11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

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September 30, 2004

シス・カンパニー「ママがわたしに言ったこと」

 木内みどり(祖母)、渡辺えり子(母)、大竹しのぶ(娘)、富田靖子(孫娘)の4人が登場することで話題を呼んだシス・カンパニーの「ママがわたしに言ったこと」公演が東京・青山円形劇場で開かれています(9月4日-10月3日)。
 シス・カンパニーのWebサイトによると、英国の女性作家シャーロット・キートリーが、25歳だった1985年に書き下ろした作品で、母と娘、3組4世代に渡る女たちが、結婚や仕事、女性ならではの決断の瞬間を、時を超えて語り合う内容。時間と空間を自在に往還する劇構造や、女性だからこそえぐることができる<母と娘>という、女同士の複雑かつ繊細な関係描写が反響を巻き起こし、フランス・ドイツ・デンマークなどヨーロッパや、米国・カナダ、オーストラリア、イスラエルなど世界各国で上演されたそうです。
 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)のタカオカサチコさんは4女優の演技を評価しながらも、「女性作家が女性を描いた舞台ながら、本音の掘り下げが、少々物足りなかった」と述べています。

 「観客の誰もが自分の人生とどこかしら重ね合わせて感情移入して観ることができていたと思います。私も色々思うところあって、考えさせられたり共感したり、どっぷり作品の中に入り込みました」と言うのは、「しのぶの演劇レビュー」ですが、後半の展開で「属人的な事件に焦点をを当ててしまったため、“ある家族のドラマ”という枠内に納まってしまい、普遍性が感じられなくなってしまった」と指摘しています。
 「踊る芝居好きのダメ人間日記」は「キャスティングの豪華さ、的確さももちろんのことですが、演出家にスズカツ(鈴木勝秀)さんを迎えることが、プラスに働いたのではないかと思われます」と述べています。
 女優陣はそれぞれ持ち味を出していたようです。「藤田一樹の観劇レポート」は「4人ともオーラを発していて存在感があるので、凄いなぁと思いながら観ていました」と率直な感動を語っています。

Posted by KITAJIMA takashi : 09:14 PM | Comments (0) | Trackback

September 29, 2004

デフ・ウェスト・シアター「ミュージカル ビッグ・リバー」

 ホリプロ・テレビ朝日・朝日新聞社・TOKYO FM共催のデフ・ウェスト・シアター「ミュージカル ビッグ・リバー」公演(9月28日-10月24日)が東京・青山劇場で開かれています。
 「しのぶの演劇レビュー」が早速取り上げました。
 マーク・トウェイン原作の「ハックルベリー・フィンの冒険」をもとにしたミュージカルで、舞台版オリジナルは1985年に発表され、トニー賞を受賞した作品。「デフ・ウェスト・シアターの「デフ」は英語でdeaf、つまり聾者(ろうしゃ)。…聾者の俳優さんは声を出さずにアメリカ式手話(American Sign Language)で語り、聴者(耳の聞こえる健常者)の俳優さんが聾者の俳優さんの裏、または横でセリフをしゃべったり歌ったりします」「大人数でそろって手話をするのはとてもきれいでした。アメリカ式手話がいわばダンスの振付になっている」舞台だそうです。「興奮冷めやらぬ初日の夜が明けて、メルマガ号外(2004/09/29)を出しました!」と報告しています。

 米国に住みながらこの公演の応援サイトを立ち上げた「Neverland Musical Community」サイトの「クワスト」さんが米国の公演を見て、詳細なレビューを載せています。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:16 PM | Comments (2) | Trackback

青年劇場 『夜の笑い』

「再演」の意味を問う

 青年劇場創立40周年と飯沢匡没後10周年を記念して、紀伊國屋サザンシアターで『夜の笑い』が上演された。前世紀の忠義や「御国のため」という絶対的な標語の下に否定される命の価値を批判的に再現してみせたものの、結局のところ、戯曲の力に大いに助けられた公演だった。

 「授業中に餡パンくったら死刑!?」という惹句に内容はほぼ集約されるだろう。島尾敏雄の小説『接触』を原作に飯沢匡が筆を振った快作で、かつてあった一時代の現実を不条理劇に見立て、変わらぬ国の論理の危うさに言及する。『夜の笑い』は「ブラック・ユーモア」に通ずる。そうして描かれた歪んだ世界のおもしろさに対し、要所要所で演出の不徹底が目についた。

