11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

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August 15, 2004

よこしまブロッコリー「グルグルPlanet 六畳半と彼方のアイツら」

名古屋の小演劇インプレッション」サイトで「#10」さんが、よこしまブロッコリー「グルグルPlanet 六畳半と彼方のアイツら」公演(愛知県芸術劇場小ホール、04/08/14-15)を取り上げています。「面白かった。明確なドラマがあるわけではなく、二つの場所で起こる出来事が淡々と描かれているような舞台だが、何かが伝わってくる。…全編を通じて流れるのどかな、でもどこかに切なさを残す空気感は絶妙」と述べています。

Posted by KITAJIMA takashi : 11:59 PM | Comments (0) | Trackback

August 14, 2004

こまつ座「父と暮せば」

力作をいただきました。こまつ座第73回公演「父と暮せば」です。
執筆した後藤隆基さんは「『演劇って何だろう』という素朴な疑問を、一つの舞台がどのように構成されているか、主に「聴く芝居」という観点から考えています」という大学院生。これから内容の濃い原稿が次々に登場します。
今回の記事は内容を考えればもっと早く掲載すべきでした。編集サイドの怠慢です。ご容赦ください。

◎劇場はなみだにゆすれ こまつ座第73回公演「父と暮せば」

 1994年の初演から数えて10回目の再演となる『父と暮せば』のこまつ座公演(ロシア公演1回を含む)は、過去の例に漏れず、劇場に笑いと涙の汪溢する舞台であった。紀伊國屋サザンシアターを埋め尽くした客席が流した、その涙の理由はどこにあるのか。そこには何より圧倒的なまでの戯曲の力が存在している。

 作品の主題を云々することはこれまで散々行われてきており、夢幻能の形式を借りた「一人二役(二人一役)」の劇構造についても作者自身が常々語っていることなので今更鹿爪らしく愚言を弄することもあるまい。しかし、「戦争を知らない子供たち」のそのまた子供である筆者のような世代から見える「戦争」とは何か。井上ひさしとこまつ座が「昭和」、「戦争」についての演劇をつくりつづけている理由がそこにはあるし、『父と暮せば』の軸に少しは触れることにもつながろう。

 「戦争」、あるいは「原爆」という「鍵言葉」を柱の一つに置くことは、次世代への啓蒙でも同世代への共感でもない。かつて存在した「昭和」という時間に、「こんなことがあったそうじゃ」と語られる「おはなし」。知らなければならないことがある。聞いてしまった声がある。井上ひさしはそれを話してくれる。ただそれだけのことだが、ここには「物語」の本質がある。「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを」伝える図書館の司書であり、広島女専では「前の世代が語ってくれた話をあとの世代にそっくりそのまま忠実に伝える」いう根本方針である「昔話研究会」の副会長を務めた美津江。郊外の村々で土地の年寄から仕入れてきた昔話を、今度は自分が子供たちに聞かせようとする。そこで竹造は、よく知られている話の中に原爆資料をくるみ込むことを思いつく。

 「原爆」を物語に組み込むことは、「被爆者」と「非被爆者」との意識の間に横たわる溝は計り知れないほどに深く大きい。「非被爆者」であること自体がすでに「原爆」を語る資格を持ち得ない。「絵空事」が許されない世界が、事実があるということを、井上ひさしは資料収集の過程で被爆者の生の叫びを聞いた。井上が「聖書」とさえ呼ぶ、被爆者たちの「手記」がある。その手記から原爆にまつわる逸話を抜き出し、折り込む。美津江や、その周囲に起こった出来事はすべてが手記からの引用である。話をいじらず、一人の被爆者の女性の人生に託す。劇構造そのものが作者の思想を表現する。しかし、木下さんに「気に入ってもらおう思うて」「話をいじっ」てしまった「ヒロシマの一寸法師」は、美津江の古傷を思い出させ、被爆者にとっての被爆体験を「忘れたい」記憶にしてしまう。竹造の存在が、その行動は実は美津江のものだとしたら……。竹造は美津江自身であるという趣向は、劇中のあらゆる細部に効いてくる。劇中に現れるすべての逸話がそのまま『父と暮せば』の作劇法なのである。

