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July 25, 2005

三条会・関美能留「演劇にはまだやれることがいっぱいある」

 特別企画インタビューランド」第2回は、千葉を本拠に活動する三条会の主宰者であり、全作品の演出を手掛ける関美能留さんです(「演劇にはまだやれることがいっぱいある」)。2001年の利賀演出家コンクールで最優秀賞に輝いて脚光を浴びてから、関さんが作り出す舞台は内外で高い評価を得てきました。昨年(2004年)BeSeTo演劇祭のフィナーレを飾った「ひかりごけ」公演は圧倒的な熱気と拍手に包まれ、今年の「 Shizuoka 春の芸術祭 2005 」で上演されたギリシャ悲劇 「メディア」 も斬新な演出で話題となりました。このロングインタビューでは、近現代や古典作品を取り上げ、俳優の身体を通して「いま」との「遠近と共鳴」を舞台化する、注目の「演出」に迫ります。聞き手は、三条会の舞台にいち早く注目、評価してきた松本和也さんです。 2時間余りの遣り取りを全10ページにわたって掲載しました。ぜひご一読ください。>>

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July 24, 2005

燐光群「上演されなかった『三人姉妹』」

 燐光群公演「上演されなかった『三人姉妹』」(作・演出 坂手洋二)の東京公演(7月6日-17日)と関西公演(7月21日-22日)が終わりました。チェホフの「三人姉妹」と、血なまぐさい終結を迎えたモスクワ劇場占拠事件を掛け合わせたような、坂手+燐光群ならではの独特の舞台だったと言われています。大阪芸術大大学院博士課程(文芸学)在学中の高木龍尋さんから、関西公演のレビューをいただきました。結語の切れ味をご賞味ください。以下全文です。

◎トゥーゼンバフはなぜ死んだか?

 チェーホフの『三人姉妹』は言わずと知れた名作である。その名作を燐光群がどうするのか? 上演されなかった、とはどういうことなのか? いささかの戸惑いを覚えながら劇場の席についた。

ひとつは劇場を占拠する武装集団である。配布されたリーフレットによれば、坂手洋二氏はこの作品の着想を、政情、治安の不安定なコロンビアで得たという。架空の国でのつもりで、という構想はロシアで起きた悲劇的な事件に行き着き、それが『三人姉妹』に入りこんだ。『上演されなかった『三人姉妹』』は、『三人姉妹』の中に劇場を占拠する部隊が乱入し、チェーホフに現実(?)が乱入するかたちで組み立てられている。

 その劇場では『三人姉妹』の二十年ぶり再演が始まろうとしていた。新しい演出で、三人の女優以外は他に舞台に登場しない。劇場のスタッフは二十年前の公演で何らかの役を務めた元役者や、公演寸前で切られてしまった役者たち。客にも元役者がいる。その上演が始まって間もなく、武装集団が突入してくる。銃を突きつけられても、普段からオーリガ、マーシャ、イリーナと呼び合うことを決められた三人の女優たちは芝居を止めようとしない。スタッフたちは状況をやり過ごすために次々舞台へ上がり『三人姉妹』をつづける。『三人姉妹』は人質たちはおろか、武装集団をも巻き込んで進む。

 その展開の大枠はチェーホフの原典とほとんど変わりがないと言っていい。設定は劇場の空間や人間関係に合わせて変えられている部分もあるが、『三人姉妹』から引用した台詞も多く、登場人物の行為もそこにすり合わされる。舞台は人物たちの意図とは別に、『三人姉妹』として動いてゆくのだ。どこまでが『三人姉妹』なのか、どこまでが劇場占拠事件なのか、わからない中で劇場に妙な一体感が生まれたとき、大統領の作戦は実行され、武装集団は人質もろとも壊滅し、あとには生とも死ともわからない人々、そして『三人姉妹』が終わる。

 と、観終わってひとつ疑問に思ったのは、なぜ結末を誰ひとり生死のわからない状
態(おそらくはそのほとんどが死)にしたのかということである。

 ロシアの劇場占拠事件が死屍累々に終わったのはニュースの伝えた事実であった。しかし作品をそこで終わらせなければならないわけではない。それに『三人姉妹』で唯一死んだのはソリョーヌイに撃ち殺されたトゥーゼンバフだけで、しかもその死体が舞台に晒されることはない。『上演されなかった『三人姉妹』』でもトゥーゼンバフ役を担ったアメリカ人の演出助手トーマスは正体不明の人質ソリョーヌイに撃ち殺される。けれども、それはトゥーゼンバフとしてではなく、トーマスとしてである。このあたりに、作品の核心を見つける糸口があるかも知れない。

