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April 17, 2005

針ヶ谷プロデュース「二十日鼠と人間」

 米国の作家J.スタインベック原作「二十日鼠と人間」が東京・シアターVアカサカで上演されました(4月14日-17日)。主催の針ヶ谷プロデュースは「新劇、小劇場、学校公演、マスコミ-各方面で活躍するキャスト・スタッフが集まり、一つの作品のアンサンブルを創りあげていく、俳優・針ヶ谷修のプロデュース公演」だそうです。この作品は、同じ作者による「怒りの葡萄」「エデンの東」などと同じように、映画化されているほど有名です。実際のステージはどうだったか、小畑明日香さんからレビューをいただきました。

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 開演に遅刻してしまった。劇団関係者の方本当にごめんなさい。

 舞台の使い方が典型的なヨーロッパ演劇、という感じだ。最前列の演技スペース、そこに入ってくる通路、一番奥の遠景と三段に舞台が分かれていて、遠景の役者は風景の一部に徹している。最前列は必ず部屋の中だから、入り口以外のところから新たな役者が入ってくることはできない。
 
 映画化もされているというこの話は、知恵遅れの怪力男レニーと友人のジョージを軸に、アメリカの農場で起こる話だ。

 小作人の二人は、自分達の家と土地を手に入れるために働く。協力者も現れて順調に夢は実現に向かうが、知恵遅れと怪力が災いし、レニーは誤って女性を殺してしまう。ジョージは河原で、兎小屋のある十エーカーの土地の話をしながら、レニーを後ろから射殺する。

 友人がたまたま映画のファンだったので楽しみにしていたが、予想したほどは泣けなかった。
 なんだか詰めが甘い。

 喧嘩っ早くてわがままなハーリーに対して、小作人のジョージは最初から強気な態度を取る。ハーリーは雇い主の息子だ。レニーとジョージは新入りで、おまけに手違いで契約時間に遅れている。明確に身分の違いが示されているのに、いきなり喧嘩売ったりしていいのかよジョージ。それともアメリカではそれが普通なのか。レニーが馬鹿にされたから怒ったんだ、と思わせるには、我慢している時間が少ない。ジョージに限らず他の小作人たちも、主従関係を意に介しているようには見えない。色目を使って歩く、カーリーの妻にも脅威を感じないようだ。

 抑圧があるから、夢を語る口調にも熱意がこもるのだと思う。ハーリーがレニーに喧嘩を仕掛けて逆に怪我しても、場の皆がレニーに味方する。理屈は分かるが嘘っぽい。そうした主従関係への意識の欠如が、一幕目の展開を冗長に見せていた。

 作中に登場する子犬だって、小道具なんだからもうちょっと凝った方がいいと思う。力加減を誤って殺してしまった子犬をレニーが投げるシーンがあるのだが、床に犬が落ちると
「さきゅっ」
とビーズの音がするのだ。ラストシーンでも使われるのだし、素材にも気を遣ってほしかった。ここが嘘になると、怪力ゆえに、大好きな小動物を殺してしまうレニーの哀しさも頭でしか理解できなくなる。

 詰めの甘さを多々論じてきたが、反面、舞台美術に関する神経は行き届いている。大掛かりな場転のため完全暗転はできないでいたが、青いライトを浴びて作業する人達が、農場で働く人達に見える一瞬があって興味深かった。布を床に敷いて納屋の藁を表現するのも、効果的に作用していたと思う。

 日本の近代劇の原点になった欧米形式の芝居を観れただけでも勉強になった。今度ぜひ映画を観ようと思う。
(小畑明日香、2005.4.17)

[上演記録]
針ヶ谷プロデュース「二十日鼠と人間」
 東京・シアターVアカサカ(4月14日-17日)

出演
レニー   針ヶ谷 修
ジョージ  佐藤 太
キャンディ 角谷 栄次(劇団 民芸)
カーリー  日花 一善
スリム   亜南 博士
カールソン 今井 徳太郎(劇団ギルド)
ホィット  藤井 としもり
クルックス 吉岡 扶敏(劇団 民芸)
ボス    元山 裕隆
カーリーの妻 秦 由香里(演劇集団 円)

