11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

June 06, 2005

OrangePunPKing『見つかりにくい温室』

 OrangePunPKing『見つかりにくい温室』公演が東京・中野のウエストエンドスタジオで開かれました(5月27日-31日)。「東京○×カンパニーでのプロデュース公演を皮切りに今回で四度目の公演になるが、とても好きな劇団で、第三回公演を除いて全部観に行っている」という「おはしょり稽古」サイトの「あめぇば」さんは、「OrangePunPKingは、役者の音感やリズム感をフルに生かして話を創る。少年の孤独を癒すためだけに創られた男女が、無表情でジンギスカンを踊る様子は怖い」としながら、次のように指摘しています。

作品の系統が少し変わった。国籍や時代が不特定だった前作までの世界観と違って、今回は明らかに現代の日本が舞台だ。登場人物の名前や「バイト」「飲み会」などの単語からそれが分かる。話もよりストレートな展開になったが、ラストの唐突な不条理さは健在だ。完全な空想世界でない分、勢いで押し切りきれなくなっている。温室の草花が「出られない」のだという絶望感は伝わりきらなかったのは、外に出た後の元・人形達や連れ去られた俊雄の末路が無かったせいでもあると思う。

 これまでの公演をすべて見てきた「おはしょり稽古」サイトも「伝わりきらなかった」と言うほどだからでしょうか、「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「全ての問題は、物語の悪さに始まっている」と切り出した上で「最後に向かって物語がまとまってくるのを期待してはいたのですが、結局最後まで引き込まれず、特にエンディングの内容には逆に引いてしまう」などなど、最後に「あ~良い事を殆ど書いていない気がする」というほど、芝居の世界から疎外されていたようです。

 集団の名前がちょっと変わっています。OrangePunPKing。後半の綴りがPumpkin かと思って、Webサイトを見つけるのに手間取ってしまいました。サイトを見ても由来を見つけられません。どういう意味なのでしょうか。

[上演記録]
Orange PunPKing 春公演『見つかりにくい温室』
中野ウエストエンドスタジオ(5月27日-31日)

■原話:足利彩
■作・演出:宇原智茂
■出演
土居清光/あしかがあや
にしだみき(ゲキダン◎エンゲキブ)/中澤昌弘(楽天舞隊)
内山智絵(劇団お座敷コブラ)/MiSAKi(Funny*Flying*Fish)/森宏之
松岡大輔(カノン工務店)/久保田勇一(かわずおとし)/水崎蘭
宇原智茂

■スタッフ
照明:Jimmy(FREEWAY)/音響:志水れいこ/舞台監督:高田宏
チラシ画:三原等/記録:⑰アイボット/WEB管理:おかだよう
協力:⑰慈プロダクション/制作:SUI
企画・製作:Orange PunPKing

Posted by KITAJIMA takashi : 05:43 PM | Comments (0) | Trackback

June 05, 2005

劇団犯罪友の会「手の紙」

 野外劇場公演を軸足に据えて30年。大阪を拠点に活動する劇団犯罪友の会の久しぶりの東京公演「手の紙」が新宿・タイニイアリスで開かれました(5月27日-30日)。破防法が適用された戦後最初にして唯一のクーデター未遂事件「三無(さんゆう)事件」を題材に取りながら、戦争と平和、ロマンとリアリズムの狭間に純愛物語を小劇場で成立させようとする舞台でした。
 「ワニ狩り連絡帳」サイトは「正直言って、いったいどんなハチャメチャな舞台を見せてくれるのだろうか?などという期待があったのは確かなのだけれども、想像していたよりもずっとストレートな、直球勝負の舞台だった。とにかく、観終っての印象では、まずは戯曲としての完成度が高い」と述べています。

 「関西に粋なおっちゃんがいる」というタイトルでレビューをまとめている「おはしょり稽古」サイトは「小劇場出身の劇団と比べると圧倒的に役者の芝居は大きい。笑いをとってもいい脇役の演技は特にそうだ。野外劇の特性を取り込みつつ、主役陣の抑えた演技で小劇場サイズの作品に仕立て上げている」と指摘しながら「しかし、やはり次回は、彼らの評判の野外劇を観てみたい」と結んでいます。

