11月1日から新サイトに移行しました。URLは下記の通りです。リンクしている場合はURLを差し替えていただくようお願いいたします。

http://www.wonderlands.jp

August 12, 2005

ゴキブリコンビナート「君のオリモノはレモンの匂い」

 タイニイアリスフェスティバル2005の幕開けは、昨年に続いてゴキブリコンビナート公演でした(8月11-14日)。キツイ・キタナイ・キケンの「3Kミュージカル」を自称する劇団は、最近会場を確保しにくくなったとのうわさが流れています。アリス劇場関係者が度量の広さを示した今公演「君のオリモノはレモンの匂い」はいかに-。

 「デジログからあなろぐ」サイトの吉俊さんは「レインコートとタオルを片手に入場を待つ」「劇場の階段を降り始めるとともに漂い始める異臭、これがゴキコンか!ドキドキ」などと助走しながら、いよいよ本番の報告と思ったら、「そして、始まる・・。」と書いたまま、中断しています。(12日22時過ぎ)そのうち書き継がれるのでしょうか。

 その代わりというわけではないのですが、「おはしょり稽古」サイトのあめぇばさんが、舞台の模様をしっかり伝えてくれました。おおよそ、こんな感じのようです。

「3Kミュージカル」は正装した新郎新婦の歌声で始まった。
ハネムーンに国立公園に来た新婚夫婦は、原始人のような野蛮な男達に襲われて身ぐるみ剥がれる。
おかみに助けられて宿に逃げ帰り、ショックから立ち直った花嫁は気を取り直して初夜を始めようとする。
しかし花婿は筋金入りのロリコンだった。
観客席の頭上の丸太に猿のようによじ登って、役者は別の舞台へ移動する。宿に逃げ帰る時点で花嫁はウェディングドレスを剥がれてほぼ全裸。後半では下半分が無いスクール水着で逆さ吊りにされ、最後は男に陰部の匂いを嗅がれながら花婿の生首を抱いて歌う。なかなか切ない役回りである。
半分猿のような男たちは、集団就職で雇われた「木こり」だった。…

泥はねも何のその、放尿もいたぶりも「演出家の割り切った姿勢は大変清々しく感じられ」「レモンの芳香剤の匂いが充満する中で二時間たっぷり野次馬をやって、半ば酸欠状態で劇場を出た」そうです。

ハラハラドキドキ場外編の様子は、彼女のもうひとつのブログサイト「依怙地にあめぇば」に詳しく載っています。

タイニイアリスWebサイトにゴキブリコンビナートの作・演出のDr.エクアドルのインタビューが掲載されています。興味のある方はどうぞ。


追記(8.14)
 「ゴキブリコンビナート」の公演レビューが「そして、始まる・・。」で中断していた「デジログからあなろぐ」さいで、すぐに後半が書き継ぎがれました。同サイトの吉俊さんは、ゴキコンが「ミュージカルという形式を借りて」「泥水と組み合わせると、そこには終始水がバシャバシャ跳ねることを必然とする舞台が生まれる」と述べ、舞台設営など「道具使いの上手さ」をぬかりなく指摘しています。

 その上で、ゴキコンの3KミュージカルにさらにもうひとつのK、「心地よさ」を付け加えたいと宣言します。そうこなくちゃ。

簡単に言うと、上記の3K(汚い・臭い・キツイ)がもしも本当に3Kだけであったら、きっと誰も見たいわけじゃないと思う・・・私も恐いもの見たさっていうのが最初はあったけど、見ている最中に感じたのは「高揚感」といった心の内側の感情、そして後半にはそういう高まりは、心地よさへと変容している。 汚い水が体に降り掛かる、役者がどんどん汚れていく、その役者が自分達の上を駆け回る、そういう汚い部分とか・・・役者が服を剥ぎ取られたり、丸太で頭を打たれたり、逆さ釣りにされたり・・・肉体を傷つけられている様を観る部分。SMという構図もあるけど、どちらかというと自然から全く切り離されて清潔に安全に暮らしている都会で、普段刺激されない人間という動物の諸感覚を刺激してくれているのではないかと思う・・・それが心の高ぶりであったり、終幕後の心地よさに繋がる。 それってまさにスポーツと同じ構図でしょう?・・・ゴキコンはスポーツである!っていうのはこれまた言い過ぎかもしれないけど、大きく間違っている訳じゃない。

