自分にフィットした方法で 'いま' を記録したい  (Part 2)

インタビューランド #1  チェルフィッチュ 岡田利規  聞き手: 柳澤 望

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想像力の欠如を「記録」したい

柳澤 「三月の5日間」を書いているときもそうでしたか。前年の3月15日があって、翌年の3月15日があって、そのときにしか上演できない。そういう意識で書いていたのでしょうか。
岡田 あのときは僕も、あの作品の中のホテルにこもる男女と同じで、戦争がすぐに終わると思ってたんですね。で、少ししてからそのことで自分をすごくばかだなあと思ったんだけど、どうせならそういうばかげた考えをしてたことを残しておこうと思った。
柳澤 1 年前は浅はかにもイラク戦争がすぐに終わると思っていた自分の考えを記録しておきたい……。
岡田 5 年後 10 年後にはそんな考えをしてたやつがいたなんてこと忘れられてしまうんじゃないかと思った。イラクが終わっても、他がどうなっているか分からない。花粉症じゃないけど、杉は終わったけど檜が始まったみたいなのと、変わらないじゃないですか(笑い)。花粉症とイラク戦争は、低強度というところが似てる。
柳澤 似てますよね。冗談になりそうなところですが、花粉症も初めはただの風邪だろうと考えて、すぐ治るだろうとタカをくくっていたりする。長引いてしまったあとには、風邪だったと考えていたうっかりさ具合なんて、すぐに忘れられてしまうだとう、ということですね。
岡田 そうそう。話がちょっと脱線するけれど、9.11 のときもテロという言葉の意味が僕は最初分からなかった。テロというと、車に爆弾を積んで突っ込むようなイメージだったから、飛行機がビルに突っ込むのがテロだってのは、テレビを見ていてもピンと来なかったんです。それはぼくの想像力の欠如なんですが、9.11 以後の状況ではそういうことも分からなくなるだろうと思う。だから、イラク戦争の時も、そのとき分かってなかったことを書くのはおもしろいんじゃないかと思った。それも「三月の5日間」を書く動機の一つになっていますね。
柳澤 その「おもしろい」という言葉は微妙じゃないですか。岡田さんはチェルフィッチュのブログ注 17 で、あざけるような「嗤い」ではなく、ユーモアのある「笑い」の可能性を目指したいと書いてましたが、おもしろがるというと、どこか浅はかさを嗤う方向に落ち込みかねないのではないでしょうか。
岡田 そうではなくて、イラク戦争が終わってないという歴史的事実を知っている人が、「三月の5日間」に登場する、戦争がすぐ終わると思ってたやつらのことを、嗤うというのじゃない、自分にフィードバックするような見方で見てくれたら、それは価値あることだろうなと思うんです。時間が経てば経つほど分からなくなっちゃうことかもしれないけど、当時戦争がすぐ終わると思っていた人たちは、特別な少数のばか、というわけじゃなかった。それをどうしても記録しておきたかった。ほんとうにイラク戦争がすぐ終わってたら、あの作品は作らなかったと思います。それと戦争が終わっていれば、あの作品は生々しさみたいのが薄れて、アーカイブ行きになるかもしれない。でも今もまだ終わってないわけで、終わっていない限り、あの作品はまだアーカイブ行きとはならない。だからというわけではないけど、あの作品は再演したいと思ってます。
(2005.4.5 新宿・M9会議室)

注 17) 岡田利規個人ブログ 「 チェルフィッチュブログ2


インタビューを終えて

岡田利規
  出し惜しみしても大丈夫なほど、言うべきことのストックを持ってるわけではないし、基本的にインタビューの場では、聞かれたことに関して思うところを正直に答えることに、今のところはしているけど、もっと勉強とかして、隠し事しても間が持つように早いところなり、相手を煙に巻いたりしたいものだとつくづく思う。それにしても今回のインタビューを読み返してみると、これまで僕が受けた何回かのインタビューの中では言ったことなかったことを、結構言っているなあ。現代性みたいのと向き合うようにあるとき突然なった、それまではそんなことからは遠いものを作ろうとしていた、なんてことを言ってしまったのとか、たぶんこれが初めてだと思う。僕自身、昔の自分がそんなことを考えていたことを思い出すのはひさしぶりだった。結構恥ずかしいかもしれない、でもそのきっかけがエヴァンゲリオンだったとか、そういうもっと恥ずかしいことまではバラしてないから、まあいいか。

柳澤望
  インタビューしたのは4月はじめで、あの時点ではまだ戯曲集は出版されていなかったし、岸田戯曲賞の選評も公開されていなかった。また、岡田さんが参加するSePTでのドラマリーディング企画も、トヨタコレオグラフィーアワードの最終選考ノミネートも話題に出なかった。そのような面で、このインタビュー記事には、あの時点の不確定さがあらわになっているだろう。
 それはしかし、岡田さんもまた、あらゆる作家がそうであるように、常に未知のものに直面しながら次のステップを探っているのだということを浮き彫りにしてくれているかもしれない。
 このインタビューでは、チェルフィッチュの特異なスタイルがどのように生まれたのかが語られている。そこで明らかになった脈絡が、舞台を一度見て理解しがたいと感じた観客にも理解の糸口を与えてくれることを期待したい。そして、21世紀初頭の舞台を見ることができなかった未来の研究者や観客になにがしかの資料を残すことができていたらうれしい。

【参考情報】本文の「注」以外の主な関連情報を挙げてみます。


Part 1: / 台本の書き方 / 演劇スタイルの転換 / 平田演劇の影響 / 自分にフィットする方法 / 上演台本から戯曲集へ / 拒絶反応について / 偶然と狙いと / 「労苦の終わり」と「ポスト*労苦の終わり」 / 歌集『渡辺のわたし』 (2005年5月15日掲載)
Part 2: / STスポット、ダンス、身体性 / 話す身体と聞く身体 / 演劇論の「インプット」と「アウトプット」 / 台本が必要な理由 / 古典戯曲を上演する… / むしろ「古くさくなるもの」を / 想像力の欠如を「記録」したい /
インタビューを終えて-岡田利規 柳澤望 (5月25日掲載)