11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

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August 18, 2005

ミュージカル「きかんしゃトーマスとなかまたち」

 旧知の飯塚数人さんから、子供向けミュージカル「きかんしゃトーマスとなかまたち」について書いたとのメールを受け取りました。関連サイトもあちこち見て回りましたので、一緒に紹介します。

 「きかんしゃトーマス」シリーズと聞いて「懐かしい」という方もいるでしょう。「子供と一緒に絵本を読んでいる」「テレビで見ている」という子育て中のパパやママがいるかもしれません。子供向け番組や絵本の定番の一つなのでしょう。
 イギリスで2002年に上演された「THOMAS the TANK ENGINE ~きかんしゃトーマスとなかまたち~」は、27万人を動員したヒット・ミュージカル。海外初公演としてこの夏、東京・お台場で上演中です。本物さながらの「トーマス」、「パーシー」などのおなじみの機関車がステージ上を駆け回り、TVシリーズで親しまれている俳優たちの日本語吹き替え版で歌と物語が進行するそうです。

 驚くのがその上演期間と回数です。7月16日から始まり8月31日まで1日2回、計47日間94公演です。大人4000円、子供3000円ですから、家族で平均12000円の入場料と計算し、1公演の入場者数をざっと200人とすると、入場料収入だけで軽く2億円をオーバーします。入場者が300人、400人平均だと…。追加公演もあるので、数字はドンドン膨らんでいきます。

 とまあ、興行的な関心に傾いてしまいましたが、飯塚さんのレビュー(「闘いうどんを啜れ」)であらすじは少ししか書かれていません。鮮明な写真をたくさん載せている「iBox」サイトのlovecellさんの助けを借りると、「このミュージカルでは、テレビ版と同様に友達思いのトーマスの行動に焦点が当てられており、そこで起こるいろいろな出来事がストーリーの中心だ。任された支線が取り上げられそうになっても、友達を大事にするトーマスの思いやりに胸が打たれた。観終わった後、あたたかい気持ちになれるミュージカル」だそうです。

 飯塚さんは相当の機関車マニアだったらしい。「舞台はいちめん汽車が走りまわるための溝がはりめぐらされていて、よくみると、そこにはちゃんと枕木やレールや砂利が描きこんである。奥は車庫になっていて、トーマスたちはそのなかですこしだけ顔をのぞかせて、出番を待っている。場内は、あこがれのトーマスをまえに、感極まって泣き叫び、走りまわる子供(ほとんど幼児)が群れている」と描写、「俺も、鉄道マニアだった少年時代を思いだし、いまにも失禁しそう」という個所を読んで思わず頬が緩んでしまいました。

 「子供にとって、乗り物とは、人を異空間へ導くためものというより、それじたいが異空間というべき、祝祭的、演劇的存在だった」との指摘にうなずく人は多いはずです。「しかし人はやがてみな成長し、電車での通学通勤はあたりまえとなり、乗り物の持つ神秘性は失われて、日日ただ満員の苦痛を味わうのみの道具となる」。なるほど、なるほど。その後の描写にも機関車への愛情がうかがえます。

出演者につづいて、出演車が登場。動力はなにかわからんが、人が乗れる大きさの本格的な機関車で、ほんとうに線路の上を走るのだ。舞台の車庫のふんいきは、梅小路の機関区みたいだ。ポッポと煙を吐きながら、歌にあわせてコトコト走るかわいい汽車は、むかし西武園―ユネスコ村を走っていたおとぎ列車を思い起こさせる。(略)乗り物の持つ演劇性それじたいが、舞台の上に息づいている。

さらにディケンズが抱いていた鉄道に対する「特別な恐怖心」と近代の「疎外」にも触れ、最後に「いくつかの挿話が重なって、おはなしは進行し、最後には象の親子も登場し、俺も子供も大喜び。まさに乗り物への夢を、そして演劇への夢を、とりもどさせてくれる時間だった」と締めくくります。子供の喜びと同時に、飯塚さんご自身にもたまらないひとときだったようです。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:37 PM | Comments (2) | Trackback

August 17, 2005

クロムモリブデン「ボーグを脱げ!」

 このところ評価の高い関西の劇団「クロムモリブデン」が「ボーグを脱げ」の東京公演を中野・劇場MOMO で開きました。相変わらず精力的にレビューをアップしている「しのぶの演劇レビュー」サイトはもちろん見逃していません。ボーグ(防具)と攻め具(責め具?)とジャンケンを使って、クールでスピード感にあふれた舞台を展開したようです。