スタッフ
作/J.スタインベック
訳/守輪 咲良
演出/鷲田 照幸 ・ 阿南 聡
美術/塚本 祐介
照明/北島 雅史
音響/城戸 智行 (オフィス新音)
制作/Youko
制作協力/ぷれいす
チラシ画/深作 廣光

Posted by KITAJIMA takashi : 10:44 PM | Comments (0) | Trackback

April 16, 2005

楽園王「ELECTRIC GARDEN」

 楽園王「ELECTRIC GARDEN」公演が東京・荒川区の町屋ムーブで開かれました(4月13日-15日)。「デジログからあなろぐ」サイトの「吉俊」さんはここまでカバーしているか、というほどまめに都内の小劇場に足を運んでいて、この公演のレビューもしっかり書いています。

とても綺麗ではある、私は好きなタイプだ・・・テクノイズな音楽のノリ+照明効果・・・抽象的な世界を場面展開で次々に語っていく。半円形舞台で、中心の舞台を取り囲むように座った客席の後ろでも役者が演じる。対面の客の後ろの役者を見たり、後ろからの声を聞いたりと、舞台の使い方は変わっていましたね。
 その後、役者の演技、場面転換など「スタッフワークでのセンスのよさ」を指摘しています。ただ「芝居の雰囲気と語られる脚本の親和性」などバランスに欠けるとの苦言も。

 これは神楽坂と麻布に劇場拠点を持つ die pratze 主催の「M.S.A.Collection2005」シリーズの一つ。中野成樹(POOL-5)+フランケンズ「ラブコメ」に次いで2回目の観劇でした。

 舞台はある若い会社員が、不良とみられる男を次々に殺害したという設定で始まります。殺害事実は認めているのに、動機が不明。取り調べと同時進行で、会社員の家庭や幼少期の出来事が、過去のフラッシュバックと語りかける死者たちとの遣り取りなどから浮かんできます。
 ステージらしい舞台は見あたりません。フロアーにパイプで組み上げた客席が三方にあり、劇が始まると間もなく、いわゆる正面にあったキャスター付きの大型組み立てパイプが移動して、死者らの居場所になったりします。フロアー付近から青白い照明がサーチライトのように闇に走り、ノイズ風のテクノ音楽があるときは低くある時は強く轟音のように響いてきます。
 娘(生者と死者に二重化されている)の引きずるような足取りと音節をずらした発語が平仄を合わせ、確かに言葉が生起するどろどろした部分のイメージは伝わってきます。低くかすかに響く鈴の音が、幽明の境を行き来する合図のようにも聞こえました。

 楽園王のWebサイトによると、この作品は「は1992年春、当時田端にあった田端ディプラッツにて初演。楽園王旗揚げ1年目のことである。現実と非現実の境界線を曖昧にし、迷宮的な物語と、それが翻って現実を浮き彫りにする長堀戯曲の特徴を強く持った作品の一つ。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を護身用に常時携帯していた時期の執筆から影響が強く、また現実に起こったある凄惨な事件を扱ったことから何より恐怖感を感じる作品となった」とあります。

 初演から13年たっての再演。作品の構成は余り変わっていない印象を受けます。調べ室と死者との会話、過去のフラッシュバックなどが入り組んで時には理解不能状態になりました。ツァラトゥストラという言葉が表現されるコンテキストも「お母さんのために薬になる言葉を探す」というフレーズも客席に飛び込まず、宙をさまよっているように感じられました。

 主宰・演出の長堀博士は、利賀演出家コンクール2004で、イヨネスコ作「授業」で優秀演出家賞を受賞しています。別の作品で力量のほどを味わいたいと思いました。


[上演記録]
楽園王「ELECTRIC GARDEN」
 町屋ムーブ(4月13日-15日)

作・演出 長堀博士
出演 松の秀明、大畑麻衣子、塩山真知子、杉村誠子、小林奈保子、二階堂洋右、田中新一、植村せい、岩崎雄大、嶋守勇人、辻崎智哉、小田さやか、吉田郷子、丹生谷真由子(OM-2) ほか

