11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

May 31, 2005

B級遊撃隊『破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか』

 名古屋を拠点に活動しているB級遊撃隊の公演『破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか』 が愛知県芸術劇場小ホールで開かれました(5月13日-15日)。タイトルはスタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」のもじりですが、劇団のWebサイトによると、映画の原作ピーター・ブライアントの「破滅への二時間」という米ソ冷戦時代の核戦争の騒動を描いた小説にインスパイアされ、舞台を現在の日本にしたB級遊撃隊のオリジナル作品だそうです。

 アメリカの原子力潜水艦が日本海沖に潜航し、突如単独で北朝鮮に対し宣戦布告。北朝鮮はアメリカの宣戦布告とみなし、同盟国の日本や米軍基地へミサイル発射の準備態勢に入った。アメリカからは国家機密として処理したいとの連絡が入り日本の首相ら政治家は右往左往。しかし時間は容赦なく過ぎてついにミサイルが…。

 「#10の観劇インプレッション」サイトは次のように指摘しています。

 今回の舞台にはあの映画(キューブリック監督作品)以上に圧倒された。(略)  気の触れた米軍将校が勝手に戦争を始め、政治家は必死でそれを止めようとする構図は映画と同じだ。しかしこの舞台ではもうひとつ、ゲームという要素が加わる。プレイヤーが政治的な判断を下して日本の将来を決めるというゲームの描写が、次第に現実の政治家たちと混ざり合い、プログラマーの手を離れて暴走する。
 ゲームの場面では、極端に左寄りの道と極端に右寄りの道がいずれも滑稽に演じられる。ぼんやり観ていると政治的メッセージ性の強い作品と勘違いしかねない。しかしこの作品が伝えようとしているのは政治ではなく社会、あるいは個人の意識の問題だ。どちらを選択するかではなく、選択するとはどういうことかを問いかけてくる。

観劇の日々」サイトの「しおこんぶ」さんは次のように述べて「お勧め度8(10段階)」にしています。

 国防問題に関しての質問にYesかNoで応えていき、選択を間違えるとミサイルが打ち込まれてしまうというシュミレーションゲームに見立てて芝居が展開していく。現実的には選択肢が2択なんてことは無いのですが、これを2択にすることで問題を単純化してみたり、窮屈な選択を迫っておいて、酔っ払いのオッサンが居酒屋で議論しているようなレベルで総理大臣や国防庁長官を登場させるあたりは本当に巧いなと思います。あまりにも滑稽で、現実と非現実の間に見事に落としてくれました。

 第5回愛知県芸術劇場演劇フェスティバル参加作品。7月に大阪公演が予定されているようです。東京公演を期待したいですね。

[上演記録]
破滅への二時間、又は私達は如何にして「博士の異常な愛情」を愛するようになったか
愛知県芸術劇場小ホール(5月13日-15日)

作: 佃 典彦
演出:神谷尚吾
出演:
佃 典彦/神谷尚吾/山口未知
斉藤やよい/池野和典/山積かだい
徳留久佳/向原パール
/江副公二/加藤裕子

舞台監督:近藤朋文
照明   :坂下孝則
音響   :後藤佳子
衣装   :上海リル’S
小道具  :才谷組
大道具  :江副組
宣伝美術:純と寝々
協力   :飯田真司・石原淳
制作   :Y企画

Posted by KITAJIMA takashi : 03:36 PM | Comments (0) | Trackback

May 29, 2005

ポツドール「愛の渦」(続)

 遅くなって申し訳ないのですが、ポツドール「愛の渦」公演について、先の紹介に興味深いレビューを2つ追加します。

 ポツドールの舞台はよく「リアル」と言われているようです。具体的にはどういうことか、「Somethig So Right」サイトの今井克佳さんは次のように述べています。

時間をおってパーティーの様子が描かれていく。最初はどうにもぎこちなく、会話もなく、取りつく島もない居心地の悪さが続き、次第に会話が交わされていくのだが、実際、こういう場所であれば、まったくこうであろうと思われるような、会話の始まり方(なぜか最初は女同士で話し始め、そこに男が言葉をはさもうとして、別の女と会話が始まっていく、というような)の描写がリアルである。
 と述べています。「なぜか最初は女同士で話し始め、そこに男が言葉をはさもうとして、別の女と会話が始まっていく」という個所に、おもわず頬が緩みました。鋭い観察ですね。  また最後にも「リアル」が用意されているようです。
印象的だったのは、店員がカーテンをあけると、明け方の陽の光が部屋のなかに入って一気に入ってくるのだが、この光の表現はすばらしい。本当に一晩空けた、その夜の非日常の時間を終わらせ、日常の世界に戻す陽の光そのものだった。夢の終わり。セリフにもあったが、夜中は局部をあけっぴろげに見せていた女も、恥じらいながら服を着替えている。