 タイニイアリスのWebサイトに劇団の前触れが載っています。

◎平和ラッパという凄い漫才師がいた。
昭和三十年代前半まだ街中に「平和」という看板がやけに目についた頃だった。
「平和時計店」「平和美容院」「平和ビリヤード」等、まだ「平和」という文字が人々の心の中に大きな意味を持っていた時代だった…
 明治維新後七十余年に太平洋戦争が始まり、敗戦から六十年を経て、第三、四世代の若者達がイラクの戦場に派兵されている。
そこには多くの人達が一片の肉の塊になって転がっている。
戦場には正義も大儀も聖戦もない。
ただ無数の死と悲劇があるだけなのに…幾度繰り返せばいいのか…
流す涙なら「恋の行方」で流したい、この行く先の見えない時代にラブストーリーを作ってみました。
やるせない恋の行方の物語、楽しく笑って泣いてください。
「平和」という言葉をもう一度味わいながら…

 同じアリスWebサイトに主宰、作・演出を一貫して引き受けてきた武田一度さんの詳細なインタビューが載っています。実はぼくが急遽、公演直前にインタビューしたのですが、劇団の成立、活動、そしてコンセプトまで包み隠さず明らかにしています。ご興味のある方はぜひ、ご覧ください。
http://www.tinyalice.net/interview/0505takeda.html

[上演記録]
劇団犯罪友の会「手の紙」

☆作・演出=武田一度
☆出演=川本三吉 羽田奈津美 中田彩葉 玉置稔 デカルコ・マリー 小野正樹 金城左岸 山田山 瀧波四級

Posted by KITAJIMA takashi : 11:40 PM | Comments (0) | Trackback

June 04, 2005

strange GARDEN「マイン'05」

 strange GARDEN Ver.7.0「マイン'05」公演が東京・目白のアイピット目白で開かれました(5月26日-30日)。意欲的にレビューを書き続ける「おはしょり稽古」サイトの「あめぇば」さんがこの舞台を取り上げています(「伝えたいから人は創る」)。よく知られた劇団や話題のステージに大方の目は集中しがちですが、こういう芝居をきちんと記録する意味は決して小さくないと思います。

 物語はネットで知り合った人たちが集団自殺を図ろうとするのですが、いろいろと齟齬が生じて…という内容のようです。

 「あめぇば」さんはまず、「奇跡のような舞台だった。と言っても、褒めるところは見つからない。皆ものすごく下手だ」と切り出します。でもなぜか、惹かれます。その理由をこんな文章で綴っています。

喜劇も悲劇も飽きるほど書かれたこの設定で、演出家は役者の口を借りて「生きていこう」と呼びかけてくる。それまでの話の展開や辻褄なんかどうでもいいのでギャグで流しました、という感じすらある。直球極まりない台詞をつっかえつっかえ言う役者が、妙にリアルに感じられてくる。拙いギャグの連発で油断していると、つい観客は直球攻撃にやられる。(略) 痛々しいからではなく、正に中学生のようなひたむきな情熱に圧されてつい応援してしまう。切実なメッセージがあるということは表現活動で一番の原動力だと、久々に再確認した。 ダメ人間と自分を自覚する人が多い中で、この話は支持され続けるだろう。そういう意味でこれは奇跡のような舞台だ。

[上演記録]
strange GARDEN「マイン'05」アイピット目白(5月26日-30日)

作・演出: 佐藤隆輔

出演:
五味田扶美子
樋泉秀幸
舟橋晋
岩田章子
尾木亜紀子
佐東まんごろう
遠山悠介
佐藤隆輔

Posted by KITAJIMA takashi : 11:54 PM | Comments (0) | Trackback

June 03, 2005

メガトン・ロマンチッカー「モンスターとしての私」

 名古屋を拠点に活動している「メガトン・ロマンチッカー」の公演「モンスターとしての私」が5月25日から29日まで名古屋・東文化小劇場で開かれました。
 「#10の観劇インプレス」サイトによると、「フランツ・カフカの『変身』、佐世保の小6児童殺害事件、神戸の酒鬼薔薇事件、これらをモチーフに、「少女/変身/孵化」をテーマとした舞台」。「観劇の日々」サイトのしおこんぶさんは「芝居ではあるが、嘘はどこにもなかった」と印象的なフレーズを残しています。

