではないかさえと思わされる。実際その後、前田吟・春風ひとみ、沖恂一郎・斉藤とも子と引き継がれたが、初演を超える評判は聞かない。今回の辻萬長・西尾まりは四代目の竹造・美津江父娘である(1992年のカンパニー・パリ21によるフランス公演での小野地清悦とバルバラ・サルシを勘定に入れれば五代目)。すま・梅沢コンビとはまるで違う方向から攻めた好演であった。激情を、文字通り「必死で」抑え込み、一語一語吐き出すようにして台詞を語る西尾まりの演技は出色であり、「生きること」の困難に耐えながら過ごしてきた美津江の、意識の奥底に沈む記憶を表現して見せた。辻萬長の冗談が冗談にならない、力一杯、真っ直ぐな竹造とあいまって、新しい竹造・美津江像の可能性を示したといえる。(後藤隆基/2004.08.01)

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