 たとえば「死」を前にした子供らの明るさ。校則を破ったのだから、士族の名に恥じぬよう自決を潔しとする志。しかし彼らは「死」が一体どういうものかを理解しておらず、単純な名誉と忠義心によって支えられている。明け方、一番鶏とともに死が眼前に迫る。生徒はその恐ろしさを知る。単に天晴れ軍人の型を演じせしめなかったところに飯沢の望みがある。そこに「御国のため」という物語を背負って死すら厭わなかった若き特攻の「侍」たちの姿を連想し、また若者の純心を利用せし学徒出陣の罪を問うことは容易いけれど、根底を流れるのは「笑いは武器になる」という精神である。終始無邪気に教師と相対し、自決までの時間を子供らしく演じなければならない。それがあって、いよいよとなった際の「おら急に死ぬっとん恐ろしゅうなってきたばい」が生きるのだ。にもかかわらず、五人いる生徒の人物造詣が真面目一辺倒で画一的だったためか、少年の心境の変化が舞台に立ち現れなかった。また、死を命じられた生徒の一人、細川の嫁、いよが夫を助けるべく学校に乗り込んでくるわけだけれど、その無学な娘が学校制度の曖昧な論理を、極めて「論理的」に看破していく様の滑稽味が物足りない。全体に芝居がかった台詞回しと声の強さで押しきった印象は拭えないし、リアリズムを貫いた生真面目さが、肝心の「笑い」を抑える皮肉に陥ってしまった。

 紀伊國屋演劇賞をはじめ多くの賞を浚った初演は1978年、四半世紀前である。1987年の再演を経、今回再再演となる。初演、再演ともに指揮棒を執った飯沢匡はすでになく、劇団の古株、松波喬介がコンダクターとなった。劇団の代表作とも云える作品だけれど、今回は単に記念碑的上演でしかなかった。戯曲は秀作、しかし舞台は戯曲紹介の場ではないし、追悼の気持と追従とはまるで違う。過去の好評と戯曲の出来にのみ寄りかかった「再演」は、決して新しい舞台の魅力を伝えはしない。再演に足る作品を持つことは劇団にとって本当に心強かろう。けれども、二度三度と上演しつづけるならばそのときどきの工夫があってしかるべき。もしも今回の「正攻法」だけがそうだというならば、あまりに単純すぎる。どんなにすばらしい戯曲でも却ってその面白みを損なってしまうのでは悲しすぎる。出来のいい戯曲を使い回すのが再演ではないという、周知ではあれどこの一事にもう一度思いをめぐらしてもよいのではと思うのだ。(後藤隆基/2004.9.28)

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September 28, 2004

地人会「夜からの声」

 地人会第95回公演「夜からの声」(作:山田太一 演出:木村光一)を「No hay banda」サイトが取り上げました(新宿・紀伊国屋ホール、9月21日-10月2日)。「おどろおどろしい山田太一ワールドが炸裂か、と予想して出掛けたのですが、笑いもふんだんに盛り込んだ『安心して見られる』芝居」と報告しています。

Posted by KITAJIMA takashi : 09:29 PM | Comments (0) | Trackback

September 25, 2004

三田村組「イヌよさらば」

 「No hay banda」サイトが三田村組第8回公演「イヌよさらば」(9月22日-27日、中野ザ・ポケット)を取り上げています。「よくできた舞台です。まず作品の雰囲気を感じるのが美術。座敷の中央に座卓、上手奥には積み上げられた座布団と折り畳み式横長テーブル、下手手前にテレビと将棋盤、奥に違い棚、正面奥は廊下の向こうに夜の庭が広がり、落ち着いた日本家屋の味わいが得られます。そして音響。かすかな虫の音、さらには雨音と、美術とあいまって日本的感興を高めます。そこで濃い男の世界が演じられるのです」。お目当ての松金よね子らベテラン俳優が締めているので、きっと落ち着いた舞台だったのではないでしょうか。

Posted by KITAJIMA takashi : 03:42 PM | Comments (1) | Trackback
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