スタッフ 照明:南出良治、音響:齋藤瑠美子、選曲/美術:長堀博士、舞台監督:田中新一、宣伝美術:小田善久、制作:楽園王オフィス

Posted by KITAJIMA takashi : 10:29 PM | Comments (4) | Trackback

April 14, 2005

双数姉妹「ラバトリアル lavatorial」

 双数姉妹「ラバトリアル lavatorial」公演が東京・新宿のTHEATER/TOPSで開かれました(4月1日-10日)。

しのぶの演劇レビュー」は「久しぶりに拝見したのですが、ストーリーも演出もとても面白かった」と述べています。どんなお話なのでしょうか-。「Badlands ?映画と芝居と音楽と?」は次のように紹介します。

舞台上にはトイレのセットで、正面に男性用の小便器が3つ、その横には個室が2つ並んでいる。掃除のおばさん(野口かおる)が清掃をしていると、気弱そうな男ノムラ(今林久弥)がひとり逃げ込んできて、個室に閉じこもってしまう。それを追うようにやってきた二人組。ヤギサワ(小林至)とフルイド(佐藤拓之)は、TV局のプロデューサーとディレクターだった。どうやらノムラは、原稿が出来ない脚本家で、ヤギサワとフルイドは、なんとか書き上げるようにと脚本家を宥めすかして出て行く。 昔から公演日ぎりぎりまで本を書き上げることができない脚本家だったノムラには、かつて小さな劇団の座付作家だった時代に、台本の内容をめぐり劇団の女優マサメ(帯金ゆかり)を追い詰めてしまった苦い思い出があった。一方、掃除のおばさんにも、やはり脚本家だった恋人を失った過去があった。舞台は、個室に閉じこもることになったおばさんとノムラのやりとりから、ふたりの昔話が再現され、やがてそれが現在の物語とシンクロしていく。

某日観劇録」は「脚本家の苦労という点では時に細かすぎるほど丁寧に描いているのですが、芝居全体については「それで?」というレベルに留まってしまったという印象です。あちこちに客演するほど実力十分な役者のそろっている劇団ですが、今回は主人公である脚本家(今林久弥)以外の登場人物の印象があまり残りません」と書いています。

デジログからあなろぐ」は次のように指摘しています。

物語構造として丁寧な印象を受ける・・・新しいものを追求する姿勢よりも、描くべき言葉を描くための舞台を作っている。 内面世界と向き合う場所としてのトイレが、スクリーンに内的記憶を排泄する場所として書かれている。 トイレの性質を逆手に取った事で、そこに1つのメッセージが付加されてしまったといえる・・・同じ話を「トイレ」というキーワード無く書くことは容易ではあるが、きっと作家性を巡る物語にしかならなかっただろう。 トイレのトイレ性とでも言うべき人間が共通して持つ感覚を、作家というか1人の人間に投影させることで、1つ内面に入った物語に仕上がったという気がする」と

a piece of cake !」は「彼らの芝居にはどこか、大学の演劇サークルの青臭く、懐かしい香りがする。いや、これは決して悪口ではない」。また「Badlands ?映画と芝居と音楽と?」は役者らを次の通り褒めています。

役者は全員いい。男性陣では、主人公の脚本家を演じる今林久弥、声がとても魅力的な小林至、そして佐藤拓之あたりが特に目立ったが、それ以上に女優陣が素晴らしい。ワケあり掃除婦の野口かおるは不思議な存在感で、場にユーモラスな空気をもたらす。それと対照的に、神経症的な雰囲気をふりまく井上貴子。大きな成長を遂げたのが吉田麻起子。女優陣の中では突出して可愛らしく、それ故に前作では一人浮き上がっていた感もあったが、今回は彼女がそこにいる必然性をしっかりと感じさせてくれた。まだまだ「頑張って演技をしている」という感じが透けて見えるが、今後の更なる成長に期待がかけられる。そして一番の見物は北京蝶々から客演の帯金ゆかり。あの得体の知れぬ存在感は一体何だろう? ぜひ他の芝居も見てみたいと思わせる力に満ちていた。