 「ナンセンスで錯綜した世界に独特のダークな空気が漂います。笑いがかなりコアでマニアック。ハマる人はハマるリズムがあります」と劇団の特徴を上げた後、今回の公演は「テーマはボーグ(防具)。(略)次から次にシーンからシーンへと移って行く短編集のスタイル。ただ、登場人物が被ることもあるのでチェーンストーリー的な楽しみもあります」「ロリコン、児童虐待、性犯罪者、家庭内暴力、SM(ご主人様と奴隷)などのかなりハードなモチーフを、時事ネタも含めて皮肉っぽく、だけどあくまでもポップに軽妙に織り交ぜていきます」「きちんと細かいところまで作り上げられた世界」「音楽がめちゃくちゃクール」「何もかも全部ひくるめてクロムモリブデンのイケナイ世界だった、ということでも私は満足」と述べています。

 しのぶさんと負けず劣らず芝居を見続けている「休むに似たり。」サイトのかわひ_さんは「「かぶって叩いてジャンケンポン」から自由に発想する舞台は、はっきりいってかなりワケわからないのですが、グルーヴ感がいっぱいで、楽しい」と評価します。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「一見ストーリーなんて無きもののような舞台ですが、意外に社会的なメッセージが織り込まれているのがクロムの上手さ・・・そしてそういうのを恩着せがましく主張しないのもまたクロムの上手さか?」と述べ、「下手に難解ではなく、下手に整っていなくて、下手に感動できる訳でもない・・・ちょうどイイ具合に面白くて、イイ具合に意味分からない。エッセンスの割り振り方が上手い」とまとめています。
 大阪公演は9月9日-13日、HEP HALLで。


[上演記録]
クロムモリブデン「ボーグを脱げ!」
 東京公演 劇場MOMO(8月10日-14日)
 大阪公演 HEP HALL(9月9日-13日)

■作・演出
 青木秀樹

■出演
 森下亮
 金沢涼恵
 板倉チヒロ
 重実百合
 信国輝彦
 遠山浩司
 浅田百合子(エビス堂大交響楽団)
 板橋薔薇之介(ニットキャップシアター)
 倉田大輔(国民デパリ)

■スタッフ
音響効果 笠木健司
照明 Ingrid Smith
美術 ステファニー(劇光族)
舞台監督 塚本修
演出助手 大沢秋生(NEUTRAL)
宣伝美術 Indigoworks
宣伝写真 シカタコウキ
衣装 赤穂美咲
制作 床田光世 野崎恵 金澤裕 パリジャン

Posted by KITAJIMA takashi : 12:03 PM | Comments (0)

August 16, 2005

チェルフィッチュ「目的地」

 チェルフィッチュの「目的地」ワークインプログレスの模様は先にお伝えしましたが、本公演が8月6日、びわこホールで開かれました。「夏のフェスティバル2005」の参加作品。このフェスティバルは「 二年に一度、最先端の身体表現をご紹介する」目的を掲げています。

 今回は「話法」に関する分析や解説が目につきました。「わぁ。(驚きに満ちた小さな悲鳴)」サイトのqueequegさんは「話法が果てしなく自由自在になっていってる」と指摘しています。特に「猫になっちゃったりとか妻が浮気してると思い込んでる夫の妄想の中の妻が浮気相手を切る場面を繰り広げちゃったりとか、まあよく考えたらなんでそんなことになってんのか全然わかんねえよ!笑とか思いはする。のだけど、実際に舞台を見ているあいだにおいては(略)『またひとつ新しい空間が開かれた』っていう驚きが喚起させられるばかりで、だからやっぱそれはすごい」と書き留めています。

 「コンテンポラリーダンス目撃帖」のcannon26さんは「個人的には、この『目的地』は、演劇でもなければダンスでもなく、「話芸」としての面白さに一番惹かれた」と述べ、「結論を言ってしまいますと、『漫談やん』と思った」と指摘します。