 ゴキコン=スポーツ説の誕生ですが、ぼくには見せ物、そのなかでもプロレスとある面でゴキコンが似通っているのではないかと思えます。米国のプロレスはショーアップされ、あっけらかんとした勧善懲悪物語で広い会場を沸かせます。しかも2m100キロ級の肉体が明るいリング上で激突します。対照的にゴキコンは、技はうまわけではなく、痩せこけた身体と不揃いな歌声ではありますが「心意気と情熱!」があり、独自の物語を内蔵しているはずです。そのあたりの比較検討ができるとおもしろいのでは…と思いつきを並べましたが、おしゃべりはこのへんにしましょう。


[上演記録]
ゴキブリコンビナート第19回「君のオリモノはレモンの匂い」

出演:ボボジョ貴族、オメス吉祥寺、OJC、セロトニン瘍子、Dr.エクアドル、スピロ平太、スガ死顔

Posted by KITAJIMA takashi : 10:28 PM | Comments (0) | Trackback

August 11, 2005

かもねぎショット「ロシアと20人の女たち」

 かもねぎショットは1989年に「夢のあるうち今のうち」で旗上げしたはずですから、もう16年。いまも活躍している多田慶子さん、高見亮子さんのほか、木内里美さんの女優3人で結成されました。旗揚げ公演は見逃しましたが、その後の「婦人ジャンプ ~ああ、この人生の並木路」「東京の道をゆくと」「婦人ジャンプ2 ~健康を祝って~」など90-91年の作品を立て続けにみて、心躍るときめきを体験しました。あとは知る人ぞ知るの大活躍です。 最新公演「ロシアと20人の女たち」が東京・下北沢のザ・スズナリで開かれました(8月3日-10日)。

 しゃれたデザインのブログサイト「Club Silencio」は「旅行でやってきたと思しき女たちがなぜかロシアの大地をさまよい歩き、『知っているつもり』のロシアと『思い込み』のロシアを演じる」と述べ、さらに次のように報告しています。

ロシアに対する断片的な知識がパッチワークのようにつなぎ合わされて次々に演じられる。罪と罰、桜の園、三人姉妹、オネーギン。そしてエカテリーナ2世、アナスタシア皇女、レーニン、テレシコワ。果てはロシアの葬儀、暖炉、馬車。うろ覚えの知識の心許なさといかがわしさがプンプンしてとても楽しい。今春に上演した「ラプンツェルたち~うろ覚えの童話集~」とほぼ同一の手法で、作者の高見亮子さんはおいしい鉱脈を掘り当てたようだ。奇怪なダンスもいい。注目していた中川安奈さんはイメージを逆手に取った演出が効いて笠久美さんとの主従で見所が多い。演出も兼ねる高見さんはやはりただ者ではない。悪だくみの才能にも溢れている。

なるほど、なるほど。
しのぶの演劇レビュー」は「ウィットに富んだ大人の女性の気軽な娯楽作品」との印象を受けたようです。

結成メンバーだった木内里美さんの消息を訪ね回ったら、いま熊本を拠点にひとり芝居「ばあちゃん」シリーズに打ち込んでいて、昨年10月には九州のテレビ番組にも取り上げられたそうです。当時のファンとして、うれしい限りです。

[上演記録]
かもねぎショット「ロシアと20の人女たち」
下北沢 ザ・スズナリ(8月3日-10日)

作・演出 ●高見亮子
出演 ● 多田慶子 / 小山萌子 / 吉村恵美子 / 笠久美(PROJECT ジョカ) / 林知恵子 / 杉山明子 / 池田素子 (ダンサー) / 公門美佳 (ダンサー)
栗栖千尋 / 高見亮子
(以上2名かもねぎショット)
中川安奈

美術 ● 加藤ちか
照明 ● 中川隆一
音響 ● 藤田赤目
衣裳 ● 高橋 佳
舞台監督 ● 北村雅則
票件管理 ● 高橋衿子
チラシの絵 ● 永山裕子
宣伝美術 ● 西山昭彦
制作 ● かもねぎショット制作部
主催 ● かもねぎショット