 その鍵となるのは、トゥーゼンバフはなぜ死んだか(チェーホフはなぜトゥーゼンバフを殺したのか)、のような気がする。私はチェーホフの研究者ではないし、おそらく数多の論考が著されているだろうから、これが解答です、と披露するような勇気はないが、少なくともトゥーゼンバフは信じていた男なのではないか。働くということ、イリーナの愛がないことは知っていても未来の生活を信じていた。そして、死ぬとわかっていても希望を持っていた。それと同じだったのは武装集団の若者たちである。故国の解放を信じ、家族の幸福な未来を願い、大統領の策略を信じてしまった。その結果は死である。

 『三人姉妹』の登場人物は「人間でなくなった」ナターシャを除いて、みな絶望と諦めの上に自分自身の生を是認することで立っている。それはどれだけ悲しくとも虚しくとも、生命のあるかぎりつづけなければならない是認である。この作品が示そうとしたのは、何ものかを強く信じ希望するものから死んでゆく現代なのかも知れない。

 ここまで述べてきて、ふと、私が『三人姉妹』を全く知らなかったら、という問いに襲われた。『三人姉妹』がどんな話かを知らなかったら、『三人姉妹』の台詞を一言も知らなかったら、と考える。私はチェーホフの『三人姉妹』からこの作品を理解しようとしたが、その手立てを持たなかった人はどう思っただろう。そう考えると合点のゆかない箇所も多かったのではないだろうか。ただ、それでも、何かを信じ希望を持つことで降りかかる悲劇をみつけることはできるのではないか。それ以外に、それ以上に、この作品が語っていることを聞くのは難しい。この作品が伝えようとしていたことは、その実、チェーホフ『三人姉妹』そのものに既に仕組まれている。
(高木龍尋 尼崎市・ピッコロシアター大ホール、7月21日)


[上演記録]
燐光群公演「上演されなかった『三人姉妹』
作・演出 坂手洋二

東京 紀伊國屋ホール公演(7月6日-17日)
関西 ピッコロシアター大ホール公演(7月21日-22日)

<CAST>
女1・オーリガ(アンフィーサ)…… 中山マリ
女2・マーシャ ………………… 立石凉子
女3・イリーナ ………………… 神野三鈴

人質1・クルイギン …………… 鴨川てんし
人質2・アンドレイ …………… 猪熊恒和
人質3 …………………………… 久保島隆
人質4・ヴェルシーニン ……… 大西孝洋
人質5 …………………………… 杉山英之
人質6・ナスターシャ ………… 江口敦子
人質7・ソリョーヌイ ………… 下総源太朗
人質8・トーマス ……………… JOHN OGLEVEE
人質9・チェブトゥイキン …… 川中健次郎
人質10 ………………………… 宇賀神範子

占拠者1 ………………………… 裴優宇
占拠者2 ………………………… 向井孝成
占拠者たち ……………………… 樋尾麻衣子 宇賀神範子 内海常葉
                 工藤清美 阿諏訪麻子 安仁屋美峰
                市川実令 尾形聡子 坂田恵
                椙本貴子 塚田弥与以 中川稔朗
                樋口史 樋口美恵 松山美雪
若い女 …………………………… 宇賀神範子
若い男 …………………………… 小金井篤
中年男 …………………………… 内海常葉
アナウンサー …………………… 樋尾麻衣子

<STAFF>
照明=竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響=島猛(ステージオフィス)
音響操作=岩野直人
舞台監督=森下紀彦・高橋淳一
美術=じょん万次郎
衣裳=宮本宣子
殺陣指導=佐藤正行
演出助手=吉田智久・清水弥生・福田望
文芸助手=久保志乃ぶ・圓岡めぐみ
舞台写真=大原狩行
宣伝写真=竹中圭樹
チラシ写真=酒井文彦
宣伝意匠=高崎勝也
Company Staff =桐畑理佳・塚田菜津子・亀田ヨウコ
制作=古元道広・近藤順子
制作助手=宮島千栄・藤木亜耶・小池陽子
協力=円企画 高津映画装飾株式会社 C-COM
   東京衣裳株式会社 青年劇場
   常田景子 香取智子 山本哲也
   河本三咲 小林優 園田佳奈
   高本愛子 寺島友理子 増永紋美
   宮島久美 召田実子 八代名菜子 