 「中西理の大阪日記」サイトは、チェルフィッチュの入り組んだ間接話法構造について次のように分析します。

通常の演劇(近代演劇)は登場する俳優の会話として提示される。ところが岡田のテキストは直接の会話ではなく、だれかが自分以外のことをだれかに説明するという伝聞のスタイルで提示される、語られる事実がそのまま会話として観客に示されるわけではなく、論理階梯がひとつ上のメタレベルから語られることにその特徴がある。もう少し分かりやすい言い方をすれば例えば小説には地の文と会話体の部分があり、会話劇では通常、そのうちの地の文の部分が排除されて、会話の部分だけが抜き取られてそれぞれの俳優によって演じられるわけだが、岡田のテキストではその地の文的な部分と会話体の部分が1人の俳優によって、一緒に演じられるという「語り物」の形態に近いところにその特徴がある。
 さらに言えば、単に地の文というだけではなくて、その話者として想定された一人称の「語り手」がひとりだけでなく、複数存在していて、それも実際の上演では1人の語り手に対して、1人の俳優が対応するという一対一の対応だけではなく、「語り手」と「俳優」の対応の形式が多対一、一対多と融通無碍に変化していく。

 さらにポストパフォーマンストークでクナウカの宮城聰が「チェルフィッチュの演劇をピカソの『アビニョンの娘』に例えて語り、その発言はきわめて啓発的であった」と触れていますが、詳細は不明です。「チェルフィッチュ日記」で岡田さんも宮城発言に触れていますが、中身を詳しく紹介していません。ちょっと興味がありますね。


追記
 ワークインプログレスについて、宮沢章夫さんが自分のブログ「富士日記2」(7月24日付け)で言及しています。チェルフィッチュは初体験だと断りながら、「超リアル」な日本語は、「きわめて計算された不自然な『せりふ』」で、「その言葉が持つ『特別な強度』を借りつつ、うまく計算されて書かれている」「『リアル』をもうひとひねりしたからだの動きも相俟って、きわめて精緻に造形された人物が出現しており、なるほどと思った」などと強い印象を受けたようです。

Posted by KITAJIMA takashi : 09:17 PM | Comments (0) | Trackback

August 15, 2005

和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」

 和栗由紀夫+上杉貢代「神経の秤」公演が8月4日-5日の2日間、東京・麻布die pratze で開かれました。舞踏の世界で、土方巽の弟子(和栗)と大野一雄の弟子(上杉)が共演するのはきわめて珍しいそうですが、その世界に疎いのでともかく舞台に目を注ぐことにします。
 最初は和栗のソロ約20分。次が上杉のソロ約20分。最後が2人で共演というか、「歩み寄る」という象徴的なシーンを作ります。

 和栗のソロは、場所的移動を極端に押さえたパフォーマンス。中央に立つ、というか佇むというか、やや腰を落としたまま、頭、目、眉、鼻、頬、額から始まり、首、肩、腕、手首、手のひら、5×2の計10本の指それぞれが反ったり撓んだり歪んだりきしんだり、お腹も背中も足脚以下も同様に微細な動きが次から次へと伝播するように、目に見えるほど筋肉の緊張が伝わっていきます。目の玉も大きく見開かれたりあらぬ方向を向いたり、それぞれの器官が左右違った動きを見せたり。ほとんど動かない身体は、みる側を息苦しくさせるほど。白塗りと言うか、土色の肌に筋肉の張りつめた形が現れるのを固唾をのんでみていました。

 舞台の後ろは白い幕を左右でからげ、出入りできるようになっています。和栗のソロが終わるころ、右手の幕から上杉がうつぶせになるぐらい身体を這わせて待機、和栗の退場とともにククククッとステージ中央に登場します。黒紫のドレス姿で円を描くように走り回ったり、暗転で大ぶりの着物姿に早変わりしたり、キツネ(犬?)面を被って踊り、面だけ客席に向けて後ろ姿のままのパフォーマンスを見せたり、豊かな表情とステージをいっぱいに使った動きが対照的でした。

 最後のステージは30分あまり続いたでしょうか。「白鳥のめがね」サイトのyanoz さんは次のように述べています。

この公演は、ラストーシーン、上杉と和栗の二人がステージの両端からゆっくりと歩み寄っていく場面が全てだった。
すくなくとも私にとっては、上杉の、まったき感受的な場となったかのごときまなざしを差し向けながらの、一歩一歩がふるえる息吹であるような歩みと、和栗の、眼を馬のようにして、硬く引き締まった筋肉をじりじりと駆動させていく歩みとが、互いの気配を緊迫させながら空間を占めてゆく、この音楽抜きのひとときに立ち会えただけで、十分だった。この時間だけを一時間たっぷり味わう事ができたらどれだけ素晴らしかった事だろう。