[上演記録]
双数姉妹「ラバトリアル lavatorial」
THEATER/TOPS提携公演
2005年4月1日〈金〉~4月10日〈日〉

脚本・演出:小池竹見
出演:佐藤拓之 今林久弥 野口かおる 井上貴子 五味祐司 小林至 吉富光宏 中村靖 阿部宗孝 大倉マヤ 近藤英輝 吉田麻起子
帯金ゆかり(北京蝶々)

Posted by KITAJIMA takashi : 11:33 PM | Comments (0) | Trackback

April 12, 2005

演劇実践集団デスペラーズ「或る告白」

 あとから言えばまったく思い込みだったのだけど、デスペラーズという劇団名から何となくお笑いかな?と思って私は客席にいた。ところが全くの見当違い。まずプロローグ。敗戦直前にB29からパラシュートで降下してきた米兵を日本国民の総意の代行と信じて殺した元日本兵浅倉(吉田智則)が主人公。それが進駐してきたアメリカ軍によっていま捜査中、逮捕されれば戦争犯罪人として処刑は確実。それを、アメリカ生まれ?!の元戦友の友情によって偽名の身分証をもらい、行方をくらますことになる……と始まっていく。アメリカは広島、長崎に原爆落としたと米兵殺しの正当性を言う浅倉に、オッ、イラクの今と比べて敗戦後の日本人はどうしてあんなに簡単にアメリカにナツイテしまったのだろうとかねがね疑問に思っていた私としては、これは硬派。憎んだアメリカと友情受けたアメリカと、引き裂かれた日本人の私たちはさてどうするかの芝居だな、と身を引き締めた。日本演劇史上かつてなかった問題意識であり、真摯なテーマではないか!!

以下、全文をこ覧ください。

Posted by : 11:31 PM | Comments (0) | Trackback

April 11, 2005

中野成樹(POOL-5)+フランケンズ「ラブコメ」

 「白鳥のめがね」サイトは東京・麻布のディー・プラッツで開かれた中野成樹(POOL-5)+フランケンズ「ラブコメ」(原作/モリエール『女房学校』)をみて、「喜劇としてのテンポの良さみたいなものはなく、緩慢なリズムが持続する」と押さえたあと次のように指摘しています。

たぶん、主人公の男を嘲笑したおすというのが、本来のモリエールの戯曲のねらうところであり、それをテンポ良く畳み掛けて取り違いのドラマの中で策に溺れて翻弄される様を見せるところに喜劇としての面白みがあるということになるだろうが、そのテンポを思いっきり落として、スローテンポな舞台を作ることで、喜劇的枠組みの中のドラマの側面がむしろ浮かび上がる。

 4月に入って、横浜STスポットでも同じ公演がありました。「白鳥のめがね」サイトはここもフォローして、主人公ド・ラ・スーシュが夢見ていたアニェスとの結婚が挫折する結末が、麻布ディー・プラッツ版と横浜STスポット版では微妙に違ったと指摘しています。

今回、その男の描写がちょっと違っていた。前回は退場してしまったド・ラ・スーシュは、今回は、自分が育て上げ、結婚しようとしていた娘の部屋へと放心したように歩み入って、呆然とあたりを見回すようにして、終わる。 自分の計画すべてが崩壊したところで、自分のしたことを苦渋と共に思い返す男、というところだろうか。なんというか、喜劇の主人公を人間味ある存在に変えて、喜劇の内なるドラマを救い出すようなものになっているというところだろうか。

[上演記録]
◎中野成樹(POOL-5)+フランケンズ 『ラブコメ』(原作:モリエール『女房学校』)
 3月28日-29日、麻布die pratze
 4月08日-10日、横浜・STスポット

構成・演出=中野成樹
出演=村上聡一 福田毅 野島真理 石橋志保

Posted by KITAJIMA takashi : 09:15 PM | Comments (0) | Trackback
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