 時間、世代をを超えて被爆者を痛め続ける「原爆症」は命の連鎖にまで言及する。恋を諦め、静かに生きて世の中から姿を消そうと思っている美津江。恋の成就はそのまま、つながっていく命を認めることにもなろう。口承による「物語」の伝播も、記憶と命の連鎖そのものであることは言うまでもない。『父と暮せば』という「物語」がいつか観客のそれぞれが語り伝えられる「おはなし」になったら。そんな願いがある。たとえば「一寸法師」のように。

 今公演の収穫は西尾まりではないか。『父と暮せば』は初演キャストのすまけい・梅沢昌代というこまつ座常連コンビによって、すでに一つの「完成形」が提出されてしまっている。幽霊の竹造と、竹造が死んでいるとわかっている美津江。遊びのある軽妙な個性の衝突によってつくりあげられた地点から見ると、果たして以降に以上の出来は期待できないのではないかさえと思わされる。実際その後、前田吟・春風ひとみ、沖恂一郎・斉藤とも子と引き継がれたが、初演を超える評判は聞かない。今回の辻萬長・西尾まりは四代目の竹造・美津江父娘である(1992年のカンパニー・パリ21によるフランス公演での小野地清悦とバルバラ・サルシを勘定に入れれば5代目)。すま・梅沢コンビとはまるで違う方向から攻めた好演であった。激情を、文字通り「必死で」抑え込み、一語一語吐き出すようにして台詞を語る西尾まりの演技は出色であり、「生きること」の困難に耐えながら過ごしてきた美津江の、意識の奥底に沈む記憶を表現して見せた。辻萬長の冗談が冗談にならない、力一杯、真っ直ぐな竹造とあいまって、新しい竹造・美津江像の可能性を示したといえる。
(後藤隆基 2004.8.1)

Posted by KITAJIMA takashi : 03:15 PM | Comments (0) | Trackback

August 13, 2004

dots「うつつなれ」

dots「うつつなれ」公演はさまざまな見方を提供しているようです。「dm_on_web/日記(はてな)」サイトは「良い意味で「いまだ何ものでもない」ものなのに、それをそれとして受容できる場にきちんと配置すべきだった」と述べ、コンテンポラリーダンスに詳しい「白鳥のメガネ」サイトは「いろいろ手持ちの手法や発想を均整のとれたかたちにまとめる力量はあるのかもしれないけど、一点突破の狙い撃ちはできていない。手馴れてはいるけど、大胆さはどこにもない」と手厳しい。京都の学生集団というと、すぐダムタイプを思い出させるのがいけないのかもしれません。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:08 PM | Comments (0) | Trackback

August 12, 2004

中野成樹(POOL-5)とフランケンズ「ホーム&アウェー」

「白鳥のめがね」サイトが中野成樹(POOL-5)とフランケンズ「ホーム&アウェー」公演を取り上げています。舞台で起きたことの内的連関の提示、演技と演出の構造などが腑分けされ、公演がx線で透視されているような印象を受けます。「反転しあう第一部と第二部をおさめたSTスポットの空間が、ひとつのアレゴリーとして成立し、作品は終わる」。未見なのに、思わずうなずいてしまいました。

Posted by KITAJIMA takashi : 12:11 PM | Comments (0) | Trackback

ミュージカル「オクラホマ!」

 これまで特定の公演に絞ってサイトやページを紹介してきましたが、きょうはミュージカルを中心に、詳細なデータを取り込み、舞台の息吹を伝えるレビューが掲載されているサイトを紹介したいと思います。名前は「Neverland Musical Community」。筆者のクワストさんは米サクラメント在住で、日本でだいぶ舞台を見た蓄積があるようです。
 最新のレビューは「ペンザンスの海賊」。「ミカドのオペラッタで知られるギルバートとサリヴァンによる喜歌劇で初めてアメリカで上演された作品」だそうです。前後して掲載された「オクラホマ!」のレビューで、このミュージカルが日本で本格的な翻訳上演されていないのは「作品の根底に流れる異端を忌み嫌う差別主義の匂いを感じさせるせいかもしれない」と指摘するなど、ドラマの奥をつかみ取る姿勢が感じられました。充実したreview listを開くと、どのページにも舞台をみる楽しさがあふれているように思います。

Posted by KITAJIMA takashi : 11:16 AM | Comments (1) | Trackback
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