 夜と昼。秘密の時間が日常世界に切り替わる瞬間を演出する力が存分に発揮されているように思われます。

 CLP(クリティック・ライン・プロジェクト)の皆川知子さんはこの舞台に関して次のように指摘します。

性欲というテーマと、リアルな演技が、結びつけられた。その結果、舞台上で暴かれたのは、逆説的にも、私たちの実生活のなかで行われている演技、つまり現実のなかの嘘=フィクションだった。
 先の紹介でも触れましたが、ポツドール公演には、ぼくらを舞台に引きつけつつ、そのことがかえって僕らの内部を浮き立たせることになるという仕掛けが施されているのでしょうか。「欲望に対する演出家のシニカルな視線が、終始、舞台を貫いていた」という締めくくりが鋭く突き刺さってきます。
Posted by KITAJIMA takashi : 05:09 PM | Comments (0) | Trackback

May 28, 2005

ポタライブ「吉祥寺『断』」

 街頭のパフォーマンスは以前から見受けられますが、単純に下手くそだったり観客を暴力的に操作する悪癖がついて回ったりして敬遠しがちでした。しかし岸井大輔さんが始めたポタライブは全く違うようです。「白鳥のめがね」サイトの柳澤さんが、5月22日の「吉祥寺『断』」に「参加」したようすを書き記しています。

 柳澤さんによると、ポタライブは「『散策しながら楽しむライブ』という意味の造語」だそうです。吉祥寺駅前に集合し、ポタライブ主宰の岸井さんが案内人として町の再開発の歴史やエピソードを紹介していくのですが、中央分離帯や車道、ビルの谷間などにパフォーマーが配置され、町のたたずまいや物語のなかにとけ込んでいるとのことでした。ちょっと長めになりますが、以下の文章を引用します。

そうしたパフォーマンスは、ちょっとした虚構を現実に紛れ込ませることで、街が秘めていたドラマを浮き立たせるように作用していた。普段街を歩いているときには気に留めない様々な情報が眼に飛び込んできて、街を歩く一般の人々の姿が、独特のパフォーマンスのように印象深く見えてくる。
市街地の情報を引き立てるように、あまり虚構が過剰にはならないようにしつつ、しかし、市街地の情報に埋もれてしまわない程度には目立つものでなければならない、その絶妙なバランスがここでは達成されている。(略)
街頭でパフォーマンスすることは様々に試みられてきているだろうし発想としては珍しくないと思う。だが、問題は、その発想を方法に高めることができているかどうかだ。岸井さんが進めてきた「ポタライブ」の試みには、町並みの歴史を掘り起こしてくる確かな手法の蓄積がある。そこから、現代の生き方に瑞々しいものを吹き込む可能性が、様々な仕方で、大きく広がっていると思う。

報告は描写的なので、街のイメージ、その場の空気が立ち上ってくるような気がします。ぜひ、柳澤さんのサイトで全文をご覧ください。

5月のポタライブの日程は、主宰者岸井さんのWebサイトによると次の通りです。

■船橋編「ふねのはなしは、ないしょのまつり」
 5月7日、8日 14:00~16:00
 JR船橋駅南口改札前まちあわせ

■小金井編「かわあそび」
 5月14日、15日 15:00~18:00
 JR武蔵小金井駅南口改札前まちあわせ

■吉祥寺編「断」
 5月21日、22日 19:00~20:00
 JR吉祥寺駅中央口改札前まちあわせ

■市川編「うみをまつ」
 5月28日、29日 15:00~18:00
 JR市川駅中央口改札前まちあわせ

■吉祥寺編「斜」
 5月12日、26日(木曜日) 20:00~21:00
 JR西荻窪駅改札前まちあわせ

ご予約は、potalive@yahoo.co.jpまで!