Posted by KITAJIMA takashi : 03:18 PM | Comments (0) | Trackback

August 10, 2005

南船北馬一団「どこかにいます」

 大阪を拠点に活動している南船北馬一団が、2000年夏に上演した「どこかにいます」の改訂版再演を東京・梅ヶ丘BOXで開きました(8月4日-7日)。子供のころの友達関係やほのかな好意を、大人になってから記憶の底をかき回しながら引き揚げるとどうなるか-。いまの微妙な人間関係を映しつつ、繊細かつ濃密に作り上げるサイコスリラーとも言える舞台になっていました。

 いまは廃校になっている小学校の講堂、という舞台設定です。成人式から8年後に再会を約束して集まった女性2人、男性1人の元同級生。やがて男性と結婚した同級の女性が欠席することが明らかになり、その女性が好きだったクラスメイトの男性との関係をめぐって話がもつれていく…。いやその前に、先に来ていた女性の間でも、無意識か隠微か判然としないいじめの加害と被害をめぐってエキサイトしたり、未婚既婚の差異を微妙に投影しながら、起伏と緩急の織り込まれた会話が続きます。手元に台本がなくて具体的に再現できないのが残念ですが、他人には計り知れない「ささいな」いじめ行為をいささか辟易するほど丹念にあげつらうときの運び方に作者の力量がうかがえるように思えます。

 現在は過去とのつながりで成り立っているとの強い執着が、無意識のうちに登場人物を支配しているようです。やり取りすることばはまっすぐ相手に向けられ、退路を断つほどに追い詰めるので、心理的緊張は次第に高まっていきます。舞台に立つ3人の関係が段々濃縮され、ラストのクライマックスでいくつかの謎を仕掛けたどんでん返しが用意されています。

 過去と現在を出入りする演出にも工夫が凝らされていました。会場は狭かったのですが、その狭さを逆用するように、実際の出入り口がそのまま講堂の出入り口とされ、入ったすぐ前のスペースがステージになり、座席はその両側に作られていました。昔の大事な記憶を蘇らせる場面は、白いレースのカーテンがざざっと引かれます。ライトを絞りながらカーテンの内側で交わされる会話は、確かにベールのかかった空気を醸し出していました。

 思い出探しの旅はどこかで、さまざまな距離感を失いがちです。その旅が同級会という場で実行されたら、現在の人間関係とはまた違った局面をもたらすのでしょうか。それぞれの感情の接近・遭遇という心理状態を克明に、ドラマ仕掛けで見せてもらった気がします。2001年度の第7回劇作家協会新人戯曲賞を受賞した作者の才能の片鱗が見えたと言っていいでしょうか。

 作・演出の棚瀬美幸さんは海外研修派遣制度によるドイツ留学が決まっているそうです。しばらく活動休止する最後の公演とのことでした。厳しい寒さとそびえ立つ建築物の土地に1年余り滞在した後、どのような演劇体験を持ち帰ってくるか楽しみです。
 東京公演は終わりましたが、大阪公演が8月18日から精華小劇場で予定されています。

[上演記録]
南船北馬一団「どこかにいます」
東京・梅ヶ丘BOX(8月4日-7日)

作・演出:棚瀬美幸
出演:藤岡悠芙子 谷弘恵 後藤麻友 末廣一光 他

舞台美術:柴田隆弘
照明:森正晃
音響:大西博樹
舞台監督:中村貴彦
チラシイラスト・デザイン:米澤知子
企画製作:南船北馬一団

Posted by KITAJIMA takashi : 07:23 PM | Comments (0)

August 08, 2005

大橋可也&ダンサーズ「サクリファイス」

 「ハードコアダンス」を掲げる大橋可也&ダンサーズの公演をみてきました(神楽坂die pratze、8月2日)。大橋さんの名前は「かくや」と読むそうです。昨年の「あなたがここにいてほしい」公演をみた舞踏評論家の石井達朗さんの推薦で、今年の「die pratze dance festival ダンスがみたい!7」に出場することになりました。「あなたがここにいてほしい」というと、思い浮かべるのはPink Floyd のアルバム「WISH YOU WERE HERE」ですが、この公演は未見なのでコンセプトなどで関連があったかどうか分かりません。石井さんの推薦文には「男(大橋)と女(ミウミウ)の間にある永遠の溝としての身体性が、スカンクのノイズ音により幾重にも増幅された。ソリッドな身体が加速度的に追い込んでいったものは、自虐とも加虐ともつかないエロスである」とあります。期待と好奇心で足を運びました。