平成17年度文化庁芸術団体重点支援事業

Posted by KITAJIMA takashi : 11:57 PM | Comments (0) | Trackback

July 22, 2005

時間堂「月輝きながら太陽の照る」

 数多くの芝居を見続けていると、出だしの10分か15分くらいで結末の予測が付く場合があります。逆に最後の最後まで作者に翻弄されるときも。青年団リンク・高山植物園の高山さなえさんの台本は今回、逆転に次ぐ逆転といった、スリラー映画顔負けのストーリーだったようです。時間堂12回公演とカフェ「月輝きながら太陽の照る」(作・高山さなえ、演出・黒澤世莉)7月7日-17日、渋谷 LE DECO1 で。

 披露宴が終わった結婚式場の控え室。これから着替えて二次会に顔を出す手はずなのに、新婦がドレスを脱がないと言って、いっこうに腰を上げません。足止めを食らう関係者。やがて…。「しのぶの演劇レビュー」は以下、次のように記しています。

上演時間は1時間強でしたが、最初の45分はつらかったです。(略)そして45分経った頃に衝撃の事実が明かされます。目が点になりました。そこから15分強は、それまでに描かれていた世界がバタバタと裏に表にひっくり返り続ける、きりもみ状態に陥った飛行機のような展開。・・・恐ろしい脚本でした。  男と女という全く違う生き物の係わり合い(歴史)、そしてこれからも延々と続く“生存”をめぐる戦いを描いていました。

 「休むに似たり。」サイトのかわひ_さんは「高山さなえという作家の話は、汚いわけではないのだけど、どこか気持ち悪さを持ってる」と言っているのですが、このあとの筋書きが分からないとちょっと理解に苦しむかもしれませんね。詳細は「しのぶの演劇レビュー」の末尾に書かれています。

 高山さんは海外留学でしばらく活動休止と聞きましたが(「Nのおしごと」)、7月8日のアフタートークに出演したそうです(「五十川藍子の道楽日記」)。これから出かけるのでしょうか。


[上演記録]
時間堂12回公演とカフェ「月輝きながら太陽の照る
http://www.seriseri.com/jikando/
7月7日-17日、渋谷 LE DECO1

作・高山さなえ、演出・黒澤世莉
●出演
稲村裕子 川根有子  キムラマナコ 福島千陽  両角葉
久米靖馬(クロカミショウネン18/UNITレンカノ) 小林タクシー(ZOKKY) 根津茂尚

Posted by KITAJIMA takashi : 03:28 PM | Comments (0) | Trackback

July 17, 2005

劇団あおきりみかん「ホップ・ストップ・バスストップ」(東京公演)

 名古屋を本拠とする劇団あおきりみかん「ホップ・ストップ・バスストップ」の東京公演が新宿のシアターモリエールで開かれました(7月9日-10日)。名古屋公演の模様は先に紹介しましたが、東京公演も内容はほぼ同じだったようです。開幕するといきなり、バス待ちの長い列が舞台いっぱいに延びています。その列に並んだ人たちがバス停ごと、男女2人に乗っ取られます。いわゆる「バス停ジャック」の始まりです。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「基本的にテンション芝居・・・私、芝居してますよ!っていう空気が体や台詞からブワ~って放たれてくるのでは、私は冷めてしまったりしてしまうのですが、客席の笑いの大きいこと大きいこと・・・お客さんが笑いたくなるのも十分理解できる・・・だって面白いから」と要約しています。また「「敏腕Pの日々のつぶやき」サイトのtakahashi_pさんは「台本には多くの破綻があるものの、それすら魅力に感じるほどの“役者熱”が魅力で」「とにかくやってる面々が楽しそうだし、弁護士役(竹之内豊似?)やパー人役など、個々の力量が高かったので安定感がありました」と評価しています。

 よく動く身体と過剰な身振りや発声、あり得ない状況設定と意表を突く行動があいまって、舞台に笑いをまき散らします。これぞ小劇場のエンターテインメント、こってりしたシチュエーションコメディーという舞台に見えました。
 終演後、ほぼ満員のお客さんがなかな席を離れません。一斉に感想文を書き込んでいるのです。劇団の熱意が客席に通じた瞬間だったのではないでしょうか。
(北嶋孝@ノースアイランド舎)