 もう少し引用すると、「#10の観劇インプレス」サイトは次のように述べています。

芝居という面では一言。美しい舞台だった。以前からメガトン・ロマンチッカーの舞台はどの瞬間を切り取っても絵になると感じていたが、今回は特にそれが意識された演出だった。背伸びして描くことで力量不足が露呈する劇団も少なくないが、実力のある役者を揃えて、演技も満足のいくものだった。

 劇団のWebサイトに解説が載っています。書いたのはおそらく作・演出の刈馬カオスさんと思われます。

この物語を考えたのは、昨年の春前だった。
フランツ・カフカ『変身』を原作に、毒虫を、現代に生きる少女に置き換え、
友達を殺した罪から社会復帰したときの、家族・世間のリアクションを描く構想だった。
企画書をまとめた翌日、佐世保で事件が起きた。
衝撃を受け、現実を前にひるみもした。
だが、私たちは1人の表現者として、この問題へと立ち向かうのは責務だと考えた。
賭けに出た。
佐世保の小6児童殺害事件と、酒鬼薔薇聖斗の医療少年院仮退院。
当初の構想はそのままに、2つの事件を調査し、その要素を大きく取り入れた。
かなりダイレクトにストレートに、現実の事件を想起させる描写もある。
この選択は、私たちにとってリスクには違いない。
それでも私たちは挑むのだと、覚悟した。
加害者とその家族、被害者とその家族、誰もが納得する表現を。
そんな地平はないのかもしれないが、それでも求める。
丁寧に現実を見つめ、描写することで何かを発見することができるはずだ。
演劇の力。
私たちはそれを信じる。

この作品は、
社会派であり、
エンターテイメントであり、
等身大の私たちの物語であり、
そしてあくまでも、恋愛演劇だ。

しおこんぶさんは先のサイトで「こういった戯曲(現実にあった事件を元にしたもの等)は世の中にもっとあっていい。メディアとしての演劇とでもいうか、現実を見つめなおすきっかけになる芝居は想像力を刺激する」と述べています。その意味でも、名古屋だけの公演は惜しまれます。もっと広汎な人たちが見る機会をぜひ、用意してほしいと思います。

[上演記録]
「メガトン・ロマンチッカー」の公演「モンスターとしての私」
5月25日から29日、名古屋・東文化小劇場

作+演出=刈馬カオス

Company CAST
大久保明恵
岸良端女
来々舞子
浦麗

Guest CAST
久川徳明(劇団翔航群)
ヒート猛
時田和典
茂手木桜子
織田紘子

○ スタッフ
演出助手 山崎信人
照明+舞台監督 村瀬満佐夫(劇団翔航群)
劇中映像 田中博之
音響 菊森公介
選曲+舞台美術 刈馬カオス
宣伝美術 ル・ゴウ総合美術
制作 則武鶴代 梅村卓哉
制作協力 東海シアタープロジェクト
プロデューサー 大橋敦史(東海シアタープロジェクト)
企画・製作 メガトン・ロマンチッカー

○ 協力
松井組
シネマパルチザン
奥林劇団
猫足企画
田原幸二
デンキヒツジ(立体交差中心)

Posted by KITAJIMA takashi : 05:52 PM | Comments (0) | Trackback

June 01, 2005

平田オリザ/金明和作「その河をこえて、五月」

 「日韓友情年2005」記念事業の一環として開かれた公演「その河をこえて、五月」は2002年サッカーワールドカップ共同開催の年に生まれ、日本では朝日舞台芸術賞グランプリに輝き、韓国・ソウル公演でも好評を博して権威ある演劇賞を獲得、日韓ダブル受賞となった作品の再演でした(5月12日-29日、新国立劇場小劇場)。作者は日本側が平田オリザ。韓国側は1997年の劇作家デビュー後、立て続けに演劇賞を受賞した劇作家金明和。演出は李炳焄と平田オリザが共同で当たったそうです。
 新国立劇場Webサイトによると「言葉の通じない状況で、なんとか意思疎通を図ろうとする人々の姿。日韓の歴史的関係、家族の絆、在日問題。そして、国家観、習慣の違い、民族を超えて共感できる人間のつながり……。“異国間コミュニケーション”をテーマに、ソウルの人々が集うという河原の風景を切り取り、出会いと別れを織り込んだ会話のなかから、“日韓の現在”の断片が静かに描かれ」ます。