 開演前、客席から普段着の男女数人か舞台奥のパイプいすに腰掛け、客席に向かって横一線に並んでいます。主宰の大橋さんが「これから始めます」と言ってステージを去ると、そのうちの女性2人が踊り始めます。1人は狐(犬?)面を着け、指を鳴らしながら舞台の前の方を横歩きで往復したり、四周を素早く動いたり。ベビードールを着た女性はときに調子っぱずれで歌います。この歌は「白鳥のめがね」サイトによると「cocco の『強く儚い者たち』だそうです。
 次はバットを振り回す女性が登場します。床に大の字に寝そべったりしていると、突然教育改革を熱っぽく論じるテレビ番組の音声だけが流れてきます。バット女はその音声にほとんど関わりなく、バットを振り、動き回ります。
 3番目は…記憶がぼやけたので、「ブロググビグビ」サイトの助けを借りると、「ラムネ菓子を並べてつくったテリトリーの中で足を拘束されているキャミソールの少女と、客席や舞台後方をめがけて暴れる男の子」。最後に柄物のサマーシャツにハーフパンツ、頭に野球帽(だったでしょうか?)を乗っけたオッさん風の男性が舞台中央に登場しますが、少しの間ギクシャクと手足を動かして、そそくさと引き揚げてしまします。

 「白鳥のめがね」サイトのyanoz さんは最初のシーンに関して「二人出ていてもデュオというわけでもなく、平行して進行するその隔たっている印象が心に残る」と述べています。「ブロググビグビ」サイトの伊藤亜紗さんは「大橋可也の舞台は、二つの人物中心がディスコミュニケーションなまま並存している」「舞台上におかれた二つの要素は、並置されてディスコミュニケーションの関係にあるけれど、お互いがお互いにとっての「ノイズ」になりながら片方のみに集中することを妨げ、観客を煩わす」「煩わし合いは却って二人をそれぞれの一点へむけて閉じさせる」と指摘しています。

 今回の公演は前回の「ソリッドな身体が加速度的に追い込んでいった」とか「自虐とも加虐ともつかないエロス」というイメージとはかなり離れ、「かみ合わないけどバラバラとも言えない」「バラバラだけれども、よくどこかで見かける」という、ぼんやりした既視感や希薄な現実感が澱のように残りました。
 公演は1日だけ。主催サイドの都合だったようですが、会場は満杯の熱気でした。

[上演記録]
大橋可也&ダンサーズ「サクリファイス」
麻布die pratze (8月2日)
【出演】
ミウミウ、江夏令奈、関かおり、垣内友香里、皆木正純、ロマンス小林
【振付】
大橋可也
【音楽】
スカンク(MEXI)
【照明】
遠藤清敏
【舞台監督】
十亀脩之介

Posted by KITAJIMA takashi : 05:19 PM | Comments (0) | Trackback

August 06, 2005

ク・ナウカ「王女メデイア」

 ク・ナウカの「王女メデイア」 は1999年に初演されて以来、国内はもとより海外8カ国15都市で上演を重ねてきたク・ナウカの代表作です。 古代ギリシアの英雄イアソンとその妻メデイアをめぐって繰り広げられる壮大な「子殺し」の悲劇を、明治時代の日本に舞台を移し、歓楽街の座興で演じられる劇中劇として再現します。 セリフを語るのはすべて男。その言葉に操られるように動く女たち。 ク・ナウカが15年間追求してきた語りと動きを分ける‘二人一役’の手法がストーリーと密接にからみ合い、 やがて言葉の支配をくつがえすかのように女たちの反乱が始まります――。
 ク・ナウカのWebサイトに載った一文が、「王女メデイア」の簡潔な導入になっています。有力劇団の代表作だけに、力のこもったレビューをいくつも読むことができました。
 今回はCLP(クリティック・ライン・プロジェクト)の 皆川知子さんのレビューを取り上げます。