Posted by KITAJIMA takashi : 11:49 PM | Comments (0) | Trackback

July 14, 2005

劇団桃唄309「ブラジャー」

 劇団桃唄309「ブラジャー」公演が、オープンしたばかりの東京・吉祥寺シアターで開かれました(7月7日-11日)。桃唄はこのところ「多数のシーンを暗転などを全く用いずに間断なくつなげることで、人物像や人間関係、社会状況や歴史的背景などを俯瞰してみせる手法が中心」(劇団Webサイト)の舞台を提供してきたようです。この手法は今回も踏襲され、取り上げた題材はタイトル通り「ブラジャー」です。

 舞台上にセットらしきものはほぼ皆無。正面奥に、役者を乗せて移動する2メータ四方のキャスターがあるだけです。ステージは照明で正方形に縁取りされ、内側で役者が演じ、薄暗い外側は衣装や小道具の準備をしたり座って待機したりというオフ空間として処理されます。「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんはこの辺りを「舞台というリングに出たり入ったり・・・表現空間へと入り込むその瞬間の役者の変貌が面白かったりします。なんか・・・芝居というよりは、祭事のように見えなくも無い」と書き留めています。ブラジャーの歴史をさまざまなエピソードを交え、登場人物がさまざまに出入りする群像(+ミシン)劇として構成します。終演後には「祭事」ということばが不思議に記憶に残ります。

 作・演出の長谷基弘さんによると、ブラジャーは近代ヨーロッパで「再発明」され、身体を締め付けるコルセットを瞬く間に駆逐。この芝居は当時誕生した中産階級、女性労働、そしてミシンや化学繊維、ファッション意識の転換など社会の変遷をからめ、そいうブラジャー史をエンターテイメントとして描こうとしているそうです。
 スッピンのステージで、ミシンとボビン(糸巻き)の誕生、活躍から、やがて廃用品として忘れられ、その後手作りブラジャー製作用にさび付いた個所を整備し直して再登場。最後に寿命が尽きてこと切れるまでが狂言回しというより、物語の縦糸として織り込まれています。ですから、ミシンとボビンの幸せな(としか言いようのない)一生を葬送=言祝ぐ時間と空間とみなせばなるほど、「祭事」にふさわしい舞台なのかもしれません。

 冒頭、舞台上手奥から、ブラジャーの幟を立てた一行十数人がマント姿でトランクなどを携え、一列になって登場します。アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」の冒頭シーンかと一瞬戸惑いましたが、映画のような現代史の濃い影が差しているようにはみえません。一行はぐるりとステージを回り、やがてばらけて、照明外のオフ空間に散らばります。
 そこから1時間40分余り、ミシンの豆知識から大勢の人物の出し入れ、開発、製造、販売のエピソードや過去と現在の組み合わせなど、めまぐるしいほど場面は切り替わります。しかし混乱することはなく、むしろ整然といっていいほど鮮やかで確かな手並み。歌も交えて「ブラジャー史をエンターテイメントとして描こう」という熟達した技を見せてもらった気分です。

 劇団Webサイトには書き込み可能な 「ブラジャー」専用サイト [BraWiki] を開設。公演ページで大人も子供の楽しめる芝居だと告知しています。

お子様とご一緒にどうぞ!
この劇には過度の暴力表現や猥褻表現はありません。お子様連れのお客様も安心してご覧頂けます。

 今回の舞台作りに携わった劇団関係者の考えがストレートに表現されているような気がします。「新鮮で、豊かで、後で思い返すことで何度でも楽しめる体験」を観客に味わってもらおうという劇団の姿勢の表れなのでしょう。終演後の「バックステージ・ツァー」も大変ありがたい企画でした。


[上演記録]
劇団桃唄309ブラジャー
2005年7月7日(木)~11日(月)
吉祥寺シアター

戯曲・演出:長谷基弘
出演:
楠木朝子
森宮なつめ
山口柚香
藤本昌子
橋本健
吉原清司
バビィ
吉田晩秋
佐藤達
貝塚建
ほりすみこ (Website)
生井歩 (劇団レトロノート)
鈴木ゆきを
坂本和彦
北村耕治

スタッフ:
演出助手/小林佐千絵 (劇団レトロノート)
舞台監督/井上義幸(F.F企画)
照明/伊藤馨
照明協力/有限会社アイズ
音響/萩田勝巳
宣伝美術/岡崎伊都子
制作/ウィンドミルオフィス SUI
協力/株式会社ワコール にしすがも創造舎

Posted by KITAJIMA takashi : 02:43 PM | Comments (0) | Trackback
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