 「Somethig So Right」の今井さんは「最近の東アジアの政治状況は憂慮すべきだが、実は今年、日韓友情年、なのだそうだ。そうした政治状況は別にして、この作品時代は素晴らしい両国演劇人のコラボレーションだ」と押さえた上で、「平田オリザ流のいわゆる『静かな演劇』の調子が保たれており、派手な動きやドラマはないのだが、ひとつひとつの会話や出来事に、日韓関係がかかえる様々な問題が浮き彫りにされており、目が離せない。二時間半近い上演時間も気にならず、集中した」と述べています。

 「現代演劇ノート」サイトの松本さんは冒頭、次のように始めます。

再演となる『その河をこえて、五月』は、さしあたり〈文化(間)翻訳をめぐる物語=ドラマ〉といえようが、細かなエピソードやモノを介して展開していく話題の多くは、むしろ花見に集まった様々な人々の間に走る〈境界線〉を次々と浮かび上がらせてしまう。従って、展開につれて舞台は〈文化(間)翻訳が頓挫してく反・物語=ドラマ〉といった様相を深めていくのだが、不思議なことに、それと同時に、舞台には力強いまでの明るさが、とある深さをたたえながら満ちていくようなのだ。『その河をこえて、五月』とは、こうした不思議な、そして実に演劇的な魅力を持った作品なのである」

 ここにすべてが集約されていますが、そのあとで「相互理解」に関して次のように述べたくだりがあります。

最後まで会話は何度も挫折し、相互理解は思うようにいかず、双方が安定した場で、共有のコードによって何かが〈伝達=翻訳〉されることは、極めて少ない。となれば、問題なのは「こえる」ことでも「こえたあと」のことでもなく、文字通り「こえて」という、多面的に構成される溝をこえていこうとする絶えざる伝達可能性に向けた運動=意志であるに違いない。 このことは、舞台上ばかりでなく、舞台と客席の関係にも転移している。舞台では、何度か客席が河に見立てられるが、おそらく、日韓双方で上演されるこの作品は、他の多くの演劇作品(真価や意図はおくとして)が「通じる」と思っている言語や身体のコードをあてにしていない。むしろ、そうしたコードの成立が、極めて困難であるということを自覚するところから作られたのが『その河をこえて、五月』であり、だから、〈困難を引き受けながら、絶えざるつながるための営為を繰り返す〉という意味において、この物語は、演劇という形式を模倣しており、あるいは、演劇という表現形態に対して、上演それ自体を通じて批評的に関わろうとした意欲作であるとも言える。そうした言葉の正しい意味において『その河をこえて、五月』は「メタ・シアター」とも言えよう。

 平田演劇を系統的に読み解いてきた蓄積だけでなく、冷静な視線がリアルと演劇の形作る関係を見通しているように感じられます。

 東京公演は終わりましたが、大津・富山・北九州・神戸・富士見(埼玉県)で公演が予定されています。

[上演記録]
「日韓友情年2005」記念事業
その河をこえて、五月
 新国立劇場小劇場(5月13 日-29日)

 全国公演/大津・富山・北九州・神戸・富士見
   大津公演/びわ湖ホール
   富山公演/オーバード・ホール
   北九州公演/北九州芸術劇場
   神戸公演/神戸文化ホール
   富士見公演/富士見市民文化会館
   
作 : 平田オリザ/金 明和
演出 : 李 炳焄/平田オリザ

美術 : 島 次郎
照明 : 小笠原 純
音響 : 渡邉邦男
衣裳 : 李 裕淑/菊田光次郎
ヘアメイク : 林 裕子
演出助手 : 慎 鏞漢/申 瑞季
舞台監督 : 田中伸幸

芸術監督 : 栗山民也
主催 : 新国立劇場

協力 芸術の殿堂(ソウル・アート・センター)
後援 駐日韓国大使館 韓国文化院

三田和代 小須田康人 佐藤 誓 椿 真由美 蟹江一平 島田曜蔵
白 星姫 李 南熙 徐 鉉喆 鄭 在恩 金 泰希

Posted by KITAJIMA takashi : 08:27 PM | Comments (0) | Trackback
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