 2人の共演をプロデュースした舞踊評論家の志賀信夫さん(デュカスの日記舞台批評)によると、次のような経緯があったそうです。

企画は元々、和栗由紀夫さんと上杉貢代さんの舞踏、特にソロ部分がとても好きだったので、一度一緒に踊ってもらいたい、ということがきっかけでした。
 お話をもちかけても、最初はなかなかウンといって頂けず、一晩3人で飲んでようやくっていう帰り際、「やっぱりやめようか」ってなったり。
 でも実際に動き出してからは、結構スムーズに行かれたようで、最初上杉さんも15分くらい顔を出すだけ、というところから次第に積極的になられて、最終的にはコラボレーションといえるにふさわしい舞台になったと思います。4回のリハーサルであそこまで舞台が作れるのは、やはりプロです。特に後半の2人が絡む場面は、美しく感動的でさえありました。

 志賀さんが司会を務めたポストパフォーマンストークで、この公演の枠組みは和栗提案に沿っていたことが分かりました。「土方舞踏は空間とフォルムの型はあるけれど、時間は踊り手に任されている。この機会に土方舞踏を丁寧に踊ってみたかった」という和栗さんに対し、上杉さんは最初戸惑ったようです。「習っていたクラシックバレエは型そのもの。それが堅苦しくて、型のない大野一雄に引かれた。しかし今回は型のない不安はあったけれど、無防備でいこうと決めてから入り込めた」と話していました。2人の間柄について和栗さんは「わけ登るふもとの道は違えども、同じ高嶺の月を見るかな」という歌を何度か引用しながら、「同世代で話の合う”戦友”」と表現していたのが印象に残っています。

 蛇足を承知で付け加えますと、「神経の秤」はアントナン・アルトーの作品から取られています。「アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である『残酷劇』を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える」(『ウィキペディア(Wikipedia)』)と言われています。音楽は「バルトークやリストが好き」(和栗)「いつかワグナーの『トリスタンとイゾルデ』や『タンホイザー』で踊ってみたかった」(上杉)と話していました。

Posted by KITAJIMA takashi : 11:59 PM | Comments (0)

August 14, 2005

ゴキブリコンビナート「君のオリモノはレモンの匂い」(続)

 「ゴキブリコンビナート」の公演レビューが「そして、始まる・・。」で中断していた「デジログからあなろぐ」サイトで、すぐに後半が書き継ぎがれました。同サイトの吉俊さんは、ゴキコンが「ミュージカルという形式を借りて」「泥水と組み合わせると、そこには終始水がバシャバシャ跳ねることを必然とする舞台が生まれる」と述べ、舞台設営など「道具使いの上手さ」をぬかりなく指摘しています。

 その上で、ゴキコンの3KミュージカルにさらにもうひとつのK、「心地よさ」を付け加えたいと宣言します。そうこなくちゃ。

簡単に言うと、上記の3K(汚い・臭い・キツイ)がもしも本当に3Kだけであったら、きっと誰も見たいわけじゃないと思う・・・私も恐いもの見たさっていうのが最初はあったけど、見ている最中に感じたのは「高揚感」といった心の内側の感情、そして後半にはそういう高まりは、心地よさへと変容している。
汚い水が体に降り掛かる、役者がどんどん汚れていく、その役者が自分達の上を駆け回る、そういう汚い部分とか・・・役者が服を剥ぎ取られたり、丸太で頭を打たれたり、逆さ釣りにされたり・・・肉体を傷つけられている様を観る部分。 SMという構図もあるけど、どちらかというと自然から全く切り離されて清潔に安全に暮らしている都会で、普段刺激されない人間という動物の諸感覚を刺激してくれているのではないかと思う・・・それが心の高ぶりであったり、終幕後の心地よさに繋がる。
それってまさにスポーツと同じ構図でしょう?・・・ゴキコンはスポーツである!っていうのはこれまた言い過ぎかもしれないけど、大きく間違っている訳じゃない。

 ゴキコン=スポーツ説の誕生ですが、ぼくには見せ物、そのなかでもプロレスとある面でゴキコンが似通っているのではないかと思えます。米国のプロレスはショーアップされ、あっけらかんとした勧善懲悪物語で広い会場を沸かせます。しかも2m100キロ級の肉体が明るいリング上で激突します。対照的にゴキコンは、技はうまわけではなく、痩せこけた身体と不揃いな歌声ではありますが「心意気と情熱!」があり、独自の物語を内蔵しているはずです。そのあたりの比較検討ができるとおもしろいのでは…と思いつきを並べましたが、おしゃべりはこのへんにしましょう。

Posted by KITAJIMA takashi : 10:07 PM | Comments (1) | Trackback
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