Posted by KITAJIMA takashi : 11:45 PM | Comments (0) | Trackback

May 27, 2005

蜷川 幸雄演出/大竹しのぶ主演『メディア』

 東京・渋谷のシアターコクーンで、蜷川 幸雄演出/大竹しのぶ主演『メディア』が上演されています。5月6日-28日の長丁場。いよいよ終盤に差し掛かっていますが、演劇記者の山関英人さんから蜷川さんへのインタビューを踏まえた劇評が届きました。ご覧ください。

◎女の生理で演出を一新 大竹しのぶの『メディア』

 蜷川幸雄の世界デビューとなった作品『王女メディア』。ギリシャでは、1983年、アテネにあるリカヴィトス劇場で上演され、当時、ギリシャ以外の国の人間が同地でギリシャ悲劇を演じるのは有史以来、と言われた。今回は、演出を一新し、「男の論理」に対する「女の生理」を前面に出した。28日までシアターコクーンで上演されている。翻訳も新しくして、題名も『メディア』(賢い人という意味)に改変。男性だった主役とコロスを、全員女性に入れ替えた。

 この物語は究極の、女による復讐劇である。母親が子殺しをして、夫に復讐する「最高の悲劇」で終幕を迎える。その母であり妻である役を演じるのは大竹しのぶ。「翻訳劇の文体を、日本人が生理的にも違和感を持たないでやれる女優」として蜷川は高く評価している。

 大竹の身体には「最果ての地から連れて来られた異民族」を象徴する刺青が施され、衣装の右半身には綻びが目立つ。その露わになった太ももが白く光って、生々しい。短くした頭髪は「2人で相談した結果」(蜷川)であり、この場合も異民族を意識した。「坊主にする」ことまで検討したという。

 印象に残ったのは外見だけではない。淀みのないことばの連続は音楽を奏でるようで心地よい。怒りを含んだ台詞からはエネルギーが迸り、全身を粟立たせる。叫びの声は重みを伴って、観客席に響いた。

 一方、コロスの装いも目を惹いた。子を背負う母親のようであり、孫を背に乗せた老婆のようでもあった。蜷川は「男は観念でしか子どもと接しないけれど、女は生理で関わる。へその緒で繋がってたんだからね。そういうことも含めて、子どもを抱いているということは、一番本質的に、『メディア』という芝居の中ではいいかな」と思ったという。ただ、母親であり老婆でもあるのは「複雑にしたかった、女性の存在をね」という狙いもあったようだ。

 舞台全面に張られた水からも母性が窺えた。羊水を想像させ、胎内を意識させる。それが決定的だったのは、幕切れに舞台後方にある扉を「開門」し、シブヤの空気を劇場に取り入れたことである。2500年前の作品世界と現代の連続性を想起させるとともに、最高の悲劇があろうとも、人は産み落とされ、生き続ける、という宿命を意識せずにはいられなかった。

 扉の開放を決めたのは初日の前日だった。そのために「さまざまな苦労をみんなに強いた」という。せっぱ詰まった中、その作業のために、5時間ほどの遅れが出た。そうまでしたのは「かつての『メディア』より俺は進化しているか」という蜷川自身の問いであり、「自分自身への闘い」だった。その答えは「すべて舞台にある」。〈文中敬称略〉
(山関英人・演劇記者)


[上演記録]
蜷川 幸雄演出/大竹しのぶ主演『メディア
(東京・シアターコクーン、2005年5月6日-28日)

【スタッフ】
作: エウリピデス
翻訳:山形 治江
演出:蜷川 幸雄
美術:中越 司
照明:原田 保
衣裳:前田 文子
音楽:笠松 泰洋
音響:井上 正弘
ヘアメイク:佐藤 裕子
振付:夏貴 陽子
演出助手:井上 尊晶
舞台監督 :小林 清隆

【キャスト】
メディア: 大竹 しのぶ
イアソン:生瀬 勝久
クレオン:吉田 鋼太郎
アイゲウス:笠原 浩夫
メディアの乳母:松下 砂稚子
守役:菅野 菜保之
報告者:横田 栄司
コロス :市川 夏江/土屋 美穂子/井上 夏葉/江幡 洋子/羽子田 洋子/難波 真奈美/スズキ マリ/太田 馨子/関根 えりか/栗田 愛巳/坪井 理奈 ほか

Posted by KITAJIMA takashi : 09:54 AM | Comments (0) | Trackback

May 25, 2005

チェルフィッチュ岡田利規インタビュー(後編)

 今年の岸田國士戯曲賞を受賞したチェルフィッチュ主宰岡田利規さんのインタビュー(パート2)を掲載しました。パート2は横浜STスポットでのダンスとの出会い、「超口語」スタイルの芝居にも台本が欠かせない理由、そしてチェルフィッチュの方法論を踏まえて古典劇を上演したい、などなどが展開されています。参考情報もできる限り盛り込みました。
 企画当事者が言うのもおかしなものですが、長尺インタビューで読みごたえ十分、しかもおもしろいと思います。聞き手は、早くからチェルフィッチュ演劇の可能性に着目していた柳澤望さんです。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:27 AM | Comments (0) | Trackback
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