演劇にはまだやれることがいっぱいある

インタビューランド #2  三条会・関 美能留  聞き手: 松本和也

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元気出していこうよ

三条会 関美能留さん 松本 8月には平田オリザさんの「S高原から」を、関さんを含めて4人の演出家が手掛けるという企画があります(注4)。これはアゴラから話があったのでしょうか。
 五反田団の前田(司郎)さんから話がありました。
松本 昨年「班女・卒塔婆小町」をこまばアゴラ劇場で上演したとき、戯曲・劇作家を中心にした年間プログラムを組んだアゴラ劇場と三条会の取り合わせは異質な感じがしたんですが(笑)、今年は平田さんの戯曲ですね。
 いやあ、あまり異質ではないんですよ。もともとぼくは、何度も言っているように、ひねくれ者なので、平田さんがぼくの上にいて、書いたものもすごいと思っていたので、じゃあ、それと逆をやろうと思っただけなんですよ。そんなに異質な話ではないんです。平田さんも、三島さんや鈴木忠志さんの作品や活動があって、それと逆をやろうとした面があるんじゃないでしょうか。その逆をいったぼくが、三島さんや鈴木さんから影響を受けた作品を作っている。そういうことになると思うんです。
松本 表面的には直前の世代に逆らいながら一つ前の世代を参照する。現れ方としては隔世遺伝のようでも、何か通底するものを感じている、と。
 そういう作品になればいいなあとは思っています。「S高原から」はまだ稽古に入っていないので、どうなるか分かんないんですけど、まあ、楽しみです。
松本 この企画は他の3つのカンパニーも同じ「S高原から」を上演するわけですね。一応、東京という場所で行われるんですが、そのあたりのことはどうなんですか、あまり気にしませんか。
 うーん。とりあえず、自分たちの活動がもっと強くありたい、ぼくはこれまでいろんな方に引っ張り上げていただいいて、すごく感謝しているんですが、これからはそれだけじゃなくて、自分たちの強度をもっと強く持ちたい。「メディア」からの流れとしては、自分たちの意思を強く持って活動したい。自活は厳しいんですけど、自分たちでやってけるようにしたいと思いますね。
松本 経済的にも芸術的にもですか。
 呼ばれるという形だけではなくて、この2,3年いろんな経験を積み重ねてきたので、感謝の意味も込めて、自分たちの力でやってみたいと思います。決して呼ばれたくないとかいうことではなくて、呼ばれたらもちろん喜んで行きますよ(笑)。
松本 最後に、演劇シーンに向けて、三条会はこれをやっていくとか、ここのところをぜひみてほしいなど、何かアピールをお願いします。
 ぼくはあまり前衛的なことをやっているつもりはないし、三条会としてカテゴライズされるようなものもやっているつもりはないんですが、演劇はまだやりようがいくらでもありますよ。先輩たちがいろいろやってきたから、それを踏襲するのも大事ですが、やることはまだいっぱいあるんじゃないかと思います。うん。元気出していこうよ(笑)。これが正直な気持ちですね。自分たちの枠内にとどまらないで、やれることはいっぱいあると思うから、ぼくもやっていきたいし、同世代の人たちも自由にやれるはずですよ。自由にやっていけばいいんじゃないかなあ。とても難しいけれど、ぼくらもやっていきたいと思っています。
(2005年6月21日、千葉市の三条会アトリエ)

注4) 「ニセS高原から」オフィシャルサイト http://nise-s-kogen.com/


インタビューを終えて

関 美能留
自分の未来のことを話すのはなかなか難しい。思うようにいかないことだけは分かっているからである。といって、自分の過去のことを話すのもなかなか難しい。ぼくの頭の中で結構忘れてしまったり、美化されてしまっていることが多くて、なにが本当なのかはあまりはっきりしない。今回もこのインタビューでメンバーを変えたくないと強調しているのに、今現在、三条会ホームページ上で初めて団員募集を載せている。心境の変化ということではなく、ぼくの中では筋が通っている。このわけの分からない筋の通し方を言い訳がましくしないためにも良き舞台作品をつくっていこうと思う。応援よろしくお願いします。

松本和也
私は茨城住まいが長い、というかずうっと茨城なのだけれど、地理的な近さもあって「千葉」は幼い頃からなじみ深かった。小中学校時代、少し気の利いた買い物や友達と繰り出す街は決まって柏だったし、高校は自転車で川を渡って柏に通い、よく船橋や中山で遊んでいたものだった。大学こそ東京だったけれど、卒業後は週何回か仕事で千葉に通ったりもした。ところが、そんな縁も切れ、千葉といえば高校時代の友人と飲む時柏に行くだけになりつつあった頃、三条会『砂の女』をみた。調べたら2003年2月8日の出来事である。以来、三条会を観に千葉に通い、このインタビューも千葉で行われた。気分はほとんど「千葉人」である。


参考資料】  本文に注記したほか、関美能留さんの主な著作やインタビューなどは以下の通りです。
・「二千五百年後の世界」(「劇場文化」8号、2005年)
・「近大戯曲の上演を通して」(「演劇人」13号、2003年)
・「北京で『ひかりごけ』を上演して」(関美能留「演劇人」12号、2003年)
・「受賞の言葉」(「演劇人」8号、2001年)
・「若者の主張」(「演劇人」7号、2001年)

・座談会「俳優芸術の創造に向けて-90年代以後の演劇状況と演出家の課題」(久世直人+関美能留+中島諒人+西悟志+司会・越光照文「演劇人」15号、2004年)
・インタビュー「日本人の身体に誇りを持てるか」(「演劇人」8号、2001年)
・インタビュー「関美能留(三条会)~全国そして世界へ」聞き手・倉迫康史「ST通信」No.22、 2003年)
 「演劇人」8号掲載の第2回利賀演出家コンクール「講評」で、最優秀演出家賞を受賞した「ひかりごけ」にかなりのページが割かれています。ほかに衛紀生、安田雅弘、山村武善ら各氏の文章が収録されています。
  ネット上では、松本さんのブログ「現代演劇ノート~<観る>ことに向けて」のほか、「しのぶの演劇レビュー」「ワニ狩り連絡帳」や、Wonderland などにもレビューが掲載されています。

目次: / 旗揚げは三島作「熱帯樹」 / 鈴木演出のすごさ / 「ひかりごけ」で最優秀演出家賞 /本番の雰囲気をつかみながら / 企画公演で教えられる / 文化芸術新人賞の説得力 / 見えにくい演出 / 主宰は経営者 / 読解は俳優の身体を通して / ある一瞬のために協力 /舞台空間は現場から、衣装は俳優が / 「邪魔するもの」としての音楽 / まず俳優を見てほしい / 「ひかりごけ」はどのように「演出」されるのか / 舞台作品の「歴史」 / ト書きは「挑戦」 / 新生三条会の出発点 / アトリエの「企業秘密」 / 元気出していこうよ /
インタビューを終えて 関美能留 松本和也 / [参考資料] (7月25日掲載)