 古代ギリシャの世界が、どのように明治時代の日本に移し替えられているのだろうか。皆川さんは次のように簡潔に描写します。

文明開化の情景を描いた布が、方形の舞台を取り囲むように立てかけられている。布が取り払われると、和装の女たちが、頭を袋ですっぽり覆い、自らの顔写真を両手に抱えて並んでいる。そこへ黒い法服を着た男たちが現れ、女たちの品定めを始める。宴会の余興だろうか。男たちの語りに合わせて、女たちが人形のように無言・無表情で演じ、劇中劇が繰り広げられるのだ。メデイアは、朝鮮の民族服チマチョゴリを身につけ、その上から和柄の着物を羽織る。ここでは、ギリシャとギリシャによって支配されたメデイアの祖国コルキスの関係が、明治時代の日本と韓国の関係へと置き換えられている。 ク・ナウカ『王女メデイア』で、演出家はギリシャ時代の法治主義、ロゴス、男性原理社会を、近代化に向けて邁進する明治の日本に見いだす。

 「演出ノート」からではなく、目の前の舞台に何がありどう見えどう聞こえるかということから書き出している手法にきっぱりとした潔さを感じます。
 会場となった東京国立博物館の本館特別5室は天井がとても高く、残響が長くて声が聞き取りにくいとの指摘がかなりありました。しかしその聞き取りにくい有様自体がどう見え、どう聞こえるかと皆川さんは続けます。

(上演会場は)高い天井をもつ空間構造上、残響が長い。このため、男性のコロス(語り手)たちが同時に語ると、ことばが反響し合い、大きな音の塊となって空間を支配する。ひとつひとつのことばは聞き取りにくい。何よりことばを重んじるギリシャ悲劇の上演においてはあるまじき現象かもしれない。しかし見方を変えれば、あたりを圧するように包み込む、獏としたことばの集合体は、近代化のために弱者や不合理な存在を圧殺してきた日本の姿とも重なってくる。

 いくつかのレビューで言及されている「子殺し」の場面も、「子殺しの場面が、物語を転覆させる契機として描き出されている」とした上で、その前後の舞台上で生起した動きを具体的に伝えて次のように提示されます。

自分を裏切った夫への復讐のため、メデイアは逃げまどう我が子に向かい、刃物をふりおろそうとする。それまで阿部一徳の猛々しい声によって突き動かされてきた美加理のメデイアは、刃物をふりおろす瞬間、初めて彼女自身の、低く短い叫び声を発する。虐げられ、裏切られてきた者の恨みの声、そしてことばを奪い返さんとする逆襲の声である。

なるほど、美加理が「初めて彼女自身の、低く短い叫び声を発する」意味が、その決定的に重要な意味が、短い文章に濃縮されているように受け取れます。そこに細部を見逃さない確かな目を感じました。指摘はさらに続きます。

そしてメデイアはしずかに刃物を口にくわえなおすと、優しく子どもを引き寄せる。子どもが母親の涙を拭くしぐさをした直後、彼女は口にくわえた刃物を、子どもの腹に突き刺す。叫び声をあげた後で、刃物をくわえて自らの口を再び封じた行為は、子殺しという罪と引き換えに、ことばを奪われる立場を受け入れる女の悲しき覚悟をしめす。さらにメデイアが象徴する、近代化によって虐げられてきた国の諦念ともみえる。しかしこの後、語り手(男)と動き手(女)の関係が転倒する。動く人形、あるいは裏方の演奏者に徹していた女たちが、赤いスリップドレス一枚になり、つぎつぎと男たちに刃物を突き立てていったのである。

と言う形で、レビューをほとんど引用してしまうのはマナーを外しているかもしませんが、目に見えたこと、耳に伝わってきたこと、肌で感じたことから具体的に構成するという皆川さんの劇評作法を伝えたかったのです。あとは原文(全文)をご覧ください。彼女の分析や指摘に違和を感じる部分もあるかもしれません。ぼくも異論のあることを隠しませんが、しかし繰り返しますが、きっぱりとした潔さを感じました。


[上演記録]
ク・ナウカ王女メデイア
原作: エウリピデス
台本・演出: 宮城聰

東京国立博物館 本館特別5室
2005年7月19日-8月1日

出演:
美加理・阿部一徳・吉植荘一郎・中野真希・大高浩一・野原有未
萩原ほたか・本多麻紀・江口麻琴・片岡佐知子・諏訪智美
桜内結う・たきいみき・藤本康宏・牧野隆二・池田真紀子
大道無門優也・黒須幸絵

Posted by KITAJIMA takashi : 04:46 PM | Comments (2) | Trackback
 1  |  2  | 3 |  4  | all pages